無自覚の犯罪

あれもこれもと安請け合いする事の罪悪感覚を抱かない所に、正常な感性を崩した姿が映ります。自身の技術と目的が絞り込まれず、過剰に広く浅く首を突っ込み、何がしかの口をはさんで実効力への拘りが及ばない事が、過剰な力と責任感覚のアンバランスという認識になり、管理志向型の規則性に多々見受けられる。

特定の課題解決型の動きや、立脚する中心的な観点が弱く、ここから効力や実施力といった効用を果たすエネルギーの集中を見せずに、いいとこ取りを意図するかの発想の不健全な搾取志向ともいう行為には、利己的体質を露わに見せる。

こうした行為や規則性が一部の政治やマスコミ、評論家の感性となり、モラルの脆弱な悪性の秩序を広められる。程良い検証の機会を受ける構造にあって、適当な仕事の範囲を限定して、過剰な安請け合いのような首の突っ込み方を抑制して、領域を絞った効果への拘りを果たす筋肉質な行為に在って、健全な精神と身体の動きに成り、適当な感受性を持つ主体性と映し出される。

システムと人間の調和や、権限と責任の均衡、感覚と観念の適正等々の観点による健康像の実感という表現が、文化という観点からの適正調和を表す実感規定と掲げられて、

上述のようなあれもこれもという過剰な安請け合いに制御がかかり、共生感情を示す事になる。自意識過剰や自己陶酔型の感性が、自己生産技術の意識を曖昧にし、効果を上げる責任感覚が離れ、自己を見失った利権への過剰関与型の行為と現れる。

これが別の言い方をすると盗みや詐欺という行為に近く、頭と体の分断した不健全な感受性と表される。この姿が意外に多く見受けられ、どこか健全な歩みを外した客観性を崩された姿と知覚され、日常的な観点から浮かぶ不調和を感じる焦点と上がります。

原論先行型の社会秩序が、薄く浅い一過性の創造を進行させ、核となる自己生産技術の形成を弱め、あれもこれもとつまみ食いする評論家やマスコミ、政治家という人々を生む傾向には、良質な感受性を崩される下に成り、独自の主体性を追求し尊重する秩序の在り方に健康な成長軌道が現れる。

当方の文化活動という立脚点からは、こうした焦点が目につき、ミクロ的事象からマクロのシステム改良への契機となり正常な姿への是正へ進行させる事に働くと思います。

過剰な管理発想が進む世界には、健康な感受性と離れた感覚が増進され、フラットな感性を壊した無自覚の犯罪が現れる。盗みや詐欺という行為の自覚の及ばない可笑しな感性にストップをかけ、根源的な層からの共生や自立の観念を持ち、物事の悪性を把握する感受性を作るのに本書の文化論が有効に思えます。

多重層世界の認識

多重層世界の認識

客観認識とは「創造事物とそれへの対価の適正」であり、この過不足の少ない状態が独立的主体性に成り、創り出す事物の価値についての算定式をどんな論理で描くかに、創造者としての人間性が現れる。自身が考える創造事物の直接と間接的効用と影響を表し、他者がそれについてどのような因果の実感を取るか、そして、創造活動への適正な対価がどの辺りにあるか、この二つの側面から客観認識が生まれる。

感覚的な効用と影響から、二次三次的な因果関係がどう在るかという積み上げ的なアプローチと、過去の歴史と未来の志向性を含んだビジョンの形成に対して、創造事物がどのように作用するかといった観念的なアプローチという二つの面に寄って客観認識を描き出す事になる。

いつどこで、誰に対して、「何を」「どのように」提供するか。その効用は「○○」であり、影響は「××」である。この創造に対する対価は「△△」が適当である。その根拠は「◎◎」であるから。この論理についての率直な他者からの評価が、購買行為による妥当性の合意で示される。購買行為の自由選択環境度の状態について、当該事物の購入に対して純粋に良い悪いを計りだす環境にあるか。供給的な利害を排した需要者としての純粋な事物の評価と購買が描かれる。

ここに不正な盗みや直接関係ない供給的な利害から、創造事物に歪んだ尺度を加える事のない公平公正な態度が在って適正な付加価値と対価の算定に及ぶという見方を持つか。

直接関係の弱い間接性の因果を含めて、付加価値と対価を測定するか等々の立場上からの利害や、ポリシーの取り方の相違や、中長期性のビジョンの有無が、創造事物への多用な価値算定に現れる。物的な感性を含めずに、純粋な感性による評価を与える秩序にする事が、原理追求型の創造社会に至り、各人の独自尺度から創造事物を計り、相対比較よりも絶対性の測定に及ぶ事が健全な市場原理の形成になる。それには、各人がビジョンを持ち、理想と現況と方法という構図が描き出され、その全体構想にたいして、各種の創造事物を配する事によって絶対性の付加価値測定と価格の導出に及ぶ。感覚的比較に対して観念的なビジョンの有無がこの相違を生む。

長期性の文化ビジョンと、個別特定性の高い需給構造のビジョンといった重層の構造が生まれ、普遍性の高い人間性を想定して、そこから反映される個別特定ビジョンという図式を持つ事が人間性を備えた創造性となる。

個別特定性の立場による物理的な暴走に及ばない為の共通的ビジョンを間に入れて、長期ビジョンと個別ビジョンとの具体的な調整を果たす作用が生まれる。偏ったビジョンによる心身の健康性の阻害に及ばぬよう、健康な感受性という面を不動に添えて個別を制御するのが適当に思います。この面が間接性の付加価値と対価の制御作用に当たり、純粋な長期ビジョンに基づく、健全な精神からの操作を成して、個別への一定理解や正当性が示される。

長期原理に基づかない共通利益の執行者利益の追求からは、個別への納得性が生まれず、普遍原理を下にした公平公正な運用が欠かせない。共通利益の執行者が、長期ビジョンを持たずに個別生産者と同列的な中期ビジョンで運用すると個別性との軋轢が多産され、競合的な状態を招かれる。政治が経済と競合する事を回避するには、長期性のビジョンが在って、それを下にした中立性を確保して、個別との適正な距離感が創り出され、個別と共通と根本の健全な軌道が叶えられる。根本面のビジョンがない所には、健全な安定と繁栄の軌道は持続せず、詐欺や盗み、物的力の制御が生まれず、世界を破壊に導かれる。文化による付加価値算定と適正対価という図式が根本に備わって、大枠のフレームを作り、その中での各種個別の付加価値と対価を生みだす事が、客観性という真理の導出と描き出される。経済領域を主たる活動にされる人々の客観性と、政治や文化という領域における客観性は多重層関係による捉え方の相違がうまれ、この理解が弱いと単純物理性の客観性で支配的になり偏狭な感受性の人間世界が進行する。こうした世界観が本書で言う光を指し良質な感受性を備えた創造の導出が意図されます。

未来の光

未来の光

熱い寒い、痛いや程良い等の生理的感覚と人が現す喜ぶや哀しいという心理的な感受性が備わりそれらが動源になって、エネルギーが湧きたち思考を巡らせ方法を作りそれを試してどのような感受性が現れるかを実感し、思いやエネルギー、思考や方法へと微調整が生まれ、再度、プラス型の感受性が生まれるように挑戦が繰り広げられる。

人へ提供する前段に自身で試してどんな感受性が生まれるかの実感を持ちそれを仮説として他者へも提供し同じような感受性が生まれるか、異同を掴み良好な作用へと探求が進められる。感じた事と、新たな感じ方や、感じる事が出来なくなった事等という感受性の変容が生まれその因果を探る事も自身や他者を奥深く知り人間自体を作る事へ及ぶ。

外界の動きを感じ取るのは主体自体に他ならず、自身の変容に視線が取られて外界を知る事になり主客の一致や不可分の関係で表され根源的な物事を捉える視座が生まれる。

外界を把握する作業は主体側の性質から現象となり実感や事実等の観念が適用される。つまり感覚を受け観念記号に変換し記号を通して対話が作られ異同感覚を把握し感覚の増減等を意図した協働が生まれる。個別から共通へ及んで、持続的な向上が意図されて様々な軋轢や衝突を経て変容しづらい型式に至り、それが文化といった根源的な価値と及び人間の叡智と認識される。このような過程により産出されたのが文化集約体系であり、生滅や快不快という感覚的な反応から人との感受性が現れ、プラス型の理念が湧きビジョンが創造され思考や行為という活動の展開を繰り返し、様々な実感を抱き微調整を取りながら洗練された不動的な型式となり、そこに価値を抱き、人に進めたいという欲望が生まれる。

文章で表されて人との対話により気づきや異同の感覚が生まれてプラスの感受性が上昇すればこれらの表現に一定の付加価値が広がる事に思われます。

一方向の創造にはなく相互による最良の創造事物を生みだし同じ時を生きた証として後世へ少しでも良質な作用を繋げ持続的な人間の叡智が積み上がる大きな局面で捉えた活動が文化の歩みと言えるのかもしれません。

他利を意図した大きな欲望と実現による自身の満足感を意図する創造領域になり、当該体系は現代を生きる多くの人の関わりと想いによる結晶として描き出されました。

未来の光を備える事が、現代の闇を掴む感受性を起こし、光へ向けたエネルギーへと転化する。この基本反応の変わらない持続性に人間力の源泉が現れる。

その醜さの原因は、光の乏しさと言えるのでしょう。

平成26年10月12日

1)健康な人格像

「ある程度自律心を備えた主体性」とは、自己生産領域の意義という認識が作られる状態を指し、領域の体系から自己が縛られ、観念と感覚との一体的な整合に及び、人と観念の有機性を持つ状態で表される。その不動性から人格という顔が現れ外界からの識別に及び特色が生まれる。確たる尺度による自己制御が果たされて、他律性に寄らない自己原理からの公平公正な適用が取られて普遍性を有する主体という実感が生まれる。

この個別的性格と共に、他者との共通的な尺度を併せ持ち共生と自立の構造が生まれ、社会的観点からの役割を備えた自我が創り上げられ長期の規則性に及んで文化人という性質が醸し出される。利己的欲望からの排他的な構えを凛とする姿等という解釈を取られる事も見受けられますが本来的な人格という言葉が指し示す内容が含まれず、社会的生産上の意義や体系の確立を持って凛とした姿が映し出され、利他を提供する技術を有する独自性に主体性という言葉が当てられる。

物理性に偏した感性は単純な金額の量や形式的権限の大きさ等を尺度に特性を取られ、技術や原理の内実から計りだす作法と乖離した感性へと陥り、マス広告などでやたらと知名度ばかりを訴求し技術面の独自性が映し出されない。規格量産や規模の訴求へ偏する傾向には人格の画一性に及んで顔の見えない主体性が増加する。そこから自己を律する尺度の形成力が弱まり、他律性や物理性の感度が深まって単純原理で支配的な状態が生まれ、物理力からの指示命令を自己尺度から吟味する事なく意思の弱いまま歯車となり、倫理道徳観の備わらない機械性が生まれる。

その感度に慣れてなんら疑う事無くモラルの欠いた行為に着手され、ただ物的生計の維持の為の創造力へと回転し容易な方に流され感受性の貧困な人間性と成り現れる。確たる体系を築き上げる事無く台本に従い物的原理への依存という姿に及び、これが進行すると金で何でもやる者という認識が作られ、自律の働かない不信者と特定される。下限のモラルと自己生産体系という二つの尺度が作られ自己を制御する主体性が固まり人間という性質の実感が生まれる。同時に自己の鍛練を止める事無く向上心を切らさない謙虚さと寛容さを持つ活動によって技術を錆びつかせず、妙な壁を作り優位性を保つ発想とは異なる健康な向上心の維持されたオープンで豊かな感受性が現れ、対象との良質な調和軌道という文化の道が描かれます。

道徳心を欠いた金や力の用い方という力と責任感覚の不均衡から、物性に偏した秩序を進行させ人間崩壊という状態を招かれる。こうした事を鑑みて力を与えて良い人物像の要件規定や各種ビジョンを描き出し、物性と理性の良質な在り方を持続的に探求し制御する活動が要り、欲望と充足の健康な形をベースにした各種創造への反映に意義が現れ、このような性格に文化という言葉を適用させ広く普及させる事が重要に思います。

1)人と人との長期則

1)人と人との長期則

概ね誠実な心持を取り各々の人格を尊重して、要望や対応、共通の欲望と充足という接点を見出し、互いの利益を追求するのが互恵的関係等と呼ばれる。

この中で、意図せずに誤った言葉の行き違いによる不快感がしばしば生まれる事については、よく話を詰め再修正を行い解釈の幅を揃えるなどして正常な軌道に戻す事が行われる。対象との分断による制御的な発想よりも、相互協調的志向を流れとする健全な協働前進行為となる。

行為による失望感情は、盗みや騙しを常態的発想にされる体質に在り、解釈を揃えて良好な協働生産を志向する発想が弱く、分断感覚のまま相手方から奪う態度が強い性格の持ち主であり、対象との共生感情を根にして信義誠実な態度による創造性にない一方向の支配略奪志向と現れる。

対象との関わり方という根本的な部分での相違があり、利他から利己という調和性が弱く、所与的に悪意性を持つ事や、優越志向が強く自己の概念で固執した序列形成で固まり、対象からの発見や学びの姿勢を持たない姿と映ります。

ここから、適当なギブアンドテークを取らずに、盗みや詐欺という手法に及ぶ。この体質には、標準的な健康な感性からの自然反応を見せ、相手方の態度が治るまでは関わりを避ける事が適当に思います。

積極的に関係を作れる状態に無く、過失への反省や謝罪、賠償という当たり前のけじめを蔑にせずに、メリハリをつけた関係が適当に思われます。健康な基盤となる感性が弱いものとは建設的な関係形成は困難であり人間の普遍的な道理を弁える事なしには良質な持続性には及ばない。

無理に物扱いで利用するという発想も、健全な心身を歪める原因に成り、ある程度自律心を備えた主体性に在って平等感覚が生み出され人間の正常な姿と実感される。

はじめから特権感覚が強く優位な身構えを見せるといった人々にもしばしば遭遇し、これも一種の病に見受けられる。以上のような事から文化という人と人との関わりにおける長期則を考え、そことズレた感性には然るべき反応を見せ、程度を落とさない歩みが必然に思います。

1)文化の中枢

正と負と因果関係-秩序形成の型式

個別と共通と根本

1)大きな力を保有する或いは用いるに際してはその分の負担を成して平等思想の実現という解釈に及びます。

2)そして、共通的な利益は単体で無く効率的に達成させる発想に及び、その範囲と受益には、負担の大小にかかわらず均等に提供されると見るか、負担の大きさに応じて受益が生まれるという見解で分かれる。つまり1)を道理と見るか、その具体的感覚の相違が、2)での見解を分け共通利益と充足に対する考え方や皮膚感覚が現れる。

個別 共通 根本
得る:力の形成 負担と受益 生滅不可分
得る事が出来た

得る事は失う事を作る。責任意識へ反映

負担した分利益を取る。負担の大小に関わらず利益は一律 皆様のおかげ

自身の努力の賜物

大きな力を保有できたのは、皆様のおかげですと見るか、自身の努力の賜物だという意識が強いか、この実感が責任範囲や程度の意識に反映される。多くは両要素の割合感覚として生まれる事に思います。この客観的な実感を表し自他との適正感覚をどの辺りで見るかに調和の妥当性が現れる。

積極的創造事物の評価

創造開発した創造事物と、その効用については、相対的な評価構造で計るか、人間の生命と直結する部分に重みを取った優先順位を設け、評価の序列を組むか等から効用の測定尺度が作られる。更に、開発に及ぶ道筋での負担によって、成果事物を配分するという観点が備わる。これらから、客観的な論理が組まれて力の保有や利用と負担への妥当な程度の実感が生まれる。

絶対性の原理 生命への関わりから優先序列を付ける。
相対的評価 欲望に序列はなく、生命の関わりを原理としない

創造と効用と測定の妥当性についての見解の異同が根に成って、人々の調和形成に影響し快適と不快の感覚が生まれ衝突と調整の過程が現れる。

因果関係

これが身近に実感される調和と不協和であり、この自然感性の背後に備わる根源的思想フレームが長期的な普遍則として因果応報等の型式で抽象化され表現される。生と滅に対する実感の取り方に個人差が生まれ調和の妥当性を作るかに過去の因果の取り方や未来の目指されるビジョンとそこへの因果の組み方が影響しこれらの規律や秩序の型式が社会生活の志向性なり一般認識化される過程が現れる。

因果関係
マイナス

要素

プラスとマイナスの相関 プラス

要素

実感の取り方

感覚と感受性

人間形成過程の相違

成長過程、家庭環境

歴史認識、過去と未来ビジョン等

人間像

どんな因果の実感を見るかに、人間の感覚や感受性が現れ、その姿が人間像として抽象集約され、その像への共感が事象を作り出す原理と作用する。以上のように、正と負と因果関係が人間を映す原理となり人間を作る原理と作用する。ここに快適や不快という平準感覚との誤差が現れ人々の反応が生まれる。このような文化原理とも言う方程式が浮かび上がり、良好な社会生活へ寄与させる為の営みと表現されます。犯罪を働いて、そのままで済む事はなく、必ず同じ程度の犯罪を受けるのが、因果応報となり良質な社会の循環が生み出される。誤魔化しきれる事はないと思います。他人が手を加えるまでもなく自滅される事でしょう。

正と負と因果関係-秩序形成の型式

正と負と因果関係-秩序形成の型式

1)大きな力を保有する或いは用いるに際してはその分の負担を成して平等思想の実現という解釈に及びます。

2)そして、共通的な利益は単体で無く効率的に達成させる発想に及び、その範囲と受益には、負担の大小にかかわらず均等に提供されると見るか、負担の大きさに応じて受益が生まれるという見解で分かれる。

つまり、1)を道理と見るか、その具体的感覚の相違が、2)での見解を分け、共通利益と充足に対する考え方や皮膚感覚が現れる。

大きな力を保有できたのは、皆様のおかげですと見るか、自身の努力の賜物だという意識が強いか、この実感が責任の範囲や程度の意識に反映される。多くは、両要素の割合感覚として生まれる事に思います。この客観的な実感を表し、自他との適正感覚をどの辺りで見るかに調和の妥当性が現れる。

創造開発した創造事物と、その効用については、相対的な評価構造で計るか、人間の生命と直結する部分に重みを取った優先順位を設け、評価の序列を組むか等から効用の測定尺度が作られる。更に、開発に及ぶ道筋での負担によって、成果事物を配分するという観点が備わる。これらから、客観的な論理が組まれて力の保有や利用と負担への妥当な程度の実感が生まれる。

創造と効用と測定の妥当性についての見解の異同が根に成って、人々の調和形成に影響し快適と不快の感覚が生まれ衝突と調整の過程が現れる。これが身近に実感される調和と不協和であり、この自然感性の背後に備わる根源的思想フレームが長期的な普遍則として因果応報等の型式で抽象化され表現される。

生と滅に対する実感の取り方に個人差が生まれ、どのような調和の妥当性を作るかに、過去の歴史の因果の取り方や、未来の目指されるビジョンとそこへの因果の組み方が影響し、これらの規律や秩序の型式が社会生活の志向性と備えられ一般認識化される過程が現れる。

どんな因果の実感を見るかに、人間の感覚や感受性が現れ、その姿が人間像として抽象集約され、その像への共感が事象を作り出す原理と作用する。

以上のように、正と負と因果関係が人間を映す原理となり、人間を作る原理と作用する。ここに快適や不快という平準感覚との誤差が現れ人々の反応が生まれる。このような文化原理とも言う方程式が浮かび上がり、良好な社会生活へ寄与させる為の営みと表現されます。

犯罪を働いて、そのままで済む事はなく、必ず同じ程度の犯罪を受けるのが、因果応報となり良質な社会の循環が生み出される。誤魔化しきれる事はないと思います。

思考の根源的な枠組み

思考の根源的な枠組み

人権概念は日常的な善悪の感覚で言えば、「盗みや詐欺、傷害」という行為が浮かび、これを与えない、受けないといった感覚が常時内蔵され、特定の目的と協働関係という込み入った点を刷り合わせ、欲望と充足を達するのが常識という皮膚感覚に備わる。誰から特別に教えられるよりも自然に備わる感性に思います。

辞書などで改めて見てみると以下のような記載があり、盗みや詐欺、傷害という行為を一段抽象化して集約される権利側の積極的な表し方で示される。少し実際感覚とは離れた表現であり通常の生産活動の過程に即した並びを持って表現する事がより実感に届く表し方に思います。

それが消極的な制約と準絶対則と積極的な創造策という3区分であり、1)で下限則を取り、3)は相対性の事柄と位置づけられ、2)で両者の実感を探り出し、1)に繋がるかもしれないというマイナス面への考慮を持ちながら、プラス性の創造を遂げるという構造で描かれます。

市場と技術という構造を中心に利害関係者が現れ、1)の下限面を一律に備え、3)で両者が感じるプラスの創造が展開される。この直接対話が基礎に成り、そこに行政等の間接性の立場から当事者の良好な関係に資するであろう制約が作られる面と、直接的な関与として制約を課す面が付加される。

この経済と政治の二段構造に対して、根本的な人間性の観点から制約や権利として人間像が描かれ、前二者の関係に持続的良好性への道筋を提案されるのが人権概念に感じられます。民と民、民と公、における関係形成の指針となって、個別事象に反映されて健康な心身を備えた活動の持続性が想定される。

つまり、人権概念だけが個別的な生産関係と離れた抽象原理として掲げられても実感に到達しづらく、個別具体的な事象に即して解釈される所に抽象概念と適用の実感が現れ、納得感や深みある知恵と感じられるような見解を示す事がこの領域の専門家を計る評価尺度に思えます。

抽象原理へ偏した研究へ向かい、個別具体的なケースに当たって当事者への良好性を引き出す経験が弱いと、実効性ある付加価値の産出が認められず、学者や専門家の独り善がりの研究へ陥り、社会性と乖離したプライドが作られてミクロの健康な感受性と離れそれが逆の作用で回り社会への悪影響を齎せる。却って、研究者のエゴによる人権概念が当事者の良質性を阻害し外界との不調和の原因に陥らない為の適度感覚を磨く工程がより良い実効性を備えた人権概念を作り感覚と観念の整合性を持った働きに及ぶ。人々の良質性への施策という広い枠組みを備えて、そこへの一手法として人権概念の創造と適用とする全体観が備わって真に有効な手法が導出され、法律という抽象一般概念へ偏することなく多用な感受性や表現力といった人間心理全般からの良好化策という広角的な構えから個別的な応用や効用が上昇する。この大枠的なフレームとなるのが本書の文化思想体系とも言い換えられ、根源的な人間の理性的な感受性に即した消極と積極に対する因果関係の多様性を探求する構造が示され、人々の多彩な感受性を学ぶ持続的なスタンスに及び良質な概念形成を探し続ける道が示される。

人間が人間として当然に持っている権利。

人間が人間として当然もっている基本的な権利。近代初頭では、国家権力によっても制限されえない思想の自由信教の自由などの自由権を意味したが、20世紀になって、自由権を現実に保障するための参政権を、さらに国民がその生活を保障される生存権などの社会権をも含めていう場合が多い。日本国憲法は、侵すことのできない永久の権利としてこれを保障している。人権。基本権。(デジタル大辞泉より)

1)文化理念と導出の因果

1)文化理念と導出の因果

判断という行為も、その熱の投じ方は様々であり、ちょっとした簡単な事から、ある程度の期間を想定した目的と協働作業や、より一体性を齎せる事等、様々な程度感覚が生まれる。需給構造で言えば、お金を支払う事が決定的な意思表示であり、あれこれ買うそぶりを見せながら、結局は買わないとなると、そこでは何ら意思を表明した事に成らない。これが一次事象の中における行為を表す代表的な側面に成り、この大小の決断によって物事の進捗感が生み出される。

これらの前提に、真摯な対象との対峙を表す姿として、超えてはならない一線を少なくとも守る人格の所在と表され、「盗みをしない事」が外界との初動となり、対象への尊重と協調を志向する態度と認識される。最低下限の作法が整い、各自の主張や表現が繰り広げられ、共通と個別の感覚が生まれ、共通部分に対して深まった意識が進行すると、その実現への行為が生み出される。それが、上述で示したような意思表示であり、これに至って第三者的な構えから当事者性の性格に移り目的と実施の協働生産という関わりの進化に及ぶ。この行為に及ばないものは実質上の行為はなく、なんら付加価値を作り出す過程が弱く、あれこれ虫食い的に恣意的態度を見せて自身の熱を投じられない。情報ばかりを無駄に流し行為に入らない者は生産的でなく、これを「詐欺」と言えるのかもしれません。

騙しの手口となる典型であり、期待ばかりを膨らませるような演出をとり、身を投じない一部のマスコミや政治のような構造にある生産形式の特性等から現れる。これを許すような過保護な規制等は撤廃する事が最低下限の条件になり、健全な相互的な需給構造を作る事が真摯な対象との対峙を叶え、欲望と充足の正しい評価構造を備えた平等思想の実現と言い換えられます。

影響力の大きさに相応しい責任意識が弱いと力を利己的な回し方で用い、下限のモラルも醸成されずに、一方的な要望や支配意識を進めて良好な対話や行為を作り出す環境を阻害する。盗みや詐欺を常態する規則性が深まり人間の劣った姿を増進させる。こうした事から、基準を堂々と掲げ、それに忠実な態度が信用の形成に至り、これによって健康な対話や行為を遂げる態度と認識される。この均等感覚の健全性をつくる事が、文化の観点からは必須の施策と現れ、構造上の歪みを解消する事が真摯な対象との対峙を促進し健康な協働生産への熱を高める事や健全な社会関係の維持や促進に連なる。

物理力の保有や利用の質量に応じた責任感覚が付いてこないと、不健全な感性が増進されて、それを自然律で浄化する仕組みに無ければ悪性は留まり、持続的成長軌道を阻害する。この偏ったシステムに陥らない為の健康な感受性の維持と、その反映される創造活動に在って良質な発想や体質が生まれ、信義誠実な態度と無限の可能性と最大調和性の気流が増進する。このような人間の動態面の良質性に対する意識が劣ると、短期性の物的反応で支配的になり、ストックの過剰性による弊害という原因で特定されます。

下限の不快事象を発生させない為には、力と責任の均衡を求める感覚が必要になり、この過不足を是正する常態的なシステムに在って、健康な感受性を備えた積極的な創造策へと意識が集中し、後ろ向きな性格に及ばない他利から自利への循環系が固められる。付加価値を生みだす基本構造に及び、人間性の上昇と産業経済の良質な成長を同居させた活動の普遍的な原理と纏められる。少々粗雑ではありますが、以上のような因果認識を主として、力と責任の均衡と無限性と最大調和という平等と循環の理念が導出され各種ビジョンが描かれます。

根源的快適性の実現策

根源的快適性の実現策

共通と個別と根源を表す文脈として、以下のような焦点が浮かびます。法律よりの基準による平等状態の実感と、感覚側で見る平等の実感という相違が現れるようにも思われます。多くの人々の活動は、特定技術と市場という需給構造を備え、そこで顧客や従業員、協力企業や株主、地域住民という利害関係者の間で、提供と対価や権利と義務の内容が作られ、その行使という中で基準と適用の適正で平等という感覚が生み出される。各人の個別多様な動態関係における時間の範囲の長い想定と、細かな因果関係といった実際の状態がベースに成る。

これに対して、抽象的な一般則という単純性の尺度から部分的な範囲を区切って、第三者的な利害と離れた立場から法律の観点を適用するのが、法律と運用の過程として浮かび上がる。多くの事実関係から一部分を区切って事実と特定し、それに対する法律の適用という限定的、静態性の構造を作り平等性を計るという行為が生まれる。

当事者間において問題が生まれ、両者の納得感が導出できずに、第三者の知恵を借りる事に成り、解決の手法として法律という型式を取り入れて、個別性の問題に秩序を取る事になる。法律自体も本を正せば、在る問題事象とその集積から、必要に応じて生み出された解決への型枠で在り、形式上は多くの人の民意に触れて作りだされる方法論であり、対処的な性格から予防的な指針と作用し、個別事象を制御する性格へと用いられる。

こうした実感の限定に対して、良好な関係形成を想定する実感の広がりもった世界観を創造するのが文化思想等の活動とも言い表わされ、永年の時を経ながら創り出された人々との良好化策や未来型の発想によるビジョンを描きだす前進性の観念図が創り出され、フォーマルに決まった基準の適用と、非公式な基準による適用とで種別される。

当事者本人の許しなく盗みを働く事は犯罪であり、根源的な不快感が生まれ、犯罪者は犯罪者としての扱いをするのが適当であり、フォーマルな犯罪者認定か、実際の性質の悪性という認識での犯罪体質を持つ主体かという区分の下、快適な性質を備える人々との関係形成に及ぶのが事実上の社会関係に成り、盗み体質などのマイナス性の発想や行為を生みだす者と関わりを持ちたいかどうか、個々人による選択の自由が置かれる。

短期性の損得を先行せずに原理比重の発想という感覚的な自然律として同質的な性格が集まり良質な快適性を意図した活動が生み出される。この側面が根源且つ個別性の各人の嗜好性や志向性であり、法律云々よりも文化という根源的な面から見る人間像と描き出され、望む人間を作る行為へと進行する。どんな感受性に快適を見るか、どんな人間を好むか、どんな社会システムを望むか、どんな経済観や国家観を理想とするか等々へと発展し、その快適性を抱く創造図面と実際の認識から方法となる行為が生み出される。ミクロの感性とマクロの図面との整合性に快適感が生まれ、言行の大きく外れない姿に根源的な快適感を抱かれるのが健康な心身を持つ主体性の実感に及びます。

物性原理が進行して自然な快適感を押し殺す事にならない環境整備によって、良質な人間世界が持続し、これを意図した施策が文化論の創造や実現となり平等思想の堅持された世界に映ります。