包括的な制御策

しばしば、行政組織に於いてパブリックコメント等という名を打って意見を募られる。民衆の要望を組み上げ行政サービスに反映する正しいあり方という意識を抱いて行われる事かもしれません。しかし、こうした事象も民間と公機関という区分を排して意見という方法論や貴重な情報提供という観点に立つと、何がしかの利益が見込まれて表現を与える性格で捉えられ、相手方への信用や実績、将来予測の上に呼びかけへの対応が生み出される。法という枠組みで守られた保障在る立場という状態が安易に人から意見を伺えるかの意識に及んで有用な情報に対するリターンの意識が薄くお上の感覚でうすら馬鹿な態度を持って表現されるようではまともな意見等投じられる事はない。

こうした様相に民間事業者の感覚を欠落した公機関独特の感性が浮かべられる。過去の経過にお粗末な態度が見られれば呼びかけなどは控えるのが通常の感覚で在って、何を勘違いしているのかという心象が少なからず浮かび上がる。信用を失った対象に誰がまともに相手をするのか、これが民間の皮膚感であり寡占的構造や特権的意識に生まれるお粗末な人間性が明瞭化される。これが見られると、民間との乖離という実感が強まり聞く耳は弱まり対立的分断の対象と深まって相手にしなくなる。しかしながら少なからず資源を提供する利害関係にあり、見過ごせる事と手を付けざるを得ない事が生じ、有効な手段の探究と実践へと力が投じられる。

公機関で働く多くの人は健全な民間に近い感性を内蔵され善意ある心持で業務運営に励まれておられる事と思われますが、一部に未だお粗末な人間性が見られるのも事実であり、これを是正する事が公機関の価値を落とさない為に必要かと思います。一部のお粗末が全体への心象を作り不快な存在という認識が強まる。大きな看板の持つ正負の作用と確認され異質な個を抱えずに一定の質を堅持し信用破綻への対処が図られる。管理能力を超えた組織の肥大化は手足の独り歩きが生まれ、共通の感受性を持って身体と頭脳の制御に於いて一体的な活動と名称の整合が果たされる。内部の不満が外部へと現れ一部の者が外部へ被害を与える事象は内部管理者の過剰な欲望や力の適正な行使を欠いた責任不足を指しシステムの適正規模へ修正するか、個々人の性質を変えて対応力の適正化を図る事が望まれる。業務設計や運用と人事考課制度が密にリンクして頭と感覚の整合や検証の持続性が果たされて歪な性質に走らない健全な統一的感受性の浸透した組織が作られる。

内部の不満が外部の対応に現れクレームと明瞭化され、適正なクレームかの判定の下に修正に及ぶ循環的システムが備わって、大きな失敗の予防や体質の持続が果たされる。物性従属的な感性やピンはね意識の強い管理作法という個人や集団の文化が見られると持続的な成長に及ばない。特殊な技術で市場を制御する構造にあっては自浄作用が弱まり、歪な感性が慢性化される。これへは広く制度的な面から異質性の予防を起こして悪性を生じさせない仕組みが求められる。こうした面への様々な取り組みが見られますが、未だ変な人間も居残る現実も少なからず実感される。個々人と構造とシステムという各視点から適正な観測と合理的な改善が必須とされる。資源の配分やシステム設計へ偏して運用実態への認識が劣るとどこか世間と離れた意識が強まって「何様か」という態度が知らず知らずに現れ犯罪を犯罪と思わない感覚が備わると推察されます。

運用面から物事を体験してシステム構築や資源管理に至る過程が図られて頭ばかりの議論や空論に及ばない健全性が作られる。肥満症はなかなか治らず作らない過程の善し悪しが問われるように思います。教育の良好性、人間形成過程の適正、生産の健全な規則性、定期的な健康管理の定着が欠かせず、良質な性質の維持と向上に文化論という観点からの測定と是正の周期が常態化されて基盤の堅持に連なる。

生産活動の中で生まれる社会的教育が、家庭の教育や学校教育に生かされる大きな対象の括り方から、人間の適正を作り上げる視点が欠かせず、地域社会、職場や学校、家庭という各種範囲での対人形成や知識の形成や創造を抽象集約し、共通的な基盤を浮かび上がらせる試み等が図られ、局所と中局や大局の相関を伺い、個人と集団の健全な感受性を作り上げる包括的な体系に在って無理のない良質性への道が描き出される。一般論と個別性という構造の中で両面を取り込んだ生産に在って持続的な学びの軌道が形成される。ここに各人が自ら考え作り上げる意思を備えた主体性像が生まれ、過度に特定の力への従属的な性質の深まりが回避され、閉鎖性の志向による歪な発想に逸れる事無くオープンな気質を持った真理探求型の尽きる事のない学びを備えて広く社会性を抱き参画する堂々とした文化の道筋が生まれる。物性の進行は偏狭性を増進し心理的な欲望を細らせる。小さく小さく人間が委縮し豊かな感性を貧弱化し、バランス感覚の崩れは明瞭に映しだされる。これに当たるのが○○である。見たまんまで、言うまでもないでしょう。

文化概念の概要説明

文化論の導入として、文化概念の基本的な内容を取り上げます。太陽から光が発せられ、雲から雨が降る。土から養分を吸収し、種から芽が出て幹へと育ち枝葉が伸びて実が成り、その実を人間が吸収する。枝葉が枯れて土の養分に帰り根から吸収する。こうした生物の循環系が観測されて基本原理と纏められる。人間が果実を沢山望んで基本原理の理解からエネルギーの出力を操作し、成長の速度や質を変えるという作為が図られる。光や水分を多く当てたり、土に栄養分を足す等の手法が考えられる。これが原理の応用を示す単純な例示と説明される。
【基本原理と応用の合算 = 領域A】
太陽、雲、土等の外部要素、光と雨と養分というエネルギー源、根と幹と枝葉と実で構成される内部要素、外部出力としての果実、果実の受け手と成る人間。人間の欲望から多くの果実を求めて、自然の周期に対して、エネルギーを人工的、作為的に加減させ植物の成長が操作される。

こうした要素と要素関係と一回りの周期という動態を、抽象的観念で示すと空間と時間と要素と要素関係と表され一つの領域という感覚が生まれそこに名称が付され事象の識別が図られる。領域Aという概念で全体を示す事になる。これを細分化すると内部領域と外部領域に区分されエネルギーのインプットと変換過程とアウトプットというシステムの概念が適用される。内部領域の存在意義を向上させるには、少資源で多くのエネルギーを創出する変換過程の高度化が図られて外部へ対する求心力が向上する。外部から多くを依存すると内部領域の価値は高まらず外部に依存せず内部の努力で付加価値を高めると内部の存在価値が高まり外部への影響力が増す。内部の意思が外部を動かす関係性に及び確たる領域の顔が作られる。
こうした過程で確固とした型枠が築き上げられ長く続く様式と固まり文化という名称が付される。食文化、住文化、衣服の文化等々、そして個々の文化に共通する側面が抽出されて汎用的な型枠が浮かび上がり文化論等という抽象原理の体系が形成される。各種生産に共通的に備わる価値観や方式が取り上げられ生産者に在っては共通的な基盤の価値という認識が生まれる。この同一性が領域間を繋ぐ共通言語と化して作り上げる物事の違いを超えた共通の皮膚感と及んで相互の円滑な意思疎通が図られる。ここに普遍原理等という名称が付され根源的な価値と生き続け、時々の環境の変化によって作られる物事が変わっても変わらない原理と浮かべられる。文化や文明、人間の性質等という表し方に及ぶ。
生産者と需要者と取引先を含めた生活者という立場からの共通的な理念として、「自然と技術と人間の調和、安定と繁栄の持続的な活動」等と描き出される。共生感情と自主的意思、協調と自立等の適正な調和への模索が進められ人間像と抽象される。こうした理念の実現に盗みや詐欺といった下限的な制約が設けられこれを超えたものは許されない。大きな勘違いが生まれる肥満症は過剰な力の保有を指し力を取り上げ適正化される。
未だに、大手新聞社とみられる無能なマスコミによるサイバー犯罪が止まりません。警察や行政は、こうした事態への対応力を是非とも高めて頂きたいものです。相手方が明確に特定できず、悪質性の高い犯罪は看過できず、根元を是非とも掴んで、異常者を捕まえて頂きたいものです。

1)文化創造

権力や財力は技術力の向上への力を伸ばす作用と、停滞を齎せる用い方を取られる場合が見受けられる。力への依存による歪んだ発想の深まりと、良好な感受性を下に力を活用する姿に大別され、理性に重心を持って道具や生産、創造を推進する在り方に、健全な人間像が描き出される。アナログ的な情緒性を動力に、デジタルの作用を活用する欲望と充足の構造に、普遍的な生産の型枠が設けられて人間の本質的な性質を変える事無く、技術を磨き技術を制御する事に於いて、健全な感性の持続と物理性との相関が生み出される。作った技術力が余りに影響が強く、人との良好性と乖離して、人を縛る事へ進行し、生物物理面の効用へ偏した活用が進むと、本来的な基盤を崩す事に及ぶ。経済優先の供給者論理が過ぎて、真に有用な利益と離れた技術を作り人間性を下落させる。短期的な即効性と中長期的な利益を想定のもとに人間を制御する事に於いて、健全な精神と肉体の維持が叶えられる。こうした生産への根本理念が備わり、歪な精神性へ箍を設けて、適当な欲望を起こし充足する構造に在って、感受性と感覚と頭脳の有機的な動態を備える人間像が出現する。需要者の側にも、購買の方針と備えられ、技術との適正な距離を図り、根源的な性質を制御する意識が作られて、需給の健全な発展への道が進められる。このような観点が強調されて、長期的な利益が享受され安易に利便性を従属的に用いる事からの弊害が予防され科学技術と人間の適正調和への規律が浮かべられる。文化という長期的規則性へと発展し末長い生産の型枠と需要へと至り真に価値ある創造を追求する事に在って健康な感受性の所在が確認される。固有技術と良好な管理技術を持って適正な人と技術の相関が設けられる。人間側の力が脆弱になり技術の独り歩きや振り回される事態を回避し個と個や個と集団、集団と集団を統制する共通の感性に常態して道を外れた歩みが予防される。人間力以上の力の保有は各種の不快事象を発生させる。物理依存の肥満な感性による人間の劣悪化の予防や競争の過熱に冷静な理念を適用し仮説と検証と改善の周期に収め正しい軌道が推進される。外界の状態を無視して自己の理念に偏する事は独り善がりの空想欲に留まり外界を掴んで理念への適正な方法を投じる作法に健全性が生まれ感覚と頭脳が有機的に繋がり感受性の実態が現れる。どこかに絞って生産の偏りが生まれる事に対して、完結的な人間像を標準に取り、相互協働性が設けられ各自の特性を伸ばし補完する意識に在って共生の姿が見出される。専門性の深まりや縦割りの弊害、分業社会の負の傾向を適正に認識して太い基軸を共通ビジョンと備え細部に寄った創造が修復される。以上が文化創造への理念と実践を指し本書の根本に当たる動力源と表されます。

1)普遍と不変性の探究と提起

短期的な活動の想定では、物的力や突発性の発想で秩序が作られる。型枠が安定せず兎に角目立つ事という発想により手法に節操がなく、やったもの勝ちといった状態が作られる。技術の幅が広く、一律的な型枠に納めづらい創造世界にみられる秩序と浮かび上がる。技術力と政治的な力の混在した中で群雄割拠し、自由な活力という側面と不安定さというマイナス面を併せ持ちながら、どこかで一定の健全な秩序を見出し暗黙的な規律やフォーマルな手続きを設ける等の思索が進められる。

領域を牽引する立場から様々な安定化策という内容が提起され、過度な画一性へは反発が生まれ程良い同一性を見出す事に及ぶ。領域外の力を用いて主導的な立場を作る発想によると、同業者としての仲間意識が割れ純粋な技術の向上と異なる変数が加えられ不満要素が生まれる。内部の中核的な支柱と外部の評価という構造において、仲間内での支持を先んじ供給者論理を固めるか、外部関係者による評価の程度を重んじるか、両面が交錯しながら基準となる型枠が浮かび上がる。利害関係の程度から関与の違いや意見の重みに序列が出来、深く腰を据えて領域を担う意識や行為においてエネルギーの投じ方に反映されあれもこれもの立場を取ると意見に重みが備わらない。エネルギー投入と受容の相関を示し欲望と力と責任という尺度と領域という限定性で表される。領域の規範と領域の近辺にある規範、更にこれらを含んだ分母という領域の広がりが浮かべられ多段的な構造で規範の重層的な仕組みが現れる。別の観点で言うと供給者論理、消費者論理、両者を含む生活者論理ともいう区分けで示され、更には万人的という分母を想定した規範等へと思索が進められる。分母に厚みある納得性が備えられると根本的な感性の上に個々の自由度が形成される。個別性を統合化する流れを指し統合から分散という流れの周期で大別される。個々人の力が大きくなり共通的な領域を各人の自由裁量で創り上げたいという発想と在る程度共通領域が不動的に落ち着きその中での個々の裁量を望む発想とが混在しこれらの基盤に根源的な不動性の感性が配され短期や中長期という時間軸を下に時々の変化率で個別と共通と根源といった区分が浮かべられる。領域という空間と周期という時間の概念が根底のフレームに成り在る観点という型枠が設けられ領域観が創り出され内部と外部という区切り等が感じられ関与の程度と関係者の種類が浮かべられる。未来ビジョンの設け方が領域観をつくる動力を指し過去からの価値が確認され不動的な面と変動を求める志向と外部からの影響と外部への影響力の想定から未来の想定が描かれそれへ向けた力として内部の領域観や体制等が描かれる。時空を超えて且つ万人的分母を想定の上に作られる内外区分の弱いビジョンが普遍的原理という根本性の価値を指しこれへの探究と提起に当たるのが健全性概念となり厚みある基盤の形成によって各種領域の安定と繁栄へ資すると考えます。以上が本書における創造の観点や性格を表し広く万人的な未来ビジョンを提案するものです。各領域において様々な問題を抱かれ解決の方途を求められる事に思われます。何がしかの有益が生まれると幸いです。

本書の主体性像

暑苦しい性格は現代の時代環境には一致せず、「おれがおれが」というタイプは倦厭される。しかし、自己の適度な意見を持たない所にも信用は生み出されず、基盤的な根の良質性を備えて、出る所と引く所の適正を導出出来る感性に、好意的な心象や協働や共生の快適感が作られる。

「主体性をもとう」等と教育的な立場からしばしば謳われる事の中に、こうした意味の主体性という性格を含んでいるかに問題点が浮かび上がり、教育者や管理的な意識の強い性格から主体性像の取り違えのような節に見られる事も少なからず感じられます。

ここに健全性という概念が形成され、現代社会の厳しい経済状況にあっても、空回りの力を注ぐ事のない適温を持ち、ここぞという所での力の集中というメリハリを掴んだ動態が生まれて、好機を外さずに、出る所と引く所の適正を出現させる感性に在って、健全性と建設性の好循環が生まれる。

例えが良いか解りませんが、マージャンというゲームをやるとこの辺りの感覚が明瞭に掴みだされる。4人で各自が自己の手札を揃える事に意識が注がれ、札を取る事と人が捨てた札で上がるという4者の一体的循環の中で競われる仕組みに在り、捨てて上がられるリスクを含みながら自己の手札を揃える攻守の一体的感覚が生まれる。

いくら力んでも流れの悪い時は、良い札は回らず、相手に振り込んで上がられる。この流れに即して耐えられる感覚と、ここはという時には勝負に出るメイハリ感が求められる。

常に上がらないと気が済まないような若手のガツガツ感が露骨に現れ、自己中の感性を押し通すと目も当てられない結末が生じ、しなやかで鋭敏な嗅覚による熟練の技が光り輝く。

この自然形成的な動態が、社会情勢にも反映されて、肥満や筋肉質な体質が浮かび上がり、歪んだ精神性による癖の強い行為には、ストップがかけられて健全性が保たれる。これを物性的な力へ過度に依存した皮膚感が強まって、自然な流れに粗雑な力でごり押しする事が罷り通ると正常な感性は破壊され異質な常識の積み上がりによる偏りの強い人間性が進行する。純粋な感性が崩れ、良質な流れに合わない気流を強め、欲望と力と責任の均衡から大きく離れた作為や状況が作られ、これへの自浄反応が停滞する。生来的な快適感からストレスと現れ是正の力に及ぶ事が社会の自然則を指し、この生態系が壊れる事による問題事象が随所に発生する。左巻きの物理依存と右寄りの抽象観念に偏した詐欺紛いの姿という両極に寄らない適正感覚が描かれる。

こうした世界観に同質性を抱かれる人々がどの程度おられるか、未知なる事でありますが、本書の基本的な志向性を指し人間像が描き出され、長く健全な人間世界を意図する力が注がれます。力んだ欲望や手法は不快事象を生み、出る所と引く所の快適な制御性を備えた感性に、共生感情と適正な挑戦の姿が映し出される。この感覚を内蔵した主体性に健康な社会を作り上げる急所が備わり適正な調和が形成される。

理想概念に対して歪性を放置するわけにもゆかず、適度な対応を果たさないと理想からどんどん離れた世界が進み、手の施しようのない事態が想定される。こうした趣旨から方法を作り投じる行為にあって健全性が掴みあげられ、受動的な感性にあっては悪性に同化し慢性的な体質と化す。この事態への自覚もなく同化して負の連鎖を起こす悪性には適正な配置が要り、大きな権限を備える性格にこうしたビジョンが内蔵されて負を断ち切る行為が進んで健康な社会への軌道が持続する。ビジョンの創出から認識が強まり力が集まって具体的な施策が加速する。いい年代に成って、20代30代と同じような欲望を見せられる姿は、日本の美感とは少々異質であり、どこか壊れているようにも映し出されます。

健全性思想の真価

先人といっても様々な性格がおり、次代に向け良好な働きを取る人もいれば、次代を犠牲に利己的な搾取の性質の強い行為を取る先人もおり一口に同一視する事等は到底及ばない。これらを見分けるのに、どのようなビジョンや理念を備えどんな活動を果たされたか、社会性を備える利益の生産と提供の実際を把握の上に性格が浮かべられる。今よりも良くしようという発想か、自身が良ければよいとする発想か、比較的明瞭に性格が映し出される。こうした個別性と大きな歴史の集約的な捉え方を区分して過去の歴史観が出来あがり正負の評価感覚が生まれ、そして自身の立ち位置を確認の下に未来ビジョンが形成される。

先人の正と負の遺産を両睨み明瞭な区分と不明瞭な事が生まれ、且つ自他との認識の異同が作られあまりにギャップがあると良好な協働生産関係には及ばない。歴史認識といっても、どんな観点や時空を想定するかで実感の多彩性が生まれ個別的な面と共通の図れる所とが形成される。国家という概念にも法律等の形式上の規定と実際の肌感覚で浮かび上がる認識が生まれ事象の掴み方が広がる。こうした中で各種の表現者による提起が成され、同質的な実感が次第に重なり事実上の標準感覚が作られる過程が映し出される。

誰が示すというよりも内容への吟味から異同を取り集約に及ばせる流れが自然であり言論の自由を前提に妙な制約を課さずに良い物事を自由に選択しつくる事が適当となる。何か特定の利害から違和感の強い作為を持って利己的な欲望を追求される行為には平等思想との乖離が生まれる。堂々と、誰へだてなく内容を作り上げ、それへの評価に於いて最も良好な事柄を作る過程に健全な感性が示される。健康な精神から生まれる活発な表現活動にはなんら制約を課す事無く、特定の利害へ偏して歪な手法を投じる事は歴史の逆行を指し、人権への抵触と至るような物性従属的な感性には非難の声が強まり過去の賢明な先人の活動に離反する事無く資産を積み上げる行為に歴史的な一員としての実態的な認識が掴みだされる。

良き先人が築かれた良質な価値観への挑戦は許される事無く、社会のお荷物や負の発生源へは適正な対処を持って価値の持続や好循環の促進が図られて未来への資産が積み上げられる。マイナスの性格を持つ人格は人間形成の大きな括りから見る歴史的なお荷物と成り、長期性の価値を棄損させる事への認識の弱い性格に社会システム上の大きな権限や配置を与えない事が未来ビジョンの基盤に据えられる。安易な犯罪に及ぶ物性過多の進行が現代に浮かぶ悪性と特定され、欲望過多の責任不足という健康な精神性の劣る対象には歴史的な観点からの対処が望まれる。

主張ばかりを声高に示し、実際的な行為に過去から連綿と続くプラス性の価値を軽視した実態が見てとれると、歪な性質が鮮明化される。より納得に及ぶ根源的な面から実測が図られて表裏の一体的な矛盾の少ない性質を持って良好な軌道と力が促進される。肥満症と筋肉質という体形を映す概念が有用であり、欲望と力と責任の均衡に健全性の目安を持って過不足への是正を図り自浄的な作用が回り健康な感受性が不動的な基盤と存続する。詐欺まがいの保守思想は通用せず感覚的質感の伴う観念の整合に於いて健全な保守思想の実態が実測される。物理過多の左巻きと詐欺まがいの右巻きに陥らない健全な尺度の構築に於いて真に良好な力と循環に至り価値の向上が図られる。

短期的な利益に対して中長期の利益を想定しない性質は歴史的に見た価値を下落させる対象と成り分母感の弱い局所的な偏狭性は良好な性質を落とし正道から外れた対象として粛々と対処する事が歴史的に見る適正な判断と至る。万人的な理想ビジョンの同一性の実感が少なからず生まれ、諸条件や立場、歴史の違いに関わらず適用される普遍原理が次第に創り出される。独自的な個別性と概ね揃う共通性と根源的な普遍性という価値の構造を持ち、丁寧に普遍原理を追求する道が開かれる。又、普遍原理には盗み等の直感的な事柄と欲望と力と責任の均衡のような思慮深く形成される型枠が生まれ主体性の性格へと備えられる。

こうした原理から現況を捉え理想を落とさない方法を投じる軌道に真価が付けられる。方法の有効性や速度感に違いが作られ問題と絞り込まれる。生産の規則性の特質や利害の実感の掴み方が影響しここを鮮明化させて違いの原因が特定される。基準尺度の有無や程度が測定に反映され健全性思想を標準尺度と提起する事が本書の主要な内容と成ります。

病は気から

健康な精神状態に在って適当な自己と外界の認識を生み適正な調和を見出す判断が導出される。自己の主張と外界の要望に均衡を果たし利害関係者との良好な関係の維持と向上への協働共生関係が作られる。心の穏やかで揺るぎない自信に於いて健康な精神状態が生まれる。後ろめたい行為や人への恥ずかしい行いに無く、或いは万が一にも失敗や過失を働けば、それへの真摯な対峙と適当な態度を取り行ってマイナス事態への修復が成され、負を平らな状態に戻して前進的かつ建設的なエネルギーを注ぎ込む体制が整う。誰からも強要される事には無く、自らの確固とした歩みと誇りを下落させない自身を信じられる歩みが図られて外界への嘘偽りのない心もちが保たれ、堂々とした社会的一員としての利益を作り上げる主体と及ぶ。ここに於いて自己を適正に見つめ適正な評価を持って過不足のない自己認識に至り、外界への適正な構えから健康な対応が執り行われる。

物性への過度な依存や歪んだ発想や誤魔化しの態度は適正を作り上げられず、要望過多か対応不足の認識が生まれ、外界からの不満の声が深まると共に、自己への自信のない心落ち着かない焦りから苛立った精神不安の右往左往した歪な行為や手法へと逃げマイナスの循環を強められる。それまでに培われた功績や信頼を棄損させ根の深い慢性的な改善の見られない悪性の精神状態に至っては、大きな問題と突如現れ一挙に事業の瓦解へ到達する。ばれていないと思っていても精神不安の姿は外界から明瞭に察知される。

空の自信は態度の随所に浮かび外界から見透かされる。恥ずかしくない自己との適正な対峙に在って自己に甘く他者に厳しい態度に及ばず適正な調和を創り上げられる。執り行うべき事柄から逃げた感性は痩せ細りの精神性が深まり、外界へ強い発信力を生み出せる体質から外れる。単純物理性への依存感覚が慢性化して、真に良好な感受性に寄らない生産者へと陥り根を壊した幹や枝葉をはやし歪な有機体によるエネルギー吸収と提供の循環に至りやがて枯れてゆく。一代二代と良き精神性は引き継がれ確たる態度を生み出す自律や自制の主体性が創り上げられる。動源は健全な感受性の起こりに在り、ここを変えずに時々の環境への適合を見せられて永続的な事業の展開へと反映される。

みっともない感受性で慢性化され、それを補うみっともない手法を講じる荒技が長く続くわけはなく、自己への自信の弱さを物性で誤魔化す習慣や規則性においては、外界から適当な取り締まりを受けられる。恥ずかしい精神的な弱さから悪性が瞬く間に広がり自浄作用が回らず強要による回復の道しか残らない。人は騙せても自分は騙せず、いつまでたっても気持ちの正常さは生まれず、その影響が各所に明瞭化される。以上のように健康な精神が適正な感覚と頭脳の働きを見せ表現内容に反映され、自己と外界からの認識に及び、「病は気から」という古くからの根本的な原理が浮かび上がる。顔色がよろしくないのでは○○さん。あまり表には出ない方がよろしいかと思われます。ばれちゃうから。恥ずかしいから。

現代社会のコンセンサンス

生滅不可分性の感覚は、自他の認識を進めると同時に住み分け感覚を作り上げる。既に他者によって賄われている生産へは敢えて自分が模倣的に加わるよりも、自己の生産や性質を見て自身が行うべき事柄に注力するのが良好な分業や調和の形成に連なる。規格量産的発想によると、自己の感性で他者を計り序列化する発想が強まり、他者の良好な特性を掴み活かすような発想に寄らず自己との同質性を求められる。限りある資源を有効に生かす規則性において外界のプラス要素を掴み活かす感性が常態化する。中小零細事業者やゼロベースから物事を作り上げてきた過程を備える生産者に見られる特徴に思われます。初めから環境が良く整備され、効率や生産性への執着に及ばない場所では標準と序列化の画一性による管理へと意識が進み、実態的な効用や成果を作らない低付加価値の生産性に留まる。この辺りに、民間事業者と公共機関との根本的な性質の相違が浮かび上がり、プラス性の増進と重箱つつきの減点評価という体質が生まれる。或いは過去へ執着する実績踏襲型の創造性と、新規変数を重んじるアイデア創出型の生産と現れ、昔話ばかりへ意識が向かいその厳密性への関心が投じられ過去の規則性を模倣して現況維持の生産を進められる。過去を知るのは未来を作る為という前進軌道に在って、未来の仮説形成力が高まりビジョンと描かれ、それに向けたエネルギーを集め投じて危機への回避や創造的な感性が形成される。ビジョンが弱いと資源の採用基準も二次三次の加工度の高い模倣的な基準を安易に採用し、無難な実績を意図されるものの現代にはこれがマイナスに及ぶ。教育の根本には、過去現在未来という時間軸からどこに意識を注ぐ生産者像を設けるかによって人間像に反映され、それに合う発想や能力を作り上げるプログラムが生まれる。このように、時代の置かれた状況認識が教育の根本概念を変え、生産者像や人間像に反映される。継続性や安定秩序を重んじる旧来的且つ伝統的公務員像に対して、仮説形成力やビジョン創造力が加えられて攻めのスタンスに在って安定が叶えられる。従来的安定概念からフローの動態を向上させる健全性概念が作られて現代の時代に適する感性が生まれる。ストック過剰で肥満な発想による減点主義は時代環境に適合せず、フローの動態に焦点が取られ、何をアウトプットされるかの規定と出力の過程を鮮明化し生産性を基軸に備えた体質に在って在る者を型枠に押し込める発想から在る者を活かす発想が進められる。量の算出という割合から質の転換に軸足が取られ、既成型の実績踏襲の安定路線による衰退への道から良好な質を掴む嗅覚とそこを伸ばす発想へと及ばせて非効率な画一性や量産やコストカットという物性型の単純化に寄らない化学反応を創り上げられるパワーが求められる。根本は感受性の力にあり、物事への探究心や創造性に反映される。気の力が体や頭の用い方に影響する。頭型の既成秩序の入力に対して感覚や感受性を動源にした観念の形成にあって根から幹と枝葉の繋がる有機的な知の表出に及ぶ。死んだような断片的知の羅列という文章がしばしば見受けられ、量ばかりが無駄に多く、洗練性が乏しい抽象集約性の弱さは実際的な頭を使わずに付加価値の弱い表現を指し、個別事象の積み重ねと集約の機会を定期的に持ち質の向上を図る思考に於いて、洗練された原理が生まれ体と頭と感受性の良く絡んだ表現に及び人々へ良く伝わる刺激を作り上げる。壺と成る部分を的確に掴み表現と変換し投じる事に於いて意図する結果が出現する。

変な価値観で優越意識に留まり妙な管理発想や手法を投じる旧態の性質は成長への阻害要因を指し、権利過剰の欲望と生産性の弱い余剰な資源を抱えた悪性の指摘に及ぶ事のないフローの良質な主体性にポイントが置かれる。小難しい観念の集積による思想体系はフローの良質性を阻害し実効性を作る抽象体系とは乖離し断片的な知の羅列という傾向で掴みだされる。体からの形成に無い死んだ観念体系は躍動感を生み出さず、変な意識に留まった管理欲を見せられる。こうした事からも根本思想の善し悪しが問われ、量より質へ着目して各自の特徴が良く生かされる体系に有益性が増進する。健全性概念というビジョンが人間形成の動力に及び、在るべき人間像となって根本の基準に配されて二次三次の原理に反映される。現代のコンセンサンスと思われます。

本書の総合ビジョン「健全な人間像の実現への道」

多くの人々は、綺麗で美しい物事に憧れる。外観的な見栄えや動態に見る快適など対象は様々であり、多種多彩な実感の取り方を抱く人間の性質が垣間見られる。どれか一面的という感覚の取り方には無く、いろんな美しさの感覚と割合を混合して美感が形成されているのが実態に思われます。こうした中に在って過去の歴史事象から快不快の感覚が形成され生命への尊さに優先的な価値を置きそれに直結する事柄への意識が強まり、美への序列を形成するのが標準的な感性となり、動的側面への探究が深められて静的外観面は後列に配した美の体系が作られる。

衣食住という消費が目前に置かれ、それを得る手法に生産的規則性が作られ生産と所得から消費を得る循環が作られる。この日常的な美感へ対して多様な快不快感や喜怒哀楽の体験から哲学的な思索が深められ根本の焦点が形成される。これが宗教や思想などと呼ばれる領域となり、生命観や人間観、自然観といった観念が作られ感覚的事象を観念的なフレームを持って配置させ直感的事象を深みある欲望を持って冷静に性格をつけ、自他の制御を果たす創造が生まれる。物的即効的な感覚と人との良好性を意図した心理的な良好性を併せ持ち、両面の適正な在り方を作りだそうとする営みとして現れる。

生命観の浮かべ方として、事象の捉え方を生滅不可分や直接間接の因果という観点を設けて示された釈迦の因縁生起という世界観等に信や真を抱き根本原理と抑えられる人々も生みだされる。生の増進は少なからず何がしかの滅を伴いここに相矛盾する感覚を抱いて両面への適正を作り上げたいという共生感情が生まれ、こうした見方からの対応を進める事に適正を見出し人間の変容しづらい理性の所在を固める等の根本的価値の設け方が生まれる。又、事象は直接的な事象とそれを起こす間接的な事象という多様な連なりを想定する事により、対象を広く把握し意図する欲望に対してより良き充足への予見を浮かべて仮説と実際の整合へ連ねる高度な思索が進められる。

本書の立場は、このような「因縁生起」という世界の浮かべ方を根本に取り、在るべき人間像や自然観を作り上げる事になります。生滅を調和させる手法として「健全性」という概念を作り、主体性の中核的な軸足にとって適正調和を果たす人間の根本的且つ不動性の欲望とする主体性像が創り出されます。

この生滅概念が、善悪や美醜、正負や明暗、快不快等の二項的感性を作る根源に成り、人間は生まれながらにこの二面性を備えた存在という性格を起点にして、マイナス性への配慮を浮かべつつなるべくプラス要素の上回る事象を作り上げる発想を取る事に於いて、健全な理性の実践的な側面が実感される。

人間を過度な美感で覆う表現へ偏る事象がしばしば現れる。上述のような根本的な感性世界の掴み方が在って、個別局所の適正な見え方が生まれ、これを欠いた美性へは適度な距離を設ける感覚に健全な人間性が示される。外界ばかりを映す感覚の深まりに自己を含んだ対象化へ及ばせて主客の適正への作為が生まれて美の実践と謳われます。言う事は容易いという認識を抱きつつ、なるべくこうした観念を意識のどこかに備え、身体と頭脳に反映して制御する基盤の原理となって長期的な良質化への肝要点が示されます。現況の人間をありのまま正負を内蔵する存在と捉え負を補い正の上回る生産へと深める意識に在って大きな破滅的な争いを回避し持続的な再生産を実現する道が浮かべられる。これらから「欲望と力と責任の均衡」を目途にした主体性の健康像が浮かべられ、実際事象に適用させる実践工程が表される。以上のような論理を根本の規律に備え作用させる事が必須と描かれる。万人的なビジョンに浸透するほどに負を上回る正の道が作られる。

こうした理念に対して現況を掴み適正な方法を投じる事が文化形成の道筋と示されます。独り善がりの理念で在っては適正には及ばず、外界と自己の状態を鑑みて理念に向けた方法を導出する歩みに於いて健全な人間が作られる。負の性質の強い対象には適正な対処が要り、粘り強く理念を捨てずに現況に適する方法を投じる事が真に理念を遂げる歩みを指す。頭ばかりに寄った美感と実際的な行為のアンバランスな実態と映し出される事象も少なくない。言論表現は自己の欲望を指し外界へ求める欲望という性格が強く実感されると外界からは抵抗が強められる。一方向の態度を強要する姿となり他利を提供する生産者と離れ利己的性格の強い表現者が生まれる。両者の無理のない調和を「欲望と力と責任の均衡」という尺度を持って過不足の少ない権利義務を見出す力が促進されて個別性を含めた動に即した両者を含む健全な主体性が作り込まれる。物理依存症は欲望過多の責任不足を指し肥満なストックでフローの良質性に無い感覚が作られる。心理的欲望を求めず物性に過度に縛られた感性を指し力を適正に制御できる均衡へ是正させて健康な精神と肉体に及び、過度な物性の欲望が抑制され主客の調和へと導かれる。

健全性思想

健全性思想

需給が成立している事には、直接の当事者にない人がその技術と需要にケチを付ける筋合いにないのが基本的な平等思想の示し方と思われます。しかし間接的因果という面から、効用や影響が少なからず回る実感を抱く事も自然であり、まったく無関係にはなく、直接の需給関係に無くとも利害の交わる立場として何がしかの主張を投じられる事に一定の理解が加えられる。

作りだす物事も多種多様であり、感覚的な質感を提供する事から、観念的な情緒面の創造性の事まで作り手と受け手との間で良いと思う事柄を自由な合意によって需給が取られる。この直接的焦点に、社会システムなる観念体系を設け、マクロ的大局からの全体観を想定して、広く大きな事象を掴みだしたいという欲求も現れる。局所的欲求に対して間接性の因果の広がりを想定し、多彩な因果の実感を浮かべながら、分母感を形成して分子を把握し、長い周期性を勘案しながら短期周期を配して、先々を見越した現在の姿を掴みたいとする制御性への欲望が生まれ、大局を映す観念的フレームを設けて、実際事象を適用させ、実感を掴むという方法が取られる。あるいはこの観念フレームが、各種生産への性格づけに至り、人間の変容しづらい欲望という視点を持って、価値の序列を考え、優先的な事を捉えて、周辺との相関を把握し、人間自体の性格を自ら創り上げるという制御性が生まれる。

思想の型枠も各種各様で在り、各人が抱かれる実感の多彩性を下に、何れに重心を置くも一定の下限的制約の範囲で有れば自由であり、そうした中で思想的ビジョンに軸足を取って生産の主領域を展開される人々も現れる。社会ビジョンや映画や文庫、文芸等々、ソフト的な観念表現を主にして提供される。思想的ソフトがアウトプットと成り、生産行為と成立する。ここから、感覚的な質感を作りだされる生産者が影響を受け何がしの良質性へのヒントに及べば協業的な生産の連なりと浮かべられ、各人の個性がそれぞれに活かされ正の増進と解される。其々に意義があり尊重されるべき分業構造に在るという認識が生まれる。

社会学研究の著名な学者で自由主義、社会主義、共産主義という史観を唱えたマルクス思想に影響を強く受けられた人々も少なくないように見受けられます。これはこれで社会事象を掴みだす優位な見方の一つにも思えます。こうした知見を取り入れながら、より良い創造画を作り上げたいというのが、思想形成者の生産性と成り、良好な社会形成という動機から多様な型枠が提示される。

本書の特徴は、感覚と観念と感受性という身体と頭脳と心の有機的な連なりを持つ規則性を人間の基本的な動態と浮かべ、ここに健全な精神と肉体を備える人間があるという考えに立脚した思想となり、物性と理性に人間の基本的な性格を見出し、両者の良好な関係を作るのに3要素の適当な型枠が基準とされる。

これをベース観念として、その発展的応用にマクロ的な社会ビジョンを作り上げ、多くの人々の関与と協業の適正化への方法が示されます。自由主義や社会主義、共産主義という思想への批判的な感覚は、人間の根っこと成るベース観念の脆弱性の上に各種思想が断片的に並べられたという感が生まれ、いずれの立場も、人間の根本的なベース観念から見るとバランスが悪い偏った構成であり、ベース観念からみて適正な思想体系を導出する所に、本書の特徴が現れ、「健全性」という概念が強調されます。物性と理性の良好性、欲望と力と責任の均衡という姿に、健康な人間性が作られるという発想を備え、自己と他者、個人と社会の適正な関係を作り上げる原理と描き出されます。一定の万人共通の基盤的な観念と備わり厚みのある共通感性が形成されて自由の快適な創造性に及ぶという想定に立ち作られる思想と考えます。以上のように、直接間接の因果の実感、生産事物の多彩性、生産事物間の因果の実感、思想形成とその性格、本書の思想における特徴的な側面について説明しました。

生存本能から優位性を保ちたいという発想が過度に進んで他者の生産性への尊重心の弱い感性は自己の確たる生産の弱い立場による劣った人間の性質と見られます。自己の生産ばかりに執着する偏狭な性質や、物性従属的な感覚による思い上がった人間性の劣化から、各種の迷惑な悪性事象が発生し違和感や実害が生じる事には少なからず対処が要り健全な人間性の下落を防ぐ行為が必要になる。紳士な姿勢で違いへの寛容性や尊重心を抱きながらも、自己の良いと思う創造を堂々と作り上げ、広く多くの人へ提案する活動として、『日本文化原論』が作られました。お楽しみ頂けると幸いです。