1)普遍と不変性の探究と提起

短期的な活動の想定では、物的力や突発性の発想で秩序が作られる。型枠が安定せず兎に角目立つ事という発想により手法に節操がなく、やったもの勝ちといった状態が作られる。技術の幅が広く、一律的な型枠に納めづらい創造世界にみられる秩序と浮かび上がる。技術力と政治的な力の混在した中で群雄割拠し、自由な活力という側面と不安定さというマイナス面を併せ持ちながら、どこかで一定の健全な秩序を見出し暗黙的な規律やフォーマルな手続きを設ける等の思索が進められる。

領域を牽引する立場から様々な安定化策という内容が提起され、過度な画一性へは反発が生まれ程良い同一性を見出す事に及ぶ。領域外の力を用いて主導的な立場を作る発想によると、同業者としての仲間意識が割れ純粋な技術の向上と異なる変数が加えられ不満要素が生まれる。内部の中核的な支柱と外部の評価という構造において、仲間内での支持を先んじ供給者論理を固めるか、外部関係者による評価の程度を重んじるか、両面が交錯しながら基準となる型枠が浮かび上がる。利害関係の程度から関与の違いや意見の重みに序列が出来、深く腰を据えて領域を担う意識や行為においてエネルギーの投じ方に反映されあれもこれもの立場を取ると意見に重みが備わらない。エネルギー投入と受容の相関を示し欲望と力と責任という尺度と領域という限定性で表される。領域の規範と領域の近辺にある規範、更にこれらを含んだ分母という領域の広がりが浮かべられ多段的な構造で規範の重層的な仕組みが現れる。別の観点で言うと供給者論理、消費者論理、両者を含む生活者論理ともいう区分けで示され、更には万人的という分母を想定した規範等へと思索が進められる。分母に厚みある納得性が備えられると根本的な感性の上に個々の自由度が形成される。個別性を統合化する流れを指し統合から分散という流れの周期で大別される。個々人の力が大きくなり共通的な領域を各人の自由裁量で創り上げたいという発想と在る程度共通領域が不動的に落ち着きその中での個々の裁量を望む発想とが混在しこれらの基盤に根源的な不動性の感性が配され短期や中長期という時間軸を下に時々の変化率で個別と共通と根源といった区分が浮かべられる。領域という空間と周期という時間の概念が根底のフレームに成り在る観点という型枠が設けられ領域観が創り出され内部と外部という区切り等が感じられ関与の程度と関係者の種類が浮かべられる。未来ビジョンの設け方が領域観をつくる動力を指し過去からの価値が確認され不動的な面と変動を求める志向と外部からの影響と外部への影響力の想定から未来の想定が描かれそれへ向けた力として内部の領域観や体制等が描かれる。時空を超えて且つ万人的分母を想定の上に作られる内外区分の弱いビジョンが普遍的原理という根本性の価値を指しこれへの探究と提起に当たるのが健全性概念となり厚みある基盤の形成によって各種領域の安定と繁栄へ資すると考えます。以上が本書における創造の観点や性格を表し広く万人的な未来ビジョンを提案するものです。各領域において様々な問題を抱かれ解決の方途を求められる事に思われます。何がしかの有益が生まれると幸いです。

本書の主体性像

暑苦しい性格は現代の時代環境には一致せず、「おれがおれが」というタイプは倦厭される。しかし、自己の適度な意見を持たない所にも信用は生み出されず、基盤的な根の良質性を備えて、出る所と引く所の適正を導出出来る感性に、好意的な心象や協働や共生の快適感が作られる。

「主体性をもとう」等と教育的な立場からしばしば謳われる事の中に、こうした意味の主体性という性格を含んでいるかに問題点が浮かび上がり、教育者や管理的な意識の強い性格から主体性像の取り違えのような節に見られる事も少なからず感じられます。

ここに健全性という概念が形成され、現代社会の厳しい経済状況にあっても、空回りの力を注ぐ事のない適温を持ち、ここぞという所での力の集中というメリハリを掴んだ動態が生まれて、好機を外さずに、出る所と引く所の適正を出現させる感性に在って、健全性と建設性の好循環が生まれる。

例えが良いか解りませんが、マージャンというゲームをやるとこの辺りの感覚が明瞭に掴みだされる。4人で各自が自己の手札を揃える事に意識が注がれ、札を取る事と人が捨てた札で上がるという4者の一体的循環の中で競われる仕組みに在り、捨てて上がられるリスクを含みながら自己の手札を揃える攻守の一体的感覚が生まれる。

いくら力んでも流れの悪い時は、良い札は回らず、相手に振り込んで上がられる。この流れに即して耐えられる感覚と、ここはという時には勝負に出るメイハリ感が求められる。

常に上がらないと気が済まないような若手のガツガツ感が露骨に現れ、自己中の感性を押し通すと目も当てられない結末が生じ、しなやかで鋭敏な嗅覚による熟練の技が光り輝く。

この自然形成的な動態が、社会情勢にも反映されて、肥満や筋肉質な体質が浮かび上がり、歪んだ精神性による癖の強い行為には、ストップがかけられて健全性が保たれる。これを物性的な力へ過度に依存した皮膚感が強まって、自然な流れに粗雑な力でごり押しする事が罷り通ると正常な感性は破壊され異質な常識の積み上がりによる偏りの強い人間性が進行する。純粋な感性が崩れ、良質な流れに合わない気流を強め、欲望と力と責任の均衡から大きく離れた作為や状況が作られ、これへの自浄反応が停滞する。生来的な快適感からストレスと現れ是正の力に及ぶ事が社会の自然則を指し、この生態系が壊れる事による問題事象が随所に発生する。左巻きの物理依存と右寄りの抽象観念に偏した詐欺紛いの姿という両極に寄らない適正感覚が描かれる。

こうした世界観に同質性を抱かれる人々がどの程度おられるか、未知なる事でありますが、本書の基本的な志向性を指し人間像が描き出され、長く健全な人間世界を意図する力が注がれます。力んだ欲望や手法は不快事象を生み、出る所と引く所の快適な制御性を備えた感性に、共生感情と適正な挑戦の姿が映し出される。この感覚を内蔵した主体性に健康な社会を作り上げる急所が備わり適正な調和が形成される。

理想概念に対して歪性を放置するわけにもゆかず、適度な対応を果たさないと理想からどんどん離れた世界が進み、手の施しようのない事態が想定される。こうした趣旨から方法を作り投じる行為にあって健全性が掴みあげられ、受動的な感性にあっては悪性に同化し慢性的な体質と化す。この事態への自覚もなく同化して負の連鎖を起こす悪性には適正な配置が要り、大きな権限を備える性格にこうしたビジョンが内蔵されて負を断ち切る行為が進んで健康な社会への軌道が持続する。ビジョンの創出から認識が強まり力が集まって具体的な施策が加速する。いい年代に成って、20代30代と同じような欲望を見せられる姿は、日本の美感とは少々異質であり、どこか壊れているようにも映し出されます。

健全性思想の真価

先人といっても様々な性格がおり、次代に向け良好な働きを取る人もいれば、次代を犠牲に利己的な搾取の性質の強い行為を取る先人もおり一口に同一視する事等は到底及ばない。これらを見分けるのに、どのようなビジョンや理念を備えどんな活動を果たされたか、社会性を備える利益の生産と提供の実際を把握の上に性格が浮かべられる。今よりも良くしようという発想か、自身が良ければよいとする発想か、比較的明瞭に性格が映し出される。こうした個別性と大きな歴史の集約的な捉え方を区分して過去の歴史観が出来あがり正負の評価感覚が生まれ、そして自身の立ち位置を確認の下に未来ビジョンが形成される。

先人の正と負の遺産を両睨み明瞭な区分と不明瞭な事が生まれ、且つ自他との認識の異同が作られあまりにギャップがあると良好な協働生産関係には及ばない。歴史認識といっても、どんな観点や時空を想定するかで実感の多彩性が生まれ個別的な面と共通の図れる所とが形成される。国家という概念にも法律等の形式上の規定と実際の肌感覚で浮かび上がる認識が生まれ事象の掴み方が広がる。こうした中で各種の表現者による提起が成され、同質的な実感が次第に重なり事実上の標準感覚が作られる過程が映し出される。

誰が示すというよりも内容への吟味から異同を取り集約に及ばせる流れが自然であり言論の自由を前提に妙な制約を課さずに良い物事を自由に選択しつくる事が適当となる。何か特定の利害から違和感の強い作為を持って利己的な欲望を追求される行為には平等思想との乖離が生まれる。堂々と、誰へだてなく内容を作り上げ、それへの評価に於いて最も良好な事柄を作る過程に健全な感性が示される。健康な精神から生まれる活発な表現活動にはなんら制約を課す事無く、特定の利害へ偏して歪な手法を投じる事は歴史の逆行を指し、人権への抵触と至るような物性従属的な感性には非難の声が強まり過去の賢明な先人の活動に離反する事無く資産を積み上げる行為に歴史的な一員としての実態的な認識が掴みだされる。

良き先人が築かれた良質な価値観への挑戦は許される事無く、社会のお荷物や負の発生源へは適正な対処を持って価値の持続や好循環の促進が図られて未来への資産が積み上げられる。マイナスの性格を持つ人格は人間形成の大きな括りから見る歴史的なお荷物と成り、長期性の価値を棄損させる事への認識の弱い性格に社会システム上の大きな権限や配置を与えない事が未来ビジョンの基盤に据えられる。安易な犯罪に及ぶ物性過多の進行が現代に浮かぶ悪性と特定され、欲望過多の責任不足という健康な精神性の劣る対象には歴史的な観点からの対処が望まれる。

主張ばかりを声高に示し、実際的な行為に過去から連綿と続くプラス性の価値を軽視した実態が見てとれると、歪な性質が鮮明化される。より納得に及ぶ根源的な面から実測が図られて表裏の一体的な矛盾の少ない性質を持って良好な軌道と力が促進される。肥満症と筋肉質という体形を映す概念が有用であり、欲望と力と責任の均衡に健全性の目安を持って過不足への是正を図り自浄的な作用が回り健康な感受性が不動的な基盤と存続する。詐欺まがいの保守思想は通用せず感覚的質感の伴う観念の整合に於いて健全な保守思想の実態が実測される。物理過多の左巻きと詐欺まがいの右巻きに陥らない健全な尺度の構築に於いて真に良好な力と循環に至り価値の向上が図られる。

短期的な利益に対して中長期の利益を想定しない性質は歴史的に見た価値を下落させる対象と成り分母感の弱い局所的な偏狭性は良好な性質を落とし正道から外れた対象として粛々と対処する事が歴史的に見る適正な判断と至る。万人的な理想ビジョンの同一性の実感が少なからず生まれ、諸条件や立場、歴史の違いに関わらず適用される普遍原理が次第に創り出される。独自的な個別性と概ね揃う共通性と根源的な普遍性という価値の構造を持ち、丁寧に普遍原理を追求する道が開かれる。又、普遍原理には盗み等の直感的な事柄と欲望と力と責任の均衡のような思慮深く形成される型枠が生まれ主体性の性格へと備えられる。

こうした原理から現況を捉え理想を落とさない方法を投じる軌道に真価が付けられる。方法の有効性や速度感に違いが作られ問題と絞り込まれる。生産の規則性の特質や利害の実感の掴み方が影響しここを鮮明化させて違いの原因が特定される。基準尺度の有無や程度が測定に反映され健全性思想を標準尺度と提起する事が本書の主要な内容と成ります。

病は気から

健康な精神状態に在って適当な自己と外界の認識を生み適正な調和を見出す判断が導出される。自己の主張と外界の要望に均衡を果たし利害関係者との良好な関係の維持と向上への協働共生関係が作られる。心の穏やかで揺るぎない自信に於いて健康な精神状態が生まれる。後ろめたい行為や人への恥ずかしい行いに無く、或いは万が一にも失敗や過失を働けば、それへの真摯な対峙と適当な態度を取り行ってマイナス事態への修復が成され、負を平らな状態に戻して前進的かつ建設的なエネルギーを注ぎ込む体制が整う。誰からも強要される事には無く、自らの確固とした歩みと誇りを下落させない自身を信じられる歩みが図られて外界への嘘偽りのない心もちが保たれ、堂々とした社会的一員としての利益を作り上げる主体と及ぶ。ここに於いて自己を適正に見つめ適正な評価を持って過不足のない自己認識に至り、外界への適正な構えから健康な対応が執り行われる。

物性への過度な依存や歪んだ発想や誤魔化しの態度は適正を作り上げられず、要望過多か対応不足の認識が生まれ、外界からの不満の声が深まると共に、自己への自信のない心落ち着かない焦りから苛立った精神不安の右往左往した歪な行為や手法へと逃げマイナスの循環を強められる。それまでに培われた功績や信頼を棄損させ根の深い慢性的な改善の見られない悪性の精神状態に至っては、大きな問題と突如現れ一挙に事業の瓦解へ到達する。ばれていないと思っていても精神不安の姿は外界から明瞭に察知される。

空の自信は態度の随所に浮かび外界から見透かされる。恥ずかしくない自己との適正な対峙に在って自己に甘く他者に厳しい態度に及ばず適正な調和を創り上げられる。執り行うべき事柄から逃げた感性は痩せ細りの精神性が深まり、外界へ強い発信力を生み出せる体質から外れる。単純物理性への依存感覚が慢性化して、真に良好な感受性に寄らない生産者へと陥り根を壊した幹や枝葉をはやし歪な有機体によるエネルギー吸収と提供の循環に至りやがて枯れてゆく。一代二代と良き精神性は引き継がれ確たる態度を生み出す自律や自制の主体性が創り上げられる。動源は健全な感受性の起こりに在り、ここを変えずに時々の環境への適合を見せられて永続的な事業の展開へと反映される。

みっともない感受性で慢性化され、それを補うみっともない手法を講じる荒技が長く続くわけはなく、自己への自信の弱さを物性で誤魔化す習慣や規則性においては、外界から適当な取り締まりを受けられる。恥ずかしい精神的な弱さから悪性が瞬く間に広がり自浄作用が回らず強要による回復の道しか残らない。人は騙せても自分は騙せず、いつまでたっても気持ちの正常さは生まれず、その影響が各所に明瞭化される。以上のように健康な精神が適正な感覚と頭脳の働きを見せ表現内容に反映され、自己と外界からの認識に及び、「病は気から」という古くからの根本的な原理が浮かび上がる。顔色がよろしくないのでは○○さん。あまり表には出ない方がよろしいかと思われます。ばれちゃうから。恥ずかしいから。

現代社会のコンセンサンス

生滅不可分性の感覚は、自他の認識を進めると同時に住み分け感覚を作り上げる。既に他者によって賄われている生産へは敢えて自分が模倣的に加わるよりも、自己の生産や性質を見て自身が行うべき事柄に注力するのが良好な分業や調和の形成に連なる。規格量産的発想によると、自己の感性で他者を計り序列化する発想が強まり、他者の良好な特性を掴み活かすような発想に寄らず自己との同質性を求められる。限りある資源を有効に生かす規則性において外界のプラス要素を掴み活かす感性が常態化する。中小零細事業者やゼロベースから物事を作り上げてきた過程を備える生産者に見られる特徴に思われます。初めから環境が良く整備され、効率や生産性への執着に及ばない場所では標準と序列化の画一性による管理へと意識が進み、実態的な効用や成果を作らない低付加価値の生産性に留まる。この辺りに、民間事業者と公共機関との根本的な性質の相違が浮かび上がり、プラス性の増進と重箱つつきの減点評価という体質が生まれる。或いは過去へ執着する実績踏襲型の創造性と、新規変数を重んじるアイデア創出型の生産と現れ、昔話ばかりへ意識が向かいその厳密性への関心が投じられ過去の規則性を模倣して現況維持の生産を進められる。過去を知るのは未来を作る為という前進軌道に在って、未来の仮説形成力が高まりビジョンと描かれ、それに向けたエネルギーを集め投じて危機への回避や創造的な感性が形成される。ビジョンが弱いと資源の採用基準も二次三次の加工度の高い模倣的な基準を安易に採用し、無難な実績を意図されるものの現代にはこれがマイナスに及ぶ。教育の根本には、過去現在未来という時間軸からどこに意識を注ぐ生産者像を設けるかによって人間像に反映され、それに合う発想や能力を作り上げるプログラムが生まれる。このように、時代の置かれた状況認識が教育の根本概念を変え、生産者像や人間像に反映される。継続性や安定秩序を重んじる旧来的且つ伝統的公務員像に対して、仮説形成力やビジョン創造力が加えられて攻めのスタンスに在って安定が叶えられる。従来的安定概念からフローの動態を向上させる健全性概念が作られて現代の時代に適する感性が生まれる。ストック過剰で肥満な発想による減点主義は時代環境に適合せず、フローの動態に焦点が取られ、何をアウトプットされるかの規定と出力の過程を鮮明化し生産性を基軸に備えた体質に在って在る者を型枠に押し込める発想から在る者を活かす発想が進められる。量の算出という割合から質の転換に軸足が取られ、既成型の実績踏襲の安定路線による衰退への道から良好な質を掴む嗅覚とそこを伸ばす発想へと及ばせて非効率な画一性や量産やコストカットという物性型の単純化に寄らない化学反応を創り上げられるパワーが求められる。根本は感受性の力にあり、物事への探究心や創造性に反映される。気の力が体や頭の用い方に影響する。頭型の既成秩序の入力に対して感覚や感受性を動源にした観念の形成にあって根から幹と枝葉の繋がる有機的な知の表出に及ぶ。死んだような断片的知の羅列という文章がしばしば見受けられ、量ばかりが無駄に多く、洗練性が乏しい抽象集約性の弱さは実際的な頭を使わずに付加価値の弱い表現を指し、個別事象の積み重ねと集約の機会を定期的に持ち質の向上を図る思考に於いて、洗練された原理が生まれ体と頭と感受性の良く絡んだ表現に及び人々へ良く伝わる刺激を作り上げる。壺と成る部分を的確に掴み表現と変換し投じる事に於いて意図する結果が出現する。

変な価値観で優越意識に留まり妙な管理発想や手法を投じる旧態の性質は成長への阻害要因を指し、権利過剰の欲望と生産性の弱い余剰な資源を抱えた悪性の指摘に及ぶ事のないフローの良質な主体性にポイントが置かれる。小難しい観念の集積による思想体系はフローの良質性を阻害し実効性を作る抽象体系とは乖離し断片的な知の羅列という傾向で掴みだされる。体からの形成に無い死んだ観念体系は躍動感を生み出さず、変な意識に留まった管理欲を見せられる。こうした事からも根本思想の善し悪しが問われ、量より質へ着目して各自の特徴が良く生かされる体系に有益性が増進する。健全性概念というビジョンが人間形成の動力に及び、在るべき人間像となって根本の基準に配されて二次三次の原理に反映される。現代のコンセンサンスと思われます。

本書の総合ビジョン「健全な人間像の実現への道」

多くの人々は、綺麗で美しい物事に憧れる。外観的な見栄えや動態に見る快適など対象は様々であり、多種多彩な実感の取り方を抱く人間の性質が垣間見られる。どれか一面的という感覚の取り方には無く、いろんな美しさの感覚と割合を混合して美感が形成されているのが実態に思われます。こうした中に在って過去の歴史事象から快不快の感覚が形成され生命への尊さに優先的な価値を置きそれに直結する事柄への意識が強まり、美への序列を形成するのが標準的な感性となり、動的側面への探究が深められて静的外観面は後列に配した美の体系が作られる。

衣食住という消費が目前に置かれ、それを得る手法に生産的規則性が作られ生産と所得から消費を得る循環が作られる。この日常的な美感へ対して多様な快不快感や喜怒哀楽の体験から哲学的な思索が深められ根本の焦点が形成される。これが宗教や思想などと呼ばれる領域となり、生命観や人間観、自然観といった観念が作られ感覚的事象を観念的なフレームを持って配置させ直感的事象を深みある欲望を持って冷静に性格をつけ、自他の制御を果たす創造が生まれる。物的即効的な感覚と人との良好性を意図した心理的な良好性を併せ持ち、両面の適正な在り方を作りだそうとする営みとして現れる。

生命観の浮かべ方として、事象の捉え方を生滅不可分や直接間接の因果という観点を設けて示された釈迦の因縁生起という世界観等に信や真を抱き根本原理と抑えられる人々も生みだされる。生の増進は少なからず何がしかの滅を伴いここに相矛盾する感覚を抱いて両面への適正を作り上げたいという共生感情が生まれ、こうした見方からの対応を進める事に適正を見出し人間の変容しづらい理性の所在を固める等の根本的価値の設け方が生まれる。又、事象は直接的な事象とそれを起こす間接的な事象という多様な連なりを想定する事により、対象を広く把握し意図する欲望に対してより良き充足への予見を浮かべて仮説と実際の整合へ連ねる高度な思索が進められる。

本書の立場は、このような「因縁生起」という世界の浮かべ方を根本に取り、在るべき人間像や自然観を作り上げる事になります。生滅を調和させる手法として「健全性」という概念を作り、主体性の中核的な軸足にとって適正調和を果たす人間の根本的且つ不動性の欲望とする主体性像が創り出されます。

この生滅概念が、善悪や美醜、正負や明暗、快不快等の二項的感性を作る根源に成り、人間は生まれながらにこの二面性を備えた存在という性格を起点にして、マイナス性への配慮を浮かべつつなるべくプラス要素の上回る事象を作り上げる発想を取る事に於いて、健全な理性の実践的な側面が実感される。

人間を過度な美感で覆う表現へ偏る事象がしばしば現れる。上述のような根本的な感性世界の掴み方が在って、個別局所の適正な見え方が生まれ、これを欠いた美性へは適度な距離を設ける感覚に健全な人間性が示される。外界ばかりを映す感覚の深まりに自己を含んだ対象化へ及ばせて主客の適正への作為が生まれて美の実践と謳われます。言う事は容易いという認識を抱きつつ、なるべくこうした観念を意識のどこかに備え、身体と頭脳に反映して制御する基盤の原理となって長期的な良質化への肝要点が示されます。現況の人間をありのまま正負を内蔵する存在と捉え負を補い正の上回る生産へと深める意識に在って大きな破滅的な争いを回避し持続的な再生産を実現する道が浮かべられる。これらから「欲望と力と責任の均衡」を目途にした主体性の健康像が浮かべられ、実際事象に適用させる実践工程が表される。以上のような論理を根本の規律に備え作用させる事が必須と描かれる。万人的なビジョンに浸透するほどに負を上回る正の道が作られる。

こうした理念に対して現況を掴み適正な方法を投じる事が文化形成の道筋と示されます。独り善がりの理念で在っては適正には及ばず、外界と自己の状態を鑑みて理念に向けた方法を導出する歩みに於いて健全な人間が作られる。負の性質の強い対象には適正な対処が要り、粘り強く理念を捨てずに現況に適する方法を投じる事が真に理念を遂げる歩みを指す。頭ばかりに寄った美感と実際的な行為のアンバランスな実態と映し出される事象も少なくない。言論表現は自己の欲望を指し外界へ求める欲望という性格が強く実感されると外界からは抵抗が強められる。一方向の態度を強要する姿となり他利を提供する生産者と離れ利己的性格の強い表現者が生まれる。両者の無理のない調和を「欲望と力と責任の均衡」という尺度を持って過不足の少ない権利義務を見出す力が促進されて個別性を含めた動に即した両者を含む健全な主体性が作り込まれる。物理依存症は欲望過多の責任不足を指し肥満なストックでフローの良質性に無い感覚が作られる。心理的欲望を求めず物性に過度に縛られた感性を指し力を適正に制御できる均衡へ是正させて健康な精神と肉体に及び、過度な物性の欲望が抑制され主客の調和へと導かれる。

健全性思想

健全性思想

需給が成立している事には、直接の当事者にない人がその技術と需要にケチを付ける筋合いにないのが基本的な平等思想の示し方と思われます。しかし間接的因果という面から、効用や影響が少なからず回る実感を抱く事も自然であり、まったく無関係にはなく、直接の需給関係に無くとも利害の交わる立場として何がしかの主張を投じられる事に一定の理解が加えられる。

作りだす物事も多種多様であり、感覚的な質感を提供する事から、観念的な情緒面の創造性の事まで作り手と受け手との間で良いと思う事柄を自由な合意によって需給が取られる。この直接的焦点に、社会システムなる観念体系を設け、マクロ的大局からの全体観を想定して、広く大きな事象を掴みだしたいという欲求も現れる。局所的欲求に対して間接性の因果の広がりを想定し、多彩な因果の実感を浮かべながら、分母感を形成して分子を把握し、長い周期性を勘案しながら短期周期を配して、先々を見越した現在の姿を掴みたいとする制御性への欲望が生まれ、大局を映す観念的フレームを設けて、実際事象を適用させ、実感を掴むという方法が取られる。あるいはこの観念フレームが、各種生産への性格づけに至り、人間の変容しづらい欲望という視点を持って、価値の序列を考え、優先的な事を捉えて、周辺との相関を把握し、人間自体の性格を自ら創り上げるという制御性が生まれる。

思想の型枠も各種各様で在り、各人が抱かれる実感の多彩性を下に、何れに重心を置くも一定の下限的制約の範囲で有れば自由であり、そうした中で思想的ビジョンに軸足を取って生産の主領域を展開される人々も現れる。社会ビジョンや映画や文庫、文芸等々、ソフト的な観念表現を主にして提供される。思想的ソフトがアウトプットと成り、生産行為と成立する。ここから、感覚的な質感を作りだされる生産者が影響を受け何がしの良質性へのヒントに及べば協業的な生産の連なりと浮かべられ、各人の個性がそれぞれに活かされ正の増進と解される。其々に意義があり尊重されるべき分業構造に在るという認識が生まれる。

社会学研究の著名な学者で自由主義、社会主義、共産主義という史観を唱えたマルクス思想に影響を強く受けられた人々も少なくないように見受けられます。これはこれで社会事象を掴みだす優位な見方の一つにも思えます。こうした知見を取り入れながら、より良い創造画を作り上げたいというのが、思想形成者の生産性と成り、良好な社会形成という動機から多様な型枠が提示される。

本書の特徴は、感覚と観念と感受性という身体と頭脳と心の有機的な連なりを持つ規則性を人間の基本的な動態と浮かべ、ここに健全な精神と肉体を備える人間があるという考えに立脚した思想となり、物性と理性に人間の基本的な性格を見出し、両者の良好な関係を作るのに3要素の適当な型枠が基準とされる。

これをベース観念として、その発展的応用にマクロ的な社会ビジョンを作り上げ、多くの人々の関与と協業の適正化への方法が示されます。自由主義や社会主義、共産主義という思想への批判的な感覚は、人間の根っこと成るベース観念の脆弱性の上に各種思想が断片的に並べられたという感が生まれ、いずれの立場も、人間の根本的なベース観念から見るとバランスが悪い偏った構成であり、ベース観念からみて適正な思想体系を導出する所に、本書の特徴が現れ、「健全性」という概念が強調されます。物性と理性の良好性、欲望と力と責任の均衡という姿に、健康な人間性が作られるという発想を備え、自己と他者、個人と社会の適正な関係を作り上げる原理と描き出されます。一定の万人共通の基盤的な観念と備わり厚みのある共通感性が形成されて自由の快適な創造性に及ぶという想定に立ち作られる思想と考えます。以上のように、直接間接の因果の実感、生産事物の多彩性、生産事物間の因果の実感、思想形成とその性格、本書の思想における特徴的な側面について説明しました。

生存本能から優位性を保ちたいという発想が過度に進んで他者の生産性への尊重心の弱い感性は自己の確たる生産の弱い立場による劣った人間の性質と見られます。自己の生産ばかりに執着する偏狭な性質や、物性従属的な感覚による思い上がった人間性の劣化から、各種の迷惑な悪性事象が発生し違和感や実害が生じる事には少なからず対処が要り健全な人間性の下落を防ぐ行為が必要になる。紳士な姿勢で違いへの寛容性や尊重心を抱きながらも、自己の良いと思う創造を堂々と作り上げ、広く多くの人へ提案する活動として、『日本文化原論』が作られました。お楽しみ頂けると幸いです。

文化研究の概略

人間性は生産者倫理と現れる。自己の有する技術と望む需要者との間で質と価格の合意によって取引が生まれ関係に真摯に対峙して反復的かつ広範な規則性が生まれ市場が作られる。この健全な在り方が安定と成長の肝に成り、技術自体の健全性と対話形成の健全性において、人間性と生産倫理と需要者側の適正な態度が作られる。対話の基礎は堂々と身の元を明かし責任ある主体者として行為への判断と責任を負う事が必須と成り、ここに自立した大人のごく自然な態度が現れる。いいも悪いも自己の意思を相手に伝え両者の正常な対話が作られる。身の元を明かさずに盗みを働く行為はこの基礎要件と乖離し精神的な悪性の行き着いた末に生まれる病理現象と伺える。躾や行儀、規制という範疇を超え人間自体の破綻を指し、悪性の根が深い個々の性質や業界等の領域の特殊性を背景に現れる社会秩序の破綻事象であり人間の根本的な性質への下落は火急的な対処を持って二次三次の広がりを防ぐ事が欠かせない。技術自体から生まれる効用面にも人間性が現れ、一過的即効性の効用を訴求して人間を薬漬けにするような性格の生産にあっては、人との良好性を意図するよりも罠に嵌めて身体的・精神的な破綻に導く手法を指し適当な管理監督者を設けて強制的な制限を作り、自主規制の出来ない性格へ箍を嵌めて非常識を深めない仕組みが求められる。技術力の健全な利用と離れた悪用へと流れる感性に、人間の自律心の劣りを根にした行為が生まれる。対話の基礎と同様に人間側の問題となり、精神的肉体的な脆弱性による不快事象を特定し、具体的な対処において、質の下落が留められる。強制権力を備える公共機関への期待はこのような物性従属的な感性の深まりという人間性の破綻に対する適正な対処が一義に置かれ、この健全な精神を備えた感性の持ち主が公機関に従事する優先的な要件であり、人間の長期的性質面の正常さが基準の形成と運用に影響し重要管理点と取り上げられる。力との適正な距離を図り健全に用いる事の出来る性質が最も重要な資質要件を指し、公共や準公共的な立場の必須項目と取り上げられる。生来的な性質の選択と性質の持続というフロー面への適正管理が伴って仕組みの持続性が果たされ肥満な感覚が深まる程に健全さを見失い、基準と運用の適正を欠いた事象が発生する。こうした焦点がインフラ面の下限的な健全化策を指し下落させずに質を保つ難しさの認識と共に適正な対処が図られ社会基盤の安定が果たされる。この面と積極的な創造性は密接にリンクし正の軌道に足を引っ張る悪性の相関に及び全体の構図が抑えられる。個々人や特定集団と、社会システムという各層と因果が想定され、健全性を図る施策を投じ現実的な皮膚感覚に及ぶ適正化の実感が掴みだされる。或いは動態的な有機体の形成過程から健全な性質を内蔵させる作り込みに力が注がれ事前型の施策と反映される。躾や教育、地域の慣習といった面に健全性を作る視点が備わり、物性の過度な進行へ対する基盤の厚みが生まれて両面の程良い関係性が図られて歪な感性や不快事象の減少へ連なるものと思われます。この皮膚感が文化とも言い換えられ、長期的に作りだされた根本の性質に相当し長期的に見る利益や資産と認識される。力を歪んだ手法に用い人間関係に罅を深め不快性の感情を増進させる事のない、善意型の発想や自制力の醸成において良好性が叶えられ、これを阻害する原因へと思索を進め行為の特定と二次三次の原因等へと分析を図り、体系的な理論に及ばせる事が長期の良質化策となり万人的な要望と思われます。

先導的な立場から先を見越した黄色信号を灯せる作用に価値が生まれる。包括的インフラの健全性と危機管理策等として纏められる。こうした知見が万人的教養と備わる程に物事の真価を計る下地が強まり、盤石な基盤の下に自由を許容する構造が生まれ長期に渡る再生産の仕組みへと連ねられる。以上のようなビジョンが文化研究の目標と定まり多種多彩な専門性と協業的な取り組みに於いて有用性の高まる質実へ及ばせる文化の実践工程が描き出されます。大きな影響力の増進と共に健全性が求められ、公機関に関わらず民間事業者へも同様に適用されて、社会の良質な秩序が保たれる。この原理が動である対象との適正な動を図る静的観念となり平等な人間に縛りを与える事の許される可能性の高い普遍原理と抽出される。人間の実際的な成長や変容に即した対応を持つ事に於いて調和が作りだされる。

教育概念の更新

認識論の知見や探究が弱いと教科書や文字を出発点にした認識という思考停止的な構えが強められる。そもそも外界は動であり、人間の欲望から部分を切り取り文字や文に起こして静にするという観点を持って、教育方針や取り扱いの教科書との距離を掴む事が要り、書いてある事がすべて等という発想に立つ所に無理があり、無限の中から一部を抽出して動である対象を静にするという所与的な部分が抑えられないと、妙な文字への過敏反応が生まれる。教材を用い、教える側も、教わる側も、これを根にして学習を図る事が適当であり、出題の仕方や成績の付け方も、この前提から作り出されて偏狭な感性に寄らない自主内発の創造的な人間形成に連ねられる。何を正解にして教科書に書きこむかがそもそも非常に困難という性格を知り、その上で、学校の方針が示されどんな人間性を意図する教育体制を作るかの自己紹介を見せ、選択の自由に晒され、且つ、認識論の知見を強調して、ただ覚える画一性に寄らない考え出す教育を前面に示し教材との適度な距離を図り、出題と回答へも反映した教育体系に在って健全な感性や能力向上への道が示される。これを飛ばして、三次四次の次元の事象を取って批判する事の不毛性が指摘される。根っこから考え作る習慣の弱い、文字ばかりに寄った規則性による偏る感性からの問題提起は、実社会とだいぶ開いた感覚を示し教育を狭く狭く閉じた体系に押し込み、それが人間の作り方へ連なり歪な感性を宿す人間性に及ぶ。広く大きな生産概念や根本の認識行為への思索をもって、教育機関を生産事業者の一つと抑え生産主体としての自己紹介を行い自由選択に晒される中で生産者の努力が進み社会全体から見る教育機関や内容への適正な認識へ進行する。供給者としての開かれた情報開示を進め、自己尺度の鮮明性へ生産努力が図られ、理念やビジョン、体制を明瞭に伝達し、検証の記録を添えて信憑性を図る取り組みに於いて一般的な生産者と同程度の感覚が示される。教えてやるというような意識がどこか精神性を歪め、一生産者の自然な態度に及ばない所が教育業界への違和感と及び、教育者の異質な感性をしばしば受ける。知識をただ伝達するだけなら機械に任せればよく、より深みある無限の思考パターン等の発想力が磨かれて実社会での応用力が高まり真に有用な教育と配される。教科書等は素材の一つに過ぎず一定の社会的合意と成る事実と事実そのものの性格を抑えて未来志向の発想に寄った漸進性の開拓軌道が常態して人々との良好な関係形成を図る態度を養う事に重要な意義が備わる。うすら馬鹿は妙に知識量へ偏して序列を付け管理し配分を多く取りたがる。ここに精神面の歪みが顕著であり教えるという行為の深い吟味に於いて相互協働性の良好化に連ねられる。教育者や公務員、政治家、マスコミ等にしばしば浮かべられる性質と感じます。このような根本概念の適正化を持って実際的に健康な価値観の形成と実現が意図されて健全な人間の実現軌道が深められる。物性従属の小人の感性は人間性を下落させる。長期的な利益を見失わない歩みに於いて持続的な安定と成長の軌道が確保される。少々粗雑な心象表明に及びますが、広く多くの人々の感じ方と同調するかどうか闊達な意見交換に及ぶと幸いです。

7)健全な人間形成過程

やはり、地に着いて自ら一生懸命努力を重ねた規則性から一定の地位を築かれた人間には自らを律する事の出来る一流の人間性が少なからず備えられ、どこかに過度に寄った立場というよりも、万人性の価値に近い普遍的な尺度を持って客観的な評価を作り出せる感性が備わる。棚ぼた的に地位に就いたり、能力以上の過分な評価等に在る感性は、どこかに過度な依存を持ったままで大きな配置を与えられ、客観性を欠いた力みが必然的に現れる。配置に求められる公平公正性と、過程から作られる依存関係の相関で必然性を持つ配置が生まれ、このバランスを欠くと違和感を持つ主張や評価感覚が否でも映し出される。

甘い話に安易に乗って依存的な関係性を過度に作ると、そこへの借りが出来、適正尺度から離れた軸足による表現が生まれる。成長過程の健全な歩みによって漸進的な力と責任の関係を経て意図せずとも与えられる自然形成的な配置に於いて、歪性の感性にない適正な評価感覚が表される。この面が殊のほか、各種問題の根源的な原因となり、局所的な態度の適正を計る上での根拠に当たり、人間形成過程という面から性質を窺い知ることになる。合わせて未来志向性を描くビジョンの形成面が自己の生産過程に裏打ちされて創り上げられたものであるか、製作物の作り上げる過程の健全性が強い動きを与える表現に至り、安易なパクリ癖を持つ体質にはこの面の脆弱性が鮮明化される。過去と未来との間に在る現在の発言はこうした各面から吟味され、根本的な表現者の性質を掴み表現内容を計る二重の角度を持って強い信憑性や力が与えられる。永年の規則性を経て作りだされる性質はなかなか変える事には至らず、依存症の癖が強い人間性は大きな影響力を有する配置を持つ事には及ばず、自己の性格と社会的に求められる期待との客観的な測定を欠くと、そのつけをどこかに払わされる結末に及び、過剰な欲望を抱き身の程知らずの恥ずかしい人間性と映し出される。原理創造先行型の発想における正統な論理にも思えます。理性を先んじ物性を充てる健全な道筋が守られて生まれる健全な感性を示し、物性へ従属する論理形成が強まると自己を見失い過度な欲望と成ってそのつけがどこかに回る。生滅不可分性と調和形成作法の健康な図り方が問題の焦点に上がり文化の下地の善し悪しが問われる。成熟した歴史と物性従属的な発想に寄らない原理創造性の文化から、以上のような感性の厚みが形成され違和感の少ない共生や成長軌道の持続的な発展が生まれる。頭と体と心の良好な循環が基盤の原理に当たり、頭ばかりの先行性は対象との適正調和を欠いた過剰な欲望を作り、心と頭と体の分断性は健康な発想と乖離し恥ずかしい人間を表される。人間と技術との適当なバランスと成長速度が健康な精神と肉体を備える人間形成過程を指し力への過度な依存は人間性を狂わせる。科学技術の急激な成長に追い付く人間の自制力や自律心という理性の成長が欠けると歪な欲望と手法を投じて根源的な人間の良質性を破壊する。長期性の利益と中短期の利益とを健全に秤にかけて、物事を作りだす感性に歴史や文化からの叡智が浮かび上がる。各種諸条件の相違から一様性の限界があるものの共通性の高い根本的な欲望と現れ納得性を作り上げる基準と配され、一定の統一性を持った感性が作られて持続的な安定と成長を齎す賢明な筋道と思われます。