社会ビジョンと実践的創造

1)社会ビジョンと実践的創造

町内会の集いでは、様々な身近な生活から不満や満足の意見を聞く事になり生きた勉強の機会になる。ある年配のおばさんは、「同時に同じ場所に暮らす事になると、近所の付き合いもうまくいくのよ」等と述べられた。10棟程度の建売住宅の一つを求め居住されたようです。これが、古くから住んでいる人と新しく入ってきた人との間で、先人は古いしきたりを求め、後発は妙な慣習に従いたくないという意見のずれを生む。又は、集団で団結して同じような仕組みを協調したいという感性と、個々人が好きにできる範囲を広げ、共通性はごく限定でありたいという個と集団の志向性の相違が生まれる。つまり、時間軸による相違と、個と集団という空間的組織的な軸による相違という二つの大きな基軸による志向性が現れ、二極的な大別の感性やグループが生まれる。このような身近に見る社会関係の形成が皮膚感覚に実感される思想形成の根元に相当しある学者が謳われる自由主義や社会主義という抽象概念の根本的な観点として浮かび上がる。肌身を通して社会関係の実感を浮かべながら、読み物などで示される概念の中身を吟味する尺度が起こり、同じ抽象概念であっても人によって吸収の深みが異なり、頭だけの理解と体を通した理解には差が生まれる。「ゼロベースから物事を組み立てる」等としばしば言われる。まさしく体と頭の検証や実感に到達して無から有を形成する事を指し、根本原理を抑えて言葉を丁寧に作り上げる事において、地に着く質感が生まれる。妙に空っぽの権威的なものに振り回される体質に及ぶと概念ばかりが先走り根本性を紐解かずに、言葉が躍り妙な知ったかぶりの態度に醜さが映し出される。欲望過多で人を支配したいという欲求があからさまに伝わり人間性への不信が高められる。これらは頭と体という面に対して、感受性や心や欲求の抱き方を実感する焦点を指し、空回り的な概念を羅列的に並べる論理表現には妙な欲望過多で過剰な力を抱え、責任が満たされないという風に映し出される。縦割りの概念で区切られ、要素と要素が分断し繋がりがよく掴み出されず、並列と重層の構成がしっくりこない体系で全体が構成され違和感が所々に強く起こりよく整理されていない表現が示される。人との生身の交流により感受性を肌身に通して快不快感を抱きより深く対象を考察し体で実感を高めるほどに対象の有機的な相関へと到達して飛躍的な序列感覚に及ばない全体構成が現れ然るべき過程を通って作られた表現である事が伝わる。多くの人が通る工程を普通に通り多くの人が感じる不快や快適感覚を経ながら、良く相互的な理解へも及んで抽象性の概念から浮かぶイメージも揃い高度な対話へ発展する。変に空回り的なプライドが強くて頭でっかちであると分断性の強い構図を多発する。昨日今日で急激に成長するようなことはなく、真摯に対象と対峙して心を感じながら頭と体を動かす日々の積み重ねによって等身大の姿が現れ隠しようのない人間性が表される。妙に背伸びをすることもなく未熟な部分を誤魔化す姿にもかえって不信感を強め、ありのままの態度で感性を表し人々との真摯な交流によって学びや反省を繰り返す成長の軌道に健全性が伝わる。「なりすましや、水増し」などの手法によって人々を欺く行為は根本的な性格への疑念が深められ妙な欲求過多の性格が明瞭に察知される。ちょろまかし癖による糧の入手を習慣とする性質は鮮明に伝わり信頼を得る事には及ばない。対象との敵対的な感性が自然に表れ意図的に距離をもって支配をしたいという志向性が見え隠れする。頭に偏って性格を作り上げるほどにこの手の人間が生まれ怠け者や感受性の痩せ細りや貧祖さと認識される。盗みや詐欺を常態して物理性を適正に制御できない心理的な破綻に及ぶ事のない健全な人間形成ビジョンが示されて不健康な精神や肉体を矯正する尺度と作用する。そして、大きな利益を追求して行われる大義を持つ挑戦や変化の軌道をもって、個々の動物的な衝突を乗り越える健全な力の投入という発想が強められ、小さなエゴへの拘りを超える根源性を携えた外向きの力が働いて良好な動態が生み出される。小粒な性質が、要路に居座るほどに自己の面子へばかり執着して内向きの性格に留まり、持続的安定と成長の活力ある世界を妨げられる。集団の主導者の感性が広く常識感覚へ反映され、物事の善し悪しや判断へ及んでインフラ的に配され二次三次の事物に影響する。根元の健全性に価値の土台が生まれ、それを起点に大きく利益を追求する創造的破壊において、有機体のダイナミックな躍動の図式が起こされる。これらの事を勘案しながら社会システムという大きな影響力を主導する立場を選定する事に万人的な意識が強められて良質な土台をみんなで作り、大きなビジョンへ向けた挑戦において緊張と緩和の適正へ連なる。社会ビジョンと実践的な工程が以上のように浮かびます。正々堂々と内股に寄らない健全な気質に持続的再生産を叶える文化の源泉が映し出される。「未来志向や挑戦」等という言葉をお飾り的に用いて、中身への吟味や思慮が弱いと、ちぐはぐした矛盾や醜態を見せられる。一過的自己宣伝のキャッチコピーはすぐにメッキが剥がれる。

持続的安定と繁栄の軌道

外界へばかり要望を追求せず、自己の側を鑑みて適当な内外関係を作りあげる事が健全な人間性の根に配される。この前提のもとに、多様な人間がいるのも事実であり、正当に被害への責めを求める態度はごく自然な調和形成策となる。

馬鹿な政治家や大手マスコミという所から、サイバー犯罪らしき事象が相次ぎ、多大な迷惑を被っている。これへの損害賠償は、ごく当たり前のクズを適正化する作為を指し、これを求め続ける事になる。当方のみならず、社会的影響力の大きな配置における肥満化の状態は、広く空間の秩序形成においてもマイナスを与えるものと推察され、何ら戸惑う余地のない下限的制約を超えた損害事象には、粛々と責めを課す態度に適正が映る。このようなメリハリをもって、内外の適当な調和が作られる。虫けらを虫けらと扱う態度に健全性が起こり、自然な社会律は、何ら躊躇することなく循環させる事に持続的生存と繁栄の肝が備わる。こうしたいつまでも頓珍漢な勘違いの激しい肥満症に対して、司法や警察という取り締まり機関への期待が強く表れる。こうした基盤面の盤石性が、何よりも重要なインフラを指し社会的な関心の最も注がれる側面と現れる。

妙な政治家等が恣意的に行政を扱い、操作するような事にはあってはならず、どんな利益を意図して行政への指示命令を下すかを明瞭に示し記録に残す作法が欠かせない。広く大きな社会的利益と、私的な保身という志向を求める態度であるかを、後に広く検証できるように、適正な手続きを設けて、政治と行政の関係や手順の透明性を確保する事が、権力という力を適正に制御する上での下限的な規定と謳われる。準公共的な機関や財力を持つ大手企業と行政との相関も、こうした観点をクローズアップして、公の利益と私的性格の強い利益の追求とを適正に峻別する事において、力の適正な行使という責任が生まれる。

物理的な性格で利権を求める態度にあっては、まさしく人間性の破綻と見做して、適格性の欠如と判定して、個々人の資質へ適した配置へ滞りなく転換させる作用が欠かせず、このような局所的癒着に現れる歪性を作る事への予防的な制度が強化されて、社会システムの健全な稼働が推進される。

広く公の利益への志向性が弱まって、私的な欲求へ偏り、力の保有や利用への適正を欠く事によって、健全なエネルギーを阻害する事へ対する適当な対処の力が、インフラの下落を留める重要な焦点と起こされる。力や影響が増進する程に、広く堂々と外界へ対して自己生産者としての基準を確立し公平に適用する態度が求められる。この程度を常時、問い、基準への吟味や公平な適用にあるか、個々の裁量の幅の適正を検証できるように、記録に留めるなどの責務が課せられる。

クズな肥満に陥るほどに、自己生産者の確たる基準と外れた私的運用へ流れ、大きな力の適正な行使から外れる事へ対する予防策の強化が、社会システム上の健全化策の柱になり、ここが弱まるほどに、悪性の精神性が蔓延って暴走へ及ぶ。明確な基準を立てる事の出来ないものに、分不当な権限などを与える事なく、適時検証をもって適格性を監視する事が要るのでしょう。近親者の関係による私的流用や緩みなどへ及ぶ事のないような厳格な資格要件の確立が進んで正常性の維持と向上へ連なる。広く大きな利益を求めるビジョンの形成力の乏しさは、私的欲求過多の態度そのものを指し、適格性に満たない事象を明瞭に表される。配置の不適格を看過せずに、エネルギー循環の停滞を解消する観点が重要に思います。

昨今の報道機関に見られる自己保身性を求める醜態的な振る舞いは、こうした動態に配される。力の影響に相応する能力や感性への不満が顕在化し、社会の欲求が示される。この問題事象への良好な改善の力を留める事無く、大きな力には、大きな期待が寄せられる事が、いわばシステム上の良質性を遂げる自然反応を指し、歪な性質を温存させる事のない堂々とした秩序の形成において、健全・健康な主体性が作り上げられる。

「盗み症」は肥満を表す明瞭性の高い事象を表し言い訳のしようがなく、正当化される余地のない一線を越えた部類に入り、何の情状酌量の余地なく、膿を出す事が必須とされる。積極的創造策へばかりエネルギーを割り振ることなく、嫌な面へも真摯に対峙して軋轢を避けずに適正化を執り行うバランスの良い感性に力が集まる。自身がこの性格にあると、責めを強められる根拠を失い、下限のインフラの下落が留まることなく進行する。この自然な正当化を強められない性格は、システムの要路に入る要件を欠く。根源性の躾の悪さは致命的な部分になり、小手先の技術に偏らず根本的な性質面へ重心が備えられて、適切なエネルギー循環の仕組みが作られる。

精緻な細分化したスキルを求める専門職と、総合的な観点による創造性を持つ配置への必要な要件は異なり、後者になるほど、根本性の性質へ視線が及んで、基礎的な躾や自律的な基準と適用の程度が問われる。専門職が総合職の配置に就いて、妙に細かなスキルを求めるようでは、頓珍漢な基準や感性を表す態度を指し、アンバランスなシステム上の瑕疵と映し出される。機能面へ偏し感性の適正へ視線が弱まる事へは、根の痩せ細った偏狭性の高い持続的な成長軌道と外れた有機体が生まれる。

根本概念と具体性

いろいろな言葉で志向性を表されるものの、根本的な概念から正さないと何を言ってるのか強い実感に及ばない。例えば「民権主義」なる言葉が掲げられ、個人と社会の力の差を埋めるべき立場をとるべきだ。という政治思想が謳われる。

これは物理性の力による支配を適正化するという事を指し、物理と心理という観点から人間や社会のあるべき姿を現す事へ及ぶ。財力や権力に対して創造力が先んじ、人々を幸福へ及ばせる方法に根源の価値をもって、それを遂げる力が二次的に注入されるという、万人的な感受性を根にして起こされる公平公正な秩序を向上させる事を大きなビジョンと訴求する事になる。

物理力が先んじると、目先の利益を得るために有用な財力や権力が先走り、真に利益となる欲求への深い考察を欠いて、直観性の物理反応へと走られる。力がある所へ創造が寄せられ、力を保有する者が優位に立ち固定化する。人々への幸福な世界を作り上げる創造のエネルギーを投じる事によって財が得られるというフローの良質性に重心をもって、力の固定化を回避する事に健全な活動や体質が作られる。ストックが溜まり、自己への消費的なエネルギーへ向かい他者の利益への関心が弱まり、良好な創造力が湧かないとなれば、そこに財が行く理屈はなく、過剰なストックを排出する自然律が循環して、エネルギーの良好な回り方が持続する。

このようなエネルギー循環の原理が持続的生存と繁栄へ及ぶ有力な方法を指し、有機体の健全な発育を阻害しない軌道と現れる。過剰ストックの肥満な体質から、堂々とした創造エネルギーに及ばず、物理性に依存した安易な財の獲得策へ流れ、盗みや詐欺紛いの手法に逸れる事へ対して、下限的な制約を粛々と適用する事において、人間性の下落が留められる。プラス型のエネルギーの阻害が削減されて、自然なエネルギー循環の流れを停滞させない軌道が守られる。物理依存の激しい性格に陥るほどに、結果として二極的な格差構造が作られ、肥満な性質が肥満なまま、居残る事への問題をもって、適正化の原理を強化する事に適正が生まれる。

このような思索の末に、「民権主義」なる理想が示されると、納得感の高い根源性の原理を基盤にした二次三次の概念との相関が強まり、人々の実感に届く創造性が現れる。誰もに通じるような根源的な概念と論理を示して、応用的な概念で絞り込むという動的過程と静的限定の構造が起こって、強い意図が伝わる。更に、信憑性の程度という面から表現者の生い立ちや沿革が裏付けになり、例えば世襲による財産の継承やNHK出身の政治家などが、いくらこうした志向性を見せられても、説得力に欠け真面に相手にされない。本気でやる意思があるのならば、上述のような自然律から浮かぶ問題の対象を鮮明に特定し、悪性の対象の解体などを具体的な施策と示す事が最低限必要になる。抽象概念を言うだけで、個別的な対象の限定に及ばないと絵空事の範疇を脱しない。お遊びでは人は真面に耳を向けずバカを晒すだけだ。

 

普遍性への問いと個別性

「時と場所と感覚と感受性と観点」という観点が、対象を「感じ、知り、作る」という動作を表し人間が生きているという実感へ及ぶ。観点とは、感覚と感受性から言葉や概念、理論、ビジョン等として作られる対象の表現を指し、個々の感覚と感受性の体験から人間の創造性となり産出される。この観点の共通的な理解を図り言葉という道具が形成されて、人と人との言葉を解して感覚や感受性を伝え交換する対話が生まれる。対話は、言葉の交換のみならず、直接の感覚や感受性を表情や手ぶり身振りから察知し感じる事が根本に置かれその中で言葉という道具が入る。時間と空間といった所与的感覚の上に、人と人や人と自然、人と道具という対象が生まれ、相互の刺激と反応などの関係を抱きながら、要素と要素関係についての現象を感じ、知り、作るという事へ及ぶ。人の根本的な仕組みから生理的欲求や物理的欲求、心理的欲求が起こり、これを充足する手段として、観点という言葉などが形成されて、協働や共存、共栄という再生産の生態系が生み出される。「欲求、感覚と感受性、観点や観念」という基本動作を持ち、持続的生存と繁栄を意図した活動が生まれる。

このような活動の中で、規範や法規、制度、組織化、体制という関係の形成における秩序が作られ、実質的な直接の欲求と充足手段に対して、協働性の円滑性に及ぶ相互的な基準が生まれる。固有の技術と管理的な技術という側面で区分される。管理技術ばかりが先行して、直接的に作り上げる技術の進歩がないと成長へ及ばず、或いは人間側の欲求が画一的になり多様な欲求が萎むと供給も減少し成長が停滞する。欲求の種類という質の面と量の面が起こる。そして、マイナス的質感とプラス的質感との相互連関性で、満足や不満という感覚が生まれる。人によってこの差は異なり、少量でも大きな満足を抱く事と、大量でも満足へ及ばないといった個別的な性格を持つ。

日頃の規則性が常態温度を作りエネルギーの産出と吸収の構造に標準感覚が現れ、習慣や生産性と備えられる。これの大きな違いが生まれるほどに調和感覚の差となって、不快感の生じる原因が生まれる。省エネルギーで大きなリターンや大量のエネルギーで小さなリターンというエネルギー循環の極端な因果を生むと、欲求と充足の質的な違いが激しく起こり不安定な社会秩序へ至る。前進的な創造性の活力という作用を持つ場合と、基礎的な常識感覚を超えた不快を生じさせる作用に及ぶ場合とが想定される。この両極に対して基盤的な不動性が、ある程度確立されていて変化と維持の適正へ連なる。

こうした中で、共通性の人間像が描き出され、特定的な立場による個別性に対して、万人的な立場による共通性の概念を作り、自己の特性や他者の性格を知り、自立と共に相互尊重と協働や共生の関係へ連なる。共通的、根本性の概念が、基盤的な不動性になって、個別性と共通性の適正へ作用する。個々の個別的局所性の人間性と共に、完結的な生産性や完璧性の高い人間像という概念への探求を合わせって、人々の良好な関係が生み出される。個別的利害へばかり偏する事無く、普遍的な概念の形成や個別との相関感覚を抱ける所に、単純な一方向的な物性的争いを回避する為の理想像が起こされる。真理の探究軌道が少なからず備わり、自己の特性を掴むと共に、成長への適当な方途が現れ、安定と成長の同一的な感性が共有される。人間の根本性を問うといった哲学の領域を備えながら個別の活動をもって人間が作られる。これが、いわば根本の観点になり、長く不動的な意識へと入り込んで基盤的な共通概念へ及ぶほどに適当な行為が産出され良好な安定と躍動のエネルギーと作用する。観点は観念になり、思う事と体が連動し健康な有機体の姿へ及ぶ。

「日本文化原論」の生産性

様々な理論が、描き出される。例えば「マズローの欲求五段階説」では、生理的欲求、安心・安全欲求、社会的欲求、自我の欲求、自己実現欲求、等という言葉で、欲求の高次化する過程が示される。こうした理論を頭から入力して、自己の欲求をこれに倣い理論と自己化の過程を強めるか、自己のある状態への実際的な認識を深めて理論と自己との対比をもって異同を確認される事へ及ぶ。

頭だけで入力し、体の工程へ視線が及ばないと、理論をそのまま受け入れる体質が強まる。体の工程を軸に持つと、人が謳われる理論について検証する尺度が備わり、観念図面を体側の質感で感じ取り、受動的に吸収するばかりではなく、自己の尺度に重心をもって違いを掴み、良い面は受け入れ、悪い面は捨てるという自己主体的な性格が作られる。むやみやたらに洗脳されやすい体質は、完結的な自己生産性を有さず、体からの質感を常にして確かな実感を形成されない所から、頭による操作性へ流れ、他律的な尺度を無批判的に受け入れられる。自己の生産性に対して、根本的な原理への問いと答えを、定期的に深める作業において、確かな尺度が強められ、体と頭と心の有機的な連なりを持つ主体性が作られる。

頭ばかりで吸収し体の工程を経ない消化不良によると、確かな確信や自信を形成する事無く、外界からの受動的な反応に流れる感性が進行する。そして、物理依存の激しい感覚が強まり、詐欺や盗みに安易に走る犯罪体質が作られる。頭へ偏した体質や物理性への過度な依存体質という面から、人間の歪んだ受動性が強まり、性質の劣化が進行する。人の作った理論へ自己の理論から適当な距離をもって、関わるというスタンスがないと、こうした性格が強まって、自己発信力の強まりよりも、外界の発信を受け入れる側に回る。本に書かれた二次情報を吸収する行為と、実際に体の工程を経て頭へ描きだす一次的な吸収との違いが明瞭に表れ人間の性格へ反映される。

頭だけの知識は強い確信が生まれず、体で実際に検証する事や、体から体験を進めて皮膚感覚的に理論が備わる確信性を持つ主体性との違いが顕著に表れる。こうした法則性を抑えたうえで、人間を作り込む方法やビジョンが起こされて、健全な主体性を作る道筋が生まれる。地に着く人間を志向するならば、頭ばかりではおられず、体に重心をもって、強い確信性を体験しながら理論を表す事へ及び、外界へ強い発信性が起こる創造者が生まれる。物理的な質感を抱く事と心理的な感受性を抱く事と、これらを勘案して生まれる理論と及んで、妙に偏った性格へ寄らない根の健全な創造性を表される。

時短的な情報の吸収という面に対して、体の工程を省略する面へ視線が及ばないと、ロボットのような感性が進み、適正な尺度から取捨選択する作用が弱まり、受動的な体質が深まる。頭でばかり知ったようになり、底の浅い根の痩せ細ったマスコミ体質へ陥り、自己完結的な生産性の弱さへ及んで、自己の尺度やビジョンの弱い即効的な右往左往が進み、外界へ良くない影響を作られる。これに大きな力を与えると真面な社会秩序から乖離する。

管理手法や管理欲求ばかりを高めて、実際的な物事の作り方や感じ方が弱まり、無色透明の物理性への過敏な反応を作り、短変数の欲求を持つ主体性へと進行する。感性の貧困化という潮流に、適度な予防策の導入や適正な人間形成への思索が深められて、健全な人間や社会の形成へと力が投じられる。この転機に当たるのが、現代の時代状況にあり、哲学や文化を顧みて、適正な根源性を抑えた欲求を形成する事において歪な感性が制御される。

理想と現況と方法の枠組みをもって、価値や方法という区分を備えて力を投じて、自己の欲求ばかりを中心に取らず外界を見据えて、漸進的な変化を起こす心と体と頭の有機的な生産性が生み出される。文化論の性格は、ここでいう理想概念を強めに表す作為になり、確かな軌道やビジョンを起こす作用が生まれる。これが現況の掴み方へ反映されて感度を作り、喜怒哀楽や快不快へ及んで方法への熱が進行する。

理想と現況と方法という完結的な生産の周期が描かれて、頭ばかりで欲求を表す態度への適正が起こり、体を投じて実質を掴む生産性へと進められる。本書で描かれる文化論自体が方法の意味合いに及ぶようであれば効用や価値が認められる。実際に人々に用いられていることがこれを実感する場面と規定される。当方の感性では、少なからずこの部分の実感に及び、頭の表現という性格を超えた創造性であると考えます。潔くないみすぼらしい盗み症には、この事を認めることが出来ないようで残念です。変な奴が中心に居座ると真面なエネルギーの好循環が喪失する。

 

思想と行為

哲学や思想の未成熟な弁護士、会計士、財界人、政治家、教育者、科学者等々は既成の枠組みから発展的な改善のエネルギーが生まれない。この場合の哲学は、「畏敬の念」や「持続的安定と繁栄」という志向性にありこの動的態度に健康な心身が備えられ、人々の根本的な本能に近い自然律と説かれる。各種領域の基本的価値に対して自己反省と改善を内蔵する歩みに適当なエネルギーの循環が形成される。頑なに自己領域の意義に固執する事無く不動性の部分と自己否定性の要素を隣接領域や需給構造との対面によって発見する姿勢を持続させ、「これで本当に良いのか」問い続けながら時々の最良な判断を導く態度に真理を探究する人間性が映し出される。思考停止に陥らず真なる利益を追求する感性をもって長期的な利益を作り上げる意識を失うことなく、哲学に磨きをかける態度において、持続的安定と繁栄の軌道が生まれる。作った型枠を一神教のように絶対性の原理と受け入れ、それを支柱にした行為を見出す事に安寧を見る態度へ対して他者が否定する道理にはないものの、当該文化論の特色は、畏敬の念、持続的安定と繁栄に不動性を備えてこの枠組み内に生まれる多様な感性を作り尊重するスタンスによって共存共栄が果たされ、且つそこに持続的安定と繁栄への肝があるという根本理念が備えられる。絶対という言葉を安易に用いる事無く、無限という概念を少なからず備え人間に謙虚さが起こり、神のごとくに陥らない人間が保たれる。自己と異なる考えに排他的な構えを強め一方的な欲求を強める姿は人間概念を喪失させる事へ向かい人間平等の理念をもって違いへの寛容性を少なからず抱き共存させる発想において畏敬の念や持続的な安定と繁栄の軌道と共存共栄の道筋が形成される。生命への尊さを根に抱き、自己と同じように他者や外界の生命に尊さを感じる事の出来る性質に人間の根本性が見出される。こうした基本概念から主体の健全性を表す型式へ絞り込まれて感覚的質感に届くような実践上の概念へと展開して抽象性に制御を持たせた限定へと及ばせ、空想的な枠組みに留まらない実際性を作る工程が描き出される。万人的共通実感となる「生命への尊さ」という理念をもってこれを危ぶませる事柄が現実的な個別事象から浮かび上がり、「盗みや詐欺、暴力」等の直接性の行為や「衣食住の生産や分配」などの間接的な積極的創造性が配される。行為と出現する前段には思想があり、良好な思想を形成する事が根源的な配置にあり精神世界の適正なあり方へ思索が深められる。感覚的な質感へ及ぶ以前の思想は思想信条の自由への認識が図られる。行為という実感に及ぶ個別場面が特定されて思想の実態を伺う事になる。上述のような行為の類型が生命への危うさへ連なる代表的な事象の認識と起こり思想の実態を表す行為の実感へ及び人間の真相を掴む事に連なる。こうした物事への発想や過程を辿りながら個別限定的な事象が特定され限定性の強さへと起こし根本理念を反映する創造性が投じられる。無限という中での限定が進められ統一的な価値と具体化の側面が現れる。目に見えづらい思想や信条は個別的特定の行為で測定される。思想信条を作る事も行為の性格を含み人々との良好な世界を作り上げる上では欠かせない創造に配される。

 

行為

思想 無限性、謙虚、平等思想、真理の探究、
畏敬の念、持続的生存と繁栄、共存共栄
思想と

行為の整合

健全性、

(心と体と頭の有機的相関、欲望と力と責任の均衡)

行為 下限事象(暴力、盗み、詐欺など)
下限事象と積極的創造性と両面の相関

このような向きの型枠を、個別具体的な行為を展開しながら探求し続ける事において心と体と頭の有機的な相関が生まれ、健康な人間性が生き続ける。この思想自体も人々との対話からより良い価値の高まる表現へ磨きをかけ続ける行為に及び完全な不動にはなく生命が滅するまで終わらない。

科学技術力等へ依存した生活習慣から行為への重みが薄れて安直な手法に着手される傾向が映し出される。生命観の弱まりが原因と考えられます。このような向きの強まりが良いわけはなく哲学や思想への創造を起こして人間の適正を探す事に意義が生まれる。

 

1)学びや生産の構え

こんな点からも以下のような生産性の構えが示される。物事の規定方法には大別すると、「して良い事と悪い事」になり、前者に対して後者の認識は限定的な同一性が揃う。無限的な創造力をよしとする発想に寄れば、「して良い事」を揃えるよりも、「だめな事だけ」を明文化して、自由な創造力を妨げないスタンスが適正に映る。大きな時代のトレンドには、このような個々の自由を妨げない発想に適正があり、これは「あってはならない事」という観点から問題を抽出して強制権力で縛りをかけて、万人的な欲求の最良性へ及ぶ。政治行政の基本的な立場もこのような構えに適正があり、下限的な事象の列挙からそれが生まれる因果への分析をもって、してよい事との相関を掴んで急所となる部分への規定を設ける事に的確な生産性が現れる。

1.まずは、これはあってはならない不快事象を取り上げる。

2.それが生まれる要因は?因果の分析を起こす。

3.最も因果性の強い事柄から序列を整理する。

4.有効な制限を規定する。

5.広く一般認識と周知させる。

6.成果の検証をとり、改善点を考える。

政治行政という領域の特徴は何といっても強制力にあり、やらないと犯罪となり罰則を科せられる面にある。この性格から必然に描かれる生産性の特徴は上述のような点にあり、「万人的な共通実感」を探してあってはならない事の予防に意義が生まれる。これに対して産業経済は個々の自由に特徴があり自由を表現する場となる。こうした切り分け感覚が一つの目安に上がり、政治と経済の特徴が生まれる。下限事象と積極性創造性と両者の因果という創造の包括的な枠組みと纏められ、生存と共存や共栄を生み出す基本的な感性と組み込まれて健全な人間像が構成される。

より突っ込んだ既定の仕方に「欲望と力と責任の均衡」を目途にした健全性概念が絞り込まれる。下限と積極性を含んで内外関係を作り上げる事へ及び、適正な生産者としての適正が生まれる。このような性格の規定内容が変わりづらい「根本的な価値観」に配されて「してはならない事としてよい事」を含んだ思慮になり根本原則という変わりづらい規定と産出される。健全性概念、言行一致、内外の一致、頭と体と心の有機性、物理性と心理面の適正、等々の調和形成の肝が示される。これらの根源には、「生滅不可分の感性」等という面が置かれて、生命への尊さを抱ける重要性や外界と自己の相関は脅威と恵みが備わる二面性の認識が生まれて適正なエネルギー循環の在り方へと思索が進んで適当な生態系を作る発想へ及ぶ。こうして政治と経済と文化という領域の本質的な要素が表される。

創造力を高めて付加価値を作るには創造の基本的な経路を掴み、各種の実感や仮説を設けて未来像を表しながら良い事は伸ばし悪い事は予防する方法論を深めて有用な生産者が生まれる。良き精神性の上に立って学問や研究、開発や生産の基本となる枠組みが示される。今日的傾向には、してはいけない事をしながらしてよい事を行う制御能力を超えた過剰な欲望を抱く頭と体と心のアンバランな人間性が映し出される。筋道や構造を間違えない根の良質性をもって良き感受性の下の創造が生まれる。

物理欲過多を指し心理面が脆弱化し人間性の喪失と判定される。外界から修復の力が働き自然作用にあった速度感に矯正される。人間界の自然律は動物世界とは異質の原理が備わり長きに渡る持続的生存へ連なる優れた性質を不動にした制御を作る事に「正しい」という価値が生まれる。力むほどに人々は引き、滑稽で愚かな未成熟な欲求をあからさまにされる。これを空回りや逆回り、負のスパイラルという。人間と技術と自然の好循環をベース概念にして、健全な生態系が生まれる。精神面の成長と共に力の成長が果たされる。理念や目的に対して手法が暴走し主客転倒の事態を招かれ、理念や哲学が希薄化する。こうした論理を望まれる方が大勢に思われます。

4)適正構造と循環-肥満と改善の自浄や強制

強欲な肥満症はエネルギーを受けている実感が起こらないか、実感を持ちながらエネルギーを返さず更にエネルギーを投じるように要求される。これを盗みや詐欺や搾取や奴隷といい常人とは異なる異常者の範疇に映し出される。その恨み辛みが歴史の連鎖となり悪性の下を作る。物理依存の激しい資産家や使用者、権力者の歪んだ精神性が露になり平和を崩す問題の根が鮮明になる。ボンボンが要路に納まると、社会は暗いエネルギーで支配される。

外界へ何某かの呼びかけ行い、自己の欲求を遂げる上での適正な作法という事が設けられ、小さな事柄の協働性か次第に複雑で影響の大きな事柄を作る相互性に発展する。そして、理念やビジョンという確たる考えを形成し、生産者としての特性を表現して、大きな影響力に相応しい効用を示して、外界との調和を果たす事へ連なる。個別性から次第に汎用的な尺度へ至り、自己の制約を予めに提示して、基準と公平公正な運用において利害の適正に連ねる行為が生まれる。

社会システム上に占める大きな権限と責任に対してこれが不足すると力の暴走が進んで盗み型の精神性を進行させる。過剰な欲望と力と責任を欠いた不健全な主体性と見做され体質の抜本的な改善へと圧力が加わるか、他の適正な主体性を自由に選択する道が残されて歪な精神性の自浄に回る。犯罪には粛々と反応して罰則を適用し良質なエネルギーの循環を停滞させない事が持続的成長には必須とされる。能力の満たない者が適正な作法をとられずに物性への依存による制御性へ流れると健全な創造性は萎み単細胞の物理性が加速する。何をやるにも堂々と身の下を明かして、表現するという下限の作法をとれない者には、最低下限の要件が満たされず、リスクをとってリターンを得るという根本原理を欠く肥満症に外ならず、真面な精神性を備えない病理を指し根の深い破綻状態という実感に及びます。

サイバー犯罪という現代的な不快事象の本質を見誤ることなく、事の大きさや精神的病理の根深い悪性の性格が浮き彫りになる。

幼少期からの親の躾の悪さや、歪な宗教による悪性か、特殊業界に見る悪しき慣習か、他民族の特殊な負け犬体質か、特異な歴史を持つ悪性の連鎖性等々、自己の健全な生産を備える感性を根幹に据え、堂々とした歩みを果たせる潔い性質の強固な基盤の形成にあって、特異な性質へ外れる事のない確かなエネルギーを投じる習慣と体質が生まれて、持続的な安定と成長の軌道が守られる。表面的な形式による解釈に留まらず、人と人との間を作る本質的な焦点から、物事の真価を掴み、各人の性質を認識し、適正な峻別や対応をもってエネルギーの好循環を加速させるような社会の形成において、肥満が削減と健康の促進が果たされる。

こうした意味からいうと、今日取り上げられる慰安婦は相互の合意によるエネルギーの循環という性格に当たる。サイバー犯罪よりも性質は悪性にはない。事の本質を見誤らず、性格をあぶりだす事が必須と考えます。多くの人の共感に及ぶ優先序列の形成に思われます。クズなタレントと堂々としたタレントとは質が異なる。ごみのマスコミと良好な評論家とも適正に線を引くべきであろう。下限の躾の悪さは看過せず更生の機会を与えて負を留める作法に適正が生まれる。真面になってから真面な人は真面に相手にする。カスな性質は、直さないと。いつまでもカスだよ。

 

文化の実践軌道

「しゃべるな」とは言えず、だれもが身元を明かしてリスクを負って表現する事を留める権限は直接的にはない。民主主義と自由主義社会の基本的な性格に思います。発言から事実誤認や誹謗中傷による名誉棄損と感じれば、相手方を訴える権利もあり個別各所の判断で発言への対抗処置が行える法治の仕組みが備わる。民主主義と自由主義と法治国家という3つが、平等思想を実現する基本要素と浮かび上がり、人権などの細かな規定が基準と備えられる。これが形式上の制度的な骨子となり、実際上の運用面に見る物理的な要素が現れ、平等思想を実現する上での各種障害も起こる。生存への発想が先んじられ、各個別的な取引関係が形成される。そこで見る力関係という因果が生じ、形式上の規定を額面通り行えない場合が多々生じる。生存を途絶えさせる力が投じられ文字通りの対等という関係にない各種個別のケースが存在する。理想的な枠組みに対して、実際的な現況が備わり、あまりにも一般常識とかけ離れた性質には法で担保された対抗処置と実際の生存との兼ね合いを見て思索が進められ妥当な方法を個別的な判断で執り行われる。こうした形式上と実際上の観点をもって、理想と現況と方法という生産が現れる。技術力を磨き高める事や認知を広げて関係上の希少性や優位性を作り、あまりに歪んだ性質との関係を自由に取捨選択できる幅が生み出される。各種生産者は、技術力を向上させて、歪な物性依存症への社会的な対抗力が形成される。非社会的性質への抑止的な力が作られ、物理依存の性質に制御性が発生する。このような現況と方法に実際的な社会状況が映し出される。これを間接的に容易化させるのに、文化教育や報道機関が配され、特異な性質を作らない社会常識を高め、自主内発の制御力の向上や客観的な基準の提起や訴求を広げて、文化的性質の浸透する個々人や集団が生まれる。閉鎖的な空間による隠蔽的且つ独善的な性質への牽制が起こり、広く一般の感度に合わせた振る舞いが進む。直接的な当事者性の関係と離れて広く社会常識や普遍性を追求する長期性の利益基盤を維持する作用とも伺えます。経済産業や政治行政における特異な力の進行に適正が加えられ、生存への重心の高まりに対して平等の意識が強められ、長く持続性を齎せる健全な主体性へ及ばせる事への意義が現れる。このような想定によって広く社会をカバーするシステム概念の形成と認識が強まり歪な物性への過熱を抑制し欲求過多の責任不足という肥満化への予防と連ねられる。力に相応しい適正な力の用い方という発想が強められて、持続的安定と成長の軌道が確保される。各個別的な生産者の生産努力が進み各自が一定の力を作り上げ外界への対抗力を持つと共にシステム的な観点による歪みの補正作用が備わり、形式と実際の整合への力が生まれる。時々の環境へ左右されない一定の基盤的な厚みが保持されて健全な人間性の実態的な出現を可能にする。物理依存の激しい体質の進行が今日的な問題事象に少なからず入り制御性の弱い知的犯罪者が現れる。言葉巧みに人を欺き、或いは技術の悪用によって実態的な本性を隠して自己生存の世渡りをされる性質も多々見受けられ、悪性の根の深い病理的な進行へ不快感が生じる。教育や報道機関自体にこの性格が入り込み本来的な役割の真逆な実態を作るようにも感じます。公権力の用い方にも疑念が起こり人間性の劣化現象という示し方が生まれる。根本的な体質の崩れを指しモラル破綻の進行へ対する是正処置を投じて個々の性質や構造への改良に狭まれる。クズは自主内発の改良へ及ばず他律的な力による制御において劣化の予防に及ぶ。こうした観点をもって表層事象の本質を浮き上がらせ、小手先の振る舞いを見分ける素養に文化力の実践が果たされ長期性の秩序が描き出される。力の保有とそれに相応しい行使にあるか、各主体の性質を根本的に伺い、長い目で見た真価を作る選択において良好な事象が齎され文化の実践軌道が起こされる。適材適所の配置が進み良き自然律が促進されエネルギーの好循環へ連なる。こうした事を受け、馬鹿に刃物を持たせるない文化ビジョンが示される。ボンボンや肥満症に、無用な力を与えない事を指す。ガキの頃にいじけていたやつは、大人になって捻くれた性質を作られる。親兄弟の影響が大きいというとこであろう。学びを外界への利益に用いずに、利己的性質を強められる。

6)文化論の骨格

仲良しのお友達という発想による助け合いという平等思想よりも、動的な働き者による健康な主体性の形成と適正な調和の導出という中で、実態的平等の実感を掴む前進型の文化基盤を作り上げる所に真に生存へ向けた力を備える個々人の性質が生まれ筋肉質な心身の形成と外界との適正な関係性へ及び、動的平等性が高められるフロー型の文化論という特色が現れます。

どちらかというと弱者へ視線を送り平等性を高めるというよりも、肥満な強者への不快感が先んじ物理依存症の節操のない人間性の破壊的な行為に対して欲望と力と責任の均衡という尺度から質実の良い付加価値の実態を測定し、過剰な欲求と責任の不足した利己性への不快感が先んじる。力への従属的な性質の固定化から各種のマイナス事象が発生する事へ対して適正な主体性像が描き出されて、多様な欲求の寛容と共に一定の統制的な基準が備わり多様な主体性の共存環境が促進される。自立性を持つ多様な性格の共存できる基盤の形成に力が注がれ、根源的な感性の同一性と自由度の広がる成熟性の増した主体性による共生世界へ及ぶ。こうした論理から見ると物理依存の責任不足という性格は未成熟な子供の感性を指し他律的な力への依存的な意思形成を内蔵する未熟者と描かれる。単一的な画一性の感度へ偏り多様な志向性への寛容的な発想の弱い自己中心の性格と浮かび上げられ適当な制御力を欠いた姿への嫌悪感が生じる。科学技術の効用へ偏った需要構造による一様性の感度が高まり物理依存的な力への従属性から人への感度も形成され、無機質な機械性の感性世界が増進する事へ対して健全な心理面を起こして力を適正に制御される主体性に健康な性質を伺い見る事になる。この主体性像の持続に健康な心身の所在や平等思想の実態が知覚され、新鮮な感性の持続や多様な感性を備えた人間らしい豊かさを宿す事へ及ぶ。肥満な力の固定から外界への不快を起こしそれへの適正な対処が進んで力の固定化が解消され健康なエネルギーの投入と返還の正常な循環を持つ有機体が作られ健康なエネルギーの好循環へと及び、真に平等な社会の実現と描き出される。創造性が先んじ財力や権力は二次的な価値の配置に備わり健康な人間性の持続的な感性が形成され誰もが真っ当に頑張れば実を結ぶ環境が促進される。妙な肥満症が減少して、理不尽な行為への嫌悪感と削減圧力が自然に起こり、公平公正な基準の形成と適用の気持ちの良い流れが増進される。この客観的且つフェアな測定を常態する感性が健康な主体性から起こり社会の主軸的な秩序に固められ、自他の原則と内在して働き物理依存によらない堂々とした創造性によるエネルギーの好循環が進行される。こうした環境の整備や向上が真に良質な性格を助ける事へ及び、真っ当な性質が伸び肥満が縮小される自然律へと押し上げられて持続的な成長へ及ぶ良好な文化の形成と説かれる。平等と一概に言っても様々な文脈の取り方で解釈される。本能的な欲求と健全な人間性を和解させる道筋をもって、真に心の充実した生の真っ当へ連なると描き出される。こうした基軸論理が太く描き出されて文化論の体系が示されます。能動的な創造を示し、人間の基礎的意思に固まり、受動的な性格に及ばない健康な人間像と描き出される。これを遂げるための二次三次的方策という観点が示されます。クズな性質のもたれ合いといった世界では持続的な成長と繁栄へは及ばない。盗みは盗みであり、クズを示す明確な行為を指し、こうした出来損ないの人間を作らない事が重視される。わかるかボンボン。