1)機能性における表現の質

「結論から言いますと、○○です」等という言い方がビジネスの対話でしばしば見受けられる。相手方に労を課さない工夫として取られる作法に成り、解り易く端的に物事や意思を伝達する共生感情を根にした行為の現れという解釈に及びます。

表現の多くは、述べるまでに行為の過程を経られ、そこから生まれる欲望を集約し、誰彼かに要望を見せる姿であり、それを受ける側がその要望について、対応するかどうかの判断を取るという映し方が実態と描かれ、この前提には、予めの主要な役割という共通認識が置かれてその枠が個別の対話に反映され組織や集団の活動が現れる。

関係の持続性から結論を端的に纏めて、そこのみで精度の高い対話を実現し、快適性の増進という感覚が生まれる。この構造を多くの人は実感され、良質な人との関係形成手法として行動原理に意識的か無意識に備えられる。

何がしかの知的体系を形成するにも、この論理が適用され、個別の積み重ねを抽象集約して重要ポイントを前面に取り上げ、そこののみで、大凡過程や枝葉の推察に及ぶ事が想定されて、最小限の表現で済む事であれば最も快適性が生まれ、必要に応じて詳細を述べ納得性の取れる所で対話を終えられ、判断に及んで次のステージの行為や対話が進行する。これが前進という概念の中身になり、過程と欲望の集約→納得性→判断→次なるステージ、といった過程で浮かび上がる。

本書の構成も、冒頭部分に過程からの集約を取るという形式を用いております。そこのみで同一的な理解に及ぶ場合も想定され、必要に応じて詳細を見るのが良好なコミュニケージョンの運びで在り、このような対話の構えに人間形成の基礎的な対峙の姿が映し上げられる。

込み入った知的体系を表現するにも、同種の作法を意識されるのが平等思想に基づく行為の現れと思います。文量の多い事が付加価値のポイントに成らず、如何に良質な集約を作り全体表現を少ない分量で示すかに、表現形式上の付加価値が生まれる。このような実質的な付加価値の正しい捉え方の認識が高まり、良質な能力の測定に繋がり適正な対価の産出に及ぶ事と思います。断片的な知の量ばかりが記載され、知と知の有機性が弱く、見る側に労を与えるようなものに価値はなく、積み重ねと集約の過程を繰り返す中で次第に集約の質が上昇して体系の壺を示す事に及んで、そこに付加価値が現れる。

このような姿が倫理道徳という観念の二次三次的な応用として生まれる要所になり、この意味からも根源には倫理道徳心が人々の性質の土台を形成しこの程度が各種創造行為の質に反映される。財力や権力、名声に縋った肥満体質から怠け癖が慢性化し、粗雑な表現や可笑しな発想や価値観で正当化される事や、それに留まらず安易な盗みに及ぶ事に対しては、道を誤った秩序が増進される事からも、本書の文化論の根源焦点が物事の本質や真価を見極める重要点に成り得ると思います。以上は、機能の向上性という面を焦点にした表現の質を指し示し、情緒的な志向等、様々な意図によって相応しい在り方が生まれる事でしょう。

今日的には、「おもてなし」等という言葉で、日本文化を表現されるようでありますが、上述のような発想や姿勢、態度を指し示す事に思われます。この質が物的依存から脆弱化し各種の不快事情と現れ、人間の自制力や観察力、感受性の衰退に及ぶ事には警鐘が鳴らされます。

 

1)倫理道徳の肝

犯罪者が何かを評価できる立場にはなく、この感覚が乏しい所に慢性的な病理が浮かびます。健康像を本書で再三取り上げてまいりました。

フラットな感性が前進的な発想や創造に及びここが根っことなって、市場と技術を結び需給構造が形成される。これへの真摯な対峙が基軸動態に成り、持続的な改善活動を周期に持つのが標準とされる。この表現が過不足のない倫理道徳を示し、ここから外れた感覚に健康な心身を欠いた認識が生まれる。

その自己認識を欠いて正当性を備えるかの主体性には、まともな関係が生まれず、何が原因で客観的な認識が取れないのかを研究する分野が現れ、健康像とその乖離、その原因を探り予防の方策が生み出される。

これが文化活動の端的な表現になり、根源的な感覚と観念を作りだす姿を捉えて人間側をそのまま映し出し、適正な自己評価をもった認識の修正を作り、相応しい姿勢や態度へと修復するのが健康な体質改善の筋道とされる。

そこで用いられる尺度が、多くの良心を持つ先人が永年の時をかけて作りだされた善悪の規定であり、活動動態上にこの尺度が取り入れられ、そことのズレを見て客観的な認識が生まれる。

恐らく、この想定に万人的な重層構造からみる客観認識の取り方が生まれ、そこから主体の独立性という概念が形成され、欲望と力と責任への過不足を計り、行為へと繋げる事が、畏敬の念という生命観に対する感受性の率直で具体的な反映の姿と捉えられる。

言葉で散々道徳を語る事も自由な行為に思われますが、上記のような実際上の客観認識による比較を持って適正な事実の認識が生まれ、この程度で留める事が過不足のない標準感性に思われます。あまり複雑化した抽象論理に陥っても実効性が生まれず、この文脈に同一的な型枠が生まれるように推測されます。

多くを無理に要求するような原理は、自己への制約を課さない一方向的な表現に及び、フラットな感覚から生み出される倫理道徳とは外れ、最低下限的な論理を示し実際の認識との整合に真価を付ける事が適正に思われます。急所を外して、個別的な要素から正当性を増すかの在り方にはどこか違和感が強く、普遍的な観点を尺度の中軸に添えて、そことの比較を重視するのが良質な人間の見方や作り方に思います。 

1-2 まやかしの和に嵌まる事のない健康な和の推進

政治行政が民間の活動成果を盗むような疑いが生まれ、それが事実ならまったくの本末転倒のインフラであり、共通の欲望を達する公正公平な基盤を欠くどころか、負の根源となり、力の暴走への歯止めが効かずに、法システムは権力の維持が目的におかれた運用に陥り、元々の制度構築の精神と乖離を起こした姿という認識が作られる。

この基盤の腐りには深刻な感度が当てられ、一定の水準に回復させる施策が不可欠になり、こうした症状は一日二日で作られる事にはなく、一定の時を経て形成される皮膚感覚という体質からの事に成り、抜本的な改革を早急に実施する事により被害の拡大を留める事が望まれる。

教育制度、行政改革、政治改革、といった公的機関の直接的な面と、それに隣接する報道、マスコミ、財界人という周辺分野の在り方を含んだマクロ的な観点からの対処と予防策という事と、個々人の文化意識の上昇というミクロマクロからの基盤の改良が合わさって、正常な感性への浄化が叶えられる。この焦点への関心を強く持たれる人々も少なくないかに推察されます。ここが健全水準にあって、その上での共存共栄という前進性のビジョンへと熱が促進し各種の創造策が描き出される。

犯罪者には犯罪者としての対応が必然でありこのメリハリの弱い行為を取る事無く、膿を出し切る事が避けて通れない改善への施策であり、或いは、同程度の文化水準の人々とマイナスには関わらず、マイナス性から経済的な原資を得られる人々とも基本的に関わる事はなく、プラス性のエネルギーを投じるかの選択肢が生まれる。ここが、関係形成の肝に成り倫理道徳心という面が人間作りの中枢に備えられる。

厳密には、各種領域内にも文化水準の個人差が生まれる事と予測されますが、同一の看板を背負いながら、悪性を見過ごす事は社会人としての倫理観の欠如を指し、同種の扱いを取るのが適正であり、より厳密には、それに対しての改善施策を斯様に取られているかを、個々人が発信できるような透明感を備える環境整備が要り、ここが現代的な個人と集団の矛盾を解消する上での要点と浮かびます。

集団の規定に個人の発言の制約が置かれ、その内容が供給寄りに偏して、一般的な倫理道徳を欠いた面へ塞ぎ込むかのようでは、規定の在り方に健全性が備わらず、内部の膿がそのまま残り改善意欲を萎ませていつの間にか同化される。これに陥らない制度を設ける事が喫緊の課題になり、一定のインフラ水準へと修復してプラス性の阻害への対処と予防が進行する。和をもって尊しという根源感性はこのインフラの下落を改善するエネルギーに回るのが適当であり、まやかしの和に染まる事のない健康な感受性を備える人々との協働性が志向されます。

 

根源の感受性

多くの活動は、付加価値のアウトプットと変換過程と資源のインプットで表される。この持続的活動に管理という面が加わり、有用な産出を持続的に展開する為の適正な管理という二つの軸が浮かび上がり、その基準を設け、運用しながら適正を探し更新を適時に取る永遠の動態を想定して実際の活動が捉まえられる。

これをより抽象化した表現にすると、固有技術が感覚側、管理技術が頭脳側の操作に成り、感覚と頭脳とを繋げる感情、或いは、感情が感覚と頭脳の適正を作りだす。感受性は主として人との関係で現れる心理作用になり、相互の評価という行為で、喜怒哀楽の表情が生まれる。評価には欲望と充足の構図が立ち、相互に持つ欲望という共通面とそれを叶える作用の分担で協働活動が生まれる。欲望が感受性と物理性に分けられ、生理要素が加えられて、この割合感覚の程度で志向性の精緻な異同が掴まれ、欲望の充足となる実感規定に微妙な差が生まれる。合わせて充足方法への異同も生まれ、評価の感覚に異同が生まれ、そこに正負の感情が現れる。

欲望と充足

評価

欲望

実感規定

方法

評価尺度

生理面

心理面

○○が生じた時

△△という手順で○○が生まれる

感情の面に短期的な作用に比重を置くか、長い根源的側面での波長に比重を持つか、この程度差が、感覚と頭脳の適合性の作り方に現れ、長い根源性という面に、長期的規則性という不動的な文化面が置かれ、ここの厚みが少々のズレを和らげる作用と働く。

作為が生まれる以前のフラットな感性という感覚が、文化感覚とも言い換えられ、平等的な人間像を持つ所に良質な共生感情が形成される。協働関係を創り上げる以前の素地の部分が協働関係の良質な作り方を生む。利用の発想が強まる以前の生命を宿す素の有機体としての対し方に所与的感受性が見受けられ、この生理現象に近い所での感覚の近さが、協働行為に反映され、長めの根源的波長を備えた個々の事象の扱いに現れ、相互補完的な心理に回るか、攻撃的な対立性を強めるか、という違いと現れる。ここに緊張と緩和という関係性の波が現れる。

融和性を好む日本人の伝統的な気質が、こうした焦点に映し出され、和をもって尊しとなすという根源的欲望の姿と表現される。ここから、おおきな開きを生まない管理という在り方が生まれ、フラットな処遇に反映される。感覚と頭脳と感情という人間に不可欠な3要素に、まんべんなく価値を割り振り、各自の良さを伸ばす事と足らない部分は補完して、全体的な達態度を引き上げる協働性が作られる。この良質な文化の根を省みた生産性を遂げる事に、大きな利益が現れると言えるのかもしれません。こうした波長を揃えて各種の観点を設け、平等的観念を強めた施策が作られる。個々の施策ばかりが取り上げられる以前の、感受性という面に対する同質性がこうした文脈から示されます。管理ばかりをしたがるか、金庫番ばかりに人が集まるような文化には、大きな利益は生み出されない。

堂々とした文化

供給側という作り手の意図と需要側という受け手の要望という構造を念頭にして、あらゆる創造活動が規定される。供給の持続性を図る為に、組織化が生まれそこに属する各種規定が設けられる。需要側が期待している事柄を持続的に提供する為の事と、供給寄りの持続性を意図した事柄が作られ、供給者が思う事と需要者側との要望とは、必ずしも一致しないのが、実際上の需給構造になり、立場の相違から見る価値の異同が現れる。

そして原理探求型の社会観には、特定の需給構造の原理に縛られる事無く、真理を求めてより良い物事を創り上げる上昇発想を持ち、フレキシブルな挑戦に寛容なスタンスが備わって、既成型の秩序を超える観点の創出が生まれ、この面を重んじた自由な発想は、建設的な前進性を生みだし、堂々と公明正大な取り組みが進められる事に、活力の増強が生まれ、歪んだ組織の維持という内向き発想よりも優先されて、透明な創造活動を基調とされる所に、人間の飽くなき探求とエネルギーの上昇が齎される。

内向き文化の負の側面が、一部の利益への固執で在り、理に叶った発想から外れ、歪んだ発想による裏工作や、盗み等が進められ、良質な芽を塞ぐ面として指摘が成される。この認識が固まりつつあり、腑に落ちない規定や行為には批難の声が高まり、自由の阻害や、負の存在として認識される。

これが堂々とした文化基盤という意味を指し、健全な動機と真摯な創造には、開かれた風土が醸成されて、健康な競争を堂々と繰り広げる所に前進性の発想と好循環の増進が叶えられる。

ここが脆弱で、裏と表の乖離が激しく、村社会への執着へとエネルギーが閉鎖的に回り、歪んだ精神性を露わにさせる事へは不快の感覚を持つのが、健康な人々の自然な感情であり、プロセスを妙な行為で塞ぎ込む事には、厳しい処置を与える事が現代の常識感覚となりつつあるかに見受けられます。

この面面を明瞭に浮かび上がらせ、前進性の阻害への対処を急ぐ事が確かな改革の前面に現れ、健康な文化基盤の強化が、多くのプラス発想型の人々からの要望と思われます。本書は、こうした潜在的・顕在的なニーズに叶う文化論に成り得るように思います。しがらみという言葉が度々各種論者から用いられ、プラスとマイナスの要素を含んで示されるようでありますが、大きな利益を意図した健康な活動においては、しがらみ等という事には一切考慮をする事もなく、堂々と創造を表現する事に正しさを覚えます。これを基本にして、在る部分では適正な配慮も必要な部分が生まれるという序列の持ち方を多くの人は望まれるかに思います。

しがらみへの配慮すべき事と、配慮など一切要らない事との峻別を、適正に作る文化が志向されて、緊張と緩和の良質な姿が実現されるものでしょう。これを総じて堂々とした文化基盤の強化と謳われます。基礎的犯罪などは論外であり、即時退場の扱いでよろしいかと思います。

0-6文化政策の中心

人々の発想や思考や行為はどんな歩み方をしてきたかに起因し生み出される。歩み方を見る観点として、物理よりか情緒よりの志向性か、他利的発想か自利的発想かの2つの主要な軸が現れ、前者の割合が後者へ影響する関係にも実感されます。

物理よりは比較的単純性の強い感覚的反応の算式を持ち答えを弾き出され、物事の因果の実感変数が少ない感性を主軸に備えられる。情緒性は感受性の変数を多く持ち、方程式は多角的、深耕的と言えるように思われます。

別言すると、局所的と大局的という対象範囲の取り方の異同が現れ、感覚的実感の感受性へ偏る事は局所へと意識が向かい、広い動態を掴まれずに部分最適性へと陥り、頭脳的集計は個別を集めて大きな観点からの動きを把握され直接感覚を抽象した事象の捉え方が作られる。こうした傾向則が確かに在り、両面に制御を与える根源の原理をどのように作るかに関心と探求の焦点が生まれる。

根源の人間観と、大局と局所を繋ぐ中間工程に、これらの矛盾を解決する鍵が生まれ、感覚と頭脳の作用を段階的な感受性を経る工程体験から、両面を良く回した感情が生まれ、物的側面からの欲望と心理的な側面とを調和させる感覚と頭脳の働きが創り上げられる。

この動静が標準に描かれ、現況の状態認識から、標準図へ向けた方法が創り上げられる。現況認識と標準図との乖離感覚が、熱の違いを生みだし、達成への速度感の相違に成り、施策の取り方への快適不快という感覚が生まれる。これらの根源に負的性格を内包する人間への認識度の相違が生まれ、そこから自然や人への発想や対峙の仕方が変わる。この点が物理と理性、自利と他利という二項概念を作る根本に成り、生命へ対する感じ方の変容が各種の行為に及び、人間が映し出される。

絶対的な不快事象の特定と、実感の程度も、この生命観に起因し、あってはいけない事という類型が感覚から観念となり、共通的な感覚や認識を強めて、それへの予防策が講じられる。快適性の事柄には幅が生まれ、不快性には限定的共通性が現れる。

この下限的不快事象を超えた状態で、快適性を意図して表す理念やビジョンには、正当な行いという共感性が生み出されず、万人的な絶対則を守る事が、高次の発想や活動への共感や協働性を強める土台に成り、複雑化した物事への密接な関係が形成される。これが欠けている者にあっては、前進性の活動に肯定感は与えられず、歪んだ手法や精神に在るものへの率直な反応が生まれ、ここに心理的な道理という人と人との関係を結ぶ基本的な快不快感が生まれる。

物理性の入手と利用に、下限的不快を超えた状態にあるならば、そこには一定の線を引き、短史眼的な便益を抑制するのが、心理面からの判断になり、この扱い方に、生理を超えた人間の特性が生まれ、道理を外した行いを予防する確たる秩序が堅持され、それによって安定と持続の基盤が確保され、不快を生じさせない欲望の充足が果たされる。

個々人の毅然とした振る舞いから、悪性の連鎖が防がれ、根源的な制約を重んじる基盤の強固な社会秩序が形成される。生理的不快という所与の悪性を防ぐ心理的欲望を指し示し、生理と心理の基本式が構成される。

「そこまでして物的豊かさを求めますか?」という一線が備わり、その境目の持ち方と、実際の行為に生理や心理、利己と他利の割合感覚、形成の姿が現れ、人間の本質的な姿の把握が生まれる。これについては、広く知らしめて、公平公正な事実の認識を形成し、実際上の秩序が回されて、相応しい人間社会が創り上げられる。

遠くで生じた不快事項について、身近に連鎖する事を予測した認識を持ち、他人事では済まされない当事者性の意識が現れ、個々の不快事象への正しい在り方を直接間接に実施して、一定の基盤を健全に確保するという取り組みに繋がる。

こうした共生感情が少なからず作られて、他者との同一尺度の下に自己が律せられ、悪性の出現を留める施策が生まれる。直接の加害者や犯罪への加担や共謀をされた人々は、こうした観点から相応しい認識が取られ、万人的価値への背信の姿を客観的に示し、それへの相応しい反応が生まれて、生理と心理の良好な関係が創り上げられる。制度上の制裁や処置へと進める以前の自主内発的な道徳の厚みや対象認識力の向上が、心理と生理の上昇を生み、人間の良質性を増進させる。

最大分母の集団的自衛という観念は、こうした論理で組み上げられ、下限の制約という絶対性の価値を揃えて、直接間接に守ろうとする行為を示し、下限の制約を超えた行為が各種の悪性の動源になり、二次三次の悪性を作りだす事実を捉え、軽視や看過する事のない意思を作る事が、基盤の下落を予防し、良質な先人の意思を引き継ぐ事になる。

自分さえ助かればという発想が、安易に犯罪へ加わる節操のない心理に進み、大きな被害の連鎖性を生みだし、健康な心身の疎外を作りだし、物理に偏した発想や生活習慣へと深まりを見せる。悪性は連鎖性を強く生み、瞬く間に空間の皮膚感に備わり、生理的感覚へと浸透する。これを心理的な意思で留める所に人間の特性が映し出されます。

以上のような観点から対象を映し上げる事も、新たな発見や意識を生みだす事かもしれません。心理面を含んだ事実認識とは正しく多様な捉え方が生まれ、生理面の事実とは異質の無限的な観点の創出と知覚の構造に在り、そこに各種の感性が現れいくつもの学びや発見、刺激の機会を齎せる。日頃、生理的事実という感覚を持つ事も実は心理面が多分に含まれた事実である事も少なくないかに思われます。哲学的な観点からはこの違いが意識され精緻な対象の映し取りが作られるかに思います。

文化慣習

観念設計に於いては、どの程度の深みを持つ構造であるのかに根拠の納得度が形成される。加工度を繰り返して作られる観念で在るほどに、基礎づけとなる原理から遠のき、軽く浅い感覚の言葉と及び、人々にとっての重要度とそれを形成する基軸論理と離れた実感が創り出される。この感覚が、根元と基幹と枝葉という有機体の姿から表される重要性の程度となり、知的概念の創造に対照されて価値的認識が生まれる。

現代社会の分業化の進展は、業務を細かく区切り、全体と個別の配置における個別の多産状態に進行し、基軸がどこにあるのかの意識が弱まり、部分最適性を追いかける傾向に及び、歪んだ価値の序列に陥る事も少なくない。つまり、最も重要とされる事柄の認識が薄まり、細部の目的化した意識が強まって、効果の浅い創造事物が生み出される。

短サイクル多様性、という産業ライフサイクルを反映して生じる傾向と現れ、基礎研究が軽視されるかの取り組みには、主客転倒のベクトルの下でのエネルギーの投下という基本的なフレームの誤りへ向かい、このズレについて定期的な反省や見直しを設けて進行させる重要性の認識が生まれる。この作用が、文化という長期性の価値を省みる領域と現れ、自己を知り、自己が制御され、作られる創造活動へと連なるものと思います。

この性格を持つのが本書の領域に成り、根源的な層からの原理の探索や確認を持ち、時の変わり易い変化に対して、重要性の峻別を与え、細部への過剰な傾注を回避し、基幹を持った取り組みを実現させる。広い視野から見る重複投資や無駄な浪費を予防する長い目で見た合理性を叶える普遍則に沿った行為に及び、確かな基幹の太さがエネルギーの集中を持続させ、良質な効果を産出する言わば安定装置と備わり、致命的な事態を回避する根本の原理を作りだすものと思います。

定期的にこうした骨の矯正を成す機会を設けられて、歪んだ骨組みにメンテナンスを与える持続的活動を少なからず作り、安定と成長の方角感が維持される事でしょう。一日や一月、3か月や半年、1年といった節目を設け、基軸の確認をとりながら、多様な情報に過度な影響を受けない賢明な尺度が作られ、長い感覚の不変性が堅持される。

当たり前という感覚の形成が、気づかぬ間に横道に逸れ、いつの間にか常識感に及び、良好な価値を失う損失は、計りじれず、定期的に根源の焦点から重層認識を作り出す規則性が大きな成果の動力源に連なり、この面への認識を強めた発想に確かな判断や行為が形成される。

基盤面の良質性の維持は、自然には整わず、意識的に作りだされる活動であり、単調に見える事柄が重要な意味になり、力に振り回された行為がいつの間にか体質に及んで意思のない人格に陥り、犯罪に鈍感な感覚を作られ被害の発生源と堕落する。重要な事柄を当たり前に繰り返す事の大切さの認識が劣ると、自己制御の効かない主体性の欠いた行為が加速しクズをくずと思わない正当性を強められ、感受性が衰退し可笑しな感覚が慢性化する。盗みや詐欺を常態する体質へ及ばない重要な習慣を意図的に備えるのが文化慣習の意義に思います。

 

 

サイバー犯罪を許す事はありません。

 

犯罪者とまともな取引をする事はありません。犯罪に及び被害を与えた事に対して、直接の謝罪と賠償を果たして、場合によっては刑事罰を与え、この過程を経たうえで人格に何がしかの更生が生まれる。これを省略する事は、如何なる場合も許されない。サイバー犯罪に寄り、当方の論文を無許可で盗用した事による直接の謝罪と賠償を行えない者は、人間扱いする事はなくカスやごみと同列で在る事を念のため書き記します。

間接的取引に至るには、この直接的な過程を外す事はなく、例外を与える事はなく、犯罪者としての、当たり前の行為を見せて、人間と扱う事に成り、某放送局や精神的に異常な経済団体、某新聞社、健康な心身を持たない政治家等々は、ごみで在り、一切の例外はなく、直接の損害を賠償してまともな更生を経て、まともな扱いが生まれる。

これを外したけじめのない付き合いは互いに不幸であり、迷惑な存在であり、人格ある善良な人々との健康な付き合いを私は選択します。

未だにサイバー犯罪に寄り、論文を盗み、活用している実感が生まれます。警察への被害相談を申し出しても答えないこの国のインフラ水準には、がっくりであり、その原因を探り、有効な施策を考案して、こうした被害を最小にとどめ、プラス性の創造に足を引っ張らない文化秩序の形成が志向されます。

恐らくこうした類似事象に遭遇され、問題認識をお持ちの良質な人々も多数おられる事でしょう。そうした人々との良質な関わりを望み、ゴミを一掃するような事も少なからず協働できれば幸いです。

概ね悪性の根元への特定は、想定される事に思われます。一切妥協せずに、当たり前の対応を粛々と進め、看過せずに良質性へのエネルギーを投じる事に成り、まずはこうした事への対応策という性格を含む『日本文化原論 真なる調和への道 』を出版する事へと尽力いたします。

 

平成26年7月31日

横山 俊一

0-6思想の根源

最も収益が上がる事業とは最も人々が求めている事であり、短期的一過性の欲望からはこの状態が生まれない。中長期に及んで望まれる事柄を持続的に提供出来て利益が生み出される。この意味の利益追求が供給者の理想的なマインドとなり、狭い意味の経済概念を超えて多くの利害を包含した概念の形成と及び、私益と公益の区分を統合して根源から質実を図る視点が欠かせない。

人間の生理的欲望から他生物の生命を奪い生き続ける事実を踏まえた心理的な欲望の充足という図式によって健全な発想をもつ自立と協調の関係が描き出される。衣食住が生存に欠かせない必要物資で在り、この安定基盤が何より先んじられ、その確立と余裕をもち心理的な豊かさへと発想が向けられる。この適正感をどの辺りで見るかに個人差が生まれ生理と心理の割合感覚が作られる。生理面を一遍に望まれた感覚的充足への進行は心理面の充足を下げると抱くのが多くの人々の感性に思われます。そして両面の適正を求めて持続的な軌道を作り安定的感情が現れる。この基軸動態が活動の背骨と形成される。

今日的な現況は、物理性の過度な進行という心象や実感が生まれ、生理面を得るのに見境の弱い反応が加速している感を持ち、ここから心理面と生理面の解明や、欲望の在り方を再考する契機が生まれ、分業やサービス経済化の中で直接的な心理の充実を図る創造領域への要望も生まれる。本来的基軸には生理と心理を両面取り入れた創造に真っ当性が現れ、いずれか一方という性格には基軸とズレた感情が映り生理的性格の実態認識から目を逸らした心理性の偏りに主客の分離した理想主義や偽善への不快感が生まれる。

この感性が置かれて、現況に対する皮膚感覚から両面の適正を創り上げる発想に、理想と現実と方法の図式が現れ、いずれかへの行き過ぎに制御を果たす所に、変容しづらい人間の志向性を感じます。外界へばかり美しさを求める主客の分離は、実態の人間を見ずに過剰な美化を求められ、逆に性悪説へ偏して猜疑心や詐欺等が慢性化する対立性の状態への行き過ぎにも、先鋭化した物的衝突を招き、どの辺りを基準にするかに中長期性の利益という概念が生まれこの欲望が文化論の観点で言う収益性の最大化の意味になり不動的な感情の姿が掴みだされる。ボランティアや非営利組織、芸術という活動にこうした概念が弱いものであれば、歪んだ心理の利益追求が進み健康な利益に陰りを落とされる。真に有益な利益概念の創造と保有と実践に健全な成長軌道が添えられる。

このビジョンの導出には、ミクロ面における正負を内包する根源の人間像に立脚した発想が健全な創造を生む源泉に思われます。自己と対象を同列と構える重層の認識から、生物に対する繊細な感受性を含んだ対話が生まれ、命を奪い生きる客観認識が手放しで自己肯定感を持つ事への罪悪感を含んだ感性に通じ、それに即した反応に健康な心身を有する人間の姿が現れる。この感覚を欠いた自己中心性の強まりに歪んだ精神の根源的原因が浮かび人との関係に現れる。過剰な美化からは良質な感性を曇らせ人間が持つ負への感性が正しい美を創り上げる。

こうした論理が教科書的に掲げられ各種の立場における実際的な見え方の相違が生まれミクロの一次的体験による事実を経ながら細かな実感が形成されて、イメージと感覚との適正な認識が創り出される事に思われます。この一次体験の簡略化から思い込みの過度な姿や、盗みや詐欺に進む箍の外れた安易な力の用い方が進み感情の崩れを作りだす。身体と精神の弱まりと映り、二次情報の過信や、頭脳過多や物理依存の弊害が今日的な問題点と現れるという因果で浮かびます。

 

インフラの良質性への道

共通的欲望の実現となるインフラの形成とその責任を担うのが、政治行政の役割であり、この現況認識と評価と施策を当たり前に責務と負う感覚の程度から、各人の資質や能力、意識を窺い知る事に成る。これを明示化するのに、理念や信条が高らかに掲げられ、実際の行為で測定される。

この大義の程度がスカスカで、個人的な利害へ偏した振る舞いを見せる事では、個々人の利益誘導的な態度が明瞭に映し出される。利益を提供するならまだしも、利益を提供するふりを見せて利益を奪う悪意性の強い騙しを常態的な発想に持つ悪性が散見され、この性格に力を持たせたり、マクロ観点上の要路に配しては、良質な好循環等あり得ず、寄生虫による搾取性が強まりを見せる。この実態に在る事から稼業の様相という性格で質実が捉えられ、公の利益やビジョンへの忠実な行為が取られずに商人という実像で認識される。

経済人に置かれても、この焦点から実業家としての格が計られ、理念やビジョンを尺度にした公明正大性な意思決定や行為に社会の公器という側面が現れ、影響力が広がるほどに責任感覚が強まり欲望と力と責任の均衡へと意識が注がれて、物理世界による支配から、共生感情をもつ人間世界が作られる。

政治行政に関わらず産業経済や教育文化というあらゆる創造行為に適用される原理となり、大きな欲望を抱き、そこに力が与えられ、マイナスを超えるプラスの活動という評価が下される要件となり、人々からの信頼が寄せられ社会を牽引される不動的な存在と知覚される。

この実質的な観測から力が与えられ、規模の大きさばかりの一面評価では留まらない力と責任を不可分として独立性の概念を適用する成熟社会の価値基準が作られ、健全な感性が維持される。

この責任感覚の所在や程度から期待や要望が寄せられ、更に信用が積み重なり、大きな存在として人々を牽引される主導者という認識が作られる。

この正の存在がいる一方で、逆のマイナスの存在が浮かび上がり、欲望と力と責任の不均衡であるばかりか、マイナス性の影響の発生源となり、空の理念と実態の姿の悪影響という乖離を見せ、利己的拝金性の人格の劣った姿が現れる。大きなパイを広げる発想よりも、ごく限定的な閉鎖性の利害に固執し、それを守る事ばかりにエネルギーが注がれる。これらの性質を明瞭にさせるのが、報道機関やマスコミの存在理由であり、この感覚と間逆の物理性に縋る姿がしばしば映し出され、多くのクレームと表出し、多様なメディアを通して不満が発せられる。これが社会システム上の大きな欠陥と認識され、原理創造型の未来志向を塞ぎ、健全なエネルギーからの成長を奪い停滞させる。

こうした認識が個々人に高まり、目先の歪んだ反応に便乗する事無く、中長期の利益を視野に取った善悪を峻別した行動から、空間の良質な常識が創り出され、公明正大で納得感の高まる秩序と及び、体質という規則性となって文化という性格が捉えられる。

これの主導者が、政治行政を司り、或いは教育文化による観念の普及促進が伴い、或いは経済人の高い志が備わり、統一的なエネルギーの方向が固まり、そこに好循環という言葉が当てられる。自制力や自律心の伴った主体性が現れ、犬猫のような他律的従属性の感性や振る舞いに軽蔑感が作られ、人格や道徳の備わる活動が常態化される。

これを力強く引っ張るリーダーにエネルギーを与え、インフラの水準を健全な値に戻すのが、マイナス性の除去であり、その意思や行いを良く見分けて適正な評論を繰り広げられる人々が良質な観測者であり、正しい道へと間接的に運ぶ重要な役割の認識が作られる。以上のような尺度から、悪性と良性を明瞭化され、裏表の激しい姿や、歪みを正して、健康な気流が増進される。