普遍性への問いと個別性

「時と場所と感覚と感受性と観点」という観点が、対象を「感じ、知り、作る」という動作を表し人間が生きているという実感へ及ぶ。観点とは、感覚と感受性から言葉や概念、理論、ビジョン等として作られる対象の表現を指し、個々の感覚と感受性の体験から人間の創造性となり産出される。この観点の共通的な理解を図り言葉という道具が形成されて、人と人との言葉を解して感覚や感受性を伝え交換する対話が生まれる。対話は、言葉の交換のみならず、直接の感覚や感受性を表情や手ぶり身振りから察知し感じる事が根本に置かれその中で言葉という道具が入る。時間と空間といった所与的感覚の上に、人と人や人と自然、人と道具という対象が生まれ、相互の刺激と反応などの関係を抱きながら、要素と要素関係についての現象を感じ、知り、作るという事へ及ぶ。人の根本的な仕組みから生理的欲求や物理的欲求、心理的欲求が起こり、これを充足する手段として、観点という言葉などが形成されて、協働や共存、共栄という再生産の生態系が生み出される。「欲求、感覚と感受性、観点や観念」という基本動作を持ち、持続的生存と繁栄を意図した活動が生まれる。

このような活動の中で、規範や法規、制度、組織化、体制という関係の形成における秩序が作られ、実質的な直接の欲求と充足手段に対して、協働性の円滑性に及ぶ相互的な基準が生まれる。固有の技術と管理的な技術という側面で区分される。管理技術ばかりが先行して、直接的に作り上げる技術の進歩がないと成長へ及ばず、或いは人間側の欲求が画一的になり多様な欲求が萎むと供給も減少し成長が停滞する。欲求の種類という質の面と量の面が起こる。そして、マイナス的質感とプラス的質感との相互連関性で、満足や不満という感覚が生まれる。人によってこの差は異なり、少量でも大きな満足を抱く事と、大量でも満足へ及ばないといった個別的な性格を持つ。

日頃の規則性が常態温度を作りエネルギーの産出と吸収の構造に標準感覚が現れ、習慣や生産性と備えられる。これの大きな違いが生まれるほどに調和感覚の差となって、不快感の生じる原因が生まれる。省エネルギーで大きなリターンや大量のエネルギーで小さなリターンというエネルギー循環の極端な因果を生むと、欲求と充足の質的な違いが激しく起こり不安定な社会秩序へ至る。前進的な創造性の活力という作用を持つ場合と、基礎的な常識感覚を超えた不快を生じさせる作用に及ぶ場合とが想定される。この両極に対して基盤的な不動性が、ある程度確立されていて変化と維持の適正へ連なる。

こうした中で、共通性の人間像が描き出され、特定的な立場による個別性に対して、万人的な立場による共通性の概念を作り、自己の特性や他者の性格を知り、自立と共に相互尊重と協働や共生の関係へ連なる。共通的、根本性の概念が、基盤的な不動性になって、個別性と共通性の適正へ作用する。個々の個別的局所性の人間性と共に、完結的な生産性や完璧性の高い人間像という概念への探求を合わせって、人々の良好な関係が生み出される。個別的利害へばかり偏する事無く、普遍的な概念の形成や個別との相関感覚を抱ける所に、単純な一方向的な物性的争いを回避する為の理想像が起こされる。真理の探究軌道が少なからず備わり、自己の特性を掴むと共に、成長への適当な方途が現れ、安定と成長の同一的な感性が共有される。人間の根本性を問うといった哲学の領域を備えながら個別の活動をもって人間が作られる。これが、いわば根本の観点になり、長く不動的な意識へと入り込んで基盤的な共通概念へ及ぶほどに適当な行為が産出され良好な安定と躍動のエネルギーと作用する。観点は観念になり、思う事と体が連動し健康な有機体の姿へ及ぶ。

「日本文化原論」の生産性

様々な理論が、描き出される。例えば「マズローの欲求五段階説」では、生理的欲求、安心・安全欲求、社会的欲求、自我の欲求、自己実現欲求、等という言葉で、欲求の高次化する過程が示される。こうした理論を頭から入力して、自己の欲求をこれに倣い理論と自己化の過程を強めるか、自己のある状態への実際的な認識を深めて理論と自己との対比をもって異同を確認される事へ及ぶ。

頭だけで入力し、体の工程へ視線が及ばないと、理論をそのまま受け入れる体質が強まる。体の工程を軸に持つと、人が謳われる理論について検証する尺度が備わり、観念図面を体側の質感で感じ取り、受動的に吸収するばかりではなく、自己の尺度に重心をもって違いを掴み、良い面は受け入れ、悪い面は捨てるという自己主体的な性格が作られる。むやみやたらに洗脳されやすい体質は、完結的な自己生産性を有さず、体からの質感を常にして確かな実感を形成されない所から、頭による操作性へ流れ、他律的な尺度を無批判的に受け入れられる。自己の生産性に対して、根本的な原理への問いと答えを、定期的に深める作業において、確かな尺度が強められ、体と頭と心の有機的な連なりを持つ主体性が作られる。

頭ばかりで吸収し体の工程を経ない消化不良によると、確かな確信や自信を形成する事無く、外界からの受動的な反応に流れる感性が進行する。そして、物理依存の激しい感覚が強まり、詐欺や盗みに安易に走る犯罪体質が作られる。頭へ偏した体質や物理性への過度な依存体質という面から、人間の歪んだ受動性が強まり、性質の劣化が進行する。人の作った理論へ自己の理論から適当な距離をもって、関わるというスタンスがないと、こうした性格が強まって、自己発信力の強まりよりも、外界の発信を受け入れる側に回る。本に書かれた二次情報を吸収する行為と、実際に体の工程を経て頭へ描きだす一次的な吸収との違いが明瞭に表れ人間の性格へ反映される。

頭だけの知識は強い確信が生まれず、体で実際に検証する事や、体から体験を進めて皮膚感覚的に理論が備わる確信性を持つ主体性との違いが顕著に表れる。こうした法則性を抑えたうえで、人間を作り込む方法やビジョンが起こされて、健全な主体性を作る道筋が生まれる。地に着く人間を志向するならば、頭ばかりではおられず、体に重心をもって、強い確信性を体験しながら理論を表す事へ及び、外界へ強い発信性が起こる創造者が生まれる。物理的な質感を抱く事と心理的な感受性を抱く事と、これらを勘案して生まれる理論と及んで、妙に偏った性格へ寄らない根の健全な創造性を表される。

時短的な情報の吸収という面に対して、体の工程を省略する面へ視線が及ばないと、ロボットのような感性が進み、適正な尺度から取捨選択する作用が弱まり、受動的な体質が深まる。頭でばかり知ったようになり、底の浅い根の痩せ細ったマスコミ体質へ陥り、自己完結的な生産性の弱さへ及んで、自己の尺度やビジョンの弱い即効的な右往左往が進み、外界へ良くない影響を作られる。これに大きな力を与えると真面な社会秩序から乖離する。

管理手法や管理欲求ばかりを高めて、実際的な物事の作り方や感じ方が弱まり、無色透明の物理性への過敏な反応を作り、短変数の欲求を持つ主体性へと進行する。感性の貧困化という潮流に、適度な予防策の導入や適正な人間形成への思索が深められて、健全な人間や社会の形成へと力が投じられる。この転機に当たるのが、現代の時代状況にあり、哲学や文化を顧みて、適正な根源性を抑えた欲求を形成する事において歪な感性が制御される。

理想と現況と方法の枠組みをもって、価値や方法という区分を備えて力を投じて、自己の欲求ばかりを中心に取らず外界を見据えて、漸進的な変化を起こす心と体と頭の有機的な生産性が生み出される。文化論の性格は、ここでいう理想概念を強めに表す作為になり、確かな軌道やビジョンを起こす作用が生まれる。これが現況の掴み方へ反映されて感度を作り、喜怒哀楽や快不快へ及んで方法への熱が進行する。

理想と現況と方法という完結的な生産の周期が描かれて、頭ばかりで欲求を表す態度への適正が起こり、体を投じて実質を掴む生産性へと進められる。本書で描かれる文化論自体が方法の意味合いに及ぶようであれば効用や価値が認められる。実際に人々に用いられていることがこれを実感する場面と規定される。当方の感性では、少なからずこの部分の実感に及び、頭の表現という性格を超えた創造性であると考えます。潔くないみすぼらしい盗み症には、この事を認めることが出来ないようで残念です。変な奴が中心に居座ると真面なエネルギーの好循環が喪失する。

 

思想と行為

哲学や思想の未成熟な弁護士、会計士、財界人、政治家、教育者、科学者等々は既成の枠組みから発展的な改善のエネルギーが生まれない。この場合の哲学は、「畏敬の念」や「持続的安定と繁栄」という志向性にありこの動的態度に健康な心身が備えられ、人々の根本的な本能に近い自然律と説かれる。各種領域の基本的価値に対して自己反省と改善を内蔵する歩みに適当なエネルギーの循環が形成される。頑なに自己領域の意義に固執する事無く不動性の部分と自己否定性の要素を隣接領域や需給構造との対面によって発見する姿勢を持続させ、「これで本当に良いのか」問い続けながら時々の最良な判断を導く態度に真理を探究する人間性が映し出される。思考停止に陥らず真なる利益を追求する感性をもって長期的な利益を作り上げる意識を失うことなく、哲学に磨きをかける態度において、持続的安定と繁栄の軌道が生まれる。作った型枠を一神教のように絶対性の原理と受け入れ、それを支柱にした行為を見出す事に安寧を見る態度へ対して他者が否定する道理にはないものの、当該文化論の特色は、畏敬の念、持続的安定と繁栄に不動性を備えてこの枠組み内に生まれる多様な感性を作り尊重するスタンスによって共存共栄が果たされ、且つそこに持続的安定と繁栄への肝があるという根本理念が備えられる。絶対という言葉を安易に用いる事無く、無限という概念を少なからず備え人間に謙虚さが起こり、神のごとくに陥らない人間が保たれる。自己と異なる考えに排他的な構えを強め一方的な欲求を強める姿は人間概念を喪失させる事へ向かい人間平等の理念をもって違いへの寛容性を少なからず抱き共存させる発想において畏敬の念や持続的な安定と繁栄の軌道と共存共栄の道筋が形成される。生命への尊さを根に抱き、自己と同じように他者や外界の生命に尊さを感じる事の出来る性質に人間の根本性が見出される。こうした基本概念から主体の健全性を表す型式へ絞り込まれて感覚的質感に届くような実践上の概念へと展開して抽象性に制御を持たせた限定へと及ばせ、空想的な枠組みに留まらない実際性を作る工程が描き出される。万人的共通実感となる「生命への尊さ」という理念をもってこれを危ぶませる事柄が現実的な個別事象から浮かび上がり、「盗みや詐欺、暴力」等の直接性の行為や「衣食住の生産や分配」などの間接的な積極的創造性が配される。行為と出現する前段には思想があり、良好な思想を形成する事が根源的な配置にあり精神世界の適正なあり方へ思索が深められる。感覚的な質感へ及ぶ以前の思想は思想信条の自由への認識が図られる。行為という実感に及ぶ個別場面が特定されて思想の実態を伺う事になる。上述のような行為の類型が生命への危うさへ連なる代表的な事象の認識と起こり思想の実態を表す行為の実感へ及び人間の真相を掴む事に連なる。こうした物事への発想や過程を辿りながら個別限定的な事象が特定され限定性の強さへと起こし根本理念を反映する創造性が投じられる。無限という中での限定が進められ統一的な価値と具体化の側面が現れる。目に見えづらい思想や信条は個別的特定の行為で測定される。思想信条を作る事も行為の性格を含み人々との良好な世界を作り上げる上では欠かせない創造に配される。

 

行為

思想 無限性、謙虚、平等思想、真理の探究、
畏敬の念、持続的生存と繁栄、共存共栄
思想と

行為の整合

健全性、

(心と体と頭の有機的相関、欲望と力と責任の均衡)

行為 下限事象(暴力、盗み、詐欺など)
下限事象と積極的創造性と両面の相関

このような向きの型枠を、個別具体的な行為を展開しながら探求し続ける事において心と体と頭の有機的な相関が生まれ、健康な人間性が生き続ける。この思想自体も人々との対話からより良い価値の高まる表現へ磨きをかけ続ける行為に及び完全な不動にはなく生命が滅するまで終わらない。

科学技術力等へ依存した生活習慣から行為への重みが薄れて安直な手法に着手される傾向が映し出される。生命観の弱まりが原因と考えられます。このような向きの強まりが良いわけはなく哲学や思想への創造を起こして人間の適正を探す事に意義が生まれる。

 

1)学びや生産の構え

こんな点からも以下のような生産性の構えが示される。物事の規定方法には大別すると、「して良い事と悪い事」になり、前者に対して後者の認識は限定的な同一性が揃う。無限的な創造力をよしとする発想に寄れば、「して良い事」を揃えるよりも、「だめな事だけ」を明文化して、自由な創造力を妨げないスタンスが適正に映る。大きな時代のトレンドには、このような個々の自由を妨げない発想に適正があり、これは「あってはならない事」という観点から問題を抽出して強制権力で縛りをかけて、万人的な欲求の最良性へ及ぶ。政治行政の基本的な立場もこのような構えに適正があり、下限的な事象の列挙からそれが生まれる因果への分析をもって、してよい事との相関を掴んで急所となる部分への規定を設ける事に的確な生産性が現れる。

1.まずは、これはあってはならない不快事象を取り上げる。

2.それが生まれる要因は?因果の分析を起こす。

3.最も因果性の強い事柄から序列を整理する。

4.有効な制限を規定する。

5.広く一般認識と周知させる。

6.成果の検証をとり、改善点を考える。

政治行政という領域の特徴は何といっても強制力にあり、やらないと犯罪となり罰則を科せられる面にある。この性格から必然に描かれる生産性の特徴は上述のような点にあり、「万人的な共通実感」を探してあってはならない事の予防に意義が生まれる。これに対して産業経済は個々の自由に特徴があり自由を表現する場となる。こうした切り分け感覚が一つの目安に上がり、政治と経済の特徴が生まれる。下限事象と積極性創造性と両者の因果という創造の包括的な枠組みと纏められ、生存と共存や共栄を生み出す基本的な感性と組み込まれて健全な人間像が構成される。

より突っ込んだ既定の仕方に「欲望と力と責任の均衡」を目途にした健全性概念が絞り込まれる。下限と積極性を含んで内外関係を作り上げる事へ及び、適正な生産者としての適正が生まれる。このような性格の規定内容が変わりづらい「根本的な価値観」に配されて「してはならない事としてよい事」を含んだ思慮になり根本原則という変わりづらい規定と産出される。健全性概念、言行一致、内外の一致、頭と体と心の有機性、物理性と心理面の適正、等々の調和形成の肝が示される。これらの根源には、「生滅不可分の感性」等という面が置かれて、生命への尊さを抱ける重要性や外界と自己の相関は脅威と恵みが備わる二面性の認識が生まれて適正なエネルギー循環の在り方へと思索が進んで適当な生態系を作る発想へ及ぶ。こうして政治と経済と文化という領域の本質的な要素が表される。

創造力を高めて付加価値を作るには創造の基本的な経路を掴み、各種の実感や仮説を設けて未来像を表しながら良い事は伸ばし悪い事は予防する方法論を深めて有用な生産者が生まれる。良き精神性の上に立って学問や研究、開発や生産の基本となる枠組みが示される。今日的傾向には、してはいけない事をしながらしてよい事を行う制御能力を超えた過剰な欲望を抱く頭と体と心のアンバランな人間性が映し出される。筋道や構造を間違えない根の良質性をもって良き感受性の下の創造が生まれる。

物理欲過多を指し心理面が脆弱化し人間性の喪失と判定される。外界から修復の力が働き自然作用にあった速度感に矯正される。人間界の自然律は動物世界とは異質の原理が備わり長きに渡る持続的生存へ連なる優れた性質を不動にした制御を作る事に「正しい」という価値が生まれる。力むほどに人々は引き、滑稽で愚かな未成熟な欲求をあからさまにされる。これを空回りや逆回り、負のスパイラルという。人間と技術と自然の好循環をベース概念にして、健全な生態系が生まれる。精神面の成長と共に力の成長が果たされる。理念や目的に対して手法が暴走し主客転倒の事態を招かれ、理念や哲学が希薄化する。こうした論理を望まれる方が大勢に思われます。

4)適正構造と循環-肥満と改善の自浄や強制

強欲な肥満症はエネルギーを受けている実感が起こらないか、実感を持ちながらエネルギーを返さず更にエネルギーを投じるように要求される。これを盗みや詐欺や搾取や奴隷といい常人とは異なる異常者の範疇に映し出される。その恨み辛みが歴史の連鎖となり悪性の下を作る。物理依存の激しい資産家や使用者、権力者の歪んだ精神性が露になり平和を崩す問題の根が鮮明になる。ボンボンが要路に納まると、社会は暗いエネルギーで支配される。

外界へ何某かの呼びかけ行い、自己の欲求を遂げる上での適正な作法という事が設けられ、小さな事柄の協働性か次第に複雑で影響の大きな事柄を作る相互性に発展する。そして、理念やビジョンという確たる考えを形成し、生産者としての特性を表現して、大きな影響力に相応しい効用を示して、外界との調和を果たす事へ連なる。個別性から次第に汎用的な尺度へ至り、自己の制約を予めに提示して、基準と公平公正な運用において利害の適正に連ねる行為が生まれる。

社会システム上に占める大きな権限と責任に対してこれが不足すると力の暴走が進んで盗み型の精神性を進行させる。過剰な欲望と力と責任を欠いた不健全な主体性と見做され体質の抜本的な改善へと圧力が加わるか、他の適正な主体性を自由に選択する道が残されて歪な精神性の自浄に回る。犯罪には粛々と反応して罰則を適用し良質なエネルギーの循環を停滞させない事が持続的成長には必須とされる。能力の満たない者が適正な作法をとられずに物性への依存による制御性へ流れると健全な創造性は萎み単細胞の物理性が加速する。何をやるにも堂々と身の下を明かして、表現するという下限の作法をとれない者には、最低下限の要件が満たされず、リスクをとってリターンを得るという根本原理を欠く肥満症に外ならず、真面な精神性を備えない病理を指し根の深い破綻状態という実感に及びます。

サイバー犯罪という現代的な不快事象の本質を見誤ることなく、事の大きさや精神的病理の根深い悪性の性格が浮き彫りになる。

幼少期からの親の躾の悪さや、歪な宗教による悪性か、特殊業界に見る悪しき慣習か、他民族の特殊な負け犬体質か、特異な歴史を持つ悪性の連鎖性等々、自己の健全な生産を備える感性を根幹に据え、堂々とした歩みを果たせる潔い性質の強固な基盤の形成にあって、特異な性質へ外れる事のない確かなエネルギーを投じる習慣と体質が生まれて、持続的な安定と成長の軌道が守られる。表面的な形式による解釈に留まらず、人と人との間を作る本質的な焦点から、物事の真価を掴み、各人の性質を認識し、適正な峻別や対応をもってエネルギーの好循環を加速させるような社会の形成において、肥満が削減と健康の促進が果たされる。

こうした意味からいうと、今日取り上げられる慰安婦は相互の合意によるエネルギーの循環という性格に当たる。サイバー犯罪よりも性質は悪性にはない。事の本質を見誤らず、性格をあぶりだす事が必須と考えます。多くの人の共感に及ぶ優先序列の形成に思われます。クズなタレントと堂々としたタレントとは質が異なる。ごみのマスコミと良好な評論家とも適正に線を引くべきであろう。下限の躾の悪さは看過せず更生の機会を与えて負を留める作法に適正が生まれる。真面になってから真面な人は真面に相手にする。カスな性質は、直さないと。いつまでもカスだよ。

 

文化の実践軌道

「しゃべるな」とは言えず、だれもが身元を明かしてリスクを負って表現する事を留める権限は直接的にはない。民主主義と自由主義社会の基本的な性格に思います。発言から事実誤認や誹謗中傷による名誉棄損と感じれば、相手方を訴える権利もあり個別各所の判断で発言への対抗処置が行える法治の仕組みが備わる。民主主義と自由主義と法治国家という3つが、平等思想を実現する基本要素と浮かび上がり、人権などの細かな規定が基準と備えられる。これが形式上の制度的な骨子となり、実際上の運用面に見る物理的な要素が現れ、平等思想を実現する上での各種障害も起こる。生存への発想が先んじられ、各個別的な取引関係が形成される。そこで見る力関係という因果が生じ、形式上の規定を額面通り行えない場合が多々生じる。生存を途絶えさせる力が投じられ文字通りの対等という関係にない各種個別のケースが存在する。理想的な枠組みに対して、実際的な現況が備わり、あまりにも一般常識とかけ離れた性質には法で担保された対抗処置と実際の生存との兼ね合いを見て思索が進められ妥当な方法を個別的な判断で執り行われる。こうした形式上と実際上の観点をもって、理想と現況と方法という生産が現れる。技術力を磨き高める事や認知を広げて関係上の希少性や優位性を作り、あまりに歪んだ性質との関係を自由に取捨選択できる幅が生み出される。各種生産者は、技術力を向上させて、歪な物性依存症への社会的な対抗力が形成される。非社会的性質への抑止的な力が作られ、物理依存の性質に制御性が発生する。このような現況と方法に実際的な社会状況が映し出される。これを間接的に容易化させるのに、文化教育や報道機関が配され、特異な性質を作らない社会常識を高め、自主内発の制御力の向上や客観的な基準の提起や訴求を広げて、文化的性質の浸透する個々人や集団が生まれる。閉鎖的な空間による隠蔽的且つ独善的な性質への牽制が起こり、広く一般の感度に合わせた振る舞いが進む。直接的な当事者性の関係と離れて広く社会常識や普遍性を追求する長期性の利益基盤を維持する作用とも伺えます。経済産業や政治行政における特異な力の進行に適正が加えられ、生存への重心の高まりに対して平等の意識が強められ、長く持続性を齎せる健全な主体性へ及ばせる事への意義が現れる。このような想定によって広く社会をカバーするシステム概念の形成と認識が強まり歪な物性への過熱を抑制し欲求過多の責任不足という肥満化への予防と連ねられる。力に相応しい適正な力の用い方という発想が強められて、持続的安定と成長の軌道が確保される。各個別的な生産者の生産努力が進み各自が一定の力を作り上げ外界への対抗力を持つと共にシステム的な観点による歪みの補正作用が備わり、形式と実際の整合への力が生まれる。時々の環境へ左右されない一定の基盤的な厚みが保持されて健全な人間性の実態的な出現を可能にする。物理依存の激しい体質の進行が今日的な問題事象に少なからず入り制御性の弱い知的犯罪者が現れる。言葉巧みに人を欺き、或いは技術の悪用によって実態的な本性を隠して自己生存の世渡りをされる性質も多々見受けられ、悪性の根の深い病理的な進行へ不快感が生じる。教育や報道機関自体にこの性格が入り込み本来的な役割の真逆な実態を作るようにも感じます。公権力の用い方にも疑念が起こり人間性の劣化現象という示し方が生まれる。根本的な体質の崩れを指しモラル破綻の進行へ対する是正処置を投じて個々の性質や構造への改良に狭まれる。クズは自主内発の改良へ及ばず他律的な力による制御において劣化の予防に及ぶ。こうした観点をもって表層事象の本質を浮き上がらせ、小手先の振る舞いを見分ける素養に文化力の実践が果たされ長期性の秩序が描き出される。力の保有とそれに相応しい行使にあるか、各主体の性質を根本的に伺い、長い目で見た真価を作る選択において良好な事象が齎され文化の実践軌道が起こされる。適材適所の配置が進み良き自然律が促進されエネルギーの好循環へ連なる。こうした事を受け、馬鹿に刃物を持たせるない文化ビジョンが示される。ボンボンや肥満症に、無用な力を与えない事を指す。ガキの頃にいじけていたやつは、大人になって捻くれた性質を作られる。親兄弟の影響が大きいというとこであろう。学びを外界への利益に用いずに、利己的性質を強められる。

6)文化論の骨格

仲良しのお友達という発想による助け合いという平等思想よりも、動的な働き者による健康な主体性の形成と適正な調和の導出という中で、実態的平等の実感を掴む前進型の文化基盤を作り上げる所に真に生存へ向けた力を備える個々人の性質が生まれ筋肉質な心身の形成と外界との適正な関係性へ及び、動的平等性が高められるフロー型の文化論という特色が現れます。

どちらかというと弱者へ視線を送り平等性を高めるというよりも、肥満な強者への不快感が先んじ物理依存症の節操のない人間性の破壊的な行為に対して欲望と力と責任の均衡という尺度から質実の良い付加価値の実態を測定し、過剰な欲求と責任の不足した利己性への不快感が先んじる。力への従属的な性質の固定化から各種のマイナス事象が発生する事へ対して適正な主体性像が描き出されて、多様な欲求の寛容と共に一定の統制的な基準が備わり多様な主体性の共存環境が促進される。自立性を持つ多様な性格の共存できる基盤の形成に力が注がれ、根源的な感性の同一性と自由度の広がる成熟性の増した主体性による共生世界へ及ぶ。こうした論理から見ると物理依存の責任不足という性格は未成熟な子供の感性を指し他律的な力への依存的な意思形成を内蔵する未熟者と描かれる。単一的な画一性の感度へ偏り多様な志向性への寛容的な発想の弱い自己中心の性格と浮かび上げられ適当な制御力を欠いた姿への嫌悪感が生じる。科学技術の効用へ偏った需要構造による一様性の感度が高まり物理依存的な力への従属性から人への感度も形成され、無機質な機械性の感性世界が増進する事へ対して健全な心理面を起こして力を適正に制御される主体性に健康な性質を伺い見る事になる。この主体性像の持続に健康な心身の所在や平等思想の実態が知覚され、新鮮な感性の持続や多様な感性を備えた人間らしい豊かさを宿す事へ及ぶ。肥満な力の固定から外界への不快を起こしそれへの適正な対処が進んで力の固定化が解消され健康なエネルギーの投入と返還の正常な循環を持つ有機体が作られ健康なエネルギーの好循環へと及び、真に平等な社会の実現と描き出される。創造性が先んじ財力や権力は二次的な価値の配置に備わり健康な人間性の持続的な感性が形成され誰もが真っ当に頑張れば実を結ぶ環境が促進される。妙な肥満症が減少して、理不尽な行為への嫌悪感と削減圧力が自然に起こり、公平公正な基準の形成と適用の気持ちの良い流れが増進される。この客観的且つフェアな測定を常態する感性が健康な主体性から起こり社会の主軸的な秩序に固められ、自他の原則と内在して働き物理依存によらない堂々とした創造性によるエネルギーの好循環が進行される。こうした環境の整備や向上が真に良質な性格を助ける事へ及び、真っ当な性質が伸び肥満が縮小される自然律へと押し上げられて持続的な成長へ及ぶ良好な文化の形成と説かれる。平等と一概に言っても様々な文脈の取り方で解釈される。本能的な欲求と健全な人間性を和解させる道筋をもって、真に心の充実した生の真っ当へ連なると描き出される。こうした基軸論理が太く描き出されて文化論の体系が示されます。能動的な創造を示し、人間の基礎的意思に固まり、受動的な性格に及ばない健康な人間像と描き出される。これを遂げるための二次三次的方策という観点が示されます。クズな性質のもたれ合いといった世界では持続的な成長と繁栄へは及ばない。盗みは盗みであり、クズを示す明確な行為を指し、こうした出来損ないの人間を作らない事が重視される。わかるかボンボン。

 

思い念じる力

多くの事は多様な因果で連なりを持つ。例えば、モータリゼーションが形成されたのは、第一に、車の生産開発者の努力の賜物であることは明らかであり、これに関連する多くの周辺産業の努力の集積として、一つの社会現象が集約され表される。道路整備や都市計画、道路交通法などとも密接にリンクし車を利用する環境的整備なしには車が単体で売れる事はない。車社会というビジョンの共有が方向づけられ、納税者から各種税金が投じられ一つの世界へ向けてエネルギーを集中した結果の末に作り上げられたとも伺える。一つの技術開発から多様な想像性が連鎖して直接間接の因果を広げて社会ビジョンという図式が描かれ、それへの魅力や効用へ共感が高められて具体的な資源を投じる過程が現れる。教育文化という知識や倫理の下地の善し悪しが、経済産業や政治行政の優劣に反映するのと同様にも見受けられます。基盤や足場の整備が高められて二次三次の創造性の程度に反映される。こうした相関の実感へ及ぶとある立場からの直接生産性と間接的な相関による協働的な利益の一致に基づく部分的要素の集積による世界の創出が起こり同一性の理念と協働生産の広がりある括り方が現れ実現への資源の拠出に利害の一致を見て理解へ及ぶ道筋が浮かび上がる。どこかの繁栄が二次三次の繁栄に連なる相乗的な好作用という因果関係の実感へ及び同一性の軌道とエネルギーの投下へと発展する。循環型社会形成というコンセプトなども、未来の社会ビジョンと高められるほどに向かうべき基調の強さへと動き関連する産業が伸びるという予測が作られ、共感や理解の広がるほどに実際的なエネルギーを投じる段階へ進んでビジョンが実際的知覚へ及ぶ過程と示される。文化ビジョンも同様の流れを作り健全性というキーワードが関連する各種産業への勢いを作り利害の一致と増進へと働く。汎用性の高い概念であるほどに、すそ野が広く多様性を取り込む構図が起こり普遍的な価値として万人的な共感に及ぶほどに強く太い流れが形成される。日本社会を象徴するような概念とそれへの魅力が強まるほどに空間的な独自性への価値が強められ、この範疇に含められる各種体制への利益へ働く相関が示される。こうしたプラス性の相乗作用という一方で、マイナス性の因果も同様の図式で形成される。同質的なカテゴリーにおける一部のマイナス事象が全体へ派生し、悪性の連鎖を生じさせる事態を指し、予めにリスク管理の内として因果関係の密接性を鑑みて事前予防的な協働体制を引くなどの活動が生まれる。このような多様な因果の想像力を根にして利益の共有と協働の関係が起こるという観点や枠組みを備えて概念と感覚的質感を結び実際性の高まる生産へ及ばせる創造の軌道が形成される。空想的な想像がなにがしかの事象と密接な実感へと強まり、実際性の現象へ認識が高まって皮膚感覚に到達する。概念設計やビジョンの創出という作用が絵空事に留まらず、実際の力を起こす因果の実感へ及び、思い続けるといつの間にか現実の世界が現れる。文化理念も諦めずに思い念じる作業の持続において生きた力と転化する。辞めればそこまででありビジョンが弱まり悪性の方向へ箍が利かず進行する。理念の強さや持続性は関心を生き続けさせ、その向きへエネルギーが次第に注ぎ込まれて小さな変化の重なりが大きな変化を齎せる。瞬発的な力の即効性ばかりへ寄らず継続は大きな力を生み出す。思う事からすべては始まり不可能を可能にする。マスごみ等の虫けらはこの力を何ら気にかけず阻害する。目先の利己性に走り自己の生存欲求ばかりに偏して周囲へ悪性を作るごみのような人間性が現れる。あれこれ一過的な利益を盗み取る性質は大きな可能性を著しく阻害する。実質的な犯罪という自覚が起こらない感性的な死亡に至らぬような健全性を果たす事が肝要に思います。NHKなどのマスごみや坊ちゃん政治家や感性の腐った行政マンや物理依存症の財界人が悪性の代表に映る。

 

 

5)本能による生産性

5)本能による生産性

「後ろめたい事をやってしまった。」「見ているのに、見ていない振りをして誤魔化している自分」「盗んでいるのに、自分のもののように見せて点数を稼ぐ自分」「人を犠牲にして生計を立てている自分」「わかっているのに正直な道を歩めない自分」「技術を悪用し利益を奪う自分」等。こうした自覚症状が起こるのは、良心や善の心が未だ残っている証であり、取り返しのつかない所にまでは及んでおらず、修復の見込みがある状態を表す。美や善の感性が醜や悪を映し出し自己嫌悪に及び、各種の矛盾と葛藤しながら自分可愛さに歪んだ道を選び、逃げた性質に陥って常に心の晴れない状態を抱えられる。それを誤魔化すように「仕方がないじゃん」「○○だから」と正当性を強め、同じような性質の群れを作り同調感を高めて正しいという気持ちを作り上げる自己慰めのスパイラルを回される。こうして個人や集団、領域の負け犬文化が常識化される。その体質から脱皮するには、多くのエネルギーを必要としその困難さを思い浮かべては難しいという判断に及ばせ楽な方へと歩を進められる。抱えて守るものが多いから致し方なく、「歪んだことも抱えざるを得ない」と自己正当化される。自分のためではなく周囲の人を守るためだと。果たして周囲はそんな態度を望まれる事でしょうか。飛躍的且つ屈折的な自己肯定感にないでしょうか。このような思考や反省の向きに少なからず回り、根源的本能の良心を持った反省の心による健康な心身でありたいとする欲求が示される。負の小さな事が次第に大きく心を支配して精神的な病へと陥る事は健康な心身の作用に外ならず、ストレスとなって体や心を蝕める自然な循環反応を指し健康な証とも見做される。個々人で出来る限界を見極めて無理に抱え込まず、負の責任を構造やシステムに求める事は正しい感性を指し、局所での責任範囲を超えた事まで自己責任と考えずに理に即した適所へと因果を広げて権利と義務の適正な範囲を探る思索は正しい改善の作法となる。これを客観的に推し進められるシステムが構築されて無理のない正常化や健全化の補完作用と働く。風通しの良い空間秩序が備わり、過度な要望とも異なる適当な要望と対応を進められる基準の形成と経路の所在が構成されて、人的属人性に過剰に依存しない理性的な発想が生まれて長く良質な血液の循環が促進される。個人や組織の諸条件的な違いから一様の仕組みを作る困難性が備わり、それを補完する公共的な機関が設けられて各種矛盾を適正化する公共性の役割が浮かび上がる。特異な成長過程から妙に人に厳しく自分に甘い性質が作り出され弱い立場へ無理難題を押し付け、責任を課すような人も現れるのが現実であり、こうした想定の下に普遍的な基準の形成と公平な適用を図れる公共性の所在が求められる。私的な関係性の正負の側面への認識と共に、マイナスへの補完性が用意され自由な選択の幅が設けられ、個々の矛盾を無理のない方式で解決する仕組みが整備されて、自助と共助と公助の正常な軌道が生まれる。社会現象のマイナス面の適切性への視座が優先されて一定の安心感をもって、プラス性のエネルギーを促進させる基盤が生まれる。権力欲をどのような感性から抱かれるか適正が問われる。物理性へ依存して利己的欲求への意識が強いと力の適正な利用や構築に及ばず、公共などを担うに適さない態度や精神を醸成される。権力や財力の健康な用い方への確かな考え方が確立されていない段階では公などを担うには不適格となり性質や成長の段階に応じた配置をもって無理な不快事象をどこかにしわ寄せさせる事のない仕組みが生まれる。自由主義のはき違えや基礎教養の脆弱化は長期的且つ普遍価値の希薄な性質へと流れ、根本的な良性を持たずに専門性や各種力の不適格な利用や保有へと至り、大きな利益の成長の停滞や阻害に陥る。こうした事からも確かな基盤的な感性の同一性を固めて、健全な性質の共有の上に自由を作る構造が求められる。特定地域で限定して良性を担う事への限度が起こり万人共通の基盤の形成と強化が必要に思います。良好な根を基に太い軌道の確かなビジョンが強められて、局所と構造とシステムへの観点を持ち大きな利益の持続的生産の系が作り出される。堂々と正しい道筋を描き、そこへ力を投じて正しい成果に反映される統一的なビジョンがこの役目を果たす。ストレスに押しつぶされず道を開く事へと意識や本能が残り最良性へと及ばせる探求と創造への力が持続して真なる健康が掴みだされ生命が躍動する。

 

 

文化活動の性格

人間を科学的に見て、仕組みの深い理解に繋げ、あるべき像を描き出し制御するという向きの思索領域に関心が及びます。

体と頭と心という3要素を不動的な構造と捉え、その在り方を人と人との交流や人と道具や人と自然との交わりの中で因果の実際を掴みだし、どんな影響を受け、3作用の変容に及ぶか、それが意図した像とかけ離れていないか。

科学技術へ偏った創造性からこの分野に飛躍的な力が生まれ、各種の道具が発展し人間の生身の体力を使う機会が減少し、身体的成長の軌道が痩せ細り、貨幣をもってそれを賄う意識が進行する。金さえ得られれば身体的な負荷を得ずに科学技術力を用いることが出来、物性的な欲求が満たされる。体の弱まりはかねへの意識を執着させ、金になれば手段は択ばず人との心理的な良好性への拘りを欠いてまでも、金を得る事へと意識が向かう。

つまり、科学技術力の発展という進歩や成長概念の偏った世界観へ流れ、人間の生身の身体的成長や、心の充実という面への進歩や発展の感性が喪失して、一面的な性格の成長概念が強められる事への弊害感を抱き、健全な3作用の在り方へと思索が深められて、変わらぬ構造とバランの良い成長への軌道を描いて、持続的な生存と成長への道筋が表される。

こうした世界観の修正が強調されて、理想ビジョンへの意識が強められ、物理過多の周期と負の連鎖性を回避する工程を思い描いて、適正な成長を進行されるという世界観が作られる。

この全体的なビジョンを標準と配して、人間への理解や適正な発想や欲望の起こり方への学問的な確立において、自然や道具という科学技術との適度な距離を図り、効率や利便性への一片的な志向性への急激な進行を適正化するという創造性が高められて、持続的な成長の循環図が生まれる。

本書の文化論はこのような適正化の図面と、人間の正しい生産への探求へと力を注ぎ、これまでの偏りの強い世界観を矯正させるという狙いをもって根本的な層からの適正概念を創出し、実際へ反映させる活動と纏められます。

こうした観点からの生産性が、多くの人の潜在的顕在的に、望まれる志向性やニーズにも思われます。近代からの潮流と現代に及ぶまでの大きな時代的なスパンを想定し、大きな潮流に対しての適正化という観点を持って、長期的な利益の生産を果たす分野として、確かな知見と方法を深めて健康な人間世界の増進へと発想が投じられます。

この体系的な理論化をもって、大きな時代の歩むべきビジョンへの確信性が強められ、確かな成長概念の下に適正な力を注ぎ、科学技術ばかりへの依存によらない生身の人間性を成長させる軌道へと強められて、持続可能な人間世界の創造へと高められる。

以上のような生産性の絞り込みをもって、各種領域との連携的な協働へと及ばせ、健全な根を強化して経済産業や政治行政へと反映させるといった実践工程が思い浮かべられます。

良好な人間性を守るために、人間への深い理解を進めて、確かな方法を選ぶ事において、適当な全体ビジョンが創出され、実際的な力が投じられる。物理性の即効的な作用へ無思考のまま流される状態にはやはり健康さを欠き、過去の知見から学び反省をもって生かすような周期が促進されて、適正な世界を作る事へ及ぶ。

クズのような盗みへの抵抗に及ばない人間性や資本主義の歪な運用は、近代からの潮流と負の側面として現代の欠陥と現れ、それへのストレスを自然に感じられる感性に健康のバロメーターが示される。これへ何も感じないようでは、人間自体の破綻を指し、この性格がますます進行する事から浮かぶ未来には、明るい兆しは起こされない。サイバー犯罪という事象はこうした性格を表す顕著な行為と特定され人間性の破綻者を見るに及び、物理依存の激しい性質や軌道の修正への契機や強化へと連ねられる。明瞭に犯罪者を特定し、現代の負を表す人間性への認識が強められ、大きな軌道の変化へ及ばせる為のプラスの機会と掴んで、前進性の力を作り上げる発想に人間の健全性が実感される。

悪性を看過せず一切妥協は見せずに、取り締まりを強化して犯罪者を明瞭に掴むことが第一歩に思われます。良好な世界へ及ばせるためには、肥満症との対峙から少々の血を流す事は避けられない。クズはクズでありそれ以上でも以下でない。捜査機関や各種科学技術分野と文化活動との密接な相関に及ばせ、実効性のある世界の健全化へと歩を進めたくご案内申し上げます。以上のように、コンセプトが次第に絞り込まれ、具体化の段階へ及ぶ事に思います。

さんざんチャンスを与えたにもかかわらず、正しい態度を見せられないようでは、もはや手遅れであり、容赦はいらない。