評価や創造の性格

対象の評価を下す行為や創造の形態にも相違が現れる。

1)直接性の利害関係にあっては、何がしかの約束が備わりその権利義務についての相互的な評価関係に在り、これがベーシックな対話にも思われます。

2)次に少し利害の離れた関係であるが、少なからず関係する間に於いても、評価という行為にあまり違和感は浮かばない。この関係に見る評論が多くのケースに見受けられます。観測者、評論家や専門研究者等々、

3)更に、評価というより領域の体系を創り上げる立場であり、問題と感じる事象から、その直接間接の原因分析を取り対策案を創出し実行する立場となり、当事者性を帯びる創造者と置かれる。

 元々、人が人を評価する行為はないものとされる。利害関係という約束と執行に於いて相互的評価が生まれる。生産者という技術と市場が想定されて、市場からの評価が加えられ市場を評価する相互性を持つ。市場の形成に3)の立場が生まれ、外部評価というよりも市場形成者としての理論が創造される。その理論を訴求する行為が生まれ、それについて賛否という反応が生まれる。更に市場についての第三者的解説というニーズが生まれ、どう在るかの状況を明瞭に表す行為が取られる。それに加え、市場の計り方という独自理論が形成され、それについて共感が生まれると、尺度に基づく評価に信用が形成される。市場の改善型創造者ともいう行為が生まれる。即ち、当事者関係、市場創造者、市場改善者といった各種の立場で性格が備わり、評価や創造という行為が生まれる。

 市場創造者とは、新規性の論理を組みあげる立場となり、個別的事象を直接に評価する事無く、各事象からの問題意識と改善の発想から理論を形成する立場に成り、それに対して訴求し有効性が実感されると理論と理論の需要者の関係が生まれ市場が形成される。新規需要創出とは、このようなスタイルによって出現し、外界の評価を自身なりに探りつつ新規性の領域創出へエネルギーを投じ論理が組みあげられる。創造者という言葉が最も相応しいのはこのスタイルに思います。

 一過的評論家という存在は、確たる方法論を導出せず、虫食い的な欲望でちょこちょこと好きな評価を与えられる。尺度の形成が曖昧で、且つ方法論までの提起や実施に及ばず、市場を作りあげる生産者に成りえない。有効な意見が産出されれば需給構造が備わり一定の持続性が生まれる。以上のような性格分けを吟味して、どんな評論や創造に在るのか、適正に捉える事が健全な生産行為へと連なる。

 文化論の立場は、外界の評価を直接加えるようなスタイルになく、論理の構築と訴求を主たる活動にする市場形成が意図されます。各種の問題と浮かぶ事の本質的根源の焦点をとり、その改善を土台的に創造する理論提供という創造行為と位置づけられ、原理の開発や新市場形成のエネルギーが注がれます。

活きた現場感覚の脆弱性

今日的諸問題

現場経験と学問的経験から生まれる感性の差が多々見受けられます。直接感覚を常態した感性は、多様な場面での経験を得られた分、繊細な個々の対応を可能にする。人との経験の浅さが知覚的な単純図式やすっきり感の強い反応で固まり両者の相違が明瞭に浮かび上がる。綺麗に論理づける習慣は綺麗な思考と行為という解り易い図式でのパターンに固まり個別オーダー的な複雑さを捉えきれず現場からの不協和が生まれる。叩きあげて集約的立ち位置へと及んだ過程の有無から程度に現れ感度の違いからコミュニケーションの差に及び、単純化から各所の問題を広げられ感覚的体質と頭脳過多の相違が明瞭に現れる。知覚的論理の入力は感覚体験の省略を意味し、現場での多彩な感覚を省き字に表される。対象に近い所での感覚は五感をフルに用いて掴まれその一部が文字に起こされ対象との距離は広がる。それを読み込んで体験を知ったような感覚を強める向きには負の感性が深まり、感覚の貧困から対応の粗雑を齎せる。物理過多の思考や抽象論理の偏りも、同質の現場感覚との遠い感性を創り、この両者間の距離を作る因果が各種の問題を生みだす本質的焦点と現れる。工程の省略、マス広告と実態の乖離、物理依存、肥満化が感覚と観念の離れを生み各種の軋轢を広げ深められる。

主体性を強めるという意味も、ただ利己的主張ばかりを表すかの事象も散見され、発言を強める所と控える勘所を欠くのはただの雑音にしかならず、また、真面目なもの言いと緩めのモノ言いや暈したもの言い等々同じことを表現するにも様々な諸条件や空気の流れから工夫を持つのが現場体験の豊かさから身に付けられる。同一トーンで明瞭化させる事ばかりに意識が回るのは何の工夫も見られず、文字表現ばかりの頭脳寄りの体質に顕著に現れる。こうした観点を強調するような指摘が意外に少ないように思われます。

 論理的には観念の重層性という縦型の因果を思索する事等が置かれるものの、表現の多彩性は現場での時をかけた体験で鍛えられ様々な工夫が生み出される。実践工程をいく段にも及んで喜怒哀楽や成功と失敗を経験する中で生身の感覚と触れて培われ、多角的な視野を考慮した嗅覚や反射神経が備えられる。重要な基幹と部分的影響の少ないポジションで求める要件とは質的相違が生まれ事務方と生身の対話との大きな差が浮かび上がります。情報流通の要には感覚からの積み上げで個別対応の豊富な経験から適切な歯車の良質な循環を創り上げられる。対象の感覚を知覚へ変換するフィルーターが人々の感覚や感情を汲み上げる装置に成り複雑な人間を感じる持続的姿勢が主客の健康を創り上げる。力へ依存するほどに感受性が衰え力での単純物理の循環を強め人間性を見失う。自律心や制御力、探究心が動態に浮かび平等感覚が根に成り、自他への生命に対する尊さがエネルギーと巡りそうした結果に実や花が現れ文化の系が作られる。

 

自主内発性

平等観念を単純に解釈する向きの論調がしばしば見受けられます。独裁にも見方によっては平等的な観念が含まれ学者の単純模型化した言葉に縛られる必要は全くない。過去の事象から抽出された二次情報をそのまま現代や自己の実情に当て嵌める必要もなく、対象との真摯な対峙から観念の中身を創り上げるスタンスが感覚からの観念化であり、「平等」という言葉も多様な作り込みや実感が生まれる。学問的な知恵は方法の一つに過ぎず、自らの観念形成を軸足に取る事が自然な姿に思います。この主な形成過程が需給構造という相互対話の場所で在り市場の特性によって、感覚からの観念形成に異同が生まれる。短期性の有用性から中長期の欲望形成という多段的連鎖が生まれ個別市場と政治行政や文化教育等からのアウトプットの概念との有機的な関係で形成される。

平等という言葉の意味が以下のように謳われている。平等:すべての物事に差別をつけない見方。差別:1あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の―を明らかにする」公平:名・形動]すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま。「―を期する」「―な判定」(Goo辞書より)

人々が、永年の時をかけ様々な理不尽を乗り越えて創り上げられた観念に思われます。これを論理的フレームで体系化するならば、何がしかの基準があって差の知覚に及び平等という観念が生まれ、標準の取り方が焦点におかれる。

標準とは、作るという行為に照らせば、作るまでの標準、出来上がった標準、標準の適用、の3区分が置かれ、実態に見る平等、形式的な平等、機会の平等、配分の平等、といった観点が付加される。これと同時に領域という概念が備わり、その限定化での標準という論理が添え置かれる。領域は空間と時間の概念と浮かび、領域概念:個別と共通と根本、時間概念:短中長期となり、前者の領域概念の導出には、人々は同じでなく差がある事を自然に認めるものでありその上で良好性を作る為の3区分として強調されます。

本書の文化論の根源のスタンスはありのままの感覚を正直に感じ取り、そこに正負の反応がおこりそして正を伸ばし負を減少する発想をもった前進性におかれます。実際の感覚に目をそらす事無く良好性への創造へエネルギーを回すものに成ります。過剰な美化は止め醜さに目をそらさず良好性は創り上げる意識に在って叶えられ、この程度の強弱差に一定の制約を設ける努力を成すのが人間と描かれ、外圧や強制、指示に寄らない自主内発性が含まれる事に意思の所在が確認され、犬猫とは異質の自律心が備わり主体的存在と規定され人格が現れる。

この3区分は知覚表現では単純に示せるものの、実際の生身の感覚では容易なことではなく、永遠に渡り人々の課題におかれ、そして意識に備わる事で人や物との良質性が形成される。不動的フレームとして備えられて持続的探求という真正な認識や活動に繋げるインフラと作用する。

これをより具体的に示すものが、有機性サイクルであり、謙虚さ→寛容→対立→自制→循環と描かれました。合わせて細かな観点を立てたのが健康像の構成となり人や物との関係から物理性と理性との適正な姿と動態循環にみる健康概念が生まれ標準像が形成されます。

一定の不変性や不動性を設ける事は、安定的な秩序の形成にとって望まれ、そこから時々の共通性や個別が生まれ、基盤の上の自由の構図を持つ事によって健康さが維持されると描かれるものです。こうした論理が標準と構成され、そこから見る誤差の感覚が現れて一定の制御ある運動が作られる。このような世界観の下の平等という構図が生まれ各種の創造や協働の中に反映される。以上のような大筋のストーリーとなり各所のキー概念について以下に取り上げております。

 

 

 

1-2主体的人格

 

普遍的尺度と自己生産規定との間に、いくつもの目標点と掲げられる各人の色合いが生まれる。大きな所での根源性には同一性が生まれそこを緩やかに備えての不満や満足の側面が現れる。個々的な現状と理想の構図がこの反応を生みだし維持的スタンスか挑戦的な活動かの異同と知覚される。

活動は、感覚的な接触が基礎に成り次第に観念的な考えと纏まりそれが感覚を選び、質と量の積み上げが成され大きな発見的出会いが質の変容を齎せその型式での量が生まれる。協働と自立の関係も点となる縁で接点が起こり関心の深まりや広がりを持つ過程が生まれ感覚面からの積み上がりで共通の観念が形成される。

感覚的接触を避けては観念は深まらず、真摯に直接対話を持とうとしない性格とは協働性も深まらない。間に何かを挟んで二次情報を過信する関係に発展はなく直の一次体験を避け距離を作りリスクを取ろうとしない性格とは協働性が生まれない。自身の価値と思考と行為の完結的な主体性の弱い体質は感覚的工程での軋轢に免疫が生まれず、受動的にリターンばかりを欲しがりリスクを避ける。真摯な対峙を感覚的に常態と重ねない物理依存症との強い協働関係は築かれず、一方向のフェアなスタンスを外す行為からは良質な共通感性が創り上げられる事はなく、平等観念の知肉化された体質が、感覚先行の行為と実質的な協働生産へのエネルギーを増強させる。

集団的自衛の観念は感覚的な協働性に本質があり、リスクを実態的に共有する行為の実感で確認され、二次情報や二次的意思とは異なる自己の感覚による一次判断と行為を持つ主体的関係で生まれる。いいとこどりや口先で留まる関係からはこのエネルギーは積み上がらず育たない。結果という概念の一つはこうした事象で表され、自身の判断を完結的に持っている部分の弱い人格や顔の見えない主体とは実感に及びづらく、盗み体質や感覚的行為を避ける性格や、間に入って自己の意思と行為を見せない主体的性格の弱いものは物理性の依存症と見做され、真摯な対峙とリスクを投じて協働を作るエネルギーが脆弱で一過的な利用関係という対人性を標準体質とされる人格の見えない主体性と映し出されます。感情と感覚を根にした観念の共有に人間像の標準となる姿が描かれ、堂々とした真摯な交わりと積み重ねと協働で自立と共生の良質性という結果に及ぶ。姑息性や過剰な利己性はこの阻害事象と特定され有機性が強まらず、頭脳よりの体質には、身を投じた意思のある主張や行為に届かずロック的感性が生身の人間を作りだすポイントに思われます。

二次情報は他者の感覚であり、一次情報に質実があり、無用な観念ばかりをため込んで創り上げる感性が弱まり、直の接触もなしに単純な判断を強められる傾向には物理依存の感性の現れと思われます。利己性の強い見栄や面子が真摯な対峙と感覚を避け実感性の弱いフレームで留まり利用の発想が増し、共に作るや育てる感性を深めない傾向には無機質性の力の暴走という危惧が現れ、心身の良質的な形成には一次体験をベースにした人格形成に健康な姿が映り、熱が先んじて論理が生まれる動態に健康な心身の所在が映ります。一部マスコミや知識人と呼ばれる病的性格は顕著な例でありそれを許すような諸条件は取り除くのが良質な文化の形成には必要に思います。

良き集団の協働関係を創り上げるのは感覚の真摯な対峙から上下左右の有機性が生まれる。不審な行為を取られる者が上に備わっては看板ばかりの組織体が作られエネルギーの分散を齎せそれが結果に反映される。

 

5.ロッケンロール・ジャパン

 

表現は論理性の事柄と情緒性の事柄に大別され、後者が上方に備わり前者を生む流れに標準性が映ります。

芸術の中でも音楽の存在は、極めて直接性の感性を表される。癒し系のウルウル感と爆発性のロッケンロールに大別され、後進的と前進的な感性にも見て取れ、この反応を内在するのが人々の基本的な動力源になり、維持型の方向と変革型のエネルギーとを循環される。割合感覚で同時進行と見るのが実際的になりそこに基準感性や感度の所在が形成される。

生滅感性も、二極的な区分による単純的知覚を論理的把握に於いては用いられるものの、実際的動態は一つの観念では表しきれずに、両要素を含んだ感覚を持ち、それを表すのに形容詞の存在が欠かせない。名詞という固定化や知覚の方式に対して原理の微妙な動きに副詞や形容詞で、対象の実際的な状態を映し上げられる。二項対立の単純模型化に、繋ぎの役割を果たすこの感性が、事実の把握や価値の構成に精緻な性質を与え、感覚や感性の整合を高められる。

音楽等の芸術は、まさしくこの形容詞や副詞が全面的に現れ、個と個を繋ぐ動的反応に集中した世界の表出となり、動力源の作用を持ち固定的な知覚から動きへの力を齎せる人間のアナログ面と思います。

これが生滅を所与と持つ有機体における本質的な部分を示し、この本能からエネルギーが込み上げ、対象の把握や利用への思索と回る。感受性の強弱や繊細性がパワーに転換し、各種の創造に反映される。感受性の根源は滅への反応であり、滅に対する感じ方からエネルギーの質量が生まれる。この部分の感性を適当に抱けることが、良好な人間形成の基盤となり、物や人との関係と積み上げの過程で感度が生み出される。

 

感度を実感する焦点が、色彩や寒暖、音感、構図形成の感覚で現れ、そこから演出の構想力や表現に及び感受性の豊かさと現れ、自己の満足と共に、楽しさを与える欲望の所在が見受けられる。このような創造の原理で映し出され、おもてなし等の観念が創り出される。

自己欲望と他者の望みとを程良く集約する仮説構成と実際への反応とで、感受性の異同が発見され学びの機会が現れる。この感覚体験から知覚的単純認識では吸収できない形容詞や副詞となる感覚を掴み、対象の実際性を高められ相応しい構想力や施策が生まれて、より良い生が創り上げられる。滅への配慮や感受性が良き生の動脈源に当たり、形容詞や副詞という感性の意義が確認される。

物理的形容とは異質の有機的形容というアナログ力を根にした創造に多くの光が感じ取られそれへのエネルギーが注がれる。滅を超える生を創出する可能性は有機性の感受性がカギを握りその魂はロッケンロールに見出される。ビートの感覚が音の波を表しその波長と、音質の相違との重なりに見る快適なハーモニーの究極的調和世界の実感性へと運ぶ音楽的構想のセンスに感受性の具体的な一つの場面を見るに及びます。

 

 

領域概念の形成と筋道

 

人々には快適と不快という感じ方が現れ、その個別性と共通の面が備わる事を多くの人は認められる。この中で不快の共通面に、一致した限定性が明瞭に現れ、そこの予防や対策に協働して集中的に資源を投じて、基盤の堅持に同質価値を認めて意識を注がれる。個別性の事には各人様々な志向が許され、共通価値の制約の下に個々の意思で創造や選択の自由が備えられる。この図式に概ね共通の理解や合意に取り付けられるものと思います。

共通面の不快性には、盗みや傷害、詐欺等の行為が取り上げられ、その対策や予防に、警察、司法が直接の任に当たり個々人の意思の集約から行政が委ねられ、適正な運用が期待される。この最も高い要望から、消防や都市施設、環境整備といった面や、マクロ経済、外交軍事等と広がり、直接間接の因果が構成され、これら領域を共通性の価値として公の機関を設け運用する方式が形成される。

領域の優先順位と求められる事と運用の直接主体が考える事柄との整合から、意思の一致を確認し選択の自由が設けられ職務の遂行と実際の状態とを実感されて、領域の実態が浮かび上がる。この集約の大枠と個別の中身を整列させて、評価の検証が適正に下される。

このような対象の観測を専門に従事される研究者の活動が備わり、現象を明瞭に浮かび上がらせ、問題点や良好な点を測定して、その結果を各人が容易に計る事が出来、期待と効果の反映を持続的に循環する仕組みから、より良い活動へと上昇する。対象の明瞭性と容易な知覚技術を開発する事が、適正な創造へのデータを与え、各種の施策開発へと正しいエネルギーが注がれる。

領域と測定と改善というどこの活動にあっても汎用的に実施されるポイントが表され、

この水準の標準値を形成の下にプラスとマイナスが計られて制御ある取り組みが実現する。領域自体の範囲や、中身の水準について、どのような認識に在るがの現況認識が活動の出発点に成り、理想となる図式の保有との兼ね合いで産出される。

この構図を明示して部分焦点を取り上げ、全体と個別の関係を示されて個々の活動の意味や重みが把握される。協働的連携を持つ生産に在っては、尚更、この全体と個別の共通理解が欠かせず、その枠組みを常態させながら、各所の取り組みが自他へと伝わり、有機的な活動性が上昇し、付加価値の向上へと資する。

観測者と実務家、主たる権限保有者と従事者、受益者との相互関係性の在り方が、こうした基軸動態の整理から把握され方角感が浮かび上がり、全体調和性の高まりへと発展する。

自己生産の創造における動脈源と基軸動態とアウトプットの流れを、どのように構成されるかで領域が浮かび上がり顔の見える主体と知覚される。基礎データの集計と測定の可視化から客観性の高まる認識に及ぶ。この透明性や全体把握の容易性に連なるフレームの形成を共通性の価値に対して表し、根本の普遍性との関係や個別との割合感を浮かび上がらせ、良質な価値の向上へと運ぶ事が多くの人の関心に思われます。

根源のエネルギー

 

個々の私的感情が前面に現れる評論が多々見られる。利益を求めるごく自然な姿にも思えるものの、マクロと根本や大きな動態を含めた個別の焦点という構成を取られる事で、私的利益の妥当性に説得力が加えられる。

生産的立場の役割が、他者との相互性の過程から構成され、基本的な利益の性格が備わる。

自己領域を内外による関係で性格づけ、内からは根源に備わる動力源と吸収の根元と基礎回路となる基幹動態が備わり、枝葉の部分にアウトプットの成果が現れ、それを外部領域からの意見交換で多彩な評論や賛否の声が確認され、正負の反省の下に枝葉の剪定が加えられる。負の部分が根元に回り貴重な経験と蓄積され、基幹動態への変化過程の重要な変数と置かれる。

内部構成の「動脈源、基幹動態、」外部との接点となる「枝葉や実」そして、外部の意思という主要素で循環過程が生まれる。この過程に流れるエネルギーが、動脈源の動機と外部からの意見とを勘案して作られる一つの思いや感性になり、この部分がエンジンを回す熱と位置付けされる。火が点火され思いが強まり、エンジンという装置が創り出され、外部出力の仕組みが生まれ、アウトプットの産出に及び、それらの姿に他者からの賛否が起こりそれが熱に反映される。負の部分から熱を冷まし、正で熱が高まり、温度が再編されて、エンジンや出力、アウトプットに反映される。

表現者という面から見ると、発言や評論がアウトプットであり、それらへの評価が加えられ、相互性を持った循環の系が生まれる。要素と要素関係で、事実や価値が表明され、その感性に対して、他の要素と要素関係を持つ人々との異同が衝突し、多彩な感性の交わりが生じる。マクロという範囲の大きな想定の視点や、人間の根元に在るべき倫理道徳観からの指摘等から、特定の主張に対する成否や程度が加減されて社会的対話と浮かび上がる。

この質実を一定に保つ上で、ある程度の生産領域を限定して、アウトプットの成果に及ぶよう内実を高めるエネルギーが投じられる。何でもかんでも思うがままの批評という底の浅い利己性に成らぬような、一定の動脈源と基幹動態を備えた主体が作られてアウトプットを生みだす姿に妥当性や説得力の及ぶ産出が現れる。この形態自体が一つの倫理道徳の現れに成り、主体性の見える生産者という知覚に及び、自律の生まれる制御と訳され基礎的な善を内実した行為と常態化させる。外界との需給構造とアウトプットといった必須の健全性を保つ要素を含んで、体質の持続的維持が叶い対象との真摯な対話が果たされる。生産的立場を構成する以前の根源に、万人的立場として備えられる平等感覚を含んだ人間像の堅持が、あらゆる生産に健全性を含ませる作用と位置づけられる。ここが崩れるほどに生産へ歪みと生まれ、相互対話性の弱い性格が強まり力の良質な用い方を外した異質性が生じ需給構造の持続性を途絶えさせる。この自然作用が当たり前に回る事で不健全な性格を持つ主体が適正な配置に回り良質性が表に現れる。

こうした論理が文化という根源のエネルギーに備わり、人々の良質な熱の維持や上昇に欠かせず、この標準形から見て阻害と伸張要因を特定し各種の施策を講じるのが固有技術を適正に運ぶ管理的業務の役割に思われます。そこが、阻害の原因に成るかの事では正しく本末転倒という姿と知覚される。

良質な光と影の持続性

文系的表現の粗雑性は「割合」という観念の弱さから生まれる。割合感覚は、分母と分子の構造で表現が生まれる。「○○でない」とか「××である」という一方の断言に結ぶまでの過程や内容を構成して明示する所に判断の内実が現れる。断言する所だけではなんら意味を持たず、後者の内実を割合で構成するのが適正な理性水準に思われます。

この観念を欠くと極端な表現が生まれ、対象からの感受性を弱め短絡化した体質が生まれ物理性の欲望が高まり対立的な関係性を創り上げる。単純感性や短絡化の発想は、物理性の概念で、共生協調面を抑え込む発想を強め、その行き過ぎには、健康概念との開きを作り多彩性を均一化へと運ばれる。

この流れが強まる事に対して、どう感じられるかに適正の内実が生まれる。感覚性が強まる欲望や表現は、何がしかの誘導性や利己的性格の強い扇動的行為と現れる。対人的良好性を含めて、対象との真摯な対峙や相互対話性を開く所に人間の共生面が映り平等観念に基づく姿勢や態度が生まれる。そこから対象の丁寧な感受性や表現に、「割合」感覚が現れ健康な心身の所在が確認される。

犯罪を認定する構造も、要件の規定と適用に実感点が置かれ、事象の性格を動的流れと程度で割合をはじき実感の程度と表される。要件規定の絞り込みと事象との比較は、観念と感覚の適用となり、観念自体がどの範囲の事柄を想定するものか、広狭という割合感覚を持ち因果の縦横的な特定が作られる。横の広さと縦の深さという割合感を備えた現象化に、認識の異同が狭まりコミュニケーションの適正が作られる。

あまりに理系的な厳密性を求めて、ズレに過敏反応を生むのも不快性が生まれ、適正感をどの辺りに持つか、この観点を常態する所に感覚の制御という理性の作用が生まれる。

感度の近い所に安心感が生まれ、その一方での相違や変化の面との両方による循環で緊張と緩和の世界が生まれる。その制御は、平等観念を反映した心身の健康観念になり、感覚と頭脳と感情の3要素の有機性を人々の集まりで構成する人間観で協調や共生の姿が生まれる。このベース観念の下に、自立や変化への理解を運用と共に集められ、生に力が加えられ個と集団の良好な成長軌道が形成される。速さや強弱、暑さや寒さ、熱の入り方、といった感受性の割合を示す観念に、人々の活きた動態を表す感性の所在が確認される。

これに至る構成に、対象範囲の重層的工程が描かれ「○○である。」に向けた多段的道筋や、根元の不動的観念から基幹動態の過程が作られ、枝葉を生んで実を授かりやがて土にかえり幹を残す有機性循環図が、時間的連なりの面での割合感覚を生み、良質な感情の創造に連なる。

物理的感覚性が科学技術との関わりから深まり、単一的直線型の表現が多発する事には、対人上の不健康な姿を増進し感受性の貧困化を招かれる。物理性の深まる粗雑な対象化や単細胞の志向と行為が増し平等観念の崩しを進行させる。便利な社会と豊かな社会との性格を峻別した創造に健全な成長の方角が映ります。

以上のような観念的世界観に平和や調和と躍動の概念が含まれ、この観念を最大分母に備えた全体調和性への軌道を確保するという絵で纏められ、感覚と観念や文理の融合と訳されます。このベース感覚を少なからず備え現況の健康度を計り、取るべき所では思い切った決断に踏み込む場面が生まれる。

盗みという行為は、利己性の最たるものであって主張に留まらず下限の一線を越えるものであり、ここにあっては明らかな人格形成上の失敗という実感に及びます。この過ちには、誠実な謝罪を真摯に執り行えて、修復への軌道が生まれ、それを通らずには病的体質は改善されない。誤魔化しの上塗りで、一線を踏みとどまれない慢性化した感度が作られる。一度やれば二度三度と繰り返し異質な常識が備えられる。そこに大きな力を持たせれば、その常識が広がりを見せる。基幹には間違っても配置できない性質であり、早期の切除による対処を望むのが、多くの健全な人々の要望に思われます。

日本画家 横山俊一

表現と表現者の分析

表現と表現者の分析

見出しと内容の構造という焦点での分析を加え解明し、認識を深める事が正しい情報流通に欠かせない観点に思われます。理性的な判断や主張はこの共通認識の下に実現する。

見出しの例:「○○は××である」という表現について。○○も××も観念である。

【基本則】

観念と感覚と実感という認識の公式を前提に採用する。

観念には、直接の感覚に近い表現と、感覚と離れる抽象的な観念という型式が生まれる。

認識を示す対象とする範囲の大小によって、この性格が生まれる。

対象は、時と場所、観点で構成される。観点には構造と動態が示される。

構造には単一要素か複数要素の場合がある。動態は、要素間の関係で示される。

 

これらを踏まえ、

  1. 用いられる観念が、直接の感覚に近いものか、抽象的な観念か、

この感覚性の異同が生まれる。

  1. 抽象的観念の場合

○○と××について、「である。」と判断する実感規定を内容として取り上げる。

両者を結ぶ実感規定には、その観点や焦点という限定の上に、そこに構造と動態の在り様を示す作法が用いられる。

判断 見出し

○○は××である。

実感の取り方

内容1

○○という対象

××という内容

内容2

焦点の概要

・時と場所と焦点

焦点の詳細

・要素と動態

 

  1. 対象と内容の因果的実感の妥当性

要素と動態の示し方に、観測や認識、判断の独自性や共通性が生まれる。

その原因として3つ程度が浮かぶ。

・感覚的な実感に見る異同か。

・固定概念の持ち方に見る異同か。

・意図や動機、作為性の在り方に見る異同か。

  1. この原因から、観測者や表現者の性格や性向が浮かび上がる。

3つの原因は少なからず一つの表現に含まれ、割合感で特性が掴まれる。

この相違は、活動の規則性や成長過程の異同から生まれる。この原因分析に感覚と頭脳と感情の焦点から人間が映し出される。

  1. 標準的な健康像とそれとの乖離を描き、許容の幅が浮かび上がり、そこを超えると犯罪と認定され相応しい対処と予防の施策が講じられる。健康像への探究が文化論の中心焦点となりその探求が進められます。

以上の事から、表現内容と表現者という2つの観点を備え、表現の実相を実感する事に適切な対象の認識と及ぶ。

『日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー』(著横山俊一)は、上記のような焦点を対象に、要素と要素関係のモデルの探究や提示を試みる内容です。

4.有機性循環

4.有機性循環
飾り熊手にも大きいものから手のひらサイズまで、大小のカテゴリーがあり、更に、中心に何を備えるかで種類の多様さが現れる。お年寄りや熊手を長年購入される人々に在っては、鶴と亀、松と鯛とお多福を必然の部材とし、その意味や縁起という信仰を重んじられる。この型式が所謂、飾り熊手の定番とされる。若いあんちゃんやお水の姉さんに在っては、キラキラ、ピカピカの派手な装いを好まれ、小判が沢山ついた変わり物をお求めになられる。後者の側は、現代の一部マスコミと同種の感性にも見受けられます。それはさておき、こうした感覚事象から以下のような成長論の抽象原理が描かれます。
一番伸びそうな所に配置する感性が成長作りに欠かせない人間の創造力を表す。個々の素材の性格を掴み、どこにプラス性とマイナス性があるかの把握は、どんな理想図面を保有されるかに起因する。ダイナミックな躍動性、安定的な維持型、情緒性の動脈性、機能性の動脈性等々の志向性からその性格が特定される。
実際的には過去の規則性から、定番商品、季節性のモノ、色もの商品等という3カテゴリー程度に分け、安定収益と試作的なもの等の構図をもち、割合で志向が確認される。定番商品を把握するには、色ものを隣り合わせ、定番を強調させる施策が取られる。定番だけの配置では性格が浮かびづらく変化の大きな型式を設けて標準の識別が生まれる。実質的な期待は定番の維持に在り、色ものは定番の良さを引き立たせる施策と用いられる事が少なくない。飽きる事に対してアクセントを加え、持続性の維持を意図した施策を所々で企てるのが、総合的な構図の制御法に思われます。この中で、色ものが予測と異なり成長する事も在り第二の定番が作られる。しかしながら、意図しない伸びは、あまり喜ばしくないのが生産側の真意となる。
総じてポイントは要素の割合構成を根拠に志向の全体を集約する見出しが生まれる。定番とはその領域における本質的な意義を示すものである。色ものとは表面の見栄えを志向する性格と規定される。供給側の意図には定番を主軸にした感受性の伝達が備わりその為の各種サインが送られる。
基軸と枝葉の構成の仕方に性格が現れ、社会システムの体制も、ラインとスタッフの重みの相違が特定され相応しい扱いや価値の適用が生まれる。産業構造のサービス経済化の傾向と構図形成との感受性には密接な因果が生まれ基軸と枝葉の構成に反映される。
基幹とは創造と循環の流れを直接制御する主体を表し、その行為に権限と責任を備える完結性の高い動脈を指し、そこに側面から関わるのが枝葉の存在と構成され、これらの根元に根源の支柱となる理念の源泉部分が備えられる。枝葉は枯れて土に成り根元に栄養を与え幹と枝葉に循環する。この論理で全体の有機性循環図が浮かび、この概念と実際の適用に人々の感性が示され価値の序列が構成される。
なかなか枯れない枝葉は定期的に人工的な剪定も良質な循環には不可欠と言え、無駄な栄養は他の成長を妨げられる。時には、中長期の時代認識を描きバッサリと枝葉を落とす勇気がリーダーには望まれ、出るはずの良質な芽を摘むような愚策は歴史的な汚点と刻まれる。これが成長論の肝に思われます。
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