3)平和の獲得

科学技術の発達は目覚ましい生活の向上を遂げられた。外界の事物がどう在るか、どこをどうするとどうなるかの探究と実践によって多種多様な道具や制度を創り上げ利便性の向上を齎せた。一方で技術を用いる人間側の変容という焦点を持って人間側の実態を掴みだす事が欠かせない。道具の力に依存するほどに人間の身体や精神面は脆弱になりその力なしには生活が成り立たない程に技術力へ依存した関係を創り上げた。こちら側の認識が弱いままに理想の人間美を訴求され実際の物性に染まった管理的志向性の強い人間関係の形成を取る等、理想と謳われる内容と現況の人間との相反する事態に現代的な人間社会の問題点が浮かべられる。頭で描き表される事と実際の行為との相反した状態には健全な精神と肉体を備える規則性と離反する。このような人間を直視の上に先々の懸念が浮かべられ、マイナス性の事象を想定の下に適正な制御方法を取り入れて弱まった人間への適正な管理を持って制御を果たす発想に、外界ばかりの認識に寄らない主体を含んだ人間と技術の適正な調和策が導出される。人間の側を関心の対象に取り、物理性と理性の在り方がどう在るか、どうすべきかの課題を設けて、人間を創り上げる哲学や文化という領域の活動が生み出される。こちらの側が弱いまま科学技術を気の向くままに追求するに至っては、適正な主客の調和には及ばず、人間の現況を正しく掴み理想を描き適正な方法を実践する事に於いて地に着いた発想や創造性が向上する。こうした仮説を下に各種の方法を実践して空の理想論に留まらない自己を含んだ認識と健全化への道筋が生まれる。論理形成に留まらない実践策という活動を含んだ文化体系と纏め、有意性の強い創造へと及ばせる事が当面の目標に掲げられます。

今日的には、自衛権や集団的自衛というテーマとも密接にかかわり、人間の過剰な美化に陥る事無く、正負を内蔵する実態や精神や肉体の弱まりや、物性依存的体質の進行、管理発想の強まりの面を捉え、先々に想定される不快事象への懸念を持って有効な制御策を投じる事に適正感が生まれます。

頭で浮かべる過度な人間美やその押しつけという歪んだ性質を深める事無く、健全な感性を創り上げる事が重要な課題に浮かべられる。人間自体を直視し醜い実態に目を逸らす事無く適正な認識を持って適当な制御方法を作る発想に在って主客の適正調和が叶えられる。感覚と観念、科学技術と人間、理系と文系といった両面に視野が及んで統合的な観念を作る事に健全な感受性の所在が確認される。根源的な思索を深め盤石な原理の上に、適正な二次三次の発想を持つ基軸の太い人間性に在って適正な安定と成長の軌道が現れ、平和を掴み取る活動が展開される。

根の良質性

他利を作り自利を得るという基本的な関係性の真相には、自身が良いと思う物事を作りだす事が先んじそれを他者にも進め微妙な異同の下に微調整される。しかし魅力が高いほどに細かな違いへ注文を付ける事にはならず中核的部分による誘引がなされる。従業員が働く事へ喜びを抱き会社への愛着が強まり自己と集団との波長が合い言われるまでもなく自ら進んで、つまらない事で悩まされる事無く良いエネルギーが溢れ出るような組織から魅力ある製品サービスが生まれる。訴求するまでもなく外界からの視線が集まり力が投じられる。

会社は株主の物というよりも良き従業員へ魅力を抱き少配当でも付き合いたいと思われるようなエネルギーを生む集団の形成を目標に定める事が理想に思います。打算的な損得が先行するほどにこのエネルギーは弱まり、純粋原理創造性の高い志向性に在って外界を魅了する事物が生み出される。管理発想が強く減点主義や小手先手法で上下を付けて統治する発想に寄る程に純粋な創造性が萎み真に輝く物事が生まれない。こうした面が個々人や集団の遺伝子の中核要素であり糧を得る手段というよりも生き甲斐と至ってエネルギーの集中度や質に及び義務よりも自主内発の没頭が進められる。株主や外界への顔色を伺う受動性と自発型の力との割合に現れ後者が強まる程に良い創造が進み好循環と現れる。

歪な発想で道から逸れた手法による糧の入手は、相手方へ不快を与えるばかりか自身の感性も腐らせ感受性の衰退や退化と至って喜びを抱ける感性が喪失する。この性格が深まる程に人々からの視線やエネルギーは遠のき物性での求心力のみの関係が生まれる。打算性が強く拝金原理が基調と成り自然な態度とかけ離れた違和感の強い偽りの姿が生まれる。創り上げる楽しさに巡り合える喜びが根源的な欲望になりその喜びが他者への喜びに連なり大きな喜びの連鎖に現れマイナスを上回るプラス性の創造世界が強まる。

文化体系の創造もどちらかというと純粋原理の創造性に在り如何に納得性の及ぶ精度の高い体系を作りだせるかに探究が深められ、外界からの要望への対処というよりも直感的本能による自主内発の創造へ及び誰もがそうだと思えるような根源価値を見出す事へ楽しさや遣り甲斐が生まれ表現の精度の上昇への持続性が生まれる。それが結果的に喜ばれるものに及べば更に力が増進して好循環が強まる。

創造への楽しさと産みの苦しみのような面も少なからず生まれて新境地を得られる所に充実が生まれ良い自信に働く。そして未だ不十分という感覚を抱ける所に光が差し込み、光へ向けた力が注ぎ込まれる活動と展開される。負に出会える感性は正を宿す体質に現れ両者は不可分の実感と現れる。マイナスに出会える感覚は生きてる証拠でありこれがなくなる程に死んだ感性を表し創造性への熱が湧かず安易な場当たり策や横道に逸れた発想や逃避への言い訳を生み弱まった姿と映し出される。

偏狭な価値へ留まり外界からの価値の発見に及ばず外界を決まった価値で序列づけ傲慢な態度に気づく事無く不快を与える感性の退化と現れる。定見を作りつつも新鮮さや謙虚さが続行して自己の姿に負を抱ける重層の認識が習慣づけられて、成長の止まらない活動が持続する。根の良質さが外界の資源をエネルギーと吸収し体内に取り込んで良き力へと変換し外界へ出力する回路と浮かび上がる。こうした根と体質において、管理欲望ばかりへ進む事のない文化に至り、生命力の強い不動的根源の力を指し示す。謙虚、誠実、正直、そして健全等という抽象観念で表されます。

文化と経済と政治の相関

企業経営者の立場から見ると売上に対してコストが少なく利幅を広げ投資効率を上げて、株主配当や役員報酬へ配分する経営者や株主優先のスタイルへ力が強められる。短期的且つ即効的な成果を達成するには効率への志向を高めた経営が行われる。しかし、中長期的な視野を含めると従業員への人件費の削減は所得の削減を指し消費が減少し需要が減る流れを齎し生産が減るスパイラルに回る。

マクロ的には安定や成長に及ぶ経済活動の軌道とは外れ、消費支出の割合が伸びる構造に在って二極化という格差の広がらない安定した経済基盤が作られる。又は、規模の合理性による価格競争にも消費が減る因果に及び、大規模生産者へ対する適当な制限を課す事が、入口面からの予防策に成り出口から税収と再分配の調整に寄らない施策となる。理想的な文化政策の観点としては人間の物性化が加速しないように入り口からの制御を持って過度なコスト効率へ走らない施策に於いて心理的な痩せ細りが回避され人間性の下落から下限的な犯罪へ及ばない適正な制御策を図る事が指摘される。

多重行政等の非効率という面がしばしば取り上げられ、行政運営への問題視と現れるものの、事業から所得と消費が作られ需要と生産を落とさずに経済の安定に連ねる施策というプラス面に視線が及んで適正な評価感覚が現れる。民業圧迫という負の面が現れるものの、一定の価格を崩さずに需要の安定に繋げる効果は伺える。民間の弱肉強食の原理に任せると規模の利益へと必然に回り価格競争から人件費の抑制と所得と消費の下落から中長期な生産を萎ませるスパイラルは、経済の安定と成長を損ない経営者や資本家ばかりが優先される構造が創り出される。

政治行政による出口の調整と同時に入口面からの安定化策を取り入れ健全な人間性の維持を図る視点を失う事のない発想が文化論から必然的に指摘される。教育面から健全な人間像といった価値観をある程度備えさせ単純物性型の経済活動に制御がかけられ、即効的な発想が深まらない感性を作るミクロの側面と中局的な規制等による構造作りへと反映され、人間の長期的に見る性質の下落を回避する観点が取られて包括的な枠組みによる物性と理性の適正へ及ばせる公共的な価値を作る事へ一定の理解が及ぶものと思います。こうした志向性の程度から自由主義や個人志向と、社会性や心理面への価値を重要視される立場との相違が生まれ生産領域の選定や思想の傾向と現れ空間の性格が創り上げられる。

各空間の歴史的独自性と物的合理性との適切性を斯様に創り上げるかへの視点に及んで各人の志向性を表す場面が生まれる。単純効率性を全面的に良いとする偏った見え方ではあまりにも短絡的になり経営者や株主の立場と同時に労働側や生活者の視点を併せ持って健全性を見出す発想に健康な人間性が現れる。文化論の視点を欠いた経済や政治は短変数の思考を強め良好な持続的永続の生産性を萎ませる。現代世代のみならず後世への良き環境を繋げる長い目で捉える利益を追求する発想を含ませて利害の一致を見出す厚みある基盤を形成する算式において民度の高い文化への道筋が形成される。

文化理念とビジョン

生産的立場に求められる利益を作る事への軸足を欠き、保身や利己的な発想が強く歪んだ手法を先行して多くの人々を犠牲にする行為が現れる。過去の実績と未来志向との重心の置き方の相違等と浮かび上がり、既得権を守る発想と未来の利益へ価値を持つ発想との違いが作られる。他利と自利と両者の相関の作り方に見られる表現者の性質を指し、真意や本性を明瞭に浮かび上がらせ適正な判断に繋げる準備的な整理が第三者的な利害と離れた観測者に求められる役割にも思われる。

これを欠いて、観測者がいずれかの利己性に加担し、自己の利益を先んじる態度に在っては、社会システム上の欠陥という指摘に及んでも不思議はなく、観測者の独立性となる単独的な尺度の形成と明示と適用から、対象が客観的に配置され信頼性に及ばせる作法が進められる。盗みや詐欺という下限の躾が至らない段階は、これ以前の人格上の欠陥を指し社会的生産者の役割どころではなくその配置に備わる事自体が誤りと伺える。こうした尺度から秩序の刷新を図り、質の向上に及ばせる事が長期や中期の利益を創り上げる道筋に上がり、粛々と過不足への観測を持って負は削減、正は増進への判断を進めて根源的な利益を追求する立場が生まれる。表現の様式と成るポイントは「誰の、どのような利益を意図して、何を行うべきか、」を明瞭に示し、発想上と手法上の適正という二つの面から吟味して生産の評価が加えられる。このポイントが曖昧で、なんとでも言い換えの効くような表現で在っては適正な評価は付けられず、表現自体の質が満たされず測定の要件を欠く。保身的な作為の強い表現か、外界への利益をどの程度充足しようという試みかを浮かび上がらせ表現の質が精緻に測定される。以上のように、人格上の適正と、発想上の適正と、手法上の優劣、という3つの点が、表現を測定する主要素となり、各々の点についての基準の作成と、堂々と明示して、評価を行う側と評価を受ける側の尺度が整い、透明なプロセスによる公平公正な運用に在って、適正な相互対話の様式が生まれる。評価者の尺度が曖昧で、既得権に甘んじた恣意的な振る舞いに在っては活力ある創造性を停滞させ、歪んだ固定化による負の増進という事態を招かれる。

表現者や評論家に独立性の高い尺度と評価と創造の作法が生まれて、この程度から三流や一流という評価が加えられ躍動的な挑戦を活発化させる環境の整備が進み、新陳代謝が加速され歪んだ性質に陥らない健全な社会秩序の維持と向上が遂げられる。過去への過度な執着や、内実の弱い権威主義や、ストック過剰でフローの停滞といった未来前進性の力の脆弱な体質に嵌まる事のない条件整備という面が促進されて、持続的な安定と成長の軌道が強められる。評価される側よりも寧ろ評価する側の適正が問われ、優れた尺度の形成と明示と適用の実態を測定し、評価者の入れ替えを滞らせる事無く進行させて創造性の躍動や牽引に連ねられる。

一般大衆への有益な情報の担い手たる特定専門者の質を測定する要所とも伺えます。言論や表現の自由という点の意図する所は、歪な固定化への対処や予防という面にあり、個々の表現が健全に表出され、明瞭な尺度の下に公平公正な判断が執り行われて、納得性の及ぶエネルギーの投入と変換の仕組みを作る事に生命の健全な働きを加速する為のポイントが示される。こうした思想が文化という長期的な良質化を遂げる肝となり、生命の健全な躍動に繋げるインフラが促進される。寡占という構造的な格差からの弊害への適正な対処の執行や、前進軌道の発想や体質、性質を創り上げる事によって、健全な精神と肉体が叶えられ根本理念を下にしたビジョンと表される。

評価をされる側よりも評価をする側の能力が問われ、ここに焦点を集めて適正な循環を促す事が健全化への適正な作法と描き出される。過去の実績へ偏重した感性に留まらず、物性依存の発想に寄らず、純粋原理の持続的創造に及ぶ規則性に在って、未来への危機と回避や骨太の発想によるエネルギーが出現する。平等思想への拘りが、人間の不動的な根源の定番となる感受性を表し、良好なエネルギーを産出する動力に思われます。この崩れが、主客の適正調和を阻害する要因であり、歪んだ発想や奢った態度に陥る事のない堂々とした気風に在って、健全な人間性の維持と向上への要件と浮かびます。

人間の定番

生産からの学びには、一定の共通的な抽象原理が浮かび上がる。例えば、縁起物の製作では先人という作り手がおり、直接的な製作や道具の使い方、材料の入手先との関係、運搬方法、販売実績の算定等が主要なポイントに上げられる。これに関わる労使関係、生産者や販売者、祭りの開催関係者との付き合いが生まれ何世代にも渡る長い歴史が形成される。代の引き継ぎ等の変わり目に良からぬ発想を持って歴史を自己の有利な秩序へと塗り替える等の歪んだ作為を取る人々も現れる。好意的な発想と共に悪意を持つ主体があり、自己が行うように他者からの態度が返り因果応報の原理が作用する。こうした生産活動の主要なポイントを多くの人々が感覚的に経験し、他領域への推察や類推を持って直接の関わりにない生産対象の理解や予測が図られる。各場面での発言内容に現れる部分とその背景等を予測する感性が育ち、同一事象の見え方にも見る側の経験等から見え方の奥行きや幅が作られ、一から十を窺い知る嗅覚となり個人差が現れる。実体験での生きた経験からの学びは、発想や思考に深く刻み込まれ創造の方式に入り物事を作る原理と作用する。こうした過程で次第に纏まりある原理体系等へと及んで、感覚的な経験の積み重ねと抽象集約される概念が作られ、規範や原理、思想等という纏まりある考え方が形成される。一次体験をベースに生きた観念の集積が生まれ、他者を浮かべる型式に反映される。その仮説と実際の検証で実質を掴みあげる事になり、仮説の形成に多種多様な体験が作用して思い浮かべる発想力へ連なり、その構えを持って事象と接する手順が現れる。工程の省略や物性への過度な従属的な活用に慣れた生産からは、多変数の想定が及ばず粗雑な態度が明瞭に浮かび上がり、物事の進行の円滑性に影響する。書籍等の単純化した図式の入力と実体験からの皮膚感覚の多変数とを持って、協働生産工程でこれらの知の実践が図られる。こうした中で体質の異同等を感じ取り、共通性と個別性の実測が取られ新たな学びと吸収される。自然観や人間観、倫理道徳観という抽象概念と、実際の個別場面での発想や行為との比較に及び実際上の感性を伺い知り、言行の整合や感度の精緻な認識を経て対象の実感が作られる。実務者の工程と観測や評価という工程の質の相違や、分業化される作業の程度等から全体観の描き方の幅に相違が生まれ、未来を予測する事柄も変わり、現況に対する感度や方法の相違と現れる。他利を作り自利を得る常態的な発想が対象への探究力へと現れ、外界を良く伺いそこに適する方法の考案へと示され、他利を叶えて自己の生存や繁栄へ繋げる実践力と現れる。利己性の強い一方向的なエネルギーからは探求性の相違が生まれ、外界への納得性の高い原理の創造に及ばず、物性的な原理で力任せに用いる方法が投じられ、軋轢や対立的な感情を深める粗雑な進行を齎せる。真なる共感に届く協働関係と、物性での強要的な作法という対極が現れ、良好なエネルギーの集約差等と成って、成果事物の程度に反映される。こうした過程から体質という性格が浮かび上がり、各種領域での常態的な基準と備わり物事の判断基準や行動原理の内実が作られる。あまりに感覚差が開くと交流は断絶し程良い対象を探して快適性へ及ばせる事になり、しかしながら間接的な影響が大きくなるほどに無関係ではいられず、何がしかの変化へ力を投じて一定の下地を整える作為が生まれる。こうして根源的な基盤面の同一性への欲求や生産へ連なり抽象原理の同一性への試みが図られる。文化基盤の形成が各種領域における原理の格差を縮小し、あまり感覚の開かない皮膚感と適用に及んで汎用的な同質性による効用に至り長期性の利益が増進される。このような観点や意図に絞って良質化への力を投じる活動に一定の意義が生まれる事に思われます。短期性や中期という質感の事と同時に、長期性の観点が備わって適当な安定と成長の軌道を崩さない力が働き、歪な成長や衰退の構造を深める事無く、根源的な価値を抑えた長期に渡る成長の道筋が描き出される。適当な提供とお返しの感覚的同一性が創り出されて快適なエネルギーの停滞が予防され、好意的な発想に陰りを落とさない善意型の人間性が増進され、猜疑心の深まりや過敏な利益を求めた対立性の不信が調整される。肥満化するほどに基礎的躾を外し、悪性の態度が慢性化して各種不快事象を作られる。自然浄化の反応を弱める事無く欲望と力と責任の均衡を目途にした健全な主体が堅持され、歪性への適正対処を留まる事無く回されて、長期的な利益の確保に必須の原理と作用する。科学技術への依存が深まる生活習慣に在る程に人間側の制御力が試され、アンバランスな感性によると根源価値の下落を招き長期の利益を喪失させる。以上のような周期性への実感や未来ビジョンを望まれる人々がおられれば、文化政策に力が加えられる事と思います。いわば人間の定番を指し、これを持続させる活動に文化というエネルギーが発生する。

酉の市と飾り熊手

商品の販売には、定番と変形と季節物といった3つ程度の製品カテゴリーを設けて、定番を柱に変形で緊張や緩和というメリハリを効かせ、定番の要素分けに季節限定性に特化させた製品という特徴をちりばめて、顧客とのマンネリ等を回避して持続的な関係に及ばせる工夫が設けられる。一定の歴史を持ち成功や失敗を積み重ねて考え方に定見が生まれた生産者の段階に達して作られる持続的安定化策と示される。

定番という型式を作りだすまでには幾多の試練を重ね、ようやく自他との落ち着きある快適を見出し生まれた製品と成り主軸に置かれる。定番については値崩れも起こさないように、いつも同じである事が安心を齎し、決まった時に入手して当たり前のように皮膚感と浸透する事がいわば文化と表される。これを守る工夫が目新しい変形物であり、煌びやかな装いで目を引き定番を引き立たせる役割に用いられる。定番をより深く理解するのに、定番内の要素を細分化して専門性を深めた季節物が作られる。こうした原理が根本的な面から見る人間の性格とも伺え様々な生産に共通的に浮かべられる規則性とも見受けられる。定番と変形と季節物という構成で全体を表し適正な感性の持続へと工夫が図られる。経済社会事象を表すにも、衣食住とそれにまつわる生産要素が生活の柱に成り、家電や自動車が追随し、金融広告、情報サービス業が補完的な配置に取られ、中期的な価値の共通性を政治行政分野が担われ大きな基盤と構えられる。更に長期的な感性の養成に教育文化が配され、人間の根本的性質への重心を間違える事無く持続させる作用を持つ。人間の生産的規則性という面からは、身体と頭脳と感受性の適度な循環が定番を指し、これを標準にする人々に於いて健全な感覚が現れ、分業した生産との比較をとり異質さへの認識と許容性の幅を制御し、全体調和の作為に於いて構造と動態の適正を図る事が求められ教育文化の中心的な課題に置かれる。一過性の強い経済産業という性格の事象と繰り返し使われる磨き抜かれた定番品等とを区分し適正な距離を持って健全な感性が示される。情報産業や金融産業というどちらかというとスタッフ的作用が主流になる構成に在っては、健全性とは少々離れ体を土台にとって質実の高い側面を軸に定めた配置により大きく人間の性質を狂わさない感性が持続する。歴史のスパンを広く取って大きな周期性を想定した型枠を描き人間の本質を浮かび上がらせ、短期周期の変動へ適度な制御を果たす事に於いて、根本や軸足の健全性を備えた人間性が持続する。例えば野球では特殊な相手の攻略にリリーフ投手が用いられる。先発完投型の投手との違いを適度に掴み全体のストーリーを描き出す嗅覚を狂わせる事無く、過度に踊らない制御性を備えた感性に文化の素養が浮かび上がる。中心と主軸を間違える事なくこの感性の同質性が根源的価値を指しこれが近い所に文化が生まれる。

飾り熊手を作りながら思い浮かんだ全体像であり、江戸時代から続く酉の市という慣習と縁起物から感じた一つの規則性を指し私なりの文化観と形成されました。今日、定番が崩れつつあり変わり者を選ぶ感性の進行に懸念が現れ、何を重んじるか、根源的な面から価値を考える時期に映ります。おかまにマイクを持たせるようでは先行きに希望が見られない。

中立性に対する文化的解釈

政治的中立という言葉が生まれた背景等から、真意を押し量り、そして未来の想定に対して有用な解釈を生みだす事が前進という言葉に思います。背景や真意という部分について正しい研究を持つ専門研究者がおられる事でしょう。ここでは、普遍的な純粋概念の面から論理を創り上げたい。

この意味の概括的な意味は、教育現場における自我の固まらない生徒に対して特定の主義や思想を強要する事への制限を持って、特定個人の価値を押しつける事には抑制的態度が相応しいとする意図による概念と思います。憲法でも規定される思想信条の自由から起こされる具体的な場面の想定と表される。

思想信条という概念にも、誰もが当たり前に備えられるべき平等思想という事から、少々癖を持った特定思想という区分を設けて、適正を探る事が健全にも思います。

前者の範囲の事を意図した普遍原理の探究と提起が本書の範疇で在り、誰もが当たり前に感じられるような感性の厚みを持って、個別的志向性へ対する良好な理解と尊重が果たされるという想定を持ち、根源性への有意性を謳う事になります。

この辺りの整理を欠いて、十把一絡げに思想信条等という概念を充てる事に粗雑さが生まれ、ここに寧ろ偏った単純な感性による弊害が生まれる。「過度に押し付けるな」という反応が起こり、違和感の強い過敏な性質と映り、誰もが当たり前に抱かれる同質性を欠いた偏屈な人間性に問題の焦点が注がれる。

健全性概念は、長期的に見る人間性の不動的な型枠を表し、ここの範疇に並べられる事は万人的な価値を指し、これが無いと社会は歪な秩序が育ち、下限的不快事象の発生を進行させると想定される。これが脆弱化しているのが現代社会の問題の根に上がり、健全な基盤を整える試みに需要が備わると思われます。

健全性概念は、一定の強要すべき事柄とも言え、人間性の基礎に組みこむ事へ反対する人は少数派にも思われます。一定の土地に定住する人々に、当たり前の躾や作法の適正を備え、社会の成員という感覚を持って、下地の良好性に及ばせたいとする万人的な要望が少なからず描き出され、ここには因果の実感の差は少ないと感じます。

中立とは、基準の中立と、適用の中立が生まれ、普遍的な原理が根源的な尺度に置かれ、ここから導出される二次、三次の基準を作るのが自然になり、根本への思索が弱いまま、二次三次の原理である事から、言行の乖離した精神分裂的な姿が出現する。過剰な利己性による責任意識の弱い一方向の要望を強める性質に躾の劣る悪性と規定される。マスコミ的な、基準尺度の曖昧な評価へ偏した生産性にはこの性格が濃厚に現れる。生産者としてのビジョンを明示し、日々の事象を適正に計る一貫した姿に健全な精神と肉体が現れる。ビジョンが示しきれない段階では批評等を論じるに値せず、混乱した性質の表現や態度が生み出される。どうでしょう?

文化の正道

自身が受けた不快事象は直接的な原因へ向けて改善への施策を投じる事が適当であり、関係の弱い所へ同質の不快を与えて負を連鎖させない事が、物性原理に寄らない健全な主体性の在り方と描き出されます。不満の原因が明瞭に特定されて対象が明瞭化し、すぐに不満の解消が取られなくても長い時を掛けながら間違えのない手法を投じて壁を乗り越える姿が生まれる。問題から逃げて、関係の弱い所へ付け回す発想が人間の弱さを指し容易な方に流れ過度な保身に縋り、対峙すべき事柄から離れる姿には健全性が映らない。社会的に重要な配置に在る程に、健全で強固な正当性への道筋が求められ、個々人の精神的な強靭性と配置の役割との相関が生まれる。このアンバランスに問題の根があり、大きな利益を創り上げる軌道の持続が図られるか、安直な道に逸れて求められる役割を放棄して目先の利益に執着するかの岐路が生じる。個々の場面で、こうした判断の積み重なりが、局所や中局、大局事象へ現れ、全体的な性質が創り上げられる。節目となるような大きな判断を下す場面への共通認識や、事実の正確な報道があって多様な知恵を集めながら正当な道筋への確信を強めて執り行うべき手順や強弱を見出しマイナスの連鎖に及ばせないプラス化を果たす事が持続的上昇と循環の軌道を表す。小手先の技術の悪用やサイバー犯罪のような身の内を明かさずに、他者の財産を盗みだす手法は精神面の弱さを表す今日的な極みの事象であり性質の劣化への深刻な判断が望まれる。人間の成長や成熟に及ばない段階での科学技術に振り回されたアンバランスな感性の浸透には根源的性格の破壊と見て事象の追求と発生の特定を図り大きな悪性の認識を強調させる報じ方が相応しい。堂々と物事に対峙して正負に当たる良質な感性を堅持するに於いて当事者性を出現させずに、不快を働く性格的病理への認識を正しく持たせ更生させる道筋が欠かせない。平等思想という普遍的原理を大きく外す人間性の劣化には、現代のみならず長い歴史で見る利益の瓦解を指し、根源的な思索から物事の本質的な捉え方を間違えない判断に健全な感性が浮かび上がる。タダの物理依存からそれが次第に深まり、そして極みのような姿に、身の下を明かさずに働く悪性という精神的な崩壊への緊急性を抑え、サイバー空間とリアルな空間との激しい乖離を予防し、適当な技術の成長を遂げる事が人間のアナログ的性質を堅持した道具との関わり方であり、この絶対性の原理は不動にして持続的成長の判断を持ち、心理と物理の適正が図られる。物性に振り回されない人間側の強固な基盤を作る視点が同時に備わり、力との適正な関係を創り上げる視点が重要であり文化論という根源性への関心を高めて、健全な感性を見失わない創造策を提起します。短期的利害の衝突や中期的な軋轢という各種の対立には長期的利益の共通認識を持って和解の方法が導出される。部分的事象の観測や創造に短期視点と中期や長期の観点を同時に合わせ見る感性が真価や本質という人々の普遍的な価値を守り作る行為へ及び、これが備わって長期に渡る優秀な性質の持続に及ぶ。一人ではやらない事を大衆に交じり我を失い健康な理性と適正な論理を外した精神面の劣りに在っては課せられる配置の重責を担える人間があらず客観的に性質を把握し適当な場所に回る行為に至って健全な人間性が実践される。適正な道筋を通り体の中に確固と築き上げられた原理の程度に相応する権限と責任に於いて適正な調和が創り上げられる。頭だけで理解して行為に及ばない消化不良は健全性に及ばない。周りが騒ぐからそれに流される柱の弱さは大きな利益を作る資質が弱く、体から精神を作る過程と外れた頭ばかりの感性を指し、根の弱い体質が明瞭化される。

自主内発型の文化政策

自主内発型の文化政策

親は子供に平等に食料を与え差別的な不公平感を生じさせずに、個々の良好な精神と肉体を育て上げる立場を持つ。この自然な感性が所与的な感覚へと内蔵され人間形成の中枢要素に備えられる。受けと与える感覚の基準になり公平公正な平等意識が醸成され人間の基礎が作られる。独立した社会人という立場に成って、自らの生計を立てるのに、仕事の中で職場や顧客や取引先、株主、行政が現れ、各関係形成の原理と作用する。何がしかの技術を生産し提供する中で、直接間接の効用や影響の実感が生まれ、それに等しい提供と受容や創造と対価への調整を持ち平等感覚の実現へ意識が注がれて適正感覚による反復的な関係性に連なり、持続的な安定と繁栄の仕組みへと向かわれる。このように社会現象への探究は人間の心理的な観点を中心に平等感覚を実現して持続可能な成長と繁栄の循環的な仕組みの構築が主要な関心になる。言い換えると、他者と自己の利益の適正を見出す為に、基準尺度の形成と異同を洗い出し、成るべく同質の価値を持って快適な平等を叶え安定基盤の中での躍動が強まって健康なエネルギーの発生と循環に及ぶ。この根幹の倫理道徳が中枢に定まり理性を備えた活動が展開される。

力や権限、社会的期待が高まる程に利害関係者が増加し万人的な満足への基準の形成と適用が求められる。自己が望んで大きな役割の立場に備わり力が与えられ責務が課せられる。自己の欲望は他者の充足に於いて遂げられる平等観念の応用的な展開へと進められる。つまり、素の個々人や社会的生産者や役割の上昇につれ平等原理の解釈に応用が取られ、自他の同質的な一致に於いて適正な調和が生まれ、相違が増進すると不調和から相互の要望が増減し適正を見出す施策が講じられる。これからあまりに離れると別の主体性を自由に選び関係の再構成の可能な自由度があって停滞的な不快を積もらせず正のエネルギーが持続する。この選択の幅が各種領域に生まれ多数の選択先と限定性の強い構造が作られる。限定性が高まる程に基準への厳密性が求められ公平公正な運用にあって健全な需給構造が作られる。万人的な根本規範を重く吸収し個別の施策に展開されて適正な運用へ連ねられる。躾が規範の土台になりここが脆弱な性質に大きな力を与えては求められる運用に達せず、個別事象の中で根本性を外した行為が生まれれば適格性を欠いた選択を表す。個人や構造上の原因を追究し本質的な要素を特定の上に上流からの改革を進めて良質性の軌道へ更新される。社会的な期待への対応は、主体性の基準の形成と適用を広く公開する事が必須と成り、ここが曖昧であったり不足すると正当な限定への根拠が弱まり過保護な規制等があれば直ちに撤廃し、限定性の緩和を果たして正常へと力が回る。力を暴力に用いる事のない健全な監視と検証の仕組みが作用して現況認識の精度が上がる。この前提的な条件が如何ほどかで正しい認識と客観評価に及び、根拠の強弱の判断が生まれる。これらを計る根源尺度が躾や倫理道徳であり法律以前に個々人の性質が問われ実態が測定される。躾や倫理道徳の中身への探索が身体と頭脳の健全な働きの面から浮かび、言行の整合や内外の一致、精神と肉体の整合等の活動状態から吟味される。生産者としてのアウトプットと変換工程とインプットを示し実態を測定し、求められる水準に在るか、コスト負担との兼ね合いを含み信を問い状態が計られる。政治家と同様に、社会的な影響の強い報道機関へも選挙のような方式を採用して厳密な仕組みの構築が求められる。不透明な寡占状態からは悪性が慢性化すると見るのが自然に思われます。理念やビジョンと体制と運用規定と実施の記録という一連の活動を示し、社会の公器としての要件を充足されて社会システム的に見る主要装置への監視が働き持続的な健全性が遂げられる。領域内部にも良質策を望まれる人々が寧ろ多数で在るかもしれません。オープンに堂々と自己の仕事への自信が積り上げられ活動への満足感が向上される。こうした発想が内発的な積極的平和策の範疇であり、主体性の健全化へと力を注ぐ自然な感受性と示される。閉鎖的な性格や対処は一過的には安全を遂げるものの中長期には衰退を招く事は誰の目にも明らかに映し出される。自主内発的な変化を自ら興す文化政策が重要な持続的成長へのカギを握る。第一線の産業界と同質レベルの体質か、それ以上を求めても不思議はない事でしょう。自由を強く求める事はそれに応じた責任を課す事になり、自己の主体性を整え公に明示して、その範囲の自由を求める構図に在って野放図な快楽を求める子供に縛りが掛かり健全な創造が遂げられる。自己の志向性と異なる資金提供者の代弁という主体性の喪失に陥っては大きな影響力の適正な行使に至らず、とっちゃん坊やのごときお金の為に何でも行う悪性が深まる。自由と制約はいずれか一方で成立する概念には無く両面の均衡に健全性が宿りこれを欠く歪な精神から犯罪を犯罪と思わない特権者の意識が蔓延って負のエネルギーを拡大される。

教科書的模範像の安直性

教科書的な優等生像は、実社会を反映した型枠とは少々異なり、人間を誤った方向に導かれる。表層的な体裁ばかりに偏するような表現に縛られる事無く、実態の真価に価値の重心を取り、言葉に比重を強める事無く行為という感覚的な質感の総合で、実態を計り、適正を浮かべる感性が健全に思います。

根本には、躾という誰でも抱かれる基礎が生まれ、これが体に染み込んで対人関係の基礎と柔軟性や自由を作りだし適当な調和を遂げられる。柔軟性や自由度という面に実社会の多様性が生まれ、紙面での抽象では表現しきれない多彩な感性が寛容される。

教科書的模範像に凝り固まる程に、上っ面の解釈に留まって、根本の崩した姿に陥り、頭ばかりで入力される事の弊害とも推察されます。体を通して各種の体験を経ながら、基礎が体に染み込んで許容性や寛容さの幅に柔軟性が生まれ、抽象的な単純像に偏った感性に嵌まらない実社会の適当な感覚が作られる。

どこか社会的地位等という観念に執着して、型どおりの様式に偏して、多彩な感性への柔軟性を損ない、過敏な反応を起こす人々の姿が散見され、質実の劣る豊かさへの弊害に映し出される事も少なくない。

こうした面に、根本の痩せ細りと頭でっかち、という人間像が当てられ、どこか歪で窮屈な世界を作り、真価を掴みきれずに上辺の模範を振る舞われる。良い評価を受けたいという点数稼ぎの安直化した心理が垣間見られる。

あまり良い姿ではなく、利己的な性質過多でサービス精神の劣った性質とも伺え、真に有益な他利を作り自利を得る規則性を欠いた小手先の生産性とも映し出される。

空の権威へ振り回され、ゼロベースからの原理の構築が弱まる程に、どこかの模範をそのまま受け入れる単純適用の解答を見つける短絡化した思考の体質とも伺え、手先で小気味よく世渡りを重ねて、質実の弱い利益の提供者という実態に及ぶ事には、活力ある創造性を劣らせる。

根の弱い枝葉の茂る体系は、健全性を欠き、野性的な感受性からの人体形成に於いて、良質な感性や寛容さが宿り、物事の本質を外さない適正な感度が作られる。

どこか、浅はかな模範像に偏した過敏反応に在るのが、現代人の傾向にも映り、机上の学問や詰め込み型の知に偏して、狭い感覚が作られ、萎んだ方向性へと直走るように映る事が少なくない。フォーマルな場とインフォーマルな場との大きな差を作るような感性には、誤魔化しのやせ細った人格の実態が浮かびあがり、精神と肉体の分断した歪さにも捉えられる。公私の落差や裏表の違い、原論と行為の違いなどという不健全な性質を表し、その差に根本的な躾の下落や性質の悪さが映し出される。どうでしょう?