インフラの良質性への道

共通的欲望の実現となるインフラの形成とその責任を担うのが、政治行政の役割であり、この現況認識と評価と施策を当たり前に責務と負う感覚の程度から、各人の資質や能力、意識を窺い知る事に成る。これを明示化するのに、理念や信条が高らかに掲げられ、実際の行為で測定される。

この大義の程度がスカスカで、個人的な利害へ偏した振る舞いを見せる事では、個々人の利益誘導的な態度が明瞭に映し出される。

この実態に在る事から、稼業の様相という性格で質実が捉えられ、公の利益やビジョンへの忠実な行為が取られずに、商人という実像で認識される。

経済人に置かれても、この焦点から、実業家としての格が計られ、理念やビジョンを尺度にした公明正大性な意思決定や行為に、社会の公器という側面が現れ、影響力が広がるほどにこの性格が求められ、欲望と力と責任の均衡が計りだされる。

政治行政に関わらず産業経済や教育文化にも適用される原理となり、大きな欲望を抱き、そこに力が与えられ、マイナスを超えるプラスの活動という評価が下される要件となり、

人々からの信頼が寄せられ、社会を牽引される不動の存在と知覚される。

この実質的な観測が、力となり、規模の大きさばかりによる一面の評価では留まらない力と責任を不可分として独立性の概念を適用する成熟社会の価値判断が作られ、良質な社会を創り上げる責任感覚の所在や程度から、期待や要望が寄せられ、更に信用が積み重なり、大きな存在として人々を牽引される主導者という認識が作られる。

この正の存在がいる一方で、逆のマイナスの存在が浮かび上がり、欲望と力と責任の不均衡であるばかりか、マイナス性の影響を発生源となり、空の理念と実態の姿の悪影響を作りだし、利己的拝金性の性質の強い人格面の劣った姿が現れる。大きなパイを広げる発想よりも、ごく限定的な閉鎖性の利害に固執し、それを守る事ばかりにエネルギーが注がれる。これらの性質を明瞭にさせるのが、報道機関やマスコミの存在理由であり、この感覚と間逆の物理性に縋る姿がしばしば映し出され、多くのクレームと表出し、多様なメディアを通して発せられる。これが社会システム上の大きな欠陥と認識され、原理創造型の未来志向を塞ぎ、健全なエネルギーからの成長を停滞させる。

この認識が個々人に高まり、目先の歪んだ反応に便乗する事無く、中長期の利益を視野に取った善悪を峻別した行動から、空間の良質な常識が創り出され、公明正大で納得感の高まる秩序と及び、体質という規則性となって、文化という性格が捉えられる。

これの主導者が、政治行政を司り、或いは教育文化による観念の普及促進が伴い、或いは経済人の高い志が備わり、統一的なエネルギーの方向が固まり、そこに好循環という言葉が当てられる。自制力や自律心の伴った主体性が現れ、犬猫のような他律的従属性の感性や振る舞いに軽蔑感が作られ、人格や道徳の備わる活動が常態化される。

これを力強く引っ張るリーダーにエネルギーを与え、インフラの水準を健全な値に戻すのが、マイナス性の除去であり、その意思や行いを良く見分けて、適正な評論を繰り広げられる人々が良質な観測者であり、正しい道へと間接的に運ぶ重要な役割という認識が生まれる。悪性と良性はこうした尺度によって明瞭化される事でしょう。

 

3-6真の能力概念

感受性や倫理道徳、自制心を能力と捉えない所に、そもそもの誤りがあり、人間を知らずに機能面ばかりへと偏重するならば、需給のミスマッチや過度に力んだ物理性による支配という発想が強まりを見せる。この在り方への違和感を抱かない感性には、どこか崩れた人格と映し出され、人間の概念から外れた能力の弱い主体性と描き出されます。能力という概念を偏狭に捉えて最も重要な要素を外した経済感覚にはブレーキを踏んで、健全な能力概念を再編成する事が要り、哲学や倫理道徳の弱い機能への偏りからは、歪んだ生産や制度、価値観が創り上げられる。

感覚体験を通した感情の形成によって人間の生身の姿を知る事に成り、これが弱いとそもそものニーズを窺い知る嗅覚が育たずに、機能ばかりへの解明と応用に走り人間を作る発想に及ばず、目先の即効性へ偏した片手落ちの生産や社会秩序が形成される。能力という概念はこうした想定から創り上げられ、質実の実感に及ぶ作り込みがあって、真の能力を捉える事に成り、狭く狭く分業化した生産体系から何か大事な観点を抜け落とし物的感覚を強められる事には、誤った軌道を進められ、豊かな人間生活とかけ離れた貧困性を深められる。様々な資格要件にこの概念が抜け落ちる事には、基本設計上の欠陥を生みだし、良質なアウトプットに及ばず、犯罪や不快事象が多発する懸念が浮かびます。偏狭化した感覚を適正に修正するのが、目先の利益と中長期の軌道に叶い、重要点の再認識の上に各種の創造をチャレンジするという論理が浮かび上がります。

報酬体系も真の能力概念から付加価値を算定し、単純な機械性に偏した構成や管理方と実務者との格差への見直し等が求められ、身体作用と頭脳と感情という三作用のバランスの良い付加価値体系へと再編する事が、健康な心身に基づく発想や思考と行為を表すものと感じます。単純性の強まりは、感受性の退化や衰退となり、感覚的実感への認識へと強まり、心理的な側面への価値を弱められ、実感要素の短変数化に陥り目先の欲ばかりを追いかける方程式が定型化され健康な人間概念を弱められる。こうしたパラダイムの再構成が現代の転換期に浮かび上がる重要な課題に思います。

 

3)違和感の少ない人間形成過程

 

二次情報という性格の知識を多く詰め込み、感覚的な一次体験からの知識を得る事の弱まりには健康な精神が備わらない。本からの知識は他人の感覚体験であり、自身の感覚を通した知識に於いて、感受性の育成や成長体験が含まれ、精神面と活きた知識との質実を持つ体形が生まれ、そこに人の感情を伺いながら繊細な感覚を経た知識が積み重なり、良質な精神状態が育成される。これが弱いと妙な優越意識が先行し、二次情報に過信を起こし、人より優れているという意識が高まってフラットな感性を損ない、歪んだ意識から行為に及び、まともな感覚と離れた人格が生み出される。こうした面が顕著に現れるのが現代の特性に見受けられます。教育制度や社会秩序形成上の誤りという感じに映し出され、それへの改革という思索が生まれます。

直接的感覚体験の弱い弐次的三次的フレーム形成には、供給側の偏った利己的性格の観念体系が創り出され、フラットな感性から生まれる均衡感覚と離れた制度や仕組みが強まり、感覚の積み上げによる感受性の形成の程良い循環が、質実の取れた知識の形成と創造に及び、極端な二次情報の入力を短い時間で急激に入れ込むことへの無理がたたり、精神的な異質性という感じ方に映し出される事も少なくなく、生涯学習というスタンスから無理のない学びが備わり、良質な創造が形成される。

犯罪の発生や道徳の弱さは、この極端な人間形成に端を発して生み出される健全な意識との乖離が原因に浮かび上がり、感覚と頭脳を感情を介して創り出す所に、健康な心身が宿される。こうした型式に標準感覚をもち、長い社会生活を形成する事に過度に力んだ状態からの修正が生まれ、物理性と理性の良質な在り方が実現されるという想像が浮かびます。

急激に二次的知を容れて、感情体験が弱いと人間を知る事に及ばず、そして持続的探求が成されないという状態が在るならば、そこにはどこか可笑しな精神状態が創り出され、フラットな感覚と異なる感性が作られて、飛び越えた発想や行為が生まれて、不快事象を生みだされる。権限と責任感覚のアンバランスや、能力と配置の不均衡な姿と映り、健康な心身は映し出されない。

このような因果をどれだけの人々が有されるかは未だ推測の域で在りますが、人間創造上の肝と浮かび上がり、教育哲学や教育プログラムに、こうした要素を取り入れた人間形成に健康な筋道が浮かび上がります。機能的側面と感受性との質量の均衡した状態や、持続的な探究心を備えた活動に良質な心身が生まれ、道を外さない歩みの実現が果たされる。

1)心身の健康

感受性から対象の認識力へ及び、それへの感受性が発生し、方法を導出するのに感覚と頭脳を用いて、快適は増進、不快は減少へとエネルギーが投じられる。この流れから次第に、方法が多産され、物的側面での豊かさが増進され、感覚を使わない環境が生み出された。

人と物との関係が増え、人と人の関係が減少し、感覚的接触が減じて、感受性を経ない事から、その面の劣化や衰退にと回る。感受性の弱まりは、感覚という身体状態の作用に起因し頭脳へ偏した操作性に及ぶ。つまり、科学技術の力を用いるほどに、自身の身体の活用機会は減り、その弱まりと頭脳への作業性が強まり、実態的感覚面からの認識が減り、感受性の弱まりや貧困化へと連なる因果を感じます。このような因果が人と物の関係における実感認識に成り、現況の欲望の生じ方を掴み、人間自体を知る事に成り、それに対する快適不快の感覚が生まれ、マイナスを補う思索へと探求が進み、欲望自体の調整が生み出される。各種生産や法規制・制度の構築への変質が生まれ、その結果を人間が感じ取り、正負の判断を掴み、生産へと循環するサイクルが現れる。自然へも生命を感じる感性が人へと反映され、命と命の対話感覚を持つのと、生命体という感覚が失われた関わりとは、異なる感受性で現れ発想思考行為の相違に及ぶ。対立的な対峙と強要的操作性が強まり、同列感覚がなくなり人間側のエゴが高まり、その充足を基調とした活動が強まりを見せる。それへの満足感が一定程度獲得された分、感受性の劣りへの認識が生まれて、それに対する感じ方から変化の程度が生まれる。

このような想定の下に、人間側を知るのが、文化論の焦点に合わされ、身体感覚と頭脳の作用と人へ対する感受性や物や自然へ対する関わりを知り、どうしたいかの感情を知り、人間自体を知る事に成り、作るという動作が生み出される。身体感覚を用いた生物的な健康管理という面へと焦点が高まり人との対話が増進し、頭脳側の操作性との良好なバランスへ及んで、心身の良好な状態が創り上げられる。こうした志向性への喚起が本書の基調に現れそのベクトルへ向けた施策やベクトル上の強化という性格の論理が各種生み出され、感覚と頭脳の有機性から欲望の健全さに及び、行為や思考が変わり人間が変容するといった一連のストーリーで描かれ、生物的な仕組みと情緒的な側面で人間像が形成されます。犯罪とは情緒的な感受性を根にして作られた各種の制限を超える行為に成り人間の壊れた状態を表しこの状態にある者に力を与えれば社会は乱れるのが自明の理であり根源を取り除く事がシンプルな改革に思います。これ以上でも以下でもなく、淡々と執り行えてインフラの良質性が維持向上される事でしょう。

文化水準の現れと改善過程

「すいません。申し訳ありません」といった失敗を謝罪することばを率直に示す事は健康な感性の現れであり、しかしながら、この言葉で留まる感性には、どこか異常な精神が映し出される。この感覚が想定される主体性には、実際的な感情も能力も見受けられず、実質的な損得を想定した主体性の選択を持つのが、現実的な人々の判断に固まり、失敗や約束を反故にした事に対する行為の実際で真価が計られ、法や制度に過剰な信用を与えずに、個々人の体験から実質的な活きた認識となる知恵や行為が形成される。

この発想の流れが在る一方で、フォーマルな規定の形成や改良を実態に即した運用が行えるように、各種の分析を充て要件の規定を創り上げる活動が併存して生み出される。

損害への規定をあらかじめ定め、実態的な失敗や不快を万が一に想定し、その損害を補てんする事に、誠実さや信用の構えの実態が実感され、現代の商慣行や対人関係の深まりに及び、「すいません、やめて責任を取ります」等という事の不道徳な振る舞いを許さない感度が形成されている。この感覚に至極当然の感情の質実が見てとれ、この異質な感覚を常識と持つ主体への改良が、万が一に対する予防策として思索が深まり、事前型の良質性を作りだすエネルギーが投じられる。社会システム改革等の大きな視点から身近な対人関係という事までこうした視座を持ちマイナス面の回避や予防を考え、実態的な構えを創り上げるのが常識感覚に現れる。

これの以前には基礎的善悪についての認識と実態的行為という初歩的基盤が当たり前に形成され、その上で約束を取り交わす個別の複雑な事柄が想定されて、その履行へと全力投球されて、それでも失敗という面を少なからず想定した関係を作り、上記のような構えが創り上げられる。初歩の基盤の脆弱さは、次元が異なり関係の深化に及ばない。感性の基本的な壊れであり、この認識の弱さは、まともなルートを経て創り上げられる感覚とは大きな相違を持ち、ここに根源の改善点が浮かびます。

政治行政という領域で度々見られる謝罪の在り方や感覚には、こうした民間の感性との大きな乖離をしばしば感じられ、職を辞めて責任をとるかの感覚に、理解の離れた常識感覚が現れる。或いは、物理性への過剰な依存体質から、下限的な法をいとも簡単に踏み超える感性にも、基礎的な道徳を踏み外した振る舞いと映し出され、いずれも文化基盤という面からみると、健全な感性を壊した力への依存症と及び、まともな関係を築きあげる事への困難さが想定されます。

このような根源的な側面を浮かび上がらせて健全な感性を探り、その実態性を高める事が、文化水準の維持や上昇策となり、認識の明瞭性という事から、問題点の絞り込みが生まれて、それへの改良策という過程が創り上げられる。

段階的な区分を丁寧に進行させて、大きな目標へと次第に近づくといった歩み方に実効性が叶い、質実に在った実感を掴む事に健康な感性が現れるように思います。

心身の健全と病気を表す境と思われる所を示して、それへの異同を形成し同質感覚との協働秩序形成に及ぶのが、現実的な実行プロセスに現れる。

以上の想定は、ごく限られた経済行為の一面を焦点にした問題の特定例に成り、実際にはより多数の因果関係の実感があって、細かな問題の認識が創り上げられるものと思います。

 

外界と現場と管理

形式的ルールが創り上げられ、勝敗や各種制限が設けられる。その枠組みの製作が、活動の主体者から望まれる規定で在る事が活きた納得性を帯びるルールに成り、管理型の発想からはこの主体者の側から生まれる発想とかけ離れる。

管理運営側の見る変数と感覚的実施者の見る変数の相違からこのズレが生まれる。両者の側が考える重要ポイントや関係要素を明らかにして、相互の理解を進めて、車の両輪が回り、この相違を曖昧にする事から、対立的な感情が生まれ、良好な発展や成長を阻害する。

何を理由に曖昧にされるか、個々の私欲性を優先し、都合のよい部分に比重を置くとなると不協和音は強まり、対立感覚のままエネルギーの統一感が現れず、強権的な管理運営に陥り現場のエネルギーをふさぎ込み衰退への道を辿る。

または、現場の感覚に偏り顧客を無視した進行から、領域が萎むという流れがあり、その意見を汲み取り集約的方針が現場に伝達され、外界との接点が築き上げられる。顧客の持つ現場感覚の客観的把握が軽視されて、実施主体の現場感覚による身勝手な意志のまま外界を無視して衰退する。

この両面を踏まえた相互調整策が、長い活動を想定した際には不可欠になり、需給の一致や牽引策として現れる。

これが外界と領域、現場感覚と管理型の皮膚感の相違と、相互理解と協働活動の過程に見られ、そして大本には出来る限り近い理念とその解釈の同質性が備わり、いくつもの矛盾を乗り越える調和策が作られる。領域内に理念が留まらず、外界の意思を含んだ理念の成長と及んで、領域の拡大や成長とも見られ、量の増大や質の充実という観点から、これらの方針が現れる。領域が持つ真価の付け方の相違か、利己的個人の性質か、観点の相違によるズレか。

一貫した感度は積み上げ型の体験から生み出される。しかし、その領域からは発見しづらい観点の創出という面が在り、叩きあげ型の感覚と、他の世界での感覚との交わりから良質な施策が生まれるか、悪質な施策と捉えるか、大本の優先価値の同質性がこれらの判断を分けられる。

外界迎合的な領域か、外界牽引型の領域か、その割合感覚やタイミングなど、科学技術という感覚性の力か、情緒的な力か、混合か、

こうした大別で需給構造の認識が生まれ、そして、どこにどんな力を投じるかの決断という作り込みが成され、外界との対話を繰り返し、両面の微調整をどんなスパンで更新するか等の認識と行為の持続的な活動が展開される。

このような活動の観念をある程度備えられて、相互認識の良好性に及び、局所と中局と大局、時の分母感という構造の下に、協働生産や個々人の志向の割合や関係の繋ぎを考える事に思います。全体集約という立場の必要性や、現場感覚の重要性、其々に意義が生まれ、納得性在る進行への意識を持ち、実感を生みながら、大小の成功感覚や失敗感覚を経験し、不変的な価値の認識が形成され、そこからの応用という流れが強まりを見せる。

不変的な価値には、正直、誠実、信用、といった抽象観念で纏められ、その実感規定の取り方に広い幅が生まれると同一感情が形成されない。この微妙な感覚が緊張と緩和の循環という時の重なりを経る事から狭まるものでしょう。

以上のような抽象論と個別性の適用から各自の事実認識や価値形成に連なるという想定が生まれ、共通的プラットフォームの意義が少なからず生まれるように思います。

 

7)前進的創造

美感という感性が発想や思考と行為の源泉に備わり、個人の規則性や社会の秩序を創り上げる。この捉え方に各人各様の歴史や志向性により多彩性が生まれ個別と共通の部分が見てとれます。一見すると全体統制的な発想にこの美感を用いるか、意図の少ない自然な表現を取られるかという面が現れ、前者に嫌悪感が生まれ後者に違和感の少ない姿が映し出される。人に求めるような事ではなく、自身で感じるままにエネルギーを投じ、それを見る人々がどう感じ取るか、或いはそうした視線や想定にもあまり関心を及ばせないのが美の追求という捉え方になる。しかし、これにもどこか社会性の弱い実際的な心理と離れた自己陶酔と映り、変なプライドの優越志向にも見て取れます。つまり社会性を含んだ所に健康な心身の所在が認識され自然な美感という姿に及びます。自己と他者の美感との共通面を探し協働的なスタンスを持ち具体性へと熱を投じる活動が共生という姿になりこの部分が少なからず備わって快適という感覚が生まれる。自己の美感を発揮して影響が広がるほどに影響に対する責任意識へと及んで、社会的・歴史的な中での一要素という認識を持ち良き先人からの恩恵と後世への良好性への意識が生まれて美感に対する責任感覚を抱き大きな快適感の実現と映ります。こうした活動が見られる所に美しいという感性を抱くのが健全な美の描写に感じます。美と醜いを一体的な観念と捉えて共生志向の実在が確認され人間界の永続的な可能性への欲望を少なからず意識に含んで自然な感性となり、破壊的な発想の中に建設的な志向が含まれ力が与えられ前進的創造という言葉が当てられる。この世界に資する方法に肯定感覚が生まれ美をこれに用いる事には○が付き、それへの対価を意図する事にも健全な発想や活動という解釈に及びます。人類の永続性といった大きな飛躍に及ばせなくとも何がしかの幸福感情を提供する事であればそこに意義が備わり、プラス・マイナスの側面を考慮しながらプラス性の増進へと探求し作りだす事には尊さを持つ活動と捉えられる。

それを計るのに、透明公開、客観評価という環境を必然に整えて、健全に堂々とした精神を宿し、自己の都合に偏した主張であるかどうか、公に叶った事であるのか、包み隠さず評価を受ける需給構造を当たり前に備える事が現代の皮膚感覚であり、これに耐えられない主体性は自然淘汰が必然であり、下限の制約を超えたものには一切の妥協を許さない文化基盤へと高める時期に在るように思います。

複雑な感度を単純化する事には物理性の進行が加速しこれにも良好な感受性を破壊する原因となり、そうした中で納得性ある真価を決めてゆくには、堂々と表も裏もない姿へと近づける事が必要になり、小さな利益に偏した閉じこもりの体質には不快の感覚が強く現れる。愚図な体質に合わせる事無く、正々堂々と真価を計る文化を多くの人は望まれるものでしょう。適正評価を取る為の長期的な筋道という点への探究成果として、本書の文化論が有用に思います。犯罪への謝罪が取れない愚図は、しっかりとけじめをつけないと直らない。目障りでありプラスの発想をマイナスに向かわせる元凶に思います。

 

 

複雑という標準感覚

1-5複雑という標準感覚
割合感覚や多様な要素の混在するのが人間という複雑な心理を持つ動物の特性に思えます。この実態を文字や数値で表す事の難しさの認識が置かれて、中長期的な時間の枠組みを設けた規則性や経過という面から、行動の原理を抽象化し部分事象を配置するといった認識の取り方が生まれる。欲望や動機や感情、発想という事を起点にして思考を組み立て行為という具体的な方法に及ぶ標準的な型枠が示される。この絵に描いた通りの実態として浮かび上がる事と無意識的、作為性の少なく生まれる行為や、各要素における内実の混在的な様子など、十人十色の感じ方の微妙な相違があり、これを単純認識や解釈する安易な姿には実態を見誤り、それを広く報じて歪んだ情報を伝播させ悪影響等を知り、そして罪の認識や反省を経て対象への注意深い観測行為や伝達、創造という振る舞いが創り上げられる。こうした背景に、物的力への依存した生活習慣が取り上げられ、複雑な事柄を単純模型化した発想の高まりや対象の外部化という主体側への視点を省いた強欲性に陥り、この性格を含んだ行為に複雑性の単純化という傾向が現れる。実際的な肌感覚の交わりの機会が減少する様々な要素が生まれて、生身の感受性や感覚器官の衰え、欲望の物的化という流れの加速に問題感覚を抱かれる人々も少なくないように思われます。これらの改善に、生活の物的豊かさと精神的な豊かさとの並走的な志向性が描き出され、そこに健康な心身を備えた人間像を表して問題の喚起や改善への施策が生まれる。自然本能に近い欲望として、生み出される反応にも思えます。更に、文字表現や、文字認識という実際感覚の単純化といった性格を持つ文字技術への認識が強調されて、文字文化への正しい認識や利用の仕方への反省が加えられて良質な改良が各種生み出される事に思います。このような根源的な基礎研究に相当するのが、本書の焦点や内容であり物的感覚と情緒的な嗅覚の良好な保ち方や成長への志向を取り上げ中長期的な観点で創り上げる人間の姿への探究となり描き出されます。単純感覚が思考を経て制度に反映され人のモノ化という傾向の高まり等へも、一定の制御を設け健全や健康という観念から両面の適正を備えた生産軌道を作り、物的感覚の強まりに制限をとり良質な感受性の維持に重要性を感じます。このような顕在的潜在的欲望の存在が感じられ有用な施策を設け市場を創造する中での、文化論という大きな枠と部分の認識で捉えられます。仮に、科学技術の利用をプラス面と捉えるならば、そのマイナス的な側面が生まれ、両者を不可分な関係として感じ取り、適正なプラスへと発想を進める事に理性を割合に含んだ複雑な人間に適する方法が生まれ標準感覚が形成される。その前後の許容幅を持ち、変化への免疫や前進の動態感覚を生み、少しでも良好な生産という研究が進められ躍動と安定の世界が現れる。単純感覚を標準とせずに、複雑怪奇な人間の姿に実態を取るのが適正な標準認識になり、異質性に過度な反応を見せ、自己に含まないかのような過剰な特異性の認識を見せる姿には違和感が生まれ、優等生的な振る舞いや表面の美化には表裏や内実の乖離した醜さと映し出される。表面を綺麗にされるほどに裏で悪性を働くギャップを見る事が多々あり気持ちの良くない歪な精神性を感じます。表に欲望を出さずに、姑息な手法を用いるひ弱な精神が実感されこの手の人間が現代の多数派にも見受けられる。これを強調すべき時代背景にあり、人間を過剰に優れた生き物かの認識を改め正負の姿を直視して正への努力を創り上げる一連の行為に健康な美しさを感じます。

不変の真理:

不変の真理:そして、原因と結果を示す実感の取り方から事実という生じた事象の認識が取られる。ここに物的痕跡や人間の動機や発想、欲望の起こり方と行為の規則性から見る因果の取り方が生まれる。この活動に対して、快不快や善悪美醜という心象や感受性が起こり、事実への価値が加えられマイナスを抑制、プラスを増進という志向性と現れる。事実の特定に、どこまでの因果の実感を取られるべきか、感覚の及ぶ範囲や緻密さが事象の特定に作用し、又は感受性の起こり方から範囲が限定される。この無意識的な感覚と意識的な作為性をもって、原因と結果と未来の創造を含んだ判断が生まれる。

法で想定される事柄と物的証拠の実感へと意識が注がれ、法的勝利を意図した対人性が強まる事には偏狭性と精神的歪性が実感され、快適性の増進という目的と法による統治という方法について其々の内容と関係を欲望と充足という面から思索を及ばせ人間自体を映し出し、それへの快適と不快を感じとり、行為の絞り込みと明文化による想定と個別事実の特定が作られ、予めの想定と適用という次元の事実が作られる。予めの想定は、過去の事象と先々の想像を含んで作りだされ未来寄りの適用と過去よりの適用という程度が生まれる。予めの想定について、如何に良好なビジョンを創り上げるかに思想家の真価が取られる。生命への感受性から、願望や方法という具体的な限定に及ぶ因果関係を見るならば起点は生命観にあり、生と滅の良好性へのビジョンを探して土台となる観念が作られる。

滅へは不快、生へは快適感を抱くのが健康な感性であり、これを基本として願望が湧き方法を作る事に標準感覚が定められる。自己と他者、主体と外界を含んでこれを達する歩みを模索される所に人間が現れる。これが感覚と観念を繋ぐ根源の感性に成り人間像の中枢に備えられる。

そして各種創造へと思いを及ばせ正負を勘案しながら最良の道を作りだす事が普遍の理念に想定されます。細部へ意識が集中し根源や基軸があやふやに陥った際に立ち返るべき初動の視点と備えられ正しい方角感を保った意思や論理が生まれる。これらが少なからず万人的な感受性となって事象の連鎖性が生まれて全体としての好循環が遂げられる。現在時点における不変の真理と描き出されます。

年齢や経験の積み重ねにより、いくつもの失敗や成功という感覚を抱きながら次第に考え方が知肉となり現れるものと思います。初めから完璧等という事を目指さずに、感覚的な体験の中で様々な感情や気づきが生まれ、プラスマイナスを味わいながら進行するものと思います。失敗を過度に恐れ観念ばかりを巡らせる事にも健康は阻害され、両面の適度な循環から実態を掴んで徐々に質実の在った体形が固まるものと思われます。大きな観念的土台は外さずに、中小の失敗などには寛容な面が備わって前進的な文化の活力が込み上げられるものと思います。お縄に成っていないだけで実態はコソ泥という人が意外に少なくないかに思われる事を鑑みるとこの面に真価を創り上げるポイントが浮かび上がります。

 

3-2文化改革

 

この活動の要約図に照らして、現代社会の問題点の指摘と改善案を提起し、実効性の在る変更に及ばせる事が文化という切り口での創造に成ります。

問題面:端的に言うと、評価と願望から方法の提起と実施を経て完結性在る活動と見るのが、多くの人々の平準的な活動の観念に思われます。つまり、今日的な問題事象は、評価という所に留まり、方法や実施に及ばない行為について問題視され、付加価値の弱い創造に対して過大な報酬を与えるかの事に平等観念とのズレを生み、適正な付加価値と対価へと修正させる事への要望が高まりを見る。

それも、確固とした尺度のない状態での恣意的な評論や事実の把握の弱いままでの憶測や妄想、誘導という面への不快感が顕著に示され、これらへの改善を強く訴求して空間の健全な秩序形成への軌道を保つ事が健康な活動を備えられる人々の強い要望と現れる。

原因:これらの原因として、感受性の弱まり、頭脳過多体質による弊害、科学技術への依存、貨幣制度の高度化による弊害、人との交流の弱まり、哲学の脆弱な機能の多様や生産、教育の歪み等々が指摘される。

改善案:これらの改善に活動規定の明瞭化、アウトプットの特定と生産領域の絞り込みによる質の高い生産性、方法の発案と実施までを含んだ完結的な創造、哲学の確立、地に足のつく発想や思考の定着や復元、身体能力の向上、完結性在る主体性の確立等々が掲げられる。この筋道が芯の入った活動への修正や改良を齎し、基本概念からの再設計と体質化への規則性を固めて良質な倫理道徳の備わる秩序の深まりに及ぶ。

需給改革:これが欠ける事により盗みや詐欺という行為が慢性的な感覚に含まれ、悪性を広げる事にストップをかける方法と描かれ、社会人への基礎道徳の徹底や、学生への基礎教養として、根源的な足並みを揃えた活動観念の強化を図り質の良い付加価値の確保された生産が遂げられると同時に、需要者側の感度も変容し、良好な需給構造が確立される。価格の算定を確かな見識を持って捉える事や、品物ばかりでなく生産者の性質へも視線を及ばせ、中長期の健全な社会秩序を深める運びに連なり、その感度や常識感覚が、政治行政の仕組みにも反映され、教育経済政治の水準上昇を遂げる基盤面の強化策と描き出される。クオリティーを高める上では、上記の活動観念を創造のインフラと固め、何を創出するのか、付加価値は何であるのか、完結性の周期をどう持っているか、こうした各種のポイントが備わり適正な見識が高まり過不足の修正による快適性の向上といった前進が創られる。言論や行為の質を図り、どの程度の実質的付加価値にあるのか、活動観念を標準にして、その実態を掴む人々の嗅覚が高まりを見せる。文化上昇の初動的観点が以上のように示されます。