哲学観
哲学の指導者には、解釈の専門家と体系の形成者という2つの類型に大別され、各人が自主的に専門哲学者の体系に興味を持ち、その理解に有用な作用を齎せる専門家と、自身の感覚性の体験を根にして創り上げた体系を説明する専門家という区分が生まれる。
専門研究者という性格の哲学概念を頭脳的に深める事も、まったく無意味とは思いませんが、感覚工程を経ながら自身の体系を創り上げる事に実際的効用が生まれ、筋の良い根源観念を如何に少なく集約し、短い時間で読み込めて、感覚的に深い実感図面がイメージされるかに、この分野の優劣基準を備えて領域の方向性を定める事が、実社会への意義を齎せると感じられます。
このコンセプトに沿った哲学が『日本文化原論』であり、特定の哲学者の難解な表現の解釈に時間を充てるような事よりも、洗練された骨格概念と集約した体系を大づかみに捉え、生涯をかけて自らの体系を創り上げるスタンスを想定した哲学基礎教育として、講座を設ける事が、感覚体験と頭脳の程よい循環性に及び健康な感受性が創り出されると想定されます。
真理を意図して読解に時間を費やす事は、真理と離れた作用を齎し、幸福感や健康を意図して哲学を身につけるのであれば、最低下限の良質な根源的な筋道を入力し、体験型の原理創造に比重を取った活動性を持つ事で健全な心身が生み出される。
哲学という根源観念は、こうした想定の中で、体験と共に次第に深まりや完成度の上昇に及ばせる個々人の個別的納得感の形成に、良好な作用を齎せる為の必要最小限の観念として提供するのが、需要者にとっての真価に思えます。未来創造型の人間観に軸足を取った哲学観や教育観という方針で描かれます。
誠意ある創造
既得権と改革志向という言葉がしばしば謳われる。今日よりも明日へと目前の仕事に対面され、市場と技術の構造に真摯な取り組みを持ち、良質性を意図されるのが多くの人々の健康な姿に成る。このミクロの感性とその拡大で中局的な構造も創り出され、システムの目的と手法の健全性にある事によって、個人と社会の基幹動態が形成される。
単純化すると、この論理と実際の活動に在る事が改革志向を表し、下限の制約を遵守し、個別の積極創造策に尽力する姿に健康な心身が宿る。個別の積極策においては、堂々と市場との対話を持つ為に、自己の技術を掲げられ、一定の中立尺度と適用の公平性を保ち、公明正大な外界との関係への軌道が創り出される。この図式から逸れた行為に在る人々が、悪い意味の既得権者という認識が作られる。成すべき期待と行為とのマイナス的なギャップという判定を受けられる姿であり、過分な評価や過剰な力の不均衡が健康な成長軌道の停滞や阻害に作用し、局所の利益に偏して不正な行いにエネルギーを投じる社会のお荷物と特定される。こうした一定の規定を描き出して、変化や改革という言葉を用いられる所に、正しい理性的な具体策が創り出される。この論理を根源的に創り上げるのに健康な心身のモデルが示されて、更に限定性を持つ適正な尺度の形成へと展開されて、標準とプラスとマイナスの構造が描かれ、プラスを伸ばしマイナスを削減する一連のストーリーを客観的に示す事により、理に叶った改革案が纏められる。下限の行為はそれ自体が迷惑行為に成り、この改革には比較的単純な論理でシステムの強化策が作られ、積極的な創造策には、相対性の感性による論理の多彩性が生まれる。更に両面の因果という動態面の論理が描かれ、全体の良質性へのシナリオが生まれて、完結性の高い理想画と方法の枠組みが表される。変化や改革という言葉ばかりが踊り、何をするのかの中身が鮮明化されずに、善人を気取るような事では、その行為自体が下限の制約に触れ悪性を招かれる。このような尺度を持つのが、健康な心身を持ち合わせる人々の論理であり、大きな欲望を抱かれて力を得ようとする行為には、明瞭な体系の創造が要り、論拠の確かな改革や変化という言葉に至って、力強いエネルギーが寄せられる。既得権というキーワードがやけに目立ち内実の深さと幅の構成されない扇動的な行為には、騙される事のない理性の水準を備える事に本書の根源性と全体形成の作法が有用な道筋に思われます。程度の悪い政治家やマスコミの断片的な論拠の弱さには付き合う事無く内実を賢明に計り出し一般社会への良質な対話に連ねる各分野の誠意ある専門家の役割に期待が寄せられる。
社会の根源基盤の健全性
反省という行為は、被害の状態によっては、損害を賠償して場合によっては刑事罰に課せられて、その姿が実感される。これがないと子供扱いか、犯罪者として実質的な認識が生まれ、それに相応しい取り扱いが生まれる。
現代社会状況は、この反省という言葉と行為の実感に踏み込んだ強要にまで及ばないと自身で行為に現れない程の人格破綻と見られる人間が少なくないようです。この物理依存症や他律受動性の体質が進行する事では、社会は成り立たず、事実上の姿に基づいて関係を作る自浄作用の進まない事が大きな欠陥になり、インフラ自体の機能不全が深刻な状態に見受けられる。
ごく一部の層に相当する事と思われますが、物理性の影響力を持ち、それに依存して責任意識が壊れ、そればかりか下限の法規制の感覚も可笑しいのでは、直ちに強制対処するのが適当に成り、この遅れが致命的な人間崩壊の道へと深められる。法がまるで実効力を持たず、物性の原理ばかりが浸透し、自律的な制御反応が取られない事に在っては、強要的に隔離するのが適当であり、その判断力が乏しいような感覚が生まれます。
管理監督責任者へ求められる水準に至らず、けじめのつけられない子供が形上の力を持ち、行使されずに箍の外れた感性が修復されない。このような過不足が問題であり永年の時をかけ作られた価値が瓦解する。
反省の取り方の妥当性を計り、その判断力に根源の感受性が検証される。何かの貸し借りから配慮を加える事柄と、粛々と執行すべき事柄とを間違えない切り分けが生まれる。
このメリハリ感覚がない人間には、力を与えない事が必然となり、この判断を間違わない感性が自他の調和に欠かせない制御装置となる。
犯罪は、それ以上でも以下でもなく、齎せた被害に対する真摯な弁償を行って、誠意ある人格の実感が生まれ、これを取れないうちはいつまでたっても体質は改まる事無く、同じ繰り返しを生みだされる。実質的な行為として検証されないものでは、お飾りの観念体系が宙に浮き、正しく頭と感覚の分断した感受性の崩壊という実感が進む。
万人共通の理性基盤を堅持する事なしには、病的な一部の感性が留まり、健全な軌道を阻害する。これから逃げる事のないシステムの基軸強化が求められ、これが脆弱な事から、犯罪者がぬけぬけと放置され、まともな正論を吐くような醜態が現れる。これらの認識が弱い主体性には、間違っても基幹に備える事無く、相応しい人格と影響力に合った配置が執り行われ、個別性の適正な対応に及び、全体調和性が叶えられる。
欲望過多で、責任不足に陥る事のない感度の実態が健康な心身を表し、他律ではなく自律した振る舞いにあって、主体性が確認される。他者からの指摘を強めないと自ら動けない受動性の進行という事象が、文化の中心焦点となり、水準が常時計られ、許容値と基準の制御という活動に及び、背骨の曲がらない体質が創り上げられる。
この観点を欠いた創造はあり得ず、絶対性の原理と固め、出来そこないを作らない人間社会への施策が一丁目一番地の焦点になる。積極的創造策に対する負の事態を抱えない適時適正な反応が良質な気流を弱めない必然反応となるのでしょう。
常識感覚の形成(健康な心身を表す基準図面)
善意ある感受性を持つ主体性の態度というものが抽出される。表現行為に際してこの構えが自然に現れて聞く側見る側との良好な対話や交流が生まれる。
- 表現は自己の欲望と共に外界への利益を含んで両者の利益に及ぶ。
- 自己の欲望を示す事、これが基準概念となり表現を創出する意図の限定性が生まれる。
- この絞り込みを持ち解釈の多様性を回避するのが、誤解を与えず、建設的な発展を意図する態度と示され、善意の中身という実感が生まれる。
大きな影響が想定される表現に至るほどに配慮が現れて、力と責任の均衡という状態になり快適性が生まれる。この感受性が人々との共生感情を根にした自己実現行為となり、この根源に生命への尊さを抱く畏敬の念という感性が配される。生命観が土台に成り主体と外界との関係の原理が生まれ世界観に連なる。その世界観が個別の行為に制約を課し自他との適正調和の形成を齎せる。そして、個々の感度や解釈の仕方に異同感覚が生まれる。著しく離れない為に動機や背景、沿革、理念という自己規定を予め示す行為が取られその上で個別の表現が配され、基準尺度と個別の一貫性を取る所に適正調和の構えが生まれる。下限の制約と積極的な創造との間に、健康な心身の構えが生まれて、生を生みだす配慮を持ち生への責任感覚が現れ、対象との良質な相互表現行為に連なる。力の利用と健全性という指針が組まれ、不快の予防と快適の増進へと進み、消極的制約行為の回避と積極的生産性への軌道が創り上げられる。表現者に善意ある感受性が弱いと、対象へ粗雑さや力での強要性や傲慢さと知覚され各種の不快感情が示される。
下限の制約を超えて力を獲得するという行為は、これ以前の水準であり、力の制御どころか力を持つ事自体が許されない平準以下の振る舞いとなり、即時の配置換えや緊急の対処策を投じる性格の事象であり、堕落した感性を野放しにする判断は、これを管理監督する立場の責任放棄となり、二次的間接性の視野を含んで事柄の認識を取り、適正な改善に繋げる必要が生まれる。人格上の欠陥や未熟さという指摘に及んでも可笑しくないように思います。理性と物性の健全な関係を持つ行為に健康な人間像が示されて、優先順位という序列感覚に具体的な姿の認識が生まれる。このような人間側へよった注視と創造が、倫理道徳や文化論の主領域に成り、外界認識や創造を成す上での構えへの探究が表される。根源の善意ある感受性から適当な動態論理が組まれ全体が浮かび、主客を合わせた人と人と自然の調和への道が描き出され規律ある安定と繁栄の規則性となり、同一感受性の形成によって人間概念が作られ個別行為に反映され、質と量の定期更新によって持続的成長と解される。あまりにも原論先行型の人間形成が進む事には違和感が生まれる面が多々生じますが、多様な志向や個々人の欲望追求性が高まり、力が備わるほどに、こうした面への規定を考える事もニーズとなり有用性が生まれるように思います。
| 絶対性の基準
(共通) |
準絶対性基準
(根本) |
相対性の基準
(個別) |
| 下限の制約 | 基盤的な創造世界観
文化ビジョン |
積極的創造策 |
| 盗まない
嘘つかない 怪我を負わせない |
認識や創造の型(p19 )を持ち、相対的な創造の展開を取る事が持続的成長への道と想定され文化という観点の形成領域が生まれる。 | 何かをして上げたい
困っている人を助けたい 役に立つ事を行いたい |
文化感覚
学校のホームページを見ていると学長さんが素晴らしいご挨拶を成されている。でも、文字が多くて、それが一つのストーリーに回らずに、言葉が躍っている印象を少なからず持ちます。その学校の求人案内に目を通すと、ご挨拶と対外的に向き合われる姿勢や態度に大きなギャップを感じ、この辺りに学校や教育者に対する不快的な感情が現れる。頭と感覚のバランスを崩した表現への違和感を持ち、一般的な生産者との感性の違いが顕著に現れ、理念と実施工程の循環性の弱さと映り、度々の衝突が予測される。
言う事と実際行為との整合や実感性の違いが不協和の原因になり、各種領域の感性と領域間の相違からギャップが生まれる。或いは経営者と従業員という相違から感覚の違いが作られる。この横の動きと縦の感度という構造から感受性の作られる因果が浮かび、異同の理解や許容が生まれる部分と、あまりに離れた部分への不快に対して平準性への作為が生まれる。
このような教育産業の性格が、法律や政治、マスコミの世界にも同様的に映り、言論表現と実際行為の乖離に正常値と外れた感覚が生まれ、これが中局的かつ長期的な構造上の問題と感じます。高らかに良く整理されない理念を謳い、文字ばかりが踊り何が言いたいのか良く伝わらず、感覚工程を経ないで生まれる表現と推察され、そこから何を学ぶ事があるのかといった評価に及び、上物が妙に煌びやかで内実の薄い実態が知覚され不快感と現れる。人間形成上の誤りのような感覚が生まれ、この部分に犯罪体質という言葉が当てられる。
教育や政治という改革への中心焦点と浮かび、又は、物理感覚の浸透された経済人から生まれる短変数の感受性という両極に対しての違和感が文化という観点を備えると鮮明化される。つまり、文化感覚は汗水をたらして言行の整合に快適を抱かれる人々の通常的な感性であり、この質の違いを問題とする事は正しい改善の焦点になり、立派な挨拶と運用の違いや、言葉が行為の循環として伝わらない不快感覚は、正常な活動に在る人々の自然感性から現れる。
単語自体は沢山の種類を使われているようですが、全体の有機性がまるで弱く、バラバラの文章を見せられても何も響かず、これに陥らない健全な心身を持続する活動として、本書が作られました。
健康な欲望の姿
原動力は、人々の笑顔を見たい。という部分も少なからず持ち合わせ、偉くなりたい、金が欲しい。という要素を持つのが自然であり、どっちか一方の感覚には、違和感が生まれる。これが美醜的要素を併せ持つという人間の認識に則った表層に浮かぶ感覚であり、ここに長期性の健康像が現れます。実態的な均衡や中庸という標準感覚であり、自他との適正調和の状態と描かれる。
提供した利益に対する適正負担がないと、良くしてあげたいという気持ちに対するお返しに不足感が浮かび、気持ちを減らして適当なエネルギーに修正される。これが収益とコストに対する利益率の概念で表され、この一定の目安が経営の適性を計る基準に成り、持続性が果たされる。
収益から原材料費、労務費、販売管理費、金融コストを差し引いて、組織活動としての付加価値が残り、法人の生産性が表される。投資に対するリターンの適正な水準が、外部環境の調達コスト等から算定され、一定の落ち着いた利益率がはじき出され、市場との過不足のない均衡感覚が生まれる。
これがマクロ的に見る気持ちとお返しの適正感を作り、過剰も不足もない適当という感度に及んで持続性を持つ状態と表される。法人としての活動の適正感覚と、個人としての適正感覚の比例的な反映が生まれる。
つまり、善意型の感情と付加価値の創造と適正なリターンによって、健康な感受性の持続が叶い、心身の健康が持続し、そして、もっと欲しい、名誉も欲しい、という気持ちが生まれて自然であり、良好な価値の提供を根拠にして、これらが叶えられる。
この成長願望を思うままに発揮して、標準感覚に対する守りと攻めの範囲の想定感覚が備わり、挑戦を成すのが躍動感の根に成り、ここに感受性が現れる。標準感覚は感受性の現れない通常感覚を指し、過不足の時に喜怒哀楽感が生まれ、それが動きを作る起点に成る。
マイナスをプラスへと変え、過剰なプラスからは抑制へと働き、感受性の制御が生まれる。このような動態に在るのが人間の生きた姿であり、正負や明暗、緊張や緩和という二つの要素を行ったり来たりする所に生身の姿が実感される。
これがある意味において、長期の普遍性であり、美醜を併せ持ち、そして美への志向を軌道にした活動であり、この過程で適正感覚という標準とプラス・マイナスの感度が作られる。下限の制約という万人的な価値を守り、積極的な価値の創造を行う健全な人間の動態が映し出される。前者には変容性が少なく限定性が生まれ、後者には、ダイナミックな活動性が生まれ、前進性のエネルギーをありのまま表し、欲望を叶えたいとされる事が健康な感性にある。下限的な制約はミクロ感覚の適正を表し、これを堅持した積極的な創造の感覚を持たれる姿に、一定の制御性を持つ理性が残り、物的性質に染まらない良質な感受性の維持された状態と映し出される。
表面を着飾り下限を超える性質は壊れた人間であり、この状態は看過せず取り除き、制約を持って積極的な欲望をそのまま表す姿には健康な人間の模範と示される。これを見間違えない事が適正な見識を備える感性であり、所与的な面がクリア-されていれば積極的な表現には縛りを課さず自己の生産に集中されるのが適当な姿と実感される。迷惑な人は人のやる事に邪魔をする。自分の生産に集中して磨きあげるのが正道であり、エネルギーの向き方や投じ方の歪みが問題視され正常な感覚を外す事のない普遍原理の強化が良質な軌道を弱めない成長概念として強調される。マスコミという業種の特性は、これに陥る構造的な性格を持ち、一般の生産者との異質性が生まれやすいように見受けられます。勘違いを生まないような仕掛けを外圧的に組み込むか、それを悪用する事象者や行政へも場合によって縛りを設ける事が要るのかもしれません。
哲学的思索の強化
科学と宗教の線引きはどこにあるのか。これへの答えを持たずに、これらの言葉を容易に用いられる所が、宗教的であり、根源思索の弱さを感じます。文系の要件定義の弱さは、曖昧な思い込みで論理を進め、理系の厳密性は実感の多様性を弱められる。このような相互の特性を抑えて個別的想定において、最良の表現を作るのが良き創造に連なる。
論理の土台には哲学的思索が備わり、対置概念を作る前提の論理基盤が置かれる。この面への探究の程度が、土台感や骨格感、納得性の程度と現れ、実感性の深さに及び、調和性の程度を齎せる。何を持って空想か、科学的か、この厳密な規定の困難性の認識が備わり、用語や論理の組み立ての丁寧な作業と現れる。
ちょっとしたズレからコミュニケーションの不協和が生まれ、亀裂が深まり修復の困難な状況を招く事を予防するのには、哲学的な思索の訓練が有効であり、「知るや作る対話する調和する」等々の基本動作を表す根源観念について、一定の教育や訓練が必要であり、この程度や有無が、人や自然へ対峙する基礎的構えを創り上げ、良好な関係作りの根元やエネルギーとなり、感受性の起こり方を生む。二次情報への過信という現象も、哲学的訓練を経る事によって、情報の信憑性や、裏付けの取り方に反映され、ゼロベースからの強い確信性を持った知の習得や形成に及び行為に連なる。
読書の量を学習能力の尺度にする事自体がお粗末であり、情報を容れる基盤面という質の善し悪しへ視点が行かずに、粗雑な書きものや、興味の弱いものをただ量的に読んだ所で、実りの高い成果を生むには至らない。感覚と頭脳との程良い循環により健全な感受性が形成される。歪んだ精神性は、頭脳ばかりへ偏した体質から生まれ、良質な知の保有が弱く、或いは用い方の歪んだ行為を生みだし、ここが、犯罪をつくる初動的な原因に思われます。健康な精神状態の上に各種の行為が執り行われて、良質な活動に及ぶという観念を備えて、頭脳と体と感情の有機体を作り込む視点が肝要に思われます。
6)創造性の種類
6)創造性の種類
旧型発想に陥らず、健康な創造性への指針を整理する事も、良質性を見分ける有用な創造画に及ぶのかもしれません。
6-1創造の過程:創造を思い描くオーソドックスな型式は興味関心から着目、快不快で快の増進、不快の削減、試行を繰る返し、効用の確認、学びから再考と試行、
6-2創造の基軸:一次体験、二次体験、自身、他者
過去、未来、現実、空想、悲観、楽観、正と負、
6-3創造者のタイプ:過去の因果から規則性の確率を探るという頭脳的な理詰めが好きな性質と、場での感受性を創り上げる発想や志向のタイプと、付加価値を下げる人が生まれる。
6-3-1分析からの傾向則を計る事は、既成型の質を理解して、方程式を抽出して、そこに細かな変数の加減を行う作業であり、多くの場合この創造に成るのかもしれません。リサーチを繰り返し、規則性を抽出し、因果関係を特定し、意図する効果をもって的確な施策を投じる。
6-3-2これに対して、既成型の規則性とは異質性の高い予期しない発想を思い描き、新鮮な発見や気づきを生みだす性格の創造性、頭脳的というより、感受性的であり、感じる事が出来る事自体に大きな希少性や財産があり、物的生物的な万人的反応とは異なる情緒性の感覚、新設的な方程式を作りだす。
6-3-3もう一つがなんら創造的でないマイナス性の発想や物理性に依存した盗みで、ちょこちょこと小銭を稼ぐ負の存在。集中力や自身のエネルギーが弱く、ヤドカリ体質で安直ないいとこ取りで世渡りするタイプ。これが迷惑な要らない人。
文化という領域規定
批判を活発にされる事は結構なことである。同時に、発言者自体の制約を強める事に成り、批評と同時に理念を公に掲げる事を示す。相手方に求める事は必然的に自己を縛り、自他との調和を作る基準が鮮明化される。この辻褄が合って、言行の整合在る主体性が生まれ、人格の実証という認識が生まれる。
文化の観点は、快適な空間秩序を形成するのに、必然の不動的な原理を表し、長期的な社会基盤の良質性を意図した原理の創造を主たる領域に取り、万人平等の観点から、相応しい論理を形成し広く訴求して、規律の整う社会関係を生みだす上での有用な役割に成り得る事と思います。
各種立場から利害が衝突し、自己生産の正当性が訴求され、その背後には、理想となる人間像が備わり、特定の生産行為との整合性を所与とした利益の主張が投じられる。
言行の整合や影響と責任という観点を基軸にして、各種欲望が表明され、その正当性をどのような論理で固められ、要望を充足するかという行為が、多くの表現者の意図する事であり、人々との論理の異同が確認される場に、メディアという空間が位置づけられる。
その場の提供者についての性格の吟味という焦点が生まれ、各種主張を取り上げる上での基準を事前に公表されて、場を持つ事への影響と責任を果たして、一定の信用が生まれ、公明正大な立ち居振る舞いが求められる。影響力の程度によって、その厳密性や公開性の程度が変わり、期待と要望の持続的刷り合わせを持ち、需給が合って場の持続が果たされるというのが、平等思想を価値と備えた原理の応用と解される。
恐らく、このような理屈の筋道に万人的な不動性を持つ共通性が生まれ、こうした性格の論理に根本価値や普遍性という原理の認識が生まれ文化という人々の基盤的な価値が浮かび、その認識が強まるほどに、それを前提にした批評や行為が生まれる関係で表されます。
直接的な主張に対して、この基盤的な主張という点に注力して、論理を描き出す作用が、各種の欲望に規律や統性を与え、極端な感受性への抑制や建設的挑戦への許容性を示し、根源的な観点から純粋性を帯びた提案が執り行われる。
以上のように個別と共通に対する根本的な地層による活動の性格が示され、経済や政治という視点に、文化の観点を併せ持ち、局所的な事象に根本基盤の理論を充てて一定のクオリティーを持つ強固な主張が創り出され健全な表現をもつ品格を保った創造が展開される。
文化にも需給構造が備わり、期待と効用の関係で対価が生まれて、緊張の持続する創造が遂げられる。特権的に見下ろすような行為は認められず、需給の原理があらゆる生産の根本原理となり快適な活動が作られる。文化という主張もボランティアではなく、有用性を主張して持続的改善の性格に在り、そこには対価が生じて持続可能な活動に成り得る。このような論理の上に中立という概念が生まれ、概念の中身自体と、事前の尺度を鮮明に表し忠実な適用を執り行うという2つの意味が生まれて、良好な価値の実現に及ぶと思います。メディアや行政、個々の主張に対して、文化という立場からの活動が、現代の時代状況において、潜在的顕在的な人々の要望と映ります。