1)文化の性格と意義

1)文化の性格と意義

文化の中心課題は、永年の人類の歩みから形成された平等という価値とその実現に在り、この観念と展開の図式に多様性が生まれる。

価値形成の過程という面で見れば、人々が関係を持つきっかけは、協働生産行為に在り、衣食住の充足についての効率的生産と安定需給を意図して、全体の目的を達する為に各人の個性とを適合させ、システムと工程を形成し、システム上の重要点の序列から比例的な分配が行われる。欲望の特定、全体のシステム、各種工程、重要工程、配分の割合、という論理に平等思想が反映される。この仕組みの形成における透明公正性が確保されて、物事を決定する上での納得性を高めるという側面での平等思想が展開される。この焦点に、直接的な社会関係の平等観点が生まれて、適正を作る事が望まれる。

欲望と充足の仕組みという基軸の動態が浮かび上がり、これについて、丁寧な精緻的な論理が組まれて、各人の個性と全体との調和を作る事に、中心的な関心が注がれる。

本書の「文化ビジョンや社会ビジョン、ミクロビジョン」といった各種の世界観は、こうした平等観念を実現する上での手法という性格で位置づけられ、如何に人々の納得感を高める良好な社会生活に繋げるかという問いから現れるビジョンの提案として産出されました。一人ひとりの個性を如何に活かせるか、そして全体での個性が最大化するか、これが生命の最大的な躍動への道に成り、個人と社会という中での快適性を持続的に成長させる上での創造策となり、平等思想の実現と描き出されます。

このような論理に人間の基幹焦点が備わり、各種生産の性格がこの全体図面に対して性格づけられ、どこに重みを加えるべきかの指針として作用する。文化図面という性格は、最大分母の観点からの全体統合的な表現に力点が置かれ、人間生活の長期的な価値とその実現への創造にエネルギーが注がれます。

創造活動の幅や深さが進行し、部分性の論理が多々出現する事に対して、変容しづらい基幹道の所在を明瞭化させ、良好な交通整理を遂げて、部分と全体の制御感覚を生みだし各種の衝突や矛盾を良好に解決する為の道筋が示される。

こうした役割が少なからず備わって、安定と繁栄の持続的軌道が確保され、不幸の最少と幸福の最大という課題への方法が探求される。この領域を主たる関心として、専門的に従事させる事が、万人的な要求として生まれる事に思われます。これが、個別や共通の欲望に対して、根源的な欲望と充足の領域という性格で捉えられ、纏まった思想が作られ、その展開という向きで、根源的な思想に対して、個別と共通の領域が絞り込まれ共通の目的が限定されてその範囲における個々のデータの抽出と収集整理、施策の展開といった工程が備わり、全体と個別の最良性への活動が生まれる。

平等感覚を欠いた人は、一方的な要望ばかりを強められる。自らが行うべき与えられた力に対しての責任の行使について、客観的な認識を取らずに外界への要望を向けられる事への不快感が人々の根源的な不快事象と現れ、これを正すのには、根源的な文化図面が尺度に成って自他を映す鏡に作用する事に思います。

以上のような文化の性格と意義が備わり、この観点を外す事無く思索が投じられて、人々への有用な提案が示されるものと思います。

文化と日常

文化と日常の接点

判断の基準には過去の事象を用いるか、未来のビジョンからの因果を想定するかという2つの尺度によって現在の動きが作られる。現況維持型の志向には過去へ目が向き、改善志向によるとビジョンとそれへの工程として現在の判断が下されこの構造から維持と変化の程度が現れる。

長期性のビジョンという人間の変動性の少ない確かな指針が物理性と理性の在り方や用い方、自他との関係の作り方、善意型と悪意型等から形成され、安直な手法の多用や正攻法を常とする方法、他力と自力や、協働性や個人型の生産方式で習慣的な感性が作られる。

生産特性からビジョンの創出や実現可能性の感度が生まれ、全体観と個別の共有により円滑性の善し悪しが生まれる。

例えば営業マンが仕事欲しさに供給能力を計らずに過剰な訴求をして後にトラブルを生み出す事がしばしば生まれ全体の供給力と適正な訴求の仕方へと是正されて実現可能性を掴みだされる。個々の経験から楽観と悲観的な両面の適正さを掴みビジョンと方法の円滑な運びが作られる。

どこまでを責任範囲とするか予め提示して生産能力を表し工程の範囲が規定されて工程間の円滑性に及び、権利と義務の行使が果たされる。欲望と力と責任の均衡感覚はこうした体験から肌感覚に浸透する。無形財では曖昧さが高まり、それに即した業務運営上のポイントが投じられる。

こうした事象の根底にフラットな感性が物事への謙虚さを生み、過不足の少ない誠実な対話に連なる事からも、文化感覚の所在が 人々の良好な関係形成の基盤として重要な要素と言えるのでしょう。

以上のように、判断、原理の創造、原理の適用、真摯な対象との対峙と持続性という点で社会形成の要点が抽出されます。今日生じる問題事象には文化意識の弱まりが根本原因にありミクロの健全な感性の持続から適正な事象の把握や原理の創造、健康な判断に及び良質な歩みが生まれる事に思われます。

掃除、洗濯、食事、運動、挨拶等という事が身近なミクロ面の健全性を作り出す規則性となり、頭脳へ偏した体質から道具や他人へ過剰に任せその副作用として、フラットな感覚を壊した発想や行為に及ぶ事からも、身近な習慣や慣習の持続が健全な創造の速度感を生み、気ばかり焦って体が付いてこないという状態を予防する感度を作るかに思います。

文化の刷新

文化の刷新

文化という言葉の都合のよい用い方とも思われる観念形成が広がり本質的な部分が不透明になり知的体系の意義が脆弱化しているかに見受けられます。本道と逸れた利己的な欲望を先行した結果生まれる事象とも伺え、本来的な原理探求と離れこの領域を主たる活動にされる人々への心持への不信感と現れます。

「文化は人間の不変性や普遍性への問いと、実現へエネルギーが注がれる活動である」という規定に不動性を持ち、中でも人間平等の観念を中軸に添えた実践工程を作る事が領域の使命に在りこの基幹動態とずいぶん離れた学者の趣味のような世界に進められる事には、歪んだ精神性をのぞかせる。この平等思想を柱に、それを強化する為の学問体系や活動という軌道に在って社会的な存在意義が持続する。こうしたエネルギーの投じ方と離れたものでは科学技術との良好な関係を創り上げる作用に及ばず人間社会の希薄性というバランスの可笑しさへの歯止めが効かず、本来の役割を欠いているという認識が現れ、文化という言葉の中軸も、どうやら現代の細分化の進行から弱まって迷走のなかに在るかの印象が浮かびます。

この分野の本分は、歌舞伎や相撲、古事記や万葉集、歴史の編纂等々の個別的な分野や観測的な立場を進めるような性格にはなく、あらゆる知の統合的な未来形成的観念の創出と実現により、人間の強靭な背骨を創る事が使命と置かれる。この軌道にないものは文化等という言葉を適用するのは間違いに映ります。

実社会との距離が離れ過ぎ、社会問題との真摯な対峙にない個々人の趣味や趣向に走る社会性の弱い活動という認識に及び、研究者の狭い価値観へと入り込み、実社会への効用を与える意識が弱く、感受性の萎みや歪みと感じられ、これへの問題認識や不快感が現れます。

本書の文化論は文化の本筋を外す事無く現代社会の歪みを正す上で有用な観念と実践の体系になりこの焦点に集約して社会への効用を作り出すのが当該分野の正道に備わります。

某文化研究機構等の文化を柱に備える領域の活動実態を、この方針に転換させ、教育界や経済界、法曹界や政界への強い牽引役と刷新させる為には、私の文化論を根本に備える必要が生まれる。文化が強くない空間の秩序は感受性の痩せ細りに及び人間崩壊への道を作りだす。文化作用が脆弱である事から現代的な自制力の弱い物理依存症が創り上げられ欲望と責任の不均衡が進んで異常な犯罪が発生する。平等思想の反映された健全な文化が備わって、前進性の気持ちの流れが常態し、軌道の太い経済や公平公正な政治に及び、大きな利益の増産される健康体と成長が持続するものと描かれます。

調和の響き

調和の響き

在る程度の民間企業であれば、公に対して確固とした購買方針を掲げられ、その基準に忠実な適用を取り公平公正な市場の成長を意図した施策を投じられる。公共機関であれば、その基準は立法過程を通して創り上げられ、解釈や裁量の範囲もよくよく考えられて公平公正な運用が行われるものと思います。民意の反映された疑念の及ばない基準の形成と適用の透明な実施によって信頼が形成される。共通的な願望の効率的な実現手法という性格を持つのが、公共機関の根源的な役割になる。この面に影響に応じた責任の行使の姿が現れ、基準が悪ければそれを見直し改定して運用する手続きが取られる。どの程度の共通欲望を事前的な議論を経て形成するのがよいか。個別的な欲望とその立場と、フォーマルな強制力を背景にした共通性へと固めるか、万人に向けて堂々とした正当な論理を提示し、負担者への理解をとって個別を共通に纏めるのが、政治活動とも言え、そして運用に於いての適正へも検証が成されて、事前の約束と適用の適正が証明される。言行の完結的な過程を対象にして、共通欲望の健全な充足過程が実現する。各人の恣意的な利害によって基準を作る事を極力排除して原理の普遍性を追求する事が大きな利益の実現への道に成り、個々の付き合い等から生まれる感受性を反映する事無く、大局や根源的な焦点による原理形成と適用を成すのが良質な感受性と示される。それを描き出すのに、純粋な立場からの理想画を創造する事が要り、健康な人間像という世界観の探究が大きな利益の実現に欠かせない根源の基準と示される。このような活動に意義が備わり、個々人の素の立場や教育文化という領域からこの性格を含む創造が生まれる。この次元の創造も、公平公正透明に最良の物事を選択する過程が必然におかれて利益の最大化への条件が整い、この過程に妙な利害の立場からの作為で歪める事は利益の阻害行為になり、特定の過剰な欲望による力んだ振る舞いに及ぶ事のない自制心が備わり、公平公正な創造活力を停滞させない原理創造型の軌道が確保される。このプラットフォームをしっかり作るのが共通的な欲望の一つに成り、この意識を少なからず含んだ主体に実際の実務を取らせる事が欠かせない。恣意的利害に流れる事のない堂々とした基盤を持ち、納得性を下落させず公平に執り行うのが、優先度の高い資質と言えるのでしょう。影響力が高まる程に公の利益へ対する責任感が求められ、各自の懸命なエネルギーに対する適正な評価が生まれ、滅を伴う生を生む事への重みを加えた運用が生まれる。直接の実務を担う者が保身に傾きこの理念を踏みにじるようでは、即刻、そこから退場するのが道理であり、指摘される前に自らの判断を下すのが唯一の救いとなる。社会性を重んじるのであればこのような道理が自然に内蔵され、器に合った振る舞いが求められる。その適正を持続的に計るのが文化の重層認識から生まれ、仕組みと人間の整合を常時正す意識に在って適正調和が生み出され平和への道と描きだされる。人が人を評価する事への重みや理解が乏しいと、頓珍漢な人間が要路に居座りそこに縋る人間が現れ、各人の健全なエネルギーの阻害を生む。これが秩序と進行すると正しい行いへの力が萎み、抜け道や誤魔化し、嘘や詐欺、盗みが増加して積極的な創造の足枷を齎される。

厳密な静態的な基準尺度としてはこのような抽象論理が描き出され、そこに歴史的な動態をどのように加味するかという面も加減されて、より納得性を生む質実の取れた根拠が提示されるように思います。生きた動態感覚に実際的な生命観が宿り、静態認識の単純尺度で計りきれない部分を勘案する所に真実の実感が当てられて、真なる調和という響きに及びます。

無限創造型の社会形成

 

公務員の感性を中心に添えては前進性が高まらず閉塞的な秩序を蔓延させる。減点評価に慣れた体質は、事前型の準備ばかりに時間を充て、少しのイレギュラーに過敏な反応を見せられる。台本型の創造は程々にして、現場での感覚に重心を持った社会ビジョンの形成を柱に備えた秩序形成が健康体を表す。

びくびくした振る舞いは敏感に周りにいやな空気を与える。少し規格に外れただけで減点評価されるマイナスへの予防に意識が集まりその度が過ぎて犯罪をやらかす。正確性への行き過ぎた規格化体質は、未来前進性の発想を停滞させ、枝葉末節なちいちゃい利益への過剰反応に回り豊かな感受性を衰退させる。

これが経済の足枷を作る根本の原因であり、この性格を社会システムの要路に備える事無く、健康な精神を宿して他利の追求へと果敢に挑戦するプラス評価型の空間秩序を創り上げるのが相応しく、頭脳に偏した二次情報への過信は、心身を歪める原因に伺えます。

役人型の仕事という領域は確かに備わるものの、中心的な感性ではなく、上昇循環を常とする牽引役を前面に出し、暴走に及ぶ事のない裏方からの支えとして補完される重要な役目となり、両輪が機能して健全性が保たれて原理創造型の軌道が作られる。法律の専門家はどちらかという後者の性格を持ち、感覚や感受性型の経済の感性を中心に備えた躍動型の全体ビジョンに活き活きとした活力が生まれ、無限的な創造性と法的な限定性という構造が現れる。法の中ばかりで支配的な感受性を作る事のなく、大きな構えを備えた有機体である事が、感覚や感受性を中心に取った全体像と描き出されます。

つまり、健康像があり、それに向けた各種の方法が創り出される。法律は一つの方法であるという構造が生まれる。健康像という制約下での、無限の創造というビジョンである事がバランスの取れた人間界と表される。

受動的体質から根源的創造

 

合う前からあれこれ考え過ぎずに、一次感覚を経る事が根源的なスタイルで在り、二次情報等への過信を取らないのが本書の立場に成ります。実際に協働性が進む中で徐々に真実を掴み、受動的な事と能動的な事とが併存し、物事の進行を持つのが、フロー型の前進志向に在り、頭脳に偏した体質は、予め型の過去に比重を持った受動的な発想や回路の割合が多く、感覚的な体験を経ずに二次情報へ依存される。対象の中で創り上げる体質とは離れた発想へ行き過ぎずに、自ら環境を形成するエネルギーを投じる事が、感覚を根にして創り上げる規則性を常としてきた主体性の性質と現れる。このスタイルに在るのが、未来前進型、自主創造型の平等思想と捉えます。二次情報へ過信する事は良く言えば従順であり、悪く言うと受動的な依存症となり感覚を通して影響を与えて変える力を投じて来られない規則性が浸透した状態であり事前型の過去に起きた事象についてあれこれ分析を取り自らの漸進的なエネルギーを投じて作るスタイルが弱いのがマスコミや学問秀才の依存型の規則性に見受けられる。

その感性を広げる事は、あまり良い秩序の形成とは思えず、文化の根源的なゼロからの発想が強調されます。文章や過去にばかり偏することなく、感覚にベースを持った未来型の人間形成に軸がおかれます。

社会文化ビジョン

社会文化ビジョン

「私事で恐縮ですが」といった言葉を添えられる事がしばしば見られる。自分で自分を取り上げる事への戸惑いや躊躇の感覚を抱く心境を表す姿に成り、この前段には他利の先行によって自利を得る循環に正しいとする感性が内蔵される。つまり、外界に対して自分を表現するとは他者への利益を齎す事により存在が認識され技術を磨いて提供し社会的な共生の姿が示され「私」が表される。言葉で私自体を表す容易な手法に対する感受性の薄さと伝わり、利益を提供する態度の弱さに良い心象が生まれず内向きの自己陶酔的な生産志向に違和感が生じる。私が強調されるのは正しい方法による利益の提供によって外界からの認識が作られ、適当という感覚が備わる。情報発信の容易性はこの感性の弱まりの傾向が促進される面と、逆に良い技術を持ち表現の機会が広がるというプラス・マイナスが生まれる。管理発想やその志向性が強まり個別独特の技術へのエネルギーが注がれず、利益の搾取と言う発想からは健全な心身が感じられず健康な対人形成を妨げ、個々人が直接技術を表しそれを望む人との直取引の進行に良質な循環軌道が促進される。バイイングパワーといった原始的物理性の原理に支配されては個々人の正的エネルギーにある感受性を弱め、心豊かな多様性や寛容性から画一性や許容性の減少への流れが強まる。情報流通環境の促進にも正負の見方が形成され、人間性の向上という意味からは総じて健康な精神の好作用と感じます。物理性による力の進行から、技術力先行型の価値形成という不動の原理が固められ気流の上昇を弱めない条件が進む。このインフラを提供するのが政治行政という性格に求められる根源的な作用と思われます。管理型の力が先行する所には技術が生まれず貧しい発想による秩序で支配的になる。このような自然の周期に在る事が感受性の堅持された創造世界という実感に及び、物性へ染まって単純な原資世界へと及ばぬ軌道を強化する歩みが望まれる。政治行政へ思想を提供するのが教育や文化の感性であり純粋性の理想を指針と提起し産業経済の実践の場で諸々の現実的感覚と向き合いながらその志向性への動態環境を制度や法規で補強する全体的な筋道が浮かびます。このような論理に3者間の主要な役割が備わり全体観を作られるのが適当に思います。領域間と領域内での本質的役割と理想と現況と方法という観念を備えた実現への活動という縦横構造で質実を着実に経る取り組みの密度が上昇する。

現況の姿はこのような全体のイメージに映らず、領域の最適性に重心が取られ、横の有機的な連鎖性や一巡感覚を高める作用によって同一方向の揃った尊重と協働のエネルギーが投下される。どこか管理先行の不健全な感性が蔓延し本来的な役割と外れた振る舞いと感じる事も少なくなく、大きな納得性の高まる全体観が提起されて大きな利益の協働生産性へと連なる事に思われます。根本と基幹動態という背骨感覚への不動的な意識が備わり確かな成長が生み出される。政治行政という領域が権力へ偏して感覚的な事象と離れては感受性に歪みが生まれ権力の本来的意図と異なる力が働き良質な芽を摘む逆作用が齎され世界を衰退へと導かれる。三者に求められる本質的な働きを導出する普遍性を備えた大局ビジョンが固まるほどに、健康な感受性を根にする活動が創り上げられる。本分を忘れた自我の進行に陥らない世界観の提示が理想の方角と定着し現況を抑えて方法を生み続ける歩みに至って価値観の維持や実現への力が持続する。不快事象の生まれる因果は力の用い方の歪みという感受性の貧困化と言え、ここにミクロ感覚を壊した負のスパイラルを生みだす根源原因が映ります。良質な感受性を根にして主客の適正調和の実感に及び全体ビジョンを備えた創造原理が働き目先の利害を超える力が増進されて確かな未来へと前進する。本書の文化社会ビジョンで言う政治経済文化は個々人の頭脳と感覚と感受性や、集団における管理と固有技術と理念やマクロ社会システム上の政治と経済と教育文化等に対照され多角的な観点を持ち健康像へ向けた歩みを作り出す包括的な方法論が示されます。

文化基盤の重要性

現行型の型枠による秩序で回る集団と、前進性の創造志向を持つ変化への力を注がれる集団に大別され、二つの大きな流れが創り出される。この対立に、普遍性という尺度が正当性への力を与え、現行と改革との衝突と調和を見出し勢力図の理性的な変容を齎せる。

単純な物理性の衝突に至らない為には、万人的な根源の感受性という視点を備え、全体的な構図に対して二つの流れを融合させ、原理の刷新的な更新を生みだし、全体上昇への志向を含んで、特定の立場への妥当性が与えられる。

こうした寛容性と対立と調和性の循環活動によって、健全な心身を備えた創造活動が展開される。下限の制約には変動性は少なく、この積極的創造における不動的な基盤秩序を持って進行させる事が、下限の不快事象の予防の視野を含んだ前進軌道と成り得る。

この性格の原理に、準絶対性の基準という型式が生み出され、この善し悪しが、単純な衝突を回避し、清々しさを抱く事の出来る真摯な切磋琢磨の環境を齎せる。歪んだ手法に着手する事無く、良質な感受性を根にして、堂々とした最良性を探求し、その実現へのエネルギーが現れ、秩序の固定化を乗り越える上昇発想の持続的肯定感覚が備えられる。

これが脆弱であると、犯罪に着手してまで保身に走る後ろ向きな事象が多産され、空間の歪みや停滞を増進させ、詐欺や盗みの横行する負の事象がなくならない。裏表の激しい乖離を見せる人間が蔓延りプラス型の発想の足枷となり、気分の悪いエネルギーを創り上げられる。準絶対性の原理の探究と創造の意義とはこのような焦点によって描き出されます。

これが根源のインフラを指し、全体基盤の良質性が安定と発展の持続的上昇軌道を弱めずに、健康な心身という感受性が保たれた創造を導出する為に欠かせない作用を齎し、大きな効用と現れるものと思います。

日本文化原論の中心焦点と原理

三分法というのが、適当なテンポ感覚を生み、人々の快適を生みだすように思われます。いっ・せい-の・せ、ワン・ツー・スリー、チャーシューメン、ホウレンソウ、或いは、朝昼晩、陸海空、等々。二項対置概念からの適正調和性への志向とも言い換えられ、正負や生滅、明暗、動静等での分化から統合への融和性に快適を抱く欲望と感じます。

これは理屈というよりも、感覚と頭脳と感受性をもつ人々の基本構造を根にして生まれる身体感覚や頭脳表現の作りや用い方によって染みついた静態構造と動態の快適を表し、一つの区切りや周期となって対象の纏まりを掴み3つの要素を回すという循環構造が感覚と観念の実感に及んでいる。

このような根源原理を下にして、時代感覚を捉え、どのようなトレンドを創り上げるかというアプローチが生まれる。古代と中世と近代という区分に於いても其々に特徴が現れ、うまい集約を見せられた歴史家の感性が伺える。

古代:(適正)という所がバランスの取れた基礎基盤感覚を生みだし、中性:(統合)で人間の情緒的アナログ面が進行し、近代:(分化)でデジタル的な物性面へと及び、そして、古代的な基盤形成という質を整える検証と再生の時期を迎える。現代の掴み方は、この基盤の上昇的な構築過渡期となり、古代的な感性を持って次元の上昇を作り出す転機と見る事にも、適当感覚を抱かれる人々も少なくないような想像に及びます。古代的という時期では、300年単位に及ぶ質の転換を作り出す時期に成り、思想・宗教的な包含的原理体系が生まれ、その原理と応用の300年や1000年単位のトレンドが作られる。

仏教や神道という世界観も、根幹教義は変動する事無く、それを鮮明化される事や、枝葉の付け方を変える等という基礎と応用を繰り返しながら、時々の感性が加減される。根幹には喜怒哀楽という人間の感受性が備わり、その中でも特に重要と思える部分を不動性として、堅持する事への創造が取られる事によって、感覚と頭脳の作用に規律が与えられる。どう感じるかが、出発点に成り、生命観を起点として、感受性の制御を作るのが、あらゆる創造の土台に及ぶ。生活様式の変化からこの感覚が変容する事に対して、一定の正常な範囲を抱き基準と許容値を下にして、科学技術との良好な関係を作りだし、人や自然への感受性を大きく壊さない工夫を持つ事が動源に置かれる。

この基本式と方法論として、様々な思想や主義等という観念体系が描かれて、生命観に対する制御を志向されるのが、根源的な視点からの人々の欲望と映し出されます。自然な感受性から制度や法規という形による強制性を持たせ、自然形成的な個別の生産に一定の制約を課し、生命観への大きな変化を制御する働きが生まれる。感覚と頭脳を実際の感受性の中で検証し、人々の感性の適正を維持する操作が現れる。これをマクロの観点で捉えるのが、経済と政治と文化という社会システムというフレームで在り、ミクロとマクロの整合が意図されます。

このような観念を土台的に含んだ上で、各人の責任感覚と内蔵されて、根源の視野を取り込んだ各種の生産を持つ事が、根源理性ともいう共通の感受性となり、優先順位の発想を創り上げられる所に、一定の健全な心身の所在が確認される。こうした軌道を持続させる事が文化ビジョンとして現れ、各種立場の創造に対して長期性への牽引性を持ち、良質な活動の導出へと展開させる事がこの領域における目的や意義と備えられる。

各種の思想や宗教、保守や革新、右や左という型枠も目指す所は、このような生命観を土台にした感受性の維持と思われます。その感度や方法論に若干の相違が現れ、それを丁寧に相互尊重の構えを持ち適正調和に連ねる事で、過度な対立を緩和して適度な関係を作る事という、全体統制の理念として表されます。この人間の作り方が、日本文化原論における根幹教義となり、物的感覚と頭脳の作業とに適当な調和性を齎せ、感受性という要素を人間の芯に添えた有機体の形成に不動的な快適感が創り上げられます。

創造の性格

 

言葉に置き換えられる前の感覚や感受性に元が在り、こちら側に重心を持つ事に活動性がありその結果を観念記号で表し頭脳的な知覚が成される。知るという欲望は利己的な性格にあり二次的操作性を意図した作業とも言え一次現象を作る側の性格は感覚や感受性の作業工程の中にある。

固有技術と管理技術の関係にも類似し原理創造志向のビジョンに在っては前者に重心が備わり後者が補完の関係にある。

このような創造活動の表し方に基礎が置かれて、作為性の少ない場での感じ方や表現を発する感受性に創造の源泉が示される。予め型や事前準備型の創造とは、過去の一次現象を持って同一的な反復性を生みだすスタンスに在り、新規の開発よりも実績踏襲の型式として相違が生まれる。

「創り出す」という言葉の本来の性格は一次現象にあり、過去の前例にない新規の発見に付加価値の希少性が備わり、見た事もない事が見られるようになる事が創造性と表される。オリジナルやゼロベース、新規性に、高い深い感激を抱き、そこに喜びを求める志向性から前進性の躍動感が生み出される。

事前型の固定概念からその原理内での創造を成す事と、固定概念を極力持たずに原理創造性のスタイルにフラットな感性の所在が見られるという示し方にも一定の実感が起こります。

事前型に優秀や高度な知性を見る事と、この発見型にこそ優秀や高度という概念が当てられるという二通りのケースが見られる。前者が予防的な優秀性と後者が新設的優秀性とでもいう性格の相違が生まれる。

人間像を知覚的に表す事と、感覚性の行為で感じるという区分けが生まれ、後者での感覚の発見に実質を置くのが一次情報となり、こちらが現在進行形型の動きにあり、その結果を知覚するという静態が作られる。この構図の持ち方を基礎に備えるのがフロー型や原理創造型と示される。

そこから外界への発信性が高まり、外界側が刺激を受けられ、一次現象の出現と二次的連鎖関係という因果関係の実感に及ぶ。観念表現でこの性格を持つ場合は、感覚的な発見と同質の創造性が含まれ、動の源泉となり固有技術の活動と捉えられる。言葉自体に活きた感覚が宿り一次現象の行為と感じます。本書はこの感覚や感受性の強い表現という性格に思います。