自己理論の確立

 

他地域から生まれた抽象原理をなぜやすやすと紹介されるのか理解に苦しみます。自身の育った空間での理論に磨きをかけ、それを胸を張ってご披露するのが根を持った人間の姿であり、その根と基軸に他空間での理論から学びを付加する歩みが真なる調和への道に成り基軸が見えずに他の理論をご案内する事は独立性を備えた人間の営みとは思えません。観測的立ち位置にあっても、この理屈は不動であって自己空間領域での参画が初動に備わり、観測と能動的働きかけを含んだ観測者であって、主体的な活動と描き出される。一時的な商売の反応で目新しい他者の理論を取り上げ注目を集めるかの手法には人格が映らず、一過的な商売人や根なし草という表現が適用される。ゼロベースからの根源理論は自身の感覚体験をベースにした対象との対峙から築きあげられ、根と基軸と枝葉の構成が生み出される。その柱が思考や行為の拠り所となり、健康なエネルギーを持続させ納得性の高い歩みを可能にする。このスタイルを貫くのが真っ当な姿であり、右往左往の少ない主体性と及んで確かな信用形成を掴む人間が生み出される。借り物や模倣、もっと言うと盗みといった姿に恥を感じない感度には残念でなりません。対象との距離を開いた感覚のままの態度は、主客重層の認識構造を持たない夢遊病と映り、拝金性の行き過ぎから生まれる発想や行為は程々に抑え、自律を備えた交わりを多くの人は望まれる事と思います。変な経済人や学者、政治家やマスコミと積極的に関わる事はないと思います。

 

地域の文化力

地方の自治に於いて要に成るのが、首長のキャラクターで在り、市庁舎の空気や町の感性を築き上げる。どんなバックグラウンドを持つかといった表層上の専門性や、幼少期から学生時代、社会人へと至る道の中で、友人や上下関係との振る舞い方等という面に、知識とは異なった人間の本質的属性が浮かび上がる。専門となる知見もさることながら、この対人関係に見る力に対する適正感覚が、倫理や道徳という側面で映し出され、知識や財力等の力の用い方に顕著に示される。

在る一定の全体最適性を求める為の根源的観点は、人々の生身のエネルギーを最大に引き出す大きな動態を如何に描き出すかのマクロの視点と、個々の感覚的なミクロの感性との繋がりと循環を達する事であり、前者の机上的な把握には大凡の規則性が確認されて、誰が見てもそう大きな相違は生まれない。ミクロの創造と需要の面における開発力が、動力の源泉になり、この準備面としての道徳秩序の整備が普遍的尺度となってエネルギーの発生に影響を齎せる。

力に対する媚売りタイプのリーダーからは、この普遍尺度の堅持から外れてもマクロ的数値上の最大化への発想を持ち、表層上の経済を意図される。これはこれで、そのキャラクターの強弱を踏まえた賢明策という評価にも到達する。しかし、それでは場当たり的の一過的事象という性格が否めず、道徳と経済との一貫した循環にあって、気流の太い軌道と持続性への道が生まれ、長く見ると、後者の側からエネルギーの最大性が予測される。この価値をベースにした信用に納得性の高い求心力が集められる。

こうした図式に個々人の理解と同意を深めた真正面からの取り組みに、エネルギーの持続性が生まれ、確かな信用を備えた公正公平な歩みが、良質な文化と備わり長期の基盤と固められる。不正や緩みを生まない一定の緊張基盤が固まり、誰であっても一律の適用による秩序と備え、制約の上の自由の構図が普遍化させられて規範への信用が高まる。

一時の経済的上昇による権力の維持は、いずれかというと小手先の手法であって、個々人に対する誤魔化しの少ない根元からの上昇策を描き、不動的な納得性を高める論理の創出にこそ、長きに渡る成長の礎と固まり、需給相互の健全な成長軌道が生み出される。

現実的には、大地主だからとか、大きな税収を見込める会社だからとか、といった焦点による個別裁量をどの程度考慮されるか、それについての個々人からの納得性がどの程度生まれるか、堂々とした理屈を立てられて、異議の少ない進行を取られる事が、誤魔化しや不信を招かない堂々とした信用形成の歩みと描かれる。

ここに地域のトップリーダーとしてのキャラクターが浮かび上がり、知見という限定のノウハウとは異にした強い欲望と反映される根元の基盤面が現れ、地域力の結晶という姿と知覚される。この感度形成は、成長過程の対人形成面による性格から作り出される。付属的力を排した生身の対人形成の志向の相違が、根源価値の在り方やエネルギーの発生に深く関わり、内向きや外向きという対象への視線の注がれ方に及んで、健全性の尺度からの評価という焦点で把握され文化という体質が浮かび上がる。

物理依存型の内股文化か、内発上昇的原理形成志向の外向きへの対峙か、この違いでの認識が顕著に浮かび上がる。大地主的な土地への執着は、内股のエネルギーとしばしば見られ、創造力の乏しいちぃちゃな御仁が現れるといった指摘も少なくない。幸いにこの周辺には立派なリーダーが目を光らせ、内股を蹴散らす勇ましさが根強い文化と脈々と浸透され、妙な権威に縋り原理の創造を停滞させる気弱で偏狭な人物は一部のようだ。大きな志が比較的生まれる土地柄と思われます。

物理性の焦点

求められる欲望がビジョンに成りそれへ資する力が富の源泉となる関係式が生まれ欲望の質実があらゆる原理の動源に備わる。品物や住居、都市の作りや流通の利便性や規格化が精緻化するほどに人間側の感度もそれに慣れ、少しの狂いも許さない感覚が深まり、人との対話や関係作りにも同質の感覚を欲しがり、ちょっとしたズレに過敏な反応を見せ、用いる言葉や振る舞いの窮屈さに到達する。物理性の原理が人との関係に深まって、感性や表現の多彩性や豊かさを萎ませる傾向が深まる事へは、どこかで冷静な省みを起こし、何を本当に欲しいのかについての問いから、生産や創造の修正を取るのがアナログ的性質を基軸に持つ人間の営みに思われます。

近代からの科学技術の合理性の力に酔いしれて、産業、経済、政治へとこの基礎感覚が増進し社会構造や所得格差と現れて人のモノ化が進行し、貨幣や物的豊かさに対する欲望の単線的な発想が浸透した。この感覚が常識と備わり、身体や精神面の脆弱化された面に対して直視せずに肯定感を強める事から、自己の側へ真摯な対峙を成し心身の健康な正しい道への軌道を持つのが本能的な欲望と思います。物理性へ偏した経済原理で金銭欲にひた走る性格には常軌を逸した心身の状態と映し出されます。このような結果から対人面の免疫が弱まり、生身の接触を怖がり道具への過剰な依存へ傾いた判断や反応が顕著に現れ、道徳の喪失した貧しい感性やひ弱な振る舞い、姑息な発想による個々人の関係や集団間、国家間の関係としてその姿が日々報じられる。秩序を牽引する人々に在っては、第一にこの焦点についての認識を取られる感覚に真っ当な健康体の姿が映し出され、行き過ぎた物的感覚からの見直し策を大局の軌道に備えるのが適正となり、この認識をあらゆる人々と共有し確かな主導を担う判断が求められる。特定空間における固有の現況というよりも科学技術という汎用的力による統一的な原理の反映から起こる一般化現象の性格で捉えられ、共通性の高い快適と不快が感覚的に生まれ人との関係に連なる普遍性の原理と把握される。こうした認識を引き出し適正化の概念を形成する論理的筋道となる一つの感性が本書の文化論における標準図面と思われます。

 

文化伝統の本能

文化伝統の本能
盗み等の犯罪に批判の声が上がるのが普通の感覚であり、盗まれる方が悪いのだというような感性には、どこか馬鹿げた心神の喪失と映し出されます。物理依存症がここまで進んだかという実感が湧きまともな人間がいなくなる事には深い警鐘と共に対処や予防の施策が自然に作りだされる。
このような状態に及んだ原因分析と合わせて有効な施策を導出するのが文化慣習に携わりました人々の変わらない感性であり、短期的な利潤を超えた経済性を度外視した自然感性として特に他領域よりも強い反応が生まれるかに思います。本書における社会システム上の狭義の文化領域と、その中でも伝統的に継承されてきた分野の中枢神経からは、心身を別のモノとして扱う事のない一体的な強い言行が表現される。折からの経済環境の変化によってこの面が壊れかける中にあっても外す事の出来ない原理として体内に深く浸透される人々も少なくないものに思われます。
この人間の根源基盤に長期の価値が備わり自然本能的に歪みを是正する反応が生じ理由が浮かばない行為が生まれ、ここに心身の一体的な健康の所在が確認される。この面がいくらか見える所に人格の実感に及んで信用が生まれ協働や付き合いを始められる人間が生まれる。又は感覚的工程の繰り返しの中で次第に深まる事であり、自己の側を省みず初めから対象への過剰な期待を持ち二次情報での過度な依存で感覚工程に進めず、精神面の軋轢に対する免疫低下や利己的欲望の強い性格が今日的な傾向に見受けられます。ボンボン化体質という集約表現が生まれます。
このエネルギーから各種の思索が深まり有効な創造を模索される意識が途絶えず持続する。伝統文化の実態はこの本能にあり生産事物や行為に現れ、知覚として映し出される。科学技術の力への依存が高まる度に人間側の内心力が弱まり瞬間的な利便性を求める感覚反応が強まるかの因果で浮かび、生じるエネルギーの質に反映される。良質な伝統文化が良質な生産事物へ繋がり良質を感じられる需要側も作る事に成り、この構図を持った活動から不変と変化の良質な峻別が取られ人間性と呼ばれる性質が持続し向上する。歪んだ発想で生計を成り立たせるかの間違ったベクトルは正され、狭義の文化意識が当たり前に堅持され健康なベクトル上での堂々とした競争によって真の光が降り注ぐと描かれます。

文化の健全な感性の構築

行為と規則性で観念が積み上がり、それらを抽象化して原理と浮かび、それが行為を縛る。良質な体験不快な体験からの伸張策や回避策と現れる。快不快の感じられ方が、それらの根になり、感度や志向の在り方が、現況を掴み施策に反映される。

感度は成長過程から創り上げられ、自己創造型の体験と他者からの提供型の体験との比重や割合から、体質が固まり、外界への期待感を強く持つ志向と自己生産型の志向として現れる。与えられる機会が多いと自身で作らず、与えられるより与える方の行為が多いと外界への期待より外界へ期待を与える。こうした過程の相違から、性質の相違が生まれ、以下のような二項対置概念で示される。

・利他的と利己的・固有技術と管理技術・感覚先行と観念先行・創造型と保守型

実際上は、両極端になる事は少なく、自己と他者との協働や自立の相互的関係で、いずれの性格も含んだ反応が生まれ、反復的な対話や協働で次第に適正な基準が知覚されて、自他との良質性を創り上げられるものと思います。

しかし、特異な過程からこれらの極端な体質が生まれ、一方向的な得るばかりで与えない感度が作られ、可笑しな常識感覚のまま力を備えられるような配置を与えると異常な支配願望や相互性の弱い非人間的な個人や集団が生み出される。感覚工程からの観念化によって、適正な感情が育成されて、相互性を持つ感性が築かれる。

この工程を省略して、いきなり知名度や親の七光り等での過剰な力や配置に就かせると、暴走となって現れる。協働生産の体験の弱い二次情報詰め込み型の正当性を、やけに強めた支配管理型の欲望の強さが先行し、過程の良質性よりも支配や得る為の発想を強めた感度を反映した判断や行為が顕著に知覚される。

この性質が随所に見られるのが、現代的な社会構造の負の側面になり、それへの適切な対処と共に、人格形成過程の健全な設計を強化した再構築が欠かせない。負の人格を出来る限り予防するアプローチから、一定の健全なインフラを固め、健康な心身を備えた創造や協働の関係性を築く事に、多くの人々の基礎的な欲望が在るかに思われます。

 この観点からの抽象原理を体系化し、見える化する事で認識の強化が生まれ、思考や行為、選択や判断の基準と浸透する事が人々の欲望充足と見識の良質性となり、各種場面で適用させ良質な創造が深まりを見せる。教育の在り方や、ミクロマクロの産業経済の側面、政治行政の適正、諸外国との関わり方、普遍的秩序の形成と反映といった焦点へと応用し、常識感覚の強化を図るという次元での人間の向上策という面を、歴史からの教訓として取り入れる事が自然に思います。基盤面の厚みを備えた自由な発想という図式に、安定と繁栄の優れた仕組みが創り出される。以上のような発想と思索を重ね出来ましたのが、本書の文化体系論に成ります。

この施策を先行させられて、表層の経済政治行政への適正な判断を実施できる個人が増加する。この面を省略していくら力んでも良質な創造へは進まない。

伝統文化の本能

盗み等の犯罪に批判の声が上がるのが普通の感覚であり、盗まれる方が悪いのだというような感性には、どこか馬鹿げた理性の喪失と映し出されます。物理依存症がここまで進んだかという実感が湧きまともな人間がいなくなる事には深い警鐘と共に対処や予防の施策が自然に作りだされる。このような状態に及んだ原因分析と合わせて有効な施策を導出するのが文化慣習に携わりました人々の変わらない感性であり、短期的な利潤を超えた経済性を度外視した自然感性として特に他領域よりも強い反応が生まれるかに思います。本書における社会システム上の狭義の文化領域と、その中でも伝統的に継承されてきた分野の中枢神経からは、心身を別のモノとして扱う事のない一体的な強い言行が表現される。折からの経済環境の変化によって、この面が壊れかける中にあっても外す事の出来ない原理として体内に深く浸透される人々も少なくないものに思われます。この人間の根源基盤に長期の価値が備わり自然本能的に歪みを是正する反応が生じ理由が浮かばない行為が生まれ、ここに心身の一体的な健康の所在が確認されます。単純反応には及ばず、このエネルギーから各種の思索が深まり有効な創造を模索される意識が途絶えず持続する。伝統文化の実態はこの本能にあり生産事物や行為に現れ、知覚として映し出される。科学技術の力への依存が高まる度に人間側の内心力が弱まり、瞬間的な利便性を求める感覚反応が強まるかの因果で浮かび生じるエネルギーの質に反映される。良質な伝統文化が良質な生産事物へ繋がり良質を感じられる需要側も作る事に成り、この構図を持った活動から不変と変化の良質な峻別が取られ人間性と呼ばれる性質が持続する。この狭義の文化における意義を訴求し続ける活動は少なからず必要に思われます。

 

評価構造(なにをどのように)

評価構造(なにをどのように)
前進的創造面からみると、「なにを、どのように」が行為の焦点であり、個別と共通の志向が生まれる。つまり、「何を」についての共通価値があってそれに有効などのようにという手法への価値と何を自体への賛否という価値が生まれる。この構造を尊重して各自の意思の自由を根に備えるのがフラットな平等感覚に思います。マイナス的削減面には、「なにを」についての限定性が高く、共通性が割と明確になりそれを予防する為の手法というアプローチが生まれる。これらプラスとマイナスの相互因果関係の取り方も、比較的共通的な論理という実感が生まれるかもしれません。
以上の事から誤解を恐れず言うならば、多様性とは前進性に見る「なにを」についての志向で在り、これの共通面と個別面という区分を強調して価値の尊重が高まり、その上で、○○という志向が確認されそれに資する手法に優秀という概念が生まれる。「なにを」の評価は一律になく共通と個別性の上に共通価値と個別領域とを区分する事で一極的な価値の押しつけが予防される。
このようなスタンスが経済性の強い立場と異なる生活者のスタンスから形成され、需給相互の観点を作りだす発想に立脚した人間像と描き出されます。供給ばかりになく、需要を作る発想、何を欲しいか、についての多様な観点を導出する視点を備えた生活スタイル全般を描き出す事に成り、ここから個別と共通の具体的な現れに連なる。その生活スタイルと、実現するに有効な手法に優秀という評価が加えられる。即ち、思いからビジョンが形成されて評価基準らしきものが浮かび社会ビジョン等の構想やイメージと手法という区分をある程度設けた思考に立つのが、理性的な構造と思われます。この想定に立つと、ビジョン形成力自体への評価が優秀性の根源となり、人々を魅了する真に有効の実感が生まれるビジョンを創出できるかが優秀性を計る上流に備わる。「なにを」を作り出せる発想という面を強調して、それへの手法という次元の多段的構成の観念を持ちどの面についての優秀かを特定する論理構造を備える事が合理的な認識に思います。
論理整理上は以上のような区分が生まれ、実際上の感覚からどういう構図が描かれるか、その検証の持続的循環で、次第になにをについての不動性を欲する部分が固まりそれを基盤とした二次三次の何をという連鎖が作られる。この固定概念に新たな発想や欲望、気づき等を発生させられる創造に付加価値が生まれ、創造的優秀性という観念が当てられる。
幸福感の発見や創造、不快感の減少への創造と、両面の関係性を見据えた真価の実感として評価を持つのが、本書の健康概念からの導出になります。単純な利己的発想からの行為を除けば、創造事物を長い目で見ると容易に評価できる事は比較的少ない場合が多く、時をかけた吟味で真価が浮かび上がるのが実態と思います。
表層上の趨勢や流行か、長期性の価値に思える事か、根源的な焦点からの原理を形成する所に納得性の高まる「なにをどのように」が生まれるように思われます。

社会的信用形成の原理

対の取引と普遍尺度による取引の形成過程や独立性の概念の良質な形成への思索を深める事は持続的成長の実現に対して有用に思います。対象の範囲となる創造事物の生産と提供と需要の質量が増加するに従い、直接の取引以外に様々な変数の増加が生まれ、その影響が二次三次と広がりを見せる。(雇用者、顧客、株主、取引先、行政、地域住民、国家間、自然環境等々)

こうした背景から、対の場当たり的な取引基準による自由裁量性は狭まり、予め考えられた尺度を作りそれを公平公正に適用する姿勢や態度が関係者から求められ、影響に対しての責任と課せられる。個別基準性から普遍的基準への程度が上がる過程と現れる。

影響と責任の均衡原理が自然律のように作用して、直接の取引に多様な間接性や観点が加えられ、その影響に対する要望を取り込んだ外界との対話が求められ適正への作用と回り力の制御が生まれる。この適正管理を行える影響の範囲の自己把握と、外からの評価が著しく離れない事によって自他との良好な持続性を生みその客観評価の継続的な仕組みが不可欠とされる。

【主要キーワード】

欲望と力と責任の均衡という標準、個別尺度と普遍尺度、影響と責任、利害関係者、適正範囲、自己評価と他者評価

意図する欲望(空間の支配、自然の所有と利用、生産事物、)そこからの影響、影響に対する要望、適正尺度と適用。

 自然感性から規制としての強化が生まれその遵守が基盤的フレームとなり万人的に求められる。この価値観を備える事が責任感覚の基礎に置かれ対話の出来る準備段階と位置づけられる。これらの意思を物理的力によって超える事は準備段階に至らない主体という認識が形成されいくら表層上の規定の合意に及んでも物理性で反故にする性格とは信用の深まりに及ばない。ここが、社会形成の基盤であってそれを作りだすのは自主内発的な尺度の形成と制約を課す事の出来る自律的な体質からに成り、この形成を持続的プログラムとして備えられ実質上の行為という結果に反映されている空間に優れた評価が与えられる。

文化水準の下落には深刻な反応を取り或いは文化水準と言える秩序の実態がなければ、責任力の劣りとして影響力の縮小や適正範囲への是正を要望するのが妥当な反応と思います。個人というレベルから、各種集団まで、範囲と影響と責任の均衡が作用して適正な社会関係が創り出される。独立の概念はこのような理論から形成されて良質な感覚を備えた行為が生まれる。独立した人間となる上での必然の感性は、自律のシステムが内在する事であり、他者や外圧による受動性の強い体質には自己の都合のよい解釈ばかりを用い犯罪までも肯定する。下限の制約でさえ守れない感覚からはプラスの影響は少ない事でしょう。欲望と責任の均衡観念が人や自然との適正な関係を作る根源の動力とされる。このような感性が実際上に働きその解釈に異同が生じる。

因果関係 

因果関係 
因果関係という言葉が対象の動きを表す端的な観念に成り、外界の状態や外界と主体の関わりを表す事に成る。生じた事象の把握や起こす事象を説明するにも、この観念が人々に最もなじみの深い対象の観念化作法に思われます。原因と結果の構造が備わり、原因には人の意思の有無で種類が分かれ、結果は人の実感された物事が把握され観測と未観測の事柄が存在する。原因は直接的に感じ取られる事と二次三次の連鎖関係で捉えられる間接性の事や感じ方の強弱、速さや遅さという感度の相違が生まれる。人間にとって最も意識が注がれる事柄に対して観測が進み実感に強まり因果関係の連鎖構造が現れる。

生存本能が必要な対象を映し上げ、因果関係として事象の連鎖性をキャッチされる。衣食住と安定需給の仕組みが把握され、そしてより良い需給を作りだし、不安要因の解消と快適性の向上への本能が生じる。この価値観が共有され、協働生産によって効率の良い過程と結果の仕組みが創り上げられる。物質的な欲望の一定的充足が生まれて、情緒性の欲望が高まり、人への喜びを提供したいというエネルギーが増し、その活動に対する感謝の感情が生まれると、物理性の欲望に対してより好環境が齎され、これが一次的な好循環の形成というプラス性の側面と捉えられる。しかし、プラス要素はマイナス要素を不可分的に齎せる因果が備わり、欲望充足の適正を探り制御する次元の欲望が生まれ、二次的情緒性という質の高まる感性が生じる。以上が人を中心にしてみる因果関係の概説と浮かび、この世界観から最良なものと人との関係を探るのが文化活動という領域の主要な関心と現れます。

しばしば生じるのが、観測しているにもかかわらず、観測をしていないという嘘を付かれる。或いは、生産事物について無断で活用しながら、観測していないという盗みが生まれる。これが古くからの人間の弱さから生まれる不快事象の典型であり、これを許す事のない空間秩序を高めるのが健康な人間像への道に成り、文化水準の上昇と及んで未観測事象への適正な感覚や道理を心得た人間が創り上げられる。主客重層の認識構造を持ち、普遍尺度からの客観判定を行える潔い紳士な態度が健康の根におかれ下限の躾が整う。
この感性から公平公正公明な秩序の実感が創り出され、エネルギーの適正な循環と上昇の軌道が強まりを見せエネルギーの最大化への可能性が広がり、その結果、経済の安定と繁栄という事象に到達する。筋違いの正当化は心身の歪みそのものであり、不健康な人間に力を持たせては歪な秩序が慢性化し、経済の健康な成長を阻害される。一切の誤魔化しは効かない自然律と回す事により真っ当で強靭な人間を創り上げる。腑抜けた体質からの脱却が一丁目一番地の改革に思われます。コソ泥の説教が最も不快な事象の一つと数えられ、どうしょうもない愚図という認識に及びます。

エネルギー質量の原理

2.光と影(エネルギー質量の異同と集約)
経験年数を条件と備えられる事へ対する要件規定者の質について問う観点が生まれます。規定者の直接生産目的が置かれ、それに資する要件定義といった自己尺度の形成状態が明瞭に認識されるほどに、他者での経験云々という基準よりも、自己尺度とその要件の構造を描き出し明瞭な基準が創出される。業界における経験年数といった過去の規則性を重んじるスタイルは、現状維持型の要件規定を示すものであり、未来創造型の発想やビジョンが描かれない経営姿勢と捉えられる。
原理創出型の気質を持つ、創業者に於いては、ビジョンを鮮明に打ち出し、絶対性の強い尺度から必要な資源を収集し目的への手法という構造を強く描き出される。他者での経験や過去の規則性と、ビジョンとの相関をどう結んでいるか、その論理が良く見えて主体的能動性が現れ、それへの共感から相互的に納得のゆく原理と行為の密接な協働活動が形成される。
二次情報や相対的評価基準を用いる発想には、ゼロベースからの感覚的経験と空想的未来性を備えたビジョンが生まれず、資源収集の要件も単純性の強い模倣型を引用される。こうした点から経営能力が明瞭に浮かび上がり資源の質と成果に反映される。トップの質が集団の感性を作り、欲望過多で外界への期待ばかりを寄せられるような体質の所には良質な活動は生まれず、この客観的感性の異同が共感や協働への力加減として現れる。盗みや詐欺という品性の程度や、ビジョン形成力と資源配置力、それらの明瞭な表現力、及び信頼性といった総合で力の構成が生まれる。
提案ばかりを欲しがり、自ら提案しない物理依存症のピンはね体質には、根源的感性の同一性に及ばず、良質な協働活動が予測されず、同質の感性を持つ創造活動が生み出される。肥満体質は人への過度な期待を寄せ、自らの創造を表現しない。このような傾向が強まる空間秩序には、良質な芽を増大させる気質が高まらず、利己的欲望の強い物理性による粗雑な反応が多発してパイの委縮と現れる。
肥満者から良質な提案は生まれづらく、搾取的発想の強い主張や行為を予防する健全な秩序の形成が、持続的成長を意図する上では重要な基準に思います。このアンバランスを公平公正に是正するのが創造の基盤策になり、哲学という根っこの在り方が因果の根源に備わりそこの良質性が下流の創造に連鎖して表層事物や発想の質を規定する。
相対性の比較と絶対原理の創造という性格の相違は、エネルギー発生の質量の反映に成りこの差が余りにも大きい事では円滑な協働の持続は比較的短いものと予想されます。感度の近い人々が自然に集まり創造の熱の同質性に快適感が生み出されるのが人と人の関係形成における自然律に思われます。
こうした文脈の絞り込みから問題認識と共に理想像が示され健康な人間像が浮かび上がり、光と影の同時発生という抽象原理で説明されます。『日本文化原論真なる調和への道神からのブラボォー』(p171)にて解説します。
そして認識と行為の妥当な感度の具体性が示され、自他との異同が現れる。動態快適性を志向する感性に比重を取った人間像を備えるのが本書の基本的なスタンスに成ります。