2)健全性の真相

鶏の首を捩じり息を止め、羽を捥ぎって血を抜き肉を刻み、ビニールの容器に入れて、食卓に食材が届けられる。使い勝手の良い体裁に整えられた段階での扱いに慣れ、上流の工程に直接的に関わらない食生活が作られて、現代的な感性が備えられる。誰かが、動植物を育て作り殺すという残酷な工程を担う事が欠かせず、そうして綺麗に人口化された物資と届けられ摂取し人々の生命が繋がれる。

こうした原初的且つ不動的な必要工程の認識が離れるほどに、どこか偏った人間美を備えられて動植物の生命を奪い人間の生命を活かしている感覚の弱い一面的な感性が進行する。そこから現れる発想や表現には基礎を外した美感を表される。頭脳過多の体質から作られる生身の工程感覚の希薄な感性からは負に蓋をした一面の正へと偏られる。これを基準に取っては歪んだ性質の秩序が進行し、健全な基軸を欠く感性が広げられる。原論過多の創造性や文字や数字から始められる二次情報の収集と加工を規則性にする感性を主軸に取ると実際的な感覚工程を外した感性や欲望、表現が作られる。

現実世界と大分離れた優先順位や全体観を抱えられて強調すべき所のズレと現れ健全な概念や論理が生まれない。社会システムを産業経済と政治行政と文化教育の3領域で区分し、感覚と観念と感受性との対比を持った拡大的有機体像を抱いて歪な偏りを予防する全体の成長軌道が描き出され、中でも感覚と頭脳の適正な循環による概念化や論理形成の表現を受け持つ文化教育領域に配される人々の感性に、上述のような生身の感覚を欠くと健全な社会の仕組みと乖離した成長志向を表される。

基本となる主軸観念を抑えた上で、各種創造の価値を配列する全体観に健全な感性が生まれ表現に反映されて認識が強められ、健康な価値観を有する人間が形成される。一面的な美感に寄らず人間の残酷な負の側面への真摯な認識を欠くと歪んだ感性が広がり、それがむしろリアルな生命感覚を喪失して残酷な無自覚の殺人に及ぶ。安易な道具の用い方や詐欺や盗みの感覚を崩した慢性的病理を抱え、極端な反応を持った人間性が進行する。頭脳過多で間の工程を省略した即時的な反応を生む人間の基本的皮膚感や感受性を崩した特異な現象が生まれる。

少年期や青年期に適度に体を交えた喧嘩のような工程や動植物との実際的な関わりを経験するなどして、自然と人間や人と人との生身の野性感を経る事が過度な人間の美感や人間中心的な感性を和らげ健全な精神を育て上げる。今日的には、ITやインターネットというバーチャル的な情報世界の進行と対比されて或いは物質文明といった広い歴史観を鑑みて適正な感受性を創り上げる焦点を取って、真に健全な人間の在り方を見出す活動が求められる。

以上のような観点は、自然や社会生活の不動的な普遍性を表しここが抑えられて社会システム上の要路に相応しい感性の在り方が要件化される。健全性を喪失した歪な美性からは誤った軌道が進み社会の荒廃や衰退を齎される。自己陶酔的な美性は主軸とは成り得ず3次4次の経路で基幹を支える全体観が適当であり、又は頭脳過多の弊害を抑えて健康な心身を形成する原理が導出される。生滅や正負、快不快等々の二面を内蔵する人間像を描き、根源の観念に備え良好化に向けた創造に基軸の太い堅固な基盤を持った文化が作られる。

健全性概念

生滅や快不快や正負という2極の感性を抱ける所に人間の根源的な性質があり、いずれかに偏ると歪な感性が作られる。マイナス的体験も程良く併せ持つ事によってプラスを抱ける感性が生まれマイナスはプラスの作用を含む。一面ばかりの経路には健全な感性が生まれない。このような人間観にありのままの状態が映し出され過度な一面性からは適当な感覚が現れない。失敗という感覚を抱ける所には成功という理想像が備わり両面の相関からいずれかの感覚が生まれる。過度な生存競争等からありのままの健全像と離れた一面的な感覚を増した力んだ面持ちは正常や健全という精神状態からは離れ外界へマイナス性のエネルギーを放たれる。表面をあまりに体裁よく整えようと意識が強まる事は内の精神性と乖離した心理状態を表し、利己的願望過多で外界を欺く姿と映し出される。硬めに言うとこうした根源的且つ所与的な人間の映し方に及び、このような認識が幾らか備わっていて適当な感性が創り出される。これらの観念を欠いて自信過剰という精神状態に陥り外界への過度な攻撃性や上段に構えた態度や言い抑えるかの秩序化には自己を見失った制御不能状態とも見做されかねず、所与的に正負の性質を内蔵すると見る感性に適当さが生まれる。ここに共生感情の所在が確認されこれを根にして信義誠実な態度を持って自他の幸福感を向上させる発想を抱き適当な方法を探求する事に健康な心身を備えた活動性が作られる。失敗や過ちは隣り合わせの事柄であり万人的に生み出される事象に在る。日々報じられる大中小の事件は正しく他人事ではなくいつ自身も同様の行為を発生させるかは紙一重となり、過剰な異常視と対象化する事にも誤った精神性を表され裏表の乖離した一面的な世界観に寄った不健全さとも言い換えられる。絵に書いたようなエリート街道なる観念や意識を持ち外れた事象に対する蔑視や差別感覚が深まる事へは適正な人間像と離れた根本的な感性の歪んだ状態と映し出される。そこから偏った認識や発想や行為が生まれ、突如、表裏の激しい事象を表に出現させる。普段からあまりに着飾った美感を纏い行き過ぎた表面美を作り縛るような向きに在っても適正さを欠き、過敏と鈍感との釣り合いをどの辺りに求めるかの発想や制御に健康な感受性が見受けられる。頭脳過多の体質形成はどこか過剰とも思える自己愛を持ち対象化の感度による過剰な要求を放つ態度に現れる。根源的な人間像の捉え方や主客重層の対象化の習慣が適正調和や平和を作る要所と導出されます。根本的な適正概念への思索を持って共通的な感性の厚い基盤を作る事が健全な安定と自由の適正に及び、物性への過度な依存体質を予防して倫理道徳を基礎に持った健康な成長の持続を可能にする。肩書や地位自体に振り回されて健康な心身と態度を欠いて迷走を招き力と責任の不均衡の事態を発生させない根本の良質性が強調されて良好な文化が創り出される。平和の先導者を気取り、平和を破壊する原因に映し出される事も少なくない。恥をこれ以上晒さない制御感覚が期待される。

未来ビジョン

今日的な問題感覚を踏まえた未来形成的なビジョンを取り上げます。感覚的に作りだされた体質と頭脳的に形成された体質との相違が浮かび上がります。実際の現象に近い所では自然や人からの感覚と感受性を直に受け或いは投じて物事が作り込まれる。対象範囲は比較的限定的であると共に質感は濃厚となる。一方で文字や数字から現象を掴み収集と加工で判断や操作を行う頭側の規則性は対象範囲が比較的広く人や自然との間接的な関わりを持ち質感は薄くなる。具体的には労働者と使用者、中小零細企業と大手企業、民間組織と公共組織、地方と中央等といった領域で対比されます。

この両者の規則性に着目し相互の感性の相違の理解や問題の指摘と改善施策へ思いを及ばせて適当な人間像を設けて健康像と表すのが長期的な良好性に及ぶとする文化の発想と描かれます。全員に平均的な健康像を適用するか、或いは各人の特徴的な個性を活かし全体としの健康像を作るかの2つの形成方法が現れる。役人的発想によると前者的な志向性に立ち、民間的な実際事象に近い所では資源の有効利用を意図して伸びる所や優位な所を活かし少資源で最大効果へと発想が向きこれらを抑え適正を見出す事になる。

少資源で最大効果という想像力を高めるスタンスを基本に置き、平準化を強いるような発想がほどほどに在って、両者の衝突と理解を持って全体的に良好な成長が創り上げられる。ここに産業経済と政治行政という領域の相乗作用が見てとれ、この軋轢が生じて緊張の持続と健全な成長が進行する。こうした社会観を創出するのが文化教育領域における客観的な立場からの観測と検証や操作でありいずれかの寄り過ぎに適度な感性を投じて全体的に良好な健全性を導出する役割が備えられ中期構造や長期の性質の適正さが作られる。このような3領域の循環で社会システムを設計し運用する事がマクロ的な原理と描かれます。

文化教育領域から絞り込んだ問題点と改善策が以下のように抽出されます。軋轢を常とする皮膚感を備える事が体質改善とも言え、この免疫が劣る程に安定安心への志向を強め利己的な操作に寄った純粋原理の道と離れた発想から事象を歪めた操作が生まれる。頭脳的な姑息さと現れ他利の向上から自利を得る物理性の用い方と乖離した利己的な性質が進行する。感覚的な交わりと離れるほどに精神的な軋轢に弱くなり道具を多用して不快を予防する制御を作られる。

温室的な環境での皮膚感覚は少しのイレギュラーに過敏になり極端な反応や安直な手法に陥られる。頭脳型の体質は実際事象と距離感があり多変数を省略した単純性が強まりすぐに言論で反論や自己主張を強め更には道具への過剰依存で攻撃的な態度を作られる。特に悪性なのは直接的な反応を避けこそこそした手法を用いる事でありここに病的性質の深まりが進行する。堂々と原理創造の世界に向けてエネルギーを投じて健康な心身が持続し清々しい潔い感性が備わる。

こうしたビジョンに今日的な状態から見る体質形成の方向感覚が現れ、性質の底上げ的な発想や志向を持ち事象を作る軌道が浮かべられる。頭脳的人間像を強める向きには歪な感性が深まり問題の取り方の相違を感じられます。資格要件の立て方にも現れ臨機応変な判断が生まれない。頭の固さへの良い面は確かに備わる一方で負の面が浮かびます。能力の算定方法が単純な型式と適用になり管理欲望過多の発想が進みゼロベースからの創造力による基準の形成によって原理創造性が増進する。人間がどんどん小さくなるような道は良好な成長に及ばない。

役人的な平準性よりも実際への応用力を持つ少資源で最大効用を遂げる野性感や柔軟さと異質への寛容性を高める人間像を備える事が健康な感受性を根にする持続的成長への道筋と浮かび上がる。人間の基盤的な性格には、真の質感を持つ平等思想の反映となる態度が備えられ全体観としての健康像を共通的な枠組みに持ち個々の特性の自覚と共に有用性を伸ばし、足らない所の相互補完への意識が備わり自立と協調の基礎感性が内蔵されて全体としての最良な成長軌道が生まれる。自主自律的な調整作用を抱ける主体性像から欲望と力と責任の均衡を備えた共生と自由の和解的な動態が生まれて、安定と共に違和感の少ない自由が向上する。

各人の内に寡占的感性に寄らない需給均衡感覚が備えられ、求める欲望の質量に対して影響を勘案して、質と負担の適正を見出し内外との調和が作られて、物理性と理性の適当な相関を持つ健全な感受性の現れる健康像が浮かび上がる。個人で見る適正均衡感と集団や産業構造に見る適正均衡感が連動する。裏でこそこそ逃げた手法に陥る事無く堂々と過剰や不足への公明正大な態度を持ち、緊張を備えた主体性が維持される。盗みには一切の正当性はなく粛々と切り取る境の事象と判断される。適当な更生期間を課さずには甘えた性質は治らず愚図な体質を広げずに文化を堅持する事が重要であり比較的明瞭な判断を下す事の出来る数少ない行為の類型と思われます。

筋肉質な体質

こうした有機体概念を描き出す事の意義は以下のような文脈から規定される。ない事を在るかのごとき作り話を設けて、人々の関心を引き商売につなげようという行為が、基礎的な社会関係におけるモラルの低下を指し、競争環境の激化などを背景に、節操のない振る舞いが増進して、混乱を広げられる事への対策は適当に行われて然るべきに思われます。この次元の事から批評行為の適正について、1)基準尺度の所在や2)その程度と、3)適用の方法というグレードが問われる。思想信条や表現の自由という創造の無限性という発想を形式上認めて人々の自由な活動や多様な価値観への尊重という構えが設けられるものの表現が与える不快感という面に対して特定の個人や第三者の快不快感が実際的な事象と起こりその反応の中で適当な許容範囲が次第に限定され特定空間の標準的感覚が創り上げられる。

権力者という立場に在っても権力者に向けての批評や表現が余りに度を超えていると見れば表現者に対して名誉棄損行為と解して損害賠償を求める事は自然でありどんな立場でどんな立場へ向けての発言で在っても、基本的構造は同一に思われます。そして、基準尺度と適用から生まれるであろう効用という面に、社会的利益という概念が生まれ、基準尺度についての評価が生まれる。社会ビジョンや特定の領域を表す形式の枠組みが原理と作り込まれ、その実施から利益が創出される想定が取られ、基準と誤差を持って活動の評価に及び、基準自体の有用性と客観測定に効用が現れる。他者への利益という性格を持ち、悪い評点を付けるにしても確固とした基準による客観性が評価される側への利益を与え建設性を含む行為と解される。基準自体への相互信頼を下にした有用な活動と見做される。基準自体への共通価値に及ばない評価に在っては、別の解釈や指摘、知見の交換といった向上的な構えを持って、真摯に考えを申し述べ、良い点や同意に及ばない点等の相互理解に及ばせ、場合によってこれらを広くお知らせし透明感を持たせて発信する事が他者への有益な情報を生み、多様な考え方に振れる利益の拡大とも解される。こうした図式が解り易く整理されて、誤解や飛躍の少ないありのままの表現の発信と受容に及ぶように留意されて、健全な精神による健全な活力を塞ぎ込まない活動が生まれる。

つまり、堂々と後ろめたさの及ばない姿勢や態度で在って、プラス性の肯定感が増し、歪な精神性というマイナス心象が現れない好循環となり、短絡的経済性に寄った人気取り的な安直性が過ぎると、誠実性を失い不信が強まり不快を齎せる。他者への有益であると確信できるような基準尺度の形成と保有があって、そこからの表現力を持って外界へ受け入れられる主体性と認識される。これを持続的に磨くような環境が怠慢な表現を予防する。寡占的構造から原理の探究力が劣って一過性の商売感覚に及び、各種のマイナス事象を招くお騒がせもので在っては負の存在となり、この反応から自然に良好な主体を自由に選択できる環境を作る面の整備策が欠かせない。この根本面が停滞して必然的に生まれる負の事象であり、然るべき反応の遅れが二次三次の悪性に繋がる。根源原理を抑えて下流の現象を把握し、的確な改善を取る筋肉質な感性の所在が、個人や集団、システムの適正の要と作用する。

文化の仕組みと改革の手順

文化の仕組みと改革の手順

主体性の内実をよく表す場面に、失敗や過失を与えた際の対処の仕方が上げられる。この基準と許容範囲という基礎感度が、日々の規則性や成長の過程から創り上げられ、分母的な感性と異質な感性との相違が生まれる。ここの皮膚感覚に文化という中枢的な性質が浮かび上がり、これが交流や協働、共生の程度に反映される。

物理依存症で理性面の育たない感性によると、この適正な感度や態度が現れず、けじめのつけられないクズという心象が変わる事無く、関係の修復には及ばない。そして別を選択する事が多くの人の判断と及ぶ。寡占的市場や力の格差という構造的な歪性を生まない事が、平等思想を根にして作られる必然の課題に上がり、欲望と力と責任の均衡に展開の尺度が設けられ、過不足のないような要望を自制的に作られる主体性で在って、健全な心身を備えた感性の実感が生まれる。他に要望されるまでもなく、自らの責務として、影響に相応しい変数への配慮を想定して、生み出す事への重さを自覚の上に、表現に及ぶ。これが生滅感覚を土台にした感性を表し、生きる事や言論や行為への重みになって、共生性を有する主体性の在り方と描き出される。

この感覚が著しく異なって、作る事への安易な作法が、がらくた的な人間像に及び、これに留まらず、人の生産を盗むような行為に至っては、目の当てようがなく、失敗や過失に対する適当な反応などが生まれるわけもない。タダのお騒がせものに留まらず、悪性の根源と特定され、その感覚が瞬く間に周囲に広がり、文化の基盤を破壊する。この代表が一部のマスコミや政治家、財界人、学者という類であり、人間形成過程の適当な歩みを外して大きな力を適正に使いきれない暴走を齎せる。

感覚や感受性を通して事象を創り上げる工程の経験が劣ると、健康な観念が頭に創り出されず、短変数型の方程式で、ガサツな創造を表し、世間をお騒がせする。それに留まらい実害を齎せ、それへの感覚も現れず、市場の選択性が備われば、自然淘汰が進められるものの、寡占的な構造に置いてはこれが進められない。

こうした原因認識も概ね出そろい、後は本気で過保護な規制を取り払い、健全な市場作用が回る構造を創り上げるという改善施策が現れる。万人的な基礎教養として深め、大きな健全な改善意欲を収集して、悪性の生まれる原因を変える事によって、正常な感性を壊さない保守の神髄的な実践が齎され、適正な社会システムが恒常的に備えられて、根源的な感性が堅持される。

この焦点を中心に取って、マイナス面の対処と予防の施策を粛々と投じる事が求められ、根本と幹の良質な構造と、エネルギーの良質な循環が強められ、枝葉や実が付いて、樹木という有機体の健やかな成長に及ぶ。これが文化政策となり、物性型の利己主義に、健全な尺度を持って欲望と力と責任の均衡を植え付け、他利を作り自利を得るという社会の基本原理が固められる。ここが適正化すると二次三次の原理へと派生し、良質性が乗数的に広がり好循環という状態が加速する。経済や政治、法律という概念を作る前段的な文化概念の適正な形成が、あらゆる事象の出発点に在り、ここが狂ってはひ弱な上物が創り出される。

基準観念と対処と予防の適正な基礎を作る事が、人間の良質さに反映され、長く良好な創造性を齎せる文化の仕組みが創り出される。これが落ち着くと自主内発的な自律や自制の成熟した人間が増加し、歪な感性への抵抗が強化され、太い強い性質の主体性が柱と立てられる。このような点が抑えられずに観念体系ばかりが先んじられても、形骸化に嵌まり、作り手の利己的な願望の充足に留まり、他利を作りださない。抜本改革が先行して、その結果の観念である事が、統一的な感覚と感受性を経て作られる生きた体系として描き出される。歪んだ感性からは、この着手する部分と手順の相違が現れ付加価値の弱い生産性と現れ、歪んだ感性自体を顕著に浮かべられる。

主体性の表現

根本の感性を根にして個人や集団という単位での基本的な性格を表すのに、主体性という概念が用いられる。これがビジョンに向けた方法の初動的な観念と成り、この同一性がその後の工程での良好性を生み出さす。

一人前と称されるには、永年の時を経て感覚と感受性を経ながら形成される確固とした観念体系が備わり、その基準尺度に対する公平公正な適用の実感が生まれて質実の伴う主体性と判断される。この状態に在って外界へ対する評価にも筋道が通り他者へ向けた真摯な態度が表される。過剰な要望や我儘、恣意的な態度から生まれる評価とは峻別され不動的基準を有する一つの見識と捉えられる。

主体性の確立された人格であれば自論や自己紹介が整い、言葉や概念を持って外界への明示をする事にも自然な感性と受け止められる。過剰な売り込みのような力んだ姿に寄らない御案内であれば違和感は少なく不快感を作る事には及ばない。そして、より一歩進んだ今日的な態度は、この事自体が一つの責任感を示す行為と成り、一端の主体性を自負されるのであれば、自己の理論を堂々と掲げて名実ともに一貫性の備わる実態を見せ信用が生まれる。誤魔化しや逃げの態度に寄らない有言実行に確立された主体性が映し出される。

他者や外界へ対して何がしかの注文を付けるに際しては主体性の形成度が評価への説得力や納得感に及び、実態的人間の状態に自他からの認識が先んじて評論への評価や信頼性に及び、頭ばかりでの論を展開されても体から示される質実が弱いと言葉自体への重みが備わらず真剣に傾聴されない。ここまで含んで完結性の高い真価が計られ言行の一致、表裏の一致、質実の一致といった感覚と観念の実感を含む認識に健全な態度が表される。このような根源的原理を置いて各種の問題事象へ評価が加えられて平等思想に基づく真摯な対象との対峙と映し出される。

「憲法等に主体性を明示すべきか?」といった問いに対しては以上の論理からすれば自然にお示しする事が主体性を表す行為であり、これへの提案や批評を行える条件は体系を備える主体性と成る。対話は自己体系を提示し公平公正な適用にあって健全性が生まれ、対等に各々の尺度を有した主体性間の向上化という意見交換のような会話に及ぶ。これが外側との対話であって、内側に向けては在る程度の責任感覚から確かな尺度を明示する行為に及び、「こうだ」という自身の型枠を示し領域を先導する態度が示されここが弱いと形式的な肩書が宙に浮き真剣に耳を傾けられない。

「これに従うと、こう成るよ」という予めの原理と実際の積み重ねから指示命令という行為への真価が測定され一方向の態度に正当性が生まれる。「こう成るよ」という志向性への同感と「これに従うと」という手法の確かさが問われ逃げを慢性化する体質や能力が乏しいとこれが示されず人の前で表現をするに値せず当たり障りの良い表現で実質が空となる。「価値を押し付けるな」という態度は、確固とした体系を示しきれない言い訳や誤魔化しの態度に映しだされる。実質的な結果の積み上げによる価値の測定が先んじる。強要というかは別にして責任感から確たる型式を示すに及んで主導的立場の適当な態度が表される。

そして外側と内側の整合に内側の中枢的要素から生まれる全体的なビジョンが描き出され内外の一貫した原理が生まれる。責任感も能力も弱く原理の提示もなく良い所を盗む為に居座るかの管理者や社会システム上の重要なポジションの不適格な人員配置に陥る事の無い適正な判断が下されて健全な質実を伴う平等思想の実態化に至る。形式的な一人一票という平等概念が在る一方で、現実的実際的な欲望と力と責任の均衡で見る平等概念が、生きた人々の皮膚感における公平公正性を作り上げる。法と実際でいえば後者に実がありこれを作るのに前者の形式が方法と備えられ、法が目的化しては歪な感性を作られる。

適正均衡原理

適正均衡原理

過度な力の格差に在る構造を作りだす事は、相互的に見てどこかに過剰な力んだ欲望による結果であり、そう大きな政策の違いは通常生まれず、利己的な支配願望が、力を集約させずに独り善がりの態度を招き、実際の検証によって自己への期待や信用の程度が測定されて、実力を客観的に実感される。

そこから反省への発想へと向かい、基準の緩和ややるべき事の絞り込みに及んで、共通性の幅を設けた勢力を創り上げ、二大勢力による力の均衡を持たせて、緊張感を持つ構造が生まれ、格差による暴走を予防する状態が生まれる。

ここに在って、適正な権利義務の行使が取られ、平等感覚と離れた傲慢な物事の運びは縮小され、健全な対話の構造が創り上げられる。個々人の過剰な欲望や自己の客観視を欠いて、実際状態と大きく異なった力みからは、健全な事象の測定を弱められ衰退の道を辿られる。そればかりか負の影響が及んで、空間全体への健全な感性を崩し、極端な発想が進行する危険性を孕まれる。

特異な欲望が過度に進むと均衡を創り上げられずに、急激な変化を生み出す事への懸念が上昇する。このような状態に在る寡占的構造から、歪な感覚が慢性化して、犯罪への感覚も崩して、一方向的な強欲性をまかり通す事態に至り、健全な理性を壊した物性原理の推進と成って、失敗への適正な反応を示さずに、自然な浄化反応が回らず、健全な感性の壊れた秩序が押し通され、適当な社会の原理の備わらない秩序が固められる。

妙にどこかに有利な偏った基準が現れ、平等思想の欠いた運用による格差の固定化に及んで、空間の活力を喪失される。持続的な繁栄の軌道と離れ、局所的な利益を求めて全体のパイが縮小し、成長の持続に及ばない衰退の流れを強められる。均衡の原理をベースにして、二次三次の健全性を図る効用が生まれる。構造と性質の密接な相関が表れて、局所の事象が規定される。或いは局所の良質性を持つ強い力が構造を創り上げ性質を変えられる。

これらを行ったり来たりしながら、実際の力の検証を重ねて、正負を抱きながら質感が作られる。静態的な固定化から負の精神性が生まれ、肥満な性質による歪な感性を高める事無く、動的軋轢を適度に作りだして、健康な感性が持続する。この免疫の劣りから、歪んだ手法に着手して、物事の問題を複雑化させ、修復の困難なねじれを作る事のない健全な軋轢や衝突を常とする感性が備わって、物性への過度な依存に寄らない生身の健康な心身が持続する。

頭へばかり偏した規則性から、感覚的な衝突の免疫が劣って、歪な精神性を宿らせて、力の多用や表と裏の乖離を招き、人間関係の歪んだ事態を作らぬような、健康な人間像を強調して、不動的な型枠の認識を基礎に備えて、一定の健康な感受性を有する人間の性質が持続する。もの依存の生活習慣への進行による弊害を抑えて、人や自然の均衡的な関係を創り上げる焦点が、文化の中心的な発想と現れます。

日本の道

日本の道

衣食住や人との生身の対話から浮かび上がる快不快や喜怒哀楽という実際的質感と全体集約的な発想に見られる管理的仕組みといった両輪で、持続的永続性を意図した活動が創り出される。前者の為の後者というのが支配願望型に寄らない個々の充実を求める基本形であるものの、物性的な原理で個々人の欲望過多に陥る程に、全体的な観点からの調和策が求められ、ここの成熟度が浅い段階では、大枠的な計画性を描き、諸条件の適正さを導出するアプロ―チが必要になる。

自主内発的に物性的欲望を適度に制御する理性的な個々人といった健康像に対して、力の原理を強めた一部の手法が働くと、個々人の非力では限界が訪れ、より広げた法人組織等の主体性に対する制限を課して、過度な物性に寄らない行為を促す中局的な観点からの施策が投じられて物理と理性の適正が調整される。更に空間における資源や人口の分布面から、局所的な偏りにならない制御策を持って中心と周辺という力関係の広がらない成長が想定されて力の均衡を保つような作用が望まれる。

このように実質的な欲望の充足の良質性を図る為にミドルやマクロという観点からの管理策を適当に講じる必要性が謳われる。即ち、管理という行為の動機の取り方の適正が問われ、物性と理性の良好性といった視点に寄らないと、一部の物性を拡大する事が目的になって、力と責任の均衡を欠いた向きにエネルギーが回り管理の意図する実態的相違が現れる。一部の主体性の過度な欲望から物性を働かせる向きが過ぎると、全体的に見たバランスの良い成長とは間逆の一部の繁栄へと傾き、全体で見る大きな利益を萎ませ、短期的、即効性の成長が取られ全体を衰弱化させて長い繁栄や成長軌道と乖離した事態を招かれる。

こうした状態で見られるのが、日本列島における因果の分析となり、或いは世界的か、アメリカ的な発想による管理概念の急速な進行にも映りだされる。管理概念や力の概念、主体性概念、健全性概念、平等思想等々の根本的な概念の確かな形成に及ばないと、感覚的物性の力が進行して長い目で見る良質な状態を欠いた安定と繁栄の姿に陥る。

急速な繁栄を意図せずに生命の着実な持続性や長く積み上げられる躍動、万人的繁栄といった人間像のあり方を根に据えて健康な成長ビジョンを備えた固有の欲望と管理の適正が問われる。こうした観点が脆弱であると物性の制御が弱まり理性の弱い物性の用い方が強まって破滅的な荒廃を招き一部だけが潤いそれも長くは続かない短絡的な事態にぶつかり哀れな結末を迎える。

以上のような分析が確率の高い社会現象の規則性にも思われ共通的な認識が備えられると各自の見識が高まり、個々の野放図な欲望を抑えて長く健全な発想に沿った意見や判断が現れ全体の意見に集約される。基礎教養として世界的に備えられるべき、普遍の原理と訴求されて統一的な感性を創り上げて、根源の理屈を抑えた二次三次の原理を設けて大きな利益を作りだす軌道が創り上げられる。

一部の民間組織の未成熟な気の振れた感性や、権力者の歪な欲望に及ばないように、持続的永続への志向性を揃えて自主内発型の理性と物性の良質な用い方へと及ばせられて、人間の成熟度が高まり不毛な争いが回避され、建設的な前進性のエネルギーが向上する。少資源という自然環境の中に在る日本社会に置いては、質の良い高付加価値の概念や創造性を持って、世界に貢献する道が現れる。どこの空間に置いても通じる幸福感の上昇に及ぶ普遍的な原理の確立と提案を示す事が生存への方法になり、ハードの技術のみならず、真の利益に及ぶ生産性を積極的に提起して、多くの人へ喜ばれる存在を意図する事が統一的なビジョンに相応しいものと思います。

模倣的、従属的な主体性に寄らず、ゼロベースからの原理創造に及んで、小さいながらも光り輝く存在として他者への有用さを提供する自立と協調、共生の道筋が健全な感性の示し方にも思われます。力への従属的なマインドからはこのエネルギーが現れず、やがて存在感の弱い衰退的な道を辿われる。これを回避する強い方針と態度に在って確かな道が拓かれる。英語教育等に重心を置くようでは痩せ細りの創造しか表現できず、根源的な原理を作る事が何よりも優先され、基本観念の取り違いは誤った結末を迎える。中心に備わる人間の感性がひ弱であると繁栄は見込めない。日本文化の優れた感性を今一度確認の上に、軸足を確立して未来への進路を描く思索が欠かせない。

盗み癖を持つような者を担いでは恥を晒すばかりだと思います。

7)清々しい態度

「清々しい」という言葉に調和形成の肝が浮かび、この状態に至るには、共通の基準と公平な適用が要件に上がり不透明さや納得感に欠けると気分の悪い状態が生まれる。スポーツであれば比較的明瞭な基準と共通認識の下に優劣が現れ、良くない結果に及んでも公平公正な土俵の上での反省を持ち、足りなかった部分を鍛え直すというマイナスからプラスの正常なエネルギーが投じられる。社会生活においては生産活動の中で技術を磨き需要者の要望を視野に含め、負担と技術と質が形成され、両者の合意が取り付けられ、提供と利用の循環で細かな不一致等の実感を掴み、更に適正な快適への対話を作りエネルギーの投入と返答の納得感を高める健全な関係が志向される。このような筋道に在って一定の清々しい調和形成が生まれ、マイナス的感情に及ばないようにプラス軌道へと各人が意識を備えながら、前向きの活動が継続する。これが多くの対人形成のポイントで在って堂々と事象への対峙を持って相互信頼に及ばせる真っ当な筋道と描き出される。裏でこそこそせず、出来る限り基準となる尺度を明示して忠実な潔い反応を作り健全な心身の所在が確認される。そして、社会的に影響力が備わる程にこの潔さが求められ成熟した客観尺度の形成と明示と適用に及んで良好な対話が形成される。影響力という力を利己的な性格に向けて用いられる面と外界からの適正さにギャップが激しいと、人々の期待を欠き力の是正や責任の強化や質自体の更新により適当な基準が設けられる。この持続的な活動によって不快感を生まない清々しい状態が創り上げられる。贅肉が溜まる程に対応が鈍感になって各種の不快が多発し、感度の劣りに適正な範囲へ改められ自然な浄化作用が進み、停滞すると不快が積りあきらめに及んで対話の断絶を招かれる。例えば、政治の投票率の低さの原因はどこに在るか、複数の要因が現れる事に思いますが上記のようなメカニズムと現況の適正評価を把握し何れに置いても低いという事実に対して相互的に改善を進める事が正常な反応に思われます。寡占的需給構造に置いては特に力の偏りが生まれ悪性の事態を招きやすい傾向にあり、緊張感の下落を防ぐ常態的な仕組みが設けられて歪な感性の深まりが留められる。これを欠くと異質性の感度が増進して突如大きなアクシデントを起こすと想定されます。犯罪を犯罪と感じない精神的な劣りに及ばない為の自律が問われ、適正尺度の形成と適用の健全な感度を客観的に計る施策という二次的な仕組みが求められる。こうした焦点が文化の主要な関心ごとであり、健全性という概念の中身を示し、これを抱ける事が長い規則性に繋げる肝と考えます。良好な気流を停滞させずに向上させる意識が注がれて健康が維持される。「清々しさ」を損ねる主体性に及ばせる事無く、或いは相当の歪な精神性が確認されれば直ちに対処を取り拡大が予防される。こうした性格の事象は我慢するような事柄ではなく自然な反応を示す事が、健康な人間性を守る為の肝要な点であり、一つの普遍的原理として重要な位置を占めるものと考えます。