根本的な感性

2)根本的な感性

左巻きの性質は、物理原理がかなりの程度浸透して何を作るにも物理方程式を基調にされる。上辺や表面で平等感覚を装う姿は敏感に察知され騙しきれない。美辞麗句を述べ人々を小手先で操ろうとされる手法は明瞭に感じ取られ共感を集めるには及ばない。利己的性質が強く他利を作り自利を得る回路とは離れ欺き奪う本性が現れる。こうした姿を気づかれていないと思われているか、いずれにしても人間音痴で在りまともな対人関係を作り上げられず金や利権で誘導する経済原理に偏した歪性が明瞭化される。これに健全な感受性は映し出されず根本的な性質の相違が現れなかなか良好な交わりには及ばず、長期に渡り作られた体質に思われます。長期的な利益となる皮膚感覚から生まれる快適性をどのように抱かれるかの根本的志向性が問われ、平等感覚をベースに多様な感性への相互尊重を持ち偏狭な価値に執着せずに違いへの寛容さや新鮮な発見を抱ける所に生命への躍動を映し他者の幸福へ喜びを提供する力と働き他利を研究し実感できるような具体的施策を考案して効用を作り上げ自利を得る活動に適正な感性が浮かべられる。対象への融和性を根にエネルギーを発し小手先の表現で欺き奪う生産性に対して実際的な利益を生み出す違いと及ぶ。嘘や詐欺を平気で用いその場凌ぎの態度はまともな感性を備える人には明瞭に実感される。頭脳へ偏した生産性や物理性の浸透した規則性はこうした焦点で性格が顕著に現れ、これに力を持たせると長期に及ぶ良質な生産には至らず歪な利益を独り占めする事態を招かれる。この性質の周辺で依存的な態度をもって手足と働く人間性も同様の精神的な病理が移り同質の常識が深まって健全な力を塞ぎ込む悪性を指す。適度な距離を図り根本の精神まで同化させない関係性が求められる。長期的に良好な性質の崩れは大きな損失を指し取り返しのつかない感性を棄損する。こうした点が抑えられ二次三次の表現に適正な感度を充てる事が真相や真価となり物事を適正に判断する事になる。土台を抑えて正確な事象の認識が生まれ、根が悪い所からは基幹も歪み、枝葉や実も健全性を欠く有機体が作られ本質という言葉の意味する実際的な側面が形成される。右や左という曖昧な観念から言わゆる左側のマイナス的な性質と浮かび上がります。全否定という極端な判断には及ばずプラス面も浮かびますがマイナスへの際立った不快感が前面に現れる。日本という空間に長年培われた良好な性格を破壊する事のない健全性の確保に利益を感じ、直面に在る危機に対して適当な対処を間違うと酷く想定とかけ離れた世界に覆われインフラ的な影響力と化して他の要素も支配される。社会の中軸には健康な精神を添えそこをベースにした創造に在って長期に渡るエネルギーの好循環が描き出される。以上のような面が多くの人の行き着く関心と思われます。物理性と理性の適正な相関による人間像を描き、個別場面の性格が鮮明化され判断や行為に連なり根本的な快不快感の基調に及び人間の根本的な性格が作られる。

アナログ面の脆弱化

大凡多くの人には「良心」がり、人からよく思われたい、気持ちの良い生き方をしたい。といった感性が備わり、これが活動の根になって良好性への制御と作用し、悪性への予防と連なる。理由の浮かべづらい生来的・本能的な性質を持ち、各種体験の中から個別的な心象が形成され程度の差と反映される。フラットな状態から正負の感覚が作られ負へは積極的に関与せず、正への関わりへと進行する。この自浄的、前進性の発想が根本的な体質の程度となり、悪性に同化する事への抵抗に現れるか、免疫化されて皮膚感と浸透し良心が崩れるかという流れに及ぶ。どこかでこの起点が生まれ、抵抗力よりも免疫へなって感受性の崩れに連なり一度を行うと二度目が容易化され習慣となって基本的な性質が変容する。箍が緩み下限事象を超え慢性化して逆戻りの困難な生産性に至りその感度を標準とした正当性を組み上げ肯定感を抱き自己慰めの負の進行と及び、中小の負を重ねどこかで大きな負に突き当たり改変の機会に巡り合う。

軋轢や衝突は適度に表出する事が健全な社会関係であり、過度な体裁に執着し表ざたになって悪評価を受ける事を回避する感性が深まると歪な手法を多用し大きな問題事象と突如に発生する。軋轢への免疫が弱まり感覚的な対立への過敏な反応や潔癖症が進む事から過度な画一的標準化へと作為が取られ強度な管理発想が用いられ異質性への排除策が強まりその副作用や反作用として大きな抵抗や反発を受け過敏と鈍感との適正へ修復される。この周期が物性と理性の調和反応となり生来的な良心等が根強く残って過不足の少ない自然修復に及ぶプラス性のシステムが浮かび上がる。他者からの指摘では変化に至らず、自然な周期を持って自己回復する事に於いて、自主内発の感性の蘇生へ進み、異質な常識で覆われた領域に変化の兆しが生み出される。この流れを阻害する要素を取り除く事が他者が出来るせめてもの施策と成り、間接的な因果に当たる構造的な弊害面を取り除き良心が促進される向きへ働きかけ自然調和への加速と及ぶ。

かなりの程度進んだ歪性には、直接的感情をそのまま向けるよりも、賢明な自主内発性の促進策を間接性の視点を持って投じ、健全な体質へと運ぶ事が文化政策の一つと数えられる。頭脳的な作業への深まりから感覚的衝突の免疫が落ち、過敏な神経質を齎して偏狭な標準が作られ、その尺度を強要する力が進められ、過度な管理志向に陥って見境のない手法に着手し、負を積み上げ反発へも物性で押し通す強引な荒技を用いるスパイラルは気の振れた迷走を指しどっぷり漬かって正常な感性を見失う。アナログ的な性質の弱まりはこの傾向と現れ、物性の直感的反応を強められる。隠蔽的な手法へ走り表裏の激しい乖離による人間の脆弱化は良い傾向ではなく、衝突や対立を堂々と執り行う重要性が確認される。謙虚さと寛容性と対立と自制と循環のスパイラルに常設のシステムが作られ、中小の軋轢がある事に正常さがあり正の事象となり、ここに快適を抱ける感性が適当となる。大きな失敗を招かない為の良い事象と捉える感性に健全性が生まれる。

頭脳過多や物性従属の体質から妙な優越性の意識が強まり、体の交流を避け手先の間接手法を多用し精神的なねじれを深められる。ここに争いの根が起こりうすら馬鹿的な心持が人との真摯な対峙と離れ、平等感覚を失った管理性の欲望を強められる。頭と体の適度な循環を持つ規則性にあって人との生身の感受性を良く窺い知り対象との良好な調和を見出される。これに至るまでには率直な衝突は建設的な道筋に置かれる。他の力への依存心が作られるほどに生身の交流から離れ、対象との誠実な対話を欠いた斜に構える態度が現れ不快感として対象に感じ取られる。これに及ばないフラットな感性の持続に健康な精神の実感が生まれ物依存体質の予防へと修復される。

一流像と三流像

悪い事をした場合は、まずはどけ座して額を地面に擦りつけ、「どうもすいませんでした」と気持ちを込めて相手に告げ、そして、「如何ほどでしょうか?」と被害の額を率直に尋ねるか、或いは事前に「大凡このくらい」という目安を付け持参する態度が欠かせない。これがオーソドックスな日本人の基礎的な作法を示しプライドを持つ人間性が映し出される。相手方の態度は二次的な判断基準であり、自己の尺度を一次基準として自らの行為を自ら計り相手方に言われるまでもなく自主内発の行為に及んで、他律的強制力に寄らない犬や猫とは異なる自律や自制を取れる人間と見做される。相手方の顔色ばかりを伺い怒った反応がないとみると態度に表さない受動的な精神は子供と同じであり恐怖や脅しがないと反応できない幼稚な感性を明瞭に表される。又は相手方が知らないから「騙しちゃおう」という発想も日本人の気質としては大変恥ずかしく、とても積極的な交流を持ちたいという性格と外れる。

生産者や専門家としてのプライドの取り違えを示し利用者への被害が想定される事には専門者として明瞭な説明を進んで取り、何としても関わる以上、迷惑は与えない態度に在って力の適正な用い方が示される。永年の時をかけ積み上げられた確かな技術から自己を律する心の構えが形成され自己を客観的に見定める見識を持ち万が一にも利用者等への被害を与えた場合は上述のような潔い態度が生み出される。一流としての確たる自負が失敗へ対する誠実な態度と現れ、人に言われるまでもなく自らの秤で対象への適正な反応を示す事に及ぶ。これに対して、三流の態度は何をやっても受動的な反応に終始し責任の転嫁ばかりへと意識が向かう。そのみすぼらしい態度は醜態の極みに成り二度と関わる事はない強い心象が刻まれる。これに及んではもはや慢性的なダメ人間に至り、失敗への反省などに及ぶ事はなく、似た者同士で群れを作り傷をなめ合い窮地に及べば仲間割れして責任をなすりつけ合う無惨な結末を迎えられる。日本人の良質な気質からは大きく外れた人間性と映り群れては強気になって自己の制御を失い横柄な態度で醜態を見せられる。力を持っては気が大きくなり淫らな行為へと及んで大きな失敗を招かれる。ここに至って誰も止められず自らの失敗を更生する試練を経て改心する工程が欠かせず、自律が取れず他律による強制において外界への負を予防する事が必須とされる。顔をひっぱたかないと目が覚めず犬猫扱いとしても致し方なく、強い鞭を打つことも場合によって必要に思われます。

日本人という名称は否応なしに付けられる。同じ日本人と同一視される事は迷惑であり三流の人間性を作りださない意識や仕組みが形成されて、減少させるまでには恥を承知で膿を出し健全化を図る過程からは逃げられない。直接間接に遠からず負が回る想定に立ち早期是正の手立てを講じ取り返しのつかない状態を回避する事が肝要に思われます。一流と三流という区分をある程度明瞭にさせる事が、皮膚感覚に伝わる人間像と成り一定の効果が期待できるように思います。こうした原理を持って社会を見渡し、原理と実際の適用を持って事象の性格を表し共通認識を強めて力が増進し、現実を動かすものと想定されます。通るべき道を外した恥ずかしい人間性は隠しきれずその器の範囲で暮らす事になり、実質的な人間の成長はそこで停止する。器を超えた過剰な欲望を求めても外界からの制御が図られる。単純性の物理依存が浸透した体質におけるひ弱な精神性というキャパシティーの限界が訪れる。後は歪んだ手法ばかりで誤魔化す生き方を続けられ真なる調和の道と離れた世界を求められる。ここに三流から二流や一流への成長を果たす肝が備わり真摯な自己との対峙を習慣と持つ強い精神性を宿す文化の性格が現れる。

社会科学の意義

社会の基盤的堅持という面における社会科学への期待を示します。保身の為に権力を用いて個人の生命財産を奪う事は根本的な欠陥を持つ個人の性質に起因して生まれる事象であり、民事上の責務と同時に刑事罰の対象であり社会の悪性を看過せず法治国家として当たり前の法を執行する事が期待される。社会システム上の根幹的な問題を指し法規制自体と運用を行う生身の人間性への吟味に及ばせ不適格を是正する持続的な活動において権力へ従属的な依存症への予防が図られる。長期に渡り大きな権限を保有し執行する過程で、法の精神と逸脱した私的な利益へ寄った運用に及ぶ事が権力の悪用を指し、この事態を招かない為に報道機関への特権的な事実上の権限が与えられる。そこが腐ると悪性の権力と同化し監視が無くなり手のつけられない暴走が生じる。司法がこれにどの程度関与して事前予防の施策を投じられるかに着目が及び立法と行政の検証機関としての健全性が求められる。ここまでが歪むと制度上の箍が無くなり非力な個人は暴走への対処が行えず国家的犯罪の犠牲を受ける。物性的な原理に寄らない純粋な理性による法の執行を欠いた運用に在っては、保身性の欲望による不適格な性格の運用者と特定されこれを放置すると二次三次の悪性が進行する。こうした想定が権力への不快事象と予防の観点で在り、高度なシステムが作られても実際の運用は生身の人間が執り行い、後者に重心を置いたシステムの適正が測定される。権力システムに関わらずあらゆる欲望の充足に及ぶ力の関係は、健全な精神を備える人間に軸足が取られ、ここが腐るとシステムは形骸化し空の理想が掲げられ意図した実際の状態と乖離する。運用者の人間自体への監視を強化し或いは長く権力に関わらせない制約を設けて悪性の想定と予防の施策を持って制御する賢明策が設けられる。それを容易に覆すような態度に在っては深刻な適格性の欠如であり手のつけらない力への依存症と見做されても不思議はない。私的欲望過多の責任意識の劣りは大きな力を任せるには及ばず肥満な性質への的確な判断において負の連鎖を食い止める事が欠かせない。嘘偽りのないありのままの事実を少なくとも公開でき万人的な視線に及ばせ事象の共有や切れ目ない連なりをもって未観測の少ない真相に及ばせ、長期的な性質の下落を防ぐ願望により悪性への対処を果たす事が集団的な自衛とも伺えます。国と国における自衛を果たす原理とも同様であり、制度内容と運用者の両面の健全性が確保されて実態に反映される。個人の性質と需給という構造上の適正と、広く大きなシステム上という観点から全体の健全性を計り修正点を浮かべる包括的な改善に在って制御が叶えられる。こうした焦点が社会科学の優先的な目的に配され下限的な制約を下落させず基盤の崩れを予防し積極策との因果を含めて総合し適正を創り上げる事が公共政策に思われます。運用者から距離を持ち利害の離れた立場による客観的な判断に真価が備わり、中に入って自己を見失った性格への適正なジャッチを下し水準の緩みを縛り賢明な軌道の維持へと力が注がれて社会的な有用性が認められる。学者や報道機関、或いは一人ひとりの個人において、こうした意味の理性が少なからず内包されて、過熱や歪み、堕落を矯正する仕組みが備わり健全性が守られる。客観尺度の形成と現況の観測と適用の公平公正な仕組みを持って納得性の高まる判断が生まれる。説得力の弱さは研究や活動からの低付加価値を指し求められる水準に満たない活動者になりこの領域へも自然淘汰が進んで良好な芽が表出する。理想概念の形成へ偏して現況認識が示されず人々を納得させる方法が生まれない。業績の計り方に問題が予測され社会的な有意義性の精緻な測定システムを作り余剰や遊休資源に及んでいないか定期検査が望まれる。

妙に肩書ばかりを強調し効用が弱い姿に在っては不用であり歪な精神性の強い人間性とかけ離れた生産者は悪性の元と特定される。学問の意義を見失い形骸化した領域は淘汰して良好な循環を強める事が正しい力の用い方と示される。名誉教授等という大層な肩書で実の弱い姿は醜態と映される。頭と体の分断した感受性の崩壊は負のエネルギーを発する。無用な政治家、マスコミや学者、暴走した経済人を鮮明化し悪性を拡大させない事が最低下限の社会科学者の役割に思われます。悪性の下に成っていないか。前述の教育の真価を尺度に測定した適正な判断が望まれる。

表現の真相真価

一つの表現が示される。この表現の前段にいくつもの前提的な認識が添え置かれ、部分的な表現が強調される。経済とは○○である。政治とは××だ。という固定概念が作られ、その上に表現が絞り込まれる。物事の起源を示す源流や上流から見て3次4次の段階に在る焦点を取り、△△である。という願望を色濃く含む言葉が作られる。各種の固定概念と生産的な立場にみる利害という前提を下にした表現の性格を各種利害関係者による吟味が加え、前提的な概念への異同等へと思索が深められる。表に示されるまでの因果の連なりが整理され生産者利益に過度な重心を取られた主張等が映し出される。こうした様相に無意識的な強要や押しつけの性格を持つ表現が浮かび上がり、明示されない部分への探究を含んで表現者の真相が露わになる。二次三次と前提に前提を重ねて作りだされる表現は、欲望や価値観の表明と外界への要望という真相に在り、この事が抑えられて適正な要望と負担と質の作り込みという一方向性から相互的な対話に及び、両者の利益を見出して協働、共生の方式へ展開する事が対話や議論、関係形成の筋道と描かれる。

学問体系等も、行政という立場からの表現の性格が強いものか、教育を受ける側という立場から教育を作り込む立場へと次第に関心が深められ、主権者という性格が作られる。国を守るという発想は、主権者であれば少なからず意識に内在し、行政運営の安定と特定経済活動は密接に連動する。治安や災害、教育や病気や老後への対応といった面への不安が高まる事には、自己の直接的な生産への悪影響に及び、政治行政運営への適正を考え発言し作り込む主体性の感覚から、公との真摯な対峙を持った態度が生まれる。こうした関心に直接的な従事をする事の負担が生まれ、信頼できる他者へ委ね代議制の仕組みが生まれる。或いは、解説者や評論家の立場に頼らざるを得ず、その存在の必要性が浮かべられる。いずれの表現者にも生産的な利害という私的欲望を充足する性格を含みつつ、外界への利益を提供する事に於いて私益と公益を含んだ生産行為になり持続的な生存と繁栄の活動が展開される。この生産活動への付加価値と負担の適正へ焦点が絞り込まれ、良いサービスを適正なコスト負担の需給に及ばせるのに、どんな前提を取り入れた表現であるかへの思索が深められて、表現者の真価を浮かび上がらせる事になる。安定した秩序と活力ある自由という二面の欲望に対して適正な基準感覚が作られ、私益性の事柄と広く長い公益性の利益を含んだ要望が表され、過度な私的性の強調によらない社会性が備わり、外界から受け入れられる表現者が生まれる。以上のような論理は長期的利益を求めて作りだされ、こうした欲望と充足への期待を抱かれる人々に在っては利益となり需給構造が生まれるものと思います。

教育への提言

1)認識論というベース観念が抜けて、文字ばかりからの表現と理解に偏る事から、基礎の弱い根拠の明らかでない論理が形成される。社会人として求められる生産性の下地が作られず、他利を作り自利を得るという活動の規則性が強化されない事には、健全な人間性に及ばず、利己性の強い感性を備え、盗みや詐欺という性格の生産に寄った人間が作られる。

知識の吸収基盤となる「認識論」への深い思索を経て、文字で書いてある事柄をそのまま取り入れるのではなく、感覚的な裏付けや体験的な知の生産への意識が強められ、物事を考え作る体質が深められる。この基礎回路が常態して、外界への探究心が強まり、文字や人の言う事に対して、良く吟味できる感性が形成され、確かな根拠をもった表現や生産が進行する。

2)そして、「人間論」等というカテゴリーを設け、人間の基本的な性格についての知見を形成して、各種の知識を入力する筋道を設ける事が、知のインプットと変換とアウトプットという基軸的活動の筋道を創り上げる。欲望と充足というサブカテゴリーを設け、生物的欲望、物的欲望、心理的欲望といった主要な観点とこれを充足するにはという起点を設けて、人間の生きた生産性が宿される。

3)これらの上に、自然科学や社会科学という「特定の対象」を限定して人間にとって深く吟味の出来る体質の下に有用な知を吸収し、変換してアウトプットの出来る生産性に及ばせ、単なる知のストックに留まらない付加価値を作る「フローの良質性」へ繋げる事によって、健全な心身と肉体を備えた動態が促進され、他者との良好的な感受性を根にして、情緒的な融和性に基づいた頭脳と身体の活用というサイクルが常設化する。学ぶ事の動機づけにも連なり、探究心の深まりに及んで、学習への意欲や自主内発の研究力へ繋げる事に於いて、自主的成長の体質が創り上げられる。

4)二次加工された文字を出発点にする教育は受動体質を深める。「頭ばかりの作業性」で、点数稼ぎをする習慣が深まると、感受性の育たないままに、知を暴走に用いる等の弊害と現れる。一次情報を基盤に持つ生産型の体質にあって、二次加工した文字への適正な距離を持った感覚が生まれ、ゼロベースの盤石な根拠や裏付けへの意識が強まり、浮ついた事柄への峻別を持ち、過度に影響されない自身の柱が形成される。

知識ばかりの吸収へ偏った教育プログラムは、却ってフローの良好性を阻害し実社会には適さない人間を創り上げる。役所という所の規則性に見る一般の生産者との違い等を客観的に把握の上に、多くの生産者と同様の発想や体質に適合するプログラムであって、有用な教育へと高まる。基盤が歪んだ上には痩せ細りの人間が作られ、頭でっかちで動きの可笑しな発想へ偏った精神のねじ曲がった性格が創り出される。これを代表するのが、一部のマスコミや政治、行政という領域の性格にも映し出されます。

5)「基礎基盤」となる体系の善し悪しが健全な積極性を生みだす回路を作り、受動的な体質の依存型の生産者に及ばぬ予防になり、基礎の良質性が重要な人間形成の柱と組まれる。

感覚と観念と感受性の有機的な動態を持つ人間性に於いて、太い人格や芯を持つ主体に及び、詐欺や盗みに走らず真っ当な対象との対峙を持ち、真相や真価を掴みあげる堂々とした性格が作られる。一方向的な利己性を強めて物性に従属的な性質に寄らない双方向の利益を見出し協働、共生する社会の形成へ向けた教育が21世紀のビジョンに映し出されます。

以上が、当方の文化という観点からの教育に対する提言となり、基盤の良質性を図る体系が『日本文化原論』と纏められます。

教育の真価

抽象的概念と感覚的な質感を繋ぐ言葉が作られないと、表現の真相や真意が良く伝わらず、それを持って単純な反応を示す所に、現代的な人々の過敏反応が浮かび上がる。「戦争反対」等という言葉も一例であり、大づかみに戦争という概念を抱き在ってはならないという意思表明をする事自体にも意味や効用は生じるものと思いますが、より根本的な争いの生じる感覚的な場面想定を浮かべて、戦争という大きな対立に至る因果を研究し、争いの根本的原因を掴み、予防の手立てを講じる発想に、健全な事象との対峙を持って物事を遂げる感性が示される。声高に戦争反対という事自体も大切な表現には違いはなく、そして、より突っ込んで上流と下流の因果や不快事象と快適事象の相関等へと視線を深めて、有効な施策を発案し投じる活動に戦争反対という感情とその程度が実感される。

身近な感覚的事象と間接性の因果という広がりの中で、多数の変数が現れ、複雑な相関の実感が生まれ、その中で特に影響の強いという事柄が、主要な原因と特定される。つまり、不快事象の特定には、時空という範囲と要素と要素関係にみる動き方を斯様に実感するかにおいて、事実の認識が生まれる。多数の要素の知覚と其々から生まれる刺激と反応の関係性を掴みだし、最も不快な感覚的反応に及ぶ直接間接の連なりを分析し、源流に備わる強い原因を浮かび上がらせ、その根元を変える事で二次三次の因果が変わる。

根本原因がどこに在るか、そこへ有効な施策を投じる事が、抜本的な改革等と呼ばれ、確かな変化を齎し、二次三次の相関に反映される。このような営みが、生産活動の基礎的枠組を指し、強い思いが対象への深く広い認識を掴み、因果の精緻な分析等へ及んで、重要度の特定や序列を掴み、断片的な事象の把握に留まらない体系的な対象の把握に至り、対象を良く窺い知ることを表す。そこから、主体の欲望に対して対象との相関を浮かべ、意図する変化に対して対象への有効な施策を考え、予期する事象と実際事象の開きの少ない制御性が高まる。この力を投じる事が、生産行為の標準形であり、これに照らして部分性の生産や、部分間の協働を持って、大きな利益を遂げる共生と協働の実践が果たされる。

同一的な感受性を下に、事象の特定と把握を取り、不快や快適事象の生まれる因果を掴んで、不快は減少、快適は増進、不快と快適の相関までも視野に含んで、適正な施策を導出する事が、共生感情を表し、一過的対処に留まらず、良好な循環の系を導き、再生産の永続的な規則性に連ねる人間の叡智が注がれる。

教育の目的は、在るべき人間像への探究と実現を指し、生産行為の中で磨き研ぎ澄まされ、感覚的な質感に及ぶ実感を掴む事に於いて、人間が掴みだされる。言論という表現行為と共に、感覚的な質感に及ばせて、完結性を持つ生産が示され、感受性を根にして頭と身体と他者の力を組み合わせて、人間を創り上げる道筋が描き出される。

比較的若年の学生に対して、この根本的な概念を備えさせる事に於いて、健全な生産と人間性が作られる。基礎教養のあり方の善し悪しが、良好な社会へ連なる因果に在り、盤石な観念を伝達する役割が教育者に求められる。頭に留まらず体の反応を表す人間を創り上げる事が、教育者に求められる。心を備えた責任意識と適度な欲望の制御性を持つ健全な人間作りが教育の主要な課題であり、頭だけの伝達で留まらない体の検証を如何に取れるか、ここに教育の真価が浮かべられる。

原論ばかりの表現者が多産される状態は、あまり良い傾向には映し出されず、現代社会の不快事象の認識に及ぶ。教育の反省点と捉え健全な人間を作る社会的な要望が少なからず浮かべられる。根の痩せ細った論理や他者を過剰に攻撃する人間性、外界ばかりへの過剰な要望、自律心の弱さ、モラルの破綻、こうした面に教育の検証面が特定され、心身の健康な人間像へと及ばせる施策を発案しプログラム化して教育の向上へ連なる。日本文化原論の基礎教育がこれに少なからず有効な内容であると考えます。

長期の見通し

先行きが見通せると人々は安心し現在の取り組みにおける少々の不快にも我慢をし耐え忍んで、先々の明るい兆しを信じて歩む事が出来る。先が見えないと現在の状態の認識が掴めずに、少しの不快に神経質になり過敏な反応を起こして右往左往する。この不安定状態から普段見せない超えてはならない境目を越え不快の連鎖を進め拡散的な力の分散へと及んで無法地帯と化す。規律が無くなり目の前の事象から不快的な面ばかりへと意識が偏り、悲観性の感覚が慢性化してガードの強い構えを作りつつ相手方の弱みを探してはチャンスと見て攻撃性を強め生存を遂げる力が投じられる。物性の力が支配的になり弱い立場から吸い上げる連鎖性の流れが加速し、動物的な直感の高まる世界が作られる。長期性のビジョンの持つ意義とはこうした無節操状態を回避して人間の変わらない型枠を固め、各人が進んでそれを取り入れ自律や自制の取れた感性の厚みを作り万人的な共通基盤の強固な維持において一定の質を保ち人間性が備えられる。これを比較的分かり易い表し方で誰もに通じるように描き出す作用から認識が強まり同一の皮膚感覚を頭で整理し行為に浸透するサイクルに及ぶ。ビジョンの納得性と明瞭性において確かな認識を持つ行為へと連なる。そして、これと乖離した事象が生じれば問題事象と選定し広く報じて不快の予防を果たす事で基盤の瓦解を防ぎ価値の崩れに及ばせない施策を講じて長期性の原理を持続する事が大きな利益の獲得を指す。基礎的な躾や、健全性概念が人間性の中枢を成しこの概念を体系的な構造と有機性の高い因果を持って表現し文化の型枠と纏めて基軸の太い人間の柱が創り上げられる。過去に於いて各種の学者が試みられた対話の型枠や歴史観や社会観等の知見も学びつつ、ゼロベースから紐解いて設計された思想の体系が日本文化原論であり、抽象概念の曖昧性を感覚的な質感を持って再構築された精度の高い抽象観念の体系を表します。健全性概念を万人共通の感性と浸透させる事によって盤石な基盤の持続と自由度の高い創造性が生まれ長期に渡る確かな見通しと示されて過敏な感覚の抑制された適度な反応を作りだす事へ及ぶ。心理的な良質性の下に物性の制御を果たす事に於いて確たる人間性の持続が叶い身体と頭脳と心の良好な連なりの主体性が生まれる。この標準を持って誤差を制御する事によって変わらぬ感性の下に環境と対峙して感覚を掴み危機への予防や建設的な創造に至り根を持った幹や枝葉を構成し有機体の基本的な性格を変えずに、外界との調和を見出す発想が定着する。多くの人が我慢をしているような事を安易に超えて不動的な価値を破壊する事には深刻な感度を持って対処する事が必須と成り手先で安直な世渡りをこなし自己の生存や野放図な自由を遂げさせる事は在ってはならずそれを許すと止めどなく箍が緩んで始末の付けられない肥満地帯が形成される。酷く物性に従属した感度が常態し身体に深く忍び込んで回復不能な生態が作られる。これへ同化する事の無い精神的な強靭性が求められその程度に比例した無理のない配置に回す事が社会の自然律と定まる。この適正な観測と公平な感度を充てられる測定器の所在が事象を左右し確かな人々からの信頼性を齎せる表現が生まれて滞りない自浄作用が促進される。

人間形成の出発点

頭寄りの生産世界に偏し体を用い他者との交わりを経る工程の欠いた生産者に不快感が生じ、これへの改善策に頭と体と他人との感受性の交流を持った生産の型式が提起されます。例えば、米や野菜を作る農業という方式には、土を耕し肥料や種を捲き、水をやり雑草を取り、目や茎が出て実が付いて、収穫という生産工程が生まれる。その果実を他者へ提供して栄養を付け生命の生存が遂げられる。生産者の生産事物として野菜やコメ、需要者においての栄養やうまいという効用という二つの面に於いて需給関係が作られる。身体感覚による生産と生産の頭脳的な整理と他者からの感受性と成る効用という生産行為の壺が示される。自他と生産事物と効用により生産活動の基本的な型枠が形成される。

憲法の研究者や生産者に於いては、憲法を創りそこから生まれる自己が思う効用や意義と他者が抱く効用への視線を及ばせて異同の認識を掴み、実際的な効用が把握される。自分だけが思う効用で留まると、基本的な需給構造に及ばず、人との感受性の交わらない活動に成り人間という概念が生まれない。ここに、一方向的な感性の歪性が現れ双方向の対話や交流に無い独り善がりの生産に満足される歪な感性が宿される。外界の意思を無視して自己の思う意思のみに執着し、当然受け入れられるという偏った欲望を表す態度に各種の不快感が起こり人間性を含まない人間が創り出される。自己の理想に対して他者にも理想があり、自己ばかりの理想が必ずしも受け入れられない。自己と他者の現況を掴んで異同を確認する工程が省略され独り善がりの生産者が生まれる。現況を抑え自他との調和を見出す方法の工程に及んで感受性を体験して、生産の改良等へと思索を及ばせる生産行為が生まれる。この完結的かつ、再生産の循環に感覚と頭脳と感受性を経て生み出される生産の型枠が示される。こうした生産活動の認識を持つのが、多くの人の常識感覚と思われます。これを下に各種の応用を果たし人間概念の不動性を持って健康な関係が創り出される。

又は、相手方は必ずしも好意ばかりを示さず悪意の意図を持って人の財産や生命を奪う発想を抱く存在であり、正負を内蔵する人間像に立脚して適当な調和を見出す事に現実世界が示され適正な方法を作り理想と現況と方法をもって地に着く生産活動が生まれる。生産や人間という根源的な概念の一致に在って協働や共生、自立という関係への認識が進み同一感性を持った創造が果たされる。物理的な力へ過度な重心を持ち人や外界の意思を見ず、一方向の欲望を物性の力で推し進める事に在っては、心理的な面における他者からの喜びに喜びを抱く感性には無く非社会的な性質の強い存在に至り、根源的な面の異質性となって人間概念の同一性を外した関係が作られる。自他が思う同一的な基準を見出し充足するスタンスに心理的な喜びが生まれる。この感性の弱さが進む事に喜びを抱く人は少数に思われます。気違いによる一方向の物性原理が進行する事へ適正な対処を持って隔離する等の措置が求められる。出発点が合わない所からは何をやっても合わず交わる事はない。同一的な感受性を作る過程の設計と生産は重要な意味を持ち大きく離れない事が人間性の基盤を指し示す。

「法的安定性では国を守れない」尤もな発言であり、法的安定性への堅持は在るべき態度を示し、しかし現況に照らして方法を導出するのが政治家や活動者の態度であり改善発想を常にして法を作る立場がもつ普通の感覚なのでしょう。寧ろこれと逆の現実とそぐわない法へ偏る感覚に責任意識の劣りが映し出され、方法への探究が進まない怠慢な態度を指しこちらへ不快が現れる。どちらが働き者か、怠けものか、善意の感受性を備えるか、納税者から見て模範と映るか、本質論で堂々と対峙する所に適正が現れる。

文化形成の概要

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身内という他人と異なる近親者との関係は、相互に良く知る良い面と共に、馴れ合いによる曖昧性から深い溝が生まれ、マイナスへ反転する事がしばしば生じる。病気や災難に遭遇した際に、最も身近に駆けつけるのが身内で在り、その時のパワーは理性を超えて情緒を根にしてなりふり構わず助ける感受性が作用する。これへの有難味と共に過度な思い入れ等へと及んで、感情のズレからすれ違いの溝を深め憎しみへ転じる明から暗へ切り替わる事がしばしば生まれる。あれだけやってやったのに、お返しが足りない。等という感情が強まって深い亀裂が深まり複雑な心理が形成される。血縁等の肉親関係にみる一般の関係性とは異質の側面が問題の根に備わり問題の広がりへ繋がり、前進性の力を停滞させる。多くの人が少なからず経験される感情の起こりに思われます。

出来る範囲の事柄を適度に掴んで、無理な所までやらないという制御感覚が、適正な長期の関係を作る肝に成り、身内だからと言って見境なく負担をする事無く、適度に自己を掴んで過度な見返りを期待せずに、出来る範囲を見出して、なるべくやってあげたいというスタンスが、深くねじれた関係に及ばない構えと成り、これを欠いて適当な距離を掴めずに進められる事や、より悪性な性質に於いては、身内への心情的な振る舞いは上っ面で、金銭的な意図の強い発想による糧の入手という姿が現れる。お世話をして上げるというスタンスで、金目の吸収を意図した曖昧性や詐欺的な感性と現れる。自己生産の規則性が弱く、身内からの財を生活の糧にする歪んだ感性による甘えた性質が作られる。

他人の方が緊張のあるメリハリを利かせた節度が設けられ、却って高くつくような身内の世話を嫌い、距離を持つ他人との関係を望む発想が進行する。様々な想定から一様の良質化を示す事は困難である事は言うまでもなく、しかし、一定の傾向や体験の同質性は浮かべられるように思われます。年と共に様々な体験を経て身に染みて掴みだされる原理が作られ、人との関係形成の在り方に反映され適度な感覚を身につけ健全性を図る工夫が取られる。これを抽象観念で表すと心理と物理、攻守や楽観と悲観、プラスとマイナス等々の二極の概念と適正な調和の作り方になり、長く良好な関係形成を果たす上での適度な感覚を身につけ制御を図る営みと表される。この感覚が乏しく過度な力を抱えて、適当な力の利用を見出さずに、力任せの粗雑な感性のまま物性型の体質を深める人々も少なくない。経験の未熟な段階で人格の備わらないまま大きな影響力を備える配置について、空回りの醜態を見せられ、その自覚に及ばない物性の体質が進行して心理的な面が育たずに健全性を損ねる姿と現れる。外界からは、盗みや詐欺という犯罪感覚の弱い物性従属の乱用と映し出され、自らの姿にはこの認識が及ばず外界と主体との酷く感覚の乖離した認識が生まれる。これは、なかなか修復される事はなく、過程の万人的な共通性に於いて同質的な感性が作られ適正調和の底の厚い感性を持った需給関係が作られる。一般常識という言葉の意味する面は、こうした同質的過程の体験から作られる適正な健全感覚を指し、ここが離れる社会形成では皮膚感の差が強まって、物性の過度な進行と心理面の育たない人間が増加する。自由ばかりを野放図に求め過度な要求を表す異質性と起こり、これへの適正な予防の施策を講じ基盤の厚みが作られ、子供のような大人による管理型の社会構造が予防される。

偏差値偏重の人格や物性従属の人間性は、実践的な生きた人間性を創り上げられず歪な精神性のまま不快事象を発生させる。協働生活という体の振れる工程の不足や体験を通した健全性の構築が正負を適正に掴み適度な距離を図りだす主客の適正調和に作用する。感覚工程の少ない頭に寄った生産性からの負の側面に対して、事前予防型の人間形成過程への探究が深められて異質性の強い人間の出現を予防し、基盤の厚みある適正な挑戦心をもった安定と繁栄のバランスにおいて持続的に循環する永続への道が作られる。

特殊業界と見られる領域において一定の万人的な共通感性を築きあげる発想が求められる。過分な評価による高額な報酬に振り回され、常人的な基盤の崩れた感性による表現は負の影響が強く現れる。賢明な管理運営者の所在が欠かせず一定のインフラとしてどこの領域にも同質的な健全性を図る役割が領域間の円滑な対話に及び極端な性質への歯止めと作用する。広く見ると、政治行政という領域がこの役割りにも思われますが、実情にはだいぶ異なる感覚の性格が映し出され、力をコントロール出来るまでの良好な過程の設計と施工へ力を注ぎ、感覚と頭と心の健全像を目途にした適正化策が求められるように感じます。

マスコミという生産への責任感覚の劣ると見られる領域における人間性は、かなり特殊世界の常識が作られるように思われます。特殊な財力を持つ人々と、そこからの操作によって操られるマスコミという世界が進む事には大きく社会システム上の健全性を破壊し各所へ負の影響が進行する。金を持って良い性格への探究が深められ短変数的な経済判断に寄らない人間性と製品とを含んだ需給構造の構築を鑑みて、大局的な社会構造を創り上げる感性に在って健全な厚みある基盤を備えた秩序が形成される。このような発想と論理の体系に文化・教育の役割が浮かべられ長期的な性質の作り込みが果たされる。基礎教養と共に常態的なシステムと組みこまれて実社会の適正な制御が果たされる。

確固とした理論体系の確立と、その尺度による公平公正な判断を表せる事に於いて、恣意的な利己性に寄らない納得感が提供される。これへの足がかりに、『日本文化原論』が形成され良好な基盤作りへの力が投じられます。大変困難な道筋が予測されますが少なからず社会の関心や要請にも伺えます。
いい加減にしてくださいませ。お坊ちゃん。という感じでしょうか。