1)未来の大局観

観測と評価という作業の分化的な観念が起こされるものの、生産の一種を指し、需要があれば市場が成立して人間関係が作られる。寡占構造から需給の歪性が強まり閉鎖的な性質による後ろ向きな創造性へと及んで、外界からの脅威の意識が強まり、そこへの防衛反応として悪意性の強い発想による表現が進行する。外界への利益を遂げて利益を得る循環とは異質の外界を敵対性と抱き、外界から利益を奪う生産性に陥り人間性の悪化や破綻と深化する。自己の技術と外界からの効用を掴み、或いは技術の真価への納得性を強める探求が進められて説得力を持つ技術という実感に及ばせる生産努力が弱いと粗雑な外界への評価を強め理解されないのは外界が馬鹿だからと結論づけされる。誰もに分かるような表現へとかみ砕き整合性の高い観念体系へ及んで生活者の身近な実感へ及ぶ表現への変換へ熱が投じられて複雑な因果の相関を提起するような技術の向上が途絶えずに、表現力が向上すると、それへの満足度が高まり生産への効用や対価に結び付き、正常な感受性を根にしたエネルギーの循環が遂げられる。こうした工程から離れて、一部の利害関係者との利益を作る発想へ偏して、ビジョンや表現力への探求心が細まると大きな利益を作る力が起こらず、特定性の強い領域の利益を守る意思が強まって、そこでの常識を固めたいが為に、脅威となる対象への歪んだ手法を投じられる。物理力による制圧という短絡性に走り生存を遂げる算式を常態する。こうした過程に人間性の悪化や肥満体質という症状が映し出され、健康な根の弱まりと物理感覚の浸透による創造性の質へと反映され、発想や行為の習慣が作られる。教育者や学者、マスコミや政治家等々、需給構造の寡占的な性格の強い領域における構造上の問題とも映り、各種の事情が生まれると共に良性へ向けた改善策への力が投じられて健全な性質を自己管理する事へ及ぶ。直接的には、どの状態が適正であるかを判定するのに、個別クレームの質量の吟味から正常性の判定へ及ぶ事と思われます。自己の考える正常な状態を各領域の生産者から提起され、外界との認識の異同を検証し、調整可能な質と価格と負担の合意形成へと及ばせる持続的な需給構造が生み出される。「いくらで、何を作り、適当な利益を得る」という収益構造が示され、それへの納得感をどんな基準をもって比較するか、ここに各領域からの智慧が起こされる。実績踏襲的な安定軌道に適正を見るか、環境変化の状態を反映した基準の更新を図るなど算式が変化する。技術力の向上という面と負担可能な経費との相互比較から妥当な質を設定し需給が生まれる。直接的な判断に対して間接性の将来ビジョンの描き方が作用し現況の基準の変化へと連なる。大局的な未来の想定がどんなものか、各領域の変化へと影響する。本書におきましては、社会システム概念や文化ビジョンという人間の変わりづらい良質性への型枠が起こされます。有ってはならない事とあってほしい事とを鑑みながら、最良性へ及ぶであろうビジョンという性格で示される。

 

日本文化の根

10)日本文化の根

「要らない」と言ってんのに置いて帰ろうとする妙なおじさんが出現する。「何を期待してんだ」というか、後で妙な注文に及ばせリターンを得るという腹が見え見えでありこの手の愚図は百害あって一利なし。どこにでもいる変な奴の典型を指し法事などで妙に仕切りたがり裏金を欲しがられる。本業でしっかりエネルギーを投じて評価される発想に及ばないと妙にせこい手法を見せて妙な稼ぎ方を覚える。こうした愚図に及ばない堂々とした生産性をもって出る所と引く所の適正が生まれ健全な付き合いが生まれる。社会の基軸を担う性格は本業に根を張って技術の向上と顧客の満足を高める意識へ集中しあれもこれもつまみ食いを発想する事なく押し売りのような態度も控えられる。自己制御性が備わり緊張と緩和や出る引くを間違わない感性を持つ。この辺りに公と堂々と対峙する文化の基盤が垣間見られ妙に親戚や親類への依存は見せずに万人的な対象と一から良好な関係を作るエネルギーを投じられる。外界への利益を追求する生産性にあり自己と組織の技術力を向上させて競合よりも強い生存を果たされる。公への利益が私的な利益に回る循環を抱き身内へ甘えた感覚は見せずに他人から信頼を掴む生産が強まる。妙な保険屋の切り分け感覚の弱い態度に寄らず堂々と生産性を向上して歪んだ発想に陥らず自己の核を作り基準と適用の公平性に及ぶ生産へ高まる。この適正感覚が狂うと愚図の無理な付き合いを続ける事もない。皮膚感覚が合わず感性の合う人々と適当な付き合いを絞る現代的な流れが見られる。年齢が上にある事をもって余りに酷い子供の盗みに及ぶと真面な対象とは外れ一切の関係を切るくらいで丁度よく世代的な感性の違いよりも個別的な人間形成に見る特徴から押し売り的な態度の愚図が作られる。文化的違いとも言い換えられ内向きな性質と公との対峙を図る相違は根本的な快不快感の同一性へ反映する。こうした面に基礎基盤の違いが作られ二次三次の発想へ連なり局所事象の振る舞いに現れ文化の違いを実感する。権力への適正な技術の投入によって世間の評価を高める生産性と権力に妙に縋りつき利権を得る報道機関の姿にも映し出され、直接の顧客からの評価を向上させない手法の違いと対比される。直接性の技術と向上に対して間接手法を多用する発想が過ぎると健康な精神を崩し歪んだ手法を慢性化して、どこかへの過度な依存体質に嵌り妙な注文も受け入れざるを得ない独立的主体性を欠く従属性が深まる。受動体質が進み内部の技術力を中核にする求心性が弱まるほどに押し売りの態度や親類へ縋りつく切り分け感の弱さや盗みや詐欺に逃げる。この悪性に制御不能なほどの力を与えると歪みが更に拡大して周囲へ負の影響を強める。基軸要路の配置には根本性の善し悪しをもって公と堂々と対峙する人間性を備え空間秩序を作り込む発想に持続的良質化の肝が浮かぶ。システム上の基軸に妙な悪性が入るほど根や幹が腐り枝葉や実の性質に反映し物理依存の激しい弱い者いじめの体質が作られる。以上のような面に適正を伺う観点が現れ日本文化の良質なコンセンサスが作られる。根本原理が固まり物事の優先序列と体系へ反映され各所の判断や感性と現れる。若者よ。「そんなセコイ姿に嫌気がさしませんか。おじさん。」と言ったらいい。「文化を壊さないでね。」と釘を刺したらいい。

 

9)信用基盤の持続性-良質なエネルギーの持続的生産ストーリー

「基準の明示と適用」という表現作法をもって、健康な外界との対峙する態度が示される。基準の形成が弱く明示にも及ばず、なんとなく当たり前の常識を備え、それを所与の感覚として、何某かの評価感覚を表す行為に、どこか肥満化した人間形成が映し出され、神様にでもなったような平等思想の根付かない性格が出現する。規則性と化した習慣等から、その範囲の常識が作られ、どこでも同じであろうという思い込みや自己の欲求が強まり、知らず知らずのうちに所与の感性と内蔵されて、それを基に事実の認識や価値の評価を下す粗雑さと及び、外界が理解できないのは外界が馬鹿だから自己の思うようにならない事への苛立ちを妙に高める一方向的な要望過多の悪性に陥り人間性を破綻させる。真摯な対象との対峙が弱まり外界とのフラットな感覚を崩すほどに我欲で支配され、自己の感性のみを絶対とする態度が強まり、どんな基準の形成と適用にあるのかを表さずに奢った態度を進める。こうした面から哲学や文化の問いが起こされ適当な人間像への思慮を進めて基礎基盤に立ち返り、良質な人間性や表現、生産を作り上げる中長期周期で見る健康への改善という活動が生まれる。慢性化した生活習慣から備わる当たり前という感覚が形成され他者も同じであろうという思い込みが強められ、基準の明示という工程を省略して、いくつもの前提をもって、三次四次的な配置の事象へついて欲求を示し外界へも強要する力が強められる。こうした事から不快や不調和が発生し上辺の絡まりで留まり、或いは奢った行為への不快が強まり距離の広がる関係へ及んで予期しない脅威と対面して我に立ち返り、深みある考察をもって健全な態度を作る周期で回る。寡占的な需給構造によるほどに、供給力の強い立場による一方向性の基準と態度に所与的な常識が深まり、外界の声を聴かず、又は自己の基準を真摯に表す態度を欠き、恣意的な基準と運用の行為へ及んで、平等思想を備えずに神にでもなったような感性を表される。それへの不快が生じて他を選択できる構造を整備する事が進まないと悪性は留まり、選択肢のない一方向の供給を受け入れざるを得ない構造で固まる。エネルギーの良好な循環を壊し歪な常識と偏った欲求の強い態度が修正されず悪性の体形が積みあがる。これが政治行政やマスコミという特殊領域に起こる負の側面を指し、適切な表現の過程を省略し奢りの強い生産や人間を作り健康を欠く肥満な症状と認識され、狭い空間の常識で留まり異様な感性を強める。教育分野や司法などにも同質の傾向が映し出され、広く産業経済という分母的な生産感覚を共通の下地にもって、歪性への是正へ及ばせる力が生まれる。大多数の中小企業で占められる実態を見ればそこでの感性が分母的常識と備わり、そこでの振る舞い方を標準に持って違いとの比較を形成する事に適正が生まれる。或いは、根源的な人との良性を映しだされるのが中小企業や製造メーカーや自然と直接対面される一次産業等における感性となり、地から離れた知的サービスによるほどに体と頭の分断性が広がりどこか歪な性質へ離れる。こうした焦点化や改良の視点が起こり、哲学や文化という中身が構成されて健康な人間性を表現し各種の原理が提起される。とりわけ大きな影響力に及ぶほどに、力との適正な制御性なしには健全な人間像とかけ離れてゆく事からも、力に比例して力の利用の適正が問われ、各種様式が求められ健全性が保たれる。物理依存症に流れる醜態を根源的な原理から適正化する生産性が備わって歪な性質へ箍がかかり変わらぬ良性の維持と向上の軌道が形成される。呼びかける側は自己の確かな基準の形成と適用が外界との対峙における初歩的な躾にあり、物理性が強まるほどに適正方法をもって制御性を果たして健全性が生まれる。物理症に嵌るほどに力を逆作用に用い、基準も表せずに粗雑で恣意的振る舞いに下落される。悪性を見る象徴的な場面を指し自己の欲求に外界への利益を作る意識が弱まるほどに外界へ向けた責任意識が現れず、自己のみの有利さを追求され、お粗末な物理依存の原理が慢性化して欲望と力と責任の過不足と実感される。空疎な権威主義などに嵌り、堂々と基準の形成と明示と適用を図らずに、都合の良い物理性を強め健全な性質を破綻させる。外界への利益とエネルギーが萎んで閉鎖的なガードを強め利益を生まず利益を盗む体質へ堕落して、堂々と公平公正に対象と立ち向かう態度を外される。盗みや詐欺が慢性化した愚図と陥る事のない健全性を強め、基礎基盤の丈夫な感性へと修復し二次三次の原理へ反映されて良好な生産や人間性が進行する。頭がでっかくて、根の感性が痩せて、そこから伸びる幹や枝葉も不格好な体形へ及ぶ事のない有機体がイメージされエネルギー循環の適正へ連なる。こうした文化や哲学の感性から問題への認識が揃うと、根源からの良質性へ力が強まり確かな発想や作法が強まる事に思われます。神は理想となり現実は人間であり、神になれるような向上心や探求心を切らさずに謙虚な人間をもって、人や自然とのフラットな立ち位置を守り健康な感性が継続する。物理性という魔力に取りつかれるほどに、力への従属性や依存症が進んで、神にでもなったような振る舞いに陥り人間性を破綻させる。自己の世界観を所与として他者も同じであろうという意識が強まり、丁寧に基準を表し適用する姿を取らない醜態が生まれる。基準も不動にはなく、日頃の生産性から外界からの発見を起こして節々で集約し更新しながら外界へのご案内を果たし内外との調和軌道が持続して、生存と共存の循環的再生産の相関へ及ぶ。成長が止まって新鮮な発見が劣り、固定化された肥満症から負のエネルギーが生まれる事に対しては、循環させずに衰退する自然律をもって適正化する。犯罪者が能書きをこいちゃだめだ。頭でっかちの歪な感性は嫌でも伝わり歪んだ精神性が露になる。エネルギーの発し方や吸収方法と現れ、その特異さが際立ち、人間性の可笑しさと認識される。真面に外界へ利益を作る感性が良く伝わらず、欲しくもないエネルギーを一方的に表すミスマッチへの感覚が及ばないのか、独り善がりの専門性を無造作に起こされる。人間音痴な性格は良質な技術の向上へ至らず、妙な優越性を勝手に抱いて妙な世界観の保有と適用を図る歪な感性と伝わる。人間の作り方に疑問が起こり頭と体と心の程よい循環工程をもって人間を作り上げる改良の道筋が描かれる。多くの健康な人々からは犯罪者体質が生まれる原因も、大方察しが付くことかもしれません。下限的事象から予防の発想が深まり、そして前進性の向上化を齎せるエネルギーの常態する人間を作る事に発想を深められるのが万人的な関心や興味に及び、特定的な生産事物の形成を通しながら良好な人間を作る探求が進められるものと思います。

二つの潮流

競合環境が激しくなるほどに、差別化のため多機能化へ及ぶか基本性能を盤石化するという方向が生まれる。目新しい技術をもって、多彩な刺激をもって顧客の購買意欲を高めるか、中長期的な耐久性能を上げる素材的な良質性を向上して、コストパフォーマンスを引き上げる施策が生まれる。こうした構図が各所に起こり、法律の形成面でも、やたらと細かな所の規定を必要以上に精緻化して、厳密な基準へと流れるか、根本性に立ち返り、分化した基準の体系的な集約をもって重要性の序列を刷新させる基本性の良性を遂げるなどに及ぶ。分化の流れは、根本性の弱まりを生み、統合へのニーズが生まれ過敏な行き過ぎた感覚を是正して、そもそもの重要性を鑑みて枝葉を削ぎ落とし、構造の抜本変化を作る。この二面の内、どんな流れにあるか、この抱き方に個性が起こり、潮流の認識が作られる。時代認識等と現れ大局からの変化の志向性と現れ、その同質性によって集団が分けられる。

本気で良くしようとされる発想を持つならば、自己の生存性よりも外界の利益を求めて、本質的な問題へ視線を持ち、構造的な変化という中長期の改善へと思索を進める。利己的欲求に進むと、外界への口当たりの良い政策を訴求して、本質的な良性を遂げる意識の弱い人気取りの表現を強められる。

長い目で見て、苦難の道を選び、根からの適正を意図して、種を植え、後世の代で花開かせるスタンスを持つか、楽な施策をもっていい所どりへ発想を進める、果実を得る事へ発想を高めるかという、態度の違いを作る。後者によるほど、後世への未来は暗くなり、問題の先送りを重ねて立ち行かない所まで到達して、後の代がつけを払うという循環を生む。基本となる発想の違いや欲望の求め方が抑えられ、各所で起こす態度の真相真価が判定される。長い時間軸を持って浮かべる利益の求め方を表し、長期周期の循環の性格が掴みだされる。利己性の高まりは自己犠牲的な発想に行かず、後につけを残す態度と鮮明化する。こうした基礎教養的な創造性への認識が高まると、一過性の人気取りに対して、冷静な視座が設けられ、どんな性格の表現者であるか、本性が浮かび上がる。

選ぶ側と選ばれる側に、同一性の尺度が備わり、最良に及ばせる会を作る事への割合が高まる。根本原理への理解度が、表層事象への的確な性格を掴みあげる事へ作用し、基礎基盤の原理の形成度が、良質性を作る程度に反映する。外界へ利益を作る体質にあるか、外界からエネルギーを奪う性格か、物事の根幹が抑えられて、賢明な判断に及ぶ。これが文化基盤という面を指し、生産性や人間性と現れ、利益の作り方や求め方の違いを生む。

二つの選択肢が置かれた場合、どちらが利己的か利他的か、ここに焦点をもって長期性の真価が測定される。いい年になって未だに、利己的な立ち振る舞いを図るような性質では、良き文化の継続性は下落し、年代に相応する感性が現れるか、利他的なエネルギーを発生させられるか、この点から感受性の内実が鮮明化し選択基準と現れる。社会の要路に就く人々の振る舞いに、利己性が強いと自己犠牲的な発想などは馬鹿らしくなり、各人が好き勝手な利益を追求し後世につけを残す体質が進行する。自分はやらず人へ求める態度からは、真面に表現が受け入れられず、愚図な欲求過多の外界への要望を表す肥満症と映り、ボンボンの性質という認識が強まる。マスごみ体質が浸透して中身の充実された生産性は下がり物理依存症の盗み症が慢性化する。物理依存症の坊ちゃんを選ぶ事の損失は計り知れず、悪い面の体質が連鎖して破綻の道を強める。

無自覚の悪性

不慮の事故や真っ当な性格を持ち一生懸命に仕事をなされているにも拘らず、なかなか実りへ繋がらない人が現れ、「かわいそうに」等という自然な感受性が起こる事自体には健康な人間性が浮かべられる。こうした発見や観測に対して、それをどこかに伝え、伝え方が頓珍漢で却って対象へのマイナス事態の認識が強まり、良好性へ好転する力を萎ませる事態が生じる。悪気なく、善意の心から不慮の事態を改良したいと、事象を広く伝えて、大きな力を有する人々や多くの人へ周知させて、適正な計らいへと進むように、仮説を描いて、伝達するという方法を投じる事かもしれません。仮説に対して方法を投じ、意図した仮説へ近づかず、逆効果の負を招くという結末が生まれる。

自身で出来る範囲は事実を広く伝える事などと思い描かれ、事象への負の性格を付けながら、正への転換へ及ぶようにと、発想される事やもしれません。こうした行いにも、よくよく吟味して後先を考えないと、とんでもない奢った性質と逆作用を齎せる無能者と把握され、未成熟な人間性を覗かせる。

現実をよく知らない特殊業界に留まり、仮説と実際へ向けた的確な方法が起こらず、自己陶酔的な感性に嵌った自己の欲求ばかりを遂げたいとするエゴとも映し出され、人生経験の至らなさへと自覚が回って、慎重な事象の分析や、仮説の構成や妥当な方法を投じる能力が作られる。絵空事の美性を宿すほどに、自己への客観認識が図られず、反省に回らずに、特権意識を高めたり、頓珍漢な手法を投じて、悪性を深める醜態と至らぬように、適当な工程と体験を重ねて、適正な感性と能力が作り出される。

良い悪いという心象は、どんな世界観を保有するかにより起こり、そして、事象の特定とそれが発生した原因への分析をもって、どこに悪性の起点があり、改良すべきかの的確な判断に及ばせる筋道と思慮が及ばずに、むやみやたらと「かわいそう」等と情感が生まれ、安易な方法を投じる態度に、自己陶酔した性質や事象を益々悪性へ齎せる無能力に醜態が浮かべられる。

事実認識の深さや幅という観点と、そこでの因果関係と、理想となる世界観との比較から、事実認識への評価感覚が起こり、色が付いた事象の認識へと及ぶ。こうした工程への丁寧な考察や明示を省いて、単純な一過性の心象をもって、表現する行為などによって、歪んだ情報の伝達が広がり、誤解や誤認という意図しない情報の加工が生まれる。この事から迷惑を発生させる事への想定をもって、適当な態度を作り上げる感性に、地に着いた感性と体と頭を備える健全な人間性が掴みだされる。

「私は悪くないのよ」、「私は奇麗な感受性にあるのよ」「私は能力が高いのよ」等という自己陶酔性が強まるほどに、低能への無自覚に嵌り、薄らバカな実態を露にされる。これが意外に少なくなく、未成熟さや頓珍漢ぶりに、不健全な性質が明瞭に映り、出過ぎた表現への適正をもって、よく吟味視された思慮の下に、最良性を意図して実現へ及ぶ能力へと深まり適正化される。多様な工程と体験が弱く、物理依存型の独り善がりのスターを気取り、善人ぶる姿にアンバランで地から浮いた規則性に見る悪性が映り、体と心の豊富な体験をもって適当な頭が作られる。マスコミや学者、政治家という特殊な生産性に、このような実務者体験が劣ると悪性への無自覚な表現が多発して被害を拡大させる無能ぶりが顕在化し、これへの適当な予防が起こり健全性が向上する。無理な配置に縋りつき過剰な欲求を見せ、のめり込んだ方法を投じる醜態への認識が生まれて、適当な改善や配置転換へ及ばないといつまでも能力が向上せず、寡占構造からの弊害が是正されない。説教強盗という実態に及ばぬような健全性が求められる。ボンボンの成長過程という一見うらやましい心象を抱くものの、地に着く感性と能力が形成されず、社会から妙に孤立した存在へと至る事の不幸が映し出される。指導的立場に健全な体験が劣ると、過保護からの悪性を作り、当人につらい思いをさせる。金に縋りついた性格が強まり、寂しい性質へと至らぬような健全性概念の形成と浸透から適正化される。過保護の環境に慣れて、真面な生産性への圧力が加えられ、それへの無理な抵抗を見せるという衝突は、なるべく回避する事前型の施策に賢明さが映る。抽象概念の価値体系へ偏り、感覚面が弱いと歪みの激しい美性を宿し、外界からは偽善や醜態と実感される。「語学が堪能で、素晴らしい」等と短絡的な評価を起こすと、根本的な人間性への吟味が弱まり、お飾りの効用の弱い生産者が出現する。哲学や文化への視点が強められて、本質を誤る事のない人間性を作る発想に適正が浮かぶ。机上と実際工程との程よい循環をもって健全化される。こうした表現を求められる社会的ニーズをしばしば感じます。

3-8エネルギー循環と健全性

こうした物事を伺い作る骨格的な視座が設けられ、そして相応しいエネルギーの相互性への問いと探求を進め、健全な感性の維持と肉体の適用をもって、人間を作る方途と掲げられる。

力の制御は基準と適用において図られる。大きな物理力を保有し、その力の原理で物事を進める事には、大が小を押しつぶし、吸収する圧力が高められる。外界の意思を伺うことなく自己のみの欲求と力によって生存を図る態度には健全な人間とは映し出されず基準の形成と公平な適用をもって力の大小にかかわらず領域の持続的生存へ連なるビジョンをもって推進する外界の利益を含んだ基準の構築と運用が求められる。健全な欲望と力と責任の均衡的な態度と現れ単純物性の感覚に共存志向を含んだ心理的良性をもって人間世界の適正が映し出される。絵空事の基準に留まらず実際の運用が図られ自ら第三者からの検証が進められ質実を持つ頭と体の有機的な基準と適用の実態が作られ健康な感受性が実感される。予めの基準を形成し提示できない生産者においてはその範囲の力の保有が許容され過剰な力は削減し過不足の修正を進め健全な主体性へ及ぶ。このような論理を欠いた物理性の活用に暴走という言葉が当てられて相応しい制約を課し健全な人間性の維持の下に自由な発想が許容される。外界への利益と内部利益との適当な相関を発想して内外調和を見出そうとされる生産者にあって利他の実現と自利の獲得というエネルギーの好循環が叶う。時空を超えた普遍的原理へ高まり未来の良性を開く力と方向性に作用する。エネルギー循環と健全性の適用において持続的安定と成長のスパイラルが齎される。ストック過剰でフローの良性が下落する程に、単純物性の運用が強まり健康な人間性とは異質のエネルギーが発生し、暴力や盗みや詐欺という行為へ及び悪性が連鎖しプラス性の発想が収縮する。これを適正化する原理の確立が必須とされる。根源的な発想の善し悪しが問われ現実的な力の保有や利用の面に対峙し、そこで見る確かなあり方を求めて現況と理想と妥当な方法を発想する態度に根幹と芯の適正を持つ主体性が生まれる。この程度が需給相互から吟味されてクレームや満足という消費者的な態度や逆に適当な消費者や購買者の判定が取られ相互の基準に備え、動的基準と二次三次の基準の構図と適用が進められる。自然形成的な事実と予めの手続きによる基準の形成という過程から動的変化に照らした普遍原理の適用へ進んで人間の根源性が制御される。物理的力に心理的な力が備わって人間が抱く力の概念が形成される。これを満たす感性にあって文化基盤の実態が把握される。肥満者を野放しにすることのない的確な対処が遅れると悪性が広がり辺り一面物性での支配力が強まり基準と適用の公平公正性が劣り恣意的な利益の追求へ走る。集団の管理能力を超えた手足の出現は精神と肉体の分断症状と現れ能力を超えた過剰資源の保有と判定され主体性の適当な規模や質へ改めて健全化する。欲求と力と責任の均衡を目途にエネルギー循環の健全性が現れる。犯罪への自覚症状が起こらない盗み症の慢性化されたクズを基準に置くことなく体と頭と心の良く回る生活者の感性が中心に配される。盗まれる奴が悪い等と発想するようではクズの同類としか映らずインフラには適さない。普通の人々から見ると、盗みは、よほどの事がないと生まれないイレギュラーな事象であり感覚の慢性化した悪性は病理性の認識へ及ばない。強制する以外に直る見込みは薄いように思われます。ごく自然に内蔵される常識の範疇と思われます。

3-7諸学の根源-エネルギー循環

医学的な専門知見を伺うまでもなく人々は生活体験から自己の健康状態を掴み、悪性に陥る法則性を自己なりに分析し、原因の特定と対処や予防の智慧を作り出される。この根本原理が、「エネルギー循環の適正」と纏められ生物物理的性格から起こる栄養補給とエネルギーの発散に見る身体的良質性や、心理的な力の投入と生産事物の形成と対価の循環で見る快不快感という側面に根本原理を浮かべられる。力を投じて力が回る事による健康の持続に動的良質性の肝が備わり、外界との適正な調和や不調和が作り出される。体験から適当な循環にあると思えると、自然な納得感や充実感が形成され、歪んだ性質と交わると、盗みや詐欺という態度が作られ不快感が強まりエネルギーの好循環が停滞し健康を損ねる。クズな人間性と関わりたくないという予防の智慧が形成され不快体験が教訓と纏まり事後の行為に反映される。一定のエネルギー循環における同一性が生じて、関係の反復性へ及び良い気流の耐久的な発生が向上する。体験と予防の智慧と事後的反映の周期が作られ健康管理の基本原則が形成される。ボンボンや特殊な業界との交わりは、不快感を生む典型的な例となり、好んで積極的に関わる事へは及ばず、深まるような関係よりも最低下限の関わりを持つスタンスが備わる。健全な発想と自他の利益の生産と適当な分配に至って、エネルギーの良質な発生と返還から健康な心身が持続する。このような体験が各所の応用的な観測や生産に及び、どんな対象を映しだすにも基本構造と相関を与え、知ると作るという作業の基礎概念と備わる。自然や動植物との対峙も生きた有機体としてエネルギーがどのように回っているか、自然から得られる人間にとって良好なエネルギーはなんであるか、そして、それを得る為には人間から自然にどんなエネルギーが必要か、こうした発想が作られ各所に応用される。エネルギー循環という基本観点が内蔵されて、生き物の根幹的な原理が作られる。心理学や医学も、おそらくこうした実体験から専門知見を深めて体系化される領域と思われます。社会科学という場合においても、根源性は同様になりあらゆる知見の基礎基盤と備わり、生産性に反映される。抽象論で平和を語るような表現者には、どこか平和とはかけ離れ不健全なエネルギーを発せられると感じられる。基礎の弱い専門性や頭ばかりがでかい生産性や作る物事の効用と外界との対話を適度に持たないと基礎基盤の原理が掴まれず、どこか可笑しな性質が起こりエネルギー循環の適正を生み出さない。妙な宗教や寡占構造の特殊性や物理性への過度な依存症等として取り上げられ、人間形成過程への思慮が深まり人間像が形成される。文化や哲学の中心的な焦点と定まり探求が深められる。犯罪の発生や予防、積極的な生産性と両面の因果への思慮を進める枠組みが作られ、効用と実感という面を中心にしてエネルギー循環の状態と適正度合いを測定し過不足への是正を起こす生産と分配へ及ばせる事が人々の基本的な観点と内蔵される。表層事象に確かな枠組みを提供して、良質性の向上へと及ばせる基本原理が提起される。妙な肩書などへあまり執着する事無く、純粋な観点をもって適当な評価感覚を起こし二次三次に加工された固定概念に寄らない認識と行為へ回り、新鮮な良質性が持続する。

 

良質なエネルギー創造と好循環

8-6根源性ビジョン-良質なエネルギー創造と好循環

未来形成的な概念図が起こされ、それに向けた発想や判断、行為が繰り返され、各種の正負の体験を経ながら、変わりづらい根源的性格を持つビジョンへと高まる。規則性から領域という感覚が強まり、安定した状態に心理面の落ち着きを見る。その落ち着きを保ちたいと、閉鎖的なガードの構えを強めるか、外へ向けた領域の広がりを意図する事において、領域の安定を見るかの違いが起こる。利他を作る意識が湧き続けるほどに、外界への発信力の強い表現が生まれ、外界からの引き合いが起こり領域が拡大する。自利を求める発想が強まるほどに外界への利益を作れず外界からのエネルギーは与えられず領域が萎んでゆく。この衰退路線に犯罪に着手する安易な手法を投じて下落傾向を回避する肥満症が現れ悪循環の深まりに及ぶ。自己の肥満な性質から外界への利益を意図せず自己の消費的な欲求へ回り溜めたストックにしがみつき外界への敵対的感度を強めて外界を理解する近づき方へ寄らない構えから外界を脅威とばかり映しだされる。情緒的親和性を持って近づき真意を探し真意に応える創造によって領域の拡大傾向が続く。ストックとフローの適正を探す焦点と現れエネルギー循環の自然律と悪性面へ陥る因果が掴みだされる。こうした原理に変わりづらい理想ビジョンの描き方や現況の認識を掴み基準から正負を評価して方法へ回る基本的な感性を指し生産の初動的な原理と配される。領域の拡大は侵略的な行為という後ろ向きなものではなく、外界をよく伺い外界が望むエネルギーを発する自主内発の意思による広がりを指し何ら違和感を浮かべるような性格にはなく健全な感性の質量の結果生まれる成長と共存の姿と映る。こうした感性を妨げるような制約は健康なエネルギー循環を縮小させる弊害を指し歪んだ発想で堂々と原理創造力を向上させる基盤的な気質が弱いと物理性への過度な従属性と物理原理による競争の拡大といった面が強まる。人間の心理面と物理性の良好な型枠を不動的土台にした二次三次の創造力が図られて良好な生存と共存の持続的好循環世界が向上する。確かな基盤の盤石性と不動性が固められてより良い競争の原理に至り、根元の狂った競争の過熱とは似て非なる事を指し、持続的健全な競争と創造に及ばせる上での基盤の形成へと力が注がれて良質な基準と競争の軌道が促進される。生産者側のみならず消費者の立場にあっても、規格量産の低価格面のみならず、製品のオリジナル性や生産者の健全な感性に触れて、中長期の健全性を見据えた心に余裕の持てる消費環境が整備されて成長軌道の歪みが矯正される。知的財産権の確保や小さな物理力が成長の妨げにならない原理創造性に比重を備えた良好性の選択を常識と高める観点をもって中期的な構造や制度、法規の形成に及び、長きに及ぶ成長軌道が生み出される。クズな犯罪は粛々と裁くインフラが確固と備えられる事が必須であり、この基盤が弱いと、不動的な健全性が壊れた状態の競争の過熱や節操の欠いた競争へ走り歪な成長の姿へ進む。政治行政が三流であると、経済は歪な成長を見せ、長期性の人間性も下落し、負のスパイラルの性格を持つ競争と悪性の破綻的世界を招く。肥満症がインフラを担うことによる根本的なシステムの瑕疵が起こると正常なエネルギーの循環は生まれない。閉鎖的且つ局所性の利益に執着して根源的不動性の健全な人間像と離れるほどに歪んだ成長と衰退の道筋を進める。根や幹の病んだ有機体は枝葉を無用に茂らせ価値のあるアウトプットへ至らず、肥満な性質の構造を作る。根源性の弱い過当競争は物理性へ従属的な供給と需要構造を進行させる。ここからは、プラスの利益よりもマイナスの人間性を作り長期的には破綻の軌道に及ぶ。根の確かな競争において、持続的に良質な新陳代謝の進むエネルギーの好循環が生まれる。こうした想定から確かな人間性への探求と実現の観点が物事の源流に配され人間性への問いと答えを探す生産に意義が現れる。日頃の経済活動や消費生活と共に哲学や文化の視点が消えない感性と高める習慣が常態して両輪の良く絡まる適正軌道が生まれる。内向きな弱い者いじめに走るような性質が社会の要路に納まると、確たるインフラの備わらないひ弱な精神性と発想を強め肥満者の醜態となる一方向性の過剰な欲求を強める現象が出現し健康な成長を停滞させる。内向き気質の悪性は、健康な感受性を阻害し強いエネルギーに及ばず、愚図な性質で留まり悪性を慢性化させる。以上のような体系的ビジョンが生産や提案の前提と配されて対象の選択をとり適正が生まれる。意図を持つ対象の選択という生産が図られる。観測し伝える人々に、どのような未来ビジョンがあるのか?それが長期的に良好な社会を作る原理と至るか。こうした点への吟味が及んで大きな力を預かるだけの見解の程度が測定し評価を図りメディアと大衆の適正へ繋げるエネルギー循環が生まれる。メディア自体の生存の利益を追求する態度と公益性への探求と良識が求められ、どんな基準を持ち対象を選択し何を問題とするかの思考が生まれる。この面を予め示して堂々と公平公正な評価を図りより良い選択へ向上させる事によってビジョンの創造性が促進される。自己生存欲求と外界の成長ビジョンという利益追求の欲求と事象を選び報じる大きな権利と大きな利益に及ぶ方法論の適正から力と責任の適正が判定される。力の蓄積と保有が進むほどに求められる能力と責任の在り方と備わり根源の原理と作用してエネルギーの好循環軌道が作られる。短期性の金に偏する程に判断を誤り報じるべき選択の優先を狂わせる。物理依存と原理創造性の比較を持ち、前者への過度な偏りにないか。適正が問われる。盗み症は論外であり欠陥に当たり早期退場が相応しい。

 

ロボット化への適正な改善

問題点の抽出-ロボット化への適正な改善

実務体験が弱く机上的な数値で最良性をはじき出し実際の業務の中に挿入させる事によって各種の問題が発生し実務体験から得られる経験則の弱さによる単純方程式の適用に不快現象の起こる原因が見られる。学者の頭の先行した制度設計による単純な施策の投入による悪性面が今日的な歪みを加速させる弊害と映り、体や感受性を経て実務工程からの知見を有さずに机上的頭脳による単純模型化による最良化の生産性が単純物理化や過度な効率性や細分化した業務へのシフトへ及ばせ人間の機械化を増進させる。組織規模の拡大と多種の分業を設けて特定性の高い業務への固定的な従事から思想停止の性質を生み出し人との生身の対話への歪んだ感性を作り上げ異常な犯罪を生む原因と繋がる。生命観が崩れ、いとも簡単に人を刺したり加減の知らない極端な精神性を高め親殺し等というこれまで見られないような特殊犯罪が発生する。生産体制の過度な効率性や規格量産化や資本の買取による会社の取得による財の獲得等の手法が進行して加速的な成果を遂げる意識の深まりが、人のパーツ化を進行させ健康な感受性や創造力の持続的向上を意図しない、固定的限定性の機械化を当てはめる協働関係から人間の歪な性質が強まりそのストレスが各種の犯罪へ及ぶという連鎖性を浮かべ、健全化する為の適正な制度や法規を投じるのが、中長期的な正常性へ及ばせる公共的な観点と起こされる。一部の支配層というような階層に見られる過剰な欲求が人間性の適正への思慮に及ばない強引な手法へと流れこれを推進する作用として有効な生産者が用いられ学者や法律家、政治家などが都合の良いように使われる。物理的な力へ従属的な態度をとって流れに沿う事において生存を繋げるという二次三次の物理的連鎖を起こし止めどない性質の悪化へと深まりを見せる。ロボットとして働く都合の良い性格が重宝し、言われたまま無批判的に物理性へ従う無機質な人間が多産される。規模の極大性を追求する欲求がこうした力と発想の性格に現れ、根源的な側面へ立ち返りそもそもの価値観へと顧みて、軌道修正する欲望が生まれる。感覚的質感と最も遠い性格にある金融業界からの意思が強まり制度や法規の在り方に反映され資本家の都合の良い動きを作り出せる各種業界が生み出される。政治行政の本来的な役割が弱まり物理化する流れが強まるほどに根源的な人間性の劣化を進め破滅的な事件や未来への懸念が強められる。大局的な時代認識としてこうした問題意識が強まりつつあるかと伺える。こうした中で個別的な各種事象の性格が絞り込まれて行きそれへの批判感覚が起こり適正化への感度を当て方角の調整を果たすエネルギーから適正を導く事へと及ぶ。構造的な適正や性質的な面への視線を投じて各種事象の特定と因果の連なりを伺いどんな力を起点に現れるか、更にそうした事象からどんな未来が予測されるか、マイナス的な懸念の強い未来であれば的確な判断をもって有用な方法を投じる態度に健全な生産者の態度が映し出される。受動的な性質による思考停止から悪気なく負の未来を招く事も予測され賢明な人々による多様な観点を表し良好な未来を作る力へと及ばせる事に根源の欲求が現れる。ロボット化した性質への自覚は起こりづらく無意識の犯罪へ流れる。思考停止の受動性は根元を喪失し健康な意思能力を期待できない。

 

4)文化慣習

中身の質実があり、そこに何某かの抽象観念で性格を付けるという思考が形成される。前者に、現象を作り上げている姿が起こり、後者は、傍から眺めて形容する姿になり、感覚的、感受性的な側面と頭脳的作業の対比と現れる。質実は感覚や感受性の発生する場面にあり、直観性の本能的な現象を指し、それに何某かが、評価感覚を起こしたがる。この構造に、どこかフラットな意識から離れた非生産的な感覚が生まれ、分析好きや評論好きな体質が作られる。現在進行形の事象に対して、どこか分断を設けて事象を止め自己の身を投じずに、離れて伺う態度が作られる。評価を付けたいという願望が強く、自ら作る体質が弱まり、事後的な受動性の構えが深まり、外界から制御される基準尺度の細い性質と見られる。実務者と歴史家、経済と政治に対して、教育文化の立場や、ラインとスタッフという色分けにも映り、後者の割合が強まるほどに、中身の弱い生産性が強められる。この傾向が広がって、悪い意味の現代的なサービス経済化の状態へ及び、当事者性の弱い観測者や評論家が前面に現れるような事態に良い心象を与える人々は少数に思います。眺めながら、程よい所でノコノコと現れ、自身が作ったかのような態度を形成し良い所を虫食い的に盗む悪性が生まれ、歪んだ感受性と体質による糧を得る生産の規則性と映し出される。自己の技術と需要の特定されない何でも屋さんの性格と映り、エネルギーの分散的な状態と真面な力を投じる事を避け、出来た物事を利用する生活習慣や机上型の学びを主とする教育作法等によって、生まれる悪性面と映る。過熱しすぎて我を見失い、直観的本能の暴走的な事態へついて、適正な尺度を持ち利害の弱い立場による冷静な事象の認識によって、当事者への適当な助言と作用する場合も見られ、負の面と正の面が浮かんで、存在への意義や理解が進み一定の許容性が生まれる。正の面という性格に映るかどうかは、基準尺度の善し悪しや当事者の効用感の生じ方にあり、余計なお世話や立ち入り過ぎにないか、良い改善の発見に連なった等々、様々な心象により作られる。この自然な実感が作用して、再び耳を傾ける対象となるかどうかのリピートに反映し効用や価値の実態が起こる。こうした二面的区分に対して実際は特定分野の専門知見を集め、誰よりも詳しいと自称し、且つ作り上げるレベルにもあるという実務者と評論の作用が形成され併せ持つ性格と統合される。実務と理論が生まれて基準が作られ自己と外界を測る尺度が備わり、顔の見える主体性と及んで健全な感受性と体と頭の相関から生まれる人間像が現れる。作る次元にあるか、それとも作れはしないが、当該分野の幅広い知見を持つか、等々、多彩なスタンスが起こり、いずれにおいても誰かが必要として、効用を抱けば、意義ある活動と見做される。しかし、対象への影響力が強まるほどに、個性的な性質から次第に一般的な感覚が求められ、多様な視野を取り込んだ生産性へと圧力が働き、角がない当り障りのない抽象的な概念の表現へと進められ、中身の薄さという相関に至る。これを良いとするか、個性的で波風の立つ方がよいとするか、ここにも意見が分かれる。生産者の意図するビジョンを表して限定性を設けその尺度に公平公正なスタンスという構えが生まれて筋の通った健全性が起こり、中身の善し悪しは別にして、健康な体と頭と心の状態を反映した生産者と浮かび上がる。「個性か、一般性か」への解決はこうした基準と適用の公平性に見る一貫性において図られ基準への吟味と基準の適用という二つの面から生産者への異同感覚が生まれる。自己の生産する範囲の認識へ適正な把握を持ち、効用と責任とする範囲が掴みだされ、制御性を備えた性格において健全な性質と伺える。何を作るかの認識が曖昧で、あれもこれもと掻き乱すような態度に映ると感覚と感受性の健康な姿とは映らず、どこか破綻的な性格の負の心象が強められる。他者が作った物事も自己が作り上げたかのように誤魔化し、糧を得る態度には共存への感受性が浮かび上がらず人間自体の破綻とも見做さる。身を投じて作り上げる体験が弱まると作り上げられた物事への尊重心は現れず、頭の理解と体の理解ではだいぶ感覚が異なって生まれるように思います。詐欺や騙し、盗みの性格の強い生産者は外界の良質な性格を破壊させる原因になり信用を作る事への慎重な態度が強まり、或いは何も信用が出来ないという不信性や猜疑心を強める空間秩序が進行する。悪性の生産者は隔離して負の拡大を予防する対策が求められる。こうして一定の健全化へ及ぶフローの適正像が描き出され根元の性質を起点に精査される。

以上のように生産の二面的性質と、統合化した生産と、多様な分業の在り方と、影響に応じた一般化と、個別性と一般化への調和性と、不健全性と健全性、負の生産者への対処と予防という文脈が生まれ、根本の感性を測定する観点が作られ人間自体を知りどうあるべきかの発想へ及びビジョンと生産の制御へ至り基準を持つ主体性と現れる。中長期的な視点へ対峙する習慣と起こり文化慣習という生産性が現れる。どんな様式をもって文化慣習にするかは多様な方法論が生まれる。定期的な見直しをもって根幹的性格への認識を作る発想が起こる事に有用性があると思います。形式と実際、器と中身の相関になり、両者の統合で実感の深まりが生まれる。外界が、迷惑だと意思を表したにもかかわらず、迷惑ではないだろうと解する分けのわからない性格は、壊れているとみなすのが自然でしょう。大丈夫ですか?未成熟というよりも、病的だよ。