文化的認識

文化的認識
一部の国立大学様は、民間の感覚と大分離れた常識を持つようだ。学者、教授という肩書負けしてフラットな感性と乖離した存在に見受けられ無駄な税金の支出先の代表例に思われる。一方向的プライドや権威づけに偏り、その序列づけに躍起になって相互対話性を弱められる。真に価値ある創造へのエネルギーに向かわれず実の弱い世界に映りだされます。この測定を客観的に取る仕組みから自他への適正な感性や振る舞いが生まれる。自己正当化の実態的な健全性を向上させ、一方向の供給論理に偏する感覚を予防する施策から、感覚と頭脳と感情の有機的な健康体が創り出される。頭脳過多で感覚を取らずに異質な感情を抱かれる循環に対して、3作用の適正化を生む事が欲望と力と責任の均衡へと近づき、公正公平公明な秩序形成へと連なる。
この原理をミクロ・マクロの人間像に適用して過不足の修正を進めるのが適正な施策に成り、測定尺度と適用を作るのが各種領域の持続性成長を可能にする。この過程によって自己と他者との感性が整い倫理道徳の実態的な状態が知覚される。フラットな平等思想や感覚は、以上のような力を生み出す原動力になり普遍的原理と備えられる。科学技術の進展と利用の促進はこの感性を弱め健康な心身を崩される。利用する側の意思の備えが外界を制御する基盤に成り、力への過度な依存に陥らない為の不動的な原理と浮かびます。思想の実践が弱まり観念ばかりに留まる事から不健全な体質が進行し実態を測定する標準感度からの乖離が生まれる。相互対話と自由選択の原理から感性の異質性が予防される。この作用が適度に回って平等観念の維持と実効性が生まれ倫理道徳の知肉化された創造に及び平和や調和という言葉の実感規定には以上のような論理が適当に思います。空の権威にしがみつき、外界ばかりに要望を強める科学的な対象化を制御するには、主客の重層認識による測定から人間と外界の良質性が持続する。伝統的な自然感性を根にした人間作りに、優れた調和性を生む鍵があり、自主内発的な施策の構成が違和感の少ない浸透と実践に及ぶ。成長過程からの自然的導入に無理のない感性が内蔵されどの空間にも共通する根源性の構築へ進める長期的な構想と浮かびます。

中長期計画

人格の崩れを深刻な問題と捉える事なしには、生み出される各種の施策に熱が生まれない。各種問題の性格付けや優先度の取り違えを生むのは根本の長期的なビジョンや方角が鮮明化されない事に寄り発生し前進性が掴みだされず小手先の感性を見せられる。文化の焦点が重要に思われます。

異質な感覚は、力と責任感覚のズレから生まれ、それが慢性化して平等感覚の欠如に及び、人格の備わらない行為を生む。盗みや詐欺に対する感覚が壊れて、基礎的な作法と乖離した感覚を強められる。市場や需給構造の異質性が健康な感性を狂わせる。この焦点が、ミクロ・マクロの人間の改善点であり公正公平公明という観念の実現を結ぶ中枢と映ります。効果と期待の相互性を作用させ、原理創造と評価の恒常的な仕組みの高度化へ運ばれる。

名前や身元の鮮明な提示が関わりの第一歩であり主体の特定なしに、飛び越えた行為を用いる感性は精神的な異質性であり関係形成の初歩を崩した人間観念と外れた性格と実感される。サイバー犯罪という今日的なIT化の促進は、主体性の特定なしに技術を暴力と用いる容易性を作り、感覚的生身の対人形成を取らずに異質の精神性を作り出す。

野次馬的なマスコミ感覚の増加には適正な是正処置をとり、平等観念の実態性や文化水準の下落を予防する事が急務に思われる。異常者に過剰な力を与えない社会的仕組みの整備が不可欠という面が浮かびます。

倫理道徳の体質化されない頭脳過多や、力の過剰な付与は、自己制御力の脆弱に及び、実質的な人格の整わない行為を生みだす。この面がインフラ中のインフラであり、この崩れに深刻な感覚と対処を取る為の問題意識の形成が文化論の重要な観点に成り、基礎中の基礎が壊れている事に対して、注意喚起や改善の施策を投じ良質性の確保を推進する事の意義は高いものと思います。

この問題提起から、教育の改変や司法の強化、経済産業の健全性、政治行政の適正化等の基盤の改造が生まれる。マイナス性を標準に戻す作業という性格であり、過去の総括に寄る現況認識と問題箇所を共通化して標準像を示す事が概略図となる。

この焦点に蓋をして、目先の経済性を追求するかのスタンスからは場当たり性の不満の解消となり、容易な手法に逃げて構造改革に着手しない事にならないよう根源的な視座からの健康な人間像とその共通性を高める必要が生まれる。インフラ面の低水準化への流れを止めるには、この面からの描き出しが要り人間の強靭化無くして国土強靭化や安全保障等は果たされない。躾の標準化が出来て平準を超えるプラス的な創造が実現される。この中長期計画が基盤にあって各種政策に適正な性格がつけられる。上っ面の政策に芯を容れるには、基礎モラルの改善をベースにした施策の認識が不可欠に思います。

 

 

文化インフラの意義

文化インフラの意義
コンサルタントや支援、スタッフの機能とは総じてラインを補完する役割と規定される。基軸事物の創出を円滑化される事やそれに資する一連の補完作業になり、陰で支え同じ土俵には乗らない事が自然の制約と置かれる。この線引きが曖昧のままに支援等という名目で資源を吸収して同質の土俵で上昇するかの詐欺的性格が見える事業や主体も少なくなく、信用が掴めずに安易に情報を提供し委ねることには至らない。呼びかけ人に盗みの体質やその行為が過去に見られれば、良質な人材や情報は集まる事無く、倫理道徳の資質が協働生産に欠かせない信用基盤を形成する。ここが不明瞭なままに呼び掛けるような者も多々見られ、健全な運用に信頼が寄せられず、大声ばかりが響くかの空回りや、意図や動機の不信な詐欺まがいの行為等も度々感じられる。看板等の表面に過剰な信用は与えられず、管理や主導、主催者の公明正大な運営力や性質の良好性が協働的創造に欠かせない。情報収集や採択や却下の客観的な基準の明示と適用の公開性が求められる。
この面についての信用を欠損したものには、二度と信用の修復は生まれず、盗みは重たい人格上の破綻を表し力が集まる事はない。倫理道徳の重しへの認識が弱く原論でそれを補えるかの浅はかさを持つ者が表に立てば事業は失敗する。似た者同士が集まりエゴに偏した盗みあいでは、真価が高まらない。
マスコミなどもこうした図式におかれ、ラインの事象を観測しそれに有益な視点の提供を行う事が一義的な役割に成り、有益には創造的な前進性と監視的な抑制の両用を併せ持ち、大きな理念や志向が描かれてそれに資する有益性の提供で活動が特定される。
基準形成作用という性格を含めると、スタッフ的な役割よりもライン性が帯び、実現主体性を持つ活動と認識される。理念や志向なき場当たり性の批判に偏すると、主体性は弱まり、他で創り上げられた基準による監視程度の活動という、従属的なスタンスの性格で表される。こうした立場の明示が相互理解に及び良質な協働関係の形成に左右する。
これらのポイントは基準と基準の作成、基準の運用といった公明正大性と、どの段階までを含んだ活動か、この特定や明示が曖昧で呼びかけや支援をする等という格好での事業展開には、信用が寄せらず情報収集には任務の範囲を限定した関わりを示し、部分的なミッションの合意による協働性が作られる。不明瞭性の予防の視点を強調して、ラインやスタッフという権限責任の所在を確認した上での進行が、相互的立場の自覚と共有に及び適正な事業の遂行を実現させる。行政と民間の関わりに於いても、同質的な観点が現れ、管理の範囲や基準作成や運用の権限と責任の明瞭性と検証を必要とし、乱用や恣意性を排除する運びから力と責任の適正が生まれる。
実際上は一定の付き合いの中から次第に信用形成が生まれ、関わりの深度に反映され、観念表現に過信せず実情の性格が基礎に置かれ活動領域の実感を取られる事でしょう。
範囲の絞り込みや許容性に、解釈のズレが生まれ、その大小の差は文化秩序の実際的な水準等が作用する二段構造が浮かび上がります。あまりに不信性を前提に事細かな相互制約作りに力を投じる事には無駄なコストばかりか不信性の概念が高まり良質の疎外を深められる。文化インフラの同質性の創造にはこうした面で寄与や効果が生まれ安定作用を齎せる。許容性の中長期的測定の構えを生み、相互信頼性を高める上での自律性の高水準化の向きへと運ぶ方角感に良好性の増進が生まれる。
その為に各種の監視や検証が取られ実証と共に制約が外れ、自主内発型の次元へと導出する事が多くの人々の根源的欲望に思われます。重要ポイントとされる焦点の同質性がこれらの具体的な感性の一致と確認され、それは物事の動態経路の同質性が背景におかれる。これを形成する視点が人間像への焦点に成り本書に於きましてはこのいくつかの観点を取り上げております。

表現と哲学

「言いきる、断言する」表現がしばしば見受けられます。率直に感じる印象は、あまりよろしくなく、少なくとも根拠を明示して適正感が現れます。良い悪いや、それをどうとるかは受け手に在り相互性を含ませるのが平等思想を実践される姿と映ります。立派そうな学者だからとか、実績等に甘んじることなく、一流人の変わらぬ姿には、少なくとも不完全性を含んだ表現作法が意識されて、社会性を持つ主体という認識に及びます。フラットな感覚を外して過去の栄光や肩書に縋り、基本姿勢を疎かにしてはメッキがはがれ信用を落とし、ここにも不動性が映ります。
もちろん事柄の性質によっての表現作法で在り、影響の質量を予測されて場所と時と内容を勘案の下に相違を作り、硬柔や強弱、精緻度が組みたてられる。表現者の思う感性からこれらの思索を経て、受け手がどうとるか、発して感じ方を実感して適正幅に修正する循環が生まれる。この許容幅を程度に持ち、ピッタシ等という事は大凡なく微調整を持つのが多くのケースでありそこに衝突や大小の軋轢が生まれる。これを過剰に恐れた反応では建設的な創造が生まれず、過去からの強い歩みが備わって少々の波風に揺るがない振る舞いと現れる。
肝に成るのが事実認識と動機や価値構成になり、前者には完全性を求めるものの後に事実が浮かぶ事もあり、後者の面には健全な精神を宿した行為を要件に、どんな欲望や利益を意図した創造かで計りだされる。獲得する作法の健全性が問われ、断定表現を用いる際には確たる論拠の提示が、過去からの対人形成の歩みと浮かび、信用構築の感性や程度と現れる。これに資するのが、物事への思慮の深さになり、動静観念や平等観念等の哲学的な側面から、表層の事柄を整列させる確信的な視座による性格付けが生まれ、浮ついた抵抗を撥ね退ける強い論拠が構築される。
こうした点から、基礎哲学の素養の意義が生まれ、倫理道徳や認識作法、表現作法という人間像を基にした対話や関係形成の確かな標準形が生み出される。物理的力に偏して理性的な感覚を喪失しては良質な気流を妨げられ、ここに一定の型枠を揃えたいとする欲望を持つのが多くの人の感性に思われ、本書の創作もこれらの動機を含む起案になります。
真実の探究はオリジナリティーを備えた一次情報を核にした体系から成り、その形成には真っ当なエネルギーの積み重なりから骨を持つ倫理や道徳に及び、断定表現には確たる論理が添えられる。学者や表現者にも様々なタイプがおられ一流と呼ばれる人々には、以上のような共通性が確認されるものと思います。

良質な文化体質

 

法律の扱い方に扱うものの性質が浮かびます。多くの場合、対人関係に於いて法律を前提に関係を組みあげる等という事はなく、好き嫌いや興味・関心という肌感覚の感性から距離が詰まり対話が深まり秩序が出来る。一般化の秩序を前提にする事はなく、相互性で秩序が作られ、それが広がると一般化する。この過程に真実があり、抽象概念化した規制には、個々の事情の細かな想定を切り捨て平均値での集約を取った表現と思われる。

それを自己都合的場面想定で正当化の根拠として、利益を掴むかの発想には本末転倒な姿と映り、法を道具にする感覚からは誠実な対話と離れ、はじめから対象との距離を取った支配願望を見せる事に成る。この感性が深まるような教育や、関係の形成方法という面に焦点を取り、良質な人間像を描く事も正しい道理を強める事に資するものと思います。

観念型の知の詰め込みから、それを真実という発想に陥り、生の感覚形成が弱まり、不可思議な感性を抱いて、フラットな感覚を持てなくなる事に対して歪な精神性という表現が生まれる。このタイプが少なくないのが現代人の姿にも思われ、どこか教育や秩序形成、産業経済の在り方に根本的な瑕疵が備わり道具の使い方を間違えて用いるかの実感に及びます。

ゼロからの組み立ては感覚を根にして創り上げられ、過去の他で起きた事象を現況に当て嵌め進める感性には対象との真摯な対峙と外れ、良好な創造関係とどこか異質の利己性の強い反応と現れる。知の質量とその扱い方とは区分して持つ感覚に適正感が生まれ、知を作る感覚を備えた姿勢に比重を取るので未来型の動態が強まる。

常に新鮮な向上心を継続できるような構えを持つには、平等観念を強く心得た文化感覚の有無がゼロ感覚からの発見を高める事に連なる。固定概念へしがみ付かず良好な感情や感覚を生みだす動力になり、この点を根本面の人間像の主要な構成として良質な文化に成り得る。

現況の制度をどう使うか、又はどう変えるかの、動力源には、良好な感情を自他共に作り出したいという思いから始まり、利益を得たいを先んじる発想が強まると、素の感性が淀み無用な力みが生じる。固定概念の誤った用い方の例であって、感覚よりも感情に比重を取った相互協働性を持ち、解釈や変更を進める所に新たな活きた知が生まれる。

上述の感覚の強い法律家や政治家が秩序を主導するかの文化の形成には、押し付け感や閉塞感を強められ新規の知を創り上げるエネルギーを委縮させる。知の量に真価はなく、作り方や用い方、生みだす量に焦点を取った価値形成に計りの尺度を取って構図を描く共通感性へとエネルギーを高める発想が豊かな社会を創り上げる。

 

根源性の弱まり

 

悪意性の程度を計る理性的な論理形成という踏み込んだ思索を持ち、質の程度を吟味する視点から良質な真価を定める秩序が生まれる。一般類型化した犯罪規定を、個別事象に適用するに際しては、恐らく、事象の客観的な認識と事象を生みだす動機という構造で真価や真意が測定される。前者の側には、人による解釈に相違は少なく、動機に見る真の意図から行為の性格が見定められる。

 

杓子定規に犯罪規定を適用する単純な解釈を取る傾向が強まる事には、真価を計る想像性が弱まり窮屈で創造性に欠ける表面性が増し負のエネルギーの流れと現れ、対人面の許容幅を狭める事でしょう。原点となる人間像で示した通り、人間の正負の側面は多くの人が内蔵される基本的性格であり、ちょっとした判断の誤りからプラス性かマイナス性化の焦点の相違が生まれ、善悪や美醜という二項での示し方には及ばない複雑な性格を持つのが多くの事象の実態と示される。

 

単純模型化して、いずれか一方の判定を下したいという欲望が強まる傾向には、閉塞感や猜疑心の強い空間秩序を強められ、豊かな発想や良好な対人関係の疎外を作りだされる。

科学技術の促進やその利用から、感覚の単純性や機械性が強まるライフスタイルには、こうした傾向に及び実感作用の少変数化を齎せる。一部のマスコミ報道等を見ていると、商業的な煽りたてと見られる事も少なくない。悪玉や善玉と表し人の関心を高めて経済性を求める発想には、正に動機そのものへの不信性や人格への疑念が強まり、大きな犯罪的行為や性向と浮かび人道という面での歪みと映し出されます。

 

局所の事象で大きな価値評価を下す単純図式化や、知名度への妄想的な人格像を過剰に抱き、少しのズレで大きく騒ぎ立て極端な感情を見せる事には、中長期性の構えを外した歪な精神構造が実感される。日頃から本音を伏せた対人関係や、支配的願望の強い搾取的発想を常態させる感性等が対人関係を窮屈にする。倫理道徳となる価値観の形成度等から事象への定見が現れ、本質的な捉え方の差に現れて表層部分での反応を強められる。

 

こうした中にあっては、単純な犯罪と根深い悪性とを識別する実相の計り方が不可欠になり、規則性という面における慢性的感度や発想にみる思考や行為の色分けから、主体の性格を見定め、単一行為に分母を備えた構図化により習性や体質面を浮かび上がらせる観点によって真意や真価を精査する事が望まれる。負と正とが少なからず混在し合算で見る感覚や割合感での掴み方やマクロシステム上の不健全性や、長い時間のフレーム等から、対象と自己との客観性を含んだ重層性が現れ相互性を増した感性が形成される。

 

特定事象への評価を下す行為の重みを備えた感覚に健康な精神の所在が確認される。

人が人へ評価をする事の軽々しい作法が進む事には、機械的な単純尺度の強まりと浮かび、

平等思想の感覚を壊した物的原理の進行と映し出され、普遍性や根源性の弱まりには慎重な改善策を進める発想が現れます。時短感覚は感受性の貧困化に連なる因果を少なからず感じます。

基盤教育強化策としての文化論

平成26214

学校各位

起案者

哲学者 横山 俊一

 

基盤教育強化策としての文化論

 

基盤教育強化策としての文化論

学問領域を区分して体系づける方法も、どこか柱の弱さを感じ、その基での細分化がとられ強い観念と備わらずに小手先感を覚え、供給側の商業的差別化という面持ちにも見受けられます。本書の文化論における骨格がこの意味から有用な基軸を提供する事に思います。太い基軸観を与えられる土台的体系が備わって、専門分業化される領域への統合作用が生まれ明確性の高い意志と論理が形成される。何をしたいという動機が良く伝わり、方法にもその意図を反映したぶれの少ないものが生み出される。小手先感が強いものはどこか質感が薄く弱い発想や手法に陥り、幹の弱い枝葉で思考と行為が組まれる。これらは哲学的な思索の浅さにより、他人の論理の模倣性の強い机上的論理の整合に偏した思索による事に思われます。こうした問題認識と改善施策の観点から、根源的思索を経て形成された本書の根本性と全体表現力の強さや有用性が訴求され、総合基礎教育としての確固とした根本観念を提供し、太く強い基盤を備えた専門への発展に漕ぎ着けられる想定に及びます。情報学や福祉学、メディア学等という分業の前段に、当該体系をしっかりと備えられる事で、応用の効いた意義の高い専門分野が構築される。既成知識の的確な配置によって早期の吸収を実現し、且つ多彩で柔軟な発想が生まれる事に思います。優れた基盤を吸収する事が優れた枝葉の発生に及び人々を魅了する創造へと連なる事でしょう。このような観点から本書の内容を具体的な基礎教養科目として教育カリキュラムに導入する有用性が謳われます。

 

訴求の背景

少し標準と外れた表現をそのまま用いると大騒ぎするような文化体質に、寧ろ問題の根があり、表面は標準的で中身が陰湿な性格というのが不快性の高い事象と認識されます。「口は悪いが腹は綺麗だ」と言う事が職人の基礎的感性や秩序と形成され正直な姿をそのまま表に現し、衝突も盛んである分、姑息で陰湿な手法は用いない美感から自己を縛り喜怒哀楽の交わりを持ち良好な関係が形成される。現代的な歪みとはこのような衝突への免疫が弱まり、周りの顔色を伺い正しくはないがそっちに乗っかっておこうという意思の作れない体質に成り、実直的な自身の原理形成に向かえない感覚欲望過多の判断に流されここに病根が感じ取られます。頭脳と感覚は体験で整合のとれた有機性となり、アナログ面を欠いた生産の増加等から精神的な脆弱化を作り、物理性への過度な依存で対象との真摯な対峙を避けた陰湿な発想が深まり、信義誠実な振る舞いを避けて歪みを深め対立が深まる。それを更に物理性に依存した反応で抑え込もうとされる。多数等の物理性を判断の変数にとり真に価値ある創造へとエネルギーを投じない事が大事な判断を間違える根源的原因とみてとれ、この面に大きな警鐘が鳴らされます。この補正に率直な感情を交わす対人関係が強調され人間同士の真摯な建設的生身の原型を備える事に安堵感が浮かびこれを外す事に人間性の乖離と実感されます。何を考えているのか直接に表す態度が健康な姿であり喜怒哀楽の率直性に根源の土台を置き姑息な精神的歪んだ反応を生まない文化へ軌道を合わせ健全な感性を宿す道に正しいベクトルを感じます。

日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー (著 横山俊一) 目次案内

本書の全体構成

本書は取り纏め版(p12~p96)原書版(p97~p308)の2部構成で纏めらます。これは最も現在の感覚として近い考え方を取り纏め版で集約し導出過程として原書での思索体系が備わる関係で表わされます。原書体系は学校教育や観念入力というゼロベースからの思索順序を持ち哲学→文化論→自然社会科学→産業経済を想定した総合基礎教育という配置が取られます。

目次

取り

纏め版

P12-p96

三編

構成

一編はじめに

二編基本ストーリー

三編基本ストーリーの具象化へ

P10-

P11

原書版

p97-

p308

全体

構成

1.思想と行為、

2.根本理念、3.理念の展開

P99-

p100

四編

構成

Ⅰ日本文化原論概要編

Ⅱ哲学編Ⅲ文化論編Ⅳ学問編

p128-

p131

目次1(取り纏め版)

取り纏め版では、創造原理の考え方を土台にして、はじめに>基本ストーリー>基本ストーリーの具象化へという3階層の動態を作りました。一編はじめには、理念とビジョン、二編基本ストーリーはより詳細性と完結の動態、三編基本ストーリーの具象化へは、内外要素規定を中心に詳細化を示しました。

一編 はじめに                        

1.創造原理と現代的特性    

2専門や領域という概念3概念創造

4大きな時代観と道徳 5科学的道徳学の構築

6文化ビジョン7強い文化基盤と信頼性

8社会の公器.9健康な心身の形成

二編 基本ストーリー

一章現状的側面の認識に

1.2.問題の焦点と文化論3.アナログとでデジタル

4.説明能力とコスト5.幼稚な人格と浮かび

二章文化理念

6.健康概念の基礎7.健康な人間像8.文化基盤で理念を絞り

三章文化論と外側

9.文化ビジョン10.思想や理論11.創造観a,12.創造観b,

13.創造活動と文化論14.文化観念15.文化教育

16.時代の先導者17.創造と文化インフラ

四章文化論の内包

18.根源的認識作法19.日本文化原論

20.文化の思索21.人と人22.文化論の基本的構え

五章課題的展開に

23.専門性の真価24.理性水準の上昇25.文化フレーム26.自然感性27.強く太い確信的基盤、28.文化論の実際的効用と意図、で基本ストーリーをとり1~5で現状認識、7~22の内外ビジョンを表しその到達に23~28を設け活動的性格で構成しました。

三編 基本ストーリーの具象化へ 

第一章 現状要素

1感情面の劣化と予防

2観念化の功罪

第二章 文化理念

3.独立について

4.健康の根っこ

5.真摯な対峙

6大きなビジョンと明確な責任

第三章 理念の展開(ビジョン形成へ)

7文化事業へのシナリオ

8思想の実践作用

第四章 文化観念(内外要素の創造)

  9文化思想と活動 

10文化の思索領域

11文化と価値の3構成

12知的生産の健全基盤 

13文化基盤の重要性 

14文化水準

15文化の同一性

16真のアート

17.平成25年末日における文化論

18.文化人の規定 

19.文化論の総合性 

目次2

1.不変性の探究

2.全体図・目次

3.要旨

①静態的構造面 3項目 (表1)

②動態的周期面 3項目

③文化と他領域への反映 4項目

4.なぜ文化なのか?

1)文化理念

2)健康な心の持続性

3)創造的破壊

5.理念と工程の全体図

1)主体性の創造

2)全体集約力と心身作用

3)堂々とした文化

6.理念の展開

持続的主体創造

1)解説の意図

2)自主独立

3)自己生産規定

4)基軸的論理形成

5)観念設計

6)持続的活動

目次3

四偏構成

Ⅰ.日本文化原論概要編

Ⅱ.哲学編

Ⅲ.文化論編

Ⅳ.学問編(社会事象研究)

 

文庫版 311頁 文庫版 311頁 290,638文字程

知的生産の健全基盤

サービス経済化から、事象についての様々な見方を提供する知的創造というニーズが進展し、それに応じる提供者の類型も様々に現れる。この発言者の性格も、いくつかの観点から作用の相違が生まれ、観測の立場から評価の立場、事象を生み出す当事者という主体性の強まりに及ぶものまで、その線引きの明瞭化も容易なことではないのが、知的創造者の多彩な性格となって現れる。その識別に際してのいくつかの観点を提供する事も実態を浮かび上がらせる一つの思索になりえる。

直接事象と間接性の区分

・事象との距離感、

・受動性と能動性

 

第三者的と当事者的

・事象の当事者、

・解説者、批評家、専門家、コメンテーター、等々

 こうした事象の多くの意図は、人々から共感や支持を得られる論理構成力や、その信憑性を提供できる情報表現力に、資源が集まり、その表現の具体的実感への工程へと進行する。

これがいわば欲望と充足の関係に成り、需給構造や協働関係に及ぶ、因果を示す事に成る。つまり、説得力の及ぶ論理構成の一つが、文化観念と備わり、その土台から派生する二次三次の論理の構造が創り出され、主導的起案や快不快の増進や削減という働きに及ぶ。動態論理の不動性と、中期論理や短期プランの関係性が明らかになり、文化観念の付加価値の程度が計られる。 

論理とその実感性、論理発信主体への信憑性、これらの総合で信用力やブランド価値が形成され、次第に観念よりでのブランド価値が独り歩きして、名称のみでの信用から、選択や支持、親近感という無形性の価値が増大する。虚像的な作用を拡大させ、それが行き過ぎると、非合理性というマイナス性へと及び、健康な関係性を阻害する事から、適正な実感の取り方という焦点での制約が創られる。

信頼や期待感が高まる毎に、それに応じた実質的な厚みや深さが伴う事で、適正な名称と実態の関係が生まれ、何れかに偏すると不信から、求心力や支持基盤が壊れ、瞬く間に人心が離れて、価値を失う。一度失った価値を挽回させる事は容易ではなく、信用を欠損させた主体という心象は強く残り関心領域から外される。

これらの作用が自然律と回り、新陳代謝や浄化作用が働く事が、健康な動態や動脈となり、それを妨げる事柄に、停滞や成長への阻害性が特定され、それを取り除くことが賢明な施策に成り得る。物理性過多による弊害は、理性を弱め、健全な気流を停滞させる。このような認識の下で、力と責任の均衡を創り上げるのが、適切な反応になり、社会関係の根本則に成り得る事でしょう。

マイナス性の除去という余り関わりを持ちたくない側面成りますが、これを放置する事は健康な体質を蝕み、間接的連鎖によって次第に直接実感に届く事から、他人事では済まされず、その動力への対策へエネルギーを投じざるを得ない。適正基盤は、創り上げるものであり、能動的なエネルギー投下によって形成される。それに尽力した分のリターンは必然に回る事が自然律であり、その恩恵を受けながら、ただ乗りする悪性は淘汰の対象というのが、自然な意識の作用に成る事でしょう。

この曖昧性は、マイナス性の曖昧さであり、しっかり浮き彫りにして、美醜を判明した行為が望まれる。現代的な特性のひとつに、こうした見えづらい悪性が蔓延り、これを明瞭にさせる作用は、真っ当な人々の高い要望の一つに思われます。こうした事の積み重ねから、基盤という大きな欲望が達せられ、不快の予防に到達し、それらは自然に回るものではなく創り上げる対象と確認されるものでしょう。リスクを取らずに、リターンを得る等という醜さは放置する事無く除去するのが自然の理とおかれる。こうした認識や感度の健康な主体に力を集める事が必要になる。上記の論理はどちらかというと守りや基盤側の側面からの改善策となり、創造や攻めと同時に取り行うべき事柄になり、いずれも深く密接な相互関係を持つという認識に適正な感度が映りだされます。

こうした全体観を持ち、各種の改革や改善、政策を位置づけて、訴求し支持や共感を高めるのが理性的な表現作法になり、攻守を一つの動態上に並べてその因果の実感で説得力の向上に連なり顔の見える主体が創り出される。これらの発想に謙虚な姿勢や態度が現れる。誤魔化しは効かない世界に在る事を自覚させ、相応しい健全さに向上させるのが自然かと思います。

文化思想と活動

所属される集団の性格と個々人の性格には、一定の共通項が備わり、集団の体質が個人の体質に備わる。集団を広げて業界や、あるいは社会システムという見方における経済産業、政治行政という中にあっても一定の共通した性格が備わることでしょう。

おそらく丁寧な集計や分析を立てると、その性格から行為や思考のパターンが見てとれ、または、後者から前者が作られ、体質が固まる。

文化論では、健康な人間像というモデルを作り上げることに意識がそそがれ、個人や集団という要素はかけずに、素の性質に近い所での健康体を描写するものであり、自然や人への対峙の仕方、関係性の作り方、善や美の感覚という面での下限的な所を浮かび上がらせたものです。

この人間像から、かなり離れた感覚とは、積極的に関わることは基本的になく、一定の所与的感性の同質性として、最低限の快適性を保つモラルの水準が整って、それ以上の関わりを求めるのが、進行の過程になる。以上のようなスタンスが個人の立場からの見方や接し方と置かれる。

文化思想というより積極性をもった生産的文化活動の立場にあっては、このような思想を各所に進行させるという意図が強まり、発言や方法という踏み込んだ姿勢による行為が生まれる。それを積極的に望まれる人々のいかんを問わずに、文化の構築という向きでの流れが生まれ、最低限のモラルの形成を強めるエネルギーと現れます。

しかし、基本理念となる相互対話性ははずすことなく、直接的対立を真摯な態度として堅持する人々とは、関係が断絶されることはなくそこでの感情をぶつけられるものとなる。姑息な体質が染みついた直接性を嫌う人々には、まともな建設的感情が生まれず、時間の無駄であり、つまり、ここの体質面の異質性には、つながりに及ばない。

文化の根源に当たるスタンスを持たない性質は、発展性のない体質や過剰な利己性、一方向の異質性は、経済的拝金感覚が根強く、それも偏狭で固定的、閉鎖体質は、未来型の大きな欲望を作り上げる協働性に及ばない。動物型の単純変数で、その物理性を対人的良好性とかけ離れた支配的欲望過多の用い方で扱われる。

社会健全性の劣る体質には、力の保有を制限した秩序形成が悪性の拡大の予防策となり、人格と技術の均等的尺度を目安とした制度形成から基盤の健全性が作り出される。

今日、日本文化の根本性と異質に感じられる部分は、こうした物理性の用い方に見る変質さであり、この部分については、しっかりと少なくとも改善を望まれる潜在的顕在的な人々の欲望に推察が及び、これへの積極的改革の方策が社会ニーズと思われます。

過去の良好な歴史から形成された部分は、いかなる時代にも基盤に備わり、人々の不変的意思として固め、それに倣った規則性の2次3次的事象の創造を一定の制約下での活動と置かれるように、働きかける本能的感性がうまれるものと思います。

根本則と個別事象の適用、阻害性と伸張性という動態に配して、施策を投じる事へと建設的なエネルギー当てて、未来へも好き部分を繋げる義務が生まれる。活動といった場合の一歩踏み込んだ姿勢に、心の謙虚さが適用され、見て見ぬ振りなどという事では、ただの恥知らずになり、謙虚な態度とは大凡異なる利己主義者と感じられます。

その為の発言や施策を辞める事無く実施するのが、謙虚な姿勢と態度であり、根本的価値を守り増やす事と規定される。この意味での公性を体質に含むのが自然であり、過度の自己生産的利益ばかりに傾く体質には少々不快を覚えます。

一部の変質的感覚を野放しにせず、大きな価値基盤を一人一人に守るや伸ばすという意識が備わって、これらの事が実現する事でしょう。そして、未来へもその価値が引き継がれる。おかしな精神的異質性と行為に対して、良好な動機の弱い力の乱用をさせない個々の小さな施策の集まりから、強固な基盤が維持される。根本価値を守る事へと活動に表すのが、自然や人への謙虚な態度と思います。