文化の仕組みと改革の手順

文化の仕組みと改革の手順

主体性の内実をよく表す場面に、失敗や過失を与えた際の対処の仕方が上げられる。この基準と許容範囲という基礎感度が、日々の規則性や成長の過程から創り上げられ、分母的な感性と異質な感性との相違が生まれる。ここの皮膚感覚に文化という中枢的な性質が浮かび上がり、これが交流や協働、共生の程度に反映される。

物理依存症で理性面の育たない感性によると、この適正な感度や態度が現れず、けじめのつけられないクズという心象が変わる事無く、関係の修復には及ばない。そして別を選択する事が多くの人の判断と及ぶ。寡占的市場や力の格差という構造的な歪性を生まない事が、平等思想を根にして作られる必然の課題に上がり、欲望と力と責任の均衡に展開の尺度が設けられ、過不足のないような要望を自制的に作られる主体性で在って、健全な心身を備えた感性の実感が生まれる。他に要望されるまでもなく、自らの責務として、影響に相応しい変数への配慮を想定して、生み出す事への重さを自覚の上に、表現に及ぶ。これが生滅感覚を土台にした感性を表し、生きる事や言論や行為への重みになって、共生性を有する主体性の在り方と描き出される。

この感覚が著しく異なって、作る事への安易な作法が、がらくた的な人間像に及び、これに留まらず、人の生産を盗むような行為に至っては、目の当てようがなく、失敗や過失に対する適当な反応などが生まれるわけもない。タダのお騒がせものに留まらず、悪性の根源と特定され、その感覚が瞬く間に周囲に広がり、文化の基盤を破壊する。この代表が一部のマスコミや政治家、財界人、学者という類であり、人間形成過程の適当な歩みを外して大きな力を適正に使いきれない暴走を齎せる。

感覚や感受性を通して事象を創り上げる工程の経験が劣ると、健康な観念が頭に創り出されず、短変数型の方程式で、ガサツな創造を表し、世間をお騒がせする。それに留まらい実害を齎せ、それへの感覚も現れず、市場の選択性が備われば、自然淘汰が進められるものの、寡占的な構造に置いてはこれが進められない。

こうした原因認識も概ね出そろい、後は本気で過保護な規制を取り払い、健全な市場作用が回る構造を創り上げるという改善施策が現れる。万人的な基礎教養として深め、大きな健全な改善意欲を収集して、悪性の生まれる原因を変える事によって、正常な感性を壊さない保守の神髄的な実践が齎され、適正な社会システムが恒常的に備えられて、根源的な感性が堅持される。

この焦点を中心に取って、マイナス面の対処と予防の施策を粛々と投じる事が求められ、根本と幹の良質な構造と、エネルギーの良質な循環が強められ、枝葉や実が付いて、樹木という有機体の健やかな成長に及ぶ。これが文化政策となり、物性型の利己主義に、健全な尺度を持って欲望と力と責任の均衡を植え付け、他利を作り自利を得るという社会の基本原理が固められる。ここが適正化すると二次三次の原理へと派生し、良質性が乗数的に広がり好循環という状態が加速する。経済や政治、法律という概念を作る前段的な文化概念の適正な形成が、あらゆる事象の出発点に在り、ここが狂ってはひ弱な上物が創り出される。

基準観念と対処と予防の適正な基礎を作る事が、人間の良質さに反映され、長く良好な創造性を齎せる文化の仕組みが創り出される。これが落ち着くと自主内発的な自律や自制の成熟した人間が増加し、歪な感性への抵抗が強化され、太い強い性質の主体性が柱と立てられる。このような点が抑えられずに観念体系ばかりが先んじられても、形骸化に嵌まり、作り手の利己的な願望の充足に留まり、他利を作りださない。抜本改革が先行して、その結果の観念である事が、統一的な感覚と感受性を経て作られる生きた体系として描き出される。歪んだ感性からは、この着手する部分と手順の相違が現れ付加価値の弱い生産性と現れ、歪んだ感性自体を顕著に浮かべられる。

主体性の表現

根本の感性を根にして個人や集団という単位での基本的な性格を表すのに、主体性という概念が用いられる。これがビジョンに向けた方法の初動的な観念と成り、この同一性がその後の工程での良好性を生み出さす。

一人前と称されるには、永年の時を経て感覚と感受性を経ながら形成される確固とした観念体系が備わり、その基準尺度に対する公平公正な適用の実感が生まれて質実の伴う主体性と判断される。この状態に在って外界へ対する評価にも筋道が通り他者へ向けた真摯な態度が表される。過剰な要望や我儘、恣意的な態度から生まれる評価とは峻別され不動的基準を有する一つの見識と捉えられる。

主体性の確立された人格であれば自論や自己紹介が整い、言葉や概念を持って外界への明示をする事にも自然な感性と受け止められる。過剰な売り込みのような力んだ姿に寄らない御案内であれば違和感は少なく不快感を作る事には及ばない。そして、より一歩進んだ今日的な態度は、この事自体が一つの責任感を示す行為と成り、一端の主体性を自負されるのであれば、自己の理論を堂々と掲げて名実ともに一貫性の備わる実態を見せ信用が生まれる。誤魔化しや逃げの態度に寄らない有言実行に確立された主体性が映し出される。

他者や外界へ対して何がしかの注文を付けるに際しては主体性の形成度が評価への説得力や納得感に及び、実態的人間の状態に自他からの認識が先んじて評論への評価や信頼性に及び、頭ばかりでの論を展開されても体から示される質実が弱いと言葉自体への重みが備わらず真剣に傾聴されない。ここまで含んで完結性の高い真価が計られ言行の一致、表裏の一致、質実の一致といった感覚と観念の実感を含む認識に健全な態度が表される。このような根源的原理を置いて各種の問題事象へ評価が加えられて平等思想に基づく真摯な対象との対峙と映し出される。

「憲法等に主体性を明示すべきか?」といった問いに対しては以上の論理からすれば自然にお示しする事が主体性を表す行為であり、これへの提案や批評を行える条件は体系を備える主体性と成る。対話は自己体系を提示し公平公正な適用にあって健全性が生まれ、対等に各々の尺度を有した主体性間の向上化という意見交換のような会話に及ぶ。これが外側との対話であって、内側に向けては在る程度の責任感覚から確かな尺度を明示する行為に及び、「こうだ」という自身の型枠を示し領域を先導する態度が示されここが弱いと形式的な肩書が宙に浮き真剣に耳を傾けられない。

「これに従うと、こう成るよ」という予めの原理と実際の積み重ねから指示命令という行為への真価が測定され一方向の態度に正当性が生まれる。「こう成るよ」という志向性への同感と「これに従うと」という手法の確かさが問われ逃げを慢性化する体質や能力が乏しいとこれが示されず人の前で表現をするに値せず当たり障りの良い表現で実質が空となる。「価値を押し付けるな」という態度は、確固とした体系を示しきれない言い訳や誤魔化しの態度に映しだされる。実質的な結果の積み上げによる価値の測定が先んじる。強要というかは別にして責任感から確たる型式を示すに及んで主導的立場の適当な態度が表される。

そして外側と内側の整合に内側の中枢的要素から生まれる全体的なビジョンが描き出され内外の一貫した原理が生まれる。責任感も能力も弱く原理の提示もなく良い所を盗む為に居座るかの管理者や社会システム上の重要なポジションの不適格な人員配置に陥る事の無い適正な判断が下されて健全な質実を伴う平等思想の実態化に至る。形式的な一人一票という平等概念が在る一方で、現実的実際的な欲望と力と責任の均衡で見る平等概念が、生きた人々の皮膚感における公平公正性を作り上げる。法と実際でいえば後者に実がありこれを作るのに前者の形式が方法と備えられ、法が目的化しては歪な感性を作られる。

適正均衡原理

適正均衡原理

過度な力の格差に在る構造を作りだす事は、相互的に見てどこかに過剰な力んだ欲望による結果であり、そう大きな政策の違いは通常生まれず、利己的な支配願望が、力を集約させずに独り善がりの態度を招き、実際の検証によって自己への期待や信用の程度が測定されて、実力を客観的に実感される。

そこから反省への発想へと向かい、基準の緩和ややるべき事の絞り込みに及んで、共通性の幅を設けた勢力を創り上げ、二大勢力による力の均衡を持たせて、緊張感を持つ構造が生まれ、格差による暴走を予防する状態が生まれる。

ここに在って、適正な権利義務の行使が取られ、平等感覚と離れた傲慢な物事の運びは縮小され、健全な対話の構造が創り上げられる。個々人の過剰な欲望や自己の客観視を欠いて、実際状態と大きく異なった力みからは、健全な事象の測定を弱められ衰退の道を辿られる。そればかりか負の影響が及んで、空間全体への健全な感性を崩し、極端な発想が進行する危険性を孕まれる。

特異な欲望が過度に進むと均衡を創り上げられずに、急激な変化を生み出す事への懸念が上昇する。このような状態に在る寡占的構造から、歪な感覚が慢性化して、犯罪への感覚も崩して、一方向的な強欲性をまかり通す事態に至り、健全な理性を壊した物性原理の推進と成って、失敗への適正な反応を示さずに、自然な浄化反応が回らず、健全な感性の壊れた秩序が押し通され、適当な社会の原理の備わらない秩序が固められる。

妙にどこかに有利な偏った基準が現れ、平等思想の欠いた運用による格差の固定化に及んで、空間の活力を喪失される。持続的な繁栄の軌道と離れ、局所的な利益を求めて全体のパイが縮小し、成長の持続に及ばない衰退の流れを強められる。均衡の原理をベースにして、二次三次の健全性を図る効用が生まれる。構造と性質の密接な相関が表れて、局所の事象が規定される。或いは局所の良質性を持つ強い力が構造を創り上げ性質を変えられる。

これらを行ったり来たりしながら、実際の力の検証を重ねて、正負を抱きながら質感が作られる。静態的な固定化から負の精神性が生まれ、肥満な性質による歪な感性を高める事無く、動的軋轢を適度に作りだして、健康な感性が持続する。この免疫の劣りから、歪んだ手法に着手して、物事の問題を複雑化させ、修復の困難なねじれを作る事のない健全な軋轢や衝突を常とする感性が備わって、物性への過度な依存に寄らない生身の健康な心身が持続する。

頭へばかり偏した規則性から、感覚的な衝突の免疫が劣って、歪な精神性を宿らせて、力の多用や表と裏の乖離を招き、人間関係の歪んだ事態を作らぬような、健康な人間像を強調して、不動的な型枠の認識を基礎に備えて、一定の健康な感受性を有する人間の性質が持続する。もの依存の生活習慣への進行による弊害を抑えて、人や自然の均衡的な関係を創り上げる焦点が、文化の中心的な発想と現れます。

日本の道

日本の道

衣食住や人との生身の対話から浮かび上がる快不快や喜怒哀楽という実際的質感と全体集約的な発想に見られる管理的仕組みといった両輪で、持続的永続性を意図した活動が創り出される。前者の為の後者というのが支配願望型に寄らない個々の充実を求める基本形であるものの、物性的な原理で個々人の欲望過多に陥る程に、全体的な観点からの調和策が求められ、ここの成熟度が浅い段階では、大枠的な計画性を描き、諸条件の適正さを導出するアプロ―チが必要になる。

自主内発的に物性的欲望を適度に制御する理性的な個々人といった健康像に対して、力の原理を強めた一部の手法が働くと、個々人の非力では限界が訪れ、より広げた法人組織等の主体性に対する制限を課して、過度な物性に寄らない行為を促す中局的な観点からの施策が投じられて物理と理性の適正が調整される。更に空間における資源や人口の分布面から、局所的な偏りにならない制御策を持って中心と周辺という力関係の広がらない成長が想定されて力の均衡を保つような作用が望まれる。

このように実質的な欲望の充足の良質性を図る為にミドルやマクロという観点からの管理策を適当に講じる必要性が謳われる。即ち、管理という行為の動機の取り方の適正が問われ、物性と理性の良好性といった視点に寄らないと、一部の物性を拡大する事が目的になって、力と責任の均衡を欠いた向きにエネルギーが回り管理の意図する実態的相違が現れる。一部の主体性の過度な欲望から物性を働かせる向きが過ぎると、全体的に見たバランスの良い成長とは間逆の一部の繁栄へと傾き、全体で見る大きな利益を萎ませ、短期的、即効性の成長が取られ全体を衰弱化させて長い繁栄や成長軌道と乖離した事態を招かれる。

こうした状態で見られるのが、日本列島における因果の分析となり、或いは世界的か、アメリカ的な発想による管理概念の急速な進行にも映りだされる。管理概念や力の概念、主体性概念、健全性概念、平等思想等々の根本的な概念の確かな形成に及ばないと、感覚的物性の力が進行して長い目で見る良質な状態を欠いた安定と繁栄の姿に陥る。

急速な繁栄を意図せずに生命の着実な持続性や長く積み上げられる躍動、万人的繁栄といった人間像のあり方を根に据えて健康な成長ビジョンを備えた固有の欲望と管理の適正が問われる。こうした観点が脆弱であると物性の制御が弱まり理性の弱い物性の用い方が強まって破滅的な荒廃を招き一部だけが潤いそれも長くは続かない短絡的な事態にぶつかり哀れな結末を迎える。

以上のような分析が確率の高い社会現象の規則性にも思われ共通的な認識が備えられると各自の見識が高まり、個々の野放図な欲望を抑えて長く健全な発想に沿った意見や判断が現れ全体の意見に集約される。基礎教養として世界的に備えられるべき、普遍の原理と訴求されて統一的な感性を創り上げて、根源の理屈を抑えた二次三次の原理を設けて大きな利益を作りだす軌道が創り上げられる。

一部の民間組織の未成熟な気の振れた感性や、権力者の歪な欲望に及ばないように、持続的永続への志向性を揃えて自主内発型の理性と物性の良質な用い方へと及ばせられて、人間の成熟度が高まり不毛な争いが回避され、建設的な前進性のエネルギーが向上する。少資源という自然環境の中に在る日本社会に置いては、質の良い高付加価値の概念や創造性を持って、世界に貢献する道が現れる。どこの空間に置いても通じる幸福感の上昇に及ぶ普遍的な原理の確立と提案を示す事が生存への方法になり、ハードの技術のみならず、真の利益に及ぶ生産性を積極的に提起して、多くの人へ喜ばれる存在を意図する事が統一的なビジョンに相応しいものと思います。

模倣的、従属的な主体性に寄らず、ゼロベースからの原理創造に及んで、小さいながらも光り輝く存在として他者への有用さを提供する自立と協調、共生の道筋が健全な感性の示し方にも思われます。力への従属的なマインドからはこのエネルギーが現れず、やがて存在感の弱い衰退的な道を辿われる。これを回避する強い方針と態度に在って確かな道が拓かれる。英語教育等に重心を置くようでは痩せ細りの創造しか表現できず、根源的な原理を作る事が何よりも優先され、基本観念の取り違いは誤った結末を迎える。中心に備わる人間の感性がひ弱であると繁栄は見込めない。日本文化の優れた感性を今一度確認の上に、軸足を確立して未来への進路を描く思索が欠かせない。

盗み癖を持つような者を担いでは恥を晒すばかりだと思います。

7)清々しい態度

「清々しい」という言葉に調和形成の肝が浮かび、この状態に至るには、共通の基準と公平な適用が要件に上がり不透明さや納得感に欠けると気分の悪い状態が生まれる。スポーツであれば比較的明瞭な基準と共通認識の下に優劣が現れ、良くない結果に及んでも公平公正な土俵の上での反省を持ち、足りなかった部分を鍛え直すというマイナスからプラスの正常なエネルギーが投じられる。社会生活においては生産活動の中で技術を磨き需要者の要望を視野に含め、負担と技術と質が形成され、両者の合意が取り付けられ、提供と利用の循環で細かな不一致等の実感を掴み、更に適正な快適への対話を作りエネルギーの投入と返答の納得感を高める健全な関係が志向される。このような筋道に在って一定の清々しい調和形成が生まれ、マイナス的感情に及ばないようにプラス軌道へと各人が意識を備えながら、前向きの活動が継続する。これが多くの対人形成のポイントで在って堂々と事象への対峙を持って相互信頼に及ばせる真っ当な筋道と描き出される。裏でこそこそせず、出来る限り基準となる尺度を明示して忠実な潔い反応を作り健全な心身の所在が確認される。そして、社会的に影響力が備わる程にこの潔さが求められ成熟した客観尺度の形成と明示と適用に及んで良好な対話が形成される。影響力という力を利己的な性格に向けて用いられる面と外界からの適正さにギャップが激しいと、人々の期待を欠き力の是正や責任の強化や質自体の更新により適当な基準が設けられる。この持続的な活動によって不快感を生まない清々しい状態が創り上げられる。贅肉が溜まる程に対応が鈍感になって各種の不快が多発し、感度の劣りに適正な範囲へ改められ自然な浄化作用が進み、停滞すると不快が積りあきらめに及んで対話の断絶を招かれる。例えば、政治の投票率の低さの原因はどこに在るか、複数の要因が現れる事に思いますが上記のようなメカニズムと現況の適正評価を把握し何れに置いても低いという事実に対して相互的に改善を進める事が正常な反応に思われます。寡占的需給構造に置いては特に力の偏りが生まれ悪性の事態を招きやすい傾向にあり、緊張感の下落を防ぐ常態的な仕組みが設けられて歪な感性の深まりが留められる。これを欠くと異質性の感度が増進して突如大きなアクシデントを起こすと想定されます。犯罪を犯罪と感じない精神的な劣りに及ばない為の自律が問われ、適正尺度の形成と適用の健全な感度を客観的に計る施策という二次的な仕組みが求められる。こうした焦点が文化の主要な関心ごとであり、健全性という概念の中身を示し、これを抱ける事が長い規則性に繋げる肝と考えます。良好な気流を停滞させずに向上させる意識が注がれて健康が維持される。「清々しさ」を損ねる主体性に及ばせる事無く、或いは相当の歪な精神性が確認されれば直ちに対処を取り拡大が予防される。こうした性格の事象は我慢するような事柄ではなく自然な反応を示す事が、健康な人間性を守る為の肝要な点であり、一つの普遍的原理として重要な位置を占めるものと考えます。

お荷物の坊ちゃん議員

田舎町の地主の倅で市議会議員という類の考える事は、旧態の自民党政治という性格が濃厚であり、区画整理と地元の建設業者と、寺や神社と関わって、ずぶずぶの利権体質に染まり、税金をむさぼり取る姿で映し出される。権力従属的な体質が顕著であり、外へ向けた改善よりも内から絞る能足りんという頭の無さが、明々白々と感じられる。農家自体は、立派な職業であるものの、農作物を作らず土地を貸すか、賃貸住宅や貸倉庫で不労所得を上げる怠けものという実態である市議会議員が少なくない。目ざわりなだけで悪臭を漂わす、無能な世襲の代表が、近隣にも伺える。自民党等の中央の政党は、この手のお荷物をしっかり指導する立場にも伺えますが。皆様の町ではいかがなものでしょう。新座市は、未だに地主の馬鹿倅の市議会議員が残存しているかに感じます。

人間の能力

経験から作られる事には、スキルの向上面と理念の形成に大別され、前者は感覚的な場面を豊富に体験し「何をどうするとどうなる」という知見が積み重なる。後者は事象を通して人との感受性を体験し、快適や不快という態度の生じ方を学ぶ事になり、両面の統合から良好な関係形成を意図した技術の確立と実践の真価が測定される。技術力が向上すると共に力を良好な感受性に資する用い方と離れた悪用方法も浮かべる負の側面が形成され、こちらに偏ると経験自体にマイナス評価がつけられる。

初心となる動機の健全性を堅持出来る性格面に重要な評価点が備えられて経験の適正が問われる。人間性とスキルの両面の伴った経験から確かな創造への評価が生まれる。経験から作られた人格と能力の吟味に及ばず知見ばかりの評価によっては組織を傾かせるリスクが高まり健全な感受性の不動性を根にして特殊な技術の適正な運用や持続的探究心を備える規則性が体に染み込んだ性質に確かな成果を導出する要件が浮かび、これを標準とした客観評価に健全な感性が示される。

こうした点は評価する側の体質に良質性が備わって同質的な人間が集まり、一方的な要望過多の希望を表されても、相互的な快適感の持続性に及ばない。似たような性質が集まり類は類を呼ぶ自然な因果と浮かび上がる。こうした構造を許すマクロ的需給のアンバランスに及ばない中期性の政策の程度が計りだされ、そこが作用しないと局所の歪さと生まれる。構造を作るのは長期的な性質により、欲望と力と責任の均衡した主体性に在って、期待される成果を導出する事に連なり、この過不足が構造に及んで局所事象に現れる。健全な主体性像と客観評価から全体の適正な循環が生み出される。

このような理屈に純粋な原理創造の型枠が示され適正な配置を粛々と取られて健全な成長の軌道が作られる。能力は知見と人格を含み人格を計りから外しては客観的な測定に及ばず大きな間違いを生まれる。頭と感覚と感受性の一体で人間像が作られ欲望と力と責任の均衡を目安に各所の配置の適正が生まれる。人間の良質性という要素が重要なカギに備わりこれを欠いた評価に在っては健康な成果に至らず、歪な精神性が深まる欲望過多の人格が物理性を利己的目的に多用される。大きな穴を持った評価体系に見受けられる事も少なくなく結果として現況の仕組みが生まれ正気を外した局所事象が発生する。

以上のような映し方が文化論からの抽象であり、どんな観点を軸に取るかで構図の中心や周辺の輪郭が変わり心象が異なって生まれる。何がしかの尺度の下に事象を取り上げる作法が平等思想に基づく真摯な対話で在って尺度が曖昧であると恣意的な利己的欲望を示す事になり観点となる原理の形成と提示が健全な感受性の実感点になり理念の実践と表され人格の一面が映し出される。多様な観点の提示と評価という意見交換が盛んに生じ見えなかった事が見えるようになり知見が向上する。健全な理念の所在が欠かせない共生や協働の要に置かれ、その一点に共通実感があると見解の相違に寛容性が生まれ異同の尊重と現れる。こうした規則性が備えられて原理の向上軌道と客観的事象の対峙が続いて健康が掴みだされる。以上は頭脳寄りに偏した秩序となり感覚的行為面を合わせてバランスの良い原理の実態が掴みだされ心身の健康と解されます。

人間の生産

機能性の製品に対して、情緒性の製品は作り手の感性を根にして製品の丁寧さ等に現れ、手間を惜しまずに力を投じて、受け手の側にその感性が伝えられる。機能性も、基本的な構造には変わりなく、人々の健康の増進を叶えるであろう作用を探し、製品に組み立て消費者の手元に届けられる。こうした感覚を抱く事の出来る生産者と利用者の共通的な感性を根にして需給構造が形成され長い規則性に備わり、互いの健全な感受性が創り出される。

エネルギーの質量の弱い生産になる程に、受け手の側への思いに及ばず、粗雑な感度の物事を表に出して、一過的な刺激を煽るような財の提供で荒稼ぎのような発想に及び、需要者も同一的な感性で満足される短サイクルの需給構造が作られる。入手してはすぐに廃棄し、だめになったらすぐに取り換える機械的な発想が浸透して人への感性の弱まりが示される。盗み癖や詐欺という感覚に及ばず、知らず知らずのうちにこの感性が常態し人間の精神的な荒廃と現れる。

自然や物の生産過程や消費の感覚が人との感度に反映する因果と示され、それが人間像と現れ変化の過程が実感される。多種多様な製品間の因果によって、一つの製品や市場の性格の変容に連なり人間像に現れる。基幹的な生活の主要な製品の変化は、あらゆる製品への変化に及び、インフラ的な性格を持つ製品の影響は計りしれない連動性を生みだされる。正負の作用を勘案の上に物的力を安易に用いず、人間像から製品を創り上げる流れに在って適当な製品が設計され用いる発想が作られる。この向きの思索を適度に備えて自然と物と人の適正調和が叶えられる。

人への焦点があてられる文化論という探究から現れる論理であり、この総合的な構えが置かれて、産業経済や政治行政の適当な創造性に連なり、長期的な感性への考慮の下に感覚的な質感を想定して、有形無形の製品や原材料や自然環境、生産過程の適正が導出される。

短期的な経済成長にはマイナスの要素に連なる事にも思われますが、長い観点を想定すると人々の根源的欲望に即した創造性に至りこの面に経済効果を充てる発想に及んでも不思議はないように思われます。寧ろこの観点を欠く方が経済的損失とも言い換えられ良好な人間に連なる生産性という発想を基軸に置いて真の幸福感が生みだされる。人間像への思索を及ばせる創造性が併存されて健全な生活のインフラが備えられる。

真に利益を追求される生産者に在っては必然の観点と現れ、自己生産のみならず他製品の性格を視野に含んだ全体観を備える重層の認識構造を描き、自他の製品への意義や理解を掴む感性に及んで、普遍的な原理を含む人間性が浮かび上がる。多様性への尊重は人間像の抱き方から現れ、ここに健全性という姿を含ませられて違いへの寛容さや創り出される物事への安易な転用や引用といった粗雑な振る舞いが抑制される。ゴミのような感性は安直な生産の規則性から作られ、盗みを盗みと思わない狂った人間を作られる。これに至る需給構造等への環境を大局的に浮かべ、問題の特定と改善への施策を投じる事が欠かせず起点になるのは健全な人間像であり二次三次の原理が作られる。

良質な静の為の動態

良質な静の為の動態

集団を束ねるトップの人間性が組織の信用力に反映する。この人間力に、文化人としての健全性概念が適用され生産倫理の優れた外界との交わり方における人間の魅力が浮かび上がり、他者への過剰要求へ及ばない自己を律する潔い好感が生まれる。

無から有を作り出された過程を持つ主体性には過去の実績という何物にも換えられない説得力が生まれ未来への創造に信用が投じられる。創業者とサラリーマンという物事を作る深さや幅の違いは格段と信用の差に現れ荒波を超えてきた精神力の違いへ対して自らの財産や生命を懸けるに値するエネルギーが注ぎ込まれる。こうした面をもって「哲学の違い」と表され根源からの思慮を備えた質実を掴みだす嗅覚やエネルギーの違いと現れ表層の希薄な論理に深い厚みや重みを見せられる。論より証拠となる何物にも変えられない説得力が示される。頭脳と感覚の活用から芯が育ち、物事を作る上での信念という揺るぎのない感受性が生まれる。この差が体質の差となり人間力の相違は顕著に映し出される。現代に浮かぶ問題事象の一つは肩書や権威があるとされる職業に就かれる人々の内面的な異常さが度々事件と表面化し外観と内面の激しいギャップと映し出される。頭脳的な側面と感覚や感受性との分断的な規則性から実質的な倫理道徳が育たない歪な精神性が作られて生じる異常な感性であり、表向きの美化に対して内面が伴わない分断性に突如異質な事象が生まれる因果と浮かび上がる。頭脳によった作業に偏り人や自然との直の対話の持続的な交流によって物事を創り上げるプロセスから健全な精神が宿り過剰な美化等に寄らない実態的な健全さが備わって人々の信用が当てられる。こうしたごく自然な発想や体験的な真価が当たり前に押し出され歪性と健全性との明瞭な峻別が進み適当な社会秩序が増進する。このような論理と流れに在って自然な淘汰が果たされ健全な産業経済や政治行政に欠かせない安全装置に及びこれを歪んだ発想から留めるような勢力に毅然とした反応を示す長期的な性質を崩さない人間性に健康な精神の動力源が見てとれる。ここに根源的な真価が現れ良質な根や背骨と固まり枝葉や実を作る有機体と形成されて持続的安定と繁栄を結ぶ確かな力と認識される。健康な人間形成のプロセスやそこから生まれる発想や振る舞いが抽出されて健康像と固められ、活動の指針と強調され確かな事象を創り上げる力と働き、歪んだ性質の予防や適正な対処が進められプラス型のエネルギーを弱めない両用の視野を備えて、正しい軌道の活力ある世界が生み出される。妙な肩書等に変に振り回される事無く質実を適正に掴みだすゼロベースからの根源概念が有用であり歪んだ性質には相応しい反応を見せ健全な勢力の自然な増進が生み出される。力に縋って精神面の劣った振る舞いから不快感が生まれて自然な反応を示すサイクルが粛々と回り健全性が確保される。この自然反応が健全な人間性を表し不動的な規則性にあって未来への確かな遺伝子が伝承される。ゴミはごみと感じられる観測作用が重要な皮膚感となり実態を掴む為に対象に近づき真相を見極める挑戦も欠かせない。遠くから安易な評価を下す事無く自身の手足で感じ取り創り上げる規則性が基礎に備えられる。この建設的な挑戦心が途絶えると腑抜けた精神が作られてゴミを貯め込みゴミと化す。それに気づかない鈍感さは淘汰の対象と成り相応しい配置へと回される。このような過程に健全な基軸的人間性の確たる芯が形成され揺るぎない安定基盤が維持される。じっとして守り型の態度に在っては芯が腐るばかりであり良心による活発な活動にあって健全性が守られる。

健全な感性と創造の良質性

事実が先んじる。理念やビジョンの下に組織図が作られ事業の収支が計画される。そこに実際の資源を投じて運用する中で、当初計画との各種ズレが生じ、それへの適正な更新が取られないままに、形式上の人員配置が残ったまま、実質的な意思形成のラインというものが浮かび上がり、表と実態の乖離した不健全な姿が現れる。客観的認識を欠いた過剰な欲望を持つ主体性によって、対象との真摯な対峙を避けて、ある状態を在る状態のまま形式上の更新を取らない歪な組織体が作られる。実質上の動きは形式上には無く各人の実質的な判断にあり指揮命令系統や対話の実質が備わる。事実上の標準に力が在り真実は誤魔化しきれず、形式上の居座りの姿は哀れな醜態と明瞭化され、次第に自身の客観性が強まって自ら相応しい配置を探される。感覚的な事実が先んじられ、形式的な上辺の付き合いは長くは続かず自然の理に即した形へと収斂する。表と裏の乖離の激しい性格の個人や集団は持続せず実態を把握するのに長くはかからない。このような自然律が健全に回る感性に健康な感受性の実感が現れ歪な精神性が表に明瞭に浮かび上がる。人間の変わりづらい良心が残り哀れな振る舞いは取り返しのつかない恥を晒される。信用を一度失うと取り返すのは容易ではなく、なるようになるものと思います。事実が重く着飾った衣やメッキは見透かされ誰もまともには信用せず、金だけの利便性となり利用する関係が生まれ、この利用という発想も感受性を崩す原因であり同質化する事に及ぶ。正直な態度が最も快適な活動性を生み、ここの変わらない性格に普遍的な原理が備わり太く強い力やエネルギーを生み続ける。堂々とした気質から客観的な事象の認識や評価が作られそれに即した循環に在って健全な感受性が持続する。平等思想を根にした表裏の少ない性質に日本文化の中心的な要素が浮かび上がり良好な創造性に連なる力の源泉に思われます。恥を引きずった精神状態から、力んだ行為が生まれる。冷静な判断を見失い多くの犠牲を招かれる。歪んだ行為に着手した事は消える事無く誤魔化しようのない事実として多くの人の脳裏や心に刻まれる。