体験型人間像

貫禄という事も対人形成に置いては重要な要素であり、相手を値踏みして足元を見られ、強い要望を表される事自体がある種の問題であり、平等思想を踏みにじった態度が生まれる因果分析を取る事から適正な人間像を描く事に及び、それへ向けた施策の発案という創造性が生まれる。いずれの側に、歪んだ精神性が見られるか、態度を示す側か、示される側か、なぜ、その態度が生まれたか、どんな方程式を備えられているか、

人間像のタイプ分けから、適正調和への個別的な施策の発案と実施という教訓に反映されて体験からの学びが実践される。これを演出というかは別にして、多くの人が現実の場面で取り入れられている振る舞いであり、生存本能を根に守りと攻めの適正な感性をいつどこで誰に対してどのような言行で表されるか、

このような焦点が人間学の実践的な応用として現れる。この観点での知的集積と体系化を創り上げる事が、文化論からの専門性の進化になり知的価値が形成されるか、生身の実践から吸収する機会を奪う事に成るか、両面を考慮して真価が計られる。過剰な先入観を作りだすか、有益な予備知識を提供する事に成るか。

しかしながら、過去の規則性の集約的なデータを表す事にも正負の作用が生み出される。先入観をあまり備えずに、自身の論理で場と交わり、能動的な前進性の動態性から実質的な事象を生みだし、予備知識が動きへの制約と働いて動きを鈍くするという面が多分に現れ、ストック的な過去の知識を吸収する事にもプラス・マイナスの側面が映し出される。

感覚側からの体験を先行してきた規則性と、頭脳寄りの吸収を重視されてきた規則性といったタイプで区分される。こうした想定の上で、適度な動態を創り上げる人間像が描かれて、大きな危機への回避と同時に創造性を達して欲望と充足の動態を築く事によって心身の適当な状態を持つ主体性が生まれる。

中小の失敗は学びの機会となり生きた知恵と用いられる。この感覚を基礎に添えた活動の軌道に停滞感に陥らないフロー型の規則性が備わり機動的な筋肉質な発想や行為が現れる。問題を過剰に引きづらない前進性の発想や焦点へ視線が及び体験型の一次情報を創り上げる。

現代的な頭脳過多の体質は問題への過敏反応が生まれ、準備ばかりにエネルギーを注がれ、やりながら身につけるスタイルを欠いた守り的な志向性が多々浮かび、皮膚感覚の弱まりとも指摘される。細分化した感覚と失敗への免疫力の低下という面に焦点が生まれてこれを踏まえた適当な人間像による活動性を作るというコンセプトから表される観念体系が日本文化原論の基調と示されます。

マニュアルがないと出来ないという感性が意外に多く見受けられ、これに染まった受動的な感性を頭脳過多体質からしばしば感じられます。この性質が現代社会の中枢的な所に備わりその弊害が各面に現れているようにも思えます。根本的な原理を備えると自主内発的な創造性へと応用が生まれる。体から創り上げられた根幹原理であるほどに汎用力が備わり力強い動態が表される。

4)感覚面と頭脳面による体質や表現の相違

特定空間における歴史の形成過程から、過敏や鈍感、適正という感覚に相違が生まれ、普遍的な原理という概念と適用の感度が異なり、快不快感の違いが、その後の施策の強弱感と現れる。別空間の人から見る感覚と、対象空間に居住される人々の感覚が異なり、他者と自己の異同と両者の整合という視点が加えられて、供給論理の適正感覚が生み出される。この感性が乏しいと、上から下ろすような発想が強まり、需要者が真に求める改善の在り方と異質の利己的な性格を表すものとなる。過剰な力みとなっていないか、真に利益に連なる提案か、常に自問自答が取られて、現況への意識が注がれて理想ビジョンを抱きながら事実を客観的に抑えて良好な方法が生み出される。適正調和の形成を指す基本的な態度と思われます。現況の認識が弱いままに理想と方法を一過的に示す態度が多々浮かび上がる質の低下を表しマスメディア等で場当たりの論評等として批判が上がり売名的な発想の強い表現者と捉えられる。利己的な体質から他者の利益を追求する意識の弱い虫食い感覚と映し出され、メディア自体のインフラとしての性質やそこでコメントされる人選にも反映されて電波という大きな力の乱用と映る事も少なくない。これを適正に評価する尺度自体の良質化という発想が、基盤的な教養面の厚みを形成する力と注がれこの一種に哲学や文化論等の基盤的見識への思索が進んで健全な秩序の形成への欲望が進められる。その型式を提起して人口的制度形成のプロセスに乗せる事や不特定多数に向けた情報発信等といった活動が展開される。競争環境の激化という背景はこうした節操面の劣りが顕著に現れ影響力に応じた責任感覚を追求する事が在って健全性の下落が予防される。事実への調査の弱い評価や方法が示される一過的な手法の進行は正常さを喪失した態度と映し出され適当な基準の更新と適用の要望が生まれる。健全な主体性に至らない物性感覚の過度な進行へは強制権力によって縛りを与える根拠に成り放漫な自由を求める気の振れた性質に責任への自覚を促しマイナス影響を削減する行為が生まれる。この監督や舵取りを行政機関に在る程度委ねるという所も含んで民意を示す事を想定するか、報道の独立性を尊重して過剰な介入を抑制させるかの二面の視点が現れる。この辺りの焦点に実際的な動態が生まれ人々の皮膚感覚が示され、適当な行政運営か共通的なインフラ面の欲望を充足する賛否が生まれる。個別事象に対する行為の批評が随時示され物事の成否の趨勢を作る説得力を持つ意見に力が表される。しかしながらより引いた焦点で映し出すと原論ばかりの先行性に現代的な問題の根が捉えられ実質面の希薄な表現が多産される事への不快感が大本の健全性への問いになり根源的な規則性の良質化を作る因果が浮かび上がる。感覚面の積み重ねから体質を作り表される観念と二次三次の観念を加工して観念に表す規則性の違いは感性の質の違いに及び内実への評価感覚に現れ不快と快適を分ける態度の相違と現れる。分母的生活者の規則性や感度を基準にするならば前者側から生まれる意見や判断に適正が生まれこちらを重心に相互の協働性によって短期から中長期の全体観が形成される。これを引き出すのが不動的な万人的同一感情となり平等への志向性という動力源であり根元と位置づけられる。

問題の焦点

既得権という用語の取り方も、一様でなく社会への利益を提供して次第に確固とした認知が高まり、力を得ると共に技術力やニーズへのエネルギーが弱まって利己的なエネルギーへ向かい次第に悪性の対象に至る過程と見受けられます。自然淘汰されるべきが歪んだ力の用い方で外界を犠牲にしながらポジションを確保する行為に及んで社会的問題事象の認識が高まり、規制改革や透明公平なプロセスの明瞭化による実態の把握によって、欲望と力と責任の過不足が示され均衡への力が増進し、過剰な欲望を削減するか、適当な責任への対応を増すか、より良い選択肢への自由が促進されるか等々の良質化へと力が注がれる。

悪性の主体に依存する向きに回る事無く、自己の技術の向上やニーズを掴む研究へと前進する事が本筋の軌道で在って、歪みに安易に頼る程に同質性が内在して不健全な感性の同類と化し真っ当な筋道を外される。この点が強調されて在るべき生産像が描かれ悪性の拡大やスパイラルを予防して正常さを維持させる作用が欠かせない。これが文化論や文化活動という長期的な人間の健康を持続させる創造となり、広く社会の秩序と浸透させ歪な性質を削減させ良質性の向上を阻害させない働きかけが要請と浮かび上がる。

基礎的な躾の下落という事から安易な物性依存の選択に寄らない健全な筋道を執り行い確かな力を着実に身につける創造作法に在って外界との適正な調和形成に至り健康な発想を常態する心身の維持と向上が生まれる。そして局所的な因果の限界が現れこうした図式を作る為に中局的な構造への適正化へと視点が及び、局所の適正に連なる働きかけが少なからず課せられる。

この要望は粛々と求められるべき事で在って不満や愚痴の類に留まらず、適正な権利を主張して健全な活動の阻害要因を是正する面を含んでミクロの良質性が獲得される。良好な筋道を自ら作りだすのに外部要素も多分に影響し、責任の過不足へ追求を深める事は真っ当な対処策であり、直接的な生産のみならず間接性への健全化に力を注ぐ事に及ぶ。こうした中で、冒頭の悪い意味の既得権者という対象との対峙が生まれ共通認識を高めて弊害への対処を執り行う場面が生まれる。

堂々と基準尺度を掲げて広く訴求し自己の正当性への共感を集める積極的な活動に在って欲望の充足というプロセスが描かれる。閉鎖的な発想に陥る事無く健康な心持で正しい筋道を外さない所に力強いエネルギーが湧きあがり後ろめたい作法を取る毎にこのパワーが減少する。物理依存の発想に及ばず原理先行の秩序に在って真っ当な対峙が作られる。小手先手法はこれをやせ細らせ節操の欠いた感性が深まって人格の歪んだ性質が作られる。このような因果を強調して質実の良い改善エネルギーへの作用が生じる事に思います。

以上のような性格の領域として社会的認知を高め確たる技術の確立と信用に及ばせる活動と描かれます。こうして見ると一部マスコミや政治行政の自制力の劣りや責任不足は甚だしく盗みや詐欺の慢性化した性格が否応なしに目に留まる。これらの劣りの改善が少なからず取り組みに上がり実態把握や二次三次の原因の特定と有効なビジョンを描き事象の鮮明化に及ばせ文化の改善施策と描かれる。このような問題意識や志向性を有される人々との協働を持ち健全性の上昇へと力を投じたく思います。

倫理道徳の実践

領域内の一部の可笑しな行為に対して、同じ領域に属する成員から一斉に声が上がり、制止させる反応が上がらない所に、領域の質を下落させる原因が現れ、物性への依存体質や利己的性質が顕著に現れ、同一の看板を背負う意識の希薄さと映し出される。

ここから生み出される損害は、一部の責任で済まされず、領域内の構造的な問題へと視点が進み、領域の再定義やシステムの欠陥の是正を取り組む契機となる。局所性の異質さで済まされる範囲の事と、構造的な瑕疵の実感に及ぶ事の判断を的確に取れるかに、成長機会を掴む感性が現れ、日頃からの問題意識から、即時的な反応を起こす事に成り、問題の兆しが生じた際に、どんな行動をとるかの予行練習が何度も頭脳的に繰り返され、時が来た時に体の動きが現れる。

何も考えず、問題感覚をキャッチせずに、利己的な事柄ばかりへと執着して、構造への視点が及ばず、領域を担う責任意識が備わらないと、この想像性が生まれず、取るべき機会を見過ごして、対処や予防に至らず、損失を生んでから責任追及と転嫁への反応ばかりが現れる。立派な政策論を声高に発しながら、問題事象への反応を避ける事は、個別利害を先行される歪な感性を示し、領域を先導するに及ばないエネルギーの脆弱な主体性と特定される。

領域が生んだ過失については、連帯的な責任が及ぶのが必須であり、他人事では済まされず身銭で損害を払う事に成る。一部の馬鹿を見過ごす責任感覚の劣りは、不快極まりなく、知る知らないに関わらず、責任が及び、損失への対処と構造の刷新を経るのが、自然な利害関係者からの圧力であり、これに応えられなければ、解体的な措置を講じて、性質自体を改める抜本改革が避けられない。この適正な周期を避けては、一向に前進はなく、前進自体の取り違えは感性的な相違であり、保有するビジョンと問題の取り方への感度の形骸化で、中身の無さと判定される。

物性依存症の根本的な改革が進められて倫理道徳の実態が現れる。外圧という相対的な感性に寄らない自主内発性の制御を取るには、日頃から描く理想図への探究が在って、個別場面でのスムーズな改善案が発せられる。自己の物性的な欲望へばかり関心が及ぶと、構造的なビジョンを作る事へエネルギーが注がれず、力に対して責任の劣った姿を露わにされる。個別場面での反応でこの実態が明瞭に現れる。

こうした事実を余すことなくキャッチして、適正な評価と是正の力が滞りなく回って質が向上する。こうした想定図から見て阻害性と伸張性の要因を特定して新陳代謝が促進する。永年の時で作られた盗み体質は、なかなか変えられず、即時に相応しい配置に移す判断が遅れると構造的な負の性格が浸透して根深い悪性を常識に持つ領域の性格と備わる。

これを明瞭に映し出すのは理想のビジョンでありこの探求がない所からは問題がキャッチされず事実を観測するに及ばない。環境を変えて新鮮な感性と交わって体質が改善される。根本的な規則性の変化が、新たなビジョンを発見し、健康な心身を創り上げる事へ及ぶ。こうした発想から、配置転換をプラスと抑えて、小気味の良い機動的な判断を取る管理者の決断が持続的安定と成長の動力源とされる。そして、これを支える賢明な世論の後押しが力に成り、この基盤面の健全な厚みを作る施策が欠かせない。

社会システム上の問題を掴むべき基幹自体に、慢性的な悪性が蔓延るようではこれらの動きを阻害し役不足に成らぬような適正な監視を加え基礎的な犯罪を看過せず下落への対処が必須と思います。これに取り組むのが倫理道徳の向上策であり、力が注がれるように、個々人の声をより高く謳われるように、健全なビジョンを作りだす活動が創り出される。こうした協働的連なりが見えて一体的な動きが強まりこれ自体がビジョンと示される。根本的な価値の鮮明化に及ぶ文化体系を作りだす活動が持続的向上の力に及ぶ。人の書いた絵を軽々しく盗むようでは性質に根深い欠陥が特定され、質の悪い倫理道徳の実態が浮き彫りに成る

創造の適正図面

創造の適正図面

表現や創造における初動的な適正図面と考える焦点を以下に取り上げます。「良い子を演じると良い事が返ってくる。」というように善意の対象と捉えられる場合と、これに該当しない場合があるのが現実の人間世界であり、理想像を備えながら現況を掴み適当な方法を投じる事が、理想を能動的に創り上げる姿勢や態度を表し、方法という面に真価の実質が見出される。時間の幅や観点の取り方等から事実の特定は多様でありその中で一定の人々におけるコンセンサスを持ち認知的事実が形成される。この3つの種類の事実が生まれ社会秩序が構成される。つまり、現象は、理想と現況と方法という概念と自己と他者と両者という3つの面で認識や表現、創造を生む事でありこの区分をある程度意識の上に社会の適正調和を作る発想が必要に思われます。

自己 他者 両者
理想
現況
方法

この基本構造の認識をもって、各種の創造を見出す根源的なフレームによって適正調和の形成方法と表されます。自己の理想というエゴを充足する願望と、それがどんな効用を他者に与えるか、この場合の自己と他者とはどこを想定されるのか。利益はどんな性格か、短期中期長期性等での利益の想定。こうした視点が及んで、「他利を与え自利を得る」という根本的な基本理念の実践が生まれ、冷静な構造を描き真に利益を創造する姿が現れる。これを欠くと供給理論に偏して利益を与えているつもりが不利益を齎す事にも及び適正なエネルギーの質と量を投じる健全な算式を整え、実践する所に実際の感受性の質量が映し出される。自己愛と他者愛との極端な偏りは歪な感受性となり、中長期の健康な実態を作りださない。そして、社会的な影響力に相応しい奉仕性の構えが他者からの期待と寄せられ、これを含んで自他への適正が創り出される。大きな影響に至る程に冷静な構図を持って実現への方策を生むのが責任感覚を指し良好な成果を作る作法と描かれます。

文化論は、過去の規則性と未来の志向性を含んだ理想像という性格に成り、持続的安定と成長という理念に対して平等思想等の二次三次の方法という性格を含む理念の多段構成で体系が示されます。こうした事から厳密な意味では現況と理想と方法という概念の明瞭な区分は頭脳的な観念整理上の表し方となり、実際の感覚では、3者の性質が混在していると見るのが実感に近く、それに冷静な理性を充てる為に概念の分化を設けて、適当な行動を作りだす方法と言い換えられます。感受性という人々との良好な志向性を基本に抱きそれを実現するには感覚を観念で整理して自己と他者を客観的に捉え自他の利益を想定して着実な充足に及ばせる為に概念が創り上げられ感覚と感受性の実感に到達させる人間の知恵と考えます。現実世界は途切れる事はなく「動」でありそこに願望から静を与え願望を適正に得る道筋で概念が形成される。ここが肝に抑えられて健全な感受性を備えた思考や行為の規則性を持つ人間が作られる。頭脳に偏するほどに奢った感性が宿り態度に現れ外界との不調和を作られる。体全体で全身全霊で交わる事が普遍の理念と備えられる。

健全な創造性

因果の想定を合わせて物事を協業して多数による秩序が形成される。「何をどうする」という優先順位の高い事項を定め、下位事項のズレた感覚は我慢するのが実現力の要でありどんな根源的な願望を抱きそれを達する基幹論理が現れ枝葉と実を規定して全体ビジョンが描かれる。この対象範囲が大きくなるほど多彩なパターンが浮かび、工程と目標点への信憑性が途絶えずに軌道の意識が持続して協働の求心力が宿り、細かな相違に過度な対立感情を生まず分断させない肝になる。

この構造の共通認識を固めるのが協働の初動で在って、普遍的なフレームと中身を詰める事なる。各自が一定の時を経ながら相互の性質を認識し、共通の目標点を見出し次第に協働が作り込まれ団結力が作られる。「金に成れば何でもよい」といった感性が深まり無機質な感受性が浸透して、短期的な反応が増進しビジョンを作り出せずすぐに衝突して分散する個人化の傾向が随所に浮かびます。糧を得る為に容易に犯罪に着手し安定しない見解や物性的な力に追従する孤立的、希薄な精神性で不安定に右往左往した態度を見せられる。

こうした事象自体へ対する快不快感からビジョンが生まれ同質性から協働に及ぶ切り口での生産が作られる。それが文化ビジョンという人間の長期的性質に備えられるべき在り方を表し、実現する筋道として全体図が創り出される。直接的な物事や安定供給する構造というビジョンに対して両者を包含する人間の性質を対象にした作り込みの理想図となり人間像と示される。

人間像自体の感性が大きく異なると協働や共生に至らず、淡白な争いを繰り返し豊かな文化を消滅させる。根源的な感性のズレは不快の直接的な対象となり、人間ビジョンの阻害因子と特定され改善や消滅への力が投じられる。共通ビジョンという価値の接点や程度から熱の生じ方が生まれ、反応や実現工程に反映される。このような創造の基本的な筋道が生まれて、どこに目標を取るか、目指す所の違いが距離や関わりの違いと現れ共生や自立の関係と成り、同質性からグループが作られ、いくつかの勢力と把握される。

価値が曖昧で自己生産の目的意識を持たない主体性は不調和を作るマイナス性と特定される。金への極端な執着からは、図面と行為が乖離して良質なエネルギーを生まず外界を騒がす一過性の迷惑者の認識が形成されてやがて衰退する。価値に他利を含める社会性を志向する感性と実態があって健全な安定と持続に及び、お金自体は二次的要素という方法で位置づけられる。無機質性の深まりは人間性の下落を指し示し歪な調和感覚に及んで不公平な配分感覚が強まり対立が強まって争いを多産し破滅の道を辿る。

以上のように、協働形成、協働の破綻、破綻の回避、予防図の作成と実施という一連の道筋が想定され、良質化へのビジョンを作る欲望が生まれて、持続的安定と成長に及ぶ健全な人間図が創り込まれる。

1-2問題の焦点と基礎教養概念の重要性

市場原理主義という表現も根源的な人間の欲望への思索を経て創り上げられた概念とは異なって見えます。市場は物理欲望のみならず情緒性の欲望も備わりこれらを充足する自由な選択性の下に対話が作られる場所と方法が市場原理という概念でありどこか片手落ちの完成度の弱い観念構成という感を受け頭脳的な学者先生による実像と離れた表現と映ります。どこの原理を出発点とするかが起源になり、二次三次の加工度の高い観念を下にするほどに一次体験面の事象を飛び越えた概念と法則が描き出され真相と離れた表現が生まれる。このような意味の基礎教養の厚みが弱いと歪な専門領域が生まれ、人間への根本的な取り違えを前提に領域の概念形成が進み供給の利己性へと偏して他利の提供よりも過剰な自利への願望という姿と現れ、不快や不調和を招き健康な気流を停滞させる。総合基礎教育の丁寧な充実が良好な根や基盤を作り一見遠回りのようで着実な前進を齎せる。人間の深みある思索を経ないと分化される概念に、精神的不安定な地に着かない論理が現れ言葉ばかりが踊り歪な態度を表される。基盤面の不確かさは二次三次の原理の欠陥を作り領域の痩せ細った性質と現れる。経済や政治という概念と人間の根源性の相関をしっかり掴みだす土台と基幹論理に至って枝葉や実という成果に及ぶ規則性が生まれ、根の不良は力んだ創造を齎せる。基礎教養としての文化論の良質性が良好な専門性へと反映される。現代的な物性依存や過度な管理志向や頭脳寄りの体質から精神面の歪みが醜さや不快を齎し小手先の改善では留まらない根源的な人間の修正への焦点が生まれます。へんてこな学者や政治家、マスコミというバッタモン同士の空騒ぎ目に余ります。

5)問題への対峙に見る人間性

違法かどうかの見解を示すには、直接の該当する条文と事象の特定を持ちこの相関で判定を見せて表現者の見識が浮かび法という限定上の感性が表される。これ以前に、多く人の立場は善悪美醜から物事の判定を取り、良いは増進、悪いは削減という感覚が備わる。在る行為をとり他者からの快不快感が示され、指摘への納得感や賛否の程度で異同感覚が生まれ、互いに詳細な論理が組み立てられて精緻な感覚が示される。その根源的な根拠にどんな感覚を充てられるかが反応の源泉となる。この部分が変容しづらい皮膚感覚と言え、そんなに違いは生まれないようにも思われます。

しかし普段の規則性や幼少期から永年の歩みで形成された特性が体質となって固められ、ここにあまり大きな違いを作ると皮膚感が大きく異なって相違の幅が広がりなかなか同一性を創り上げるに及ばない。社会的に大きな影響力を備える人々に在っては、自然な感性の在り方について利害関係者から問われ、法律よりも皮膚感覚から関係が作られて関わりの深度に及ぶ。法を持ち出すよりも、自己の適正な論理を組み立て他者との真摯な比較で対立や和解を見せられて調和に及ばせる自主内発性に人間力が判定される。

法を根拠に取るかよりも自己の尺度に沿った見解が先立ち、法の所在を知り法自体と自己の尺度の異同が現れ利害の対立を調和に導く方法が創り出される。こうした思索過程で見ると、違法かどうかはかなり限定的な焦点の適合性で在って善悪美醜の絞り込まれた判断を示す事に成る。誰に対して説明される事か、どんなビジョンを志向されるか、全人格的な姿を分母に部分的な事象が取られてバランスの良い総評的な表現が見出される。その上で見る人がどんな心象を抱くか、対話の持続に叶う相互的な感性が繋がるかという道筋が生まれる。

問題事象の発生は良く知る機会に成り学びの場面と置いて実直で真摯な反応を見せて良好性への力に転換する。逃げるような態度をとる程に不信や疑念が深まり問題をマイナスへ回して距離の遠のく関係に及ぶ。逃げ癖や誤魔化し癖、小手先型の体質は真正面の反応と外れて良好な対話を作られず堂々と考えを示す心地よい姿を多くの人は望まれる。後ろめたさを持つほどに基軸の弱い論拠や反応が顕著に浮かび上がる。善し悪しへの心象は体全体から伝わりそのままの実感に及び次後の関係に連なる。「あいつの言う事か」という先入観へ及び途切れる事のない因果が生まれる。体全部で認識が生まれ手先の反応を規則性にする体質と映るか、この辺りが根源の性格と捉えられ記憶の深くに留められる。

3)健康理論

生活の基本リズムは整理整頓や清掃に始まり心身を清めて健康な衣食住を取る事に快適性が生まれ、下限面を優先して積極面に回る手順が備えられる。ごく当たり前の筋道が各所の作法に及び基軸となる規則性が作られる。性質は下限面の観測や感度の変化で抑えられ下流の原理に反映される。根の下落が積極面の質を規定し、自立や共助といった関係にも現れ根本の感性があらゆる創造の起点に捉えられる。この基本的枠組みが個人と集団、民間と公の性格を作り、公についての基本認識が対人形成の基準を作る。政治行政、報道機関、教育関係に形式的な公概念が生まれ実質的には多くの生活者の感度で現れる。社会システムの固定化から感覚の開きが生まれ下限の感性の水準が変容して各種の問題が現れ、快不快感への自然な反応を取って自浄作用を保つ仕組みに在って社会改善の基軸焦点と定まり、空間の健全性が図られる。肥満な体質から下落した感性には必然の工程を課す筋道を執り行い安定と成長の軌道が持続する。停滞の原因はこの仕組みの不正常な状態にあり良好な気持ちを妨げて建設性の力を阻害する。物理依存に陥って新陳代謝が遅れるとあらゆる細胞へ悪性が及んで歪な成長を齎せ、感受性の起こり方に異変が生まれ健康な心身を崩されて社会の衰退というスパイラルが深まる。健康な心身の上に適正な力の用い方が生まれ大きく軌道を外さない制御が齎される。力に振り回されて心身を壊して周りへ悪性を回す事のない主体性を作る視点が生み出される。金の為と割り切って悪性の放置や利用する事は同類であり、共犯者と見做して対処する事が自然であり知らなかったは通らない。このような健康理論を基礎に文化体系が作られます。

自立と共助の適正と改善の概要

人の心配などよりも自己の生存を先んじて自己が直接的に対象とする生産へのエネルギーを投じる事が第一義に置かれこの確立の上に余分な所へ視線を取る余裕が生み出される。自立と共助の基本的な筋道となり長期的な人々の健全な性質と表される。

自己の生産へ被害を齎す事象には、それへの対処を粛々と求められてしかるべきであり、直接性の生産事物と間接的な因果の想定を持ち影響の程度を図り、プラス・マイナスの実感を取って、プラスは増、マイナスは減への反応が生み出される。これが自己の確立となり、マイナスを与えながら何かを世話する等という客観性を欠いた奢りが不快の代表的なまやかしの感性であり、長期的な性質の悪性から客観認識の劣りに及んで、頓珍漢な感度や態度を表す事に成り、欲望と力と責任の不均衡を表す。

加害者や犯罪者の認識を取れずに、外界への過失を求める感覚の歪みが中期的な構造の規則性から長期の性質を作り、自立の弱さや感違いと過剰な要求の皮膚感と及んで個別事象となって顕在化する。これが和を乱すサイクルとなり一義的には自己生産への真摯な集中に力が投じられ、関係の弱い所には視線が分散される事無く、適当な調和形成への軌道を持つのが健康な根や軸足を持つ主体性と描かれる。この中で正負の事象に真摯な対峙を取り、自己の生産を客観的に捉えた歩みに及ぶ。

肥満な感性からあれもこれもと視線が定まらず、被害や迷惑を与えている自覚に及ばない奢った態度が生み出される。自立の感違いという悪性は長期的な性質の劣化で在って、ここからの被害については、弱める事のない適当な対処にあって負の拡散が留められる。分母と分子の関係の掴み方に様々なパターンが現れ、肯定的に捉えられる場合と負の根深い現れと見られる場合とが生まれ、この論理の取り方に皮膚感覚が現れ反応に及び調和を創り上げる活動へと及ぶ。

永年の規則性から、適当な欲望と力と責任の均衡感覚が形成され、接する領域との異同感覚が作られる。あまりに偏った異質性に及ぶ事のない健全な主体性像を探りだし、その劣りには粛々と反応を下す感性が適当であり、この作用への直接間接の弊害となる諸条件を冷静に浮かべて変化の序列と実施工程を描きながら不快への対処や予防、快適の伸張という施策が投じられる。局所事象の認識が取られ、そこに見る性質を浮かべ、性質が生まれる構造へ視線を及ばせ、構造の適正を見る権利義務の均衡とその乖離という認識を掴み、一般認識化へと強め変化へのエネルギーが集中する。こうした総合的な重層の対象化で実際的な現象の精緻な動態を描き出し、理性的な分析による実質的な実感に及ぶ改善の工程が描かれる。

和や調和、平和は黙っていては訪れず積極的に創り上げる概念であり旧来的な概念からの脱皮が健全な感性の増進と解される。この適当な作法を提起するのが文化論という方法であり説得力に及ぶ根源的な焦点から個別事象を配列して明瞭に表し事象を創り上げる力に及ぶものと思います。ゴミを放置すると辺り一面がゴミだけになり、この片付けを何より先んじるのが普通の感覚であり、異臭がする所で健康な衣食住は生まれず下限を直して良好な積極策が生まれる。ごく当たり前の筋道を取れない事が長期の性質に見る慢性的病に思います。