原理創造型世界観

正常な精神構造は、良いと思う物事を作ったり行ったりする事であり、それに共感して同一歩調が現れ量的な集団と浮かび上がり、そこでの基本的な軸と更に良好な型式の創造で刺激が生まれ切磋琢磨へ及ぶ事が自然な感性の触れ合いになり、原理創造型の秩序に在って違和感の少ない気流が進む。ここに経済性の観点が加わり他者からの評価を受け自己の感性に少なからず他者の感性を加えて期待と提供の構造を持ち、対価を経て再生産の持続性に及び、技術と社会性の調和を見出し生産活動を通して人間となる。

管理欲望自体に執着して創造せず人の活動の成果の一部を貰う意識へ集中するのが資本家の感性に見受けられ、この論理が進む程に歪な精神性が増進し平等感覚を喪失した人間性が深まって違和感の強い発想や行為に及び、社会性の特質と浮かび上がる。物性依存型の進行と表され直接作る事への楽しさを持たずに上がる収益のみに関心が投じられる。作るものへの拘りは弱く金銭へ偏した志向と至って対人的な感受性が弱まり歪な性質と感じられる。

この感性が進むほどに健全な軌道と離れた社会性が強まると見るのが適当なのでしょう。管理欲望への過度な執着が一方向の強要に至り人の物性化に及んで感覚面の進行と情緒面の喪失した人間性が作られて、生産自体からの喜びを持たないストック型へ偏り精神的な健全性を喪失し物理依存の対人支配願望を強められる。

こうした焦点で根源的な人間性の質感が掴みだされ、極端に偏らぬよう自制力が備えられて一定の健全性が整えられる。このビジョンから見てあまりにも乖離した感覚に不快感を抱き修正圧力が生まれて自然な本能が示される。この作用を失わない所に正常さの実感が生まれます。人間形成過程から予防の発想を持ち経路が想定され一定の型枠内に収める事が歴史の教訓となり人間の再生産がとられる。この観点が社会の基軸であり根源的な価値が創り上げられる。感覚的な事象から抽象化されて観念と感覚の適用で制御される。

歴史の学びを反映して未来への方向感を含めて「原理創造型の世界観」とビジョンが表されます。この軌道を本筋に取って持続的安定と成長への力が増進し健全な人間性の上に各種事象が生み出される。これが未来永劫的な価値を堅持した歩み方の道筋に思えます。人間に備わる根源的な本能にありのままの正直な発想でビジョンを描き、そこからの違和感に修正がつけられ自然な感性を失わない良好な性質が守られる。

こうして見ると現代の状態は大分離れた軌道に映し出され、どこか気が振れた世界観を備えて進行しているかに感じられ「正気を戻せ」と言うべき所にまで行っているかの感覚を少なからず受けます。これらを含んで力を持たせるべき主体の選定に及ぶのが適当に思われます。自覚症状がないのが異常者であり、こうした図式から幾らか感覚が生まれるかもしれません。大げさな表現でもないような気もします。

生産改革の筋道

何かに熱中すると、見る事から作る事へ及び、更にその楽しさを広げることへ及ぶ。これが経済生活の筋道で在り物事自体への関心を中心に人との関係を作り技術と市場の規則性が得られ、生産者の骨格が備わり妙な欲望を刺激する誘惑等を峻別して良質な建設型の感性を創り上げる。無形財のアウトプットは感覚面の検証が弱いと効用が曖昧となって付加価値の測定が不明瞭と成り人からの感謝の意を掴めずに生産側の意義を抱けず、あれもこれもとつまみ食いする根から離れた感性に及んで人格の安定しない発想や振る舞いに及び犯罪感覚も見失う。ここからの影響が負の拡散となって正への停滞を齎せる。この性格を持つ領域への縛りや管理が適度に要り負の増大を予防するのがサービス経済化における健全性の要所となって、頭と体の分断や広がりを留め良好な感性を維持させ犯罪の減少と生産向上のポイントに浮かびます。浮かび上がりづらい悪性を明瞭化させ、事件と表面化するまでの因果の根を抑えた取り組みが適当に思われます。

頭脳寄りの作業は感覚的質感の検証が弱まり効用の実感を抱きづらい周期性を持ち、二次情報等へと偏して一次的な付加価値の提供が弱まりバランスの崩れた感性が備わる。有用な知識の提供に及ばず目的と手段の構造を持たずに量ばかりの断片性や一次感覚の弱さとなり、需給の曖昧さと成って歪な感覚を強められる。健全市場に至らず供給保護の人口的な制度の構築へ熱が及んで一方向の対話に偏り非社会的な存在を作りだす。生産の付加価値を過剰に見積もって検証の弱いまま歪な感性を抱いて客観的な自己評価を生まない事が外界への過剰要求と現れ浅く広い知の産出で対象を管理して搾取する型式が生まれる。こうした構造の固定化のような体制を抜本的に見直す施策が求められフラットな平準感覚の備わる適正な評価が進行して質実の取れた体質と感受性が備えられる。縦の重層構造はなるべく圧縮させ中間の無駄を削減し、意思決定や対話の歪みが予防され、原理創造型から離れた管理発想が縮小する。IT化の効用はこの面にある一方で短縮化からの感度の短絡化という弊害が生まれ身体的交わりを弱めた感受性の貧困化への恐れが浮かびます。

各種改革はこのような視点を中心に備えて行われて健康な人間性への改善を目標に取り、小手先に寄らない焦点の把握と的確な改善が生まれる。管理的作業の本来的な在り方を浮かべ外界への過度な要求に至らない相互的な権利義務関係の適正を生み一面への圧力を進める変化とは異質の人間改革が生まれ健全な感受性をベースに物性よりの感度の修正が取られる。これが広い意味の生産改革であり生産者の客観的な付加価値の測定に及んで等しい対価の算定が進み欲望と力と責任に過不足の少ない状態が生まれ健康な調和感覚を抱ける人格が生まれる。こうした根源概念の強化によって規則性に反映され定期観測と改善の周期をもって倫理道徳の質実化を意図するのが本書の文化政策と描かれます。他利を提供して客観的な評価に及び健全なエネルギーへの健全なリターンが生まれて調和の軌道が向上する。ずる賢い体質には不快感を抱き真っ当な活動に真っ当な光を充てる文化にこそ持続的成長と繁栄の動力が生まれる。ここを外さない事が急所であり緊張と緩和の適正循環の持続性に連なる。程度の悪いものを担ぐような事なく、内外の一致を変わらない行動原理に備えて、真に良好な文化が引き継がれる。

改革の焦点2

直接的な利害の弱い立場で、標準的な尺度と考える一様的な論理を示す事の困難さや、滑稽さの認識が弱いと、恥を晒すような表現と映し出される。良く良く考えられた根源的な面がないと、諸条件の浅い前提を下にした基軸の脆弱な感性を示す事に成り、心の乱れた状態や未熟さを表しお粗末に映るといった心象にも、どこか違和感というか、偏狭さとなり減点型の発想が染み込んだ態度と及ぶ。良い所をなるべく見ようという構えがあって、対象への親近感を抱ける感性が心地よい状態を持つ余裕をもった交流となり、加点型の割合が弱いと対立性の構造と現れる。

対立から建設的向上へ及ばせるには、当事者性の立場での損得関係に在って、真に有効な付加価値の創造へと力が注がれ、生存の危機を想定した立場による真剣な創造性に至り、片足だけ突っ込んでいつでも逃げられるスタンスからは真に効用を生みだす表現が生まれない。利害の同一軌道という図式が共有されて、これを基準にした産物が客観尺度による評価と成り力の注がれ方に一定の規律が生まれる。同一軌道への強固な実感をどれだけ作り出せるかによって、真の利益に連なるビジョンへ向けた発想と表現が増強される。これを作る事は容易ではなく幾人による協働によって、実感へと到達する内実が創り出され、この協働を生む事の出来る下に成る大枠ビジョンが初動となりカギを握る。

この面が基礎教育や総合教育の質を表し、万人的な納得感の高い図式と及ぶほどに区分けされた領域の作り方への規律となり、広く深い知の有機性が高まり加点型の発想を基調とした創造性に及ぶ。マイナス面への指摘も適度に在って然るべきなものの、基本的には一定の自律した主体性に在ってプラスの議論を交わす相手となり、他者からマイナスを指摘され直すような性格とは前進性の創造が強まらない。テーブルに乗せる状態を欠いた者という厳格な判定が取られても不思議はなく、基盤面の脆弱さは健全性を阻害する大本の原因と特定される。テクニカルな感度が進行して基盤が痩せ細り、空回りの主体性に及んでいると映る事象も少なくなく、こうした意味からも生産倫理等における長期的な性質のズレは停滞やマイナス軌道を作り短期的な成果を上げても中長期には誤った選択となり重要管理点の一つと浮かび上がる。

今日的には、セクハラなどというニュースが度々取り上げられ、瞬間的な態度における感性への敏感な反応が強まり問題と映し出される。これも長期性の良質なビジョンへの共有が強まる程に些細な視点には及ばず建設的なエネルギーへの焦点が集中し、事柄の重みづけの適正感が現れる。よほど、暇か、環境に恵まれた整備状態に在り、生存への糧を得るエネルギーの脆弱さが許される温室環境のつまらぬ騒動が生まれ、付加価値を作る事への意識の弱さが枝葉への感度に及んでそれを取り上げる観測者の感度やビジョンの弱さにも問題の指摘が取られる。肥満者同士の戯言といった評価を持つ人々も少なくないかに感じます。

環境を率いるトップの在り方が多分に影響し、ビジョンの示し方や実践の状態が事の重みに反映される。肥満なトップが備わる空間は不幸であり、適当な人選を取れる見識や良い意見を誰もが表し適正に評価できる環境の整備へと重心が取られて健全性が増進し底のしっかりした良質性に及ぶ。テクニカルな面ばかりでなく、実質的な倫理道徳が体内的に備えられる基礎教養の充実への投資が重要な作用を生む。体を動かしながら感受性を経て骨と備わるのが実態と映ります。こうした図面に向けて、個別事象への強弱をつくる長期性の視野を整えて個別事象への意味合いが付けられ、大きな枠組みの中で適正な評価感覚が現れる。局所のみを取って映すと質の劣った事象と捉えられ、どこに向かう為の通過点かの動線が見えて適正な事象の認識が取られる。

根源原理の意義

どんな欲望を抱きそれに資する方法かという構造が、多くの創造事物を創り上げる骨格となり、この基本フレームの上に多種多彩な感性による構成が取られる。その感性について同質感が生まれるか、異なるかという対話が生まれる。つまり、正解という一つの答えがあるというよりも、千差万別の感性との調和といった捉え方に、無限性を出発点にする対話や関係の作り方が現れる。

創造力の劣りとは、この図式から離れた固定概念の強要や押しつけという感覚が強まり、原理創造性のエネルギーの萎んだ状態であり、管理的な志向性に偏って自己に有利な型枠を起点に優劣を付ける感性という性格に在る。活動の規則性から積み上げられ集約される変容しづらい固定概念が作られると共に、上述のような無限性の概念を萎ませると創造力が低下して、いつの間にか強要性や型どおりの枠組みへの快適性に終始して異なる感性への学びを避ける守り型の発想が強まる。

探究心やフラットな感性を喪失して謙虚さから新たな発見を見出す感性が萎んで管理型の志向性が強まり、建設的なエネルギーの向きに行かない排他的な発想が強まる。変化への欲望と維持への欲望に大別され、固定性の高い欲望と変化に富んだ欲望という需給構造の特性がこれらの割合や感性の傾向と及んで外交的な発想と内向きの体質に分かれ創造力の差に現れる。人への利益を常に追いかける発想と自己の利益を守る発想の違いとも言い換えられ、通常は前者のスタンスに多くの生産者の感性が現れる。他利を提供して自利を得るという自由選択性の程度から、これらの比重も変わって固定概念と新設概念を生む割合や重心の違いが作られる。

過去の歴史認識と未来志向性との割合とも映し出され目の行く焦点に異なりが生まれる。そして、これらの基準に欲望と力と責任という尺度が置かれて、長期性の健康像を基準に欲望の在り方からの思索を経て、それへの評価を取り有効な力を得て実現する責任意識の状態に見る適正という評価が加えられる。欲望自体の健全性と方法に見る健全性、これらの偏りの程度から性格の健全性という評定が生まれて、全人格的な健全性への視点に及び、過度な偏りから物性的な感性が強まり平等感覚を欠いた言動が生み出され外界への不快感を与えられる。それへの批判が自然と現れ期待感を失うと別を選べる環境が在って健全な感性の自浄作用が回る。

これを阻害する要素をなるべく取り除く事が無限性や謙虚な探究心や持続的な成長に取って不可欠であり、この観念をベースに各種制約の正当性を問い正す発想が相応しい。そして自主内発的な望ましい制約が根源的な側面からの健康像に成って、それを起点に、なぜ、自由に対して制約できるのかと問いただして歪な固定概念を排する事が適正になる。管理的志向性からの固定化は他利への発想を弱めて自利への執着となり、あまりにこれに寄った感性は非社会的な体質を増進させ、空間の躍動感を萎ませ多彩な感性への許容性を縮小させ、需要が萎んで供給も先細りパイの委縮と及んで豊かさの低下に向かう。

よって、在るべき軌道は無限性に近い感性をもって創造型の秩序に標準が定まりこの概念が強調される。これは根源の良好な感受性を不動にして導出されるビジョンとなり健全性を根に論理を組む構造と描かれる。悪気なく良いと思って縛る向きへと強まる事に対してこの開放性への発想が喪失するとバランスを欠いた答えの画一性を望まれる。良好な根っこのビジョンがこれを回避すると思われます。

ねこばばとみるか、勇み足とみるか、潜在欲求の先取りとみるか、微妙な相違があり、実感の多様性が認められる。

根源原理

全体ビジョンという言わば変容しづらい人間世界の大局観をフレームに、持続的な安定と成長を意図するという大方針が描かれ、持続性には健全性が欠かせず平等思想が配される。この観念を下に現況と相関を掴み阻害要因と伸張要因と大別され、阻害は削減、伸張は増進という中方針に展開される。

平等思想は、一定の制約下における自由活動を指し、制約は個別性と共通性が取られ、共通的な制約の対人上の各種規制が明示化される。この下限的な理性の備わらない人格は、理念と反する阻害因子で在り、平準点を満たさない対象として、まともな対話には及ばない。これが、全体像と平等思想と阻害要因の関係を示し、道を外したものへの必然的な社会律と現れる。対話が成り立たない阻害因子は、一定の更生期間を課して正常な相手と見做される。このような根源指標に対する正負の事象が特定され、快不快感を抱き適当な方法を講じるサイクルを作り、理念へ向けた軌道が各所で生み出される。

文化活動は、特に健全性の概念に重心を取り、人間の長期的な性質と備えられるべき要素を抽出し、その体系化への試みが生まれ実践されます。短期的に伸張要因と見られても、中長期では、根源価値を破壊するといった因果に及ぶ事象が少なくないのが実情で在り、局所に偏した歪性を全体図面から客観的に捉え、健全な判断を導出する事が加えられる。このような構えに在って確かな軌道が増進され、気の振れた性質に制御が取られ、適正な人格が表面化して良質なエネルギーの乗数的な連鎖を齎せる。万人的な共通価値への可能性を高めるであろう抽象観念体系となり、大きな共通ビジョンの下に各自の行為や性格が計りだされて、自省の尺度と作用して人間の健全な成長が遂げられる。

こうした意味から、絶対性の原理という性格を少なからず備え普遍的な価値となり、これをベースに二次三次の因果を作るという基準と応用の関係で示される。土台にしっかりした観念が作りあげられて、自由度の広がる生産や協働が齎される。盤石な安定基盤を持つ活発な躍動への世界が現れ、人々の幸福感情を最良化させる図式と描き出されます。健全な自由を獲得するには必須の体系であり、変動しづらい根源原理と考えます。

飛行機という人間の身体能力の限界を大きく超える技術が開発された。この大きな力を持続的に獲得するには、比例して厳しい生産や管理体制を必須とする。プラス的な要素が大きくなるほどに、裏打ちされたマイナスへの厳格性が備わって成し遂げられる創造に在り、大きな欲望を求めるほどに責任が課せられて、健全な発展が保たれる。欲望と力と責任の均衡が健全性の標準尺度となり、これらの3つの変数を操作して均衡に及ぶ状態に健康な心身が映し出される。いついかなる時も、変わらない感性に思います。客観認識の弱い性質や人に迷惑を与える程度の劣った人間を健全に峻別し、適当な対応を取る事が共生感情に含まれる。

責任感覚の実相

「何かを期待して任せ、出来なかった」という事象が生まれる。この事から出来なかった場合の損失を含んで契約を取りつける発想に及ぶ。これが現代の商慣行の一つに伺えます。この感覚を標準にすると、ここから離れた感覚に違和感や非常識という評価が下され、感度の違いによる円滑な対話に至らず、反復的、且つ詳細な事柄の協働関係に及ばない。民間の自由選択制を基調とする対話の在り方となり、所謂、自己責任論の主要な点と浮かびます。

「出来なかった」という局所事象が、更に「出来ない」という連鎖性を生み、謝罪と損失のスパイラルが生み出され、取り決め通りに負への対処を必須と行わざるを得ない循環に及ぶ。そして、何が原因であったのか、主因を突き止め公表し出来なかった事への妥当性の評価が加えられる。誰もが出来るような事をさぼりや怠慢から発生させたか、有る程度致し方ないという要因が浮かぶ事かという次元の分析が加えられ、因果の認識を学び、知恵となって次後に生かしてマイナスをプラスに転化する発想を取り、損失を最小に留める取り組みが生まれる。失敗に対する健全な感受性が現れ闇に真摯に対峙して光への反応を生む基本の動作と映し出される。

この面に人間の根源的な性格が現れ構造的な集団や領域の性格が個人の質感に及び局所の対応に反映される。そして領域へ対する評価をより広い集団の感性から測定して適正な感受性への修正圧力が加えられ損失の想定や損失後の対応、損失を生まない予防策の向上といった構造の仕組みが更新されて歪な感性が修復される。そこから一定の負担意識と共に期待感を示す発言や要望が現れ取引という段階の水準が整う。

この過程がなければ一向に感受性の見直しは成されず同じ過ちを繰り返し、あきらめて他を選択するのが自由選択の基本原理になる。こうした中で選択がごく限られる寡占的構造に在っては、この判断や選択が出来ず改善への作為を投じる以外に損失を防ぐ方法はなく、利害の密接な問題へは関心やエネルギーが高まり要望を強めるか自身が主導的な配置に回るかの道が取られる。辞めて責任をとるという感性は一般のものではなく、損失を少なくとも補い失敗への最少化を果たして、「すいません」という態度が示され健全な人間と見做される。

このような生産倫理面が有る程度揃って領域の常識が備わり、暗黙的・明示的に履行されて安定した秩序の実現に及び構造の変革が個人の性質を作りそして大きな領域の性質に浸透し文化の特質と知覚される。文化水準の下落事象を特定し、足を引っ張る原因を分析し改良への道を示し「出来なかった」場合を想定してそれへの対処を取る節目を設けて実践への姿勢や態度の質実が測定される。どれだけ本気で在るのかはこのような面から浮かび上がり損失を自らの血で補う事が約束され執行する文化に高い創造性への意識が確認される。こうした末に出来る範囲への客観的な認識が強まり約束内容へと反映され質実の取れた欲望と力と責任が均衡して大きな損失を与えない制御感覚が生まれる。感覚的積み重ねから確かな実力を実感しシステムが整えられ外界への違和感の少ない調和が作られる。

言論や表現の自由という権利面の要望に対してこの責任面との思索が薄いとどこか正常さを失った姿とも伺え両面の適正を探す所に健全な文化感覚が現れ健康な主体性の実感に及ぶ。消費者の立場と生産者とであまりに極端な態度の違いに至っても健全性を欠き両面を含んだ妥当な感性を作る所に自由と健全を統合した長期的に健康な生活者としての質が浮かびます。

中心概念

「すいません。」と口癖にように用いるのが日本人の性質に見受けられ、実直な反応を見せる良質性の一方で、責任意識の希薄な人間と映し出される。「すいません。反省します。」と述べられ中身への思索と実践と記録を見せるという誓いがあって最低下限の態度が表され、その場凌ぎの堕落では話にならず子供として見下ろす態度が妥当に成り深化発展には到底及ばない。海外で「アイムソリ―」という用語を多用され素直な人格と受け取られるか、中身の弱さの不信が強まるか、両面から事柄や自他を計り感受性の質実が実感され誤った心象を与えない心持が必須とされる。

感覚と頭脳で区分される生産の規則性から感度の相違が広がり、ミクロ的作業とマクロ的操作の皮膚感が広がり対話の温度差に現れ不快が生じて感受性の乖離に及び不信が強まる流れが不調和の筋道で在り、生産の立場を固定化する弊害と現れる。良く用いる言葉が規則性から集中し、しかし温度や感度という面での割合感が作られ同じ言葉でも性質によって解釈が広がる。どんな文脈で用語を配置するかで用語の生きた実質が生まれここに行為の性格が現れる。言葉と行為の明瞭な区分を取る安直性とも言い換えられ、これらの根に感受性の質が取られて表面の形式と表される。

大きな過ちはまずはどけ座して額を地面に擦りつける態度に反省の姿が映り、そして損害を速やかに支払いマイナスが補填され修復の軌道が生まれる。これを逃げて言い訳のような自己肯定を表すほどに亀裂が深まり金銭では補えない憎しみに及び、生命を奪うような感情へと進行する。これが100対0の被害と加害の基本構造と浮かびます。実際にはこの構造は稀であり相互的な権利義務と過失の程度から応じた態度を探し調和に漕ぎ着けるケースになり、そしてこの割合感覚に生産の規則性からの感度差が生まれ折り合いが付けられず訴訟に発展し第三者による客観性を示して妥当性が図られる。

これにかけるコストを勘案すると、感度を予防する規則性へ焦点が向かい、管理的作業と感覚作業の両面を経る工程から適当な体質が形成される。そうして表される観念体系に質実の良く取れた感受性からの表現が生まれスッーと入り込む納得感の上がる言葉や文脈が作られる。プロとしての健全な心身はこれらの観点が欠かせない基盤面の同質化に上がり文化への探究が人間作りの基礎と備えられ、これの弱い専門性や技術には片手落ちの創造が生まれる。

所得格差等の事象には二次三次の副作用が現れ長い視点を取ると負の事象が想定されそれを見越した事前型の発想や行為に知恵のある人間像が示される。短絡的感度の進行による浮足立った感性は正常さを喪失した脇道へのズレと成り、物事の中心には健全な感受性を表す原理原則が配されて長期に渡る安定と繁栄の軌道が生まれる。大都会、大都市、大会社、大規模、大国等々の物理的尺度に寄った思考の規則性はビジョンという向かうべき未来像にはなく人間の良質な感性を構図の中心に取って適正な世界観が描かれる。理想図、現況図、方法図で動態的な実相を掴み理想図には普遍の真理を表して人間への道となる。中央集権という概念にも真価を見据えた感性の更新が良質な創造の第一歩と浮かび上がります。どこか、地から離れたスター気取りの匂いが漂います。

1)根源原理と専門性

何を創り上げるにもそこには世界があり、本書では有機体という性格を描き設計して親近感を創り対象との同質性を図りだす方式から調和に及ばせる作法を採用します。

有形無形の事物にエネルギー吸収器官とエネルギー変換器官とエネルギーの放出器官といった3作用を設けて生き物の質感を取ることで受け手に良く通じる表現が生まれる。それが因果の実感となり刺激と反応の構図に及んで一つの仮説が設けられ、実際の受け手からの反応を検証して需給構造が作られる。構造主義やシステム論のベース観念となり、断片的な事柄の静態的認識に有機的な動態性を与えて因果を作る作法と及ぶ。

事象を観念化する場合と、観念から事象を作る場合を想定して、両面を行ったり来たりしながら、ピタリと合うような感覚と頭脳の一致に及ばせて、主体と対象との調和性が高まり認識の程度が強まって対象を自由に動かすまでの制御性が生み出される。認識や制御の度合いは、こうして測定されそれが知恵と成り価値となる。習熟度や熟練の度合いの計り方と示される。

「何について、どうなっているか」、「どこをどうすると、どうなるか」の確かな見識が表され、特定領域における専門性の程度が評価される。これが原初的な評価の型式で在り能力を測定する根源観念となり人間力を向上させる道筋と描かれる。ゼロベースから各種の能力基準を算定する為の基軸論理として精度の高い実態を掴む事に成る。総合教育においてこのような根源観念を備えられ特定領域の探究を深め社会に求められる人材を意図して生存への道が生まれる。

似非専門家という類を見分けるに、こうした尺度から確かな測定と真価が付けられる。妙な肩書に惑わされる事無く根源の焦点を持って質実を捉える事が健全な感性を表し、逆に自己を客観的に測定するのにも、こうした原理と検証で適正な認識が生まれる。これらの形成過程が事項の「活動と内容」であり対象を絞る観点に「人間の長期的な規則性」が取られ、ある状態と有るべき状態と、有るべき状態への方法についての見解を示すのが本書の内容に成ります。三流は一流を測定できず、一流は三流を容易に見分ける。

健全化の体系

健全化の体系

表に出せないような事を裏で行う感覚が、どこか後ろめたさを含んだ感性を表し、物性に偏して理性を欠いた要望等を取る表裏の分離した振る舞いと現れる。人に見られて困るような事という認識を持ちながら、なるべく公に見られないように、理不尽と解りながら欲望を充足しようという感覚が物理依存の人間の弱さと現れ、更に基準自体の構成を歪なものと創り上げ、実態的な公平公正な尺度に寄らない力で強要する自制能力の劣った人格と技術の乖離を見せられる。これに陥らない予めの健全な思想や理念を内外に示しダブルスタンダードによらない内外の一致へ向かう所に健康な感受性と論理を組む人間の姿が生まれる。盗み、詐欺、傷害といった代表的な下限の不快事象は、絶対性の高い行為と揃い、そして積極的な創造策において技術と市場を絞り協働作業と職掌を整え、定時の業務とイレギュラーな業務とを臨機応変に相互補完する柔軟さを持ち、中長期の視野を含んで共生が図られる。下限を超える行為は一切認めず、緊張を持続する最低ラインの強固な意識が備わり、積極面での定時と変形時の構えを持ち自立と協調のバランスある社会が形成され、なるべく変形に及ばない基準の適時更新と可視化により標準と運用の整合を高める働きから裏表の少ない健康な気流の増進へと連ねられる。表に出されて困るような部分をなるべく少なくする所に、歪な精神が溜まらずに停滞感覚に陥らない気持ちの良い正常さが確保され、物理性と理性の適正な調和が生まれる。過敏でも鈍感でもない平準性を目安に前進軌道の熱が投じられ後進的な発想や行為に逸れない感覚が常態する。

大凡、このようなビジョンを抱かれるのが、標準的な社会像にも思われます。ここから見て異質な感性を浮かび上がらせ、裏表の激しい対象の特定と周知によって乖離を是正する流れが強まり、正常化と適性に相応する配置を換えて健全化軌道が促進される。特異な行為に一度踏み込むと抜けられず、いつの間にか規則性に及び体質となって性格が作られる。中長期の規則性が出来ると改善は容易でなく、明瞭な健全ビジョンの提示と共有に漕ぎ着け、基準の刷新と適用を加速する方法が導入される。

過剰な欲望と力に対する役割の不足は他者へも自己へも負の影響を与え、適正感覚に戻して健全な人格と独立した主体が生まれこの定期測定が健康の持続に欠かせず文化的慣習を内蔵した社会システムにあって安定と繁栄の程良い循環が生み出される。こうした趣旨から各種領域の標準尺度が探究され適用と更新の持続性に及ぶシステムが作り込まれる。実践度の上がる二次三次のビジョンを設け自己基準と第三者の基準とを戦わせ向上させる仕組みにより健康が維持される。内外の一致、言行の一致、感覚と観念の一致、頭脳と身体の一致、権限と責任の一致等々の原則が掲げられ、適正な調和への理念と向け平和への道と描かれる。肥満からのさぼりや怠慢に及び軌道と逸れた事象が生まれ下限則を超えられる。これへの適正反応を弱めない感覚が人間のインフラを指し、これを目安に判断を取りそれ以外には寛容さや温和性を基調に内外を整える意識と実践にあって良好な活動が生まれる。生産事物が曖昧な領域ほど健全化の体系が求められ負のスパイラルに陥らない予防策が望まれる。正面に対峙しない文化や風土は陰湿な性格を深め、これを基軸に備えるとその感性で空間が支配され、健康な衝突を避けるひ弱な社会システムと下落する。こうした焦点を鑑みて人間形成の第一要件への思索が進み、適正調和への要件が生み出される。

二重人格の歪性

二重人格の歪性

馬鹿丁寧な振る舞いで上品を気取り、やる事がえげつないという方が、性質的には悪性であり、どこか逆の感性に嵌まっているかの事象も少なくない。表面と実態とを良く整合させて質実を掴むのが健全な感性であり、言葉への過敏反応は健康体から離れた異質性とも浮かび上がる。

今日的な頭脳寄りの体質に浮かぶ利己的な振る舞いは、表面が当たり障りなく、裏でこそこそ言葉と異なる働きを見せる事であり、言葉が多少荒くても実直な態度を表すのが健康で在って、妙に表向きばかりで安直な評価に及ぶ所が、感受性の劣った姿と映ります。

これが、形式上の窮屈な世界を生んで、内実の萎んだ人間像と表され、世渡り上手の小手先的な発想に及び、平気な裏で盗みや工作を用いる歪な二重人格を作りだす。道具に依存した物性感覚の進行は、アナログ面をやせ細らせ、衝突への免疫が劣りちょっとした事で過敏なヒステリーを見せられる。教育プログラムの偏りが、生身の対話を窮屈にさせて、精神的な弱さが、実直な対話に向かわずに、細部に偏した基軸の弱い人格を創り上げる。

この向きへ行き過ぎのような感じに映り、それが表面ばかりの美感によって、実態は人種差別のような行為を平気で取られる精神と感覚の分離した姿と及び、精神的な健康さを欠いた神経質な体質を深められる。教育や社会秩序の是正するべき根本の焦点であり、文化論の中心的な関心と浮かびます。