提案の型枠と文化論の効用

提案型の営業は「何に問題や好感を抱かれるか」の認識を確認しその改良や増進へ連なる方法を提起し効用と負担を示してプラス評価へ及べば方法が採用される。

信用基盤

人は、信用ある相手と見込んで本音を表す事になり足しげに通うなどという行為が実際には生じる。又は質の良い提案力の程度から魅力が起こり身体的且つ能力的要素により信用が生まれる。この土台には「よくしたい」という感性を根に態度が生まれる。盗み症や詐欺の性質があれば人は真面に相手にせず対話に至らずクズはどこに行っても相手にされない。どこか、マスごみや政治家、物理依存層の財界人はこの辺を勘違いしているように伺える。信用を一度落としたら修復するには並大抵の工程では済まない。

力と期待感

大きな期待感や影響力を備える配置は責任も大きく期待され、天から地に落ちるのはあっという間になり、この適正な評価の周期が適当に起こされて健全化する。寡占構造はこの弊害を生み問題の原因を作られる。これへ対峙するのが大きな力を与える意味を指し取り組まない態度は責任放棄と見做される。個別一過性の事象へ過度に力を注ぐような事は期待しておらず反復性を持つ事象と悪性へ切り込んで問題の解決へと近づく。困難な問題から逃げて容易な方に向かう事は誰も期待していない。こうした上で、以下のようなプロセスが生まれる。

1)問題点の抽出

明らかな問題認識、これから起こるであろう問題の予測、等の顕在的潜在的問題を掴みマイナス的な未来へはマイナスを削減に、プラス型の未来にはプラスを増進させる発想が投じられる。

2)有効な方法の提案

発想を方法へと深め、問題との因果性を繋げ、現況の規則性を続けると、悪性の未来が訪れるという想定を示して、改良点を提起して、相手の共感へ及ぶと、問題と未来予測の同一認識が整い、方法論への有効性を吟味する次元へと認識が深められる。

3)効用と負担の算定

こうして、仮説が作られ、それへの信憑性に、他で実施した記録などを示し、諸条件と方法の投入と成果の記録をもって実績と確認し、当該場面での適用をもって、他者の事例を根拠に信憑性を向上させて、支出と効果の測定を、想定する事へ及ぶ。前例がある場合の基本的な導入プロセスを指す。

4)実際の検証と改善

そして、資源の用意と拠出をもって、実施フェーズに及ばせ、計画と実施と検証の周期へ回る。予測通りの答えに及ぶと効用の実感が掴みだされ、価値ある投資と認識される。以上は比較的肌感覚に及ぶ効用の測定が可能な問題点と効用の生産過程が表される。この周期をもって各種の生産活動が生まれる。

5)当該文化論の提案と効用

文化論という提案は長期的な観点による効用を意図した提案を指し、皮膚感覚に及ぶまでには長い月日が想定される。しかし、人間の基礎基盤に相当しこの善し悪しが各種場面に反映し相乗的な効果は計り知れない。文化基盤の善し悪しと個別事象との相関への認識へ至るとその効用への実感も深まり有意義な生産と見做される。文化論を一読して強い印象が頭に残り、各種の問題を感じ取る因果へ連なり、又は問題へ対面した際に根本的な原因を突き止める視座が生まれ、有効な対処の方法や予防の施策を思いつき、理に即した方法の創造へ連なる。根源的な哲学の盤石性において、問題を感じ取る嗅覚の適正や妥当な方法を見出す発想へ連なり基盤の良質性が二次三次の効用を生む。このような生産者の狙いや効用の想定が描かれて外界への提案を訴求する事へ及びます。投資に対して効用は計り知れずお勧めしたいと思います。

6)哲学の強化

もう少し掘り下げて、哲学や文化論の有意性を以下に示します。

教育と政治の違いは、前者は純粋原理を探求し、広く人類の観点から叡智を向上させる立場にあり、後者は現実の外界と対峙して、妥当な方法をもって短期や中期性の利益を作り上げる立場にあり、ある程度各領域の住み分け感覚が置かれて、良好な相乗効果が想定される。この辺りを混合して、一色単に役割を求めるような批評に、利益を作り上げる思慮の浅さが浮かび上がる。こうした前提には、経済と政治と教育で構成される社会システムという大局観が備わり、更に、抽象性の概念に進めると、個別と共通と根本という価値の構成が生まれ、更に、個人と社会の在り方や、自立と協働の適正や、生存と共存の概念や、生滅不可分性、再生産の発想や生態系の適正、持続的安定と成長、感覚と観念と感受性と言った概念の重層構造が生まれる。

人間の共通性を有限の生命体と感覚と観念と感受性という観点で起こし、個人と社会の生存と共存への発想が進められ、個別と共通と根本の価値体系が生まれ、持続的安定と成長への志向性が生まれ、生態系の適正へと思慮が進み、経済と政治と教育という社会の大局かンへ至る。これらは理想概念の重層的な体系を表し、理想と現況と方法という活動工程をもって、理念へ向けた実現への方法を投じる事に、人間の生産性が現れる。

理想概念は、教育や文化の中心的な生産事物を指し、現況に対峙して問題や好感を抱く感度が現れ、妥当な方法を経済や政治において作り上げるという各領域の性格と相関で社会の大局が掴みだされる。感受性から生滅不可分の感性を抱き、良好な生を作り上げる為の論理が起こり、全体の概念体系へと発展し、世界観が形成される。理想的なビジョンが形成されるものの、独り善がりのビジョンでは人間概念を崩す事になり、外界の他者へと対峙して異同感覚が掴みだしながら、自己の理想を掲げながらも、他者の考えや諸条件への思慮が及んで、妥当な方法を相互に見出すという実際的な工程が進められる。相手方は善意ばかりにはなく、自己へ悪意の作為をとる場合もあり、それらと対峙しながら自己の利益を作り上げる姿に妥当な方法という性格が映し出される。教育分野での純粋理論に対して、経済や政治における現況の対峙と妥当な方法を投じるという性格の違いへの認識が生まれて領域の特色への妥当な認識が生まれる。

こうした論理も一つの世界観を指し、どんな根っこから幹を作り枝葉と及んで全体の概念を抱くかによって、各領域への評価感覚が生まれる。良好な世界の形成には、上述のような理念体系が描かれて、各所への基本的性質と相互性を想定し、ある程度の単独的な性格を備えた領域と領域間の相乗的な作用において、持続的安定と成長へ連なる方法と描き出される。

どんな理想概念を備えて、現況の対象への批判を投げかけるのか、原理原則となるビジョンの形成度合いが、よく思慮の及ばせた知恵を指し、その知見の上に現況を測り、有効な理想への方法という生産や表現が示されて、建設的な批評や提案が生まれる。どこか場当たり的な、利益を求める態度の批評と見られ事が少なくなく、理想概念を表し基準尺度を示して、原理原則の下に個別事象への性格を付ける行為に有用な知恵が示される。この枠組みが弱いと、不毛な言い争いのような態度と映り、程度の劣る評論家や生産者と判定される。世界観は、自己と他者を含んだ大きな利益へ及ぶ方法論を指し、個別的な体験の積み重ねと節目での集約を繰り返しながら理論化される。理論が作られて、個別事象への善し悪しや感度が起こり、自他の利益に連なる更なる方法へと思慮が進むという活動性が現れて、感受性と感覚と観念の有機的連動が生まれる。一過的な利益や局所的利益を求めて、理想概念となる尺度が見えないと、社会的有益な表現とは見做されず、利己的態度や個々の要望を強める姿と映る。表現に社会性や責任意識が弱く、ただ個人的な心象や要望を強める姿には、支持や共感が強まらない。公益性への探求心が薄い生産性や人間性と特定され、聞くに値しないという心象が生まれる。表現の自由という一面的な権利が強調され、表現の質が問われないと片手落ちの世界が深まり、健全な人間の姿とは乖離し、建設的な社会性と外れた秩序が強まる。

程度の悪いマスコミやそれが選ぶ評論家や、これらを後押しする資金提供者という一連の性格への吟味をもって、構造的な適正を問い、質の下落を予防するという発想が起こる事に健全な性質が映し出される。大きな利益へと連なる方法論への深まりが、教育文化の探求を指し、そして現況に対峙して妥当な利益や方法を作る経済や政治の性格という区分けが起こされて、こうした基準概念から現況への批評を図り大きな利益を作る一端的な活動と配される。何せ、原理原則となる基準を表さずに、虫食い的な批評を表す姿に、不快感が少なからず生じる。ある一定のレベルをもって下落させずに、オピニオンリーダーというプライドをもって、社会の利益を作る態度に、健全な評価が与えられる。子供のような場当たりの利益を恥ずかしげもなく表す大人には、少々残念な心象が現れる。盗みや詐欺の慢性化した体質とも伺え、良い心象は起こらない。大きな影響力を持ち生産を運営されるプラットフォームの質が問われ、適当な制約を与える要望が社会ニーズとして高められる。このような背景からも哲学の強化という方法論が投じられ、良質性に寄与するものと考えます。有用な意見交換は、まず原理原則を相互に示し個別事象を適用する構造をもって原理原則への優秀性を発見し学びや反省へ連なる。考えの良く纏まっていないまま、気ままな態度を見せても不毛な交流で留まる。お粗末なリーダーが財力に物をいわせ要路に居座ると、原理創造性よりも直接的な物理性へ偏して、良き考えの創造力が高まらず利益を妨げる。

 

哲学の強化

教育と政治と違いは、前者は純粋原理を探求し、広く人類の観点から叡智を向上させる立場にあり、後者は現実の外界と対峙して、妥当な方法をもって短期や中期性の利益を作り上げる立場にあり、ある程度各領域の住み分け感覚が置かれて、良好な相乗効果が想定される。

この辺りを混合して、一色単に役割を求めるような批評に、利益を作り上げる思慮の浅さが浮かび上がる。こうした前提には、経済と政治と教育で構成される社会システムという大局観が備わり、更に、抽象性の概念に進めると、個別と共通と根本という価値の構成が生まれ、更に、個人と社会の在り方や、自立と協働の適正や、生存と共存の概念や、生滅不可分性、再生産の発想や生態系の適正、持続的安定と成長、感覚と観念と感受性と言った概念の重層構造が生まれる。

人間の共通性を有限の生命体と感覚と観念と感受性という観点で起こし、個人と社会の生存と共存への発想が進められ、個別と共通と根本の価値体系が生まれ、持続的安定と成長への志向性が生まれ、生態系の適正へと思慮が進み、経済と政治と教育という社会の大局かンへ至る。これらは理想概念の重層的な体系を表し、理想と現況と方法という活動工程をもって、理念へ向けた実現への方法を投じる事に、人間の生産性が現れる。

理想概念は、教育や文化の中心的な生産事物を指し、現況に対峙して問題や好感を抱く感度が現れ、妥当な方法を経済や政治において作り上げるという各領域の性格と相関で社会の大局が掴みだされる。

感受性から生滅不可分の感性を抱き、良好な生を作り上げる為の論理が起こり、全体の概念体系へと発展し、世界観が形成される。理想的なビジョンが形成されるものの、独り善がりのビジョンでは人間概念を崩す事になり、外界の他者へと対峙して異同感覚が掴みだしながら、自己の理想を掲げながらも、他者の考えや諸条件への思慮が及んで、妥当な方法を相互に見出すという実際的な工程が進められる。

相手方は善意ばかりにはなく、自己へ悪意の作為をとる場合もあり、それらと対峙しながら自己の利益を作り上げる姿に妥当な方法という性格が映し出される。教育分野での純粋理論に対して、経済や政治における現況の対峙と妥当な方法を投じるという性格の違いへの認識が生まれて、領域の特色への妥当な認識が生まれる。

こうした論理も一つの世界観を指し、どんな根っこから幹を作り枝葉と及んで全体の概念を抱くかによって、各領域への評価感覚が生まれる。良好な世界の形成には、上述のような理念体系が描かれて、各所への基本的性質と相互性を想定し、ある程度の単独的な性格を備えた領域と領域間の相乗的な作用において、持続的安定と成長へ連なる方法と描き出される。

どんな理想概念を備えて、現況の対象への批判を投げかけるのか、原理原則となるビジョンの形成度合いが、よく思慮の及ばせた知恵を指し、その知見の上に現況を測り、有効な理想への方法という生産や表現が示されて、建設的な批評や提案が生まれる。

どこか場当たり的な、利益を求める態度の批評と見られ事が少なくなく、理想概念を表し基準尺度を示して、原理原則の下に個別事象への性格を付ける行為に、有用な知恵が示される。この枠組みが弱いと、不毛な言い争いのような態度と映り、程度の劣る評論家や生産者と判定される。世界観は、自己と他者を含んだ大きな利益へ及ぶ方法論を指し、個別的な体験の積み重ねと節目での集約を繰り返しながら、理論化される。理論が作られて、個別事象への善し悪しや感度が起こり、自他の利益に連なる更なる方法へと思慮が進むという活動性が現れて、感受性と感覚と観念の有機的連動が生まれる。一過的な利益や局所的利益を求めて、理想概念となる尺度が見えないと、社会的有益な表現とは見做されず、利己的態度や個々の要望を強める姿と映る。表現に社会性や責任意識が弱く、ただ個人的な心象や要望を強める姿には、支持や共感が強まらない。公益性への探求心が薄い生産性や人間性と特定され、聞くに値しないという心象が生まれる。

表現の自由という一面的な権利が強調され、表現の質が問われないと片手落ちの世界が深まり、健全な人間の姿とは乖離し、建設的な社会性と外れた秩序が強まる。

程度の悪いマスコミやそれが選ぶ評論家や、これらを後押しする資金提供者という一連の性格への吟味をもって、構造的な適正を問い、質の下落を予防するという発想が起こる事に健全な性質が映し出される。

大きな利益へと連なる方法論への深まりが、教育文化の探求を指し、そして現況に対峙して妥当な利益や方法を作る経済や政治の性格という区分けが起こされて、こうした基準概念から現況への批評を図り大きな利益を作る一端的な活動と配される。

何せ、原理原則となる基準を表さずに、虫食い的な批評を表す姿に、不快感が少なからず生じる。ある一定のレベルをもって下落させずに、オピニオンリーダーというプライドをもって、社会の利益を作る態度に、健全な評価が与えられる。子供のような場当たりの利益を恥ずかしげもなく表す大人には、少々残念な心象が現れる。盗みや詐欺の慢性化した体質とも伺え、良い心象は起こらない。大きな影響力を持ち生産を運営されるプラットフォームの質が問われ、適当な制約を与える要望が社会ニーズとして高められる。このような背景からも哲学の強化という方法論が投じられ、良質性に寄与するものと考えます。

有用な意見交換は、まず原理原則を相互に示し、個別事象を適用する構造をもって、原理原則への優秀性を発見し学びや反省へ連なる。考えの良く纏まっていないまま、気ままな態度を見せても、不毛な交流で留まる。お粗末なリーダーが財力に物をいわせ要路に居座ると、原理創造性よりも直接的な物理性へと偏して、良き考えの創造力が高まらず利益を妨げる。

 

1)真なる調和への道

日本を出て広く他国を見て回ると幻想からの脱皮が起こり妙に憧れるような気持ちに適正感が生じ自己の空間への良質性やマイナス面が浮かび上がる。ある程度と地に根を張って自己なりの基準尺度をもって、他空間への過度な恐れや憧れなどに対して実際に見て回り事実を掴むことによって確信的な自信や反省へ連なる。解らない事は恐れを作り恐れのままやり過ごすと悪性が生まれ手足をもって感じ取り実際を掴んで解らない事への理解に近づき精神的な落ち着きへ及ぶ。虚像や虚構のままである事の負への認識と知る事による制御可能性を掴み健全な人間性を宿す。このプロセスが適正化の基本経路を指し対象との真摯な対峙を持ち物事を作り上げる良性と映し出される。しかし、虚構や想像性を起こせる発想力が事実を変化させる契機になり、ある程度の事実を掴みながら「もっと良くしたい」という気持ちからの想像性へと及んで仮説が起こり虚構を作り出し実際への目標と備えられてエネルギーの集中が発生し邪な発想に逸れない生産性が作られる。目標と方法と達成の充実を味わうと、それが自信へなりまた同じように課題を見出して力を投じる軌道が繰り返される。人々への利益と感謝というエネルギーがこれらの原動力に起こり富を蓄積する過程が持続する。あまりにも大きな物理力という力で人々を従わせる規則性によると真に良好な感謝やエネルギーを得られる事はなく自己の我欲を先行する程に他者からの不快感情に目をつむり強引な手法による自己生存性を強められる。多くの恨み辛みを持たれながら対抗策にセキュリティー投資を増加させ危機を回避する手法を選ぶ。利益を作りながら経費を生み人よりも物理性に信頼や親密性を持ち物依存の習慣や体質へ及ぶ。こうした過程で掴み出す成功体験なる自信には強い不動性の自己肯定感が宿らず、歪んだ精神性による不安定な装いに現れ、幸福感を高めるよりも不信性の情緒が積り誤った方角感によるエネルギーの投入と認識されて反省と改善の周期へ及び自己の原理が更新される。短変数的な積極的創造策から生まれる下限性の事象との因果が繋がり両面への視野を含んだ適度感を見出す思慮を含んで生滅や正負の矛盾と対面して調和に及ばせる態度に生存と共存の適正を見出す事へ至る。根本性の原理と作り上げられて土台が形成され、各種の発想や場面での判断基準に備わる。一度盗みを覚えて楽な糧の入手を達成すると二度三度と同じ道を選ばれる。法的な争いでテクニカルに法的な勝利を得ても体質は変わらず自然律が生き続ける。みすぼらしい性質のまま何ら自己への改善を起こさずに敵対的な脅威ばかりを外界へ抱き不安定な精神による生産を投じて、更に悪性を拡大する負のスパイラルに嵌る事のない健全な芯を持つ規則性から良好な感情が現れる。特異な性質が残ると良質な感情を停滞させ負の性質を連鎖させる。長期の観点から正負の勘案をもって優先的なポイントと基準を作り評価へ及ばせ健全な利益を追求する足取りに真なる調和軌道が持続する。一瞬、一瞬の判断が人間性と固められる。確信性を掴まずに知ったような気になり外界への評論などで糧を得る生産性が酷くなる態度や、解り安い表現への研究を進めて外界を納得させる生産努力をとらずに、物理性による強引な生産的態度は恐れへの反応や慢性化された怠け癖や傲慢性と映り、真摯に対象へ対峙して物事を作り上げる感受性の劣化と映し出される。頭と体の分断から起こる根元の弱まりにないか、真に利益に及ぶ評論や生産であるか、吟味しながら投じる態度に健康な性格が映し出される。逃げ癖や盗み症で慢性化する程に根本性が破綻し一面の利益ばかりへ視線が向かうお粗末な人間が生まれる。あれもこれも広く薄く興味と関心を注ぐか、ある程度の限定や集中をもって質の向上に努めるか、確信的効用を図るには後者の態度の割合を増し他者の生産性を尊重し自己の尊厳を守る態度が作られる。これに寄らないと盗み症の性格が生まれ薄利多売の量産体制が拡大する。適度な範囲の健全性を作る力に回り分化と統合の長期周期を作り健康な人間性が持続する。以上のように、「知らない事と、知らない事への恐れの感情と、知る事による理解と精神的落ち着きと、自我と他者の欲求との共通性と、正負の勘案による調和性、法的対処と自然律、生産の限定と他者への尊重、分化と統合」というプロセスが描かれ生産性や人間性が作られる。生きた自然の皮膚感に内蔵される実際の人間と掴み出される。各種の場面でどんな反応をとりどんな態度を講じたかこの繰り返しから個性が作り出される。

クズなボンボンは、盗むままで、金を払わず、呆れております。オイコラ。コゾウ。という心象が強く生まれます。マスごみと政治屋、物理依存症の商人への的確な対処を、取り締まり当局へは何卒お願いいたしたいものです。

1)歴史の教訓と未来の方途

誤解を恐れず言うならば、学校を出て、すぐ、教育、マスコミ、公共機関や政治などに身を置くプロセスから作られる人間は、過去の歴史の反省材料という認識が生まれる。作家などが実社会の工程を経ずに名が売れて選挙などで間違って選ぶと禄でもない政治と行政の構造を作り現象への真摯な対峙から体と心を通して作られる観念へ及ばず、精神分裂症という性格に映し出される事が少なくない。世襲による政治などへの関与も、同じ性格にあり、管理的な業務に従事するまでに固有技術を作りサービスの受け手と直の対話をもって、各種正負の体験を積み重ね、原理原則を作る思慮を経ながら実際に生きた基準が現れ倫理道徳の実在に至る。こうした過程が健全な人間形成のビジョンという教訓へ及び、歴史からの学びをもって、未来を作る基準に挿入される。物理的な力を適正に制御するには、欠かせない時の積み上げ方法になり、頭で早期に知を吸収しても実際の場面で判断や行為が起こらず、頭と体の分断した精神の歪性が浮かび上がる。こうした因果へ対する共通的な認識へ及ぶ人々が大半にも思われます。自己の経験則を通して良好な未来を作る根源性の原理と及び、他者との皮膚感覚となる自然な発想が作り出され自明の理という当たり前の因果性と結合する。こうした知見が、個々の生産や社会制度を作り上げる基礎材料になって各種の方針が現れ人間形成の所与的な原理へ至り、過去と未来を適正につなぐ現在の判断を生み出す。真っ当な生産性に携わって作られる成熟した大人の常識を指し社会人に至るまでや社会人からの適当な道筋が描き出され、失敗への経験を有用に生かす発想へ転じる事が改善になり具体的な基準の中身が作られる。知の形成過程の適正化を探す思慮を指し体と心の実体験から積み上げ的に観念の洗練された体系へと及ばせて芯を備えた健康な有機体を作る事に及ぶ。金や権力、知力という力の保有と適正な利用を図るには必然の経路となり、この道筋を外すほどに物理性への従属的な性格に流れ力の暴走を起こし下限的な制約も超えてしまい、適当な積極的創造性と離れ下限的不快事象を作る因果と映し出される。生産の包括的な構図に対して、両面の適当な制御感覚が起こらない事が健全な主体性とのずれを指し、人間の根本的な基盤面の脆弱性を露にする。

以上のような論理と体系が人間形成の理想概念を指し、現実との対峙と妥当な理想へ向けての方法を見出す長期性の活動軌道が起こされて、持続的生存と共存、安定と繁栄の調和を結ぶ道筋となり再生産の適正な生態系へ及ぶ原理と纏められる。長期観点を持ちながら中期や短期の周期性を想定して、これらの割合感覚の適度さを探し全体構成に及ばせる適正化のポイントが生まれる。厳密には、人々は、十人十色の環境を背負い各個別的な事情を持ち、環境に配されながら人間が作り込まれるものの統一的な原理を作り上げ大きな軌道の狂いに及ばない反省と学びをもって秩序の改善と実施を図り価値の実現へ進める道筋に世代を超えた価値が繋がり有限の生命へ対して無限の意思へ及ぶ永続的な良性の途絶える事のない力が生きる。

現在の武力の保有や各種力と責任の不均衡感へ問題意識が及び、適正化への熱が現れる所に真っ当な性質の所在が確認され、有用な改良への思索が深まり表現や生産的な立場を作り出される。健康な自然反応からのストレスは良好なエネルギーを向上する動力源にもなりまるでストレスを感じない事へはどこか慢性化した肥満症を指しこの性格に力を与えても有効な力の活かし方へ強まることなく現状維持の発想か、ますます悪性へ流れる。理想概念から乖離して制御性の利かない悪性と劣化が進む事への的確な対処が図られないと未来への負を拡大させる。大きな歪んだ力へ対して小さな個々が大きな纏まりへ及んで、強い対抗力を作り悪性への対峙を果たす事なしに、一部の哀れな精神破綻による暴走が留まらず物理従属的体質を深めて人間の破綻が限りなく進行する。少々力んだ、生産概念になりますが許容範囲内にあると考えます。共感を抱かれる人々も中にはおられる事と思われます。

 

 

 

 

 

日本哲学の確立

以下の哲学の規定は、思想家という生きた生産性と離れた立場が好みそうな哲学という用語と定義を指し、人への情感を根にして利益を作り良好な感受性を得たいとする社会性が浮かばず、どこか、偏屈な利己性を表す外界との敵対的な感度に基づく支配欲が伝わる。

哲学 原語であるギリシア語 philosophiaは知を愛することを意味する。哲学という訳語は西周による (1874) 。愛知としての哲学はもろもろの学問のなかの一つではなく,人間の知識欲に根ざす根源的活動の一つだが,中世では神学,現代では科学との関係が問題となっている (ブリタニカ国際大百科事典より)

こうした定義にも、人間の根っこの性質が現れ土台感覚の違いが発想や志向性という幹を作り表現事物という枝葉や実というアウトプットに反映される。人間にとり有用な成果事物を抱けるアウトプットであるか、根元の感受性が作り出す物事の性格に現れる。知識欲とは自己の知りたい欲求の充足を指し、知ること自体に重きを取り学問の根源的な動機付けとするには、少々適正を欠いたボタンの掛け違いを作り、性質の歪みと連鎖する。学問の動機付は外界で起こる人々の態度を良好にしたいというような生命への躍動的な姿に喜びを抱きエネルギーを投じて喜びを作り上げれば結果的に感謝の念をもってエネルギーへの適正なお返しを見せる相互の良質な情感が備わり良好な人間社会が生み出される。こうした過程から有用な知見が生み出され知るを愛するという結果の規定へ及び健全な哲学観が生み出される。人との良好なエネルギー循環の動的過程の結果生きた知見が積み重なり、知の体験的な有用性をもって仮説と検証の成果を反映してさらに有用な利益を作る拡大作用が形成される。動的過程から確かな知見が得られて人々との良好な関係へ連なるエネルギー源になり、有用な方法を提起して幸福の連鎖へ至る生産と社会ビジョンと描き出されて動機と知識の相関が生まれる。この結果実際的な人格を形成するに至り、学問や生産の目的は人々との欲求と充足の良好な協働において健全な人格の達成と描かれる。知識を人々を騙して糧を得るツールの如き発想へ進むような哲学の規定にあっては適正を欠き、根元の土台感覚に歪さが作られる。西洋的と言ってよいのか不明ですが、どこか外界への脅威や生悪的な構えが強く、善意をもって力を起こせば善意が返る循環を自然な感性へ強められるような土台の性格を作る事に適正が生まれる。知識という力をどのように用いるかの問題となり、外界への情緒的な融和感覚を抱かれるほどに善意の発想と手法へ及び、それを感じられる外界において適正エネルギーを返す周期が生まれて生態系の健康な成長軌道が進行する。盗みや詐欺への感覚が弱く犯罪をしている意識も自覚も起こらないような生産性が進み、根の悪性と体質の肥満な状態を増進する事へならぬように、根源的な哲学や知識への適正な規定が現れて人間の根が作り上げられる。自称知識人なる自覚を抱かれる人々の性質に、「知を愛する」という言葉の解釈がどのようなものか、確信性の弱い二次情報や外界から情報を引き出すばかりに夢中になって、自己の制御性を高める手法などが生まれると根本的な性質の欠陥と映り、現代の一部悪性を主導するタイプが散見される。情報を容易に盗み取り自己の情報を開示せず、一方的な欲求の制御性を意図すると映ると上述のような哲学観による根の悪性と歪さの連鎖を生む原因と浮かぶ。質問を容易に投げかけ当たり前に得られる如き感覚やサイバー犯罪のような明らかな一線を越える犯罪者が多発しクズの自覚も起こらない病理性へ対して取り締まり当局は深刻な感度をもって緊張ある対応を図り負の拡大への対処が期待される。こうした文脈の形成は対処策と同時に予防に連なりクズの連鎖に箍を嵌め、健全なエネルギーの好循環を進める事に思います。知的犯罪や知的生産性やその大本になる知識への認識や哲学やその内容の作り方へと視線が及んであるべき基盤の根本的な姿をもって表層事象の適正へ連ねる作為へ及び意味が生まれる。クズな政治屋や周辺の集りのマスコミ、物理依存の激しい財界人という類への適当な感度をもって取り締まりの強化へ及んでクズを作り出さない強化策において根元からの正常化に至る。ボンボンに金の管理などをやらせると外界への良好な生身の創造力を発せずに外界の利益を盗む発想へ傾く。利己的な感度が強く利他を持って自利を得るエネルギー循環と真逆の流れを進める事のない根の正常な形成に文化論の関心が強められる。金庫番ばかりをやりたがり最前線で利益を作る身の投じ方になりリーダーはその空間の性格を作り上げる。世襲のボンボンでは強いリーダーシップは起こらず小手先の創造性に留まり基盤への思慮が及ばない。物理化への従属性が深まるばかりという流れを変え適度化する力に本流の改良が生まれる。一部のたちの悪い公務員やマスごみの体質が社会の基軸にはいる事のない抜本的な適正の要件を見直して外界への強いエネルギーを発する空間の常識が進み外界の悪性を変える力が投じられて好循環の連鎖が生まれる。恐らく、このような認識を抱かれる人々も少なくないでしょう。問題の取り方や感度の当て方に生産者の性格が鮮明化し理念や哲学の実態が映し出される。適当な日本哲学を作り根っこから人間作りへの方向を見直し軌道の誤りを修復して各種専門性を高め盤石な基礎と機能の適正が起こる。根の可笑しな専門性はプラスよりマイナス利益を無自覚的に作ると仮定される。ゼロベースからの価値の構築をとらず受動的に上述のような規定を吸収するような行為に至っては独自の適正を形成しない不健全な主体性を生む。宗教に安易に流され二次三次的な加工度の高い型枠を無批判的に用いるなど、体と心の過程を経ない頭ばかりの人間が生まれ悪性に手を染める。確たる日本哲学の構築が必要と考えます。

文化基盤の質の維持と向上

事実の認識の質量と、意図する結果とそれを導く算式によって、判断が生まれる。例えば、「700円以内のうまいラーメンが食べたい」と意図した場合、この条件に当てはまるラーメン屋がどこにあるかの事実認識が問われ、既知の事実の中から選択するか、新たに調べてより良い事実を探して選択するかの算式が起こる。つまり、「意図する結果、事実認識、既知の事実から選択、新設的に事実を増やしてより良く選択する。」といった一連の作業が起こる。この当事者の判断について、良いや悪いなどの評価を下すには、

1)意図する結果への吟味

2)事実認識の程度と最良性の方法への吟味

という点から考察が加えられる。

1)は良いとして、2)について、当事者よりも事実認識の質量が多いと最良性への可能性が高まり、当事者が取った方法よりも優れた方法を作り上げる可能性が広がり、当事者を評価したり、支援するという能力が生まれる。

今日の原論空間に見られる、極端な怒りのような評価を下される評論や表現者の態度について、しばしば、びっくりする事も少なくない。

当事者に対して、意図する結果への賛同や反対という判断なのか、方法的な視点からの異同なのか、後者の場合、当事者よりも多くの事実の質量があるのか、最良性を齎せる優れた算式があるのかという面から、評論や提案に値する表現であるかどうか吟味される。

事実を公開しろという要求か、どんな事実に基づいて、どのような算式からの判断であるか、意図する結果への再考を求める態度なのか、質の向上を求める共に、応じた負担への用意があるのか、これらすべに渡る提案を示すのか、

少し、冷静に評論できるかどうかの認識へ及ばせて、どんな点への批判なのか、プラスの価値へ及ぶ表現であるのかを振り返り、健全な生産者の態度を作る事が求められる。

文化論という型枠の提起は意図する結果への再考という性格の提案を指す。各種生産性には、完結的な生産概念の同一性をもって足並みが揃い、全体に渡る生産性と、部分的な面の生産性という限定をもって、自己の性格を表し、外界へ訴求を図る態度に健康な内外調和を見出す初動が生まれる。このような点に文化論の生産性の意図があり、根本的な概念の提起と効用が生まれると思います。適正な住み分け感覚が揃わないと、良好な対話の交わりに及ばず、何ら規律の弱い欲求過多の要望が示され、相互的にプラスを見出す軌道へ及ばない。下地の原理や型枠が整わないのに、いくら表現を起こしても噛み合わない。文化基盤の劣化へ及ばす事無く一定の質を保ち、健康な相互の生産性を図り、多くの利益を見出す事へ及ぶ。滅茶苦茶な態度は、自己の幸福感のみならず他者の幸福感も高める事へは及ばない。原則の同一性の下に、自由が許容される。

1)生産の包括図面

不快事象と快適事象と両面の相関という創造性の枠組みをもって、全体最良性を意図する方法が構成される。つまり、生産性には、以下の2類型に大別されて正負を視野に含んだ発想や論理と行為が生まれる。

1)危機事象の想定と、発生と対処と、事前予防

2)快適事象の効用と、マイナス性への想定、両面の勘案とプラスの増進

具体的な快不快事象の例としては、以下の2通りに大別される。

1)不快事象とは、自然災害や、戦争やテロ、という大きな被害に及ぶ事から、経済危機や政治危機、そして特定集団の危機、ごく局所的事象の危機を指す。

2)快適事象は、衣食住という消費生活の基軸場面から、これらの作り側の生産性、流通や補完作用を指し、更に制度や法規の形成、教育の実施という大まかな類型が生まれる。

不快事象 相互性 快適事象
局所事象の危機

特定集団の危機

経済危機、政治危機、

自然災害

戦争、テロ

衣食住の消費

衣食住の生産

主軸の補完作用

制度・法規の形成

教育の実施

これらを各個別的な領域として区分し、そこに従事される人々から見て大きな目的と方法が設けられ、プラスマイナスの作用を勘案しながら生産が投じられる。

生産性の効果の測定には、快適事象と効用について観測の明瞭性が浮かび上がり、人々は、評価を受けやすい物事に従事して、高い報酬を意図される。しかし、不快事象と予防の施策に高い付加価値が起こる事は言うまでもなく、事前予防型の施策と実施に本来は高い評価を付ける事に適正が生まれる。

1)快適事象の生産

2)不快事象への対処

3)不快事象の予防

こうした健全な生産性の観点が備えられて、一過性の人気取りのような行為に過剰な評価を付ける事無く、見えづらい地道な予防行為に真価を抱いて観測し、適当な評価を与える事が適正になる。

悪性事象と対処のプロセスは、最悪の手段という工程を指し、悪性に及ばないような思慮をもって良性を作るという発想に適正が起こり、良性を一面的に追求する行為が悪性を生む因果を想定して、適度な良性を生む行為に高い評価が生まれる。このような見方を喪失して良性への野放図な追求と、悪性の対処などへ及ぶと、健全な人間性とは乖離し矛盾した相反的性質が明瞭になる。

人に評価されやすく良い所ばかりを虫食い的に掴む悪性とも見做されかねず、真相真価を適度に掴んで、日頃の活動の適正と適当な評価感覚をもって物事の序列が構成されて適正化される。「負をなるべく作らないような生」という発想に適正が起こり、生を作りながら負を作る両極端な行為には、プラマイゼロの評価へ至り、健全なプラスの利益とは評価されない。

こうした根本性の理念に健全性が備わり、定常的な活動への真相真価を作り、非常事態の発生と対処と予防の視点をもって正負を包含した生産観念が生まれる。正負の事象の相関性の想定と、なるべく負を作らない正の増進という感性に正しい付加価値が算定される。

日頃馬鹿な癖に「何をぬかしてんだ」とならぬように、健全な生産の包括図面が適正な人間を作る。クズな政治家やマスごみ、物理依存の激しい財界人を見ると、不快を生む。

5)自己生産性への集中

健全性概念の中枢的な要素は自己生産性への集中力を指し、持続的に技術を磨く事の出来る性格を指す。利己的な欲求が強まるほどに、人が人への安直な評価を強める。消費者感覚が強まり、外界への一方的な要望を強める醜態と現れる。人が作り上げる物事へ視線を向け、自己の生産性との協働から効果の向上へ連なる発想に健全な利他を作り上げるエネルギーが浮かび上がる。評論過多社会の特徴は、自己優位性への意識が偏り、地に着く生産性の地道な発想から離れて、むやみやたらに人が人へ評価を図り、生存を遂げたいとする安易な発想へと流れ、確たる尺度の形成と公平な評価感覚と外れて、利己的欲求を表出させる。こうした性格に肥満な規則性と体質が浮かび上がり不快事象の実感が起こされ健全な人間性への問いと創造へ及んで確たる型枠が提起される。発信力の強い主体性に共通する側面は自己の生産性へ集中して外界を魅了する表現や型枠を作り上げる所にあり、外界からの妙なエネルギーに振り回されず根源的な原理を抑えて物事に集中する根の盤石性にある。利益を作り上げたいとする確固とした感性を備え、自己の技術と対面して外界へ力を投じ良好な反応を学びながら、技術の向上へ勤める周期性を内蔵される。あれもこれも虫食い的な感覚をもって、安易な手法で糧を得るような行為が進むと自己の生産性の質的向上への力が分散して、一過性の表現となる粗雑な評価感覚に走り傲慢な姿の醜態を見せられる。どんな技術力をどんな対象へ向けて持続的に投じるか、この規則性の積み重ねから確かな根元が作り出され外野のような虫食いへの関与へ及ばず、自己のエネルギーが集中して良質な生産性を見出される。発想と規則性の善し悪しが成長の程度に連なり外界との真摯な対峙と自己の反省の周期をもって倫理道徳の実際的な基準が宿ると共に良質な生産を見せ、感性と論理と実態の健全な人間性と連なる。同じような感性を備える人々が集まり根の同質的な基盤の下に利益の増産的な協働が進行する。この基礎的皮膚感が異なると長く共存する関係には及ばない。

1)哲学と科学(特定知見)

情報の全体構成の善し悪しによって、表現からの理解度や吸収性に反映される。全体となる領域が実際的活動の動的規則性に沿って構成され生きた領域観が現れる。つまりインプットと変換工程とアウトプットという生産性が表されて有る領域への知見が整理され表現されると生きた質感に良く到達して観念から体への工程に伝わり実際の事象へスムーズに移行できる。断片的分断性の構造化は需給構造を想定せずに何を作り上げるか鮮明化されない表現体系を指し領域の持続的向上の軌道が描かれず固定的な概念の形成を意図する精神性が見られ健康な技術の形成と社会性を意図する感性の希薄性と映し出される。根本的な感受性から外界への快不快事象へ対して、快適は増進、不快は削減へという論理が起こり実際性を持つ技術力が作り出され対象へ投じて問題を良好化して感謝を受けて技術と対価の循環へ及び持続的な生産の改善軌道が作られる。このような動的フローに即して内外領域が描かれて知的整理へ及ぶほどに生きた表現が伝達されスムーズな理解へ及ぶ体系と現れる。国語や社会や理科という各種科目についても同様のことが言え、基礎科目と専門科目などに大別しさらに上位に基礎と専門を統合する概念を想定し、人間生活全般のビジョンが表されて各領域の配置が生まれる。朝起きてから食事をとり仕事をして、対価を得て、食材を買い、就寝するという一日単位の規則性や、一か月や四半期や一年、幼少や青年、壮年熟年等というライフステージが想定され動的流れから見る部分性の領域が切り出されて全体と個別の相関が生まれる。この動的想定に共通して備わる領域が言語や論理と生産等の概念になり、食の場面や仕事の場面、休息の場面という区切りとその中での動態が想定されシステムの配列で知を構成して生命観の伝わる表現が起こる。特定の集約的観念に対して中身と外側の構図が描かれて全体図となり、中身と外側の相関をもって中身を詰め外に出し外からの反応をもって中身の改善へ回る周期性をもって領域が表される。国語の中身を伝達する行為と外側の想定が弱いと中身の構成に有機的な繋がりが現れず断片性の知が羅列的に構成される。何のための国語か、上位概念に哲学が形成されて、集約的な意義への認識を作り中身が構成される。こうした面に領域への習熟度が現れ一定の見解に到達した人々による領域の構成と未だ見解の定まらない中身の構成では格段の違いが生まれる。「哲学や政治的な立場を切り分け知を伝える事が正しい」等と主張されるものの、実際は何某かの世界観を想定して領域が構成される。外側の因果への認識が置かれて内部が作られる。表現者としてはこの世界観や哲学を少なからず示して特定領域を表す態度に健康な生産者の姿が映し出される。感性と論理が繋がり健康な表現者と実感される。宗教と政治を分ける事や価値と事実を区分する事や主観と客観などという論理が生まれ価値の押し付けに至らぬような適正なスタンスをとる構えと共にどんな価値があるのかは明示する態度に適正が生まれる。その価値を選択するかは別の次元にあるものの中身の構成は価値を背景に起こり相関が見えないと理解へ及ばない。平等思想を有する表現者の下限のマナーを指し妙な教育者面をして上から降ろす発想が強いとこうした工程が省略され粗雑な傲慢性と映る。未熟で見識が定まらないのか、現時点における根本性等と示す事は領域を持続的に向上させる態度を指し表現者倫理と映し出される。哲学に感受性の側面が起こり領域の中身が詰められる。中身だけ丸暗記して哲学への問いが起こらないと機械的な無機質性のロボットと伺える。生産性の持続的向上には感性が根になり論理が組まれ提供と反応の周期をもって改善に及んで健全な感受性を根にした生産や表現へ及ぶ。型枠をただ覚え無批判的に量を展開する作業は物理化という性格にあり、心理が希薄な物理化には健康な心身が映らない。初めに「○○とは××と考える」という哲学が示されて○○を表す行為に領域への生きた生命が宿る。表現者と表現内容を切り離し頭と体と心の繋がらない表現は病んでいると伝わり表現者の人間性が実感される。仕様書から作らず仕様書通りに作る生産者は真の表現者にあらず半人前の中途半端な指導に相当する。評論家や生産者一般の共通原則と考えます。ISO9000の規格認証においても設計開発機能の有無への拘りが生産者の格を作る。下請けで留まるか、哲学を望むかに人間の性質が分かれる。機能へ偏して哲学が弱い性質が現代的な特徴と映し出され悪性を生む根本原因と見られる。プライドを持つ生産者は人の生産を安易に盗まず用いる場合は引用を確実に明記される。クズは何らプライドもなく物理性にただ従属して暴走を働く。クズと健全性は明瞭に切り分けられる。哲学の弱い科学へ至ると人間のない物理へ及び良好な人間性を喪失する。物理依存の激しい正当性へ嵌り、愚図が群れて物理性を正当化の根拠にする。

 

3)知的生産性と付加価値

知的生産性においてどんな点に付加価値が見られるか。これへの認識も基本用語として初動的な配置を占め根源的な観念の一つと現れる。「○○すると××になる」という仮説と検証の結果を重ねて、かなりの確率をもって発生する知識に、事前予測性を伺う有用な作用が起こる。限定性の高い対象を範囲にする事柄から、物事の複雑な相関を抱き、「○○」とする対象範囲が広がって、「××」になる。という広く大きな範囲の制御性を持つ種類の知識が生まれる。例えば、マクロ経済学のフレームが形成され、局所的経済行為の集約を図り全体の状態を掴む体系が生み出され、それを測定の基準に用いて個別の事象を集計し型枠に嵌めて事実を掴む作業が生まれる。この反復的な行為から基本方程式が備わり個々の事象を観測して未来の予測を立てる事やどこに変化を加えるとどのような事象が発生するという作為が生まれる。深く集中的な因果の相関から広く大きな対象の相関を掴み操作する作業によって意図する欲望と充足を図る方法が形成される。対象を観測する型枠が設けられ要素と要素関係の特定と刺激と反応の規則性をもって一つの法則性を表し測定の観点が生み出される。基準尺度から個別を窺い知る相関や作り上げる相関へ及んで事象の受動性から能動的な性格へ至り、観点自体が生きた主導性を宿して現象を作り出す。このような面から、観点の形成に付加価値が生まれ、仮説と検証の予測性に及んで意図する欲望と実現の方法が向上する。観点の表し方に自他との同質的な感性が起こり広く用いられると有用性が認められ、価値の認識と普及の軌道へ及び付加価値を齎す創造性の認識が作り出される。実社会の皮膚感に及ぶような事柄から、少々現実の周期性とは離れた個別的性格を持つ小説や映画のストーリーのような型枠など、多様な観点が起こされ人間の想像性や創造性を生み出す。こうした点から知的創造性への付加価値の実感へ至り科学の法則性や社会現象の規則性や社会システム概念の形成や人間像や自然観、人生観などを表す行為に及んで、人々との共感や異同の認識や発見へ連なり価値が生まれる。物理的因果性とは各種の型枠が形成されそこに見る量的増減の性格で現れる。質が決まり量の面で決まった因果性が発生し、身体感覚を超える力を形成する事から利便性や効率性の効用を抱き価値を認める事になる。化学的と至った場合は要素と要素関係から新たな要素が生まれる変化の質が現れ、決まった型枠の量的変化と型枠の新たな変化の違いにも思われます。主に自然や動植物や加工度の高い生成物における変化の相関を指し人間の生物的仕組みなども範疇とされる。心理的因果性というと喜怒哀楽感情に代表されるように人間が人間へ抱く心象を主にした刺激と反応の側面を指し人と人の間に物を介在して心理が作られる場合や人間自体が発する言葉の介在から心理が起こる場合などと浮かび上がる。以上のように、知識とは各種因果の相関とそれへの名称を付け認識される事柄を指し限定的な人々による知識から不特定多数で用いられる事柄まで多彩な知と現れる。本書の主要な関心に当たる人間像の形成などもこうした並びに配され知的創造性の範疇に含むと思われます。人々との共感や異同や発見や引用などの刺激と反応を生み価値の認識や検証へと進み意識に内在されるほどに付加価値が認識される。