犯罪集団という特定の仕方も実感に及ぶ表現に成り得る事でしょう。集団のトップの感性から、組織員の思考や行為に及ぶか、その伝達の上下感には多彩性が生まれるものの、その組織の生産事物と市場というビジョンが健康な理念の下に示しきれない事には曖昧な組織の性格が現れ、社会性の欠いた行為が生まれる。その実態は個々の不快事象の出現で、特異な個人による犯行か、組織の体質という所までの実感に及ぶか事象内容と頻度で集団の性格が解される。
この性格を有する集団に誤って加わり、性格が捉えられた際に、改善へのエネルギーを投じるか、同質の性格に染まるかを決めるターニングポイントが現れ、その起点から同化か、改善や離脱かの決断に狭まれる。一度踏み込むと、なかなかその感性から離れられずに、どっぷりと悪性に浸かった人格が創り上げられもはや手のうちのない人間が生まれる。早期に改善の道へと軌道変更する良心と決断の弱さが、そのままずるずるとメリハリなく進行し緊張と緩和のバランスを崩される。
個々人の自律の尺度が形成される以前にこの世界に入り込み峻別の取れないまま同質化して、それが尺度に成り常識感覚に備わる。両親の躾や学校の教育、職場の秩序に恵まれなかった事から異質性の高い偏狭な感覚に深まる事への不幸な事象と悪性の広がりという面に対して大きな社会問題と特定して改善案を設ける施策も少なからず必要に思われます。こうした課題解決型の組織編成をとり集中的に膿を出し切り、健康な秩序形成へのプログラムを創り上げ、幼少期から青年壮年成熟というライフスステージの青写真を描く試みも人格形成上の強制的要素として加える事が賢明で豊かな性格や活動を形成する上で有効になり、人格面が固まる前の良質な道筋を表し特異な感性からの弊害を予防する事が求められる。
本書の文化論の総合体系に長期的な人間の普遍性を創り上げる枠組みが提起されこの観念と感覚化を促進する事への有意義性を抱きます。観念詰め込み型からの弊害という面を強調し質実の伴う健康な心身へと人格形成への基盤的習慣づくりへと及んで、意思の備わる主体性の形成を目的にした内容へと高め、実態的、根源的な背骨を備えた人間作りという観点で纏めるプログラムの強化策と描かれます。青少年の育成に関わらず、健康像からの社会変革という総合体系として包括的に進行する事で全体としての上昇が叶うものと思います。子供にとっては大人の姿が最も教育の鏡に成り、そこが歪んではこれから伸びる人々にとって負の影響が強く、寧ろ社会人の質を上昇されて学生への手本を示し良質なマクロとしての人間像が実現される。本書は、この大枠観を領域にした健康化策として編成されております。
持続力と人間像
持続力と人間像
力を与えられて適切に行使する事が求められる。何のための力で在るのかは、公平公正に物事を創り上げる事を望んで託され、下限の制約を超えたものには例外なく制裁処分を粛々と下すのが重要な責務であり、これを放棄しては多くの健全なエネルギーが適正に回らず、役不足や力と責任の不均衡と判定するのが当たり前の感覚に在り、行為に及ばない感覚は理解に到達しない。
組織や集団の士気が下がるのはトップの公正公平なジャッチを欠いた振る舞いから生まれ明快な尺度とその適用を公明正大に行えて信頼が備わりここに不信感が生まれると、エネルギーの強さに陰りを落としその力が恣意的な私有物と及んで一貫した統制が果たされず、もっと進むと乱用に至り暴走という事象で知覚される。
影響力と責任感覚に不均衡感が生まれインフラの低水準化した集団は求心性を失い、各人の利己性が高まり協調的な関係が崩れ表面だけの振る舞いに陥り、下降感が高まると一気に瓦解して新たな勢力にとって代わる。
犯罪者を野放しにされる空間には協調や自制が働かず、判定や対処が遅れるとその感性が慢性化しあちこちで犯罪が進行する。一つのゴミをそのままにする事が如何に悪影響を及ばせるかの認識の弱さが致命的な結末を齎せる。その感度がビニールハウスでの育成の甘さと現れ淡々と責任を執行する事が蔑になる。インフラの崩れは看過せずに処分する事が責任者に課せられた仕事であって、それを出来ない覚悟のないものを担ぎ出すと緊張が持続せずに弛んだ体質が創られる。緊張と緩和の感覚に大きな差が生まれる個々人による協働は長続きせず、この面の感覚の異同が体質や感受性の相違に成り成長過程から長きに及んで生まれる皮膚感と内蔵され一日二日で変えられない体質と備わる。
集団のトップという立場の感性が標準と用いられ、ここが変わると感度も変わり集団が見違え様変わりする。犯罪に加担した者は、その犯罪を公開してまともな人々との同一的なスタートラインに戻る事が出来、それを曖昧にして通常の付き合いに修復される事はなく、その時点から一歩も進む事はない。形式上の犯罪認定に関わらず自然律が作用して実態としての犯罪感覚が体質に備わり表層上の経歴とは異なる実質上の感性として証明される。健康な道筋を歩まれてこられた人々からの嗅覚として敏感に察知されるのが事実上の犯罪認定と言えるのかもしれません。
文化という長期の規則性という焦点でみる実態は隠しようのない証拠と及び、形式上の観念で付くレッテルとは異なり真実に近い認識が生まれる。これが自然作用での判定であり倫理道徳の内実を表し、言論で説くような道徳とは異なった真実の解釈が取られる。ここを質実として原論の信頼性が付加され永年の体質と原論の整合から力の備わった表現に及び物事を動かす質へと反映される。このような文化秩序を確たる基盤に備える教育や秩序が促進され、自主内発的な自律や意思による筋肉質な個々人の感度が備わり、過度な強権的リーダーを必要としない下限の制約が守られた自由の増進になり、緊張と緩和の優れた動態が出現する。
机上の学問からはこの実際感覚は備わらず、生産体験の積み重ねから次第に浸透して自然反応が生まれる。異質性の高い需給構造はこの感覚の異質性となりその違いが明瞭に浮かぶ。そこからの発想として生産や制度づくりの性格が生まれ情緒と理性の割合感覚となって人や自然への感性に及び社会の性格が作られる。単純な盗みという事から、物づくりや制度作りの発想という範疇の事まで根源的な発想の質の傾向が連なり生み出される。この一連性で本質的な性格を掴み文化や人間の質が現れこれらを制御する基盤が健康な人間像となり、各種の発想や創造が生み出される。
持続した領域の質の向上という積み重ねから健康なエネルギーの継続的な積み重ねによる人格が固まり、他者の生産を尊重できる感性が築き上げられる。虫食いや盗みの生産を予防するには、自己生産への集中した活動から骨の備わる人格が作られる。持続しない耐久力の弱さは基軸の薄い人間を作りだし人の生産や人格への尊重が取られず悪性を拡大させる。この性格の生産構造が進む事には負の事象が多発する予測が生まれこの面を考慮した生産やライフスタイルを描き出し健康な心身を叶える秩序が備わる。以上のようにあらゆる物事は密接な因果で繋がりこの認識が得られて良質な創造に及び、健康な基軸の太い原理を中心に物事を多面に想像される感性の有無が人間の質実を作る。物的依存が進んで実感の単純化への傾向には、基軸の弱まりと感性の委縮から多くの危機的な想定が浮かび普遍的な健康像を強調する意義が訴求されます。
日本文化原論 真なる調和への道
文章を見るのに最も重要な事は、「活きてるか・死んでるか」である。活きてる文章は、迷いがない。全体から映し出される伸び伸び感があり、文は人をそのまま映し出される。後ろめたい行為を重ねるほどに、表現がくたびれた感じに現れ、読むものにもその感性が伝播し悪影響を及ぼす。後ろめたい感性が乗り移り死の拡散を生みだす。
健康な人の書く文章は、活き活きしており闇に出会ってそれを解消に導く光り輝かしいエネルギーを感じる。これが最も重要であり、型式などという所に焦点の比重が取られるのは死んでる証拠であり感覚がくたびれ明日を開く創造性の弱い型枠にはまり維持や保守的なエネルギーとなり重要性の序列が健康体と異質の論理で現れる。感覚と頭脳と感情の良好な循環活動に在って、人々に伝わる感性が示され、どこかに偏した活動の周期に在っては目の付けどころに特殊性が深まり、その領域内での常識と広い領域との常識から乖離し内外の調和に陰りが深まり強い発信力を生まない存在に及ぶ。
実際感覚から不快性を感じられる感性は、光を強く望む人間に備わり、対象の闇を敏感に感受されて、それを直したい、改良したいというエネルギーへの変換工程として文章や創造が生み出される。即ち、感受性が物事を映し出す測定器に成り肥満や堕落した体質からは外界の敏感繊細な様相をキャッチする事無く、どうでも良いような焦点を掴み、物事の本質から離れた表現と現れ、強い光という認識に及ぶ創造が生まれない。
こうした原理が根源的な人間の創造性に在り、それを忘れたかの小手先感覚が進む事には、空間の良質なエネルギーを阻害し悪循環の重箱つつきの世界が現れる。肥満性の体質や頭脳過多の規則性には対象からの嗅覚が乏しく感受性の衰退やエネルギーの脆弱性と及び死んだような感性を発し伝播させる。重要性の序列の相違と現れ創造の質に反映され、気流の質量という好循環の増進に連なる主体性とを敏感に峻別できる感性の維持が結果的に真の富の源泉になり人々への付加価値を創り上げる。新鮮な感度という固定概念に縛られないゼロベースの感性が、感じられない事象をキャッチする測定器になり死んだ感性を蘇生させるエネルギーを放ち生の増進を起こされる。
このような側面が強調され、領域の維持や内向き的気流を外に向けた発想へと進行する所に挑戦型の社会観や失敗への寛容性が備わり、閉そく的な発想や質実の弱い価値の序列を砕き、善意の強い再生的な新設原理を花開かせる。
根本面の良質な厚みと自由の促進という構造による健全な秩序形成には、『日本文化原論』の魂が必要に思います。人口的な薬に寄らない自然な蘇生を起こす事が長寿の秘訣で在り、根源からのパワーを生みだす万能薬という表現でも大きな間違いにないものと思います。
秀才気取り体質のマイナス面
野次については、一言で述べると裏でこそこそ悪性を働くやつよりも、よほどまし。
能力がないのに、秀才気取りで裏表の態度差の激しい人格の分離が現代の問題であって、この性格は精神面のひ弱さから、正面でぶつからずに裏でこそこそ姑息な犯罪をやる。これが、頭脳偏重で妙な空のプライドに執着し利己性の高い性格を顕著に示す。権限と責任の乖離した責任意識の弱い体質であり、ミクロ面からの信頼形成を出来ない。マクロに偏した頭脳過多で、根源や生身の感性に欠陥が浮かぶ。この面に教育の改善点が現れ、身体感覚と頭脳の適正な作用を常態させ、客観的な自己認識を取れる責任感覚を備えた感性づくりが、健康な人間像となり、小手先の手法を多用して、人間関係の歪みを拡大させる面への認識が足らず、野次程度の事で過度に神経を尖らせ、実態的な真価から離れる歪みに、煩わしい体質が映しだされる。表裏の離れた人格は、ごまかしは出来ず、明瞭にその姿が知覚され、真価を付けられる目を多くの人は備えられる事と思います。規格量産の生産が、表面的なエラーに神経質になり、物事を動かす本質的なアナログ面の体質を弱められる事には、誤った秩序を作りだし、横道にそれた基軸の細い感性を慢性化させる。
文字文化の発展は、一次体験面の感覚を痩せ細りに繋げる。文字ばかりの認識は、根元からの強いエネルギーを発散せずに、表面上の着飾りを多発させ、やじなどの行為についても安直な指摘を生み、子供の学級会かの様相を感じさせる。頭脳に偏った感覚体験の少ないひ弱さの進行という理性過多や、利己性に偏した物理力の利用といういずれの姿にも、原因は生身の精神的な衰退から作られ、ここに焦点を持って、真に良質な文化基盤を形成する事が重要と考えられます。
1.5次世界の出現
身近なミクロの感覚に健全性が弱く、マクロや海外の活動を訴求されるのは、どこか違和感が強く、健康な心身を備えた表現には思われず宣伝先行型の実の弱さと感じ取られます。ミクロの積み上げから抽象と個別を循環させ確たる原理が創り上げられ、その標準に普遍性が高まるとそれへの忠実な反応が生まれる。経済的利益からの序列も現れるものの、築きあげられた原理の強さから分け隔てのない行為に及び、宣伝先行的な対象との距離感を創り上げる発想に寄らない活動が展開される。
3類型で取り上げた詐欺的感性は利己性の強い体質にあり、ミクロからの原理を構成された過程が弱く物理依存による行為を見せられる。原理構築より物理の反応が濃厚で、普遍性を探求してきた体質とは大凡異なる短絡的な性格の強い経済人の感覚と思います。
詐欺という所まで行くかは、純粋性の感じ方の個人差が感覚工程の差から現れ、頭脳過多で事象を作り上げない体質にあっては、感覚的な感性が弱くそれを見て詐欺と感じるのが現場よりの感性と思います。つまり、原論と内実の乖離性にこの詐欺という感覚が現れ、まともな経路を通った人の感性と頭脳寄りの整理との感性は明らかな差があり、このギャップが事実認識や行動規範の差と現れ1.5次の世界という解釈差が出現する。
サービス経済化から、無形財に対する感度の相違が生まれ、サービスと実感点の差が形成される。そこにグレーな層が生まれて2次と1次の中間的世界が現れる。このズレが深まって対立性の感情から1次的次元の行為に入り、取り返しのつかない溝を開け根深い確執が長い時間尾を引きマイナス性の気流を留められる。この要素がプラス面を濁らせる原因に成り、なくて良い無駄な部分が生まれ好循環の回転を停滞させる。この事からも解釈のズレへの予防の観点が必然に現れ、感覚と観念の多段構成や重層の表現構造といった型枠を丁寧に示し、コミュニケージョンの円滑性への施策が創り出される。更に長期性の健康概念の形成など感覚と観念の開きを予防する為の型式が描かれ相互理解に資するよう、或いは適正配置へ連ねるような標準像をミクロマクロの観点から導出する想像が生まれる。感覚を通して時を積んで質実の在った能力が高められ、マイナスの連鎖を回避できる素養が備わり、これを省いて頭脳寄りの記憶術に偏した能力を計る事から実際との離れた感性や間違いを生みだし二次三次の被害を拡散させる。
物理依存体質は物質文明を根にして、この短絡性も引きだし健康な人間像との異なりを進行させ、1.5次元の感覚を創る。こうした因果でグレーの動態や負の側面が映り、それへの対策や予防に本書の文化体系が有効に思われます。この安定基盤の厚さが良質な経済成長を齎せる鍵に成り一過性の技術等へ過度に依存しない健康な意思を備えた人間が作られる。
文化ビジョンの総括
不動的な根本価値についてのビジョンを以下に表します。盗みという行為が対人関係に於いて最も失望を生ませる行為に成りこの下限が崩れると修復は大変困難であり言い訳の立ちようがない断絶感を生む。これに及ぶ原因分析と予防の施策がミクロ人間像の中枢に備わり文化基盤の崩れを招かない上での初動の視点に現れます。物的感性の進行から単純機械性の経済原理が浸透し意思を持つ人という感性を失うと人の物も自身の物のように扱う傲慢性が増し盗みという行為への歯止めが外れて異常な感性が常態化される。或いは対人上の衝突への免疫が弱まり真っ直ぐに対峙せず逃げの道を選択される精神面の弱まりという推察に及びます。このような面に根本的な原因が見受けられ、物的作用への自己制御を取られる心身の維持が欠かせず、これが人間の柱となる自律の構造になり不動の価値として固められるべき事柄に思います。その基盤が守られて何がしかの欲望と充足の建設的な協働関係が形成され、この過程に於いては多種多様な認識のズレを生みだしながら、相互調整への自制が創り上げられる。確固とした下限の自律があり、創造上の衝突や緩和を成し得る2次元の構造で関係の持続性が浮かび上がります。後者の側での軋轢は、前を向いての意思のズレという性格で在ってここから大きな断絶感は現れないものの、1次元のレベルの事柄には大きな失望感と拒否反応が強まりを見せる。つまり、原理創造型社会や真なる調和性へ向けた軌道とこの下限の自律が密接に絡まり、マイナス面を生まずに建設性の真価を探求する長期の規則性を持続させる活動に不動的根源の価値が定まりこの集約的原理を下にした二次三次の原理の創出に持続的安定と成長を生みだすベクトルが浮かび上がる。そこで見られる実感が内外の一致や有機性概念であり健康な人間像と現れ、これらの焦点を限定して描かれる循環が文化サイクルという認識に及びます。この道筋の認識を強調するのに文字表現による明瞭化を成し人々の意識を強め文化基盤という観念を固めて良好な関係の持続へと連ねる事が意図されます。この筋道が基軸にあってその拡大や延長上に各種のビジョンが配される関係で総括されます。
以上を纏めると、1次元の盗み等の所与的制約、2次元の前進型発想による真理の探究、この間に、利己的偏狭性の強い人々の欺きに見られる活動が見られ、1.5次の曖昧な創造になりここが詐欺という気流の淀んだ対人性を持つ活動であり準犯罪体質・非社会性の発想を常態する。
1次元 下限的基盤、所与的制約、盗み
1.5次元 利己的偏狭性の強い人々の欺き
2次元 前進的創造性 課題解決、好感伸張の人々の営み
前進型発想による真理の探究へと延びてゆく創造活動
こうした次元の異なる精神的世界観が映し取られマクロ的に見ると前2者の負の活動が悪性を広げる動源に成りここを削減し2次元の正の気流を増進させる事が文化水準の上昇と描かれます。これに向けたサイクルを構築し良質性を高め文化ビジョン到達への道筋と纏められます。
人間学の導入-実質と根源の喚起
人を殺す事を肯定はできませんが、殺されてもしょうがないと思うような人は、いないわけではないと思う人も少なからず要るのかもしれません。現代の感覚的な体験の弱い頭脳過多で小手先の発想に偏した体質は、健康な精神から離れて人との良好な感性の循環と間逆の支配願望を高め、提供せずに奪う志向性の強い思考や行為に及び、陰湿な悪性の根元となって負の連鎖性を広げる事象も散見されます。
この振る舞いには実質上の人間観念が含まれず、法で規定された権利を与えるのも違和感が生まれるのが、健康な感性を備えた人々に在っての感覚に成り、実態の人間性を含まない生物と見えても不思議はないでしょう。法で規定される権利にはこの実質的な人間としての状態が計られて、権利の行を持つのが適正な論法に思われます。
感覚的な体質が弱まり頭脳に偏った人との関係に陥り、健康な感性が備わらず、物理的力をリアルに察知できず、浅はかな振る舞いで精神と身体との分離した状態に見受けられる人々が少なからず生まれて、そこに影響力の強い判断等を任せると、とんでもない社会が創り出される。教育や秩序形成の失敗の産物であり、親の教育か学校での良質な先生に恵まれなかったか、入った会社の躾が間違ったか、何がしかの原因で異質性の高い感覚が築き上げられ負の存在と知覚される。
法で規定する権利は、これらの想定を持ち形成されたものか、根底からの設計と運用を考える事から人間形成過程が設計され質実の取れた頭脳と感覚と感情を持つ人間が創り出される。この標準と外れて重要な要路に備わり力との適正な関係を作り出せず、暴走を働く事への対処策や人格要件の吟味と着任、任命者の責任といった点を根源から熟慮して実施する事に社会のニーズが予測され訴求する意義を感じます。
当たり前に在るという感覚に成る事が観念設計上生まれ、作る過程や検証が弱く社会経験の異質な過程や特殊な職業に就き一般感覚と離れた常識におり、まともな人間と扱われていない事へも気づかない特殊性からは良好なエネルギーが増産される事はなく、これらの予防の観点にも文化論の焦点は有効な論理を提供するものと思います。
標準的な感性は一定のクオリティーを持つ産業経済における取引の中に在り、その型枠の一つとしてISOマネジメントシステムの規格が世界中で事実上の多くの企業に採用されている。ここには、取引における基本となる観念と実態が随所に見られ、中でも旧来的な企業に見られる実際に用いらず作っただけの管理規定等の概念は外され、すべて質実の検証を伴うサイクルが基礎感覚に成る。過大な評価も過小な評価も不適合になり、そしてこの運用から強い倫理道徳が形成され自律の取れた常識感覚が内蔵される。外圧や脅しで従属する子供の感性と自己で律する感性との相違は大きく、この面に人権が与えられる基礎条件があり意思を持つ主体という実感が生まれます。
力を持つほどに、この自律力の面が制御へのカギを握り、それまでの過程にいくつもの体験を重ねられて、適正な判断を生みだせる感覚や知見が作られ、この工程を省いて担ぎあげるような運用から大きな被害が出現する。この面への検証感度を高めて、健康な社会ビジョンと現況が掴みだされ、乖離との是正を計る事が基盤の良質性と描かれます。オーソドックスな型式の社会経験を踏まずに作家やマスコミ等といった異質な世界から知名度が作られて重要な配置に就くような愚策には慎重な判断を持ち、社会を作り上げる事が不可欠なのでしょう。公務員にあっても上述のような人格要件に比重を置いたシステム設計から良質性の向上に連なるものと想像されます。
質実に在った配置を根源的な観点から設計し自然な循環を留めないのが健康な感性の増進に繋がり頭に偏った感性の異常には赤信号が灯される。人権概念がその顕著な一例に成り、当たり前に在るという感覚が可笑しな心身の分離に及ぶと感じます。人間を作り上げる意識の涵養と実現に、本書の文化論が基礎教養として備わり、或いは産業経済活動の重要な基盤秩序として需給相互からの質の確保へ、或いは、政治行政の基礎的重要な資格要件として各所に導入する事も有用に思います。こうした『人間学』の導入と強化が21世紀の健康な社会形成の基盤を強めるものと思います。
内外の統一原理
一部の人間の個人的な行為で、その個人が所属される集団全体へ心象が形成される。
多くの健康な心身を有される人々に対して、異質性を持つ欲望から犯罪に着手され、集団としての性格か、ごく限定的な個人の異質性かという焦点が生まれる。どこまでを集団と構えるか、個人の特性とみるか、その連なりの実感をどうみるか、この冷静な分析が現代人の合理性を表す一つの側面に思われます。絶対性の基準には多くの人の感性が反映されて創り上げられる。それを超えるのは、あまりにも異質な特殊性と映し出すのが適当であり、その認識を強めて相応しい反応を見せる事に成る。これを曖昧にして、看過する事は、多くの人々の意思を踏みにじる行為に成り、それがやがてエスカレートして、ますます異質な常識が慢性化する恐れを生む。
大きな国際社会の問題から身近な犯罪まで、行為の本質的な原因にはそう大きな違いはなく、下限の絶対則は普遍の原理に成り各種の場面に適用される。それを表したのが本書の文化論になり、ミクロの人間の性質が、マクロでの判断にも忍び込み、根本原理から快不快の事象が生まれる。大きな影響力を持つポジションに在る程に、ミクロの性質に厳しい要件を当て嵌め、力に対する責任感覚が備わって、適正な行為を生むとするのが、誰が考えても同様の適切性の基本論理かと思います。
この原理を粛々と適用させる意識の涵養が、下限のインフラとして当たり前に備わる水準の維持と上昇が欠かせない。教育の初歩となり、社会秩序の基礎になり、この事実を隠す事無く公開し多くの人の判断を形成し事象の正確な認識をとりそれに相応しい対応が生まれる。
これを歪める事には、大きな精神的な病理と特定され、相応しい配置に移すのがまずもって対処策に成り、そうした人格を生みだした社会的秩序の内実にもメスが入れられ、事象の連鎖性を探り集団的な反応や感覚で在るのかを精査させ報じる義務が生まれる。下限の規範には敏感な反応を見せるのが、健康な人格を持つ人々の適正な姿に成り、ここには一切の妥協は見せずに、行為への対処と予防を徹底させる感性が必要に思います。原論で色々と表現するレベルの事と盗みや傷害という行為に及ぶ事は、明らかに別物であり人格上の異質性と特定される。
海外の事ばかりでなく、国内上のこうした性質を野放しにせず、オープンな判断を見せるのが内外への良質な表現であり、外にばかり求める偏りを生まず、中の掃除も適切に実施する事が、外へ対する力強い正当性を生む。中の不祥事を伏せる事無く、堂々と改善の姿を見せ、外へも同質の原理で反応を一貫させ、内外の一致した反応を作られる事が、実際的な独立的意思を持った主体の認識に及びます。負への過剰な隠ぺいは、陰湿な社会空間への進行に及び、お飾りの正で装う悪性を深められる。
この二重性の増進から様々な態度や行為に生まれ、心身の分離や心神の喪失、偽善の悪性を蔓延らせる。下限の不快行為においては、原論と行為との明確な境が在る事の認識が弱くなり、それを制御できないものが良質な創造を生みだす事は無い。この徹底した感覚は当たり前の感性と思います。この面については普遍原理から同質の適用を持ち内外という境も次第に、なくなるのが健康の増進と思います。一貫した主体性に信頼性が付与される。けじめの取れない馬鹿に人権等というたいそうな権利は実質的に在るとは思えません。必ず命を取るのが自然律に思います。裁判所の見解を伺いたいものです。
普遍的基準からのアプローチ
提供と受容の適正感覚の面が、人々の関係における快不快を出現させる中心的焦点になる。これを実感する身近な場面が、買い物であり、品物に値札が付いて品物と効用との適正を複数の品物の提供者から選択する自由が備わり、自らの意思で購入する事に成る。
そして、消費に回すお金を入手する職場での公平公正な評価と所得における適正感を実感される場面が生まれ、更にその企業体と市場の関係における適正な競争という焦点が生まれ、消費と所得と生産の3つの適正が、経済産業上の焦点に浮かび上がる。
この取引の外側に、人々の共通的欲望形成の場が現れ、水道電気ガス、上下水道、公園道路等の都市施設、港湾・航空・陸上の都市交通、非常時の警察消防、教育投資、年金医療や介護、マクロ経済政策、軍事・外交、法基盤等々の、公共サービスについての負担と受容の適正感が浮かび上がる。
これらの個別的側面と共通的側面に自立と協働の中身が現れ、各自の領域と共有領域の区分や関係性が生み出される。そして、両面の基盤となる根源的な思想や人間像が長期性の観念として形成され、提供と受容の考え方に反映され、人と人と自然との関係が創り出される。大きくはこの3つの層で人間の世界観が構成され、大局や中局、局所における適正と、大中小の連関にみる適正といった視点が設けられ、事象の発生と実感と、それに対する問題や好感、原因の直接性と間接性の思索が取られるのが、生活の基幹道に備わる。
何を問題や好感と取り上げるか、問題改善型の創造と、好感増進型の創造に大別され、主張や行為で表現される。その表現に、共感や賛否が生まれ、共通実感や問題の解き方、方法の適正という点からの吟味が加えられ、賛成や反対、一部賛成反対等という感性の刷り合わせが起こり、その理念の強弱から適正な需給の絵が創り出され協働行動へと発展する。規模が大きく成る程に、その運営秩序の適正が求められ、厳密な目的や目標、共同体の行動規範が作成され、課題に対する手法の適正化策を整備した活動に及ぶ。
問題や好感の感じ方、強弱、許容幅、速度感、等の反応の異同が、感覚と思想の持ち方から生まれ、生産的立場の特色や長い規則性で作られた感性により、生じ方の性格に現れる。共同体志向の規則性と個人的生産志向の規則性等の相違が、これらの体質となって反応の特性に生まれる。更に細かく見ると年代や性別、両親、学校教育、地域社会の性格、国家の運営、等々の視座が体質の形成に関わり、基礎反応と志向性の形が作られる。
概ね以上のような社会生活の基軸焦点が浮かび上がり、各種の事象への対応や予防策、推進策が描かれると想定されます。どんな切り口での主張や創造か、それがどんな関わりに在るかによって様々な対話が創り出され、維持と変化の方向性と具体策が生まれる。これらの抽象的な表現による中心焦点が「受容と提供の適正」であり、何を基準としてその妥当性や満足や不満を表すか論理構成の多彩性が表出され、実感や解き方、協働性の在り方等が生まれる。このような認識の下に、文化論という普遍的な基準を作りだし、現代社会に見る様々な事象の本質的且つ根本的な原因や対処対策への解き方を提供するのが本書の目的に成ります。
社会ビジョンの詳述
社会ビジョンの詳述
良き社会を明瞭に映し出す概念の設計によって人々の共通観念化が進み、その基軸動態に基づいた各種の応用が進行されやすくなる。本書のマクロ観念の設計は、ミクロの人間像を原理として拡大概念で大きな対象を捉えるものに成り、感覚と頭脳と感情の作用を、経済と政治と文化で対照させ大きな循環の系を浮かび上がらせます。健康な人間像はこの三作用の有機的な連なりから生まれ、大きな社会像にもこの三作用を適用して描き出し、健全な社会システムの構成と成長の軌道が生み出される。感覚と観念と感情の三作用の有機的な一体性から生まれる認識行為の健全な型式を基盤として良好な人間像が作られます。この原型を下にして個人や組織、社会という各種の領域構成に適用する。
・ミクロ人間像(個人の構造:感覚と頭脳と感情)
・中間の人間像(企業、産業、自治体等の各種団体)
・マクロ人間像(経済政治文化)
これに各主体性への尊重という観点から欲望の異同という性格を付加して、個別と共通の欲望の概念を当て嵌めると、個別は民間領域、共通を公共部門が主たる担い手に成る。この内容と割合を導出するのが根源の人間像になる。ここに一定の健全な型枠を備え、大きな異質性を生みださない事が欲望と力と責任感覚の均衡への志向を生み、不快事象の予防に連なる。この導出は生滅不可分の概念に対して、生の進行における滅への配慮を少なからず踏まえるのが理性を持つ人間の姿という事から成る。このような哲学的理念を根源の土台に備えた制約とその上での自由という世界に持続的成長を齎す安定と躍動の世界観が生み出され、根源的な観念を普遍の原理と位置付けて健康な個別と共通の欲望が作られる。つまり、ミクロの健康な人間像を土台にマクロ面へと拡張させ社会ビジョンを描き出し、大きな概念の共通性を取る事によって大きな有機体の健康に及び、安定基盤と共に協働性が強まって成長基盤の性格が含まれる。政治と経済に起こるコンフリクトを解消に導く作用といった面で根本概念の意義が実感される。
根本概念は、経済と政治と文化における文化であり感覚と観念の検証となる感情で確認されると共に観念の新設が生まれる。物理的な感覚作用を主軸にする経済活動と、観念寄りの集約作業を生む政治活動との適正感を個々人の素の立場による文化活動で検証し、純粋性の高い実感や感情が表される。その感情とは、理想面と現実面を捉えて妥当性を持つ感情という意味に成り、この思考回路を持つ所に、健康な動機と方法を導出する持続性が生まれる。この構造を標準感覚として物理面と情緒面との適正を導出し、健康な三作用の結果と持続的な向上心を途絶えさせない良質な善と理想へのエネルギーが常態化される。こうしたミクロと中間とマクロの有機的連鎖性の工程が描き出されて、実際の行為に反映され同質基盤性が強まり、その上での個別の自由領域という構造が生まれ、安定と共に自由度の広がる躍動的な発想への寛容さ備えた成熟した健康と成長を叶えさせる。ミクロの健康像という不変的な姿を原理にして大きな協働へと発展させ社会の健康な増進に連なり、極端な物理や情緒に寄る事のない適正感が生まれる。長期の永続性とはこの構図から生み出され欲望と責任の均衡という標準観念と、利他から利己へのプラス的な循環の牽引性が向上し全体としてプラス感情が増進され平和の実感に近づけられる。
CSV(共通価値の創造)等という概念があるようですが、あまりにも底の浅いコンサルタントが考えそうなものであり、上述のような誰もが納得に及ぶような基軸の太い根源からの良質化策が描かれて実際への行為を生む。横文字に価値を置くような従属的負け犬発想の強い文化からの脱皮が要るかに思います。