倫理道徳

現代に最も求められている事は倫理道徳であり、この観念をどのような日常の実感的な場面で想定されるか、それらをどのように集約的表現で纏め、意識に浸透させて行為へと繋げるか、これらの事の共通実感性をどの程度揃えるべきか、こうした点が前進的創造と共にその動力源になり好き前進の軌道を創り上げる。

多くの事は人が想定されて、その感覚と感情を充足する為に生産が生まれる。これが基幹動態にあり、アウトプットが想定され、それを作る過程と必要な資源とを揃えて、活動が執り行われる。アウトプットの想定に、過去の歴史や未来の志向性を含んだ生産事物が描き出され、自他との対話で共通と個別の実際を知り、受益と負担等の勘案で妥当な一致点を見出し欲望と充足の需給構造が作られる。

これらのアウトプットと過程に於いて、快適と不快という感覚や感情が生まれる。ここに倫理道徳という適正感を表す標準感覚が創り上げられ、やるべきでない事という面での限定的な共通行為類型の認識と、限定性の弱いプラス型の創造とで構成され価値の総体と捉えられる。

これに対して、快適感に成功、不快事象に失敗という言葉が当てられ、この体験の積み重ねから固定概念が強まる面と新たな発見等から変容して更新が取られる。

基準像が標準にあって、成功や失敗という二つの観念で大別され、実際的な感覚にはこれらの割合感覚による程度で、プラス性とマイナス性の感度が作られる。

理想像の程度によって、これらの心象や実感が生み出される。理想像は出来るという実感が少なからずあって備わり、ここの捉え方に、エネルギーの湧き方や、状況把握の程度等が影響して理想と現況と方法の構図で掴まれる。

人間の現況認識という面が、この図式の描き方に現れ、原点となる捉え方が過去の経過から固まり、理想や方法の取り方に反映される。正負の要素をあわせもち構成されるのが多くの人の感覚に成り。正として大切に堅持したい面という所が作られる。定住する空間での感覚的な体験から次第に固まり、プラス要素の標準と備わり、原理という制御盤が作られる。ここに、入る事柄の持ち方が、倫理道徳という観念の主要素と備わり、物的感覚の調整や人との関係形成の原理に作用してあらゆる思考や行為の土台と位置づけられる。これらに自他での異同が作られ、本書に置きましては根本面と共通と個別という3つの区分け概念を設けております。個別体験からの集約という定期的規則性を備えながら、観念化が強まり、個別に反映させる活動の在り方がこの内実や程度に現れる。その型式は各自で様々な取り方が創り出され、伝統文化慣習等という纏まった型式が生まれる。その行事自体の取り方にも多様な実感が備わるものでしょう。このような人間の背骨の形成過程という表現を生みだす恒常的な作用が各所に見られ、前進の良好化に連なって生み出される。根本面いう不動的、普遍的な厚みが異同の良好な関係に至るという実感が生まれます。

これらの感度という面に成長過程からの体質が生まれ、

規格量産的な模倣型と根っこからの創造型という程度差が、論理の解釈や感受性の強弱、精緻性の異なり、主体性の相違という面に現れる。横の論理構成にはあまり異なりは生まれないものの、縦の気質に違いが顕著に現れる。体から創り上げる過程と頭からの形成は、感受性の生じ方の質の異なりを生み力の用い方の相違と現れ歩み方の相違に及ぶ。倫理道徳が内蔵されるのは体からになり頭で覚えるようなものでは心身の分離と及び健康な姿と乖離する。形成過程に実がありその結果からの感度の相違が生まれる。

 

事象の因果と文化論

労使関係の制度に派遣という型式が生まれ、組織への関与の仕方に選択肢が設けられる。これを望む人も職務の特性等からおられる事かもしれませんが、経営側と労働側での感度も異なるものと思われます。

端的には違和感が強く、集団への帰属意識は薄まり組織の財産も売り飛ばす事や盗みが生まれる因果と浮かび上がる。この負の面への対処策に資源を投じてやり過ごす利己的な応急処置が生まれ、人の連なりは希薄化した協働生産体制が現れる。この面が副作用と出現し、安価な人件費という単純解釈ですまされない実質的なエネルギーの向きや強弱、潜在的な不満からの犯罪、二次的被害等の治安の悪化、特異な犯罪の出現等々に及び、根源的な人間の性質を外したストレスという性格の事象にも感じられます。ここから過当競争や物的感覚への修正の起点が作られる。

犯罪に及んだ原因に目を投じ、どこに実質的な問題の認識を実感するかに、表面と根本の構造が映し出され、確かな認識が整い善悪の重みづけが生まれ改善策が投じられる。

局所と仕組みと根源の人間像といった3層の静態構造と、時間の動態で作られた心象等が絡まり、動静の対象として実際的な感度を持つ認識が形成され、全体観の中での部分事象として事柄の適正な性格が把握される。遠くの事が身近に及ぶ事象の連鎖性を分析し上流や根源を捉え、根を変えて基軸の動態へと反映し個々の事象が生み出される。文化論は、根元の健康を追求して、良質な事象を生みだす人々の営みと思います。

 

根源的信用破綻への注意喚起‐サイバー犯罪等の技術犯罪の性格

信用は創り上げる事に成り、過剰に外界へ求めて監視や盗撮、盗聴などの行為は、外界からの信用は得られない。一方的な強欲性がこうした技術を間違った欲望の下にタガを外して用いる所には、信用などは生まれず、人間関係が作られない。資本主義の過度に進んだ物的感覚は、感受性の衰退した壊れた人間を生みだされる。

 このような力の利用に、モラルハザードという言葉が当てられ、物的感性一遍に陥る悪例になり、自制心を保てない物理依存は、金銭への単純方程式で固まり空虚な焦燥感で精神が支配される。情緒的な繋がりを創り上げる初心のスタイルを見失う事が、乾いた感覚を深めて、技術の歪んだ利用にまで着手され、一度その線を越えると、それによる感覚が当たり前になり、汗をかいて信用を作る作法を外される。

 こうした精神状態に行かない聖域を備える事に人間の価値が備わり物理性を内包する感覚と感受性といった特別の優れた測定機を手放さずに、その欲望を充足し続けられる事による満足感や豊かさを味わう事に成る。ここを失うと糸の切れた凧のように、力への従属性が慢性化して、感受性を味わう事無くお金の単純作用に陥り、人との関係から得られる充実感への欲望が生まれず、信用されず信用しない感性によるふらふらした反応や振る舞いが顕著に映し出される。

 人へ被害を与えなければ、敢えてそれへの指摘も控えられるものの、こうした事象が広がる事の懸念が浮かび、被害予防をミクロマクロの観点から講じる必要を感じます。いかれた感性からの悪性の連鎖を、深刻に受け止めた社会秩序の堅持が、失うべきでない価値を守る為に要り、この焦点を強めた事象の観測と表出をさせ、因果への深い理解を認識して、空虚な人間へと陥らない為の問題意識を掴んで、自制の取れた感性が持続可能な成長軌道の確保に繋がる。

 盗聴や盗撮という事への安易な認識は取らずに、軽視できない人間の心理状態を的確に把握した扱いを持ち、歪みの連鎖を留め、技術や力との適正な関係を作る事に感受性という人間特有の価値の喪失を防ぐ事に及ぶ。このような意識を強めて、体験や歴史の知恵から技術を用いる事の要件がはじき出され、この出発点には人間の不動的な感受性が作用し、この面が発想や思考、行為への制約を生みだす動力基盤と備えられる。ここを崩した人間に力を与えない社会の自然律と固める事が重要に思います。

 一種の精神的な病気であって、その自覚症状の生まれづらい性格に見受けられ、箍が効かない深刻な姿という認識の下に、適正な対処や予防策を投じる事が比較的優先度の高い基盤の強化策に浮かび上がります。サイバー犯罪等の技術を用いた異質性の本質はこうした流れで描き出され、軽視の出来ない人間の破壊という姿と認識すべき事柄に思います。

これらの行為になんら正当化する余地はなく、真っ当な道へと更生させる事が犯罪者への正しい対処であり、一部の公的立場にこれらの性質が蔓延るかの推察が及び、これに在っては尚更、神経を張った取り扱いが急務であると思います。マスコミや政治家、インターネット業者という特殊世界をしっかりと健康な歩みに導く個々人の意識の涵養がこうした事象を通して形成されるものと思います。

壊れた感性に対する敏感な反応がなくなり、同化や慢性、浸透という状態に行かない強い意志を働かせる事が文化論からの主要な提起と現れます。

 

1)文化再生への道

1)文化再生への道

一言でいえば、真剣身がない所に、堕落した発想や思考と行為が生まれる。高みの見物で留まり身を投じない姿は、物を述べるに値せず、高い所に登るのは、全体の動きを捉え、流れの停滞を起こしている所に原因と改善策を生みだし、動脈硬化を直す事や、新設的変数を設けて全体の軌道を太める事や新たな流れを創り上げる事が望まれる。

この集中的観点に加え、領域の範囲という広がりで見る事が必要になり、領域が持つキャパの限界値がおのずと現れる事に対して、それを超える視点が求められる。深みと広さ、縦横の構造を設けて対象を捉え操作する事に成る。

これに加え、人間側へ目を投じる事が不可欠である。外界を感じ取るのは人間に他ならず、なぜその観点に関心が注がれるのか、或いはどうして、他の観点に目を投じないのか、欲望自体が生まれる因果の認識と、自己変革という部分が外界の捉え方に変質を与える。この思考を高めるには、

ストックを持ちすぎる事は悪であるという秩序を作る事が第一に置かれる。資源を寝かしておく事は罪である。という意識が要り、責任の能力を持たずに過剰な権利を抱えた悪性という認識を持つ文化秩序に健康な心身が宿り、生命の輝きが増進して長寿につながる。長生きしたいという根源の欲望を充足するには、過剰ストックによる精神面の堕落が身体への健康を阻害し病気が生まれる因果関係が少なからずあり、これを感じられる感受性を作る事が最も根源の原理におかれる。この人間側の改革が、停滞や下降曲線を変える上流の施策に備わり、外界の見え方も異なって、主体と外界を合わせた躍動的な生命の実現に及ぶ。外界ばかりを変える発想が強く、人間側の根本原理に目を取らずには本流には至らず、人間改革や根源秩序の変化へと着手する事が改革の本丸に成る。

フローを良くするにはストックを変える事が要り、過剰ストックは罪で在るという常識を高めるのが根源の視点で在り、フローの躍動に欲望が生まれる体質転換への施策を投じて全体の活性化に及ぶ。ここが文化政策の中軸にあり、小手先の経済策は本質を変えるにまで行かず文化教育という人間作りがあらゆる根源となる。

他人事の発言や身を投じずに、コンサルタント的な構えで要る事が最も経済政策への阻害を生み、身銭を切りフローへの熱を投じて健康な心身が手に入れられ長寿へと繋がる。この意味では一部のマスコミや政治家、資産家等の存在が最も不健康の代表という認識が生まれその性質に罪悪感を生む感受性の高まりが少なからず要るのでしょう。

価値の序列を根源から再編する真価の付け方をこうした論理で再編する事がエネルギーの再生と創造の再編を生みだす根元の焦点と位置づけられる。

発言と責任感覚の一致で質実が計りだされ、付加価値が形成される。この捉え方なしには論理ばかりで点数稼ぎをするような文化秩序が慢性化し虫けら感覚に是正が取られて、良質な素材を知覚する感性が高まりを見せる。盗み等の不正はあまりにも低次元の事柄であり、本来的には論外で即時退場の扱いとされる。

 

 

公への信用失墜

情報管理が話題のようです。この面についての適正と思える論理を形成します。

一部の不抜けた公務員体質は悪性の根源であり、民間と同様かそれ以上の立場を求められる。情報管理の面で権力に近いだけになおさら厳しい対処を取る事が必然に思われます。民間の活動という影響の限定性に比較して、公の立場でこの性格の不祥事が生じれば、日本全体はおろか、世界へ対する大きな損害に及び、日本と名のつくあらゆる活動に不信の念が高まり、民間への手本を示す立場の堕落には、深刻な感度での対処を執り行う事が、至極真っ当な判断に思われます。

公の機関という意味合いについての認識が、対処の仕方で創り上げられる。準公共という性格を持つ報道機関等のマスコミにも、一般の民間とは比較にならない影響力を持つだけに、基準の適用は自然に厳正化され、不正に対する的確な対処を外せば、信用の失墜は計りしれず、こうした面に力と責任の均衡という原則の適用が現れる。

信用形成の基本的原理としてこれを外した対応には監督責任者への不信が強まり、他の取り組みへの評価も下がり、重みの強弱を取り違える事が致命的な判断の誤りに及ぶ。

信用基盤面の低下は、その上に在るあらゆる制度に波及し、その対処を間違えると歪んだ感性で常識感覚が創り上げられ、前進性の取り組みに大きな足を引っ張り、これを見誤る事のない世論の形成が個々人の予防策に連なり、可笑しな感性に歯止めを取る当事者性の認識が形成される。他人事には成らず、社会システム上の要路の不始末は、身近な所に早期に波及する。

良い成果が半減の評価に及ぶような対処のまずさは避けるのが適正な判断に成り、物事の重要性の認識の相違は、調和を不協和に及ばせる要点にあり、この面が根源的感性とも言う長期の規則性から創り上げられる体質に思われます。これを牽引される立場の感性が如何ほどか、多くの人々と乖離する事では、力の適正な運用と外れ、信用形成に罅が生まれて関心の低下や他の勢力へと期待が移りだす。

真っ当な生産に在る人ほど、基礎的な感度の崩れには強い反応と現れる。資源の適正配分への不信が生まれ、蓋をせずに膿を出し切る事を避けては責任放棄となり、この面の前進の停滞には失望感とあきらめ感が増加して基本的関係の軸を失う。

2)平等思想の向上策

文化という言葉からは人間の所与的側面へのアプローチが取られ平等思想が美的感性を示す感受性の中枢に位置づけられる。この実際的な解釈と実現に当該領域の柱が備わります。平等思想は権利意識ばかりに向かうと歪みが拡大し義務感が備わらなければ平等に至らない。この向きの指摘があまり見られず、片手落ちの概念として取り扱われるかの事には適正な調和が果たされず精緻な認識を作り良好な創造活動へと運ぶ意図から以下のような認識の整理が生まれます。

1-1平等観念について 

年齢や性別、職業や国籍等によって差別を設ける発想はなく根源的な論理の形成による基準と適用に見る平等という一次的な解釈が置かれる。基準の中身は欲望と充足の図式が尺度に成り誰にとっての欲望と充足かの精査から利害の程度が必然と現れこれが二次的な段階で在り、そして、それの賛否の機会を与え採決するという三次元の構造で区分される。

1)最も根源の層からみる平等観念

2)実際的な利害の序列の表出

3)意思表示の機会を公平に与える

2)で限定性を持ち、内容と権利義務が特定されそれへの賛否を示し、個別的価値観とその実現が描かれ意思表示の結果から欲望の充足が得られる。4)透明性ある過程の経過と運用における平等、この4つの観点を備えた平等観念に適正な内実の実感に及ぶ示し方が現れます。

1-2平等観念の完結性と根源性 主張内容で「何をやりたいか、どうやるか、それらはなぜか」について表明し、権利義務関係の適正を算定し、内容の採決から受益と負担の実施が取られ、執行と効果の検証で主張と行為の実態が計られ完結した創造活動と纏められる。このうちのどこに問題を感じ取るか、過程と内実という質の異なる焦点を持ち、問題の指摘と理由を示すのが主張という表現になる。1)における次元は特定の観点を設けず、発言の自由を平等に与える事に成り、内容の良否形成の流れに乗せ個別と共通の意見を集約する過程とで区分される。前者の部分に何がしかの介入や作為性を設ける事は平等思想の根源性に触れ、ここは限りなく制限を置かない事に適正感が生まれます。それをどうとるかの次元は区分される。

1-3表現の質的相違 この全体フレームの中で、権利と義務の実態が掴みだされ、権利ばかりに進み義務感が弱いと見られる事象が原論先行型の社会に見られやすくその精査には、原論自体に付加価値が備わるか、欲望の表明という利己的産物か、動機や性格、程度の違いから質の相違が把握される。前者はそれ自体が創造事物という付加価値に成り後者は付加価値を作る序盤の表現と配され、実感の取り方に個人差が生まれる。無形財の真価を計る視点になり表現の質の相違が生まれる。

1-4問題事象と文化水準強化の視点

他者の表現を用いる事は、そこに価値や効用を感じて二次利用する事であり、付加価値を持つ創造事物の活用であり、それには相応しい対価の支払い義務が生まれる。無形財を盗むという感覚が弱いのは、自己生産過程の不健全な型式から意識が作られ歪んだ人間が作られる。ここに今日的な病理現象が生まれ、平等観念を尺度にした客観的な自己を含んだ認識が取られない私的欲望過多で責任感覚の弱い歪な精神をもつ人間が生まれる。この面のクローズアップと改善への施策を取るのが、文化水準の向上やインフラの強化に成り、根源の自律心の上昇した制約と自由の緊張を持つ世界が意図されます。歪んだ生産体質から物理性に振り回された利己的欲望過多で義務感の弱さという過不足が生まれ、頭脳と感覚のバランスを崩した感受性の衰退した性質が作られ、それに失望感が現れる。

平等観念と自己評価を取る重層認識による客観評価と制御が出来ずに、過剰な要望を外界へと求められる事や、盗んでまで生き残ろうとされるようでは良質な社会が生まれず、人間の下限的なインフラ面が壊れここを直す事が重要に思います。ゴミをごみとして処分する事が遅れると被害が拡大しその判断の質に人間と動物を切り分ける境が置かれる。

 

自然律の継承

三流の営業マンは、質問ばかり浴びせ人からの情報を得ようとされる。そこから、人が求める論理を組もうとする事には正しい筋道が浮かぶものの、予めの提案能力の弱さを示し、潜在的な要望を喚起するような力が見られない。質問に対して答えるのは、相手に信頼感が在る程度備わり、あちこちでその情報を漏らして、他の目的に用いるような常識感覚と外れた性格にない事が、初期的な人間形成の素養であり、これを見極めるには一定の時をかけ人となりを掴む必要がある。
ここを疎かにされ、いきなりああだこうだと質問を繰り広げる感性に、遮断機が下させる。
人格上の未熟さは、いくら良い機能を取りそろえても、良質な対人関係に及ばず、自己の側を冷静に捉えられる重層認識の感性が体質化されて相応しい振る舞いが現れる。
これに留まらず勝手に盗むという行為に及ぶのは、精神的な異常者という特定に及び、行儀作法を超えた人格上の欠陥と映し出され、ここに至っては、病院よりも警察への通報が必然に置かれる。まともな対話が叶う相手ではなく物理力による縛りを与え、根っこの再生を取られて、おひさまの当たる世界にカンバックさせる道筋を与える必要が生まれる。
表の姿と内心の過度な崩れを持つ異質性は、一種の病気を超えた人間の枠外の生物と扱う事が適正な対処に及び、負の関わりを断ち切る判断が必然に執り行われ、良質な主体性との交わりを増進させ健康な心身を壊さない道と現れる。今日、これに当たる事象が急増するかの事態には深い憂慮の念が高まり、その根本原因をミクロマクロの観点から適正に捉え予防の施策を講じる事が求められる。異常者の感性とは、初歩的な法を超えた振る舞いに異質性の認識がなく精神面の病理という症状で捉えられる。よほど特殊な成長過程を取られたか、現在ある環境の特殊性か、いずれにしても、限度を超えた悪影響の存在であってその被害が拡大しないように、事実を広く伝える社会的な義務を少なからず感じます。
外見から解りづらい内面の悪性が個々の事象の規則性と及んでは一過的な誤りというよりも体質という変化しづらい固定性と認識される。そこから生じる歪みの影響は想像以上に感じられます。このような性質を含んだ現代社会の正常感覚とかけ離れた感性には、一定の更生を課して隔離する手法が適正なのでしょう。自己の申告が出来なければ周りからの事実上の制裁を取り、強制する事が社会の健全な維持発展に不可欠に思います。
見ていないようで、しっかりと事柄の本質は捉えているのが、健康な人々の嗅覚で在り、
自然な浄化作用で小手先の世渡り上手のような人間には真っ当な感性を備えさせる事が長期的な普遍性として作用する。それらの姿は後々の代の人々がしっかり見ており遺伝子として引き継がれ単純法等に寄らない自然感性として良質な遺産と生き続ける事でしょう。座学の道徳等とは異なる活きた反応が実態を表し光と影を創り上げる。

文化論からの問題焦点の抽出

前向きの創造活動とは、技術と市場を描き、そこに全力で応えようとされる人々の活動であり、この気流を基調として正々堂々と対峙する事であり、この焦点に意識の大半が注がれる。後ろ向きの創造とは、この基調とは若干外れ、市場や技術の追求よりも、そこへの間接的な関わりから、興味本位な第三者として冷やかし的な姿勢を持ち、勝手気ままな健康な動機の弱い非生産的な振る舞いを取り、或いは技術力を提供して正当な対価を得るよりも、技術を歪んだよこしまな発想で用い、言わば盗みのような正々堂々とした振る舞いと外れた行為を取られる。これらの差は歴然と現れ行為の性格の質が規定される。
後者の納得性に及ばない姑息な態度が進行すると、その歪んだ感性が前進性の阻害を生み、
歪みの連鎖による悪性の秩序を深めさせ、健康な好循環を著しく劣らせる。この性質を特定し取り除くというマイナス性の除去という活動も、少なからず視野に含めてプラス性の軌道を強める相互関係で捉え、適正な対処を実施する事が、現実的な姿と現れる。
マイナスの行為を働いた場合は、それについての理由を明らかにして、被害への損失を払い、更生の時期を課して健康な心身へと再生されて社会復帰が許される。この過程を形式上のプロセスに乗って執り行うか、非公式の自身なりに考えた更生への道を執り行うかで行為への整理が果たされる。これがマイナス性の対処と再生の軌道となる。
予防の過程とは、予めの健康像が形成され、それを標にした行為を取る事であり、前進性の未来創造の発想を強めた好循環として描き出される。そこには、対象から抱く理念とビジョンが形成され、それに向けた堂々としたエネルギーを生みだし、需給構造の中で失敗や成功の体験を執り行い、得てして気持ちの良い活動が備えられる。問題の解決や、好感の増進を意図して、人々に喜ばれる創造活動であり、投じたエネルギーに対する確かな感謝を貰い、持続的な向上心が備えられる。
この予防の図式を基本に取り、マイナス的発想に及ばない強い前進が生まれて、技術と社会の良質性を創り上げられる。歪みを常態とする人々も少なからず見受けられ、これへの対処に警察・司法の役割と、教育が直接的な関与を持ち、生産活動における歪みの是正に作用する。そして、間接的な制度の構築という面で政治行政の適正な作用が求められ、更に、これらの集体に、各人のもつ思想体系が備わって、経済産業、政治行政、教育司法という3要素の全体観が形成される。この図式に寄り、短期性の利益から中長期の利益が想定され、各領域の主眼となる目的が備わり、領域間の適正な連携によって全体が回り、持続的な成長軌道の循環システムと浮かびます。

領域の独自性と他領域との衝突や対話を持ち、工程間のインプットとアウトプットが規定され、変換過程の向上へとエネルギーが投じられ、各種領域の互恵性が生み出される。
この構造を基礎づける原理が、感情と感覚と頭脳の作用による人間像とされ、この良質な関係を拡大的システムに当て嵌め、マクロの最良性を創り上げる共通観念が取られ、その下の認識から、全体としての働きが掴みだされる。こうした何がしかの共通ビジョンが生まれて、対立と緩和の前進的な指針と作用し、後ろ向きな手法を取らないエネルギーの向上へと連なると描かれます。
間接的な第三者という立場への精緻な事象の認識と、その効用や意義という面の認識を適正に形成し、マイナス性とプラス性の主体を見極める事も少なからず視野に入り、直接生産への有効な第三者として活用や利用の指針が健康な人間像という面から作られる。
この規定と運用の適正なシステムの強化という面が、今日多くの人々からの関心に在り、市場という作用とは異なるフォーマルな規定と運用の高度化を遂げて構造上の性格から生まれる悪性の予防策を講じる事が必要に思われます。
適正な第三者として、健康な心身を備える各種制約やプロセス、要件を大きな議論として詰められてプラス性の増進が叶う事に思います。その際の標準像がマクロ人間像という観念図で表され、大きな仕組みの把握に活用されるべきという起案が本書の創造と意図に備わります。万人的に関わる社会システム上の要を良質に作るのには、個々人に対する問題提起として特定対象者を絞らずに、出版流通という形での訴求に純粋な活動が創り上げられる事と思います。今日的なテーマとしては、野次や人権問題、憲法という根源的事柄とも密接に関わる事に成り、人間像という括り方での更新時期を迎えているかに思えます。

持続的改善の筋道

犯罪集団という特定の仕方も実感に及ぶ表現に成り得る事でしょう。集団のトップの感性から、組織員の思考や行為に及ぶか、その伝達の上下感には多彩性が生まれるものの、その組織の生産事物と市場というビジョンが健康な理念の下に示しきれない事には曖昧な組織の性格が現れ、社会性の欠いた行為が生まれる。その実態は個々の不快事象の出現で、特異な個人による犯行か、組織の体質という所までの実感に及ぶか事象内容と頻度で集団の性格が解される。
この性格を有する集団に誤って加わり、性格が捉えられた際に、改善へのエネルギーを投じるか、同質の性格に染まるかを決めるターニングポイントが現れ、その起点から同化か、改善や離脱かの決断に狭まれる。一度踏み込むと、なかなかその感性から離れられずに、どっぷりと悪性に浸かった人格が創り上げられもはや手のうちのない人間が生まれる。早期に改善の道へと軌道変更する良心と決断の弱さが、そのままずるずるとメリハリなく進行し緊張と緩和のバランスを崩される。
個々人の自律の尺度が形成される以前にこの世界に入り込み峻別の取れないまま同質化して、それが尺度に成り常識感覚に備わる。両親の躾や学校の教育、職場の秩序に恵まれなかった事から異質性の高い偏狭な感覚に深まる事への不幸な事象と悪性の広がりという面に対して大きな社会問題と特定して改善案を設ける施策も少なからず必要に思われます。こうした課題解決型の組織編成をとり集中的に膿を出し切り、健康な秩序形成へのプログラムを創り上げ、幼少期から青年壮年成熟というライフスステージの青写真を描く試みも人格形成上の強制的要素として加える事が賢明で豊かな性格や活動を形成する上で有効になり、人格面が固まる前の良質な道筋を表し特異な感性からの弊害を予防する事が求められる。
本書の文化論の総合体系に長期的な人間の普遍性を創り上げる枠組みが提起されこの観念と感覚化を促進する事への有意義性を抱きます。観念詰め込み型からの弊害という面を強調し質実の伴う健康な心身へと人格形成への基盤的習慣づくりへと及んで、意思の備わる主体性の形成を目的にした内容へと高め、実態的、根源的な背骨を備えた人間作りという観点で纏めるプログラムの強化策と描かれます。青少年の育成に関わらず、健康像からの社会変革という総合体系として包括的に進行する事で全体としての上昇が叶うものと思います。子供にとっては大人の姿が最も教育の鏡に成り、そこが歪んではこれから伸びる人々にとって負の影響が強く、寧ろ社会人の質を上昇されて学生への手本を示し良質なマクロとしての人間像が実現される。本書は、この大枠観を領域にした健康化策として編成されております。

持続力と人間像

持続力と人間像
力を与えられて適切に行使する事が求められる。何のための力で在るのかは、公平公正に物事を創り上げる事を望んで託され、下限の制約を超えたものには例外なく制裁処分を粛々と下すのが重要な責務であり、これを放棄しては多くの健全なエネルギーが適正に回らず、役不足や力と責任の不均衡と判定するのが当たり前の感覚に在り、行為に及ばない感覚は理解に到達しない。
組織や集団の士気が下がるのはトップの公正公平なジャッチを欠いた振る舞いから生まれ明快な尺度とその適用を公明正大に行えて信頼が備わりここに不信感が生まれると、エネルギーの強さに陰りを落としその力が恣意的な私有物と及んで一貫した統制が果たされず、もっと進むと乱用に至り暴走という事象で知覚される。
影響力と責任感覚に不均衡感が生まれインフラの低水準化した集団は求心性を失い、各人の利己性が高まり協調的な関係が崩れ表面だけの振る舞いに陥り、下降感が高まると一気に瓦解して新たな勢力にとって代わる。
犯罪者を野放しにされる空間には協調や自制が働かず、判定や対処が遅れるとその感性が慢性化しあちこちで犯罪が進行する。一つのゴミをそのままにする事が如何に悪影響を及ばせるかの認識の弱さが致命的な結末を齎せる。その感度がビニールハウスでの育成の甘さと現れ淡々と責任を執行する事が蔑になる。インフラの崩れは看過せずに処分する事が責任者に課せられた仕事であって、それを出来ない覚悟のないものを担ぎ出すと緊張が持続せずに弛んだ体質が創られる。緊張と緩和の感覚に大きな差が生まれる個々人による協働は長続きせず、この面の感覚の異同が体質や感受性の相違に成り成長過程から長きに及んで生まれる皮膚感と内蔵され一日二日で変えられない体質と備わる。
集団のトップという立場の感性が標準と用いられ、ここが変わると感度も変わり集団が見違え様変わりする。犯罪に加担した者は、その犯罪を公開してまともな人々との同一的なスタートラインに戻る事が出来、それを曖昧にして通常の付き合いに修復される事はなく、その時点から一歩も進む事はない。形式上の犯罪認定に関わらず自然律が作用して実態としての犯罪感覚が体質に備わり表層上の経歴とは異なる実質上の感性として証明される。健康な道筋を歩まれてこられた人々からの嗅覚として敏感に察知されるのが事実上の犯罪認定と言えるのかもしれません。
文化という長期の規則性という焦点でみる実態は隠しようのない証拠と及び、形式上の観念で付くレッテルとは異なり真実に近い認識が生まれる。これが自然作用での判定であり倫理道徳の内実を表し、言論で説くような道徳とは異なった真実の解釈が取られる。ここを質実として原論の信頼性が付加され永年の体質と原論の整合から力の備わった表現に及び物事を動かす質へと反映される。このような文化秩序を確たる基盤に備える教育や秩序が促進され、自主内発的な自律や意思による筋肉質な個々人の感度が備わり、過度な強権的リーダーを必要としない下限の制約が守られた自由の増進になり、緊張と緩和の優れた動態が出現する。
机上の学問からはこの実際感覚は備わらず、生産体験の積み重ねから次第に浸透して自然反応が生まれる。異質性の高い需給構造はこの感覚の異質性となりその違いが明瞭に浮かぶ。そこからの発想として生産や制度づくりの性格が生まれ情緒と理性の割合感覚となって人や自然への感性に及び社会の性格が作られる。単純な盗みという事から、物づくりや制度作りの発想という範疇の事まで根源的な発想の質の傾向が連なり生み出される。この一連性で本質的な性格を掴み文化や人間の質が現れこれらを制御する基盤が健康な人間像となり、各種の発想や創造が生み出される。
持続した領域の質の向上という積み重ねから健康なエネルギーの継続的な積み重ねによる人格が固まり、他者の生産を尊重できる感性が築き上げられる。虫食いや盗みの生産を予防するには、自己生産への集中した活動から骨の備わる人格が作られる。持続しない耐久力の弱さは基軸の薄い人間を作りだし人の生産や人格への尊重が取られず悪性を拡大させる。この性格の生産構造が進む事には負の事象が多発する予測が生まれこの面を考慮した生産やライフスタイルを描き出し健康な心身を叶える秩序が備わる。以上のようにあらゆる物事は密接な因果で繋がりこの認識が得られて良質な創造に及び、健康な基軸の太い原理を中心に物事を多面に想像される感性の有無が人間の質実を作る。物的依存が進んで実感の単純化への傾向には、基軸の弱まりと感性の委縮から多くの危機的な想定が浮かび普遍的な健康像を強調する意義が訴求されます。