1)創造性の総論

1)創造性の総論

1)創造の根源を見る型式は、人の主要な構成要素である「感覚と頭脳と感受性」という観点とその動き方に在り、これを土台にあらゆる社会現象が映し出される。そして、「原論と行為」という二次観点で抽象され、言葉の中身と表現と実践で、人と人との関係が浮かび、言葉自体と表現方法と、実感する場面の規定を持って対話の適正を掴む事に成る。

2)言葉や表現、実践の前提に根本的な価値観が備わり、共生と自立、協働と自立、制約と自由、安定と成長、維持と変化、静と動、滅と生という、人と人の関係性に見る適正な在り方という理念と構造が示される。

3)局所の事象に、衣食住、規律の形成、言葉や歴史、科学や教育という場面が生まれる。

つまり3)という感覚的な実感場面と2)という人と人の関係に見る適正という構造上の側面と、1)という人間の基本的な動作といった3層の主要観点を持ち人間の活動を浮かべ、その適正を作る思索が根源の欲望と充足と表されます。このような原型図を下に各種の部分的切り口を設けて総論と各論を構成し共通的概念を持ちよりよい生活を導出する研究領域と纏められます。いわば人間生活の根っこや背骨に相当する基本的価値や欲望と言い換えられ、この面の統一からプラス性の感受性を基調としたエネルギーが循環し、前進的な建設性の持続的活動が創り上げられる。こうした静態的な論理体系をビジョンと備え、過去の経過で作られた正負の心象と現況に在る課題を超える向かうべき方角と作用して好循環を強める羅針盤と描かれます。

動機や欲望というエネルギーの根本と充足する基幹の筋道と、適正な枠組みという全体想定となる3つの構図と連なりで、社会現象を中心にした観念体系を示し、根源図、基幹図、全体図と種分けして対象を描き出す方法を基本原理として採用します。欲望というインプットと充足する変換過程と実感するビジョンというアウトプットといったシステム概念でも捉えられ、更に3つを統合して全体という概念を適用して活動の総体が示されます。こうした頭脳的区分に対してより実際的な捉え方としては、3つの各工程が欲望と充足を指し、実際の動態に近い感覚が表されます。つまり、感覚を頭脳的に整理して人々との良好性を意図した理性的な構図に明示して異同の確認や調整を取って協働的な感覚を掴みだす過程となり、確かな実感を創り上げる作法と思われます。やってみて想定した実感の検証が生まれて観念に反映され、更に実施して感覚の検証とフィードバックの循環で実感の整合が向上する創造活動が想定されます。

対象範囲となる一区切りの観念体系が大きくなるほど感覚の実感は遠のく構造にあり一区切りをどの程度とするかの点が意識されて制御性の高まる活動が生まれる。短期や中長期という概念を設けて事柄の性質に合う一周期が想定されてメリハリ感が付き緊張の持続と緩和の取り方の良好性が生まれる。この周期性や示し方の善し悪しが規律や秩序の実態に反映しこれがだらしないと悪性に堕落して、そこが社会的に影響力の強い領域であるほどに、その感度が連鎖して盗みや詐欺を慢性化した皮膚感が生み出される。

12)教育、生産の刷新

問題の性質にもいくつかのパターンが生まれ、機械的な合理性という限定的な事と情緒性に届く解答の示し方と、これらの混合で大別される。前者は目的を導出するというよりも方法的な算式の解答になり、後者は目的の取り方という創造的な世界の表現であり、無限性の強い感受性の現れ方という広い解釈の上で作られるアウトプットと見られる。総合問題としては後者から前者に及び、この図式の全体で受け手からの心象が作られ創造の評価に及ぶ。目的の取り方や問題の抽出方法に感受性が現れその異同感覚が評価の大半を占めると言ってもよいように思われます。この良質性が発見や創造力という感じ方の問題であり、それを受けて機械的合理性という手法への問いに成り、こちらは比較的限定的な回路で作られる。

教育の在り方や社会的な生産の評価は機械的論理よりも感受性に重心が取られて経済的な付加価値の向上に連なり、こちらの上昇は机上的な学習よりも肌感覚の体験から創り上げられる。これをどのように引き出すかへの探究が生産の付加価値や喜びを高める下に成る。頭脳的作業の論理形成はこの感受性の豊かな発想を作る事とは若干異なって、既成型の原理を吸収する作業に映し出されます。解答への評価点を付ける問題の性質が頭脳寄りの作業に偏り、感受性を計るような所へ向かう事が実社会に在っては高付加価値になり、こちらの側への育成面が弱く片手落ちのプログラムや社会秩序にあり無機質な管理的志向性に嵌まった人間性を作りだされる。豊かさへの問いを持ち、問題の取り方に点数を与える割合を増やす事が本来の学びや成長を表し、目の付け方を変えた発想を作る未来型の教育や人間形成が求められる。全人格的な教育や生産は多様な感性体験に重心が備わり、書物の読み込みからの感性と共に、協働生活での対立や緩和の形成過程等で養われ、限定的な学問の型式を吸収すると同時に、感性面が問われて独創的な表現や生きた力が生み出される。問題の解き方より問題の出し方というより源流に真価を作る起点があり出題者への評価という相互の対話を欠いては、前進的創造性が乏しく原理先行型の上昇を弱められる。思いつきという着想に発見や価値が備わり質を規定し量が流れる。

少々粗雑な心象ではありますが、既成の教育は重心の取り方が偏狭で在りポイントを改めた人間作りから豊かさが増進するように思われます。

文化総合ビジョン

文化総合ビジョン

自己に都合の良い一面のみを取って一方向的な要望を充足しようという発想に陥るのが生物物理的生存本能に基づく態度であり、今日の科学的な対象化の進行がこの感度を増進させる。この度が過ぎると客観的理性を欠いた相互の認識が乖離して、理に沿った良好な利害の一致が揃わず根本的な基準や性質の改善が求められる。加害的な立場からそれへの償いの経過を合わせて認識を取り、マイナスとプラスを勘案し、現況の課題を見つめ相互の保有する技術等の特性を見て解決への協働関係を作り利益を獲得する前進性が生み出される。

過去の経過に一面点な認識を強めるほどに現況の問題を解決する力が回らず停滞を齎せ、現況の問題が一向に改善されない損失を鑑みて、両者の歩み寄りを成す事が全体にとっての利益を齎せる。失敗への補填に客観的な両者の認識に及ぶ事実を実感出来る事柄は曇らせる事無く認識を揃え、マイナスとプラスを併記して客観的な認識を持ち、現況から未来の視点へと発想が進み後世への利益が創り上げられる。補填という事実の実感が掴めないものではなんら反省の態度が示されず、加害者と被害者の関係は修正されず両者が交わる事には及ばない。

相手方が望む明瞭な実感が取られない補填策は理性を喪失した社会性を持たない無法者と扱われ、結果を見せずに曖昧な態度では距離が縮まる事無く未来への協働性は生み出せない。思い上がった感性が相手方の利益の実感を見ずに一方的な被害への補填策を描き実施したような思い込みの激しさは歯車がかみ合わずマイナスばかりが残り未来協働性に及ばない。

こうした客観認識が取られて両面に対しての相互実感が近づいて公平公正な態度が進む。後世への利益の停滞を齎す事無く課題解決の力を投じる事が全体管理者の任務でありいたずらに個人的な利己性を抱いて客観性を妨げる事に在っては立場に課せられた役割不足となり分母的な万人的立場からの意思を大局に持った適正な振る舞いが求められる。偏狭な利益の感覚が強まる現代の物的合理性は、利益自体の概念が画一化して健全な人間像から見る利益概念と異なる感度で凝り固まり、一面的な価値を一方的に押し付ける向きの態度が進行する。欲望と力に対する必然の責任感覚に心身の正常な社会性が備わり、放漫な自由主義による社会的影響への責任感覚の劣りは物的依存の体質を深め、他者への視点が及ばず一面性の思いこみの激しい要望を体質に備えられる。

犯罪感覚への異質性や一般の生産者との規則性の違い等も合わさって局所的な常識感から抜けられず歪な感性の改善が生まれない。過保護な規制や構造等がフラットな感性を欠いた真摯な対話を妨げる環境となり、これを是正して健康な理性を回復する規則性が形成される。欲望と力と責任の不均衡のまま適正な感度を持たない一方向の歪さが残った所からは根本的な変化が生まれず、閉鎖的な利己的都合の良い解釈が変わらず、物理依存の肥満体質のまま問題自体の認識が揃わない。

このような長期的な観点の健康な性質という概念の形成なしには普遍的な基準の弱い所での評価感覚で留まり、表面事象を根本から創り上げる力が進まずに、歪んだ感性のまま都合の良い一方向の解釈に偏られる。以上のような事からも経過の客観認識を公平公正な視点で抑えると共に、局所と構造と性質という観点を持って普遍的な原理の基準を揃えて客観性を高める取り組みが欠かせず、健康像という概念を同一化する施策を投じて構造や局所への感度が変わり物事の対立を適正に動かす未来前進性のビジョンと掲げられる。これを避けては平行線で在り、歪な力に縋った感性のままそこへの依存症が治らず、画一的な利益に偏した物性型の秩序から原理創造先行型の秩序形成に及ばせストック的執着からフロー型の良好性への意識改革が求められる。

根本の世界観となる理想概念へ向けた前進性の感度を作り、方法を投じられて長期的にみる安定と繁栄の太い軌道が増進する。人間性の向上へと本気で熱が投じられて後世への利益が作られ、構造上の慢性化した肥満的な皮膚感を抜本的に直す時期と見受けられる。小手先の改善では本質的な改造に及ばず、長期のビジョンをもって感度が刷新されて前進する。閉鎖的な陰湿性の改善や、下限的な盗み体質を直す事が第一歩でありこの性質は配置転換や解体以外になく更生の過程を必然的に課して、健全な性質を入れ替えなしには被害の垂れ流しが止まらない。

良質な下地の形成

良質な下地の形成

提供技術への適正対価を客観的に測定できる感性が、健康な心身から生み出される。人々との感覚の交わりが程良く合って、この適正感を掴む事に及び、頭脳的な知の質量を吸収する事ばかりを持って、実質の付加価値の提供が少ないことへの認識が及ばず過剰な価値を抱き、適正対価の測定が狂い、客観認識が歪み、健全な感受性の起こり方に及ばず、過剰対価を要求する皮膚感が備わる。

自己の客観計測の持続的な規則性を持てる習慣や適正な評価システムがあって、過剰な期待や不足の少ない適正な技術と対価を受け、納得性の及ぶ循環で在って、良質なエネルギーが継続する。

過剰な対価を疑問も浮かべずに得る感覚が、歪んだ精神性から作られ、或いは、そうした資源を意図的に掴まされ、他者の意思に従属する主体性の喪失となり、手足として動かされる。骨抜きの人間が作られ、物性に振り回された状態に及び、軸足の弱い右往左往が進み、下限的な制約への制御も失い、雁字搦めの操り人間となり、抜け出せない環境を自らの客観認識の劣りから作りだされる。

これを仕掛ける側にも問題が浮かぶものの、それに同意して選択する側の問題も多く、長期性の文化が内蔵されずに、外界との歪んだ関係性を創り上げられ、精神的な不安定と不健全な常識のまま、心身を壊される。長くは続かないスタイルに深入りして、悪性の感性と負の生産性を広められる。

悪性のエネルギーの吸収は、自ら招いた結末で在り、仕掛ける方も嵌まる方にも同様の責任があり、これに陥らないビジョンに、文化体系が描き出され、インフラ面の強固な主体性が作られる。

資本の力を備える要件に、この確固とした良質な筋道を経る過程が課せられ、これを省略して、或いは物性へ過剰な依存や利用の経路によると、歪んだ精神性を宿した管理体質の深まりや、客観性を欠く常識が備わり、精神面の空疎な感受性に及んで、頭脳と感覚と感受性や言論と行為のアンバランスな性質が作られる。妙に細部に執着して太い軌道が備わらず奇異な感受性を見せられる。

災害や人災、防災対策といった事の根元には、こうした健全性の体系が基盤に在って各種の創造に災害を予防する下地が生まれ、ここが脆弱であるとその上に作られるソフトもハードも程度の弱いものが生まれる。悪性に着手して、深みにはまり、それを正当化する歪性に及び、被害をまき散らす事のない健全性が謳われます。

このような不健全性の因果が、万人的な共通原理と予め抑えられて、適正な対処や予防の施策が思い浮かべられ、健全性を損なわないしっかりした根や背骨が備わり、新鮮な感性を損なわず謙虚さと探究心が継続して、その積み重ねからより強固な根や背骨に至って大樹へと成長する。表層に浮かぶ肩書や事物に過信せず、中身の本質を掴む事の基礎感性の形成に、文化の体系が欠かせない。公等という立場も、ゼロベースの尺度を持って性質を測定して評価を与えられる確固とした尺度の備えが、客観的な健全性を創り上げる方法と描かれます。

思想の動脈

資本主義の欠陥を超える健全な人間像の形成と創造という方角や全体観を作りだす事が、多くの思想家の意識の中心に備わる関心にも思われます。物的感覚が進行する事への不快感を抱き、それへの改善策として方法への探究が深められる。

大規模資本による規格量産と小規模事業者による少品種少量生産とが対立して消費者の低価格、高品質のニーズに即した大規模事業者による集約性に及び画一性の感度が浸透する。この物理反応に対して情緒性から適当な制御感覚を齎す原理として、税の徴収と再配分で調整する方式が取られる。しかし、物性原理の進行と対処という方法では、人間の長期的性質の物性化を修正する事には及ばず、事前型の創造策を描く向きに在るのが本来的な健康像に立脚した自主内発性の健全化策であり、自由競争の中にこの要素を含んだ秩序を形成する方法の模索という動線を作る事がもう少し生まれるべきに思います。

この方法が物性と情緒の対立を健全に解決する筋道で在って、現代の明瞭な物的合理性という劣った感覚を正常に戻し心身の健全な人間自体が創り上げられる。この性格を含んだ事象が現れる度に、曖昧性や不公平性という心象が単純機械性に慣れた感性から生じ、ヒステリックな明瞭さを求める態度が表される。談合といった施策なども、このような性質を含んで生まれる矛盾の解決策という要素を含み表面的感度が進行する程に一面的な批判が進み、物事の真相を掴むに及ばない感覚が増進される。

両面の矛盾を補う協調策という認識を持ち、ここからより健全な形で対処型から事前型の公平性に及ぶように、基本秩序の形成を意図されるのが健康な感性にも思われます。淡白な反応が浸透して物的合理性の算式が進み大規模一律性からの弊害を補う緩和策という認識が及ばないと一面的な公平性を求められる。自由競争の過度な進行に良好な解決策を見出す発想が生まれて本来的な調和性が齎される。

資本主義が持つ欠陥を乗り越える事前型の施策を真正面から対峙し、人間の健全像を起点にした物性への過度な進行に及ばない良好な自主規制を備え、堕落に及ばない切磋琢磨の持続する競争を創り上げられるかが根源的な課題にあり、少変数の淡白な反応が増進され貧弱な感性への劣りが深まり真の豊かさを萎ませる。資本の原理に押しつぶされこの正道を見失い、どこか諦めや迷走に在るのが現代の姿にも映し出されます。次後の再配分という安直な手法に逃げ、事前型の理性から人間を創り上げる生産観を増進するのが本来的な教訓の反映になり、この要素が土台に入って、正常な感受性の下にエネルギーの量が取られて、成熟した人間社会というビジョンへの道が作られる。

単純化の感性へ警鐘が鳴らされ、より深みある変数を備えた創造性を抱ける感性に在って適正な長期の持続的安定と成長の姿が映し出される。このような志向へ多くの人々からの知恵が注がれ良質な感受性を不動にした創造性が現れる。競争環境の異変や先々への不安という心理状態が歪な発想や視点を集め、本来的な建設性とズレた細部の対立や過度な利己性、歪な手法がしばしば生まれる。これだという統一ビジョンへの模索が続けられる。

体験型人間像

貫禄という事も対人形成に置いては重要な要素であり、相手を値踏みして足元を見られ、強い要望を表される事自体がある種の問題であり、平等思想を踏みにじった態度が生まれる因果分析を取る事から適正な人間像を描く事に及び、それへ向けた施策の発案という創造性が生まれる。いずれの側に、歪んだ精神性が見られるか、態度を示す側か、示される側か、なぜ、その態度が生まれたか、どんな方程式を備えられているか、

人間像のタイプ分けから、適正調和への個別的な施策の発案と実施という教訓に反映されて体験からの学びが実践される。これを演出というかは別にして、多くの人が現実の場面で取り入れられている振る舞いであり、生存本能を根に守りと攻めの適正な感性をいつどこで誰に対してどのような言行で表されるか、

このような焦点が人間学の実践的な応用として現れる。この観点での知的集積と体系化を創り上げる事が、文化論からの専門性の進化になり知的価値が形成されるか、生身の実践から吸収する機会を奪う事に成るか、両面を考慮して真価が計られる。過剰な先入観を作りだすか、有益な予備知識を提供する事に成るか。

しかしながら、過去の規則性の集約的なデータを表す事にも正負の作用が生み出される。先入観をあまり備えずに、自身の論理で場と交わり、能動的な前進性の動態性から実質的な事象を生みだし、予備知識が動きへの制約と働いて動きを鈍くするという面が多分に現れ、ストック的な過去の知識を吸収する事にもプラス・マイナスの側面が映し出される。

感覚側からの体験を先行してきた規則性と、頭脳寄りの吸収を重視されてきた規則性といったタイプで区分される。こうした想定の上で、適度な動態を創り上げる人間像が描かれて、大きな危機への回避と同時に創造性を達して欲望と充足の動態を築く事によって心身の適当な状態を持つ主体性が生まれる。

中小の失敗は学びの機会となり生きた知恵と用いられる。この感覚を基礎に添えた活動の軌道に停滞感に陥らないフロー型の規則性が備わり機動的な筋肉質な発想や行為が現れる。問題を過剰に引きづらない前進性の発想や焦点へ視線が及び体験型の一次情報を創り上げる。

現代的な頭脳過多の体質は問題への過敏反応が生まれ、準備ばかりにエネルギーを注がれ、やりながら身につけるスタイルを欠いた守り的な志向性が多々浮かび、皮膚感覚の弱まりとも指摘される。細分化した感覚と失敗への免疫力の低下という面に焦点が生まれてこれを踏まえた適当な人間像による活動性を作るというコンセプトから表される観念体系が日本文化原論の基調と示されます。

マニュアルがないと出来ないという感性が意外に多く見受けられ、これに染まった受動的な感性を頭脳過多体質からしばしば感じられます。この性質が現代社会の中枢的な所に備わりその弊害が各面に現れているようにも思えます。根本的な原理を備えると自主内発的な創造性へと応用が生まれる。体から創り上げられた根幹原理であるほどに汎用力が備わり力強い動態が表される。

4)感覚面と頭脳面による体質や表現の相違

特定空間における歴史の形成過程から、過敏や鈍感、適正という感覚に相違が生まれ、普遍的な原理という概念と適用の感度が異なり、快不快感の違いが、その後の施策の強弱感と現れる。別空間の人から見る感覚と、対象空間に居住される人々の感覚が異なり、他者と自己の異同と両者の整合という視点が加えられて、供給論理の適正感覚が生み出される。この感性が乏しいと、上から下ろすような発想が強まり、需要者が真に求める改善の在り方と異質の利己的な性格を表すものとなる。過剰な力みとなっていないか、真に利益に連なる提案か、常に自問自答が取られて、現況への意識が注がれて理想ビジョンを抱きながら事実を客観的に抑えて良好な方法が生み出される。適正調和の形成を指す基本的な態度と思われます。現況の認識が弱いままに理想と方法を一過的に示す態度が多々浮かび上がる質の低下を表しマスメディア等で場当たりの論評等として批判が上がり売名的な発想の強い表現者と捉えられる。利己的な体質から他者の利益を追求する意識の弱い虫食い感覚と映し出され、メディア自体のインフラとしての性質やそこでコメントされる人選にも反映されて電波という大きな力の乱用と映る事も少なくない。これを適正に評価する尺度自体の良質化という発想が、基盤的な教養面の厚みを形成する力と注がれこの一種に哲学や文化論等の基盤的見識への思索が進んで健全な秩序の形成への欲望が進められる。その型式を提起して人口的制度形成のプロセスに乗せる事や不特定多数に向けた情報発信等といった活動が展開される。競争環境の激化という背景はこうした節操面の劣りが顕著に現れ影響力に応じた責任感覚を追求する事が在って健全性の下落が予防される。事実への調査の弱い評価や方法が示される一過的な手法の進行は正常さを喪失した態度と映し出され適当な基準の更新と適用の要望が生まれる。健全な主体性に至らない物性感覚の過度な進行へは強制権力によって縛りを与える根拠に成り放漫な自由を求める気の振れた性質に責任への自覚を促しマイナス影響を削減する行為が生まれる。この監督や舵取りを行政機関に在る程度委ねるという所も含んで民意を示す事を想定するか、報道の独立性を尊重して過剰な介入を抑制させるかの二面の視点が現れる。この辺りの焦点に実際的な動態が生まれ人々の皮膚感覚が示され、適当な行政運営か共通的なインフラ面の欲望を充足する賛否が生まれる。個別事象に対する行為の批評が随時示され物事の成否の趨勢を作る説得力を持つ意見に力が表される。しかしながらより引いた焦点で映し出すと原論ばかりの先行性に現代的な問題の根が捉えられ実質面の希薄な表現が多産される事への不快感が大本の健全性への問いになり根源的な規則性の良質化を作る因果が浮かび上がる。感覚面の積み重ねから体質を作り表される観念と二次三次の観念を加工して観念に表す規則性の違いは感性の質の違いに及び内実への評価感覚に現れ不快と快適を分ける態度の相違と現れる。分母的生活者の規則性や感度を基準にするならば前者側から生まれる意見や判断に適正が生まれこちらを重心に相互の協働性によって短期から中長期の全体観が形成される。これを引き出すのが不動的な万人的同一感情となり平等への志向性という動力源であり根元と位置づけられる。

問題の焦点

既得権という用語の取り方も、一様でなく社会への利益を提供して次第に確固とした認知が高まり、力を得ると共に技術力やニーズへのエネルギーが弱まって利己的なエネルギーへ向かい次第に悪性の対象に至る過程と見受けられます。自然淘汰されるべきが歪んだ力の用い方で外界を犠牲にしながらポジションを確保する行為に及んで社会的問題事象の認識が高まり、規制改革や透明公平なプロセスの明瞭化による実態の把握によって、欲望と力と責任の過不足が示され均衡への力が増進し、過剰な欲望を削減するか、適当な責任への対応を増すか、より良い選択肢への自由が促進されるか等々の良質化へと力が注がれる。

悪性の主体に依存する向きに回る事無く、自己の技術の向上やニーズを掴む研究へと前進する事が本筋の軌道で在って、歪みに安易に頼る程に同質性が内在して不健全な感性の同類と化し真っ当な筋道を外される。この点が強調されて在るべき生産像が描かれ悪性の拡大やスパイラルを予防して正常さを維持させる作用が欠かせない。これが文化論や文化活動という長期的な人間の健康を持続させる創造となり、広く社会の秩序と浸透させ歪な性質を削減させ良質性の向上を阻害させない働きかけが要請と浮かび上がる。

基礎的な躾の下落という事から安易な物性依存の選択に寄らない健全な筋道を執り行い確かな力を着実に身につける創造作法に在って外界との適正な調和形成に至り健康な発想を常態する心身の維持と向上が生まれる。そして局所的な因果の限界が現れこうした図式を作る為に中局的な構造への適正化へと視点が及び、局所の適正に連なる働きかけが少なからず課せられる。

この要望は粛々と求められるべき事で在って不満や愚痴の類に留まらず、適正な権利を主張して健全な活動の阻害要因を是正する面を含んでミクロの良質性が獲得される。良好な筋道を自ら作りだすのに外部要素も多分に影響し、責任の過不足へ追求を深める事は真っ当な対処策であり、直接的な生産のみならず間接性への健全化に力を注ぐ事に及ぶ。こうした中で、冒頭の悪い意味の既得権者という対象との対峙が生まれ共通認識を高めて弊害への対処を執り行う場面が生まれる。

堂々と基準尺度を掲げて広く訴求し自己の正当性への共感を集める積極的な活動に在って欲望の充足というプロセスが描かれる。閉鎖的な発想に陥る事無く健康な心持で正しい筋道を外さない所に力強いエネルギーが湧きあがり後ろめたい作法を取る毎にこのパワーが減少する。物理依存の発想に及ばず原理先行の秩序に在って真っ当な対峙が作られる。小手先手法はこれをやせ細らせ節操の欠いた感性が深まって人格の歪んだ性質が作られる。このような因果を強調して質実の良い改善エネルギーへの作用が生じる事に思います。

以上のような性格の領域として社会的認知を高め確たる技術の確立と信用に及ばせる活動と描かれます。こうして見ると一部マスコミや政治行政の自制力の劣りや責任不足は甚だしく盗みや詐欺の慢性化した性格が否応なしに目に留まる。これらの劣りの改善が少なからず取り組みに上がり実態把握や二次三次の原因の特定と有効なビジョンを描き事象の鮮明化に及ばせ文化の改善施策と描かれる。このような問題意識や志向性を有される人々との協働を持ち健全性の上昇へと力を投じたく思います。

倫理道徳の実践

領域内の一部の可笑しな行為に対して、同じ領域に属する成員から一斉に声が上がり、制止させる反応が上がらない所に、領域の質を下落させる原因が現れ、物性への依存体質や利己的性質が顕著に現れ、同一の看板を背負う意識の希薄さと映し出される。

ここから生み出される損害は、一部の責任で済まされず、領域内の構造的な問題へと視点が進み、領域の再定義やシステムの欠陥の是正を取り組む契機となる。局所性の異質さで済まされる範囲の事と、構造的な瑕疵の実感に及ぶ事の判断を的確に取れるかに、成長機会を掴む感性が現れ、日頃からの問題意識から、即時的な反応を起こす事に成り、問題の兆しが生じた際に、どんな行動をとるかの予行練習が何度も頭脳的に繰り返され、時が来た時に体の動きが現れる。

何も考えず、問題感覚をキャッチせずに、利己的な事柄ばかりへと執着して、構造への視点が及ばず、領域を担う責任意識が備わらないと、この想像性が生まれず、取るべき機会を見過ごして、対処や予防に至らず、損失を生んでから責任追及と転嫁への反応ばかりが現れる。立派な政策論を声高に発しながら、問題事象への反応を避ける事は、個別利害を先行される歪な感性を示し、領域を先導するに及ばないエネルギーの脆弱な主体性と特定される。

領域が生んだ過失については、連帯的な責任が及ぶのが必須であり、他人事では済まされず身銭で損害を払う事に成る。一部の馬鹿を見過ごす責任感覚の劣りは、不快極まりなく、知る知らないに関わらず、責任が及び、損失への対処と構造の刷新を経るのが、自然な利害関係者からの圧力であり、これに応えられなければ、解体的な措置を講じて、性質自体を改める抜本改革が避けられない。この適正な周期を避けては、一向に前進はなく、前進自体の取り違えは感性的な相違であり、保有するビジョンと問題の取り方への感度の形骸化で、中身の無さと判定される。

物性依存症の根本的な改革が進められて倫理道徳の実態が現れる。外圧という相対的な感性に寄らない自主内発性の制御を取るには、日頃から描く理想図への探究が在って、個別場面でのスムーズな改善案が発せられる。自己の物性的な欲望へばかり関心が及ぶと、構造的なビジョンを作る事へエネルギーが注がれず、力に対して責任の劣った姿を露わにされる。個別場面での反応でこの実態が明瞭に現れる。

こうした事実を余すことなくキャッチして、適正な評価と是正の力が滞りなく回って質が向上する。こうした想定図から見て阻害性と伸張性の要因を特定して新陳代謝が促進する。永年の時で作られた盗み体質は、なかなか変えられず、即時に相応しい配置に移す判断が遅れると構造的な負の性格が浸透して根深い悪性を常識に持つ領域の性格と備わる。

これを明瞭に映し出すのは理想のビジョンでありこの探求がない所からは問題がキャッチされず事実を観測するに及ばない。環境を変えて新鮮な感性と交わって体質が改善される。根本的な規則性の変化が、新たなビジョンを発見し、健康な心身を創り上げる事へ及ぶ。こうした発想から、配置転換をプラスと抑えて、小気味の良い機動的な判断を取る管理者の決断が持続的安定と成長の動力源とされる。そして、これを支える賢明な世論の後押しが力に成り、この基盤面の健全な厚みを作る施策が欠かせない。

社会システム上の問題を掴むべき基幹自体に、慢性的な悪性が蔓延るようではこれらの動きを阻害し役不足に成らぬような適正な監視を加え基礎的な犯罪を看過せず下落への対処が必須と思います。これに取り組むのが倫理道徳の向上策であり、力が注がれるように、個々人の声をより高く謳われるように、健全なビジョンを作りだす活動が創り出される。こうした協働的連なりが見えて一体的な動きが強まりこれ自体がビジョンと示される。根本的な価値の鮮明化に及ぶ文化体系を作りだす活動が持続的向上の力に及ぶ。人の書いた絵を軽々しく盗むようでは性質に根深い欠陥が特定され、質の悪い倫理道徳の実態が浮き彫りに成る

創造の適正図面

創造の適正図面

表現や創造における初動的な適正図面と考える焦点を以下に取り上げます。「良い子を演じると良い事が返ってくる。」というように善意の対象と捉えられる場合と、これに該当しない場合があるのが現実の人間世界であり、理想像を備えながら現況を掴み適当な方法を投じる事が、理想を能動的に創り上げる姿勢や態度を表し、方法という面に真価の実質が見出される。時間の幅や観点の取り方等から事実の特定は多様でありその中で一定の人々におけるコンセンサスを持ち認知的事実が形成される。この3つの種類の事実が生まれ社会秩序が構成される。つまり、現象は、理想と現況と方法という概念と自己と他者と両者という3つの面で認識や表現、創造を生む事でありこの区分をある程度意識の上に社会の適正調和を作る発想が必要に思われます。

自己 他者 両者
理想
現況
方法

この基本構造の認識をもって、各種の創造を見出す根源的なフレームによって適正調和の形成方法と表されます。自己の理想というエゴを充足する願望と、それがどんな効用を他者に与えるか、この場合の自己と他者とはどこを想定されるのか。利益はどんな性格か、短期中期長期性等での利益の想定。こうした視点が及んで、「他利を与え自利を得る」という根本的な基本理念の実践が生まれ、冷静な構造を描き真に利益を創造する姿が現れる。これを欠くと供給理論に偏して利益を与えているつもりが不利益を齎す事にも及び適正なエネルギーの質と量を投じる健全な算式を整え、実践する所に実際の感受性の質量が映し出される。自己愛と他者愛との極端な偏りは歪な感受性となり、中長期の健康な実態を作りださない。そして、社会的な影響力に相応しい奉仕性の構えが他者からの期待と寄せられ、これを含んで自他への適正が創り出される。大きな影響に至る程に冷静な構図を持って実現への方策を生むのが責任感覚を指し良好な成果を作る作法と描かれます。

文化論は、過去の規則性と未来の志向性を含んだ理想像という性格に成り、持続的安定と成長という理念に対して平等思想等の二次三次の方法という性格を含む理念の多段構成で体系が示されます。こうした事から厳密な意味では現況と理想と方法という概念の明瞭な区分は頭脳的な観念整理上の表し方となり、実際の感覚では、3者の性質が混在していると見るのが実感に近く、それに冷静な理性を充てる為に概念の分化を設けて、適当な行動を作りだす方法と言い換えられます。感受性という人々との良好な志向性を基本に抱きそれを実現するには感覚を観念で整理して自己と他者を客観的に捉え自他の利益を想定して着実な充足に及ばせる為に概念が創り上げられ感覚と感受性の実感に到達させる人間の知恵と考えます。現実世界は途切れる事はなく「動」でありそこに願望から静を与え願望を適正に得る道筋で概念が形成される。ここが肝に抑えられて健全な感受性を備えた思考や行為の規則性を持つ人間が作られる。頭脳に偏するほどに奢った感性が宿り態度に現れ外界との不調和を作られる。体全体で全身全霊で交わる事が普遍の理念と備えられる。