社会ビジョンの詳述

社会ビジョンの詳述

良き社会を明瞭に映し出す概念の設計によって人々の共通観念化が進み、その基軸動態に基づいた各種の応用が進行されやすくなる。本書のマクロ観念の設計は、ミクロの人間像を原理として拡大概念で大きな対象を捉えるものに成り、感覚と頭脳と感情の作用を、経済と政治と文化で対照させ大きな循環の系を浮かび上がらせます。健康な人間像はこの三作用の有機的な連なりから生まれ、大きな社会像にもこの三作用を適用して描き出し、健全な社会システムの構成と成長の軌道が生み出される。感覚と観念と感情の三作用の有機的な一体性から生まれる認識行為の健全な型式を基盤として良好な人間像が作られます。この原型を下にして個人や組織、社会という各種の領域構成に適用する。

・ミクロ人間像(個人の構造:感覚と頭脳と感情)

・中間の人間像(企業、産業、自治体等の各種団体)

・マクロ人間像(経済政治文化)

これに各主体性への尊重という観点から欲望の異同という性格を付加して、個別と共通の欲望の概念を当て嵌めると、個別は民間領域、共通を公共部門が主たる担い手に成る。この内容と割合を導出するのが根源の人間像になる。ここに一定の健全な型枠を備え、大きな異質性を生みださない事が欲望と力と責任感覚の均衡への志向を生み、不快事象の予防に連なる。この導出は生滅不可分の概念に対して、生の進行における滅への配慮を少なからず踏まえるのが理性を持つ人間の姿という事から成る。このような哲学的理念を根源の土台に備えた制約とその上での自由という世界に持続的成長を齎す安定と躍動の世界観が生み出され、根源的な観念を普遍の原理と位置付けて健康な個別と共通の欲望が作られる。つまり、ミクロの健康な人間像を土台にマクロ面へと拡張させ社会ビジョンを描き出し、大きな概念の共通性を取る事によって大きな有機体の健康に及び、安定基盤と共に協働性が強まって成長基盤の性格が含まれる。政治と経済に起こるコンフリクトを解消に導く作用といった面で根本概念の意義が実感される。

根本概念は、経済と政治と文化における文化であり感覚と観念の検証となる感情で確認されると共に観念の新設が生まれる。物理的な感覚作用を主軸にする経済活動と、観念寄りの集約作業を生む政治活動との適正感を個々人の素の立場による文化活動で検証し、純粋性の高い実感や感情が表される。その感情とは、理想面と現実面を捉えて妥当性を持つ感情という意味に成り、この思考回路を持つ所に、健康な動機と方法を導出する持続性が生まれる。この構造を標準感覚として物理面と情緒面との適正を導出し、健康な三作用の結果と持続的な向上心を途絶えさせない良質な善と理想へのエネルギーが常態化される。こうしたミクロと中間とマクロの有機的連鎖性の工程が描き出されて、実際の行為に反映され同質基盤性が強まり、その上での個別の自由領域という構造が生まれ、安定と共に自由度の広がる躍動的な発想への寛容さ備えた成熟した健康と成長を叶えさせる。ミクロの健康像という不変的な姿を原理にして大きな協働へと発展させ社会の健康な増進に連なり、極端な物理や情緒に寄る事のない適正感が生まれる。長期の永続性とはこの構図から生み出され欲望と責任の均衡という標準観念と、利他から利己へのプラス的な循環の牽引性が向上し全体としてプラス感情が増進され平和の実感に近づけられる。

CSV(共通価値の創造)等という概念があるようですが、あまりにも底の浅いコンサルタントが考えそうなものであり、上述のような誰もが納得に及ぶような基軸の太い根源からの良質化策が描かれて実際への行為を生む。横文字に価値を置くような従属的負け犬発想の強い文化からの脱皮が要るかに思います。

 

利他と利己の社会法則

 

情報の発信や募る行為におけるマナーを記しておく事も、健全な社会の発展に欠かせない。多くの場合、発信者の事実認識とそれへの評価から方法となる主張が構成される。「○○すべきだ」或いは「××をしたい」という形式で趣旨が現れ、前者はどちらかというと受動的第三者という関わりのエネルギーであり、後者は主張の理解や共感から、資源の提供を意図して創り出す能動的当事者の性格となる。更に進んで、「△△をしました」という活動結果と効用等を訴求し購買に繋げるといった段階別の表現が見られます。○○すべき→××したい→△△しました。

これに対して、情報を募るという型式の表現が生まれる。募るには、評価尺度を鮮明に示し適否の尺度と効用が描かれ、その効用への信頼性が備わって呼びかけへの真剣な対応が生まれる。この各種ポイントが曖昧のままに、優位な立場から情報を集めて恣意的に活用する言わば盗みのような手口を取られる悪性の主体も見受けられます。

情報の審査過程や適否の理由を少なくとも返答する主体であって、対話の公平公明性が確保され、悪意の少ない建設的な態度という認識が形成される。人の考えをお聞きするに際しては、まずは、自身の考え方や予めの進行方法の適正な過程を示して、意見をお伺いできる条件が整われる。この基本的な態度が備わりまともな倫理道徳を備えた主体と見做され道理に沿った反応が創り出される。 

これらの事は、因果応報やギブアンドテークといった人々の自然律の範疇の事であり、欲しいという欲望に対して、まずは何がしかを提供して人から得られるという論理を組む事が関係を形成する基本姿勢に思われます。一方的に、欲しいや得るばかりで、提供しないといった感性が生まれないような社会秩序や人格の成長過程を基礎的筋道と備える事が良質な基盤を固める事に成る。物理性への依存から公平公正なスタンスを欠いた行為が生まれる事には、健全な社会の妨げや悪性の拡大、猜疑心の慢性化といった負の連鎖性を発生させる。主張や情報を募るという行為における基礎道徳として、以上のようなポイントが強調されて、相応しい下限の基準を踏まえた作法が浸透して倫理道徳の具体化となり文化水準の維持や上昇と描かれます。 

一部のメディアに見られる無作法な質問の仕方や、当たり前に人の考えを聞く事が出来るといった姿勢には、根本の自然律を置き忘れた非常識な感性が垣間見られ、それが進行して、一般社会とかけ離れた欲望や体質が創り出される因果と推察されます。

公への影響力の強い立場にあっては、質問への解答を当たり前に求められる義務を負い、対象の性格に寄っての相違は各種生まれる事でしょう。これら強弱感の下に、下限の倫理道徳を含んでの競争原理を作用させる体系の構築から、可笑しな感覚を適正化させる最も自然な方法に成り、過保護による弊害を取り除き、利他から利己の循環と流れを確立させる焦点が人々の良質な関係を形成する基盤と要に思われます。

6.自然律の根源性と展開

自然律には良質な面と不快な面が備わり、前者を伸ばす発想が正道とされる。不快を減少する事が良質を伸ばす事に成りこの視点からの施策として以下のような実践策も浮かびます。例えば、カジノや博打という施設も見方に寄っては、社会の自浄作用を促進する装置となる。恐らくこのような施設で大枚をはたく人々は、財産の入手過程も自身のエネルギーを真っ当に投じて得られたものでなく、過剰のストックをもちそれを吐き出す場として回り適正なエネルギーを投じる人々に財貨が回る。このような捉え方で性格づければ、一定の浄化を促進する施設として、この存在は健康な社会を形成する方法となり、あまり真っ当な発想にはないものの、現実的人間を直視した上での良好化策とも言えるのかもしれません。貧乏人がばくちで大金を稼ぐ等という次元は飛び越えての有効な循環策として上述のような狙いや純粋な節度を持った人々の娯楽として促進される事には反対はない。正負の側面を持つと見るのが根源の人間像であり、負の面を減少に導く等と言わずとも、自然な両面の欲望に自然な反応で創造を成し、正負の結果が学びからの道理と固まり、体験的に蓄積され血肉化された体質と浄化される。

ありのままの正負と、正の増進という理想に立って生まれる発想として以上のような自然律を回し、結果的に良質な発想や考えに真実の世界が備わるという落とし所を意識して価値の堅持された世界が促進される。施設を作る事には、このような背景図面を明示的か暗黙的に備えた上で過度な制約を課す事無く進める事に違和感は少ない。良質な文化へ連なる一つの方法と言っても大きな間違いにはないと思います。寧ろ中途半端な道徳論や浅はかな評論が不健全を促進し負の増大を導出されており、自然律をそのまま回して真の良質を形成する事に道理が備わる。根源の良質性を根にした正直な文化を推し進めるのが的策となり、物理性に等しい責任感覚を求心的な不動の原理とした流れの加速に連ねる価値の堅持は不可欠とされる。

 

 

ご挨拶

ご挨拶

言行一致という事は古くから様々な人々によって掲げられた適正化の指針に成り、現代のサービス経済化に在っては、原論や知的情報がアウトプットという性格を含んだ行為に及び言行の曖昧性が作られる。知的創出と人々の欲望とがマッチすれば、行為の性格で捉えられ、人々の感情や欲望の充足行為という生産活動に配される。こうした認識の上で曖昧性への各種快適や不快性の事象が発生し、それへの対策や予防の施策として文化論等への思索も深まり、この体系への共感や異同も生じる事と思います。一定の同感や、より強調すべきと思われる人々に在ってはこの体系に意義が備わり一種の知的サービスと及んで行為の性格という認識が生まれます。寧ろ、この面が有形無形の事物や行為に及ぶ根源の観念となりその創出には高い効用や付加価値の実感が生まれても自然に思われます。人々に真に喜ばれる知的創出へと少しでも作用する事を意図してエネルギーが投じられます。

欲深さから対象の捻じれとなりそれが標準感覚に備わる。欲と責任の均衡感覚を持つ人々から見ると、その捻じれ加減が感じ取られ自然体と異なる力みが映し取られる。良い意味の力みと、利己性の強い力みという性質の相違が浮かび、前者には快適性が後者には違和感や嫌悪感が生じる。悪い意味の力みの象徴的な行為が犯罪であり、万人に課せられた制約を超え、自我を通そうとされる行為に成り、感覚性の強いはっきりした認識が生まれる。

これに次いで言行の整合性が著しく乖離し、約束や契約といった信頼を形成する意思の弱い行為に現れる。なぜ、その感覚が備わるかの分析は様々体験的に察しが及ぶものと思います。この焦点をより健全に解析すると、感覚と観念の構造と表現という焦点が現れ、

健康像への思索と創出に及び、言行の整合へ向けた観点として示される。静態的構造や成長過程論と描かれて、健康の標準像として表現される。これらが、インフラ的基盤面と固まり、その基準からの許容範囲や、前進的な創造面に対しての健康的増進に及ぶエネルギーの創出面が、自然な感性として現れるエネルギーの投じ方となり基盤と上昇の図式で総合的人間像と描かれました。

自然感性から利他を作り利己と回る循環が、人との良好性を求める自然な姿であって、この流れに好循環という概念が適用される。人から奪うエネルギーはこの循環になく、供給論理を過度に強めた支配願望が深まり、下限の制約を守らずに、言行の一致も疎かにされるかに見受けられます。適正なフラットな感性から離れて異常な感覚を生みだす因果について、大凡、そのからくりは共通的な原因の実感と示されるかに思います。これらの観点から標準とプラスマイナスの感覚が作られ、悪性の強い感性は次第に明瞭化されて、自浄的反応が生まれるのが生来的に残る多くの人の本能になり、この自然感情を正直に発して濁りの少ない快適性の増進が作られる。健康フレームについての体系的な観念として『日本文化原論』を纏めました。

文化改革の筋道

 

信用形成は基本的に原論のみでは生まれず、原論と行為の整合的実感で生まれる。この理屈が多くの人の信用規定に思われます。言い換えると、頭脳と身体の整合でありそこに感情を根にした人格の所在が確認される。これを少なくとも感じさせてまともな対人関係に及び、この前提には基礎的下限の不快行為を当たり前に守る自律した制御が所与になる。この二段階の感性が人間の要件となり意思を持つ主体と規定される。

現代のサービス経済化や原論先行の社会にあっても変わらない不動則に成り、相互やマルチの関係形成の原理と作用する。経済的物理性の感度がだいぶ先行されて力の制御を欠いた行為や地から足の離れた原論が頻発し、頭と身体の分離した状態にも見受けられます。これを示す症状が論理構成に現れ基軸の見えづらい主張が生まれる。何を望んでいるのか、その正当な根拠は何であるのか、迷いの少ない力強さが備わり意図の鮮明な表現が作られる。

これらを生みだすには、それまでの歩みに後ろめたさがない事が堂々とした論理や姿に連なり、小手先の騙しや盗みといった道から外れた行為の有無からエネルギーの強弱に反映される。物理依存症で責任感覚が弱いまま自律を欠いた性質からは強いエネルギーが発せられず言行の乖離が顕著になり文字通りお飾りという知覚に及び、聞く側がまともに信用を寄せず金の為だけの道具という扱いが生まれる。

一部の財界人や、親の光に依存して地位を得た性質に顕著であり、感覚工程から感性を築く道を省略した軌跡が明瞭に察せられる。負の側面に適当な対処や予防策を講じるのが長い目で見た賢明策であり、そこを外した創造には良質なエネルギーの上昇を妨げられる。このような問題意識が真っ当な感性を有する人々に備わり表に出さないだけと思います。これに対して強いリーダーシップを持つ健康なエネルギーへと力を集約させ、適正な欲望と責任の均衡策を投じるのが優先度の比較的高い施策に思います。マイナス性の除去という面の改革とプラス性の更なるプラス化は密接に関わるのが実情になり問題の根は大凡特定されている事でしょう。

大局からのシステム改善にミクロの性質の善し悪しが影響し人的性格の面に行きつき、ここを直すと比較的スムーズな気流の促進が作られると思われます。道具的に活用し続けこともそろそろ控えて質実の適正な軌道への後ろめたさのない力の進行へと運ぶ事が中長期の良質化策となって後の世代への責任が果たされるものと思います。確かな文化基盤はこのような焦点で促進され強いエネルギーの量産される土壌が形成される。単純な経済性は一過性の事に成り根元の腐りを直す事が避けて通れない改良点と思います。

 

健康概念の効用

複雑に絡み合った物事を明瞭化させるには確かな基軸観念の存在が欠かせず、根と基幹と枝葉の構成から対象の芯が現れ、問題への強弱をつける感度が生まれる。

報道等で憲法の内容に関心の焦点が注がれ取り上げられている。国民としては、積極的に参画せよといった論調で、表現されるモノも見受けられますが、それ以前の信用面が整わず、強い関心や関わりを持つエネルギーが生まれない実情に見受けられます。多くの人は直前の仕事で手いっぱいで他にはエネルギーを注ぐ余裕はなく、誰が見ても明瞭に解る表現を作り示す工夫が民間の取引では当たり前に行われる。小難しい表現を解り易く、短時間で理解に及ぶような一般的日常の表現に変換して、且つ全体工程が示されて何がしかの良否という感覚が作られる。

その実施面における信頼性が備わって、提示されるものへ真剣なまなざしが注がれる。それまでの大きな失敗への責任を取らないままに、平気でぬけぬけと正論を主張するかの態度に失望感が強まり基盤面に強さが生まれず、温度差が顕著であって、頭と体が遠い感じと映る面が少なくないかに思います。この構造上のメリハリをもった進行に緊張の持続が叶い心身の繋がりが持続する。

抽象観念が並べられ感覚的な実感に到達するには、それまでの過程における信用度が多分に影響し、様々な不快事象が発生し報じられる度に関心は遠のき自身の直接的な利害の強い面へと限定した活動が高まる。基盤面への不信から何を取り上げてもコミットへのエネルギーが高まらず一部の報道機関ばかりが盛り上がり個々人が付いて行かないといった映り方もそう大きな間違いではないかに思います。

感覚的に繋がる基盤面の厚みが進んで、それの集大成に観念表現が纏められるのが基本的な筋道となり、一方で、トップダウン的に強い方向性の転換を進めるものとが両輪的に実施され次第に全体の進捗感が掴まれる。

これら進行の全体表現力がカギを握り、現況がどう在るかの認識を解り易く性格に伝える役割の強化があってマイナス面と同時に創造面の状態が捉えられる。部分批判に偏ってそれがやけに際立ち目立つような報じ方等によって関心が離れ不信が強まり身近な面への限定した活動が強まる因果を感じます。

商売的な自己論理を進める一方で、基礎モラルまでも超えた振る舞いに及ばない自律を持ち、大きなビジョンと進行を可能にさせる基盤の整備があって、大きなフレームへの関心にエネルギーが割かれる。こうした複合的な絡み合いの構図にあって健康概念の形成と強調は根本面からの背骨を示し問題の序列を紐解き適正な強弱感を生みだすのに有用に思います。

自己理論の確立

他地域から生まれた抽象原理をなぜやすやすと紹介されるのか理解に苦しみます。自身の育った空間での理論に磨きをかけ、それを胸を張ってご披露するのが根を持った人間の姿であり、その根と基軸に他空間での理論から学びを付加する歩みが真なる調和への道に成り基軸が見えずに他の理論をご案内する事は独立性を備えた人間の営みとは思えません。観測的立ち位置にあっても、この理屈は不動であって自己空間領域での参画が初動に備わり、観測と能動的働きかけを含んだ観測者であって、主体的な活動と描き出される。一時的な商売の反応で目新しい他者の理論を取り上げ注目を集めるかの手法には人格が映らず、一過的な商売人や根なし草という表現が適用される。ゼロベースからの根源理論は自身の感覚体験をベースにした対象との対峙から築きあげられ、根と基軸と枝葉の構成が生み出される。その柱が思考や行為の拠り所となり、健康なエネルギーを持続させ納得性の高い歩みを可能にする。このスタイルを貫くのが真っ当な姿であり、右往左往の少ない主体性と及んで確かな信用形成を掴む人間が生み出される。借り物や模倣、もっと言うと盗みといった姿に恥を感じない感度には残念でなりません。対象との距離を開いた感覚のままの態度は、主客重層の認識構造を持たない夢遊病と映り、拝金性の行き過ぎから生まれる発想や行為は程々に抑え、自律を備えた交わりを多くの人は望まれる事と思います。変な経済人や学者、政治家やマスコミと積極的に関わる事はないと思います。

 

自己理論の確立

 

他地域から生まれた抽象原理をなぜやすやすと紹介されるのか理解に苦しみます。自身の育った空間での理論に磨きをかけ、それを胸を張ってご披露するのが根を持った人間の姿であり、その根と基軸に他空間での理論から学びを付加する歩みが真なる調和への道に成り基軸が見えずに他の理論をご案内する事は独立性を備えた人間の営みとは思えません。観測的立ち位置にあっても、この理屈は不動であって自己空間領域での参画が初動に備わり、観測と能動的働きかけを含んだ観測者であって、主体的な活動と描き出される。一時的な商売の反応で目新しい他者の理論を取り上げ注目を集めるかの手法には人格が映らず、一過的な商売人や根なし草という表現が適用される。ゼロベースからの根源理論は自身の感覚体験をベースにした対象との対峙から築きあげられ、根と基軸と枝葉の構成が生み出される。その柱が思考や行為の拠り所となり、健康なエネルギーを持続させ納得性の高い歩みを可能にする。このスタイルを貫くのが真っ当な姿であり、右往左往の少ない主体性と及んで確かな信用形成を掴む人間が生み出される。借り物や模倣、もっと言うと盗みといった姿に恥を感じない感度には残念でなりません。対象との距離を開いた感覚のままの態度は、主客重層の認識構造を持たない夢遊病と映り、拝金性の行き過ぎから生まれる発想や行為は程々に抑え、自律を備えた交わりを多くの人は望まれる事と思います。変な経済人や学者、政治家やマスコミと積極的に関わる事はないと思います。

 

地域の文化力

地方の自治に於いて要に成るのが、首長のキャラクターで在り、市庁舎の空気や町の感性を築き上げる。どんなバックグラウンドを持つかといった表層上の専門性や、幼少期から学生時代、社会人へと至る道の中で、友人や上下関係との振る舞い方等という面に、知識とは異なった人間の本質的属性が浮かび上がる。専門となる知見もさることながら、この対人関係に見る力に対する適正感覚が、倫理や道徳という側面で映し出され、知識や財力等の力の用い方に顕著に示される。

在る一定の全体最適性を求める為の根源的観点は、人々の生身のエネルギーを最大に引き出す大きな動態を如何に描き出すかのマクロの視点と、個々の感覚的なミクロの感性との繋がりと循環を達する事であり、前者の机上的な把握には大凡の規則性が確認されて、誰が見てもそう大きな相違は生まれない。ミクロの創造と需要の面における開発力が、動力の源泉になり、この準備面としての道徳秩序の整備が普遍的尺度となってエネルギーの発生に影響を齎せる。

力に対する媚売りタイプのリーダーからは、この普遍尺度の堅持から外れてもマクロ的数値上の最大化への発想を持ち、表層上の経済を意図される。これはこれで、そのキャラクターの強弱を踏まえた賢明策という評価にも到達する。しかし、それでは場当たり的の一過的事象という性格が否めず、道徳と経済との一貫した循環にあって、気流の太い軌道と持続性への道が生まれ、長く見ると、後者の側からエネルギーの最大性が予測される。この価値をベースにした信用に納得性の高い求心力が集められる。

こうした図式に個々人の理解と同意を深めた真正面からの取り組みに、エネルギーの持続性が生まれ、確かな信用を備えた公正公平な歩みが、良質な文化と備わり長期の基盤と固められる。不正や緩みを生まない一定の緊張基盤が固まり、誰であっても一律の適用による秩序と備え、制約の上の自由の構図が普遍化させられて規範への信用が高まる。

一時の経済的上昇による権力の維持は、いずれかというと小手先の手法であって、個々人に対する誤魔化しの少ない根元からの上昇策を描き、不動的な納得性を高める論理の創出にこそ、長きに渡る成長の礎と固まり、需給相互の健全な成長軌道が生み出される。

現実的には、大地主だからとか、大きな税収を見込める会社だからとか、といった焦点による個別裁量をどの程度考慮されるか、それについての個々人からの納得性がどの程度生まれるか、堂々とした理屈を立てられて、異議の少ない進行を取られる事が、誤魔化しや不信を招かない堂々とした信用形成の歩みと描かれる。

ここに地域のトップリーダーとしてのキャラクターが浮かび上がり、知見という限定のノウハウとは異にした強い欲望と反映される根元の基盤面が現れ、地域力の結晶という姿と知覚される。この感度形成は、成長過程の対人形成面による性格から作り出される。付属的力を排した生身の対人形成の志向の相違が、根源価値の在り方やエネルギーの発生に深く関わり、内向きや外向きという対象への視線の注がれ方に及んで、健全性の尺度からの評価という焦点で把握され文化という体質が浮かび上がる。

物理依存型の内股文化か、内発上昇的原理形成志向の外向きへの対峙か、この違いでの認識が顕著に浮かび上がる。大地主的な土地への執着は、内股のエネルギーとしばしば見られ、創造力の乏しいちぃちゃな御仁が現れるといった指摘も少なくない。幸いにこの周辺には立派なリーダーが目を光らせ、内股を蹴散らす勇ましさが根強い文化と脈々と浸透され、妙な権威に縋り原理の創造を停滞させる気弱で偏狭な人物は一部のようだ。大きな志が比較的生まれる土地柄と思われます。

物理性の焦点

求められる欲望がビジョンに成りそれへ資する力が富の源泉となる関係式が生まれ欲望の質実があらゆる原理の動源に備わる。品物や住居、都市の作りや流通の利便性や規格化が精緻化するほどに人間側の感度もそれに慣れ、少しの狂いも許さない感覚が深まり、人との対話や関係作りにも同質の感覚を欲しがり、ちょっとしたズレに過敏な反応を見せ、用いる言葉や振る舞いの窮屈さに到達する。物理性の原理が人との関係に深まって、感性や表現の多彩性や豊かさを萎ませる傾向が深まる事へは、どこかで冷静な省みを起こし、何を本当に欲しいのかについての問いから、生産や創造の修正を取るのがアナログ的性質を基軸に持つ人間の営みに思われます。

近代からの科学技術の合理性の力に酔いしれて、産業、経済、政治へとこの基礎感覚が増進し社会構造や所得格差と現れて人のモノ化が進行し、貨幣や物的豊かさに対する欲望の単線的な発想が浸透した。この感覚が常識と備わり、身体や精神面の脆弱化された面に対して直視せずに肯定感を強める事から、自己の側へ真摯な対峙を成し心身の健康な正しい道への軌道を持つのが本能的な欲望と思います。物理性へ偏した経済原理で金銭欲にひた走る性格には常軌を逸した心身の状態と映し出されます。このような結果から対人面の免疫が弱まり、生身の接触を怖がり道具への過剰な依存へ傾いた判断や反応が顕著に現れ、道徳の喪失した貧しい感性やひ弱な振る舞い、姑息な発想による個々人の関係や集団間、国家間の関係としてその姿が日々報じられる。秩序を牽引する人々に在っては、第一にこの焦点についての認識を取られる感覚に真っ当な健康体の姿が映し出され、行き過ぎた物的感覚からの見直し策を大局の軌道に備えるのが適正となり、この認識をあらゆる人々と共有し確かな主導を担う判断が求められる。特定空間における固有の現況というよりも科学技術という汎用的力による統一的な原理の反映から起こる一般化現象の性格で捉えられ、共通性の高い快適と不快が感覚的に生まれ人との関係に連なる普遍性の原理と把握される。こうした認識を引き出し適正化の概念を形成する論理的筋道となる一つの感性が本書の文化論における標準図面と思われます。