社会の中長期周期で映す観点

上限並列という構造感覚が作られ、領域という範囲の実感がどことなく生み出される。それを鮮明化して管理したいという欲求から、領域を表す観念が付与され、個々の違いに統一性が作られる。その全体に一つの生きたい有機体を抱き、個々の細胞が一つの意思によって制御される。積み上げ的な因果の形成から次第に纏まりある一体性を抱く過程を表す。トップダウン的な一体性を形成するアプローチは、まず領域の意思を設計し名称を当て、それらを構成員に下すという力を強く進める過程を指し、個々の自主内発的な歴史の経過で生まれた心象や認識よりも、人工的なシステムの最適性を抱き、ごく限定的な設計者による機械的な体系を描き出される。根元の感受性と合理的図式との分断性が現れやすく、時と共に次第に抱き作られる自然形成過程による流れとは若干異なるアプローチを生む。

外界の環境変化から、内部の求心性が弱まり、脅威的な環境への心象が高まり、より強い組織体を意図して、大枠や大局からの整合性を高めて外部への強い発信力を意図する際に、歴史的な過去の規則性を作り直して、全体としてのパワーを高める作業が生まれる。右肩上がりの成長ステージには、特段問題意識が強まらず、日常の感覚をあまり変化せずに、同様の規則性をもって環境との調和が図られるものの、競争の激化と及んで、新たな規則性や理論を打ち立て、生存への適正を作り出す機会が発生する。

小さな問題意識が生じながら、次第に待ったのない変化へ狭まれ、大胆な改革を強いられるか、小さな問題をある程度の所で、受動的な反応に寄らない自主内発の改善をもって、少しずつ変化を見出すかの差が起こり、問題へ蓋をして先延ばし、各自が利己的な判断を優先する程に、組織全体の力は弱まり、大きな変化を余儀なくされる。利他の意識や全体の利益という感覚が弱まるほどに、こうした事態を招き極端なトップダウンによる最適性を計ることなしには生存が途絶える未来が予測され、致し方なく大きな変革を執行する事へ及ぶ。日頃から体質となり作られた発想や論理の傾向や行為への性格が、基盤的な感受性と作り出され、利己性の強い体質や利他への志向とこれらの割合や相関の作り方に現れ、上述のような問題との対面と対処の仕方に違いが生じる。

組織が作り上げる物事の性格や、需給構造の規模や質によって、組織の感受性の性格に現れ、組織員の性格が生まれる。協働的な連携による製品サービスの産出か、個々人の分断的な生産性や特殊技術力による産出といったアウトプットの違いが組織形態に反映し組織の意思の在り方と掴み出される。健全な技術の積み上げ的な改善を持つ規則性と、盗みや詐欺の性格に近い規則性等の違いと現れ、生産性や人間性の質が生まれる。後者に及ぶほどに、人との上下という感覚が強まり、単純な尺度による優劣性を抱き、対面の作法に現れる。前者においては各種工程における各自の能力への尊重と協働感覚が生まれて、上下というよりも並列性の対話感覚へ至り、人との関係に現れる。何を作るかが曖昧になるほどに、単純な変数による力関係へ流れ、心的な健全性は劣って物的機械性の方程式を内蔵される。

法による統治や原理による制御というよりも人的恣意的な属性に従属する感性が強まり、単純物理原理で支配される秩序が形成される。「盗みをやってこい」といわれれば、そのまま従うより自己の生存の道はなく、個々の真面な性格は作られない。この世界を望むか、各自の生産性を磨き技術の向上を求めて、心理的倫理や道徳を重んじる生産体系を築くかの、欲求の違いが作られる。楽をして糧を得る体験を得ると、真面な感性が壊れ、利他より自利の性格を強めた人間性が増進し、モラルの破綻と体質の悪性が積み上げられ、犯罪体質で慢性化する。どこかで取り締まられて、根本の感性からの変化を強要されて、真面な発想や体質へと修復され、健康な軌道へと及ぶ。この自然循環性をなるべく壊さない事が、根源的な原理となって、文化基盤の良性に及ぶ。クズな性質の領域が蔓延ると、悪影響が広がる。

直接間接に、盗み体質が常識化して、利己性の強い一過的な発想や手法で糧を得る生産構造が強まり、社会の崩壊を招く。法律を恣意的限定性の利益を遂げる道具として作り人口性の秩序で制御し、利益を得る容易な方法を採用される。愚図な性質は物理性の用い方に現れ、外への利益よりも利己的志向に力を当て力による制御性を進める。政治、マスコミという領域に現れる生産性や人間性が、明瞭に掴みだされる。クズは連鎖し、これへの抜本的な最適性という構造への変化に着手しないと、破滅的な問題の先送りが重ねられ、歪な構造や性質が深まる。

欲望過多で利益を作らない悪性へ及び、物的弱者から盗む生産が進む。悪い意味の力の固定化に及び、愚図が愚図のまま生き残る。このような長期性の観点が備えられて、局所事象や構造の在り方を適正に認識し、問題の序列感覚を持って適正な改良への力が進められる。淡々と、良好な法による取り締まりが進められ、下限的な躾の水準を向上させて、積極的生産の基礎が起こり、より高度な生産体系へと更新する実施工程が生まれる。良好な旅を遂げるには、逃げられない工程が生まれる。妙な偽善の線香臭い集団なととは切れて、健全な性質を中核にして、腐りの連鎖を断ち切り、真に健全な文化への道筋が生まれる。

未来型の社会ビジョンが形成され、問題や好感事象が鮮明化される。中長期の根本原理を基に短期性の事象への性格をつけ、適正な対処策や有るべき基準が設けられる。クズは逃げられない。

5)社会システムと文化システムの内臓

教育・文化は、純粋性の原理を形成し、訴求する分野の性格を持ち、自然の原理や社会の適当なあり方を表現する場であると考えます。理想概念を純粋に作り上げるという立場の性格を持ち、そこに意義が見出される。長期的な観点からあるべき理想を謳い、中期や短期的に見る人間の歪みを正す作用をもって、当該領域の真価が謳われる。実際的な社会においては、各種の利己性が剝き出しになり、短期的な利害の側面がしばしば顕在化される。経済や政治という領域で見る生産性はこの性格を持ち物理的な原理が強められる。これの行き過ぎに教育文化面からの表現が適正化への作用をもって、各領域の違いが衝突して、軋轢を持ちながら程よい調和や制御と働く想定で描き出される。各分野の優先的な発想は少々異なって違いに意義が起こり、領域的な違いとなって、経済や政治や教育・文化という異なる名称が付与され識別される。このような領域と領域の相互性で描かれる社会システム概念が形成されて持続的生存と共存の適正な軌道が作られ、方法的な概念として配される。最上の理念に、「持続的生存と共存」が浮かび上がり、現況の利己的性質の深まる傾向に対して、教育文化の長期的利益の立場が適当さを齎し、過度な衝突的な利害を緩和させる相互性が見られる。この違いと衝突が現れて意味があり各領域の健全な対立と起こって、調整作用に及び適当な人間性が作り上げられる。あまりにも理想へ偏した概念であっても適正を欠き、あまりにも物性が進んでも適正を欠き、両面の程よい調和を見出して、長く続く社会の持続性へと連なる。こうした認識が揃うと軋轢や対立に健全な態度の認識が現れ、過度に衝突に過敏反応を起こして、体裁を整える為の歪んだ手法をとる事へも及ばず、自然な動的状態と把握される。妙に同一性を求めて違いへの不快反応へ及び、混沌性を平準化させる発想へと向かう免疫力の低下は、真なる利益を創造する感性と外れ、自己領域の価値観へ偏した態度へ及ぶ。視野が偏狭化して違いへの寛容性が狭まり過度な操作性へ流れる事へも利益を作る軌道と外れる。どこか、波風を立てずに無難に済ませようという感覚が強まって健康な衝突への免疫が下がり、直接的な対立を避ける態度が進む事には健全な創造性は高まらず、各種領域における特徴を抑えながら、違いへの尊重と摩擦と発見の構えが置かれて適正化する。規格量産化やサラリーマン化や分業化の弊害とも映り、根本性の概念が痩せ細って、枝葉の対立に妙に過敏なヒステリーを起こし、利己性を求める現代的な事象への認識が生まれる。このような背景からも大局的長期性の概念図が起こされて根元の感性の同一性への厚みが形成されて社会システム概念という全体像が有効な方法と描き出されて各領域への違いの寛容性や尊重性や相乗効果への認識が生み出される。線の細くなった人間性に基軸の論理が強化されて枝葉の衝突を良い作用と進行させる事に適正が生まれる。直接性の対立を避け痩せた免疫の低下が歪んだ間接手法を多用し陰湿な人間性に及ぶ事のない堂々とした根の太さが生まれて過剰にビクビクした反応が沈静化する。空の面子へ拘り真価を遂げるエネルギーが弱まる事には良質な創造性を下落させる。こうした論理がいくらか起こっても自然な範囲に感じます。必要以上の裏工作や根回しを図る態度には健康な性質を歪め、堂々と表で裏表のない感性を表し健全化する。このような志向性や感性が内蔵されて社会システムの中に文化システムが入り理想と現況と方法の活動性に深みある認識が作られ妙に隠蔽的な発想や閉鎖的態度や内向きの手法や事なかれ主義に陥る事なく適正が作られ長期的良質性へ及ぶと考えます。

 

 

文化システム形成の道

構造の適正基準と誤差の認識が現況状態の把握を指し、この認識が測られずに、場当たり的一過性の表現をなされても、統制の弱い生産者と及び、責任感覚の備わらない付加価値の測定が曖昧な活動に至る。有る領域に対して、自己が賄う活動の主要な役割が認識され、基準と現況を掴み、基準へ向けた施策を考案し投じる規則性において、活動と活動内容の実態が表される。全体性概念図に対して、自身の生産性がどのような性格にあり、社会への利益にあるか、理想的な姿と現況を抑え、自己の認識と外からの評価をもって、適正かつ健全な需給と社会の形成へ及ぶ。全体概念に配される、経済や政治や教育という領域と領域間の相関について、ある程度の認識が起こり社会のマクロ概念が生まれる。そして、経済や政治と教育という各分野の割合や役割への認識へと測定や思索が進んで、自己領域との相関をもって、上位概念と並列的な構造感をもって、外界と自己の認識が生まれる。領域に対する自己組織の性格が抑えられ、組織内での自己の配置を持ち、組織の協働的活動へと展開される。社会のマクロ観を作る前段に、自然と人間の在り方やエネルギー循環や生態系への思いを馳せて、自然と人間と社会と自己組織と、組織内での配置という認識を整理して、理想と現況と方法のサイクルを回し、根本理念と整合へ及ぶ力の投じられ方へと連なる。このような活動の体系へと展開して、真っ当な感受性を備えて正攻法のエネルギーを発して、積み重ね型の改善を図り、地に着く感性と人間性が作り出される。直接対象との相関と間接性の因果へと思索を及ばせ、局所と構造とシステムへの連なりを抱きながら、自己の性格を掴む事へと及ぶ。確かな社会的意義ある活動への認識が生まれて、精神の安定と健康な力を投じる活動者へ及ぶ。歪んだ精神性と犯罪への着手は、こうした真っ当な創造力への力から外れ、安易な方へ楽な手法に流れる人間性に起こり、各種の負の影響を内外に作られる。その負が連鎖してマイナスの性格や負け癖の文化へ連なり、空間の性格を下落させる。とりわけ社会システム上の要路となる影響の大きな配置に、お粗末ぶりが強まるほどに、その性格が連鎖して辺り一面の常識感覚を作られる。配置とそこで求められる能力と報酬のアンバランスを適正な基準をもって是正する持続的な改善の動きにあって、健全な性質と共に、局所事象と構造とシステムの連動と実現の軌道が生み出される。何ら考えも弱く、あるべきビジョンへの探求も至らず、社会観や自然観や自己の組織観や組織内での役割という認識が備わらないまま、寡占的構造に甘えて盗みや詐欺の性格を作り、クズな人間が居座ると、辺り一面がクズになる。頭ばかりに偏して断片的な知の量を持ち、何らビジョンの形成や問題意識に及ばず、集りの習性を作り、社会のお荷物が生まれる。構造的性質的な劣化の程度は、こうした認識を客観的に表し、現況の活動を掴んで、どんな利益を作り上げているかの自覚へ及んで、適当な自己の認識が作られ、態度に反映される。自己の過剰な評価や過剰な報酬にないか、肥満な性質に陥っていないか、上述のような点を丁寧に紐解き、概念と実際を把握しながら、自他との適正を作る軌道が強まる。

逃げ癖負け癖は、正攻法の探求から外れ、根の弱さを鮮明化させる。感受性の質の下落に及ぶ科学技術や財力権力という力への過度な依存症から、力の適当な保有と利用と離れた制御不能性が現れる。人間側の弱まりへの認識へ及んで、人間側の生身の感受性を基礎にもって各種力との適正な関係が作られ、真に利益になるエネルギーが強められる。文化の旅は、苦楽と真摯に対峙し決して横道に逸れない強い意志によって作られる。確たる人間の強靭な性格が不動的基盤と固まるまでの長い道筋が生まれる。各種世界観の形成や深まりへ及ばない物理的即効性への快楽主義は、人間の破綻にあり、配置や役割への認識の形成や現況の姿を掴まずに、一過性の欲求で物事に関わり盗みや詐欺の性質を蔓延させる。クズな仲間で傷をなめ合い、弱い立場につけまわすような醜態に及ばない健康な性質において幸福感を掴むに及ぶ。ボンボンや肥満症への適切な感度をもって、健康の維持と向上に及ぶ常態的な文化システムの形成が不可欠に思います。

価値の序列感覚や体系の適正

英語が国際社会の公用語と使用される。しかし、文化や哲学の所見が整わないで商売の原理に留まると中身のない英語によって文化的な要素が含まれず、短期利益に偏した一過性の性格が進む。根や背骨のない枝葉の性格が作られ優先順位を取り違える。通訳を使えばよいだけで、自己の中核的価値の源泉に重心を持って外形を装飾する事において健全な秩序の交流が図られる。この序列感覚がどこか可笑しく編成され、一言目には英語という辺りに精神の歪んだ性質が実感される。三流ビジネスマンならまだしも、政治や教育界にこの手の常識が進行する事にあっては、頓珍漢な感性が際立ち、教育の誤りと指摘される。こうした点から根本的価値の適正化を図りごく自然な常識へ修復し価値の適正化が進んで根の良質性へ及ぶ。たぶんこうした論理に大半の賢明な大人の常識が生まれる事でしょう。一部の特異性が妙な論理を強調し根の崩れた常識を顕在化される。広く公のスペースで価値の序列への適正を問えば、あまりに薄らバカな態度の自覚へ及ぶものと思われます。閉鎖空間で特殊性を推し進め歪な欲求を押し通す内向な性質を覗かせ妙な正当性をもって歪んだ利己性を求める様子と映し出される。地に着く生産者の感性とは離れ精神的な成熟に及ばない子供の姿と実感される。外国の文化を先んじ自国の感性が育たないまま商売オンリーの発想へ偏り、自律的な尺度を形成されず日本の良質な性格への認識を備えないと恥を晒す悪性と見做され中長期的利益の損失が起こされる。何が先んじるかの序列感覚に適正を欠き人間の根本性を破綻させる。

健全な生産者から見ると、文化を先んじない性質はかなり特殊で異質性を指し、これが主流を作るようでは従属的な受動性が進行するばかりになり物理感覚で支配された欠陥的な軌道が強まり損害事象が遠からず発生する。単細胞化による弊害が強調されて妙な常識へ及ばせない賢明なインフラ作用が重要であると考えます。他文化の悪性を悪性と識別するだけの基準尺度が整わず負の浸食がすすみ根の劣化が散見される。バカが得意になって英語を話す態度は醜態と映し出される。

 

1)過去・現在・未来と適正な動態観

過去の歴史を丁寧に追いながら記憶と入力し、時の分断性を作らぬような作為をもって、人々との違和感の生じない過去と未来への行為が進む。しかし、ただ、個々の記述をそのまま掴むだけでは、進歩や発展的なエネルギーの弱い姿と映り、適当な理想像を形成しながら、それへの阻害要因と伸長要因を見定めて、現況を掴み方法を投じる循環において建設的な物事の生産性が強められる。こうした基本的な歴史観が起こり「理念とビジョンと現況と方法」という活動の概念図が形成され根本的な欲求と充足を実際的に経ながら反省と学びの周期をもって生きた知見が積み重なり理想像へ反映される大きな枠組みが描き出される。過去へばかり軸足を設けずに未来創造型の前進基調に人間の生産性を向上させる焦点が強められ、エネルギーの発生と返還の規則性を形成する事に動的良質性を有する健全な性質が宿り、ストックとフローの適正が生まれる。過去の知識も、新たな経験から有用な発見が起こされ更新されて、健康な感受性に基づく人々の活動過程が生まれる。対象から様々な感性を抱き心と体と頭の有機的な運動と現れる状態に価値が生まれる。何も感じず、何も動かず閉鎖的な守りの構えからは人間性が錆びつくばかりに至り生命への尊い質感をもって生かすようなエネルギーへ転じて健康な精神と肉体が映し出される。静的感覚よりも動的な観点が強まり過去よりも未来を向いてエネルギーを投じる活動性から各種正負の知見が作られ生きた財産が積み重ねられる。歴史と理論と実践と改良の規則性と纏められ視線の向け方や軸足のもうけ方の適正感覚を作り健康な人間性が生まれる。頭ばかりの作業性へ偏り対象からの感性が弱まって方法的なエネルギーが起こらないと生きた知見が得られず失敗も成功も有用な無形の財産と見做される。頭ばかりがでかくなり妙な精神性を宿した状態から不健康なエネルギーを発生しプラスの感性から外れた負を作る欲望過多の性質が顕著に表れる。抜け道や小手先、なりすましという詐欺や盗みの常用的な体質へ及んで、一過性の喜びへ向かう小さな人間性で固まり根の細い歪な体系が作られる。以上のような動態観が標準と描き出され横道に外れず歪んだ性質に陥らず健全性の持続へ及ぶものと思われます。理論やビジョンを創造して仮説を描き試す周期性に基軸や重心が定められる。ボンちゃんは、とっとと金を払え。見苦しい。

思想の形成

以前は「核兵器をもって独立的な意思が作られる」という認識が少なからず生まれましたが、現況のデータも十分にないまま、とてもではなく確信的な判断などに及ぶ事はない。この観点から永年従事されてきた人々の専門性にある程度お任せするのが、一般的な生産者の適当な立ち振る舞いを指し、しかし、実務者がどのようなデータと将来予測を起こし現在の姿へ及ぶか或いは未来の態度を作るのかについては恐らく多くの人は深い利害関係にあり知りたいという願望が生まれても自然なのでしょう。知りたければ実務者やその周辺へ足を運んで真相に近い情報を得る行為が生まれる。そこまで到底余裕はなく自己の生活を切り盛りする事で手一杯というのが大半にも思われ現実は遠くから実務者の賢明な判断に委ねる事や祈る他ないというのが実際にも思われます。個々人の立場でそれなりに思いを馳せ、「こうしたら」という発想も起こるものの片手間で適当な判断など作る事には及ばず少し余裕が生まれれば真相に近い所へ足を運んで確信に近づく情報を聞くくらいか実務者の立場へ身を投じて全エネルギーの投下によって最良の判断を作る立場へと近づく。大衆の立場で「良くそんな事を断言できますね」という表現が少なくなく、「根拠は?」と尋ねるまでもなく気まぐれの範疇と察しが付く。普通に考えるとこんな感じ方に適正が起こるように思います。本書は思想の形成という生産性を主にし理想概念の適正へ探求が進められます。純粋性の論理を作る立場になり現況認識とは離れた真空的な概念の性格で現れます。しかし、こうした志向性を作り伝達する行為からの効用もいくらかあるものと感じます。現実世界の人々への意識へ少なからず進んで向かうべきビジョンの性格に含まれて方法的な色合いに及び現況の良質化へと作用する因果の形成も自然な実感と考えます。

 

1)自然と人間

家庭菜園等からも身近に植物との関わりが生まれ、自然の成長と触れ合いにより多くの生きた知見が得られる。自己の健康上の良い時に抱く美観は、枝葉の生い茂る樹木の樹形よりも、間引きがされて程よく枝葉の剪定が取られ、風通しの良い状態と実や花が咲く姿に心地の良い外形美が映し出される。自己の心理や生物的状態を映す事になり、単純な外観に留まらず生物の動的状態にまで感性が進んで動的快適を感じ取り、深みある美を抱く事へ及ぶ。其々のパーツが生き生きとそれぞれの特徴を見出すには、無秩序的に生い茂る状態よりも人が程よく手を加え基幹部分と枝葉や実に見る適当な割合感覚が図られて、且つ、実が大きく美しく咲く作為が生まれる。つまり大きな全体観とアウトプットに見る関心のポイントが置かれ、実へ栄養が行くように無駄な枝葉を落として意図する結果を作り上げる事になる。限られた栄養の中で如何に最良性を見出すかという合理性が働き全体的な因果の相関を察知して適当な施策を投じる事へ及ぶ。更に欲が出ると植物間の相関へと視線が伸び、椿の木と隣のバラに見る最良性へ考えが回る。どちらの方が、奇麗か、両方を奇麗に映すための適度な構図を探し全体図面が拡大し中心の焦点が変容した全体観へとシフトする。このように単体植物に見る全体図から根と幹と枝葉と実の相関を浮かべ、さらに隣接する因果の実感へ伸びて構図が変わり中心の焦点へも反映される。自身の健康状態から物事の実感の変容が生まれ見る側と見られる側の相関が所与の条件と備わり、人間の側に物事の起点が生まれる。不健康や肥満症へ陥ると繊細な感性は下落して一過性の効用に限定した美観に留まり深く広い因果の実感や多様な観点を起こす余裕も現れず、ただ量的なボリュームを意図した単純性の強い構図で留まる事かもしれません。暖かい気候が人間の活動性を活発化し、外へエネルギーを放ちより良いエネルギー循環を齎せる。冬から春にかけて次第に体の血行が良くなりエネルギーの動的活動性が進む。夏にかけて植物の盛んに生い茂る状態への予測が起こり、それに備えて枝葉の剪定をもって準備が整い夏場の姿に現れる。善し悪しは、種を植える時期や樹形を揃える時期にありこの適正によって成果の7割から8割が決まる。下準備や段取りの良さが結果のよさへ連なる枠組みが広がり因果の間接性の概念が作られる。短期から中長期という時間と空間的広がりの周期性を予測して制御性を生み知と実際の検証から学びが重なる。「自然の摂理」等と人は言う。社会の原理へ学び吸収され体に浸透し調和性の高い世界に快適を見る美観が生まれ自然と人工的作為と人間の美観のハーモニーが奏でられる。美を感じ作る持続的生態系へ及んで波長や基調に見る快適が生まれ構造と動態の適正感が作られる。春は、衣替えの時期になる。決算を迎え総括し来季への方針を固める時を指す。この善し悪しで一年の活動が見える。正負を特定し正は伸ばし負は切り取る判断が求められる。変わらぬ美観と中期や短期の美観の構造をもって生滅不可分の良質性への判断が投じられる。人間世界の生きたアートが出現する。

 

健全性思想

7)健全性ビジョンと再生産体系

感受性を強要するような事は基本的に可笑しく喜怒哀楽が生じるのは、エネルギー循環の適正感覚を元に過不足へ対して個別当事者間で発生する。例えば、饅頭をあげて、その代わりミカンを返す等という事物と交換における適正感覚が元になり、「嬉しい、悲しい、普通」という心象が生まれ人へ対する好印象や悪印象が形成される。この交換と適正感覚の共通性と個別性が生じ、様々な交流と交換の繰り返しから次第に適正感覚が起こり、「普通や正常」という基準が生まれる。価値の序列としては、生存への欲求が最上位に配され、生命の危機に対して助けられた等の事象に最も重みある交換反応が起こる。こうした稀な事象から定常的な再生産の協働関係におけるエネルギー投入と成果の産出と分配の適正といった交換へ及び蓄積が溜まるほどにエネルギーの発生が減りリターンが減少する傾向に、健全性のポイントが生まれる。生活水準の下落への苦痛からエネルギー投入に対する過剰なリターンを求める反応へ流れて、要望過多の性格へ陥り、外界との適正な交換感覚が崩れ外界からの悪印象が積み重なる。公平な感覚が崩れ真っ当な利益を作る力を投じず、安易な手法による糧の入手や歪んだ精神性による不正な行為へ着手し健全性の下落するスパイラルが生まれる。感受性の起こり方が変質しエネルギー循環の適正を崩し、万人的な制約への制御も効かず犯罪を発生させる。盗みや詐欺の性格が強まる糧の入手へ走り慢性的な性質の劣化へ及んで、何某かの失敗が明るみになって抜本的な性質の変化への機会を経て正常化への周期へ回る。生理的仕組みによる感覚的な欲求をベースに、人との関係上における交換と適正のエネルギー循環での感受性が発生する変わりづらい人間の仕組みが浮かび上がる。このような法則性が抑えられて、どんな欲望を意図するのか、何に喜びを抱くのか等へ立ち返り、あるべき人間性への問いとビジョンが作られ標準像と制御を図る発想が進む。こうして「欲望と力と責任の均衡」という尺度に健康な精神と肉体を測定する基準が生まれ自然や人や道具との相互依存関係の適当さを発想し、過度な一方向性の要望を強める事のない適当な調和感覚へと思索が進み肥満症からの脅威の回避と予防へ連ね、適当な恩恵を受けられる健康な主体性を作るに至る。影響力や規模が拡大し利害関係が広がり多様な調整や対処を求める外界からの反応が増加する。適当な要望と対応をもって管理能力が備わり主体性の生産性への理解や許容に及び存在が持続する。集団としての主体性の意思と構成員の感受性とがあまりに乖離すると外界からの期待と対応の齟齬を生み感受性と体と頭の連なりの弱い集団への心象が強まって社会的な問題事象の認識が高まり、規制の強化や自己改革などの契機に及び適当な主体性を作り直す機会を持つ。自然への過剰な要望や社会への適正の欠如、道具への過剰な依存への認識を機に、健康な主体性像への欲求が生まれて、幸福感を抱く変わりづらい人間の性質が浮かべられる。根源的な人間の良質性の認識が取られ感覚と感受性の適正を見出す制御を生む。局所事象と集積から構造的な面が浮かび上がり、性質的な欲求と充足が現れ部分と全体と根源という観点から主体性の適正を掴み作る事に及ぶ。因果の連なりをどの程度広げて全体という範囲を想定するかに領域観が起こり領域の適正を探す事になる。余りにも広く大きな領域を思うように制御する事は容易ではなく管理可能な適正サイズへの視点が起こり領域と掴める範囲が生まれる。作り出す影響と効用へ対する外からの態度がこれらを考える契機になり、怒りの表現や喜びの態度を適時実感しながら、自己と外界の関係を掴み主体性の制御へ及ぶ。市場的な自由選択の構造と規制的な需給構造や寡占的な構造という構造自体の性格も起こり常温的な性質の形成や認識も違いが生まれる。こうした面から経済や政治の範囲への適正へと視線が及んで二次的思想の形成へ反映する。或いは、国家間関係や地域間の秩序を作る観点に備えられ歴史の連なりと未来の方途を求める事へ及ぶ。健全な主体性像という世界観が描かれ現況への感度が起こり基準とのずれの認識へ及んで改善の方法を回す持続的な周期性をもって再生産の適正が作られる。内部の適正が崩れると外部へ粗雑な反応が現れる。内外を繋ぐ適正な生産と評価と分配の仕組みが求められる。

8)共産主義の問題面と普遍的原理の形成による思想の良質化

健全性概念を普遍的な原理と持って、人間の根源的性格に組み込み、その上で個別性と共通性の在り方を時々の諸条件に照らして最良性を導くという思想の二段構造において、良好な社会の自律と共存の仕組みへ及ぶ。つまり、労使関係から起こる人間性の阻害事象への問題が、古くから変わらぬ社会現象の中心課題とされ、その解決に私有財産を排して計画経済性を高め、平等の理想郷とする共産主義思想が形成されたものの、人間の健全なエネルギー循環の原理を欠いた仕組みには、持続的な精神と肉体の健康へは至らず、人々の強い支持には及ばず、本書で示すような健全性概念を根源的な普遍則として固める事に人間基盤の適正が図られる。人々の自然に起こる成長願望を求める行為に自由主義という要素を持ちつつ、欲望の質量に応じて適当な責任感覚が求められて、両面の均衡ある状態に人間の健全性が生まれる。現代的な人々の皮膚感としてごく自然な発想と映し出される。使用者と労働者の固定化による弊害や、力の蓄積からの肥満化に対して、動的エネルギーの発生に応じた返還の原理をもって、人間の創造力への価値が先んじ、物理性や権力を二次的に配して、目的と方法の序列を起こす事において、良好なエネルギー循環の促進が果たされる。こうした人や自然との相関に、良好な感受性が発生し、持続的に利益を作り出す改善の志向性が生み出される。自己ばかりの利益へ関心が注がれるほどに、外界や他者への理解やニーズを伺う意識が弱まり、利他を実現する力が喪失して、それを反映したエネルギーの返還へ及んで自然な感性の適正へ及ぶ。

望む願望に照らして力と責任の相応しい均衡的状態をもって健全性が起こり、各人の欲求の起こし方への個別的自由な裁量が置かれて、適当な均衡の制御性をもって、各人の自由が生まれる。大きく望めば大きく責任も課せられる相関に至って、健全な感性を備える心理面の良質性が図られる。

物理性へ従属的な意識が強まるほどに、創造力の善し悪しよりも、物理力に偏した制御性へ向かい、外界への粗雑な反応が強められ、心理的な負の増進へ及んで、肥満な性質への反発が強められ、或いは良好な他者を自由に選べる環境を整備しつつ、悪性との関係を断絶させる自然反応から健全な力が前面に現れ、有機体の適正な新陳代謝が生み出される。この良質性への循環軌道が強まる基盤則が強まり、その上に個々の志向性が起こされ、個別性と共通面の割合を起こして、適正な違いと共通的基盤が形成される。クズはクズであり、これが適正な感性になり、クズに関わらず健全な性質との関わりが深められる自然律が促進されて健全な社会秩序が加速する。クズとの関わりは、実害が想定される範囲の関与を持ち、必要最小の関わりが生まれる。地球という同一基盤上からの因果と影響への思慮を持ち必要な施策が投じられる。人間の健全な成長の変容に照らして関わりの程度に反映される。消極的な関わりのスタンスか、能動的に働きかけるべきか、多様な想定が生まれる。

誰もが良い方向性を持ち、頑張れば必ず報われる社会にあって、エネルギーの健全な循環へ及ぶ。下限的制約を設け、そして前進的創造の良質な基盤を整え、堂々と力を投じて力が返還される思想と実態の整合が図られ、持続可能な生存と繁栄の世界が生まれる。良質を前面に出現させるには、クズにはクズの対処を進める事が必須とされる。

 

 

 

 

調和の図式-森の文化

車には、アクセルとブレーキとハンドルが付いている。これに道路があり、車の流れに沿って走る事に快適性が生まれる。制限速度50キロという標識があっても、70キロで皆が走れる状態と認識して70キロで走っていれば、それが標準を指し、自然形成的な心地よさが生まれる。妙に、看板の速度に拘って走るものが要ると、不快が起こる。自然状態に動の適正があり動に即して動を起こす感性に調和感覚が作られる。

頭が凝り固まって、体の感覚が弱まると、自然形成的な調和を見出せず、妙な所でブレーキを踏み、妙な所で急発進する。ハンドルもふらふらして、真面な運転とは見做されない。頭でばかり運転の方法を入力して、実地が出来ずに落第する。これと映る事象が少なくなく、体による確信性を掴むことにおいて確かな基準が体に浸透し、迷いの少ない運転が図られる。言葉や論理、振る舞いにも反映され、びくびくした態度は明瞭に外界へ、自信のなさを表される。

これが、一部の歪みの激しいマスコミや政治家、財界人の姿を指し、体から芯を作らず、金や物理力に過度な依存を見せ、現場での確かな信頼を形成する道筋を外した肩輪の体質と現れる。物事を執り行う適当な発想や手順が思い浮かばず、力んだ力で物事を動かす習性が生まれ、マニュアルがないと何も作れず、言われたままで、自己の標準を持たずに、善し悪しの判断も生まれず、ただ歯車の一部と作用する。根本の基盤がない事から、応用が利かず、諸条件的な変化に適当な反応が及ばず、ぎこちない無駄な動きが多発して、自然調和を掻き乱す。

こうした事態に寄らない為の、人間ビジョンと形成過程への探求が深められ、根元の良質性と強い幹を形成する事に、力点が合わされる。基礎基盤が脆く、無駄な枝葉ばかりを茂らせ、不格好な体系に及んで、妙な花を咲かせる。これに及んでは、周囲の美観を掻き乱し、変な生物の連鎖を起こし、生態系の根本的な性質を悪化させる。

文化の下地の良質性が、物事の源流に配され、長きに渡る調和の規則性を作り上げる。出来損ないの生物が、森林の中心に育つと、その色合いに染まった環境が生み出される。健全な根と幹は壊すことなく、人間の基礎と生き続け、良好な生存と共存の波長が流れる。

ボンボンの力んだ姿を煽り、そこからの果実を得ようとする虫けらが現れ、責任意識の弱い利己性に偏り、自己のみの富を意図して、環境の劣化を招かれる。表面に現れず、裏でこそこそ糸を引き、良い所ばかりを吸収して、失敗へは関与せずという集りの性質が根本的な害虫を指し、生物の本質を崩壊させる。

テレビドラマで描かれるような善悪像に寄らず、物事の真相を的確に掴み、悪性と良性の識別を図れる見識が求められ、この能力が根と幹に築かれて、軸の定まる健全性が起こり、長きに渡る自然な調和を齎せる。内面と外面の連なりをよく吟味し、壊れた性格を適当な配置に取り、真に良質な力を構図の中心に取れるかによって未来の適正が訪れる。

生物の成長や成熟段階が発生し、身の丈に合った振る舞いを作る事が内面と外面の整合にあり、妙な欲求過多によると、過剰な美観や力んだ態度を表し、内外が乖離する。失敗への過度な回避性や手先の誤魔化し技術などは、歪な性質を指し、自然な感性を表出させ、実地の学びを積み重ね、真摯な対峙を執り行う成長の過程から、真に良好な感性や能力が作られる。内外の一致、言行の一致という、文化原則が反映され、動に即した動を見せ、大樹へ向けた道筋が生まれる。これを起こす根の良質さが、富の源泉とされる。

頭ばかりが妙に発達して、足腰が貧弱でポキンと折れる生物を作り上げては、指導者の能力や感性に問題があり、配置の不適格を指す。マネジメントの良質性が、生物の基調を生み、主導者の力量が試される。

妙な評論ばかりで外界を掻き乱し、安直に糧を得る根の細い人間性が少なくなく、現代的な正負の適正な認識をもって、表面の真価を掴みだし峻別する力が求められる。詐欺や盗み症は害虫を指し森林の根本的な破壊を齎せる。欲ばかりが先行して抜け道ばかりを発想する性質は、端っこにおいて、悪性の連鎖を予防する手立てが欠かせない。害虫予備軍を育てる事無く早期発見と対処が望ましい。定番と変わり者と季節ものといった健全な識別において、真なる調和の図式が描かれる。

妙に、小ずるい性質は、正より負を作る。日本文化とは相いれない。