文化推進理念

遠い所で生じる事を取り上げ、近くで起きた事を取り上げないという情報伝達者の心理の奥底には、自身よりも優位な評価を与えて自己の存在に陰りを落とさぬような生存競争という作用が垣間見られる。相対性の基準に及ぶほど、このような評価結果が現れ、絶対性の基準の形成と客観評価を行う事への健全な視野を含んだ在り方が望まれる。

大きな社会システムといった実態的影響力を持つ機関が出来上がり、そこで作られる基準と適用に、利己性の反応が強まれば、客観的な情報伝達に陰りを落とし、短絡性の自己生存行為が進行し大きな利益を損なわれる。遠くで生じる利害関係の離れた事を選択し身近な利害の衝突を避けるような反応には、根源的な発想や姿勢を崩した姿に陥り求められる役割を欠く行為への疑念が生まれる。

こうした想定からも、表現者一般の健全性への考察が進められ、上位の指標に、力と責任の均衡という尺度が設けられ、且つ力の変容という動態性が加えられ、質量に等しい責任感覚への視点が加えられる。そうして上述のような基準内容への吟味と適正運用への検証圧力が進み健全性が欠ければ他主体を自由に選択できる環境が整って自浄的な仕組みが生まれる。力の健全な用い方という軌道と外れて、責任の欠いた行為に及べば役割不足の評価を下して良好な善意ある主体に力を与え、基準の健全性を持続させる事が中長期的な利益に叶いこの循環を正常に作動させシステムの良質性が持続する。

このような観点や尺度を備えてマイナスは対処、プラスは評価という理性的評論を広く報じる二次的なインフラが求められ、大きな軌道の同一性の下に相互的評価を持つ風通しの良い社会秩序に生態系の好循環が増進される。大きな軌道の同一性という変容しづらい根源尺度に文化基準といった面が備えられ、純粋性の高い絶対性の指針が現れ、現況を客観的に映しだし二次的評価が加えられ、その感度から強弱や速度感を反映した施策方法が発案され実施と検証のサイクルが回る。

遠近感からの利害の程度、基準の相対性と絶対性、根源基準の同一性といった点が健康な有機体の維持や成長に欠かせない重要焦点に上がり情報伝達の正しい在り方が創り出される。この血管と血流とポンプの正常さから、栄養の行き渡りの程度が生まれ、流れを弱める事や、局所での循環への偏りから体形の歪さに及ばないように定期検診や分析を取り、処方箋の明示と、治療の方策と、術後の経過という一連のサイクルを明瞭に表して長寿への道が実現する。以上の根源には心臓に成る文化尺度が備わりその良質性の程度が源泉にあって心身の適正な有機体が創り出される。

文化教育芸術という性格の善し悪しが、産業経済、政治行政の要になりこの領域区分を縦割り的な感覚で備えず一人ひとりの主体性の中に構築されて実効性を伴う適正な運用が叶えられる。頭ばかりに寄らず感覚での実感と感受性の起こり方で検証される全身全霊の構えと測定が強調されて質実を持つ健康化策と描かれます。こうした道筋の初期には観念体系の肝を表し感覚を回して血肉化する循環の系を想定した実質化策で活動が描かれます。

立派な規定が作られ行為が間逆等という事態に陥り不健康を生む事のない全体図を重心にとる文化推進策が欠かせない。外部環境の変動への対応というよりも、内部改善という性格の自主内発的な自己変革にゼロベースからの絶対性基準が作られ、この活動の系を習慣や慣習として独自に設け、外部対応から外部への発信性が高まる段階的ステージがイメージされて体内的な自然反応と化すように思います。

国や行政が主導する旧来イメージではなく、力と責任の均衡原理という普遍原理が意識され力の適正な用い方を個々の立場から生み出す内発性が進行のカギに成り原理先行型の実施に在って実態の創造に及ぶ。既成の生産的組織人としての利益追求から素の個々人による純粋性の発揮を行えるような環境整備策に実効性在る工程が生まれ、こうした理念での限定的なミッションで集まる組織体を構成する事が肝要なのであろう。「善意ある主体」が要件規定に成りこの中身の構成に文化論での要点が示されます。三流のインフラで満足できるか、一流を目指されるか、その意思の在り方が問われ、未来ビジョンの持ち方から各種の選択が生まれる。

根本の強化策

表現は表現を強め、特に数の趨勢のようなものを表すと、中身を問わず長い方に乗ってゆく心理が増す。根拠脆弱で利害関係からの操作性を持つ表現は、誤った誘導を招き、極端な偏りに触れる原因と見られる。力の制御性を欠いた動きになり理性の喪失した秩序が進行する。

基盤教育や生産ニーズの安定という思想面の厚みが形成されて、落ち着いた信憑性を持つ根拠に裏打ちされた表現や、表現の選択に連なり、基盤面が不安定に陥る程に、物性への極端な反応による付和雷同的な行動が進み、制御性の狂った状態へと走りだす。

抵抗勢力を残すという発想が弱まり、単純物性の論理に付き進み、摩擦の少ない力の増大と現れ、健康な制御性を含む力の概念と離れた現象が生み出される。極端な触れかたは、思慮の弱い直感性の反応の現れであり、良い反応ではなく、人間の弱まった感性と捉えられ、これを招かる事はいずれの側に在って失策であり、過剰に量を取る事も深い思索に至れば調整する向きに在って健全な精神が維持される。

過熱が大きくなり一極型の支配構造に及べば箍の効かない状態を招き、バランスを崩した構造からの弊害が予測される。直接的な良否と合わせて奥行きを持った思慮を加えて良好な制御性が生まれる。単純な勝利感覚に酔いしれるような一時のゲームとは異にする長期戦の構えが弱まると、理性的な考えを及ばせずに、単純な感情にひた走り力の赴くまま振り回す暴走が現れる。

こうした感覚を少なからず多くの人は経験されて、直接間接や重層の段階的な構造観を描き冷静な思慮を加えられる。この感覚の弱まりが、今日的な物性の体質に備わり、淡白な反応を引き起こし、思想という纏まりある体系が弱まり、感覚への過敏性を生みだす事へは、様々な負の事象を起こすと予測され、基盤的根源の感受性を表す観念体系を強調し、正気を戻すような工夫が各所から現れる。

文化という不動的な価値を強固に備える事なく、箍の効かない感覚の進行に陥ってはならないシステム上の要が強い意志を表し、全体を落ち着かせるような作用を見せずに、それどころか自身が悪性の踊りを見せられ、力の制御性を欠いた骨格上の緩みや崩しの主因になるようなひ弱な社会システムという感じ方もしばしば現れ、システム自体の再構成への必要性を抱かれる人々も推察されます。この観点が優先されて、構造上の健全性の向上化策を柱にした全体施策の体系を持ち未来を創造する勢力に、力を集める事が良好な選択と浮かびます。物性的な力の制御性を失っているかの事象が現れる事は、構造上の基盤面がどこか狂っているという直感が生まれ、丁寧な分析の下に段階的な改良を進める契機と映し出される。

精神面の落ち着きに連なる実効性のある施策を取り入れ、極端に振れない感受性の形成という面が進んで、正しい事象の認識や判断が現れる。混乱した行為は負の連鎖性を広げられる。下限の制約に箍がかからず不快を広げる事のない自律した緊張を崩す事のない太めの表現を繰り返す作用が常態して、背骨の揺れない人格や空間秩序が持続する。この面を補強する施策に、文化論という観点の表現が繰り返され、気のふれた行為の抑制や健全な軌道への増強という効果が表れるものと思います。

数だけ見て流され安心を得るという過ちから、根源原理を抑えた事象の性格づけによる制御反応の強化と連なり、この体系化への試みが取られます。大きな力に乗っかり安心感を抱きたいという欲望にも一定の理解は生まれるものの、楽をした付けは必ず払う事に成り、良い面ばかりでは決して済まされない自然律が現れる。根を抜いた代償は大きく抜け道に慣れた感性は長く生きられないと見るのが健康体の原理に思われ、この感性を増強して循環させる有機体がイメージされて正常な軌道が強化され落ち着きある安定と躍動の世界が作られる。

重要管理点-素材の善し悪し

重要管理点-素材の善し悪し

プライドがあるから、自身を律する尺度を下に、自己を客観評価して、プラスは促進、マイナスは謝罪や反省が行われ、自己の上昇軌道を保つ道が執られる。

プライドという人格がない者は、この循環が生まれず、マイナスへの真摯な対峙を逃げ、どこまでも惚けて物性の力に縋った振る舞いを表される。

他者からの評価以前に、自身を計りだし忠実な反応を取れる所に、自律した人格の所在が確認され、他律や外圧に寄らない自信を失わない歩みが作られる。過失への謙虚な態度を取れるか取れないかの性質は、大きな選択の違いを生み、前者に在って、健全な感性の持続による大きな成長が見込まれる。騙す事や逃げる事に慢性化した体質は、修正が効かず、やがて衰退するのは火を見るよりも明らかであり、他人が責めずとも、健全な他人はもはや相手にしない。不信が残った状態の人間には不快感が消えず、その程度の対象として、優先度の低い所へ配置される。誤魔化しという体質は致命的であり、自己での自浄作用を含まないものへは、人間という扱いには及ばない。

失敗を謙虚に認め正しい行いを取れるかどうかに、根元の良質性の実感が生まれ、この性質の善し悪しが幹の太さや枝葉に連なり生命体の心臓部を表し、集団の遺伝子と引き継がれる所に、代を跨る理念に備わって、持続的、永遠の有機体の存続を齎せる。生物の善し悪しを決める最大の重要点に思われます。

この感性の同質性に、関係形成の肝が置かれ、似た者同士が集まり、良質なパワーの源を形成する。ここの違いは、深い意思疎通に及ばず、表面の振る舞いに留まるかの違いに現れ、今日明日に変える事の出来ない長い月日を経た体質と固まり創り上げられる。誤魔化しの文化で満足させる人々との相違が生まれ、根源的な質感の異同が現れる。

表面の政策等の相違は問題の本質とは離れ、根源の感性が源泉に成り、見るべき点を誤らない事が、長い目で見た良好な選択を齎せる。悪性の体質の同化に陥る事無く、重要点は何があっても変えない感性の所在が、良質な成長に欠かせない決め手に思います。

過剰な欲望から、万人に課せられた制約を超えた行為に対しては、率直な反応を見せる事が不可避であり、この過程を通らず、他者や自己を誤魔化し生き続けても、マイナスを上回るプラスの存在とは認識されず、迷いの道が深まるばかりで、大きな力を与えて歪んだ判断に陥り負の連鎖を回される。

精神面の弱さは、生命体の根幹の性質を作り、欲望と責任の不均衡を招き、マイナスの軌道からの回復が現れず、体質として慢性化され、事実の認識を利己的性格で捉えられ、誤った情報を伝達される。知覚と認知の区別の弱い事象との真摯な対峙を取られず、そこからの情報に信は与えられない。

こうした根源の素材の違いは加工では補えず、長い年月から作られる体質となり価値観の大本と及んで文化の質を規定する。

世界標準の健康像

世界標準の健康像

「世界に通用するという言葉も」どんな要件を浮かべ述べられるものかの吟味なしに、ただ言葉が通じる点を取って、通用するという安直さが透けて見え、現代的な物性の短絡的な論理構成に人間の程度が現れる。

言葉が通じる以前に、感性や論理と行為に焦点が取られて、下限の制約や積極策の志向性と、これらの因果の組み方といった総枠で人間が映し出され、自身の原理が表現されて、相互的に異同感覚が掴みだされる。マイナス性とプラス性の感覚が浮かび、マイナス面を思わせる事が多ければ、却って恥を晒すものに成る。言葉ばかり先んじて、中身がお粗末であると、日本という概念へのマイナス影響を深め、世界に通用するどころか、困った人格とその概念を作りだされる。体に染みついた規則性は、発想や行為に現れ、隠しきれない実態の人間を表す事に成り、

そこから浮かび上がる人間像に質実の認識が取られ、言葉ばかりを流暢に用いられても、実態を表す事に及ばない。

短期的な金目の事で、下限の不快を超える行為が見られると、積極的な創造策に力は与えられず、恥の上塗りに捉えられると見るのが、長期性の健康像を尺度として評されるマイナス事象になり、安直な感性から表面ばかりでの経済振興を取られても、すぐに壁が現れてメッキの剥がれた人格の認識に及ぶ。ミクロの感性の崩れた生産者は、長くは続かず、「言葉=文化」という一面性は通用しない。

体に染みついた倫理道徳が根に成って、頭と体と感受性の一体的な姿に寄って、全体を掴む事に成り、頭ばかりに偏すると、言葉ばかりに視線が取られ、偏った概念の形成に及ぶ。恥を晒している事に気づかない言葉の乱用と陥る事のない、根源や全体観を備えた感性を標準と描きだして、文化を表す所に健康な人格同士の触れ合いが生まれる。

世界に通用し更に世界を魅了する性格を作るのには、体に染み込んだ思想体系が在って、プラスが上回る概念を与える事に成り、上辺の言葉の交流からは残るものが少ないように思われます。どこか勘違いした感性が進行し、安直な要件規定で実態が弱まるのが現代的な傾向に映し取られ、痩せ細った感受性と論理に現れる事にはマイナスの感覚が生まれます。これを先導されているのが、一部のマスコミや政治家、財界人、知識人という面面であり、文化面の備わらない秩序の進行は、逆の作用を深められる。

ISOマネジメントシステムに描かれる規定と行為と記録の3要素と一体で質実を掴むという生産概念が、世界的な皮膚感覚であり、規定や言葉への偏りは、一部業界の非常識性と映り、その感性の異質さが顕著となり、モラルの欠いたマイナス的特殊性は、健全な標準世界からは明瞭に掴みだされる。

恒常的良質な循環図

学びのエネルギーは、「どうなっているのだろう」から始まる。それを知る為のフレームが、根本に成り、感覚的な吸収と観念への変換で表し、他者へ説明して、「なるほど」という付加価値を生み、「有り難う」と感謝され、その気持ちの良い感受性が、更に動力に成り、物事への探究心や創造力へとインプットされる。

1)エネルギー:どうなっているの
2)根本:感覚と観念フレーム
3)枝葉や実:原理構成と説明
4)外部からの感謝というエネルギー:なるほど有り難う
5)入口のエネルギーへ:探究心や創造力

この循環が、対人的な他利と自己の好奇心を結ぶ好循環となり、学びや研究、創造力の深まりと対人上の良好性の基本的な仕組みに在り、学生という時期から、少なからず生産の基礎を養い、創造の提供というアウトプットが意識された学習プログラムを作りだす事が、やる気や好奇心、楽しさを持続させる鍵になる。この延長が、社会人における仕事であり、生産の質量が広がり、分業による協働性によって、大きな感謝を受けて研究開発を持続し、生存の基礎的サイクルが作られる。

ただインプットするだけで、アウトプットの機会が机上のみであると、アウトプットに対する成果や感謝、報酬という部分の実感が少なく、どうなっているのかを調べ、それを解り易く表現し、聞く側からの評価を得る仕組みに在って、物事を深く、解り易く、表す力が作られる。

そして、基礎原理を下にして、在る欲望が生まれ、欲望を充足する為に基礎原理を応用して、物事を作りだし、欲望の充足の実感を経る事で、実際的な実現力を重ね、自己への自信や向上心が高まり、この鍛錬の中で、人からのプラスマイナスの感情などの成功や失敗を経験し技術力と共に不動的な行動規範が作られ、人格の備わる技術の用い方が生まれる。根源的な感受性が固まり、善悪や美醜の観念が生まれて、その上に技術の向上が進行して、健全な人間の軌道が備えられる。

極端な保護によるフラットな需給関係に無いと、この真摯な対話から逸れて、自己への甘い評価が進み、外界への利益を提供せずに奪う発想が強まり、歪んだ人格が作られる。技術を磨かずに、内向きで保守的な方向に視線やエネルギーが回り犯罪に着手され、外界との良好な対話を持たない感性が慢性化する。

このような図面を予め、伝達する事もいくらか有用性が生まれ、人間の長期的な普遍性として纏められる。文化図面という根源的且つ変わりづらい人々の規則性を解り易く表す意義が生まれるかに思います。

根本的認識フレーム-有機性概念

本書における有機体の概念は、厳格な専門分野で形成される内容規定ではなく、身近な所で感じられる樹木などの形態を用いて、生き物の様相を捉えるものであり、この構造と動態を、人間や創造事物に適用して、認識や創造を生みだすものに成ります。静態的な構成要素としては、根元があり、幹があり、枝葉が在りこれらの要素間にエネルギーが循環する動態で動静構造が描き出されます。
内部:根本、幹、枝葉、エネルギーの循環、
外部:外部要素と因果、エネルギーの吸収と提供、
例えば、樹木という立ち位置から見ると、太陽や風、雨、土、他の生物、という外部要素が確認され、内部と外部の要素の特定と関係性を掴み、基本的な規則性が認識され一つの原理が描き出される。その算式を下にして、どの要素の質量の変化や、要素間の関係変化、エネルギーの質量変化という着目点を抑えて、意図する欲望に対する操作が加えられ、予見と結果の検証により、実際が捉えられる。

このような基本的なフレームを背景に備えて、各種の変数や、その質量、関係性という概念の中身を様々な物事に適用して全体を掴むという方式を採用します。こうした全体観が、誰もが身近に感じられるような型式にも思われます。これを観念形成にも適用し、「文化」という概念の内部構成要素と、外部の要素と関係性を組み上げる事で、一つの有機的な概念が創り出され、持続的な循環性を備える永続的な生命感を宿した概念が作られる。人間が外界から何がしかの感覚を受け、或いは提供する中で、その感覚を観念という言葉等に置き換えて、頭脳的な整理を取って、知覚する作業を行う上では、主体側の構造と同様の構造で、外界の感覚を観念へ変換する事が、最も実感の高まる方式で在り、「有機体」という概念を鍵にして構成する事が適正に思えます。「外界→感覚→観念→主客の一致、欲望と認識と創造の適正調和」という算式で纏められます。

このような概念を基礎にして、動静、過程と結果、インプットと変換工程とアウトプット等の概念を用います。言わば、感覚を観念に置き換える基礎的仕組みとなり、生き物である人間を基礎にした外界との適正調和策という方法論と性格づけられます。時間や空間の大きな対象を把握するにも、この作法を適用して根本や幹や枝葉やエネルギーという全体構成に各種の事象を当て嵌めて全体観を作りだし規則性を捉え意図する欲望と制御の創造が生み出される。

現代の消費社会はこの有機性や循環性の概念が弱まり、善意ある創造や制御とは異なる発想や欲望、対象との分断的な創造性の進行が顕著であり、或いは使えなくなったらすぐに取り換える発想が高まり、断片的で無機質な感性が進行しており感受性や生命感の弱りに及んでいる。創造事物や概念形成にもこの事が反映され、全体の形成や循環の持続的な仕組みと離れた支離滅裂な論理や行為、創造が生み出され、犯罪の自覚のない慢性化とも言える事象も散見され人格の定まらない外部環境の影響が現れる。こうした点への改善や予防にも、有機性概念を持って良好な関係形成への根源概念を人間の支柱と固める事が有用に思います。

健康概念と経済観念の融合

パイの配分の不均衡という状態や、パイを持続的に増やす為の基本的仕組みという焦点が、中長期の構造改革と長期的な人間像の正常化策に成り、一つの提言という性格に在るのが本書の文化論と成ります。

おいしいお菓子というパイの定義には、おいしいと感じる人間側の味覚とお菓子自体の産出によってパイが創り出される。つまり、供給力のみでパイは規定せれず需要の起こり方を含んでパイの概念が生まれる。供給能力は質の上に量を作り在る需要に応えて需給構造が生まれ、一定の所で頭打ちになる。新規の提案か需要自体の開発が無ければ、パイは拡大せず成長は止まる。この両面を睨んだ成長過程に質の変容と量の提供による持続可能な成長概念が成り立ち、創造事物と人間とが成長する事を想定した開発概念を標準にとって産業経済の発展概念が創り出される。

人間の感受性に不動性を置くならば、それを基準に感覚を作るか、或いは感覚の変容が進み感受性も連動する事を含んで、感受性への欲望と感覚の欲望が生まれる流れと、供給側の新規開発での提案から感覚的な新規性や感受性の発見という欲望が作られる流れが生まれる。どの欲望に比重を持ちたいかいによって流れや割合が変わり需給構造が現れる。

文化論における健康像は物性と情緒性の欲望を求め、前者は在る所で逓増し、情緒的な欲望の面に限りない願望が想定され、情緒的味わいへ応える創造性にパイの拡大の可能性が生み出される。これをお金で買う事も少なからず入ると共に、単純利害を超えた根源的な面から生まれる情緒性が備わり、これらの欲望に価値の重心が取られ幸福感を抱くと想定されます。

直接の経済的な測定の外に置かれ明瞭な需給構造の認識に及びづらい欲望と充足に成り、パイの概念と適用の見えづらいパイが作られ、これも合わせて全体と計りパイの拡大概念が当てられる。配分の偏りを修正する事はこの見えづらいパイの拡大になり、力と責任の平等へと修復させる事が情緒性の健康を齎し生物物理面の長寿へ連なる想定が描かれます。この因果に一定の実感を置くものであれば、見えやすい単純物理性の欲望を抑える事に価値が生まれパイの広がりと解される。

幸福感情の抱き方という面から、それを多く味わえる事にパイの拡大概念をとり、単純な経済概念を超える充足の算式を描く所に人間の成長が表される。過不足に対して自主内発的に修正を取る事が出来るか、物性的な欲望への一面に対して、人との公平な関係から現れる良好な感受性を持ちたいとする欲望に価値を抱くかどうかに係り、これらの割合感覚が生み出される。欲望と力の行使に対する責任感覚に相当し、責任感覚という義務感よりも、進んで望む対人の良好性から均衡を作り生まれる欲望の最大化という図式で示される。

物性型の一面的成長概念の強まりは、このようなパイの概念が現れず、情緒的な面を含んだ欲望の充足に健康な人間像が描き出され、産業経済と文化の成長と描く事に創造事物と人間の同時並行的な成長の実感が生まれる。世界観が偏狭化して、物性の欲望を慌てて追いかけ回す感度が深まり、人間関係の公平性から抱かれる欲望の萎んだ世界が作られると、明瞭な知覚の取れるパイの概念で固まり、それを答えとした方法を発案し感性の多彩性を衰退させ味わえる欲望の質が縮小する。このような世界観も少なからず浮かべる所に適正を置くのが健康にも思います。

思想創出の背景-基礎と専門

専門バカというような感じに映る人も時々出くわします。大衆を小馬鹿にして、どの程度の効用を齎せたかのはっきりしない業績で、中途半端な生かし切れていない知識があるという事に優越感を抱き、自己の客観評価を欠いている専門職という姿には、違和感や不快感が生まれます。

こうした状態に、根源性の欠如という言葉が当てられ、自己の説明能力の不足や効用の客観測定を持たずに、外界を下等な性格と評される性質に、分業化の進展や頭脳寄りの体質への負の側面が現れ、根源的な普遍尺度による重層の認識を取り、自身の専門性や実力を適正に計り、外界への過剰な責めを生まない適正感覚を作るのが、文化論の意図する作用とも考えられます。専門への深まりと共に、日常的生活者としての感性が痩せ細り、局所の感性へ偏したバランス感覚の崩れには、健全な外界との交わりを常とする人々からは異質な姿と現れ、妙な優越性や感違いのプロ意識といった認識が高まります。感覚的な工程を経て作りだす知識と離れた二次情報の保有に偏し、それを標準にして実際工程に身を投じず、知ったような振る舞いを見せ、物事を作りだすエネルギーの脆弱さにはどこか違和感が強く現れ専門バカと言いたくなるような人も少なくないかに思われます。こうした主体性に適正な評価を下し、大衆を小馬鹿にするような思い上がった感覚への修正を取るには、心身の健全な人間像を描きそれを標準にして自他の適正認識を生みだす事が欠かせない正常化策に思います。

知識は使って効用の実感に至って真価の実感が生まれ、ただ保有しているだけだは意味を成さない。力の健全な用い方に真価が計られ、欲望と力と、そして責任が付いて回り、健康な人格という測定が生まれる。他利を意図せず、自利に偏した歪んだ精神性は力の用い方や適正な自己評価から離れ発想や行為の異質性という認識が生まれる。このような根源的な秩序をベースにして、健全な秩序の軌道を固め良質な世界の持続が叶えられると思います。専門性と根源性の確かな在り方と言い換えられ、根っこの腐りに陥らない人間の成長軌道が堅持されて、技術と社会性の良質な絡み合いが創り出される。

思想の背景-文化の全体観

法治という限定の中で世界を捉えるには、部分性の感覚を否めず、より人間の心身に即した世界を抱く事が偏狭性に陥らない良質な感性を表す。無限性という概念を上位に備え、そこからある観点を取りだし、感覚と感受性の可視化を生み、観念で規定され、共通的な足並みを揃えて、欲望の実現を図ろうという活動が生まれる。個々人の感覚や感受性の共通化は、そこに参加する人々が多くなるほどに、抽象的な観念へと及んで、感覚との多彩な因果の組み方が現れる。この構造を抑えて、共通化の無理のない範囲を意図して、創り上げる事が質実の合った共通欲望と充足の取り組みとなる。

法による統治等という言葉が度々用いられ、金科玉条のごときに謳われる事に対して、上述のような仕組みの理解が乏しいと、中身の弱い付加価値の少ない活動に至り、実態的な欲望と充足の作用が生まれない。
法の運用者の都合のよい解釈が進んで、共通利益とは異なる局所の利益と充足の為に、法が作られ運用される事態や事実と感じられる事象も少なくなく、出発点は、共通観念化する意図や動機という面に在り、これと離れた運用に至っていないかの監視や検証を定常的にシステムと備えて、緊張ある運用が叶い、慢性化や緩みから、利己的な欲望へと偏した扱いに及んで、法を作られる意義と遠ざかる事態が進行する。

頭脳的操作への比重が高まる毎に、多くの人々と同様の実際感覚や、実際の感受性と異質の頭脳と感覚と感受性の在り方が生まれて、解釈の異なりに連なり、権力等の力を背景に推し進められ、当初の意図する効用とはかけ離れた実態を作りだす。こうした推察や予測に対して、実態の検証に深く切り込むような事があって健全な運用が果たされる。基準と運用における裁量の幅や深さについて、当事者の適正さと他者からの適正さとを計り、共通利益の実現に及ばせる事があって法による統治の健全な姿が現れる。

プロ意識の歪んだ進行が深まり、堂々とした正当な姿を見せられず身勝手な利益の追求に陥り、そのズレが慢性的に重なって健全な軌道とかけ離れ、取り返しのつかない感覚や感受性が作られて更に正当化させる為に物理性による強要や乱用と陥る事のない自律性を備える習慣に文化というシステムが備えられ、欲望と力と責任の均衡を標準とした制御性をもつ主体性の確立に健全な心身の所在が確認される。個別的な欲望に対して一定の制約を望み共通化する事自体も同様の趣旨を持ち、物性の保有や利用に対して、健康な感受性が根本に備わって、正負の作用を計りにかけて正の増進を導出する為の根本的な論理として本書のような思想体系が現れます。

恐らく多くの人の肌感覚と備わる感性と思われます。それを如何に感覚に近い観念で表現するかという製作方針の下に纏めました。良好な伝統文化を可視化して失う事のない不動の価値と持続する事や広くお知らせする事に付加価値があると思います。

根本思想の再構築

欲望と方法、価値と事実という二項対置概念が人間の根幹的中枢の要素となり、この在り方があらゆる問題における根本の焦点になり、その良質性を向上させるのが本書の文化論における主題に備えられます。
欲望や価値は、個別的内面の事であり、人が強要するようなものではないといった尤もらしい言い方も一理ありますが、実際上は、ここに確かな観念を入力する事によって、人間社会の基礎が創り上げられる。自信を持って示しきれない自己の歩みに後ろめたさが多い大人の逃げた言い訳とも取られかねず、少なくとも「こうだ」という型式を表す事が責任ある人間の行いに思います。

過去の歴史の積み重ねから大小の成功や失敗を重ね、その教訓を活かす事や、それを反映する中で未来創造型の秩序を切り開く為の土台のしっかりした基礎力が良質な応用を生み、一過性の創造に終わらない中長期の規則性へと昇華させる動源と成り得る。

こうした趣旨の下に、創り上げられた観念体系が『日本文化原論Ⅱ』であり、価値の良質性と共に、それを叶える基本動作の型式を提起し、自己実現に向けた背骨を固めるプログラムとして纏められました。これを広く訴求して、実践の中に取り入れられる事が確かな創造に及び、感覚と観念の循環の中で知肉化された基本反応と組みこまれて人間の根源的な感受性が創り上げられる。

専門分化した今日の感性には、どこか基軸となる柱の脆弱感が各所に現れ、部分性の利益に偏した全体観を描き出され、根本的な価値の弱まった発想や行為と映し出される事も少なくなく、こうした事からも良質な根本の再構築という視点を持って健全な全体観が描きだされ、部分の性格への適正が現れ、健康な心身の状態を定常化する動態が作られる。以上を集約すると、1)健全な発想や欲望の在り方、2)基礎的動作の充実、という2つの観点により構成される思想体系に成ります。