1)心身の健康

感受性から対象の認識力へ及び、それへの感受性が発生し、方法を導出するのに感覚と頭脳を用いて、快適は増進、不快は減少へとエネルギーが投じられる。この流れから次第に、方法が多産され、物的側面での豊かさが増進され、感覚を使わない環境が生み出された。

人と物との関係が増え、人と人の関係が減少し、感覚的接触が減じて、感受性を経ない事から、その面の劣化や衰退にと回る。感受性の弱まりは、感覚という身体状態の作用に起因し頭脳へ偏した操作性に及ぶ。つまり、科学技術の力を用いるほどに、自身の身体の活用機会は減り、その弱まりと頭脳への作業性が強まり、実態的感覚面からの認識が減り、感受性の弱まりや貧困化へと連なる因果を感じます。このような因果が人と物の関係における実感認識に成り、現況の欲望の生じ方を掴み、人間自体を知る事に成り、それに対する快適不快の感覚が生まれ、マイナスを補う思索へと探求が進み、欲望自体の調整が生み出される。各種生産や法規制・制度の構築への変質が生まれ、その結果を人間が感じ取り、正負の判断を掴み、生産へと循環するサイクルが現れる。自然へも生命を感じる感性が人へと反映され、命と命の対話感覚を持つのと、生命体という感覚が失われた関わりとは、異なる感受性で現れ発想思考行為の相違に及ぶ。対立的な対峙と強要的操作性が強まり、同列感覚がなくなり人間側のエゴが高まり、その充足を基調とした活動が強まりを見せる。それへの満足感が一定程度獲得された分、感受性の劣りへの認識が生まれて、それに対する感じ方から変化の程度が生まれる。

このような想定の下に、人間側を知るのが、文化論の焦点に合わされ、身体感覚と頭脳の作用と人へ対する感受性や物や自然へ対する関わりを知り、どうしたいかの感情を知り、人間自体を知る事に成り、作るという動作が生み出される。身体感覚を用いた生物的な健康管理という面へと焦点が高まり人との対話が増進し、頭脳側の操作性との良好なバランスへ及んで、心身の良好な状態が創り上げられる。こうした志向性への喚起が本書の基調に現れそのベクトルへ向けた施策やベクトル上の強化という性格の論理が各種生み出され、感覚と頭脳の有機性から欲望の健全さに及び、行為や思考が変わり人間が変容するといった一連のストーリーで描かれ、生物的な仕組みと情緒的な側面で人間像が形成されます。犯罪とは情緒的な感受性を根にして作られた各種の制限を超える行為に成り人間の壊れた状態を表しこの状態にある者に力を与えれば社会は乱れるのが自明の理であり根源を取り除く事がシンプルな改革に思います。これ以上でも以下でもなく、淡々と執り行えてインフラの良質性が維持向上される事でしょう。

文化水準の現れと改善過程

「すいません。申し訳ありません」といった失敗を謝罪することばを率直に示す事は健康な感性の現れであり、しかしながら、この言葉で留まる感性には、どこか異常な精神が映し出される。この感覚が想定される主体性には、実際的な感情も能力も見受けられず、実質的な損得を想定した主体性の選択を持つのが、現実的な人々の判断に固まり、失敗や約束を反故にした事に対する行為の実際で真価が計られ、法や制度に過剰な信用を与えずに、個々人の体験から実質的な活きた認識となる知恵や行為が形成される。

この発想の流れが在る一方で、フォーマルな規定の形成や改良を実態に即した運用が行えるように、各種の分析を充て要件の規定を創り上げる活動が併存して生み出される。

損害への規定をあらかじめ定め、実態的な失敗や不快を万が一に想定し、その損害を補てんする事に、誠実さや信用の構えの実態が実感され、現代の商慣行や対人関係の深まりに及び、「すいません、やめて責任を取ります」等という事の不道徳な振る舞いを許さない感度が形成されている。この感覚に至極当然の感情の質実が見てとれ、この異質な感覚を常識と持つ主体への改良が、万が一に対する予防策として思索が深まり、事前型の良質性を作りだすエネルギーが投じられる。社会システム改革等の大きな視点から身近な対人関係という事までこうした視座を持ちマイナス面の回避や予防を考え、実態的な構えを創り上げるのが常識感覚に現れる。

これの以前には基礎的善悪についての認識と実態的行為という初歩的基盤が当たり前に形成され、その上で約束を取り交わす個別の複雑な事柄が想定されて、その履行へと全力投球されて、それでも失敗という面を少なからず想定した関係を作り、上記のような構えが創り上げられる。初歩の基盤の脆弱さは、次元が異なり関係の深化に及ばない。感性の基本的な壊れであり、この認識の弱さは、まともなルートを経て創り上げられる感覚とは大きな相違を持ち、ここに根源の改善点が浮かびます。

政治行政という領域で度々見られる謝罪の在り方や感覚には、こうした民間の感性との大きな乖離をしばしば感じられ、職を辞めて責任をとるかの感覚に、理解の離れた常識感覚が現れる。或いは、物理性への過剰な依存体質から、下限的な法をいとも簡単に踏み超える感性にも、基礎的な道徳を踏み外した振る舞いと映し出され、いずれも文化基盤という面からみると、健全な感性を壊した力への依存症と及び、まともな関係を築きあげる事への困難さが想定されます。

このような根源的な側面を浮かび上がらせて健全な感性を探り、その実態性を高める事が、文化水準の維持や上昇策となり、認識の明瞭性という事から、問題点の絞り込みが生まれて、それへの改良策という過程が創り上げられる。

段階的な区分を丁寧に進行させて、大きな目標へと次第に近づくといった歩み方に実効性が叶い、質実に在った実感を掴む事に健康な感性が現れるように思います。

心身の健全と病気を表す境と思われる所を示して、それへの異同を形成し同質感覚との協働秩序形成に及ぶのが、現実的な実行プロセスに現れる。

以上の想定は、ごく限られた経済行為の一面を焦点にした問題の特定例に成り、実際にはより多数の因果関係の実感があって、細かな問題の認識が創り上げられるものと思います。

 

外界と現場と管理

形式的ルールが創り上げられ、勝敗や各種制限が設けられる。その枠組みの製作が、活動の主体者から望まれる規定で在る事が活きた納得性を帯びるルールに成り、管理型の発想からはこの主体者の側から生まれる発想とかけ離れる。

管理運営側の見る変数と感覚的実施者の見る変数の相違からこのズレが生まれる。両者の側が考える重要ポイントや関係要素を明らかにして、相互の理解を進めて、車の両輪が回り、この相違を曖昧にする事から、対立的な感情が生まれ、良好な発展や成長を阻害する。

何を理由に曖昧にされるか、個々の私欲性を優先し、都合のよい部分に比重を置くとなると不協和音は強まり、対立感覚のままエネルギーの統一感が現れず、強権的な管理運営に陥り現場のエネルギーをふさぎ込み衰退への道を辿る。

または、現場の感覚に偏り顧客を無視した進行から、領域が萎むという流れがあり、その意見を汲み取り集約的方針が現場に伝達され、外界との接点が築き上げられる。顧客の持つ現場感覚の客観的把握が軽視されて、実施主体の現場感覚による身勝手な意志のまま外界を無視して衰退する。

この両面を踏まえた相互調整策が、長い活動を想定した際には不可欠になり、需給の一致や牽引策として現れる。

これが外界と領域、現場感覚と管理型の皮膚感の相違と、相互理解と協働活動の過程に見られ、そして大本には出来る限り近い理念とその解釈の同質性が備わり、いくつもの矛盾を乗り越える調和策が作られる。領域内に理念が留まらず、外界の意思を含んだ理念の成長と及んで、領域の拡大や成長とも見られ、量の増大や質の充実という観点から、これらの方針が現れる。領域が持つ真価の付け方の相違か、利己的個人の性質か、観点の相違によるズレか。

一貫した感度は積み上げ型の体験から生み出される。しかし、その領域からは発見しづらい観点の創出という面が在り、叩きあげ型の感覚と、他の世界での感覚との交わりから良質な施策が生まれるか、悪質な施策と捉えるか、大本の優先価値の同質性がこれらの判断を分けられる。

外界迎合的な領域か、外界牽引型の領域か、その割合感覚やタイミングなど、科学技術という感覚性の力か、情緒的な力か、混合か、

こうした大別で需給構造の認識が生まれ、そして、どこにどんな力を投じるかの決断という作り込みが成され、外界との対話を繰り返し、両面の微調整をどんなスパンで更新するか等の認識と行為の持続的な活動が展開される。

このような活動の観念をある程度備えられて、相互認識の良好性に及び、局所と中局と大局、時の分母感という構造の下に、協働生産や個々人の志向の割合や関係の繋ぎを考える事に思います。全体集約という立場の必要性や、現場感覚の重要性、其々に意義が生まれ、納得性在る進行への意識を持ち、実感を生みながら、大小の成功感覚や失敗感覚を経験し、不変的な価値の認識が形成され、そこからの応用という流れが強まりを見せる。

不変的な価値には、正直、誠実、信用、といった抽象観念で纏められ、その実感規定の取り方に広い幅が生まれると同一感情が形成されない。この微妙な感覚が緊張と緩和の循環という時の重なりを経る事から狭まるものでしょう。

以上のような抽象論と個別性の適用から各自の事実認識や価値形成に連なるという想定が生まれ、共通的プラットフォームの意義が少なからず生まれるように思います。

 

7)前進的創造

美感という感性が発想や思考と行為の源泉に備わり、個人の規則性や社会の秩序を創り上げる。この捉え方に各人各様の歴史や志向性により多彩性が生まれ個別と共通の部分が見てとれます。一見すると全体統制的な発想にこの美感を用いるか、意図の少ない自然な表現を取られるかという面が現れ、前者に嫌悪感が生まれ後者に違和感の少ない姿が映し出される。人に求めるような事ではなく、自身で感じるままにエネルギーを投じ、それを見る人々がどう感じ取るか、或いはそうした視線や想定にもあまり関心を及ばせないのが美の追求という捉え方になる。しかし、これにもどこか社会性の弱い実際的な心理と離れた自己陶酔と映り、変なプライドの優越志向にも見て取れます。つまり社会性を含んだ所に健康な心身の所在が認識され自然な美感という姿に及びます。自己と他者の美感との共通面を探し協働的なスタンスを持ち具体性へと熱を投じる活動が共生という姿になりこの部分が少なからず備わって快適という感覚が生まれる。自己の美感を発揮して影響が広がるほどに影響に対する責任意識へと及んで、社会的・歴史的な中での一要素という認識を持ち良き先人からの恩恵と後世への良好性への意識が生まれて美感に対する責任感覚を抱き大きな快適感の実現と映ります。こうした活動が見られる所に美しいという感性を抱くのが健全な美の描写に感じます。美と醜いを一体的な観念と捉えて共生志向の実在が確認され人間界の永続的な可能性への欲望を少なからず意識に含んで自然な感性となり、破壊的な発想の中に建設的な志向が含まれ力が与えられ前進的創造という言葉が当てられる。この世界に資する方法に肯定感覚が生まれ美をこれに用いる事には○が付き、それへの対価を意図する事にも健全な発想や活動という解釈に及びます。人類の永続性といった大きな飛躍に及ばせなくとも何がしかの幸福感情を提供する事であればそこに意義が備わり、プラス・マイナスの側面を考慮しながらプラス性の増進へと探求し作りだす事には尊さを持つ活動と捉えられる。

それを計るのに、透明公開、客観評価という環境を必然に整えて、健全に堂々とした精神を宿し、自己の都合に偏した主張であるかどうか、公に叶った事であるのか、包み隠さず評価を受ける需給構造を当たり前に備える事が現代の皮膚感覚であり、これに耐えられない主体性は自然淘汰が必然であり、下限の制約を超えたものには一切の妥協を許さない文化基盤へと高める時期に在るように思います。

複雑な感度を単純化する事には物理性の進行が加速しこれにも良好な感受性を破壊する原因となり、そうした中で納得性ある真価を決めてゆくには、堂々と表も裏もない姿へと近づける事が必要になり、小さな利益に偏した閉じこもりの体質には不快の感覚が強く現れる。愚図な体質に合わせる事無く、正々堂々と真価を計る文化を多くの人は望まれるものでしょう。適正評価を取る為の長期的な筋道という点への探究成果として、本書の文化論が有用に思います。犯罪への謝罪が取れない愚図は、しっかりとけじめをつけないと直らない。目障りでありプラスの発想をマイナスに向かわせる元凶に思います。

 

 

複雑という標準感覚

1-5複雑という標準感覚
割合感覚や多様な要素の混在するのが人間という複雑な心理を持つ動物の特性に思えます。この実態を文字や数値で表す事の難しさの認識が置かれて、中長期的な時間の枠組みを設けた規則性や経過という面から、行動の原理を抽象化し部分事象を配置するといった認識の取り方が生まれる。欲望や動機や感情、発想という事を起点にして思考を組み立て行為という具体的な方法に及ぶ標準的な型枠が示される。この絵に描いた通りの実態として浮かび上がる事と無意識的、作為性の少なく生まれる行為や、各要素における内実の混在的な様子など、十人十色の感じ方の微妙な相違があり、これを単純認識や解釈する安易な姿には実態を見誤り、それを広く報じて歪んだ情報を伝播させ悪影響等を知り、そして罪の認識や反省を経て対象への注意深い観測行為や伝達、創造という振る舞いが創り上げられる。こうした背景に、物的力への依存した生活習慣が取り上げられ、複雑な事柄を単純模型化した発想の高まりや対象の外部化という主体側への視点を省いた強欲性に陥り、この性格を含んだ行為に複雑性の単純化という傾向が現れる。実際的な肌感覚の交わりの機会が減少する様々な要素が生まれて、生身の感受性や感覚器官の衰え、欲望の物的化という流れの加速に問題感覚を抱かれる人々も少なくないように思われます。これらの改善に、生活の物的豊かさと精神的な豊かさとの並走的な志向性が描き出され、そこに健康な心身を備えた人間像を表して問題の喚起や改善への施策が生まれる。自然本能に近い欲望として、生み出される反応にも思えます。更に、文字表現や、文字認識という実際感覚の単純化といった性格を持つ文字技術への認識が強調されて、文字文化への正しい認識や利用の仕方への反省が加えられて良質な改良が各種生み出される事に思います。このような根源的な基礎研究に相当するのが、本書の焦点や内容であり物的感覚と情緒的な嗅覚の良好な保ち方や成長への志向を取り上げ中長期的な観点で創り上げる人間の姿への探究となり描き出されます。単純感覚が思考を経て制度に反映され人のモノ化という傾向の高まり等へも、一定の制御を設け健全や健康という観念から両面の適正を備えた生産軌道を作り、物的感覚の強まりに制限をとり良質な感受性の維持に重要性を感じます。このような顕在的潜在的欲望の存在が感じられ有用な施策を設け市場を創造する中での、文化論という大きな枠と部分の認識で捉えられます。仮に、科学技術の利用をプラス面と捉えるならば、そのマイナス的な側面が生まれ、両者を不可分な関係として感じ取り、適正なプラスへと発想を進める事に理性を割合に含んだ複雑な人間に適する方法が生まれ標準感覚が形成される。その前後の許容幅を持ち、変化への免疫や前進の動態感覚を生み、少しでも良好な生産という研究が進められ躍動と安定の世界が現れる。単純感覚を標準とせずに、複雑怪奇な人間の姿に実態を取るのが適正な標準認識になり、異質性に過度な反応を見せ、自己に含まないかのような過剰な特異性の認識を見せる姿には違和感が生まれ、優等生的な振る舞いや表面の美化には表裏や内実の乖離した醜さと映し出される。表面を綺麗にされるほどに裏で悪性を働くギャップを見る事が多々あり気持ちの良くない歪な精神性を感じます。表に欲望を出さずに、姑息な手法を用いるひ弱な精神が実感されこの手の人間が現代の多数派にも見受けられる。これを強調すべき時代背景にあり、人間を過剰に優れた生き物かの認識を改め正負の姿を直視して正への努力を創り上げる一連の行為に健康な美しさを感じます。

不変の真理:

不変の真理:そして、原因と結果を示す実感の取り方から事実という生じた事象の認識が取られる。ここに物的痕跡や人間の動機や発想、欲望の起こり方と行為の規則性から見る因果の取り方が生まれる。この活動に対して、快不快や善悪美醜という心象や感受性が起こり、事実への価値が加えられマイナスを抑制、プラスを増進という志向性と現れる。事実の特定に、どこまでの因果の実感を取られるべきか、感覚の及ぶ範囲や緻密さが事象の特定に作用し、又は感受性の起こり方から範囲が限定される。この無意識的な感覚と意識的な作為性をもって、原因と結果と未来の創造を含んだ判断が生まれる。

法で想定される事柄と物的証拠の実感へと意識が注がれ、法的勝利を意図した対人性が強まる事には偏狭性と精神的歪性が実感され、快適性の増進という目的と法による統治という方法について其々の内容と関係を欲望と充足という面から思索を及ばせ人間自体を映し出し、それへの快適と不快を感じとり、行為の絞り込みと明文化による想定と個別事実の特定が作られ、予めの想定と適用という次元の事実が作られる。予めの想定は、過去の事象と先々の想像を含んで作りだされ未来寄りの適用と過去よりの適用という程度が生まれる。予めの想定について、如何に良好なビジョンを創り上げるかに思想家の真価が取られる。生命への感受性から、願望や方法という具体的な限定に及ぶ因果関係を見るならば起点は生命観にあり、生と滅の良好性へのビジョンを探して土台となる観念が作られる。

滅へは不快、生へは快適感を抱くのが健康な感性であり、これを基本として願望が湧き方法を作る事に標準感覚が定められる。自己と他者、主体と外界を含んでこれを達する歩みを模索される所に人間が現れる。これが感覚と観念を繋ぐ根源の感性に成り人間像の中枢に備えられる。

そして各種創造へと思いを及ばせ正負を勘案しながら最良の道を作りだす事が普遍の理念に想定されます。細部へ意識が集中し根源や基軸があやふやに陥った際に立ち返るべき初動の視点と備えられ正しい方角感を保った意思や論理が生まれる。これらが少なからず万人的な感受性となって事象の連鎖性が生まれて全体としての好循環が遂げられる。現在時点における不変の真理と描き出されます。

年齢や経験の積み重ねにより、いくつもの失敗や成功という感覚を抱きながら次第に考え方が知肉となり現れるものと思います。初めから完璧等という事を目指さずに、感覚的な体験の中で様々な感情や気づきが生まれ、プラスマイナスを味わいながら進行するものと思います。失敗を過度に恐れ観念ばかりを巡らせる事にも健康は阻害され、両面の適度な循環から実態を掴んで徐々に質実の在った体形が固まるものと思われます。大きな観念的土台は外さずに、中小の失敗などには寛容な面が備わって前進的な文化の活力が込み上げられるものと思います。お縄に成っていないだけで実態はコソ泥という人が意外に少なくないかに思われる事を鑑みるとこの面に真価を創り上げるポイントが浮かび上がります。

 

3-2文化改革

 

この活動の要約図に照らして、現代社会の問題点の指摘と改善案を提起し、実効性の在る変更に及ばせる事が文化という切り口での創造に成ります。

問題面:端的に言うと、評価と願望から方法の提起と実施を経て完結性在る活動と見るのが、多くの人々の平準的な活動の観念に思われます。つまり、今日的な問題事象は、評価という所に留まり、方法や実施に及ばない行為について問題視され、付加価値の弱い創造に対して過大な報酬を与えるかの事に平等観念とのズレを生み、適正な付加価値と対価へと修正させる事への要望が高まりを見る。

それも、確固とした尺度のない状態での恣意的な評論や事実の把握の弱いままでの憶測や妄想、誘導という面への不快感が顕著に示され、これらへの改善を強く訴求して空間の健全な秩序形成への軌道を保つ事が健康な活動を備えられる人々の強い要望と現れる。

原因:これらの原因として、感受性の弱まり、頭脳過多体質による弊害、科学技術への依存、貨幣制度の高度化による弊害、人との交流の弱まり、哲学の脆弱な機能の多様や生産、教育の歪み等々が指摘される。

改善案:これらの改善に活動規定の明瞭化、アウトプットの特定と生産領域の絞り込みによる質の高い生産性、方法の発案と実施までを含んだ完結的な創造、哲学の確立、地に足のつく発想や思考の定着や復元、身体能力の向上、完結性在る主体性の確立等々が掲げられる。この筋道が芯の入った活動への修正や改良を齎し、基本概念からの再設計と体質化への規則性を固めて良質な倫理道徳の備わる秩序の深まりに及ぶ。

需給改革:これが欠ける事により盗みや詐欺という行為が慢性的な感覚に含まれ、悪性を広げる事にストップをかける方法と描かれ、社会人への基礎道徳の徹底や、学生への基礎教養として、根源的な足並みを揃えた活動観念の強化を図り質の良い付加価値の確保された生産が遂げられると同時に、需要者側の感度も変容し、良好な需給構造が確立される。価格の算定を確かな見識を持って捉える事や、品物ばかりでなく生産者の性質へも視線を及ばせ、中長期の健全な社会秩序を深める運びに連なり、その感度や常識感覚が、政治行政の仕組みにも反映され、教育経済政治の水準上昇を遂げる基盤面の強化策と描き出される。クオリティーを高める上では、上記の活動観念を創造のインフラと固め、何を創出するのか、付加価値は何であるのか、完結性の周期をどう持っているか、こうした各種のポイントが備わり適正な見識が高まり過不足の修正による快適性の向上といった前進が創られる。言論や行為の質を図り、どの程度の実質的付加価値にあるのか、活動観念を標準にして、その実態を掴む人々の嗅覚が高まりを見せる。文化上昇の初動的観点が以上のように示されます。

倫理道徳

現代に最も求められている事は倫理道徳であり、この観念をどのような日常の実感的な場面で想定されるか、それらをどのように集約的表現で纏め、意識に浸透させて行為へと繋げるか、これらの事の共通実感性をどの程度揃えるべきか、こうした点が前進的創造と共にその動力源になり好き前進の軌道を創り上げる。

多くの事は人が想定されて、その感覚と感情を充足する為に生産が生まれる。これが基幹動態にあり、アウトプットが想定され、それを作る過程と必要な資源とを揃えて、活動が執り行われる。アウトプットの想定に、過去の歴史や未来の志向性を含んだ生産事物が描き出され、自他との対話で共通と個別の実際を知り、受益と負担等の勘案で妥当な一致点を見出し欲望と充足の需給構造が作られる。

これらのアウトプットと過程に於いて、快適と不快という感覚や感情が生まれる。ここに倫理道徳という適正感を表す標準感覚が創り上げられ、やるべきでない事という面での限定的な共通行為類型の認識と、限定性の弱いプラス型の創造とで構成され価値の総体と捉えられる。

これに対して、快適感に成功、不快事象に失敗という言葉が当てられ、この体験の積み重ねから固定概念が強まる面と新たな発見等から変容して更新が取られる。

基準像が標準にあって、成功や失敗という二つの観念で大別され、実際的な感覚にはこれらの割合感覚による程度で、プラス性とマイナス性の感度が作られる。

理想像の程度によって、これらの心象や実感が生み出される。理想像は出来るという実感が少なからずあって備わり、ここの捉え方に、エネルギーの湧き方や、状況把握の程度等が影響して理想と現況と方法の構図で掴まれる。

人間の現況認識という面が、この図式の描き方に現れ、原点となる捉え方が過去の経過から固まり、理想や方法の取り方に反映される。正負の要素をあわせもち構成されるのが多くの人の感覚に成り。正として大切に堅持したい面という所が作られる。定住する空間での感覚的な体験から次第に固まり、プラス要素の標準と備わり、原理という制御盤が作られる。ここに、入る事柄の持ち方が、倫理道徳という観念の主要素と備わり、物的感覚の調整や人との関係形成の原理に作用してあらゆる思考や行為の土台と位置づけられる。これらに自他での異同が作られ、本書に置きましては根本面と共通と個別という3つの区分け概念を設けております。個別体験からの集約という定期的規則性を備えながら、観念化が強まり、個別に反映させる活動の在り方がこの内実や程度に現れる。その型式は各自で様々な取り方が創り出され、伝統文化慣習等という纏まった型式が生まれる。その行事自体の取り方にも多様な実感が備わるものでしょう。このような人間の背骨の形成過程という表現を生みだす恒常的な作用が各所に見られ、前進の良好化に連なって生み出される。根本面いう不動的、普遍的な厚みが異同の良好な関係に至るという実感が生まれます。

これらの感度という面に成長過程からの体質が生まれ、

規格量産的な模倣型と根っこからの創造型という程度差が、論理の解釈や感受性の強弱、精緻性の異なり、主体性の相違という面に現れる。横の論理構成にはあまり異なりは生まれないものの、縦の気質に違いが顕著に現れる。体から創り上げる過程と頭からの形成は、感受性の生じ方の質の異なりを生み力の用い方の相違と現れ歩み方の相違に及ぶ。倫理道徳が内蔵されるのは体からになり頭で覚えるようなものでは心身の分離と及び健康な姿と乖離する。形成過程に実がありその結果からの感度の相違が生まれる。

 

事象の因果と文化論

労使関係の制度に派遣という型式が生まれ、組織への関与の仕方に選択肢が設けられる。これを望む人も職務の特性等からおられる事かもしれませんが、経営側と労働側での感度も異なるものと思われます。

端的には違和感が強く、集団への帰属意識は薄まり組織の財産も売り飛ばす事や盗みが生まれる因果と浮かび上がる。この負の面への対処策に資源を投じてやり過ごす利己的な応急処置が生まれ、人の連なりは希薄化した協働生産体制が現れる。この面が副作用と出現し、安価な人件費という単純解釈ですまされない実質的なエネルギーの向きや強弱、潜在的な不満からの犯罪、二次的被害等の治安の悪化、特異な犯罪の出現等々に及び、根源的な人間の性質を外したストレスという性格の事象にも感じられます。ここから過当競争や物的感覚への修正の起点が作られる。

犯罪に及んだ原因に目を投じ、どこに実質的な問題の認識を実感するかに、表面と根本の構造が映し出され、確かな認識が整い善悪の重みづけが生まれ改善策が投じられる。

局所と仕組みと根源の人間像といった3層の静態構造と、時間の動態で作られた心象等が絡まり、動静の対象として実際的な感度を持つ認識が形成され、全体観の中での部分事象として事柄の適正な性格が把握される。遠くの事が身近に及ぶ事象の連鎖性を分析し上流や根源を捉え、根を変えて基軸の動態へと反映し個々の事象が生み出される。文化論は、根元の健康を追求して、良質な事象を生みだす人々の営みと思います。

 

根源的信用破綻への注意喚起‐サイバー犯罪等の技術犯罪の性格

信用は創り上げる事に成り、過剰に外界へ求めて監視や盗撮、盗聴などの行為は、外界からの信用は得られない。一方的な強欲性がこうした技術を間違った欲望の下にタガを外して用いる所には、信用などは生まれず、人間関係が作られない。資本主義の過度に進んだ物的感覚は、感受性の衰退した壊れた人間を生みだされる。

 このような力の利用に、モラルハザードという言葉が当てられ、物的感性一遍に陥る悪例になり、自制心を保てない物理依存は、金銭への単純方程式で固まり空虚な焦燥感で精神が支配される。情緒的な繋がりを創り上げる初心のスタイルを見失う事が、乾いた感覚を深めて、技術の歪んだ利用にまで着手され、一度その線を越えると、それによる感覚が当たり前になり、汗をかいて信用を作る作法を外される。

 こうした精神状態に行かない聖域を備える事に人間の価値が備わり物理性を内包する感覚と感受性といった特別の優れた測定機を手放さずに、その欲望を充足し続けられる事による満足感や豊かさを味わう事に成る。ここを失うと糸の切れた凧のように、力への従属性が慢性化して、感受性を味わう事無くお金の単純作用に陥り、人との関係から得られる充実感への欲望が生まれず、信用されず信用しない感性によるふらふらした反応や振る舞いが顕著に映し出される。

 人へ被害を与えなければ、敢えてそれへの指摘も控えられるものの、こうした事象が広がる事の懸念が浮かび、被害予防をミクロマクロの観点から講じる必要を感じます。いかれた感性からの悪性の連鎖を、深刻に受け止めた社会秩序の堅持が、失うべきでない価値を守る為に要り、この焦点を強めた事象の観測と表出をさせ、因果への深い理解を認識して、空虚な人間へと陥らない為の問題意識を掴んで、自制の取れた感性が持続可能な成長軌道の確保に繋がる。

 盗聴や盗撮という事への安易な認識は取らずに、軽視できない人間の心理状態を的確に把握した扱いを持ち、歪みの連鎖を留め、技術や力との適正な関係を作る事に感受性という人間特有の価値の喪失を防ぐ事に及ぶ。このような意識を強めて、体験や歴史の知恵から技術を用いる事の要件がはじき出され、この出発点には人間の不動的な感受性が作用し、この面が発想や思考、行為への制約を生みだす動力基盤と備えられる。ここを崩した人間に力を与えない社会の自然律と固める事が重要に思います。

 一種の精神的な病気であって、その自覚症状の生まれづらい性格に見受けられ、箍が効かない深刻な姿という認識の下に、適正な対処や予防策を投じる事が比較的優先度の高い基盤の強化策に浮かび上がります。サイバー犯罪等の技術を用いた異質性の本質はこうした流れで描き出され、軽視の出来ない人間の破壊という姿と認識すべき事柄に思います。

これらの行為になんら正当化する余地はなく、真っ当な道へと更生させる事が犯罪者への正しい対処であり、一部の公的立場にこれらの性質が蔓延るかの推察が及び、これに在っては尚更、神経を張った取り扱いが急務であると思います。マスコミや政治家、インターネット業者という特殊世界をしっかりと健康な歩みに導く個々人の意識の涵養がこうした事象を通して形成されるものと思います。

壊れた感性に対する敏感な反応がなくなり、同化や慢性、浸透という状態に行かない強い意志を働かせる事が文化論からの主要な提起と現れます。