方法に見る適正

 

人間には、自尊心が少なからず備わり、人に言われて従う事を嫌う性質を持つ。この根源的な面を踏まえ、意図する結果を達する事に、実務者としての能力が計られ、目的は同一でも物事の運び方に差が生まれ、それが結果に反映される。

なるべく、小手先の発想は用いるべきではなく、しかし、こうした側面への配慮を加え、実効性の在る方法をとる事に、実現への拘りが垣間見られ、感受性の差が達成への実現の差に現れ、多彩で精緻な認識力を生み、方法へと連なる。人間の心理面を良く良く捉えて、自尊心という面への配慮をとり、意図する結果を導出するように物事を動かす所に、実態的能力が計られる。

ここに現場感覚や人との体験から学ばれる実際的な差が生まれ、観念図面へ偏して生身の対話が弱く、適当な方法を描ききれずに、対立性を作り、実効力の上がらない手法に及ぶ事がしばしば生まれる。目立ちたいという欲望や大衆受けを意図した動機という推察が浮かぶか、上述のような物事の運びの至らなさという評価に至り実務能力の弱さを感じ取られる。

型どおりの論理や正論という抽象原理と、その適用に見る繊細な物事の運びとで実現能力が算定され後者の相違が多々見受けられ、心理面の体験的な積み重なりの脆弱な所からプライドばかりを先行した粗雑な表現による停滞を齎せる。

原論ばかりで、或いは頭脳ばかりで、単純な論理をそのまま実際場面で適用する姿に、感覚面や心理面への配慮の弱い姿が現れ、表層の権威や型式への拘りが、対象の真摯な対峙から実行力ある方法への思索が深まらずに、単純図式の対立性を創り上げられる。

抽象原理とその適用という所に多彩性が生まれ、方法とその真価を見極める嗅覚に、真相を正しく掴みあげる力が生まれ、頭脳と感覚の程よく回る規則性からこの面が発達する。なるべく、率直な反応を見せる事が正攻法な歩みであるものの、動機の健全性を根にしたパフォーマンスという事も現実社会の変革には許容される。

空のプライドへ偏して、自己の欲望を先行させ、結果が付いてこないといった事象が度々生まれる。他利を達する執着心が実効力への優先を生み、方法の有効性を作り実態的に物事を動かす。実務者能力は、ここを重視して算定され、観念上の評論にこの面への視野が及ばない事には真相を誤って伝える事に成り、実態は感覚や感受性という生身の察知力におかれ、それが観念表現の違いを見せる事からも感覚的な生産性の過程が強調されて対象の良質な認識や方法に到達する。

所与的な作法を飛び越えて利己的欲望に偏し、とんでもない不正を平気でやらかす感性に根深い異質性を感じ、成長過程や教育、躾への誤りや、物理依存の拝金性へと偏り、求められる責任と実際の能力との開きが生まれるような傾向に対して、正常なミクロマクロの人間像が描き出されて、適正な改善への進行が加速するかに思います。

2つの客観認識

一方的に不正な手段で監視を行う事は、どんな法律に抵触するのか定かではありませんが、健康な心身を有する人が取られる行為とは思えません。盗みという初歩的な事から、現代的には人権の侵害にも相当するのかもしれません。おそらく憲法という根源規定に関わる行為であり、どんな行政機関のどんな根拠で行うにしろ、根源規定から見て裁量の範囲という判断に及ぶ事は考えづらく、直接性か二次的犯行かは定かでありませんが、まともな感受性を超える行為という認識に至ります。この事に加担している共犯者も少数ではない事に推察され、そこにも人格上の欠陥を感じるものであり、相当根深い集団的慢性化した感性の異質な行為に見受けられます。

こうした事象を一つとっても箍の外れた堕落という指摘に及んでも致し方ない人々による責任感覚と力の大きさとの過不足を起こしている状態を感じます。共通的欲望の達成を意図する政治行政というインフラやその周辺の集団的な秩序形成に見る局所的利益の追求と伺え、健全な文化水準を牽引すべき立場の下落についてはその悪性の影響が甚大であり、緊張の緩んだ長期的な体質と思われる異質性には、改善というよりも交代や隔離、解体が相当の判断にも思えます。この応急対処的な反応と共に原因の多角的な考察を加え、システムの観点から見る再設計に思索が及び、ミクロの人間像から浮かぶ基準感性を想定して不快行為の個別的感度を確認しその感じ方から見る相応しい改革の程度が現れ、予防の程度が考案される。

どこのミクロ感覚を標準とするかに、政策や制度の実際が構築され、マクロの観念体系として積み上げられる。マクロ観念という抽象性のみには、実態性が弱く、ミクロの適用に見る感度が、人々の実際的な感受性を見る事に成り、原則と適用の実感の仕方にどんな論理を構成するか、つまり、直接間接の因果関係をどのように感じ取るかに感受性の質実が現れる。こうした事象をより根源の層から解析するのが、先に取り上げた思想の根源にみる受益と負担の感性に在り、頂いた物事に対する適当なお返しという感覚にみる健全性の作り方について、どこを標準として過不足や許容性を想定するかに根源の感受性が現れる。この規定の仕方にも、生産者という定常的な規則性に見る適性と、生活者としての適当な感性等といった限定性を持ち、各種諸条件の設定とそこでの因果関係の標準的方程式が少なからず意識的か無意識に備わり、そことの誤差がズレとして生まれる。諸条件を緻密に組んで明瞭化させるにも、程度があり理詰め的に正誤や善悪をつけきれないのが人間社会の複雑性にもなり大なり小なりの不満を抱えるのが多くの人の状態と現れる。

しかし、システム的な観点での欠陥感覚については看過せず、改革を断行するのが適当であり、個々の事象への対処というより、それら趨勢や集計から原因の特定と改善を適当な周期で更新させる事が事前的に組み込まれた人々の活動であり、総括と改善という作業から緊張と緩和の動態が出来、基礎的感受性の維持が取られる。生活スタイルの変化から、この大幅な乖離や急速な変化には、相応の制御をとり、自身の感情の生じ方に見られる変化を焦点にした人間側の把握と外界との対話という向きが生まれて、調和や平和という観念と触れ合うといった構造からバランス感覚という面が磨かれ、心と体に見る健康さの認識が生まれる。特定の所属集団における健康な感性と他集団に在る標準感覚との交わり等による気づきや新鮮さ、或いは異質な不快性など、プラスマイナスの感覚を抱く事により、自己の標準感性への変更の契機等も生まれ、適度な流動性が客観性を高める作用に及ぶ。変わりづらい部分と共に、フレキシブルな面とが併存して、日々新たな気力が持続する。これらの動態が活力の源泉とも捉えられる。

そして、本書の各種ビジョンはいわば標準感性への提案という性格にありミクロマクロの人間像を描き出し、この根源的な側面からの原理を持って、良好な建設的好循環を意図した制度の構築や創造活動に反映されると想定されます。自己の主たる生産技術とその外側からの評価を認識するのにマクロ観念の想定が欠かせずその全体観の中に自己の技術が配置されて全体と個別の重層的な客観認識が生まれる。更に、その認識に対して他者との認識の異同や発見、反省をもつという二つ目の客観認識が生まれる。

この構図が意識されて技術と社会性を含んだ持続的向上の軌道が生まれ対象と主体を内蔵する文化の道が浮かび上がります。堂々とした文化基盤により不快な事象が予防され、いずれの結果に至っても納得感の生まれる清々しい快適性が生まれます。偽善という行為や自己都合的な論理への偏り等という感性で塞ぎ込む事のない、真正面の対立への免疫を強める事が現代の課題に思います。精神的ひ弱さから生まれる物理依存症は心身の歪みであり、真理という探究を止めた人々の客観認識を欠いた姿に成り醜い正当性と現れる。

思想の根源-因果認識

思想の根源-因果認識

貢献した分のリターンを得るのが納得性の高いエネルギーの投入と見返りの仕組みに成り、この理屈が万人的な抽象原理と備えられ個別解釈に多様な見方が現れる。欲望と充足、その範囲や深さ、実感の程度や持続性といった変数が浮かび、明瞭にしやすいい部分と曖昧な部分との程度が生まれる。「因果関係の実感をどうとるか」がこれらの算定に及び、感覚性の事柄と情緒的な作用の抱き方の相違から個別性と共通性が生まれる。

 

その範囲や深さ

実感の程度

持続性

欲望

     

充足

     

ここに人間の根が置かれ、成長過程で作られる個別条件から生まれる感度が備わり、有難味の抱き方が作られ、その認識から反映した行為が生まれる。この均衡感覚に適正感が生まれ、不足に不満、均衡に普通、過剰に対して満足と見るか、不満と見るか。

この根源的な側面があらゆる事象の土台に備わり、各種創造や協働と自立の感覚に及び、同一的である事が快適感を作り違いが大きい所に様々な不協和やマイナス性の感情が生まれる。管理的な業務と現場的な業務とを経られて、いずれの工程における困難な面を知り適当な感度が育ち、感覚差の広がらない反応に及びいずれか一方に偏する事に対して正負の作用が生まれる。

この事から活動動態の完結的な標準図が示されて、それを基準に適正感覚を探る事に成り、更に活動動態から積み上げられた適正観念像が生まれ、その比較が執り行われる。こうした思索が感受性の客観性を作る取り組みに成り、個別性に対する適正基準と調和を作る共通的根拠が生まれる。

公平や公正、平等という観念はこの面がベースに成り、因果関係の取り方から抽象的理想を示す観念と感覚の解釈が生まれ、事象の認識を作りだす上での所与的な焦点となり、実感性の相違を探る視点が備わって、真相や真価という感覚が掴みだされる。同じ事象についても人によって感じ方の差が生まれその認識から論理や行為の相違を生み、感受性の異同の実感に及ぶ。詐欺や盗みという行為への認識も、この実感の取り方から始まり犯罪意識の相違を生む。

以上の事からも、文化という根源的な感受性の近さを作る事から細かな相違への許容性や、対立よりも相互補完的なエネルギーに回り停滞的な状態の予防に連なり好循環という軌道が強まりを見せる。どこに標準的な実感感性を見るかに、あらゆる基準の根が置かれ快適や不快の感覚が現れる。こうした事から根元を揃える試みの意義が備わり、ボトムアップの感性の厚みとトップダウンの創造という両面を睨んで個別状況に照らした変化が創り上げられる。

 

1)文化原論

1)文化原論

本格的、正統的な文化体系を示します。人々の背骨となる価値と思考や行為の確かな基軸論理を体系だてて構成する骨太の普遍則と纏めあげ、文化という言葉の内容を明瞭化させて、認識が強まり、迷いの少ない行為や考え方を確立させる事が、良好な産業経済、政治行政、教育へ連なる事と思います。

様々な研究者によって、多彩な切り口による文化観念へのイメージが創り上げられ、そこに見られる一貫的な抽象集約や、自身の活動の歩みから創り上げられた長期的な原理を一つの実感の高まる体系へと収斂させる試みに成ります。

主要なキーワードは、平和、正負の人間像、平和への方法、平和の実感といった層での論理を標準的な文脈に取り、これを哲学的な層から、真善美、主客、調和等の観念を用いて論拠の根源的な厚みを形成し、この2つの層の間には、ミクロの人間像や社会ビジョンを示し、3層程度の重層構造によって、文化観念の全体系を表す事に成ります。

このような横の流れと、縦の重層性を構造化させる事により、緻密的な概念形成が生まれ、感覚と頭脳側との交流を持たせた質実性の上がる知的体系の実感に及ぶものと考えます。これによって全体性や、根源性の備わる納得性の高い文化観念が表され、感覚にも良く届き、そして脳裏に強く残り、更に感性へと浸透し、価値や言行に統制を与え、実態的な作用の強い表現と成り得るものでしょう。

長期的な歴史の積み重ねと反省から、確かな未来を創り上げる規則性原理が纏められ、不動性を帯びた論理と固まり、人間の本質的性格として備えられ、そこから平和という幸福感情を示す実感への軌道が確立する。個別的価値や中期性の共通価値を生みだす長期の根源的価値の厚みが前二者の良質性に現れ、そこに自主内発的な主体性を含む人間の躍動的自由と寛容の世界が生み出される。生命が活き活きとし、且つ健康な基盤面を含み、共生的感情やエネルギーの好感や集中を叶える共同体の姿と現れ、安定と繁栄の両面を内包する持続的な活動への道が創り上げられ、そこに、幾世代にも渡る平和という実感が繋ぎ現れる文化論になります。いわば、人類の美感となり永遠に生き続ける精神的な動脈を描き表します。

消極策と積極策

これらが積極的な人間創造策というアプローチで在り、これに快適を感じるか、或いは、この中での最低下限の部分の限定性を強め、ここだけは互いに守りましょうというアプローチを用いるか等の協調策が生まれる事でしょう。

後者の部分が、「盗み、傷害、詐欺」という行為で代表され、詐欺的感性から盗みへ、そして傷害という物的衝突の過程が想像されます。言い換えると、積極アプローチは、詐欺体質の予防となり、下限的不快へと入り込まない施策に思えます。盗みや傷害の原因には多様な想定が浮かびます。つまり、こうした不快事象の認識が置かれて、そこを少なくとも守る事が、積極的なアプローチ云々の以前に置かれ、それなしに、様々な上昇策等という発想には本末転倒の姿に見られ、自己への制約を課さずに他者への過剰要求に陥る事のない調和の姿に適正感覚が生まれ、そして次第に無理のない積み重ねをとり、積極的な共通性を見出す歩みに自然な共生と自立の形成を見ます。

現代の特性と見えるのは、自己に課すという感覚が弱まり対象への過剰な要求を強める事への不快が生まれ、最低下限の制約を守らず御託を述べ要求する一方向的な感性への異常であり、ここが強調されて良質な調和策が生まれる事でしょう。

1)機能性における表現の質

「結論から言いますと、○○です」等という言い方がビジネスの対話でしばしば見受けられる。相手方に労を課さない工夫として取られる作法に成り、解り易く端的に物事や意思を伝達する共生感情を根にした行為の現れという解釈に及びます。

表現の多くは、述べるまでに行為の過程を経られ、そこから生まれる欲望を集約し、誰彼かに要望を見せる姿であり、それを受ける側がその要望について、対応するかどうかの判断を取るという映し方が実態と描かれ、この前提には、予めの主要な役割という共通認識が置かれてその枠が個別の対話に反映され組織や集団の活動が現れる。

関係の持続性から結論を端的に纏めて、そこのみで精度の高い対話を実現し、快適性の増進という感覚が生まれる。この構造を多くの人は実感され、良質な人との関係形成手法として行動原理に意識的か無意識に備えられる。

何がしかの知的体系を形成するにも、この論理が適用され、個別の積み重ねを抽象集約して重要ポイントを前面に取り上げ、そこののみで、大凡過程や枝葉の推察に及ぶ事が想定されて、最小限の表現で済む事であれば最も快適性が生まれ、必要に応じて詳細を述べ納得性の取れる所で対話を終えられ、判断に及んで次のステージの行為や対話が進行する。これが前進という概念の中身になり、過程と欲望の集約→納得性→判断→次なるステージ、といった過程で浮かび上がる。

本書の構成も、冒頭部分に過程からの集約を取るという形式を用いております。そこのみで同一的な理解に及ぶ場合も想定され、必要に応じて詳細を見るのが良好なコミュニケージョンの運びで在り、このような対話の構えに人間形成の基礎的な対峙の姿が映し上げられる。

込み入った知的体系を表現するにも、同種の作法を意識されるのが平等思想に基づく行為の現れと思います。文量の多い事が付加価値のポイントに成らず、如何に良質な集約を作り全体表現を少ない分量で示すかに、表現形式上の付加価値が生まれる。このような実質的な付加価値の正しい捉え方の認識が高まり、良質な能力の測定に繋がり適正な対価の産出に及ぶ事と思います。断片的な知の量ばかりが記載され、知と知の有機性が弱く、見る側に労を与えるようなものに価値はなく、積み重ねと集約の過程を繰り返す中で次第に集約の質が上昇して体系の壺を示す事に及んで、そこに付加価値が現れる。

このような姿が倫理道徳という観念の二次三次的な応用として生まれる要所になり、この意味からも根源には倫理道徳心が人々の性質の土台を形成しこの程度が各種創造行為の質に反映される。財力や権力、名声に縋った肥満体質から怠け癖が慢性化し、粗雑な表現や可笑しな発想や価値観で正当化される事や、それに留まらず安易な盗みに及ぶ事に対しては、道を誤った秩序が増進される事からも、本書の文化論の根源焦点が物事の本質や真価を見極める重要点に成り得ると思います。以上は、機能の向上性という面を焦点にした表現の質を指し示し、情緒的な志向等、様々な意図によって相応しい在り方が生まれる事でしょう。

今日的には、「おもてなし」等という言葉で、日本文化を表現されるようでありますが、上述のような発想や姿勢、態度を指し示す事に思われます。この質が物的依存から脆弱化し各種の不快事情と現れ、人間の自制力や観察力、感受性の衰退に及ぶ事には警鐘が鳴らされます。

 

1)倫理道徳の肝

犯罪者が何かを評価できる立場にはなく、この感覚が乏しい所に慢性的な病理が浮かびます。健康像を本書で再三取り上げてまいりました。

フラットな感性が前進的な発想や創造に及びここが根っことなって、市場と技術を結び需給構造が形成される。これへの真摯な対峙が基軸動態に成り、持続的な改善活動を周期に持つのが標準とされる。この表現が過不足のない倫理道徳を示し、ここから外れた感覚に健康な心身を欠いた認識が生まれる。

その自己認識を欠いて正当性を備えるかの主体性には、まともな関係が生まれず、何が原因で客観的な認識が取れないのかを研究する分野が現れ、健康像とその乖離、その原因を探り予防の方策が生み出される。

これが文化活動の端的な表現になり、根源的な感覚と観念を作りだす姿を捉えて人間側をそのまま映し出し、適正な自己評価をもった認識の修正を作り、相応しい姿勢や態度へと修復するのが健康な体質改善の筋道とされる。

そこで用いられる尺度が、多くの良心を持つ先人が永年の時をかけて作りだされた善悪の規定であり、活動動態上にこの尺度が取り入れられ、そことのズレを見て客観的な認識が生まれる。

恐らく、この想定に万人的な重層構造からみる客観認識の取り方が生まれ、そこから主体の独立性という概念が形成され、欲望と力と責任への過不足を計り、行為へと繋げる事が、畏敬の念という生命観に対する感受性の率直で具体的な反映の姿と捉えられる。

言葉で散々道徳を語る事も自由な行為に思われますが、上記のような実際上の客観認識による比較を持って適正な事実の認識が生まれ、この程度で留める事が過不足のない標準感性に思われます。あまり複雑化した抽象論理に陥っても実効性が生まれず、この文脈に同一的な型枠が生まれるように推測されます。

多くを無理に要求するような原理は、自己への制約を課さない一方向的な表現に及び、フラットな感覚から生み出される倫理道徳とは外れ、最低下限的な論理を示し実際の認識との整合に真価を付ける事が適正に思われます。急所を外して、個別的な要素から正当性を増すかの在り方にはどこか違和感が強く、普遍的な観点を尺度の中軸に添えて、そことの比較を重視するのが良質な人間の見方や作り方に思います。 

1-2 まやかしの和に嵌まる事のない健康な和の推進

政治行政が民間の活動成果を盗むような疑いが生まれ、それが事実ならまったくの本末転倒のインフラであり、共通の欲望を達する公正公平な基盤を欠くどころか、負の根源となり、力の暴走への歯止めが効かずに、法システムは権力の維持が目的におかれた運用に陥り、元々の制度構築の精神と乖離を起こした姿という認識が作られる。

この基盤の腐りには深刻な感度が当てられ、一定の水準に回復させる施策が不可欠になり、こうした症状は一日二日で作られる事にはなく、一定の時を経て形成される皮膚感覚という体質からの事に成り、抜本的な改革を早急に実施する事により被害の拡大を留める事が望まれる。

教育制度、行政改革、政治改革、といった公的機関の直接的な面と、それに隣接する報道、マスコミ、財界人という周辺分野の在り方を含んだマクロ的な観点からの対処と予防策という事と、個々人の文化意識の上昇というミクロマクロからの基盤の改良が合わさって、正常な感性への浄化が叶えられる。この焦点への関心を強く持たれる人々も少なくないかに推察されます。ここが健全水準にあって、その上での共存共栄という前進性のビジョンへと熱が促進し各種の創造策が描き出される。

犯罪者には犯罪者としての対応が必然でありこのメリハリの弱い行為を取る事無く、膿を出し切る事が避けて通れない改善への施策であり、或いは、同程度の文化水準の人々とマイナスには関わらず、マイナス性から経済的な原資を得られる人々とも基本的に関わる事はなく、プラス性のエネルギーを投じるかの選択肢が生まれる。ここが、関係形成の肝に成り倫理道徳心という面が人間作りの中枢に備えられる。

厳密には、各種領域内にも文化水準の個人差が生まれる事と予測されますが、同一の看板を背負いながら、悪性を見過ごす事は社会人としての倫理観の欠如を指し、同種の扱いを取るのが適正であり、より厳密には、それに対しての改善施策を斯様に取られているかを、個々人が発信できるような透明感を備える環境整備が要り、ここが現代的な個人と集団の矛盾を解消する上での要点と浮かびます。

集団の規定に個人の発言の制約が置かれ、その内容が供給寄りに偏して、一般的な倫理道徳を欠いた面へ塞ぎ込むかのようでは、規定の在り方に健全性が備わらず、内部の膿がそのまま残り改善意欲を萎ませていつの間にか同化される。これに陥らない制度を設ける事が喫緊の課題になり、一定のインフラ水準へと修復してプラス性の阻害への対処と予防が進行する。和をもって尊しという根源感性はこのインフラの下落を改善するエネルギーに回るのが適当であり、まやかしの和に染まる事のない健康な感受性を備える人々との協働性が志向されます。

 

根源の感受性

多くの活動は、付加価値のアウトプットと変換過程と資源のインプットで表される。この持続的活動に管理という面が加わり、有用な産出を持続的に展開する為の適正な管理という二つの軸が浮かび上がり、その基準を設け、運用しながら適正を探し更新を適時に取る永遠の動態を想定して実際の活動が捉まえられる。

これをより抽象化した表現にすると、固有技術が感覚側、管理技術が頭脳側の操作に成り、感覚と頭脳とを繋げる感情、或いは、感情が感覚と頭脳の適正を作りだす。感受性は主として人との関係で現れる心理作用になり、相互の評価という行為で、喜怒哀楽の表情が生まれる。評価には欲望と充足の構図が立ち、相互に持つ欲望という共通面とそれを叶える作用の分担で協働活動が生まれる。欲望が感受性と物理性に分けられ、生理要素が加えられて、この割合感覚の程度で志向性の精緻な異同が掴まれ、欲望の充足となる実感規定に微妙な差が生まれる。合わせて充足方法への異同も生まれ、評価の感覚に異同が生まれ、そこに正負の感情が現れる。

欲望と充足

評価

欲望

実感規定

方法

評価尺度

生理面

心理面

○○が生じた時

△△という手順で○○が生まれる

感情の面に短期的な作用に比重を置くか、長い根源的側面での波長に比重を持つか、この程度差が、感覚と頭脳の適合性の作り方に現れ、長い根源性という面に、長期的規則性という不動的な文化面が置かれ、ここの厚みが少々のズレを和らげる作用と働く。

作為が生まれる以前のフラットな感性という感覚が、文化感覚とも言い換えられ、平等的な人間像を持つ所に良質な共生感情が形成される。協働関係を創り上げる以前の素地の部分が協働関係の良質な作り方を生む。利用の発想が強まる以前の生命を宿す素の有機体としての対し方に所与的感受性が見受けられ、この生理現象に近い所での感覚の近さが、協働行為に反映され、長めの根源的波長を備えた個々の事象の扱いに現れ、相互補完的な心理に回るか、攻撃的な対立性を強めるか、という違いと現れる。ここに緊張と緩和という関係性の波が現れる。

融和性を好む日本人の伝統的な気質が、こうした焦点に映し出され、和をもって尊しとなすという根源的欲望の姿と表現される。ここから、おおきな開きを生まない管理という在り方が生まれ、フラットな処遇に反映される。感覚と頭脳と感情という人間に不可欠な3要素に、まんべんなく価値を割り振り、各自の良さを伸ばす事と足らない部分は補完して、全体的な達態度を引き上げる協働性が作られる。この良質な文化の根を省みた生産性を遂げる事に、大きな利益が現れると言えるのかもしれません。こうした波長を揃えて各種の観点を設け、平等的観念を強めた施策が作られる。個々の施策ばかりが取り上げられる以前の、感受性という面に対する同質性がこうした文脈から示されます。管理ばかりをしたがるか、金庫番ばかりに人が集まるような文化には、大きな利益は生み出されない。

堂々とした文化

供給側という作り手の意図と需要側という受け手の要望という構造を念頭にして、あらゆる創造活動が規定される。供給の持続性を図る為に、組織化が生まれそこに属する各種規定が設けられる。需要側が期待している事柄を持続的に提供する為の事と、供給寄りの持続性を意図した事柄が作られ、供給者が思う事と需要者側との要望とは、必ずしも一致しないのが、実際上の需給構造になり、立場の相違から見る価値の異同が現れる。

そして原理探求型の社会観には、特定の需給構造の原理に縛られる事無く、真理を求めてより良い物事を創り上げる上昇発想を持ち、フレキシブルな挑戦に寛容なスタンスが備わって、既成型の秩序を超える観点の創出が生まれ、この面を重んじた自由な発想は、建設的な前進性を生みだし、堂々と公明正大な取り組みが進められる事に、活力の増強が生まれ、歪んだ組織の維持という内向き発想よりも優先されて、透明な創造活動を基調とされる所に、人間の飽くなき探求とエネルギーの上昇が齎される。

内向き文化の負の側面が、一部の利益への固執で在り、理に叶った発想から外れ、歪んだ発想による裏工作や、盗み等が進められ、良質な芽を塞ぐ面として指摘が成される。この認識が固まりつつあり、腑に落ちない規定や行為には批難の声が高まり、自由の阻害や、負の存在として認識される。

これが堂々とした文化基盤という意味を指し、健全な動機と真摯な創造には、開かれた風土が醸成されて、健康な競争を堂々と繰り広げる所に前進性の発想と好循環の増進が叶えられる。

ここが脆弱で、裏と表の乖離が激しく、村社会への執着へとエネルギーが閉鎖的に回り、歪んだ精神性を露わにさせる事へは不快の感覚を持つのが、健康な人々の自然な感情であり、プロセスを妙な行為で塞ぎ込む事には、厳しい処置を与える事が現代の常識感覚となりつつあるかに見受けられます。

この面面を明瞭に浮かび上がらせ、前進性の阻害への対処を急ぐ事が確かな改革の前面に現れ、健康な文化基盤の強化が、多くのプラス発想型の人々からの要望と思われます。本書は、こうした潜在的・顕在的なニーズに叶う文化論に成り得るように思います。しがらみという言葉が度々各種論者から用いられ、プラスとマイナスの要素を含んで示されるようでありますが、大きな利益を意図した健康な活動においては、しがらみ等という事には一切考慮をする事もなく、堂々と創造を表現する事に正しさを覚えます。これを基本にして、在る部分では適正な配慮も必要な部分が生まれるという序列の持ち方を多くの人は望まれるかに思います。

しがらみへの配慮すべき事と、配慮など一切要らない事との峻別を、適正に作る文化が志向されて、緊張と緩和の良質な姿が実現されるものでしょう。これを総じて堂々とした文化基盤の強化と謳われます。基礎的犯罪などは論外であり、即時退場の扱いでよろしいかと思います。

0-6文化政策の中心

人々の発想や思考や行為はどんな歩み方をしてきたかに起因し生み出される。歩み方を見る観点として、物理よりか情緒よりの志向性か、他利的発想か自利的発想かの2つの主要な軸が現れ、前者の割合が後者へ影響する関係にも実感されます。

物理よりは比較的単純性の強い感覚的反応の算式を持ち答えを弾き出され、物事の因果の実感変数が少ない感性を主軸に備えられる。情緒性は感受性の変数を多く持ち、方程式は多角的、深耕的と言えるように思われます。

別言すると、局所的と大局的という対象範囲の取り方の異同が現れ、感覚的実感の感受性へ偏る事は局所へと意識が向かい、広い動態を掴まれずに部分最適性へと陥り、頭脳的集計は個別を集めて大きな観点からの動きを把握され直接感覚を抽象した事象の捉え方が作られる。こうした傾向則が確かに在り、両面に制御を与える根源の原理をどのように作るかに関心と探求の焦点が生まれる。

根源の人間観と、大局と局所を繋ぐ中間工程に、これらの矛盾を解決する鍵が生まれ、感覚と頭脳の作用を段階的な感受性を経る工程体験から、両面を良く回した感情が生まれ、物的側面からの欲望と心理的な側面とを調和させる感覚と頭脳の働きが創り上げられる。

この動静が標準に描かれ、現況の状態認識から、標準図へ向けた方法が創り上げられる。現況認識と標準図との乖離感覚が、熱の違いを生みだし、達成への速度感の相違に成り、施策の取り方への快適不快という感覚が生まれる。これらの根源に負的性格を内包する人間への認識度の相違が生まれ、そこから自然や人への発想や対峙の仕方が変わる。この点が物理と理性、自利と他利という二項概念を作る根本に成り、生命へ対する感じ方の変容が各種の行為に及び、人間が映し出される。

絶対的な不快事象の特定と、実感の程度も、この生命観に起因し、あってはいけない事という類型が感覚から観念となり、共通的な感覚や認識を強めて、それへの予防策が講じられる。快適性の事柄には幅が生まれ、不快性には限定的共通性が現れる。

この下限的不快事象を超えた状態で、快適性を意図して表す理念やビジョンには、正当な行いという共感性が生み出されず、万人的な絶対則を守る事が、高次の発想や活動への共感や協働性を強める土台に成り、複雑化した物事への密接な関係が形成される。これが欠けている者にあっては、前進性の活動に肯定感は与えられず、歪んだ手法や精神に在るものへの率直な反応が生まれ、ここに心理的な道理という人と人との関係を結ぶ基本的な快不快感が生まれる。

物理性の入手と利用に、下限的不快を超えた状態にあるならば、そこには一定の線を引き、短史眼的な便益を抑制するのが、心理面からの判断になり、この扱い方に、生理を超えた人間の特性が生まれ、道理を外した行いを予防する確たる秩序が堅持され、それによって安定と持続の基盤が確保され、不快を生じさせない欲望の充足が果たされる。

個々人の毅然とした振る舞いから、悪性の連鎖が防がれ、根源的な制約を重んじる基盤の強固な社会秩序が形成される。生理的不快という所与の悪性を防ぐ心理的欲望を指し示し、生理と心理の基本式が構成される。

「そこまでして物的豊かさを求めますか?」という一線が備わり、その境目の持ち方と、実際の行為に生理や心理、利己と他利の割合感覚、形成の姿が現れ、人間の本質的な姿の把握が生まれる。これについては、広く知らしめて、公平公正な事実の認識を形成し、実際上の秩序が回されて、相応しい人間社会が創り上げられる。

遠くで生じた不快事項について、身近に連鎖する事を予測した認識を持ち、他人事では済まされない当事者性の意識が現れ、個々の不快事象への正しい在り方を直接間接に実施して、一定の基盤を健全に確保するという取り組みに繋がる。

こうした共生感情が少なからず作られて、他者との同一尺度の下に自己が律せられ、悪性の出現を留める施策が生まれる。直接の加害者や犯罪への加担や共謀をされた人々は、こうした観点から相応しい認識が取られ、万人的価値への背信の姿を客観的に示し、それへの相応しい反応が生まれて、生理と心理の良好な関係が創り上げられる。制度上の制裁や処置へと進める以前の自主内発的な道徳の厚みや対象認識力の向上が、心理と生理の上昇を生み、人間の良質性を増進させる。

最大分母の集団的自衛という観念は、こうした論理で組み上げられ、下限の制約という絶対性の価値を揃えて、直接間接に守ろうとする行為を示し、下限の制約を超えた行為が各種の悪性の動源になり、二次三次の悪性を作りだす事実を捉え、軽視や看過する事のない意思を作る事が、基盤の下落を予防し、良質な先人の意思を引き継ぐ事になる。

自分さえ助かればという発想が、安易に犯罪へ加わる節操のない心理に進み、大きな被害の連鎖性を生みだし、健康な心身の疎外を作りだし、物理に偏した発想や生活習慣へと深まりを見せる。悪性は連鎖性を強く生み、瞬く間に空間の皮膚感に備わり、生理的感覚へと浸透する。これを心理的な意思で留める所に人間の特性が映し出されます。

以上のような観点から対象を映し上げる事も、新たな発見や意識を生みだす事かもしれません。心理面を含んだ事実認識とは正しく多様な捉え方が生まれ、生理面の事実とは異質の無限的な観点の創出と知覚の構造に在り、そこに各種の感性が現れいくつもの学びや発見、刺激の機会を齎せる。日頃、生理的事実という感覚を持つ事も実は心理面が多分に含まれた事実である事も少なくないかに思われます。哲学的な観点からはこの違いが意識され精緻な対象の映し取りが作られるかに思います。