文化の軌道

観測と表現能力が基礎になり、そこから評価感覚が加えられ、心理的なエネルギーの質量に反映する。これが社会現象の中心的な焦点に起こり、如何に良い気持ちの好循環を創り上げるかに活動の源泉が備えられる。対象とする範囲と、そこでの観測フレームが設けられ基準と誤差の知覚に及び、優劣の評価に公平公正性が生まれる。この事前型の型式を設けて適正を導出するアプローチと、事前型よりも新規性の要素による発見型の型式とを設けて、既成型の秩序と向上型の創造に在って前進的な発想を常態する健全な感性と肉体の状態が持続する。これに客観的な計測という視点が加えられ、自他への納得感の高まる評価に至り信頼性の向上が叶えられる。

こうした一連の動きの中で、根源性や全体観という尺度が基盤に置かれて各種の尺度や原理に反映し、長期と中期や短期や大局や中局、小局という時空の想定を持ち、長期的普遍性の原理を基本的な方向感に備えた前進軌道が創り出される。ここでの長期的普遍性概念の創造や探究が文化論の主要な関心にあり、この確かな共通的理念が揃う程に二次三次の計測尺度への納得感が生まれて心理的エネルギーの向上性に連ねられる。基礎概念と専門性との有機的な連携を持った全体概念が形成されて、実際の適用の適正と新たな発見を生む持続的な循環システムの形成が文化の構想となり、持続的安定と繁栄の世界を導出する活動と描き出される。こうした想定の中で主体性の在り方を中心にして型式の創造と提起が取られます。

過去の歴史的な積み重ねと良好な抽象集約を創り上げ、未来創造型の論理形成を強める施策という性格で浮かび上がります。人的連なりも大切な要素には違いありませんが、大きな利益を志向して、他利を作り自利を得るといった発想を向上させる事が人的連なりを良好にさせる事へと連なり、原理創造型へのエネルギーが良好な人的形成を齎せる。偏狭な利益に執着する事は健全な創造性を停滞させる。未来形成的論理を強めた規則性に在って大きな果実が生み出される。根本には確かな人間像を備えて全体ビジョンへの工程を持って力を注ぐ事に、適正な動態図面が作られる。局所の利益へ固まって全体を萎ませる利己性の強まりは負の事象と特定される。

純粋原理創造型のスタイルにおいて生命体の健全な状態が確保される。公への利益を描き私益が叶うという循環軌道に文化の道が現れる。甘えた盗み症は身内になる事は在り得ず身内という概念は血縁地縁等に関わらない。一部のマスコミや政治家に見られる坊ちゃん体質は不快であり基礎的性質の低水準は文化の基盤を弱体させる。犯罪を放置するインフラは在ってはならず、自律反応を見せられなければ、他律に寄って粛々と必須工程を与える事が必然と思います。

運用の指針

「欲望と力と責任の均衡」という基軸尺度を用い、実際の変容状態に即した均衡適用によって、動態に合う調和の姿が創り出される。つまり、自己の欲望に他者の欲望が備わり、これが大きなる程に力と責任も大きくなる。実際の運用で過不足を実感しながら3要素の微調整を持って主体性の制御が取られる。

この変動的側面に対して固定的な事柄が根本の普遍的原理であり初歩的躾や下限の制約が配されてここがどんな時空や諸条件であっても不変に取られるべき事柄になる。更に実際性という面を取り入れると相手方が悪性であればそれに応じた悪性の構えや対処が場合によって必要になりここを適当に変容させて現実の健全性を導出するものとなる。ゴミを相手にするときに普遍原理は必要なくゴミ用の対応も適度に身につけ健全性には健全な反応を返す事になる。このような実際運用上の想定分けをもって適正な動態が作り込まれる。物性依存症に陥る程に自身より不利な立場への適正均衡を欠いて物理的力で押しつぶす反応は責任の弱い精神的な劣りを示し健全性を損ねる。チャレンジや向上心は自身より優位な立場へ向けて行われ、全体を向上させるエネルギーに在る事が健全となる。このメンタリティーが根底の文化の質を映し出す。成長過程から作られる基礎的皮膚感になり長い時を経て生まれる変容しづらい感性が作られる。

                           手法

目的

力 責任
欲望 小
中
大

ここから見て基本文化を阻害する因子と伸張させる因子が明瞭化され適当な反応を持って根底の精神面が生き続け代々と行き渡る。低評価に「恥知らず」と称され欲望過多で責任の足りない体質が測定される。自浄作用を持って制御する主体性に在って健全な感性の所在が確認される。この調整作用が常に作動して健康な心身が備えられ、個人や集団、システムといった特定領域の性質に反映される。計画と実施と検証のサイクルが回り産業経済に基幹の実像が現れ中期的な構造に政治行政が働き教育文化の長期的質感に寄って軌道の補正を持って全体調和が進行する。検証の感度の適正さは相互的な評価関係に在り一方向の流れが常態化する事はない。内向きの性質は日本的な感性とは異質の人間像に映り頭からの体質形成に顕著に表れる。道具への過剰な依存や用い方の歪んだ状態は精神面の脆弱な欲望過多を示し適正な制御を行える力の質量へと見直して健全な主体性が現れる。これらを客観的に映し出す各種領域の型式を作り適用し改善するスタッフとラインの相乗効果を狙い理念と学問の分化を遂げて客観化し適用で統合され、精神と感覚の良好性が果たされる。学ぶ事や作る事はこうした動機が源泉になりエネルギーが湧き続ける。

健全主義思想

「他利を提供して自利が得られる」というエネルギーの投じ方と摂取の仕方が循環の適正な在り方となり健全な精神の状態と身体感覚を有する人々の規則性と映し出されます。欲望には自己と他者が抱く内容が備わり、それを叶える資源やエネルギーといった力が必要になり、それを適正に行使する責任が加えられる。この質量の均衡に主体性の健全な構造と動態が描かれて内外との適当な調和が生まれる。つまり、循環の在り方と適正均衡構造によって主体性の健全性が規定され、これを標準原理にして快不快や善悪美醜という評価の感覚が現れ、それに相応しい反応が示されて社会的な健全性を保つ仕組みが生まれる。個々人や特定集団、集団間や地域間といった各種主体性の健全な精神と肉体、精神と体制の良好な共通的像が備わり根本の原則として物事の良否を判定する尺度が生まれる。自由を求めると共に適正な他者との規律が作られ、投じたエネルギーに対する適正なリターンの持続する仕組みに在って、健全な有機体の安定と成長が持続する。このような思想が自然や社会との良好な関係形成に必然の型式であり、精神の健全性と力の保有や利用の適正な感覚や体制との一体的相関にある主体性の姿と規定される。肥満という表現が適正かどうかは別にして、他者への利益を作らず過分な力を保有して、その力を他者への不利益へ用いて利益を得るという循環と構造に悪性の主体性像が描かれ、詐欺や盗み、傷害といった下限的不快事象を発せさせる原因が特定される。これらの行為に対しては一切の妥協はなく適当な謝罪と損害の賠償を持って失敗への健全な精神と態度が示され、この工程から逃避させる事は社会への負の影響を広げる事に及び、個々に課せられる必須の責務として自然な本能を示す事に健全な基盤が守られる。こうした不快へ対しては物性に従属する事無く、自然に生まれる本能に従った健全な反応を堅持する事が必須であり、この姿勢と態度を強固に備え不動の原理と執行して主体性の根源的な性格が守られる。これが変わらない自然や社会との普遍的な原理であり、上位原理や基礎や基盤と在って健全で健康な生命体の仕組みが備えられる。主体性の基幹要素と配されてこれを中心にした人間像が描き出され、確たる行為の支柱にあって健康な感受性の堅持された生命体が作られる。こうした思想が幾代に渡り引き継がれて実際の行動に反映され自然反応的な皮膚感覚と備わり、頭に偏した論理に寄らない血流や気質となって実質の主体性が実感される。文化の厚さは、一時の流行で作用される事柄ではなく幾代に渡り作られた根幹の性格であり、これを変える事は死に値する。生きている価値のない生命体というものが、残念ながら実在するのが現実世界であり直接間接の手法を持って対峙する事が欠かせない行動原理からの反応になる。法律等で縛られる事はなく各人の自然本能に従い根源の性質の通りに在る事が健全でありこの反応を間違える事無く普遍の原理にして人間が持続する。ここに在って緊張の取れた精神が宿り体に反映され良質な態度が現れる。道具や物依存から精神の荒廃が進み中枢の本能を壊す事のない生命体に健全性が叶えられる。他律に寄らず自律した反応に在って人間と見做される。この区別を作る事には一定の理解が生まれ適正な感性による対処と認識される。

長期性の軌道

感覚工程を経て自然や人との直接的な刺激と反応を繰り返す中で、次第に行動原理といった規律が創り上げられ、自己を動かす方程式が形成される。自然との接触から器官を通して五感を感じ、生理的物理的な感触を覚え、快不快や寒さ暑さの記憶が頭に残る。人との関係では、どんな態度を示すと喜怒哀楽が生まれるかの経験が積み重なり、記憶と入力される。こうして自然や人との交わりを持ち、基準が作られ行為に現れる。一次体験による積み上げ型の人格形成過程となり、基本的な経路と描き出される。

一方で、本や人からの伝達という言葉や概念、論理という二次情報の入力によって、頭脳的な理解による観念の形成といった行動原理や知識の形成過程が浮かび上がる。感覚を文字で表しイメージが浮かび、その観念を持って感覚に当たり実際の検証から人との異同等を掴むといった流れで表される。何れに置いても、一次体験で自己の感覚を経て確かな体験を通して感覚と感受性が記憶に残り完結性を持つ実感と連なる。ここに、人間の器官の正常な用い方が生まれ心身の落ち着きある状態が創り上げられる。

一次体験の弱い二次情報を過剰に備えた状態からはどこか落ち着かない精神状態による言行が生まれ、自然や人との不調を生みだし力んだ姿や態度が発生する。対象との適正な感覚を欠いた過剰な欲望を保有して歪な行為に及ぶ違和感を表される。過剰な観念の保有や物的力への過度な依存から平常的な感性を崩されて歪んだ発想や行為が生み出される。管理発想過多の欲望と現れ一次的感覚の直接的な自然や人から抱かれる快適性の増進と離れて外界への過剰な欲望の先行した姿には抵抗感や拒否反応が生まれ自然な交わりに及ばない。

このような基本回路に一定の法則性が生まれ、流通の重複的な構造や縦階層の多重構造の縮小へと力が加えられ間接性の因子を減少させる力が投じられる。こうした結果、管理的な工程の減少と共に個々人に力が備わり意義の弱い間接性の作用を省いた快適性が増進する。主体性志向の弱い権力依存体質を除けば、個々人の自然な本能の流れが弱まる事はなく、国家や行政といった概念も個々の力の増進に比例して変容し全体集約的な作用への期待は弱まり各自の自由な活動性が進められる。マスコミ等の媒介的作用も同様であり直取引が進行して全体と個の構図の取り方が変化する。

今日的状況は、個々人や民間の抱く国家や行政観、報道機関に対する意識と後者の側が自覚される意識に、だいぶ差があるようにも感じられます。この実態的力が自然に進行して形式的な構造が後から付いてくるように感じられます。こうした変化の動きに一定の規律が望まれ根源的な価値への期待が強まる。あまり作為性のない純粋な原理による自然な本能に則した秩序が求められ、管理や制御を過度に強要するような施策に無いありのままの原理による個々の安定した自由の促進が強められる。

大きな方向感や軌道はこのような映し方にあり、この流れを基礎に備えつつ共通的な欲望を適正に着実に叶える行政作用への期待と負担の意識が作られて、個々人の物性への過度な進行へは強制力を背景にした管理の仕組みを作り個々の非力さを賄う作用が創り上げられる。個別と共通と根本の形成方法と言い換えられ、こうした図式から見て違和感の生まれる動きには適当な反応が強められて3者間の良好性へと力が投じられる。違和感を客観的に測定する事の出来る作用の向上がこれらの動きを促進し健全性が向上する。

資本主義、社会主義、共産主義といった発展過程とは少々異なり、共産ではなく、実態的な欲望と力と責任の均衡に主体性像を持った健全主義とも言う感覚が進められ、真の平等志向への発想が高まる社会の有様が作られる。健康な感受性を根にして進められる純粋な真理の探究軌道による行き着く世界観と考えます。

2)健全性の真相

鶏の首を捩じり息を止め、羽を捥ぎって血を抜き肉を刻み、ビニールの容器に入れて、食卓に食材が届けられる。使い勝手の良い体裁に整えられた段階での扱いに慣れ、上流の工程に直接的に関わらない食生活が作られて、現代的な感性が備えられる。誰かが、動植物を育て作り殺すという残酷な工程を担う事が欠かせず、そうして綺麗に人口化された物資と届けられ摂取し人々の生命が繋がれる。

こうした原初的且つ不動的な必要工程の認識が離れるほどに、どこか偏った人間美を備えられて動植物の生命を奪い人間の生命を活かしている感覚の弱い一面的な感性が進行する。そこから現れる発想や表現には基礎を外した美感を表される。頭脳過多の体質から作られる生身の工程感覚の希薄な感性からは負に蓋をした一面の正へと偏られる。これを基準に取っては歪んだ性質の秩序が進行し、健全な基軸を欠く感性が広げられる。原論過多の創造性や文字や数字から始められる二次情報の収集と加工を規則性にする感性を主軸に取ると実際的な感覚工程を外した感性や欲望、表現が作られる。

現実世界と大分離れた優先順位や全体観を抱えられて強調すべき所のズレと現れ健全な概念や論理が生まれない。社会システムを産業経済と政治行政と文化教育の3領域で区分し、感覚と観念と感受性との対比を持った拡大的有機体像を抱いて歪な偏りを予防する全体の成長軌道が描き出され、中でも感覚と頭脳の適正な循環による概念化や論理形成の表現を受け持つ文化教育領域に配される人々の感性に、上述のような生身の感覚を欠くと健全な社会の仕組みと乖離した成長志向を表される。

基本となる主軸観念を抑えた上で、各種創造の価値を配列する全体観に健全な感性が生まれ表現に反映されて認識が強められ、健康な価値観を有する人間が形成される。一面的な美感に寄らず人間の残酷な負の側面への真摯な認識を欠くと歪んだ感性が広がり、それがむしろリアルな生命感覚を喪失して残酷な無自覚の殺人に及ぶ。安易な道具の用い方や詐欺や盗みの感覚を崩した慢性的病理を抱え、極端な反応を持った人間性が進行する。頭脳過多で間の工程を省略した即時的な反応を生む人間の基本的皮膚感や感受性を崩した特異な現象が生まれる。

少年期や青年期に適度に体を交えた喧嘩のような工程や動植物との実際的な関わりを経験するなどして、自然と人間や人と人との生身の野性感を経る事が過度な人間の美感や人間中心的な感性を和らげ健全な精神を育て上げる。今日的には、ITやインターネットというバーチャル的な情報世界の進行と対比されて或いは物質文明といった広い歴史観を鑑みて適正な感受性を創り上げる焦点を取って、真に健全な人間の在り方を見出す活動が求められる。

以上のような観点は、自然や社会生活の不動的な普遍性を表しここが抑えられて社会システム上の要路に相応しい感性の在り方が要件化される。健全性を喪失した歪な美性からは誤った軌道が進み社会の荒廃や衰退を齎される。自己陶酔的な美性は主軸とは成り得ず3次4次の経路で基幹を支える全体観が適当であり、又は頭脳過多の弊害を抑えて健康な心身を形成する原理が導出される。生滅や正負、快不快等々の二面を内蔵する人間像を描き、根源の観念に備え良好化に向けた創造に基軸の太い堅固な基盤を持った文化が作られる。

健全性概念

生滅や快不快や正負という2極の感性を抱ける所に人間の根源的な性質があり、いずれかに偏ると歪な感性が作られる。マイナス的体験も程良く併せ持つ事によってプラスを抱ける感性が生まれマイナスはプラスの作用を含む。一面ばかりの経路には健全な感性が生まれない。このような人間観にありのままの状態が映し出され過度な一面性からは適当な感覚が現れない。失敗という感覚を抱ける所には成功という理想像が備わり両面の相関からいずれかの感覚が生まれる。過度な生存競争等からありのままの健全像と離れた一面的な感覚を増した力んだ面持ちは正常や健全という精神状態からは離れ外界へマイナス性のエネルギーを放たれる。表面をあまりに体裁よく整えようと意識が強まる事は内の精神性と乖離した心理状態を表し、利己的願望過多で外界を欺く姿と映し出される。硬めに言うとこうした根源的且つ所与的な人間の映し方に及び、このような認識が幾らか備わっていて適当な感性が創り出される。これらの観念を欠いて自信過剰という精神状態に陥り外界への過度な攻撃性や上段に構えた態度や言い抑えるかの秩序化には自己を見失った制御不能状態とも見做されかねず、所与的に正負の性質を内蔵すると見る感性に適当さが生まれる。ここに共生感情の所在が確認されこれを根にして信義誠実な態度を持って自他の幸福感を向上させる発想を抱き適当な方法を探求する事に健康な心身を備えた活動性が作られる。失敗や過ちは隣り合わせの事柄であり万人的に生み出される事象に在る。日々報じられる大中小の事件は正しく他人事ではなくいつ自身も同様の行為を発生させるかは紙一重となり、過剰な異常視と対象化する事にも誤った精神性を表され裏表の乖離した一面的な世界観に寄った不健全さとも言い換えられる。絵に書いたようなエリート街道なる観念や意識を持ち外れた事象に対する蔑視や差別感覚が深まる事へは適正な人間像と離れた根本的な感性の歪んだ状態と映し出される。そこから偏った認識や発想や行為が生まれ、突如、表裏の激しい事象を表に出現させる。普段からあまりに着飾った美感を纏い行き過ぎた表面美を作り縛るような向きに在っても適正さを欠き、過敏と鈍感との釣り合いをどの辺りに求めるかの発想や制御に健康な感受性が見受けられる。頭脳過多の体質形成はどこか過剰とも思える自己愛を持ち対象化の感度による過剰な要求を放つ態度に現れる。根源的な人間像の捉え方や主客重層の対象化の習慣が適正調和や平和を作る要所と導出されます。根本的な適正概念への思索を持って共通的な感性の厚い基盤を作る事が健全な安定と自由の適正に及び、物性への過度な依存体質を予防して倫理道徳を基礎に持った健康な成長の持続を可能にする。肩書や地位自体に振り回されて健康な心身と態度を欠いて迷走を招き力と責任の不均衡の事態を発生させない根本の良質性が強調されて良好な文化が創り出される。平和の先導者を気取り、平和を破壊する原因に映し出される事も少なくない。恥をこれ以上晒さない制御感覚が期待される。

未来ビジョン

今日的な問題感覚を踏まえた未来形成的なビジョンを取り上げます。感覚的に作りだされた体質と頭脳的に形成された体質との相違が浮かび上がります。実際の現象に近い所では自然や人からの感覚と感受性を直に受け或いは投じて物事が作り込まれる。対象範囲は比較的限定的であると共に質感は濃厚となる。一方で文字や数字から現象を掴み収集と加工で判断や操作を行う頭側の規則性は対象範囲が比較的広く人や自然との間接的な関わりを持ち質感は薄くなる。具体的には労働者と使用者、中小零細企業と大手企業、民間組織と公共組織、地方と中央等といった領域で対比されます。

この両者の規則性に着目し相互の感性の相違の理解や問題の指摘と改善施策へ思いを及ばせて適当な人間像を設けて健康像と表すのが長期的な良好性に及ぶとする文化の発想と描かれます。全員に平均的な健康像を適用するか、或いは各人の特徴的な個性を活かし全体としの健康像を作るかの2つの形成方法が現れる。役人的発想によると前者的な志向性に立ち、民間的な実際事象に近い所では資源の有効利用を意図して伸びる所や優位な所を活かし少資源で最大効果へと発想が向きこれらを抑え適正を見出す事になる。

少資源で最大効果という想像力を高めるスタンスを基本に置き、平準化を強いるような発想がほどほどに在って、両者の衝突と理解を持って全体的に良好な成長が創り上げられる。ここに産業経済と政治行政という領域の相乗作用が見てとれ、この軋轢が生じて緊張の持続と健全な成長が進行する。こうした社会観を創出するのが文化教育領域における客観的な立場からの観測と検証や操作でありいずれかの寄り過ぎに適度な感性を投じて全体的に良好な健全性を導出する役割が備えられ中期構造や長期の性質の適正さが作られる。このような3領域の循環で社会システムを設計し運用する事がマクロ的な原理と描かれます。

文化教育領域から絞り込んだ問題点と改善策が以下のように抽出されます。軋轢を常とする皮膚感を備える事が体質改善とも言え、この免疫が劣る程に安定安心への志向を強め利己的な操作に寄った純粋原理の道と離れた発想から事象を歪めた操作が生まれる。頭脳的な姑息さと現れ他利の向上から自利を得る物理性の用い方と乖離した利己的な性質が進行する。感覚的な交わりと離れるほどに精神的な軋轢に弱くなり道具を多用して不快を予防する制御を作られる。

温室的な環境での皮膚感覚は少しのイレギュラーに過敏になり極端な反応や安直な手法に陥られる。頭脳型の体質は実際事象と距離感があり多変数を省略した単純性が強まりすぐに言論で反論や自己主張を強め更には道具への過剰依存で攻撃的な態度を作られる。特に悪性なのは直接的な反応を避けこそこそした手法を用いる事でありここに病的性質の深まりが進行する。堂々と原理創造の世界に向けてエネルギーを投じて健康な心身が持続し清々しい潔い感性が備わる。

こうしたビジョンに今日的な状態から見る体質形成の方向感覚が現れ、性質の底上げ的な発想や志向を持ち事象を作る軌道が浮かべられる。頭脳的人間像を強める向きには歪な感性が深まり問題の取り方の相違を感じられます。資格要件の立て方にも現れ臨機応変な判断が生まれない。頭の固さへの良い面は確かに備わる一方で負の面が浮かびます。能力の算定方法が単純な型式と適用になり管理欲望過多の発想が進みゼロベースからの創造力による基準の形成によって原理創造性が増進する。人間がどんどん小さくなるような道は良好な成長に及ばない。

役人的な平準性よりも実際への応用力を持つ少資源で最大効用を遂げる野性感や柔軟さと異質への寛容性を高める人間像を備える事が健康な感受性を根にする持続的成長への道筋と浮かび上がる。人間の基盤的な性格には、真の質感を持つ平等思想の反映となる態度が備えられ全体観としての健康像を共通的な枠組みに持ち個々の特性の自覚と共に有用性を伸ばし、足らない所の相互補完への意識が備わり自立と協調の基礎感性が内蔵されて全体としての最良な成長軌道が生まれる。自主自律的な調整作用を抱ける主体性像から欲望と力と責任の均衡を備えた共生と自由の和解的な動態が生まれて、安定と共に違和感の少ない自由が向上する。

各人の内に寡占的感性に寄らない需給均衡感覚が備えられ、求める欲望の質量に対して影響を勘案して、質と負担の適正を見出し内外との調和が作られて、物理性と理性の適当な相関を持つ健全な感受性の現れる健康像が浮かび上がる。個人で見る適正均衡感と集団や産業構造に見る適正均衡感が連動する。裏でこそこそ逃げた手法に陥る事無く堂々と過剰や不足への公明正大な態度を持ち、緊張を備えた主体性が維持される。盗みには一切の正当性はなく粛々と切り取る境の事象と判断される。適当な更生期間を課さずには甘えた性質は治らず愚図な体質を広げずに文化を堅持する事が重要であり比較的明瞭な判断を下す事の出来る数少ない行為の類型と思われます。

筋肉質な体質

こうした有機体概念を描き出す事の意義は以下のような文脈から規定される。ない事を在るかのごとき作り話を設けて、人々の関心を引き商売につなげようという行為が、基礎的な社会関係におけるモラルの低下を指し、競争環境の激化などを背景に、節操のない振る舞いが増進して、混乱を広げられる事への対策は適当に行われて然るべきに思われます。この次元の事から批評行為の適正について、1)基準尺度の所在や2)その程度と、3)適用の方法というグレードが問われる。思想信条や表現の自由という創造の無限性という発想を形式上認めて人々の自由な活動や多様な価値観への尊重という構えが設けられるものの表現が与える不快感という面に対して特定の個人や第三者の快不快感が実際的な事象と起こりその反応の中で適当な許容範囲が次第に限定され特定空間の標準的感覚が創り上げられる。

権力者という立場に在っても権力者に向けての批評や表現が余りに度を超えていると見れば表現者に対して名誉棄損行為と解して損害賠償を求める事は自然でありどんな立場でどんな立場へ向けての発言で在っても、基本的構造は同一に思われます。そして、基準尺度と適用から生まれるであろう効用という面に、社会的利益という概念が生まれ、基準尺度についての評価が生まれる。社会ビジョンや特定の領域を表す形式の枠組みが原理と作り込まれ、その実施から利益が創出される想定が取られ、基準と誤差を持って活動の評価に及び、基準自体の有用性と客観測定に効用が現れる。他者への利益という性格を持ち、悪い評点を付けるにしても確固とした基準による客観性が評価される側への利益を与え建設性を含む行為と解される。基準自体への相互信頼を下にした有用な活動と見做される。基準自体への共通価値に及ばない評価に在っては、別の解釈や指摘、知見の交換といった向上的な構えを持って、真摯に考えを申し述べ、良い点や同意に及ばない点等の相互理解に及ばせ、場合によってこれらを広くお知らせし透明感を持たせて発信する事が他者への有益な情報を生み、多様な考え方に振れる利益の拡大とも解される。こうした図式が解り易く整理されて、誤解や飛躍の少ないありのままの表現の発信と受容に及ぶように留意されて、健全な精神による健全な活力を塞ぎ込まない活動が生まれる。

つまり、堂々と後ろめたさの及ばない姿勢や態度で在って、プラス性の肯定感が増し、歪な精神性というマイナス心象が現れない好循環となり、短絡的経済性に寄った人気取り的な安直性が過ぎると、誠実性を失い不信が強まり不快を齎せる。他者への有益であると確信できるような基準尺度の形成と保有があって、そこからの表現力を持って外界へ受け入れられる主体性と認識される。これを持続的に磨くような環境が怠慢な表現を予防する。寡占的構造から原理の探究力が劣って一過性の商売感覚に及び、各種のマイナス事象を招くお騒がせもので在っては負の存在となり、この反応から自然に良好な主体を自由に選択できる環境を作る面の整備策が欠かせない。この根本面が停滞して必然的に生まれる負の事象であり、然るべき反応の遅れが二次三次の悪性に繋がる。根源原理を抑えて下流の現象を把握し、的確な改善を取る筋肉質な感性の所在が、個人や集団、システムの適正の要と作用する。