健全性と乖離事象

健全性と乖離事象

「妥当な方法を見出す」という点に健康な生産者の感性が生まれる。利益を作り利益を得る活動によって生計が成り立ち、この中で、思い描く理想を備えながらも現況に対峙して、理想に及ぶような方法を遂げたいという自己の欲求と、他者が思い描く理想との対峙をもって異同が確認され、両者の接点を見出して方法を投じて利益を作る事へ至る。この協働による生産性に現実世界が生まれ理想通りに行く事ばかりになく様々な要素を勘案して利益を作り出す事に責任ある立場の行為が生まれる。こうした一般的な生産者の皮膚感覚に対して、理想のみに執着して利益を作らないとなると、何ら責任を全うする態度になく、一過性の我儘や愚痴のような態度が現れる。評論事態に価値が生まれるものならまだしも、消費的な立場の気ままなクレームのような表現に及ぶと、健全な主体性の性格と外れ外界へ違和感を強め、付加価値を作りだす意識が弱い表現者の感性が出現する。外に見える物事についつい評価感覚ばかりを先んじて注ぎ、利害関係の弱い立場から勝手気ままな態度を見せる。気に入らなければ他を選べばよくいちいち文句を言う立場にはない。要求を出すとは何某かの負担が伴い権利義務の相互性において健全な相関が生まれる。この感覚が著しく外れたような権利意識ばかりが強く負担をしない一方向性に現代的なマスコミ病ともいう性格が現れる。評論の中にも何某かの効用感を作りださないと、ただ文句ばかりをつける態度と映り、「なんなの」という心象に及んで非常識な性格と映りだされる。少なくとも確たる基準を示して一貫性を持つ評価感覚であって何某かの見識めいたものが生まれ意見の交換が成立する。こうした焦点が健全性とその欠落を指し、平等思想をもって適当な要望と負担の相互性を作り上げないと一方的な要望過多のわけのわからない消費者性が起こり真面な交流へ及ばない。物理的な力への過度な依存から、どこか世間の常識と乖離した態度が強まり、思い込みの激しい偏狭な価値をもって他者を一方的に評価する肥満者の気まぐれが罷り通るようでは健康な社会秩序から遠ざかる。自由主義や社会主義などの個別性の思想を抱く以前の、基礎的な健全性が生まれて、相互発展的な建設的創造の交流へ及ぶ。健全性とその乖離という事象を平易に言うと、以上のような面と映し出される。これが需給関係の基本となる「価格と経費と品質」を作り込む公式を表し、要望ばかりが強く負担の意識が弱く過剰な品質を求める態度に世間の常識と離れた性格が生まれる。リスクを取らずにリターンを求める歪んだ精神性が現れ、フリーライドなどとも呼ばれ盗みや詐欺の慢性化した体質を表す。基礎的躾の範疇を指しこの基盤が揃わないと適当な心理作用が現れず関係の深化へは及ばない。

 

 

長期性の文化形成への道のり

人と人との在り方を主に社会思想が作られる。この範囲の事から出発すると、どこか人間ばかりの都合を表す態度に映り、地球との関係性という自然現象と人間の相関を謳わずには、長期的な観点を外し軌道の誤りを作りかねない。自然環境や地球とは、人間にとってどんな存在であるのか、この現況の姿を指す客観認識をもって持続的な共生や生態系を図る事に最上的な理念が配される。この基本的な対峙を根源に構え「自然と人間と道具」という要素へ展開し、そして、人と人の相関へ連なる構図が描かれて大枠的な全体像が生み出される。つまり、持続的生存という根本的な感性をもって、そこに現れる登場人物が、地球と社会と道具という生産を指しこれらの相関を示して全体の概念が形成される。自然と人間の共通要素は、「有機性」にあり限りある生命に本質があり、生命の存続には自然からのエネルギーを必要とする。一過的ではなく安定需給を得られるように長期性に連なる再生産の仕組みを構築して欲望と充足を満たす創造性が投じられる。こうした人間側から見る自然への要望に対して、自然は恵みを与えるばかりにはなく、時に脅威となって人間の人命を奪う正負を内蔵する存在であることが確認され一面的な欲求ばかりを突きつけるわけにはゆかず、自然をよく理解の上に人間の制御可能性を把握し許容性の限界を抑えながら再生産の方式を見出す調和策が求められる。人間の感覚が弱まるほどに自然から観測できる能力が弱体化し、危機の予兆を掴む能力が弱まって自然と人間との分断性が強まるほどに、予期できない危機に遭遇する。高精度の道具を開発して身体能力を超える観測能力を高めつつ、制御可能性が向上し生産性が高まって対価の蓄積が溜まり直接的な栄養吸収へ意識が回り外界への創造性へ意識が弱まると、観測や制御性が劣って開発努力への熱が減退し肥満な性質へ自然が襲いかかる周期が描かれる。こうした点を抑えながら人々とのより良い協働体制をもって緊張と緩和の優れた波長を形成して自然と人間の調和性の維持と向上を意図する基本的なあり方が描かれる。人々との協働的な生産体制を築くと共に果実の公平な分配において心理的な良質性が起こり、より良い生産への持続的改善の意識をもってエネルギーの投入と返還の適正な方策へ探求が進められる。自然という存在と同様に人も人へプラスのエネルギーを齎すばかりにはなく、時にマイナスのエネルギーを及ばせる。自然と社会の関わりと同様の構造である事が確認されて適正な調和を見出すための人間の在り方への問いと適正像が示される。このような根源性が掴みだされて基盤的な社会思想が作られ、万人的共通性の概念を構成する部分と各人の自由度を設けて個性的な思想が許容される。つまり健全性概念を根にして一定の不動的な原則の共通性を持ち、個人と社会や既成と新設の方式という二つの軸から割合感覚や志向性の相違へ及んで自由主義や社会主義等々の個性が生まれる。最上の理念からみて不動性の概念を抑えつつ内外環境の変化に照らし最良の方式を見出す発想へ連なる。こうして二大勢力の構図が生まれて相互の特徴が現れ各立場からの利害を衝突させながら最良性を引き出す協働体制が生み出される。当方なりの立場から大まかな心象で現況を見ると基盤的な不動性に問題が見られ根本的な面が基準に及ばず基礎が不十分であり個別の思想へ分ける以前の問題点を感じる事も少なくない。個性を表せる以前の基礎が形成されず枝葉の個性を表しても形骸的な様式に留まる。根本性が歪んでおりこれを正す発想に意識が向けられて一定の正常性を経るまでの段階に映し出される。一次思想と二次思想を行ったり来たりしながら土台が強められる事かもしれません。「欲望と力と責任の均衡」という主体性に健全性の目途が表され一次思想の人間像が描き出される。二次的な思想を作るに際してもこの標準像が不動的な主体性の良質性を表し大きく望むのであれば大きな責任が課せられる権利義務関係の基礎が作られる。この尺度から各所における実態の乖離を掴み是正して健全性へ及ぶ。この初動的な認識をもって一次思想の盤石性へ連ねる事が当面の課題に映し出される。二大的な勢力と対立による最良性へばかり意識を注がず一次思想との兼ね合いを見据えて盤石な基礎と分化の適正を求める構図が浮かび上がる。概ねの自然観や人間観について不動的な観念が揃い、確信性をもって根本的筋道を抑えつつ個性を作る事へ及ぶ。以上のような理念的な概念に対して現況が抑えられ方法を見出す長期的なプランの性格で文化論の立場からの表現が生み出される。独り善がりの理念では人間像に及ばず各所の人間性との対峙をもって妥当性を見出す創造性に健全な生産が生まれる。文化の立場においては、根本概念の普及促進を地道に重ねる事になり少しずつ理解や共感へと連ね先々への種を植える作業が生まれる。根本概念の整理されていない理論体系は、めちゃくちゃな心象が生まれる。見る人が見ると、あまりにも何ら考えが弱く怠けていた事が伝わる。出て来た学校などは関係なく、どれだけ真面に生産に身を投じて来たかで表現に及び、価値が測定される。

 

2)健康な生命観の維持と向上

2)健康な生命観の維持と向上

統治にはその範囲の事柄を適正に管理する事において内外からの正当な心象が与えられる。土地や海や空という天然資源に範囲を設けて独占的に支配するには自然環境への健全な関わりをもって一時の願望に寄らず後世へ向けて良質な状態を引き渡す意識が備わり持続的な人間生活を繋ぐことへ及ぶ。ただ欲張って広い面積を望んで有効な資源の活用に及ばず適正な管理が滞るようでは過剰な欲望と自然環境への無責任な態度を表し、自然や後世やその他の人々へ対して健全な感受性を抱きとられる態度とは見做されない。過剰な支配欲と至ればその力んだ態度を改め他の人に譲り生命をよりよく生かす発想へと及んで遊休資源や余剰資源を作らない発想が適正な態度と映る。統治の範囲はこうした原理をもって固定化されずに動的適正に即して変容させて自然と社会の良好な関係が生まれる。このような相関を根本感性と抱く態度が人と人との相関へ反映し社会秩序の土台が形成される。頂いたエネルギーを適正に用いエネルギーを産出する循環へ及んで自然な生態系が促進される。既に多くを持つのに有効に使わず更に他の物を欲しがる態度に生命観への重みを有さない粗雑な感性の醜態を見せられ、ここに根本的な人間性の劣化が映し出される。過剰なストックで利益を作らない創造性の弱まるフローの適正を欠いた肥満症と特定され正よりも負の影響を及ばせる。以上は、古くから社会の根本的な道理を示す因果応報等の自然律の具体的な現象面を指し生は滅を伴うという因縁生起の感性へ及んで適正な生を作るエネルギーへ転化して良好な人間性が宿される。

6)感受性と方法

健全な感受性が健全な能力を作る力へ連鎖する。人への健全な思いが適当な技術力の向上へ及び過剰でも不足でもない技術の向上と活用の制御性を生み出す。自己への過剰な欲求や他者への過剰な奉仕にもなく適当な脅威と恵みを感じ自他にとって良好な成長を意図する発想に良好な感受性や情愛が生まれる。溺愛のような感性は相手を思う感性とは少々異質であり長く良好な耐久力を作る事へと意識が注がれて過度な甘やかしの作法が控えられ自ら生産性を高める意識へ及んで良好な性質が備わり自立と協働の適正を生む。この直接的な観点と間接性の因果を見据えて構造的な問題などへと思索が進み直接間接の適正化という大局的な観点が起こる。局所的な面と構造と長きに渡る性質面をもって無理な力みに寄らない有用な創造へ連なり真価を遂げる。実現への執着が真に物事を成就させる納得性の高まる質の良い研究や活動へ及び一過性の対処策に留まらず根本的な解決へ及ぶ真理の探究に真なる感性が宿る。自己の側の不足を感じずに逃げた発想で場当たり的な施策を投じて満足される欲求は外界の利益よりも自己の側に重きを置く心理と浮かびます。逃げ癖の慢性化は、根元を弱め常識感覚に及んで自己を肯定して体質化され自己慰めの利己性と映し出される。自己で賄える範囲を適度に掴み自己にない力との協働に及ばせ、理念に相応する体制と実施で実現への軌道が進行する。自己と同じ能力を求める発想や、自己と異なる能力への尊重の弱さは意図するビジョンが曖昧でただ管理の欲求から画一化させ序列をつけて統治する事や、酷くなると何でも自己が作ったもののように盗んで使うようになり歪な欲求を目的にされる態度と映り根元の欠陥とも見做されかねない。物理性や権力が先んじて創造性が弱まると管理欲ばかりが際立ち、先行した判断に現れる。「どうあるから、何をしたい、こうすべきだ」というビジョンが生まれず、「ただ、支配したい」という願望からは中身が作られず自己生存の願望過多の態度と映り利他を作る意思の弱い健康性とは乖離し感受性の実態が現れる。「愛国心を持とう」等と声高に叫ぶ輩がしばしば現れる。「誰だ、お宅は」というのが率直な心象であり感覚的な質感から抽象的なビジョンへ連ならないと、どんな利益や効用、意義を意図するのか不明瞭であり、ただ単に何か優位な立場を志向して指図する態度に映ると強い違和感や拒否反応が生じる。或いは物理性の即効的な訴求を強める生産性も外界への利益を遂げる態度とは離れ供給理論の歪んだ生産者と映し出される。外界へ良好な効用を与え共感へ至って起案者と参画者との協働的な利益を実現する持続的な軌道が生まれて健全な相互性に及ぶ。わけのわからない管理欲求や物理志向は病気とも映りかねず物理依存が激しく健全な心理が伝わらない。妙な理屈をこねて優位性を意図する役人的な態度や、盗みや詐欺という手法に節操を欠く行為は歪んだ感性が露になる。権力欲の強い上昇志向と改善志向は似て非なるものを指し比較的容易に区分される。マスごみやその周辺で集る芸人や一部の歪みの酷い政治家や単細胞の財界人という類は健康な精神性に疑念が起こり、各種クレームと起こって良質性を前面に出現する力がスムーズに流れて適正な軌道が進行する。

9)自然現象と社会現象

国民の利益と人間の利益という対象範囲の広がりが起こる。地球という同一基盤に人々の意思で線引きをして、領土や領海領空という統治範囲が決められる。自然現象が基盤的な因果と繋がり、人工的な利益を意図して心理現象が図られる。こうした中で、国民と国民以外という制度上の区分と人間という自然現象で見る区分が生まれ、前者で規定した事柄と後者との相関を伺いながら、国民との利益と人間の利益という概念をもって、持続的生存と繁栄へ連なる方法を導く事が求められる。

国益ばかりに固執して人間の利益を喪失しては最上の理念を叶える方法へ及ばず、後者の点を踏まえて前者の立場を作る発想が求められる。国家という主体性の意思に、こうした要素が含まれて、他国の人々の利益を包含して自国の利益を追求する態度が求められ平和主義なる方針が設けられる。国境を超えた経済的交流の実態などが抑えられ、自他との適当な相関を導き、制度や法規、条約などが作られる。自然現象による他地域との相関と共に心理現象から生まれる外へ開く部分と中の循環を保つ部分とを鑑みて、利益概念と中身を作り利益を充足する方法が生み出される。こうした大局的な観点をもって、社会システムの実情を浮かび上がらせ、国境という限定に寄らない実際上の相関を浮かべシステムの最良性を遂げる事へ及ぶ。自然現象と心理現象という観点から自然と人間の適正な相関を作る道筋が描かれて健全な主体性が作り出される。政治という立場においては、しばしば国益への執着が高まり、他国との軋轢を深める事へ対して国民という概念ばかりに寄らない人間の利益という立場からの最良性を引き出す研究が進められて、教育や文化という領域からの知見を作り調和を見出す相互協働関係が生まれる。こうした要素を含み思想的な立場を形成する事へ及ぶ。偏狭な感覚が強まるほどに社会現象ばかりへ意識が向かい歪な欲求や方法を投じられる。自然現象との関わりが弱まる事から人間の適正が崩れ、恥ずかしい、ちいちゃい人間が生まれる。

事象解明への道筋

「事象を断定する」ことの重みが弱まると後で困る。どんな意図と確信を得て断定に及んだのか。この因果関係から表現者の人となりが現れる。

場所と時に相応しい、緊張のはり方が生まれ、比較的緩い所では、そんなに厳密な根拠をもって会話を作る事もなく、しかし人の利害や生命へ直結するような想定においては、確かな根拠の実感の作り方に焦点が集められ、一次現象を作る立場と、二次的な配置で想像力を働かせ推察する立場との違いや作法の適正が生まれる。他者への生命観が弱まるほどに、確信性を持たずに、安易な断定表現を示されると、表現者の根本的な性質への疑念が生まれ、その真相次第によっては関わりを遠ざける心理が働く。「なんていい加減な性質なのだろう」という心象が生まれて、どんな利益を意図して表現を起こしたのかへと表現者への真相を深める問いが生まれる。推察力や分析力や、欲望の起こり方という面から、表現者への能力や感受性の適正が問われる。或いは問題の真相を追求する契機の深まりへと及び、問題を作った当初の意図とは異なる二次的な展開へと発展する事も予測される。人々の関心が集まり、直接的な事象から間接性の因果へと広がり、当初とは予期せぬ真相が解明されて行き、真価を掴む事へ及ぶ。

正直な心持で良き動機を備えて健全な力を起こした人々と、歪んだ心根で、歪な精神性による創造性を投じた人々とが明瞭化されて行き、確かな事象の真相が浮き彫りになって、責任の所在などを問う事へ及ぶ。利益を得た人と被害を受けた人が特定され、それが正しい理屈に則った結果であるのかが吟味され、悪性の程度によってはエネルギーの再構成へと及ばせて正常化される。断定が出来ないように、様々な工作や悪智慧を働かせるという精神性も中には起こり、どんな所に問題の根を見るか、事象の深まりへと進んで、100%の事象へと少しでも近づくように多様な観点が生まれる。

多くの事象は、利益を得る立場と不利益を受ける立場が発生する。これが事象の起こる根源になり、意図する利益の在り方と入手方法への適正が問われる。予め規定された「してはならない事」を超えると言い訳が出来ずに、見えづらい人間の精神性の歪みが鮮明化される。外界に知覚される事柄と内面的な精神が繋がり事象の実態へ近づく。生物物理的な実感と心理的な実感という面を主にして事象を探り、真相真理を追求する事になる。クズな性質が次第に浮き彫りになり健全性へ改善する力が進む。生と滅の不可分性の原理を元に適正が問われる。

哲学や文化の起こり

感覚や感受性に実態があり、その中から言葉という観点の一部を取り出して事象を表す作業が生まれる。つまり、事象は前者の側を100%とすると後者で一部を限定することになる。この構造をどこか忘れ去られ後者を100%であるかの錯覚に陥って事象側との不一致を起こし事実とは違うという軋轢が生まれる。日頃、常識的に用いられる「事実や価値」という言葉の真相について根源的な観点を振り返り粗雑化される感性を蘇生させ、健全な性質を維持する周期が内蔵されて肥満な体質からの劣化を制御し健康な性格を図り確かな根本性の持続の上に良質な生産や創造、協働や共生共栄の世界が生まれる。哲学や文化という根源性を探求する分野の存在意義を指し、基盤が脆くなるほどに悪性事象が表面化する因果が確認され基礎基盤の適正へと意識が向かい良質性を堅持する作用に重みが生まれる。様々な歴史的な範囲の想定が描かれる中で長期的に変容しづらい人間の根本的な性質へ視線を及ばせ作り出した技術力に制御される流れを適正化し人間側の健康な意思が確認されて人と技術と自然の適正な調和を見出す発想から良好な調和が生まれる。一部の供給者による大きな影響力に対して受動的なまま制御される事なく確かな根源性が抑えられ、どんな人間性に適正を抱くか、不動性と変化との認識を持ちながら自己の側に軸をもって外界との適正を図り主体性が作られる。二次三次に加工された概念や生産の根源性への認識が弱まるほどに確信性が痩せ細り惰性に流れ取り返しのつかない体質へ嵌る懸念が起こって人間側を適度に作り込む事へ及ぶ。物質文明の正負の側面が確認されて物理従属的な姿への不適正を鑑みて良質性を作る哲学や文化という領域が欠かせない創造性に思われます。傲慢な薄らバカな態度は際立ち現れる。平和を壊す根源を指す。

2)長期性の価値基盤

根本性の思想を謳う中で最も重要な観点が以下のように浮かびます。真面な人間性を欠くと真面な対象とは思えなくなりそうした対象から何を生み出されても関心は遠のき視野から外れる。クズな性質を見せると平等感覚は喪失し下等な対象という自然な感覚がいや応なく生じ何も感じない相手となる。どんな世界にも一定のルールが形成され、下限的な決まりを外してまで勝利を掴もうとする態度には誠実性を欠いた性質が浮き彫りになり真面な競争相手とは見做されず蔑むようになり、同列的対等の感覚が起こらず残念な人という心象が強まり関わりが深まらない。こうした皮膚感覚が健全な人間性の根っこに備わり自然な本能と現れ誤魔化しようのない反応が生じる。真面にエネルギーを投じる相手にはなく対等には映らないと喜怒哀楽も起こらなくなる。純粋な感性が少なからず生き続け健康な精神性が持続する。平等思想とはいうものの平等には見えず下等な対象と認識される。盗み症や悪性の詐欺体質などが顕著な例を指し、誰もが一線を守るような決まり事を超えてしまうと真面な性質とは見做されず、残念な人という心象が生まれ糸の切れた感覚が作られる。これを戻す事は容易ではなくたぶん修復されず根本的な信用を欠く行為への重みが現れる。薬物に逃げるような感性もこうした内に入り、よほど改心して真面な性格に更生されないと人々の意識は切れたままになり正常に戻すには容易な道筋にはない。せっかく一生懸命前向きな力を投じ人々に喜ばれる存在に及んでも、基礎的且つ欠陥的な行為が生まれると一挙に信用が吹き飛び根本的な事柄への棄損は計り知れない損失を齎せる。下限的な信用基盤は長期的な価値となって人間性の根や柱を構成する。いくら前向きな生産性を投じてもここが外れるとプラマイゼロからマイナス増へ及んで視野から喪失する。利用の道具と割り切り相手にするか、極力関わらず健全な性質との交流を選択する事になる。何かの取引で修復される事はなくクズといると本能的な不快が湧き理由のつかない拒否反応が強まる。このような皮膚感が少なからず残って心理的な良質性を保つ欲望が生き単純物理性に嵌らない人間性が堅持される。性根の腐った者に力を与えると周囲一面に影響して瞬く間に腐りが浸透する。間違っても基軸的な配置には適当でなく、根本的な良質化の要件と浮かび上がる。

1)法か人か

「法による統治」と言われるものの、歴史的関係から貸し借り等が生まれ、杓子定規に適用できないのが、実際的社会関係の動的側面に現れる。多くの人々の立場は個別当事者性を持ち、相互の快不快や喜怒哀楽をもって関係が作られる。そして社会的影響力が増すごとに、一般尺度となる法律で規定されたことへと視線が及んで多くの利害関係者との調整尺度に用いられる。このような秩序形成の実像が抑えられて、個別性と共通性の概念が起こり、人工的画一性の法律と個別当事者の関係とに一定の区分けが生まれる。「あの人の言うことだから、従います」といった個々の自由な選択が許され、個別心象的な積み重ねから、判断への重みが人的な要素に配され、同じことでも言う人の違いによって判断が分かれる事が少なくない。ギブアンドテークやエネルギー循環の原理や因果応報という相互性から生まれる限定的個別の実感が根っこと現れる。人によっては「あの人からならば、もっと制約を与えてほしい」という個別心象が生まれ感情を根に起こる自然現象が発生する。人か法かでいえば人が先行される実際的な場面が生まれる。第三者的な立場と当事者性の強い立場との何れの判断を重んじるかの観点で言い換えられ利害関係の深い立場の意思が優先される。広く対象を想定すると一般尺度をもって公平に適用する公性に開かれた未来型の公平性が生まれ、相対的な個別限定性に絞り込むと歴史の感性が重んじられ法という一般尺度よりも人への心象で物事が作られる。歴史という個別具体的な関係の実感と理論という一般抽象性の尺度の違いが現れ感覚や感受性の実感と頭脳的な実感の性格の違いが生まれる。経済と政治の関係とも類似し、経済取引に個別当事者性が起こり、政治という面に制度や構造面の規定が現れる。即ち、エネルギー循環の原理を根に対象との相互性にベースが生まれ、個別具体的な多様な観点の実態を見据えた判断に動的連なりを反映した意思が生まれる。そして、必要に応じて一般側が作られ、それを用いる事も出来るという配置に法や理論、政治が生まれる。更に、政治体の意思を外側に向けて放つ場合は、個別具体的な相関による歴史をもって自然な意思が作られ、政治的集合体として共通尺度を必要に応じて作られ個別をベースに必要ならば一般側が用いられる。当事者相互性の間で問題が発生した場合に一つの解決手段として一般側が用いられる。頭ばかりが先行するとこの一般側ばかりへ意識が向かい個別現場的に作られる感覚や感受性が軽視され、どこか違和感の強い一方向性のエゴを通す手段として法が利用される。人々の肌感覚で作られる常識を土台に生きた実際の感性と交流に及ばせる態度が自然であり人口性の型枠は抽象集約の単純模型であることが確認され適切な秩序を構成するあり方が生まれる。あまりにも常識が狂っていると見られれば一般側を用いざるを得ず人的個別の態度から適正を探す事へなる。弁護士が妙な法的技術に偏して当事者の関係を掻き乱す事が少なくない。客の為よりも弁護士の利益を意図して法を根拠に利益を煽って当事者の歴史を破綻させる事も散見される。クズな政治家、弁護士、マスコミという特徴が、こうした点から浮かび上げられる。それに乗っかるクズという点も併せて視野に入り、人間性の実態が明瞭化される。

 

歪な需給関係

普通、人々へ何某かを求める際には、何某かの利益を与える関係において、要望と効用が整い、エネルギー循環の適正が生まれる。この基本的構図が崩れていると見れば、一方的な要望を勝手気ままに表す態度に見受けられ、多くの人は何ら呼びかけに反応する事には至らない。需給の寡占的な構造をもって、供給に強い力が生まれると、この一方向性が事実上生まれ、一方的な強要に狭まれる。需要者は選択の幅が少なく、致し方なくそれを受け入れ反応するよりなくなる。要望と効用のバランスを欠いた健全な需給や相互性とは離れ、歪な精神性が深まり、欲望と力と責任の均衡を崩す事へ及ぶ。

フラットな相互性から、呼びかけの適正な態度は、「私はこう考えます。良ければこの考えへの意見を頂きたい。」という方式において、呼びかけ人の考えに論評するに値するという効用感が起こって、そのお返しに需要側からも何某かの有用な意見を提供するという相互性に健全性が浮かび上がる。

「ただ、意見をください」という態度に、歪んだ精神性の実感が起こり、「なんで?」という反応が生まれる。この感覚にないと、どこか傲慢性が映り、寡占的な構造と体質からの歪な態度とも見做されかねない。こうした、行為に及ぶまでの過程に、十分な働きを提供したという自負や相手の心象があると、少々省略的に、フランクな要望と対応の態度が起こる事にも違和感が少ないものの、十分な働きが見られないとなれば、「まだ勘違いが激しい」という心象が強められる。少なくとも真面な意見を投じる人は稀でしょう。

呼びかける人からの基準が示され、こうした中での共感や反対という有用な気づきに及ぶような評価や方法論を得るエネルギー循環に、適正な調和が形成される。ごく自然な社会常識の範囲になり、貰った分と同程度のお返しを図る自然律と現れる。

妙なエリート意識が強く、外界からの効用の実感とのずれを生むと感覚が一致せず、独り善がりの態度と映り、結果を経て学びに回るか、寡占的な立場から物理力をもって修正へ回らないとなると、歪性が残存して、健全性へ向かわない。頭に過度によった性質にしばしば見られる一方向性の強欲な姿に、醜態が起こり、自然な浄化作用が進んで、適正化される。民間の需給感覚と大分離れるお上の姿は、本心からエネルギーを送るには至らない。準公共的な報道機関や大手の寡占事業などからの歪性が固定化すると、どこかで大きな失敗を経て、組織改革や体質改善を持ち、筋肉質な感性へ修復されて、健全性の循環が進む。

特異な成長過程等から、エネルギー循環の適正を欠き、物理力に縋った関係へ重心を持ち、生身の適正な交流という真摯な対象との対峙を経て、次第に薄らバカの自覚へ及んで、健全化される。自覚症状の弱い盗み症という根本性の皮膚感の被害は、深刻な社会現象を指し、構造的な欠陥に切り込んで、真面な個別事象へ連なり、性質の適正へ回る。

妙な公募を出す事はなくなり妙な勲章も不要になり、権威の失墜は根本的な不信を増幅させ、求心性は喪失しお飾りの関係で留まり形骸化が慢性化すると根本的な悪性が作られる。長期利益の破壊は計り知れない損失を生む。これらの根本原因が物理依存症を指し健全な感受性の喪失した社会秩序と現れる。

長期的な皮膚感覚としては、国家や国旗へ敬意を示す態度は、ごく自然な発想と思われますが、時々の政治行政等への不信が高まると、国家や行政への対立的な意識が深まる事も自然であり、妙な押し付けという意識へ傾く。クズな政治家を選べばその付けが主権者へ回る。

内心の公開と定期診断

文化の観点から浮かぶ、社会の良質化策が以下のように描かれる。反日や親日という思想的な観念よりも、金になればどことでも組むといった経済人が節操のないあらゆる手段を用いるように伺えます。個々人の資質的な問題に限定される。まだ、反日や親日という歴史的な心理を根にした皮膚感覚があるだけ真面な方で、深刻なのは、物理的経済性でどっぷり嵌り、手段を択ばず金をとる性格に伺える。これに至っては感受性の破綻者となり、物理感覚で慢性化された体質になり、根本的な欠陥を背負い、力を制御する能力がなく、ただ力を利己性に用い金を集める事に意識が注がれる。

国家的な歴史で見る根の深い心情的な遺恨といったものは、こうした物理慢性化の性質を持つ人々に利用され金を集める手段にされる。根源的な人間性の破綻者という性格は極めて少数に思われ、ここからの影響が二次三次に反映し拡大され、予備軍や共犯者が生まれる。力の根源的な起点を特定し、そこを抑える有効な手立てを投じる事に、悪性の事象を予防する観点が起こる。下っ端を相手にしてもきりがなく、根っこを掴んで、悪性を留める事において人間性の下落が留まる。

思想などなく、ただ物理反応で占められた体質にあり、これは根本的な破綻者を指し、権力をもって淡々と対処する以外にないのでしょう。権力を担う立場においても、こうした性格が入り込み、権力の適正な行使へ向かわず、物理反応に従う面々も恐らく少なくないのでしょう。「どんな人間性を志向するか」この面について、打ち明けさせることが、重職に就かせる上での必須の要件になり、この考えも示すことが出来ないとなれば、テーブルに乗せては困る。政治にかかわらず、上場企業の要件に挿入し、定期的な診断をもって資格を更新する等、定常的なシステムに組み込まれて事前型の予防が生まれる。

この観点から有用な知見や観測に従事させ、司法的な枠組みとは異なる純粋性の原理と適用と公開の仕組みが進められて、根本性の破綻者を発見し、周知させるような取り組みも、必要に考えます。

人間性への関心が及ばず、ただ物理感覚というのでは真面な倫理や自律など働かず、「金になれば何でもよい」という発想と手法へ流れる。少なくともどんな人間を志向するか、大きな影響力に及ぶほどに、一定の内心面を公開する義務が生まれる。そして、内心と外観の定期チェックの作用が常設して緊張を保つことに及ぶ。社会システム上の各所に、このような関所が設けられて、事前予防型の強制装置を嵌めて、堂々と公の立場を保つような仕組みが進んで人間性の劣化への有効な方法が生まれる。人間への問いと答えをある程度持たないと、物理感覚で慢性化する。政治権力者、行政人、財界人の中でも、大きな要路には必須の定期審査を課すような事も社会の要望の一つに思います。