学者の自己満足か、有効な手段か

「相手方はどうあれ、自分はこうする」という意思を表現する行為と、それを見た相手方が「どういう反応を示すか」この相関の根拠に、過去の規則性と現在の状態とそこから予見する未来の行為への想像が及ばせられる。過去から映し出される相手方の性質へ自身の態度を投じて、どのような態度に相手方が出るか。自己の善意という方法が相手方への行為に反されるか。

こうした論理の中で、中身に当たる個別事象の体験が配され、善意ある態度を取るか、悪意を含んだ性質としてこちらも構えるか。善悪の割合をどうとるか、構え方の割合に反映するか。絶対的な自己のポリシーとして善意あるままの態度を崩さない事に価値を見るか。

「私は暴力を進んで用いません。しかし、攻撃された対抗します。」という各主体に在る自然権と、他者との同盟関係と同盟の程度に即した主体性の在り方が想定される。これは自己から見る環境の変化に応じた振る舞いへの反映か、環境に関わらず、一定不動の態度を堅持するか。他者と自己との区分や価値の異同割合で浮かぶ主体性の実態が現れる。

他者と自己の間で備える価値以外の価値を持ち、それによって起こした争いへ対してその主体を肯定し命を懸けて反撃に加わるか、争いの発生を起こす事前に、その理由を伺い同意できるものであるか、単独の判断で異なる因果による行為をとり、そこから争いが深まった事へ対してまで協力すべきか、命を張る程度を経緯から導出するか、単独でどんな判断を取ろうとも、一心同体と見做して体も従うか、集団的な自衛の概念と個別適用に見る数々の想定が浮かび、関係性の在り方を表す内容に反映される。

専門者としての知見を表すという態度に留まっての判断であるか、体も用いて投じる事を約束の上に判断を取られるか、間接的な立場と当事者性の違い等も含んで、表現への重みが生まれる。「頭だけは貸すが体は出さない」事を前提にして判断だけを渡す事へ、他者が従うか当事者となる覚悟を持った表現の質的な相違が信用の程度に連なる。その約束を行使する事への信頼性も含んで表現者と表現内容への力が加えられる。体を張って生み出される観念への深さや重みとなり、両面を切り離してみる事の限界等となり、人間と技術の一体性で実態の質実が測定される。表現への根拠の内容が確信性に及ぶものか。

こうした点から方法への賛否や異同が生まれる。学者の自己満足と見做されるか、生命の存続に有効な方法と見えるか、責任感覚がどこまで伝わるか、根拠を示して他者が判断する。

文化ビジョン

文化ビジョン

「なるべく質の良い利益を大きく広げ創り上げたい」というのが、有限の自己から生まれる無限への解答であり、最上の行き着く欲望と言い換えられ、この描き方に個人差が生まれる。

感覚的な質感を得るという強調で、一定の健全な人間性を作る事になり、これが長期に渡る耐久性や持続性への方法になり、一過的な利益の最大性を意図して後に大きな損失を招くという醜態を予防する概念と抑えられ、質の担保が図られる。この安定作用を備えた利益の拡大という質量の構図が最高の答えと算出されます。

このような静態的な構図も、実際的な動態性に於いては、単純に描ききれず、失敗や成功という中小の体験を行ったり来たりする中で、健全性という基軸とプラスマイナスの感覚が磨かれ、マイナスの体験も経る事があってプラスの感覚を良く掴みだす事になり、観念的な想像性やクリエィティブな空想性の豊かさが、創造の動力になり、そこに感覚を付けるような動きに至るか、無限と有限を抱き循環し、実感的な質を得る。

無限性を縛る事になるか、創造性を弱める事になるか、生命力の弱まりに至らぬか、個々人の良好な部分を阻害しないか、良い所を生き生き伸ばすような発想や、良い所が伸びている状態に快適性が描かれる。

しかし、悲観性の部分を一定程度抑えないと、生命を失う危機を招き、前進性へ重心を持たせて、後ろへのベクトルが生まれ、楽観と悲観を備える創造性に健全性が弾かれる。

無限に有限性の概念をある程度入れ、しかし、挑戦型の動力源を弱める事のない活動像において、健康な精神と肉体が叶えられる。悲観ばかりによると、外界を阻害するエネルギーが多産され、人々の喜びを委縮させる存在が生まれる。内向きな性質が深まり、健全な前進性のパワーを弱め、酷くなると負のスパイラルが増進して、悪性の感情ばかりが深まる生産性へと及ぶ。

欲望と力と責任の均衡という尺度を目安に、一定の健全像が計られ、不足に悲観性、プラスに楽観性の強い性質が映し出される。局所でこれを見る事無く、大きな図式の割合感で全体を掴み、プラスマイナスの良き衝突を持ちながらも、少しでも前に行く向上にあって、生命体の無限化への挑戦が重ねられる。

肥満症とは、悲観が進み過ぎて、悪性のエネルギーばかりを作る主体性であり、ここに至っては良き非観とは異なり、病として隔離するか切除の対処が欠かせず、全体へのマイナス要素と明確化される。

以上のように、楽観性型と悲観型と肥満症という3つ程度の主体性を分ける類型で単純化され、全体としての動態や割合を掴み、感性の良い舵取りの立場が少なからずあって全体調和と成長の持続的な世界の実現へと進行する。

このようなビジョンで纏められ、健全性概念の意味や配置の精緻な性格を付ける事になります。縛るばかりを意図する文化ではなく、如何に危機を最小にした無限性への軌道を促進するかに長期に及ぶ利益が生まれ、生命の最大性という理念と展開のビジョンが創出される。これに資する各種概念を生みだす事が、欲望と充足の構図を指し、縦横の密度を高めて、生きた連なりをもつ生命観を宿した概念を生み、実際との一体性を含んだ創造を意図した力が注がれます。

日本文化原論の要旨

人間は他の動物と特段異なる特徴として、欲望を充足する為に言葉を作り用いる事が出来る能力を持つ。感覚を記号に置き換え他者との同一感覚を頭脳で理解し、感覚で得る為の協働生産方法を考え実施する過程と映し出されます。生物物理感覚と心理的な感覚に大別され、前者は身体構造上の特性から生まれる必要な栄養の吸収や身体器官が感じとる働きを指し、後者は人や自然から抱く情緒的な心象を指し、喜怒哀楽を主にした情動と現れる。

この二つの感覚と混合的な状態を主にして、手振り身振り、言葉や概念、関係性、論理、体系等に示し、快適や不快という感覚を人々へ知らせ、良好な感覚を抱けるように働きかける技術や、一緒に快適を得る事やより大きな快適を意図した方法へ思索が進められる。つまり、欲望と充足という活動に集約されその中で言語という道具が発達し多種多彩で高度な充足方法が発達した。

しかしながら、その弊害や逆効果がしばしば現れる。自己の感覚とそれを表す記号に対して他者との異同が生まれ、違いについて丁寧な意思疎通の反復を持って次第に同一性が高まる過程の認識が疎かになると、一方向の思いこみが強まり、相手方の感覚を良く伺わずに強要するような力へと及び、そこから心理面の不快が生じる。それへの反応を適度に取り感覚の同一性へと及ばせる事が人と人との協働生産活動に上げられる。この自然反応を物的力の格差等から一方向性が固定化して各人の自然反応を停滞させる等の状態が現れる。物性力で心理面を抑圧し一方の意思を強め充足する流れが作られる。

この感覚的な欲求の制御性の弱まりと、心理面で得られる快適性への欲求が減少し動物的な感性を増進させる生存本能が現れる。別の角度で言うと感覚や感受性に一次的な側面があり、言葉や概念は二次的な道具の性格に在り、前者の欲求と質量が後者の用い方に現れる。後者を過度に先行して前者を得るという主体側の意思を積極的に叶える作法が進み欲求の前のめりとも伺える自体が出現する。

各種専門性という領域化が生まれる。これは欲望に対して有効に叶える方法と配される創造性を指し、どんな欲望と充足に在るかについて、自他の認識の異同を掴み有効な付加価値の向上を意図する事が専門供給者の持続的生産と生存への原理と描かれる。欲望という理想とそれを叶える方法の構図に現況という概念を取り入れ方法の段階的な構成を持って、有効に実感を浮かべるという工夫が図られて、欲望を確かに叶える丁寧な質感が形成される。

これを怠る程に供給側の一方向的な態度が強まり言語や概念ばかりを先行され感覚的な実感の不明瞭な表現の生産性が映しだされる。こうした面が、今日的な言語文化のマイナス面と現れ、感覚面への丁寧な質感を形成する意識が注がれて、各種専門的方法の良質化へ運ぶ事が課題とされる。頭脳へ偏した習慣や規則性に身体的感覚面が強調されて供給と需要の適正に漕ぎ着け良好な心理的感情を意図する活動に及んで物性と理性の適度な感性が生み出される。

道具の発達と依存から身体面の未活用や衰弱に対して各種の不快な感受性が起こり、生産事物や自己の客観認識を進めて外界との適正を見出す方法へエネルギーを注ぎ適正な調和を作る姿に健康な精神と肉体を備える人間の実感が生まれます。このような根源的な観点が抽出されて専門分化した生産にしっかりと大地を掴み栄養を吸収する根を張った健全な人間生活の基盤を作る事に落ち着きある精神の安定と適度な挑戦の躍動的な活動に及ぶ。

持続的永続への循環世界を意図するビジョンが示され長期的な視野を含んだ人間を作り込む焦点を含んだ調和に在って健全な主体性が生み出される。作った道具が余りにも力を持ち、それに振り回される事態や縛られる実態が現れ人間の意思が制約される。本来的な目的と乖離した状態へ深まり悪用へ走る事無く、初動的な点に立ち返り事柄の重心を再認識の上に適当な序列と評価を見出す冷静な歩みに於いて健康な感受性が守られる。精神的な弱まりと生存環境の厳しさ等を背景にする現代の状態に理想的な人間像を強調して、適正な方法を見出す思索や活動が少なからず必要に思われます。

因果応報の推進

社会事象の中枢的な面に、ギブアンドテークという原則が生まれる。貰った分は返すというごく自然な皮膚感と作用するのが多くの人の感性に思われます。在る場面で、直接的な自己の利益になるエネルギーの投入を受けた事に対して、別の場面で、同程度のエネルギーが投じられて、相互関係の適正な釣り合い感覚に至り、それが一つの信用と成って更に別場面で、信用の積み重なった関係の下に力を投じ相互の確かな信頼が構築される。この感覚的な実感を得られる創造性において言論のみならず行為という質感が現れ、実感という感覚を掴み、強く心象に残りそれが行為を生み出す根拠と置かれる。

この提供とお返しの基本的な型式が、感受性に基づく人間形成の自然律とも言え根源の感性として備えられる。そして各主体の価値観と確認され、道理や道徳等という人道的な性格の普遍則と固まり、この動的歴史を下に個別の局面への所与的な前提と入り特定抽象原理の運用へと反映される。つまり、積み重ねられた感受性はマイナスもプラスも消える事無く、行為を起こす前提の感度になり、特定価値の執行という姿に及んで、ギブアンドテークの実際的な適用と描かれる。

ここに個別的な歴史を重心に持ち、共通的な感性が形成され、更に、これらの抽象集約の行動原理に普遍的な型式が表される順で、感覚に基づく観念が創出され、それが認識を強め行為に及ぶ循環が生まれる。感覚的質感と特定対象者が事象の中で明確に限定され、体を土台に原理を作り実際に現れる過程となり、机上や頭のみで作られる純粋原理と入力に、対象者との関係という生きた生命観が入り原理と実施の整合が取られる。

今日的には、集団的自衛権等という概念もギブアンドテークの原理が土台になって、特定的な場面の想定での適用の在り方が作られる。貰った分は返すという自然な本能にそぐわない関係性は継続しない原初的、万人性の皮膚感でありここに常識という概念が生まれる。これを外した人間性には、大きな瑕疵を抱くと共に、マイナスのエネルギーを注ぎ適正な調和が作られる。

こうして因果応報の原理が社会の自然律と現れ誰にも止めること出来ない行為が生まれる。共通の原理に成り、そして実際の質感で個別性が生まれるという感覚を根にした観念と及ぶ所までを見て、普遍(根本)の原理と表される。体と頭と感受性の有機的な規則性を常時の型式に備える必然的な論理となり、どこかの分断や、どこかの割合過多によると、適当な共通の調和感覚が現れず、不快な心象が形成される。体質や人間形成過程の同質性が一致へ反映し大きく異なると適正調和が生まれず、マイナス感が積り争いや衝突に発展し酷くなると人命の奪い合いに到達する。

物理性の力と等しい原理原則への執着や向上が作られ効用と影響の適正な行使が成され、後者が欠けると物性への依存感覚が深まり、適当なギブアンドテークの感覚を喪失する。それへの不快が自然な反応と起こり力を減少させ均衡的な感性へと自浄化されて健康な主体性に及ぶ。これのフォーマルな共通規範が法律等で纏められ、確かな強制力をもった行使へと強められ歪な性質の予防に及ぶ。法が客観的に作用しているか、中立な立場という期待を持って作られるシステムの実際的な測定が取られ、その誤差への持続的改善への要望と対応へ力を注ぎインフラが形成される。インフラや準公共的な役割に求められる資質が要件化され適正な適用を欠くとインフラの暴走や責任不足と現れる。要件の厳密性へ及ばせて不適格な性質を明瞭化して対処する事が大局に見るギブアンドテークであり、その程度が中局や局所の質に影響する。中立性を求められる立場が想定され、資源の適正な配分と責任の行使があって原理原則の実際が浮かび上がる。

利己性へ偏る中立の乖離には深刻な感度を持って改良する事なしには、物性の乱用や責任の劣った無駄な資源の支出に成り、システムに見る重要な瑕疵に至り強制力で是正して正常さが確保される。盗みや詐欺の体質を慢性化する一部のマスコミやそれを操る資金提供者への性質へ言及される。適正な対処が遅れると影響は計りしれず、健全な安定と成長の軌道を外される。こうした焦点が、ギブアンドテークを崩す根本的な原因に浮かび、個々人と構造とシステムの観点を形成して、力の強い所から改良し適正の連鎖という好循環が加速する。根源的な原則と成るギブアンドテークの正常さが下地になり、特定的な想定や場面の感度の一致へと連ねられる。こうした事が、集団的自衛権の解釈等に現れ公平公正な感度が測定される。肥満症からは自己に有利な偏った解釈が現れ、適正な調和を欠いた論理が推し進められる。

健全な主体性を前進的に創り上げる創造性は定常的な軌道であり、健康な精神と肉体が確認される。受動的体質で棚から牡丹餅の規則性にあっては適正な発想が萎みリターンばかりを望む違和感を生み出される。質の劣った評論活動者からは感覚的な質感の弱い上辺の優劣をつけ方法の提起や実践に踏み込まず、その感性が安易に人の生産を盗みギブアンドテークの原理を破壊する。この性質への対処や社会秩序の高揚や形成過程へと視点が深められ、良好な下地と基盤の確立への創造が進められる。問題の対象を特定する事はそう難しい事ではないように思います。

調和形成の根源的焦点

自然調和の感性は、在る物事を活かす創造性を指し人間の意思と同時に外界の意思を伺い両者の適正を見出す発想へ向かう。この対比に人口的な創造という言葉が立てられ、人間側の欲望を強く抱き外界を主体側の意志のまま創り上げる感性を表す。この大別的な相違が根本的な対象との調和形成作法と描かれ、各種の生産事物や生産過程の在り方に反映し人間の性格として映し出される。

現代の高度に発達した生産流通システムは、あらゆる物事が精製加工された状態で体よく整った形になって手元に届き、自然環境にある有機的な性質を感じる事無く人口性の感度を増進させ皮膚感覚と成り、過敏な均一性への志向を強められる。物事への生命観を抱く事無く、自己の欲望に偏った利便性や機能性の対象と捉え、無機質な感度の高まりと対象からの意思を伺う感性を脆弱化させる。物的感覚に対して情緒性の感性が衰弱化し物事を縦横的な構造で描き曲線的且つ循環性の構造や動態を弱めた発想や思考や行為という傾向に現れる。感覚と観念が、あまりに離れる所にも精神的な不安定を招き感受性の安定しない性格を作るものの、情緒性の生命観への感度が弱まり対象の心理を良く窺い知る意識から遠のく利己性にも、断片的な部分性の感覚が進み心理と物理のバランスを崩される。即効的な感覚面へ偏して間接的な因果を思い浮かべる想像力が乏しくなって仮説形成の発想が弱まる。短絡的感覚ばかりに寄った敏感な反応は動物的な性質を進め淡白な対立的な衝突を頻繁化させる。こうした事から外界との同一的な中長期的感性を創り上げる想像性やビジョンの創出面へと思索が起こされ感覚的な鋭敏性を緩和させ厚みや深みのある根本的、普遍性の感受性に基づく同一軌道を形成する役割が持続的安定と成長に重要な作用と及ぶ。断片化した感性の画一的基準と適用に対して大きなビジョンとそれに資する有効な基準の導出という柔軟性を持った創造性に及び、個々の特性を均一的に揃えるよりも在る特性の良好な面を伸ばしビジョンへの道筋を描く事へ向かう。物性的な欲望が高まる程に自己と同質の基準を求め自己に優位な序列を描く発想が高まる事に対して、違いへの尊重や新鮮さ、憧れや躍動感を望む感性を備え自己の意思ばかりに寄らない自然的な調和が進行する。このような対象との対峙に見る根本的な焦点を抑えた創造性や人間性へと意識が備えられて、相互の生命を尊重する事に連なり、或いは自己肯定感を極端に強める事無く、正負を内蔵する人間像を持って謙虚な態度による適正な欲望を起こす制御作用が宿される。生活スタイルの機能的な面の高度化と、根本的な感性との相関を掴み適当な人間像を創り上げる視点があって中長期性への感度を備えた賢明な性質が堅持される。このような面を基礎教養的な知識や感性として予めに伝達する事も少なからず必要に思われます。調和論や人間形成学等という領域から作られる基礎的性質の良質化への肝要点であると思います。

一部の馬鹿な政治行政やマスコミ、財界人の奢った性質は不快極まりなく、人口的な感性の強欲さが顕著に示される。平気で論文を盗みだすサイバー犯罪は、看過せず、警察司法の独立した判断が進められる事を期待します。未だに不正アクセスが止まりません。

 文化の活動面

文化の活動面

良い悪いの根拠も理想と現況と方法という並びで示す事が健康な規則性を備える人々の感性であり、この動態から浮かび上がる判断に於いて地に着く表現が齎される。今日多くの評論家が出現する中で一定の品質を測定するのに以下のような点が示され、責任感覚の有無や程度が実測され、表現には効用を齎す型式であって付加価値の実感に及ぶ方法と成りどんな性格の表現であるかが特定される。

・現況を見たまま表す事 ・現況への評価を表す事

・その場合は理想と成る尺度を背後に備えられる。

・評価から更に突っ込んで方法論と言える表現であるか。

そして、そもそもこうした表現はどちらかというと主体的活動者の活動とは異なり実践する主体性は原論活動というよりも実感性の強い実践工程の中に在り、表現は他者へ求めるような性質を濃厚に含まれる。つまり要望という性格を持ち要望を表すには効用の確かな根拠という信頼性へと視点が注がれる。欲望自体の在り方や欲望に対する現況の認識の程度と、欲望を充足する実感点と、充足に及ぶであろう刺激と反応の仮説に対する根拠、過去のデータと過去に無い変数の加減と反応への根拠等が責任ある表現の裏付けと成りエネルギーの投じられ方が測定される。これには一定の限定的な焦点の絞り込みと定常的な規則性を持ち特定領域へ重心を持つ反復的なエネルギーの投下と検証のサイクルに在って遂げられる。あれもこれも虫食い的な感性によると重心を持つ活動と離れ質の低い表現が示される。こうした生産倫理規定も一つの抽象原理と備わる人々の感性に成り一般的な認識に在ると思われます。これを強調する活動が程良く投じられて各種生産者への規律の下落を予防し落ち着きある生産と協働や共生の空間秩序が醸成される。多種多彩な感性から意図するコンセプトも一様ではなく、しかし対象との対峙にはある程度の自己の性格を表して外界を混乱させない表現に在って健康な精神を宿した人間性が現れる。投じる事への効用と影響へ思慮を持った活動者において根源的に良好な性質を備えた表現に及び、ここに文化という感性の所在や内実が確認される。受け手に於いても同様の感性が備わり供給と需要の共通基盤となり健全な人間が作られる。このような焦点と意図に絞った生産という立場もあって良いかに思います。動的な因果に対して不動的な理論を表し動の乱れを純粋原理で補正し大きく軌道を崩さない安定装置に文化という付加価値が生まれる。純粋原理の確かな型枠の程度が計られ分化した感性に背骨を通し基軸の太い道筋が確認される。表現装置を独占され社会に大きな影響力を与えられる立場に在っては尚更の事にこうした表現作法への原理が備わり自他の良好な欲望と充足の在り方が求められる。これを欠いた一方向的な要望や誘導、扇動という行為に及んでは人間性の基礎を破壊し平等感覚を著しく欠いた主体性による健全性の下落を招かれる。このような焦点が社会事象の中心的な関心と関係形成の基礎原理と示され良好な文化基盤が形成される。社会的地位という実像も確かに備わり比例して適正な表現を求める事は自然な要望であり声ばかり大きく社会的付加価値が弱いとなれば健康な人間とは乖離しこれが酷くなると犯罪感覚の及ばない悪性の犯罪者が出現する。

抽象原理とは

抽象原理とは

理想と現況と方法という活動の観念をベースに、各種の物事を配置する事が創造性の基軸に成り、このシンプルな動線に則して、考えを述べ他者へ訴求し、協力を取りつける事が生産の基本となり、活動観念と示されます。

・理想とは、欲望であり、何を欲しいという効用を指し、

・現況とは、何がしかの事象を経て生まれる快不快感であり、

・方法は、現況を受け生まれる欲望を充足する手段を指す。

この3要素を核に、詳細を分化させるなどして明示し、効用とコストが算定されて判断が生まれる。主張等の表現一般も広く言えば欲望表現を指し、感覚的な直感を言語で表し誰かに向けて発する事に心理的な作用が備わる。現況か方法か理想に関わらず、明示して発する行為が、自己の欲望であり、そこに他者の意図する欲望がどの程度はいるかで、共通的な志向性の上にエネルギーが投じられる。個別事象の積み重ねからこのような生産一般の原則や論理が整理され、これをある程度揃えた上で各種場面での個別表現を起こして、筋道の共通基盤の上に円滑な対話が形成される。このような概念に哲学等の領域からの創造性が現れ、表層的な創造の下地と成って、一定の規律を生み、快適な意思表明や協働関係を叶える事に及ぶ。

活動観念は、長期的に備えられるべき人間像とも言い換えられ、感覚と観念と感受性を主要素にする活動の動態を指し、身体と頭脳と心を備えて動きをもつ事が健全な精神と肉体を宿す人々の基本的な作業を指し、内外との関係性の中でこうした活動のサイクルを備える事が普遍的な原理と描かれる。

最も人々の実感に届くような型式を、出来る限り解り易くシンプルに表し、皮膚感のごとき型枠と通じて、実際に浸透した原理という実感に及ぶ。このような生産のコンセプトを絞って探求する活動にも、効用や意義が現れる事に思われます。人々を快適に繋ぐ作用に及び、自他の創り上げられる基本原理をより良好に向上させ、盤石な基盤と固まる程に個別感覚への一体的な意思疎通の精度が上がり、複雑な協働生産や長期に渡る欲望と充足の良好性へと資する作用と現れる。言葉や論理、概念、体系等々が、いわば原理という型枠を指し、感覚や感受性をそのまま表すか、適正に制御するか等の意図から創り上げられる。長期的に用いられる型枠に文化という言葉を充て識別し、その過程では様々な人々からの検証が加えられ、大中小の改良が重ねられ、これ以上ないという程に磨きあげられた様式と成って当たり前のように前提に置かれる。多くの生産事物を世に輩出される生産者に備わる基本的な欲望であると思われます。生存や安定、繁栄は、こうした末に実感され根源的な本能を充足する作業であると抽出されます。

例えば、「憲法」という型枠も、国家を主体とする理想と現況と方法という性質を混在して表される表現であり、大きな人々の基本となる規範という意味を設けるか、人々という意味を絞り込んで対象の限定と特定機能という強調を取られるか、在る欲望の下に作り用いる主体の範囲が特定され、最良に作用するような型式の提起が進められる。「作用する」という事の実感へも言及して、言葉のみならず体の感覚を内蔵させて実効性ある様式に在って健全な概念が作られる。

長期的な安定と繁栄の循環軌道

1)長期的な安定と繁栄の循環軌道

規模の利益を意図して拡大路線を突き進む物理的単純変数を基調とする方程式は、価格競争力を主にして市場を席巻する手法であり、一極拡大と多数の弱者という構造を創り上げる。経済は生産面と分配面と消費面の相関で広がり、一部の事業者による生産が拡大すると一部の所得が高まり貯蓄に回り全体の消費が下がり生産も連動し、経済全体のパイが縮小する。

物性感覚が増進して、一部の強欲性による力の原理を進める手法からは、持続的な安定と成長の軌道とは異なり、単純直線的な成長軌道に偏し、面としての循環的な成長を欠き、歪な体の発育に陥る。頭ばかりが発達し手足が伸びないか、一部の人間が大きくなり多数の小さい主体性という構造を招く事態を生じさせ単線的な物理原理による成長の限界という姿が露わになる。

坊ちゃん的な苦労知らずは、力への依存体質が備わり、自己生存と成長に単細胞的な発想を取り、対象との分断的な構造を好んだ手法に流れ、全体の成長という作法から離れた生産の特徴が浮かび上がる。

人間形成過程に見られる特徴と感覚と心理面の形成が、基調となる発想や論理に現れ、物性型の単純原理か、円で回る面の押し上げ的な成長軌道を取るかという違いが現れる。

欲望の抱き方と充足方法の質的な性格を指し、全体を見渡し良好な環境を持続的に創り上げるには、淡白な強欲性によっては誤った自己認識と力んだ姿に陥り、忍耐力を持つ多変数の実感を抱きながら全体を育成させ、所得と消費と生産の漸進的な拡大を意図する事が適正な操作と描かれる。

貯蓄に消えて遊休資産に入り消費に回らず、小規模の生産者の所得が圧迫し廃業へと回すスパイラルの取り方は、長期に渡る生存と繁栄を遂げる手法には無く、短絡的に物性に依存する体質に陥る程にこの事態を招かれる。頭への過度な依存で感覚が弱まり道具を多用する生産性は面を押し上げる循環のスパイラルを欠き感覚と頭脳のバランスを欠いた人間性は健康な感受性が備わらず、過剰な自己愛と他利を志向しない搾取や強奪的な手法による自己繁栄へ偏した世界を導かれる。

このような人間の根源的な焦点で浮かび上がる規則性を原理に持って、表層的に生じる産業や経済、政治や行政という活動から産出される各種の生産事物の性格を伺い知る事が地に着いた物事の洞察や測定に及び、一過的、表面的な煌びやかさに安易に流れる事のない健康な感性を土台にした峻別や制御に至り、力んだ拡大路線による一過的な成果を急激に求める事なく自己の客観認識がとられた適度な挑戦を図る感性が内蔵される。

物性の感度に対して心理面への重心を持ち、適正を導出するという根本的思想の在り方が過度な自己愛に寄らない他者への情愛を程良く抱き健全な発想と全体の発育を良好に描き出し、長期に渡る安定と成長の軌道を創り上げる。力への受動的な体質に嵌まる程に、この制御感覚が劣り依存症の方程式を内蔵され、ギブアンドテークの適正を欠き、強欲な性質の非人間性に陥られる。感覚と頭脳と感受性の良好な循環を持つ人間像に在って、こうした事態への制御が果たされ健全な主体性像を土台の原理に添える事の重要性が謳われる。

以上のような不変的な原理を掴み長期的な観点を含んだ人間性の構築が適正な生産や協働の型式を創り上げ、生命の良好な動態を形成する。こうした基礎感性を万人的な皮膚感と押し上げる事が基盤の厚さに及び健康な成長を創り上げる。ここが脆弱であると痩せ細りの成長と衰退の軌道に回る。次世代のみならず後世への幸福を少なからず意図される人々の利害と矛盾する事のない世界観であり、社会の根本秩序と固め歪性への適正対処を図る事が利益になり利害は一致する。

肥満化するほどに、生身の精神や能力が下落し、慌てふためいた行為に着手し外界への被害を齎せる。ここに及んでは社会を主導する立場に無く適正な配置やサイズへと修正させ、良質な力を前面に出現させる方法が健康な主体性の判断に成る。こうした意味の自然律を粛々と回す事が長期の利益に叶い不動の原理と配される。

真なる自由の軌道

表現は身近な所から起こし、徐々に複雑な事柄へと及ばせ、問題の本質と細部の構図をしっかり押さえた観念の形成に在って適正な行為に反映される。頭脳的な筋道の表し方の善し悪しは、個別感覚的な体系の豊富さ等が起因し、大本は感覚的質感に置かれて対話の良好な進展を齎せる。例えば、年寄りになって体が思うように動かず口ばかりが良く出るのが、広く一般的な傾向則であり、口を開けば「あれやれ。これやれ」という要望が示される。子供の立場は自分の親であるだけに、なるべく応じたいと思われるものの、身内なだけに遠慮が無く、それに応じきれない現実が生まれる。或いは一度やると、二度三度見境のない期待を抱く事からも他人を雇って適度に対処させて自身の体を壊さずに無理のない範囲で利益を作る事へ及ぶ。

直接的な感情に対して身体を用いその結果、頭で冷静に鑑みて出来る事を整理の上に原理体系を作り、相手に知らせて自己の説明と他者からの期待を刷り合わせて、互いに無理のない適正を見出し長期に渡る耐久性が作られる。多くの人の体験的な筋道に思われます。こうした原理が土台に成り特定集団や領域の範囲やそこでの理念や体制、手順や持続的な改善の循環系が示され主要な効用の規定と求めるコストが算定され、内外の良好な対話や取引が導出される。過剰要求や不足の適正な基準や幅が算定されサービスや製品の改良やコストの更新等が繰り返され基本原理と補足の原理等の体系として説明される。

創り上げる体系は、一次的には内部と外部という焦点が生まれ、中核技術を下にその生産体系へ思索が及びそれを叶える必要資源が算定される。外部へは技術の効用を訴求し負担額を明示して技術と市場の接点が生まれる。そして、両者を同一的な参画者として内外を統合する視点を設けて、統一的なビジョンに纏めた観念を上位の原理に配し両者を客観的に測定する観点を築いて自己と他者の適正基準を提起し相互の成長を図る真理の探究軌道が描き出される。コミットする関わりが深まり直接的な機能と間接的な原理の構造が生まれ、長期の関係を想定した原則が設けられる。

時々の一過的な不一致や不協和で過度な軋轢や対立に及ばぬように根本的な感性を揃え時々の感覚を制御する働きに及ぶ。こうした原理の重層性へと及ばせる事が持続的な安定と繁栄への道筋と描き出される。文化体系や最高原理という配置に取られる原理は個々の正負の体験と積み重ねを経ながら知恵と成って生まれる方法になり個別の集約から良好な解決策を引き出し、それを基準にした個別の形成へ及ばせる生産的な営みと解されます。多種多様な経験とそこでの問題意識や改善方法の繰り返しや、根本的な問題への対峙から抜本的な解決策等が考案されて連続性の少ない新規的な質の変化へと更新し、生存の安定や躍動という健康的な姿を望む根源的な理念を達する事へ及ぶ、方法論の高度化へと探究が進められる。

この動態自体が健康な人々の姿を表し目的と手段の統合的な状態に及び、不動性を備える普遍則と固められる。変わりづらい欲望が根に成り共通の意思と固まり個々の判断を基礎づける根拠になり、定まった感性と組みこまれ人間性や人間像の中心要素という感覚や認識が生まれる。これを叶える局所の原理、中局的構造の形成、大局的なシステム等という重層の因果を描き、万人的な思いを最大に達する構図へと昇華させ納得感の高まる力の集約へと及ぶ。一人でも多くの生命が躍動するように正負の作用を鑑み全体的な向上へと運ぶ思想を少なからず万人的に備え適度な制御感覚を持つ理性的人間が作られる。長期性の観念と提起し感覚的欲望と心理面の程良さを生み出す人間一般の基礎になり不幸の最少化と幸福の最大性を探求する道筋と描かれる。

人間の正負を内蔵する現実的な実態を抑えつつ良質を見出す健全な創造観を抱き理想図と現況と方法を重ねる歩みに於いて虚像的な不信を招かない誠実な態度が示される。文化の根には自己と対象を真摯に捉え正負を含んだ実態を直視し、適正を見出そうとする発想が組みこまれて良好な感性が表される。こうした日本文化の正統な感覚は未来永劫の価値に及び、この軸にあって確たる程良い自信を備えた創造原理が見出される。これを遂げる二次三次の概念を多彩な切り口を設けながら取り上げます。

こうした図式を根本にとり個別と共通といった価値の領域や割合、内実を探し、共通性の一つに国家という枠組みを配して在り方への思索を深めて形にする工程が生まれる。価値体系を根本と個別と共通という枠で捉え偏狭で窮屈な感性に及ばぬように、でっかい構えを分母にする事が有限の無限化への方法でありこれを喪失しては人間の躍動を細らせる。頭に寄った感性は感覚的質感を弱め狭い世界の流れを作り体と頭と心を不動の型式に強調されて全体と個別の配置を組む事が生命を活かす作法を指し、この発想を源泉に持つ力に於いて本流の本能を強める事へ及び人間の成長図と示される。人間は背から羽をはやし空を飛べる日も来るかもしれない。そして現況を捉え実現への手法を繰り返す感性に無限を絵空事にしない健全な明日が掴みだされそのエネルギーに富の源泉が現れる。妙なレッテルを張り真なる自由を阻害するエネルギーを注ぐようでは、日向ぼっこでもして迷惑をかけない心の構えがあって日本人の感性が映し出される。

文化の重心

文化の重心

過程と結果で言えば、個々の感覚を体験しそれらを抽象集約した原則が纏められ、体の芯に備わり個別の判断や行為に原則が適用される。今日的に浮かぶ歪な事象としては、頭でどこかで作られた抽象原則を読み込んで頭脳的な説明は行えても行為の中に浸透しない分断的な精神分裂症に見られる事象が発生する。

口頭でばかり直接的に抽象原理を表現する行為は、本来的ではなく、個別的生産の中で、原理が適用された行為に及ぶ事が、健全な過程を経て創り上げられた原則と適用の姿と示される。口頭説明は人への要求という自己の欲望を表す行為と解され、自己に適用する事無く人に求める表現の性質となり、要望には負担を強いられ、これを欠いた要望は適当な調和を作るに及ばない。

表現の多くは基本的に自己の欲望を示し、欲望を充足するには効用が推し量られ、それへの負担に理解が示される。この構造を口頭で示す事と、実際に提供できるかは、未知数であり、過去の規則性が信憑性に反映され言行への整合が測定される。

過去に起こした失敗への対処の仕方等が、過程から絞られる原理形成へのポイントに置かれ、適当な対処を欠いた性質は、いくら未来へ向けた建設的な創造性を表現しても、信頼が付与されない。抽象原理を見栄え良く表現しながら、行為の中には間逆の姿を表し、体と頭の分断した出来そこないの人間が生まれる。抽象原理の形成過程へと視線が注ぎ込まれ、実態的に生きた原理と適用に及ぶかを推し量り表現行為への信頼性へと加減される。

個々人や特定組織の理念や国家の憲法等も顕著な例であり、自身のエネルギーを投じて創り上げられる程に執着に至り、個別事象の中に原則が浸透して生かされる。頭と体の分断した性格は、健全な過程を通らずに、生まれる人間形成過程の失敗であり、多くの人が抱かれる教訓にも思われます。

以上のように、原論ばかりが先行する表現活動や、頭ばかりで二次情報を入力するという行為の性格が示される。物的力を備える過程にも同様の事が言え、適正な過程を踏まずに力を備える事や要路に就く事が、本来求められる役割を充足するに足りない倫理や能力の釣り合わない姿と及び、利己的な欲求へ偏した力の利用と至り、歪な性格の集団やシステムを創り上げる。力の乱用や暴走へ及ばない為には、過程の健全性に、重要な焦点が加えられる。

そして、時代状況によっては、過去との連続的な原理を超える新設的な発想が求められ、質の異なる創造体系を描き、実践する力が必要になる。パラダイムの変化や世界観の更新を適時適切に行える改善力が健全な主体性の維持や向上に欠かせず、健康な精神を堅持する為に感覚的な規則性を変えるなどして、良好な感性や体質が守られる。これを先導的に創り上げる力が、確かな未来を齎し、保身に執着して変化を嫌い停滞させる事は大きな損失を招かれる。対象も主体も生きた生物を指し環境の変化に照らして、或いは環境を創り上げる魅力ある創造を遂げる事が生き物への性質を創り上げる。

ここでの不動的な型枠が、頭と体の一体性であり、人間の変わらない在り方と固められ、抽象原理と個別行為の有機的な実態を持つ活動に在る事が、持続的な安定と繁栄を遂げる肝に成り、この原理と適用は根本的な原理と置かれる。

こうした点に、文化基盤が表され、下限的な不快事象を生じさせない為には、必須の型式で在り、ここの崩れがマイナス事象を生む根本の原因になり、確固とした信念において、人間の根源性を堅持する事が重要管理点と取り上げられます。この原理を先おいて二次的な力は優先されず、例外なく適用して崩れを許さない事が過去の人々の良好な熱意を継承する姿に成り未来に繋げる責務が生まれる。

一日にしてあらず、長い歴史の重みから在る重要な原理は何があっても変えられず、一過的に気の振れた歪な感性に対して、正気を戻させる過程が避けられず、これを曖昧にする事は歴史的汚点と刻まれる。性根の弱い権力者は役割を欠き、自己の適性に合った配置へと移動する客観的な感性が、頭と体の有機的な状態からの判断に現れる。精神分裂症は自覚の弱い欠陥と定まり人間の体を成していない。解りますか?みすぼらしい態度は後世に対して未来へのマイナスであり、適正な感性を貫徹する日本人を残す事があらゆる創造の根源に配される。