健全性の維持と増進

健全性の維持と増進

独立的主体性という概念は自らの意思で物事を決められる部分を持ち一定の不動的かつ健全な理念を備え、悪性の他者との同化に及ばない持続的良質性への道筋を志向する性格と伺えます。健全な理念という内実に、物理性への過度な依存や物理性の利己的な活用への制約や他者の真なる利益に連なる用い方等の面が備えられる。これに反する歪な性質の物性の利用や依存に嵌まり、その状態から抜け出せず外界へ悪性を働き同化するスパイラルに陥る事のない線が引かれ、安易な物性依存に寄らず過剰な資源を受けず、自己の適正感覚を見据えて制御を果たせる健全な感性を持つ自律的主体性に健康な精神の実感が生まれる。こうした人間性の維持と向上といった理念を備え、展開する事に於いて良好な独立的主体性が叶えられる。自らの制約としながら、異なる感性を備える他者へ一定の距離を持ち、実害の予兆が生じれば適正な構えを作り健全性を維持する手法を投じる事に於いてビジョンに留まらない実際的な健全性が実現する。理念は変わらず現況へ対峙し適正な手法を投じる規則性において実態的な軌道が作られる。受動的な構えに在っては健全性が叶えられず軸をもって適正な手法を投じて独立的主体性が作られる。他者からの過分な評価や過剰な資源を安易に受け取り従属的な支配関係に及ぶ事無く、悪性の発想や手法に一定の距離を持ち制御を果たす自立が要り、独立的意思の壊れた関係性に進んで悪性の同化に陥り正常な感性の見極めを喪失し負の力を常態的に投じる堕落の道が想定される。筋肉質な感性による自己の客観評価と離れ、自己に甘い肥満な感性による自律の喪失によって力へ従属した独立的な意思の弱い不健全な主体性が創り上げられる。体質や感性と浸透し慢性的な皮膚感覚が作られ、健全な欲望と力と責任の均衡感覚を見失い犯罪への感覚も弱まって、外界への利益より悪影響を作る搾取的、略奪的な手法による生産を備えられる。自他との適度な需給構造を持ち確かな効用の提供者という実感と適正な対価を測定できる規則性によって健全な自信を積み上げ適正感覚が作られる。これと離れた過剰な欲望が適正感覚を狂わせ歪な力へ従属し抜けられない体質を深められる。こうした状態に見られる現象がしばしば映し出される。文化論という長期的観点から人間像に健全性概念を中心にした原理が創り出される。自己の客観評価を定期的に掴む習慣の持続した規則性から横道に逸れた感性への深まりを回避し基軸の太い良質な道筋を外さずに着実な歩みをもった人間性が創り出される。こうした理想に長期の持続的安定と成長の道筋が現れ、現況との真摯な対峙に於いてプラスは増進、マイナスは減少の変わらない判断を下せる体質と行為が生まれる。マイナスの想定と予防の施策という面から逃げては理念が堅持されず性質が変容する。この認識に在るのが健全に思われます。物理性への適正な制御が果たされない感性には健康な精神が宿らず物という質感に及ぶ。健全な精神に健全な精神が投じられ健全な人間が創り出される。個々人の局所的な限界を知りミクロやマクロからの健全性への仕組みを創り無理のない制御が果たされる。社会システム上の要路にはこの感性が求められ理念と共に具体的構造化を実現して局所の良質性に及ばせる責務が課せられる。力を備える配置に悪性の発生源が生まれると影響は計りしれず個々人では対処不能な事態を招かれる。こうした想定と要件化を持って性質の見極めと選定にあって直接間接の因果を見据えた包括的な全体観が形成される。本書におきましては、こうした健全像を如何に鮮明化出来るか、多様な観点から描き出します。

教育の基本的な焦点

教育の基本的な焦点

感覚をそのまま表す言葉が「寒いや熱い、強いや弱い」等であり、外界と身体との接触を持って感じ表す観念と成る。この質感は疑いようもない自身の感覚であり、信用という質感が生まれる。この直接的な事象に、要素の増加と因果の複雑性が加えられ感覚の複雑性に及び、それを表現する言葉の適正な用い方等へ連なり、自己の表現方法と他者との異同が生まれ、同一的感覚と同一表現が作られるか、感覚的な異同と表現的な異同という面へ思索が加えられる。身体的な構造の同一性から感覚には一定の共通性が生まれる。これに対して表現方法には一定の同一的な義務教育から用語の統一を持って、対話の円滑性へと意図する試みが投じられる。更に集団生活の体験によって各種の作業の協働性を経ながら公平な役割分担や作業の実施において喜怒哀楽といった対人的感受性を作り、心理的な側面の共通性や違いを感じ取りつつ、一定の安定した感性の同質性が創り上げられる。身体と頭脳と感受性という各面と有機的相関性と浮かび上がり人間の共通的基盤を作り社会生活の安定と向上心を抱き良好な人間社会へ連ねる歩みが想定される。こうした過程に於いて基準感覚と許容性の感覚が培われ、不快事象への共通感度と観念による明示を持ってマイナス性の規定と予防といった常識感覚が揃えられる。これに対してプラス性の事象には、各人の個性等からマイナスのような統一感には及ばず、相対性の価値や志向が生まれる。一定の安定基盤となる健全性を達する良好な共通面を備えて相違に対する寛容性が作られ、安定と自由の良質性に於いて社会の活力を持続的に創り上げる動態観が形成される。健全な感受性を持って他者との良好性に及ぶ創造性を基調にして適正な感謝を抱き行為に表す感受性を示して、持続的な人間の関係性が作られる。在る程度の基盤的同一性が作られる事によって提供とお返しの質感が大きく離れずに心理的な良好性を齎せる事になる。この感覚が著しく離れると他者への利益を作り自利を得るという循環を崩して、他者から奪い取る発想へと傾注し、対人的な対立性の構造が深まって社会は荒廃した心理で覆われ、単細胞的対立や歪んだ間接的手法の多用へと連なり歪な精神と肉体の相関を持つ人間が作られる。知力と体力と徳育の良好な絡み合いのない人間形成は、過度な物性寄りの感度を深め、質実の弱い虚構的な騙しによる対人上の優位性への企てに及んで、健全性と乖離した精神や欲望を深められる。基盤の狂った性質が深まる事には明るい未来は作られず人間の作り方への長期的な原理を固めて実現する事へと執着する事が重要な取り組みと確認される。教育行政を司る官庁の失態という事象へは深刻な態度を持って適正を正す事が必須であり、問題の重要性への認識を揃え本質を見失わない感度を持って健全化への価値を実現する歩みが欠かせない。人間性を正しく表現する牽引的な立場における醜態の悪影響は計りしれず各人における事柄の性格付けへの適正感が問われる。教育という内実を安直な知識の入力といった面に偏すると、人格への重みが弱まり歪な全体観を持って不快事象を出現させる。適正な生産概念や創造観を土台にする人間像にない偏った教育観では、良好な影響力を主導する立場にはなく重要な問題意識の醸成と抜本的な変化へ力を投じて刷新する発想が生まれても不思議はない。主導者のお粗末さからは誰もまともに耳を傾けない歪んだ関係性が増進する。教育の成果が反映されていないという検証結果であり、社会教育上の大きな問題と思われます。

活動の基本フォーム

違憲が問題と指摘される。そもそも法律等の規定は、過去の体験から導出される適正化への方法論で在り、先人の体験と知恵の上に作られた型式というのが実態に近い本質と思われます。在る事象が発生し快不快感を抱き、それへの方法に制限が示されこれを守ろうとする人々の合意が図られる。感覚的な質感の事から抽象的理念に近い事柄まで、形成過程はこうした流れに伺えます。在る条件下での適正な方法論を指し条件が変われば最適方法も連動し見直しの機会に狭まれる。又は、同一的な価値に無い相手方との関係に於いては自己の理想ばかりによって相手方の意思や性質を無視する態度では、実際上の調和を見出すには及ばない。純粋理論に対して現況を掴み方法を見出す歩みに於いて地に着いた発想や行為が現れる。頭でっかちで外界への認識が弱まる所に、歪な精神や過剰な欲望、思い上がった性質が強まり健全性を損なわれる。このような世界観を前提に、憲法、法律や制度、生産、理論、表現を創り上げる所に健全な人間性が映し出されます。

こうした筋道を丁寧に確認されれば合理的な方法論の導出にそう大きな開きが生まれないと予測されます。最上位に生命の存続が置かれ下限の絶対的な基準が設けられ相対的な前進性の施策が作られる。そして、両面の相関へと視野を及ばせ相対性の施策による効用と影響の想定が取られ影響よりも効用が高いものに積極的な前進が備わり全体の意見と纏められる。影響と効用の実感の取り方に多様性が生まれ施策への評価の違いと現れ微調整を図りつつ適当な所で全体の利害から妥当性を纏める。プラスに働く幅も異なりマイナスを受ける側も生まれる。そうした中での多数決による合意となり基準が更新される。生滅不可分の感性を根にして、適正調和を見出す共生と自立の作法と浮かべられる。

諸条件の変化

相手方の価値観

効用

施策

a下限の絶対則、b相対性の施策

aとbの相関

影響

生命の存続

下位規定

違憲だからだめという論理は、理想と現況に対する適正な方法を実施する規則性から離れ、理想に限定した主張に近いように映ります。相手方や外界の状況へ視線が送られず自己の希望を一方的に示す行為には適正な調和を見出す作法には至らず相手方を無視した独り善がりの態度とも映りかねない。これで最上の理念を達成する姿と言えるのか。どこを根拠にした提案か、効用や影響の予測も計られず無責任な態度とも取られかねない。過去からの学びと共に環境の変化とそれに即した適正な方法論を導出して頭と体を活用した健全な感受性が表現され、理想主義と現実主義とも言う対立の調和様式となり理に叶った論理と提起される。

体を用いず頭だけの規則性と感覚的質感を重んじて快不快感を抱き方法を作り観念と纏める規則性の違いになり生命の持続を願う自他の共通感情を叶えるには、後者のスタイルに健全な活動像が映し出される。原理探求型の発想に軸足を取る生産者と局所的偏狭性の競争優位を先んじる利己的性質の強い立場の相違と映り、生産者の目的がどこに在るか想定する利益を示し生産者の性格が現れる。理念を備え現況と対峙し未来のビジョンを想定し適当な方法を投じる規則性に於いて完結性を持つ生産者に成りここに独立的主体性の要件が整って外界への評価や方法の根拠が示される。これが曖昧であると外界に対して大きな影響力を行使できる性格とは外れ、局所的限定の利益を求める生産者として相応しい力に限定されて適正な調和が図られる。この均衡からのマイナスに不快感が生まれ均衡へ力が働き適正な調整が滞りなく進む動態に平和の軌道が実感される。消極的な平和像からは真の平和は映りだされない。

表現の真価

原論に行為という活動性の実感が及ぶには、言論に納得感が生まれる事が要件と浮かび上がる。言葉だけで行為がないという捉え方に対して、言葉が他者への刺激と成り反応が生まれる事には活動性が宿り物事を動かす力を備えた行為と映し出される。これに及ぶには、感覚的な質感を経て感受性の同質性を生みだし各人の主体的な欲望に及ぶ表現に及んで、強要的な指示命令とは異なる自らの尺度による自らの判断と反応が確認されて、付加価値を持つ生産が投じられたと見做される。

現代社会における言語表現の発達という面に浮かび上がる表現という創造性へ対しての評価の示し方を表し、知的創造性に有意な実感をもつ人々の感性が浮かび上がります。刺激と反応が要素と要素間の関係性を見る焦点になり、言葉というアウトプットに対して受け手が何者にも寄らない自己の意思で受け取り何がしかの心を動かす刺激を得て変換工程を経て刺激を与える主体と成り言葉を投じる連鎖が見られる。こうした様相から因果の実感が掴みだされ原論自体に意義が現れる。感じて動く作用に及ぶ生産性という真相が映り、感覚的質感を齎せる行為の性格が宿される。

頭脳ばかりに偏した言論で在ってはこの現象には届かず感覚と感受性の工程体験から確信性や正当性を作る事の出来る言葉や論理が形成され信用という質感を持って動きへと連なり言葉への真価が付けられる。現代的な知的創造性の進行する社会経済状況に於いての無形財への適正な解釈が創り出され、付加価値の実態を精緻に捉えて創造性への意義や納得性を向上させ、良好な力からの表現へ相応しい価値の評価を下す体系の認識が形成されて体と頭と心を不動にする人間からの創造行為を正しく掴みだす事が少なからず必要に思われます。

「言うばかりでやらない」という一面的な心象により深い物事の実態を掴み、生産性の良質な共通実感を揃えて価値の向上へと及ばせる体系が人々のニーズと映し出されます。正しい言論の質が測定されて適正な評価を与え資源が回る循環に於いて良質な言論を生みだす持続的な仕組みが作られる。感覚的質感や感受性に届く表現や強い刺激と成って熱を生み創造への力と及びアウトプットへ連なる事象に対しては行為という実感に及ばせる事が自然な感性にも思われます。容易なことではなく確かな表現者への信頼性が含まれた表現に実相が現れる。単発的な言葉から体系的な論理など質量の相違が生まれ、実際にどれだけの信用を齎し影響に及び幸福感を作りだしたかにおいて真価が測定され方法という付加価値の認識が高まり物事を動かす力と捉えられる。

人間性の本質を体と頭と心の有機的な主体性と確認の下に感覚と観念の健全な姿が把握されて心の実感を掴み、真実や真価の内実が付けられる。小手先で体よく整った言葉や自身で創り上げた言葉でないと確信や納得に及ばず表現者自体の心理面の良質性等を含み体全体から適正が伝えられる。自分への信用の弱い表現者は外界を信用させる力は生まれない。歪んだ行為や方法を取る程に自らへの信頼が持てずその姿は外界へと伝播し反応へ反映される。自身を誤魔化し他者を欺く性質の表現には力が宿らない。人間とどこまでも真っ直ぐに対峙してありのままの姿を掴み快不快を抱く事は理想像を備える相関に在り、そして光に向けた力が湧きたつかに理念の実態が浮かび上がる。

生産概論と因果応報

人間社会を観測する視点が多種多様な角度から浮かべられ、善悪美醜という評価感覚として示され、それへ対する促進や抑制の方法を考案し、他者への共感を及ばせ、意図する結果への資源を集め効用と影響の勘案により、具体的な合意を取り付ける過程が生まれる。これらの起点に、皮膚感覚という生物物理的反応や感受性という心理反応の生じ方が現れ、この感度によって反応が起こり、過敏や鈍感と普通という尺度の下に評価が生まれて、二次的反応と成る方法への探究が進められる。強く不快感が生まれれば急激な反応で不快を回避する事へ及び、或いは物事の複雑性から単純に反応が示しきれない事柄等が現れる。

感覚性の反応と対象の広がりを持つ事柄への吟味を経て判断を下す事という相違が生まれ、対象を感じ取る嗅覚や奥行き感の持ち方によって、二次的反応へと連鎖し方法へと反映される。このような社会生活における中軸的な観点により、自然や人間を良く窺い知る事へのフレームが生まれ、因果の在りようを探り対象を把握する事に及ぶ。そして自己の側を知り、自己の欲望と外界への働きかけを持ち、自他の調和を見出す事が広い意味の創造性と規定される。

対象の認識、それへの一次反応、方法の展開という二次反応、自他との共通感度の形成と効果と負担の合理的な説明と予測、合意と実際工程の進行と検証、学びと反映の蓄積といった周期によって、活動の一巡的な区切りが設けられる。生産者の標準的な型式を指し、これらの経験が生きた皮膚感覚の知を吸収し、実際的に有用な知見となって、再生産への財産になり、他者への付加価値を与えられる。事象に深くコミットする分エネルギーの質量も必然的に強まり、吸収する正負の栄養も濃度が強く、記憶に強く残り、同質場面での応用力となって実践的な力の実感に現れる。観測と一次評価で留まる評論家と、二次反応と完結的な循環の持続性を持つ実務者との知見には格段の差が生まれ、観測する変数の多少や深さの違いが鮮明化される。どこに集中して力を投じるか、広く浅いスタンスや、深く狭い限定等によって、各自の感度の異同が生まれ一次反応の差と成り、次後の工程へと反映される。生産者の性格と成って表され、生産の質量と需要者の求めとの適合への模索が進められる。感覚差や責任意識の相違が、こうした過程の違いから形成される。淡白な反応や粘りの強い忍耐性とへ及び与えられる責任や期待の質量が生まれる。一過的か反復的か、影響力の大小など、事柄の性格と生産者の質との適正を合わせて、需給の円滑な構造に至り、ギャップが大きいと頻繁に衝突や対立が顕在化し、要望と対応の明瞭化とすり合わせの交流に於いて次第に共通性が作られ、安定した感度の対話に及ぶ。

このような生産の全体観を想定の下に、各所での適正な振る舞いを探し、持続的な生産へと連ねられる能力を含んで、生産者の総合的な力が測定される。一過的に目立つような所へばかり視線が及び、極端な評価を与える事無く、中長期の視野を定めた部分の構成に在って、健全な理性を備える感度が作られる。部分的な事象への過敏反応か、或いは重要度の当て方の相違か、敏感や鈍感という感度への感度が当てられる。全体ビジョンの幅や、想定範囲の要素の数、要素間の因果等から周期となる時間の長短が生まれ、対象の予見能力や創造性の程度により、部分性への感度の違いと現れる。このような想定から、事象の真相をどのように浮かべられるかの相違が生まれる。解答への無限性が生まれ、探究心は尽きる事がない。出来たという感覚も所々で生まれるものの不十分という発見が現れ、そしてコスト感覚との相関で適正を見出す事によって健全性が備えられる。このような生産概念の有無が自他の生産への尊重心等に及び、著しく欠くと、ギブアンドテークの感度が狂い安易な盗みや傲慢な性格が作られ、それへの自然淘汰の仕組みに於いて適正化される。いわば人間社会の自然律となり、因果応報という理想的な願望を示す理念と謳われる長期に渡る安定と繁栄の根本原理と浮かび上がる。異常な肥満者や堕落者へは一切の妥協は要らず相互の良質化への道を想定の下に局所の適正が導出される。集団のトップに備わる感性が、これへ大きく影響し求める感度の同質性から公平公正に選定されて納得感の向上する社会が作られる。どんな社会ビジョンか、人間像か、理想図と現況の認識から方法が導出される。これを予め示し選定するプロセスが現代的には求められるように感じます。

包括的文化ビジョン

既成事実化によって短期的には自己の思うが儘に意思を通して欲望を達し、他者よりも抜きに出た勝者であるという意識が強まる事かもしれませんが、それを見ている周りの意識には、節操がなく、まともな会話が作れない相手という認識が強く心に形成される。根本的な性質の違いが強く意識され、中長期的にみる人間の心理的な面への欠陥となり、信用のされない異質な対象への異質な対応策が強まり、まともな人間の扱いには及ばなくなる。物性への過度な依存症は、一過的な成果を齎すものの、相手方への悪い意味の心象が強く刻み込まれ、代々に渡る性格という固定概念へと及んで、「○○は、××である」と固められる。

いくら改心し修復されても、一度起こした悪性は容易には解消されず、負の遺産として長期に渡り引きずる事になる。安直な物性の短変数の方程式による自己制御不能な性質への付けは大きく残り、一時代的な面では済まされない。こうした歴史の教訓が正常な良心を宿される人間に少なからず残り、安直な反応への反省と刻まれ、心理的な弱さへの自覚と共に、良好な感受性を得たいという欲望が起こり、見直しの周期が訪れるか、物性依存のまま心理的な連なりを持たない関係性で生涯を負える事になる。或いは最悪には、物理性へ対する物理性の取り返しのつかない被害に及ぶ事態を招き、悲惨な状態に遭遇してから、悔い改める事になるか、等々の想定が浮かべられる。哀れな結末を見るか、どこかで制御力を養うきっかけが起こり、まともな人間と相手にされるかのいくつかの節になる場面での決断により、進路の違いが生み出される。

多くの良識を備える人々が暮らす空間に在っては、この適正感覚が在る一定程度備えられ、商慣習等の交流に現れ、それへの価値を抱き、いわば同一の良好な感性として自主内発的な反応が起こされる。これへの下落は資産の劣化となり、積み上げられた価値の棄損と認識される。一見すると明瞭化しづらい資産と置かれ、しかし鮮明に下落を感じ取り、資産の目減りが実感される。回復するのに不可逆的な皮膚感覚と慢性化し、一度落とすと下落率は過給的に進行し、箍の嵌まらない体質と化し、物理依存にどっぷりハマった性質と及び、悪意性の強い既成事実化を図り孤立した人間と至り、周りからの付き合い方も物性のみの対話が生まれる。外界に見える物事はすべて敵対的な対象と映り、心が落ち着く事はなく、常に攻撃性を持つかガードの強い守備体系をひき、外界との融和性よりも抑圧や強要を生み、非を認めず相手方へ責任転嫁し、大きな利益を作る感性は弱まり、即効的な利己性ばかりの姿が鮮明化される。

直接的な心のぶつかりは持てずに、間接的な力により相手よりも優位な状況をつくり自己の生存を伸ばす手法を多用する。当事者による解決には至らず、間接的な道具による優位性を図る手法が慢性化し、孤独な拝金性の感覚の焦燥感が深まりを見せる。堂々と真摯な対象との対峙によって、良いも悪いも、健全な感受性に基づく体験が得られ、一過的でない信頼の繋がる持続が生まれる。物性への安易な従属は、根元を瘦せ細らせ、歪な性質の体系と現れ、持続的に健康なエネルギーを生み続けるには及ばず代を跨ぐ生命の存続には至らない。良質性を積み重ね、資産と残る文化の形成に在って、有用な知恵が高度化し、永続へ連なる洗練した質の高まる型式へと磨き抜かれ、正のエネルギーを発し続ける良質な有機体が生まれる。幸福感はこうした道筋において充足され、下落した体質に陥っては、それを感じる事の出来ない資産の喪失と解される。

安易な既成事実のごり押し的な行為はよくよく考え、後悔のない賢明な判断に及ばせる歴史の知恵が現れる。この哀れな対象へは妥協なく一線を設け負の拡大を留め、健全な人々との交流を促進させる事に在って正が保たれる。同化する事には良好な未来は訪れない。これを無理なく行える環境整備策等も少なからず作られ、局所のみならず大所のシステムを作り込み、多彩な知恵が投じられる。集団的自衛等もこの文脈に現れ、歪さへの対処や予防への重要な施策と配される。

一方、違法な手法で個々の成長を妨げる物性の用い方は集団的な利益を求めての行為とは間逆であり、私的な保身を先んじて権力を乱用する性格に在り謳われる大義と内実のかけ離れた悪性による虐げであり、この暴走には妥協はなく全てを明らかにし悪性の根を切る事が通るべき健全な課題に置かれる。これを都合よく解釈して悪性を働く面々が映し出される。健全な自由を求める行為は誰からも阻害されてはならず適正な制御内の挑戦にはオープンな態度が必須と成り両者の適正な見極めを持てる感性に持続的安定と成長の調和が見出される。攻守の健全性を含んだ包括的な文化ビジョンにあって、良好な緊張と緩和の快適な秩序が齎される。

力を備えるほどにその利用の実態が問われ、利己的性格の強い姿か大きな意義を備える行為であるかの真摯な事象への対峙と判断を下せる健康な精神の所在が欠かせない。肥満症はこれを歪め偽善を多用する。この悪性を炙りだじ表裏を整え健康な気流を促進する好循環の加速が経済産業、政治行政の適正を齎し健全な文化が土台に在って遂げられる事に思われます。

中心と周辺の適正感覚

価値の無限性を根源的に備え謙虚な探究心や多様な価値への寛容な姿勢を作る重要性が謳われ、人間平等という精神性を持続する長期的な基盤への重心が作られる。この理想ビジョンに対して実際的には人間の生命や財産に直結する事柄の優先度が浮かび上がり、どんな生産領域を中心的な基軸に備え周辺を構成するか、価値の序列が創り上げられる。多くの生活者にごく自然と内蔵される感性に思われます。衣食住や安全保障という事柄への直接的な生産に従事される人々の原論に重みが備えられる事は言うまでもなく、娯楽やスポーツ、漫画や芸能、テレビ等はどちらかというと余暇の範疇に成り、同列的に並べるには無理があり、中心を担われる人々の責任意識や比例する力の行使には格段の違いが生まれる。

賢明な生活者に備わる自然な序列と成り誰のどんな発言に耳を傾けるべきかの適正が生まれる。利己的性質の強い大衆雑誌や漫画家などは対象とされる責任範囲はごく限定的な性格に在り、基軸に備わる人々から見ると、端っこの存在に浮かべられる事は言うまでもなく、人々の生命に対する責任感覚の相違は格段の違いに在り言葉の重みの相違と受け止められる。面白おかしく視聴率を稼ぎ自己の利益を気ままに追求する態度と、実質的な安定と成長を作る生産性との感覚差は比較にはならない。平等思想という理念に同一的な価値を備えられるものの実際的な社会生活における価値の重要性への認識が現れ人々の関心や重要度に反映される。このバランス感覚を欠く態度は却って違和感の強い感性と浮かび歪な変わり者が価値の重要性への酷く異質な態度を表される事へ不快感が生じ身の程を弁えない特異性と映し出される。このような感性が多くの生活者の根元に組み込まれ一過性の生産者と社会の基軸的な役割との分別を持って健全な感度が創り上げられる。

今日、大衆的な扇動事象に思われる作為が度々起こる事に対しして、一過的な趨勢に流されずに確かな価値の重心と評価感覚を持って制御の図られる文化に長期に渡る安定と繁栄の原理が創り出される。言うまでもない基礎的な感性と思いますが一部の歪んだ性質がしばしば極端な利益を求めて異質な態度を創り上げる事に適正を与える工夫等を投じる事が文化の観点から浮かび、少なからず必要な表現に思われます。知名度等へ過度な依存による責任感覚の劣る表現に目を覚まさせるような管理監督者の適正な責任が強調されて負の影響を広げない反応を持って健全性の確保を図るメリハリ感が長期的な人間形成の重要な作用と浮かべられる。

姑息な手法に寄らず、堂々と原理創造型の気風を崩す事のない態度に無形財産があり、見えづらいようで重要な事柄を棄損する事なく、物事の真価を見定める一人ひとりの盤石な民度において文化の実態が守られる。根源感性の違いは見えづらいようで言葉の端々や振る舞い、発想、態度に鮮明に現れる。物理依存の感性や頭に過度に偏した体質は、健全な対人関係を欠いた歪んだ手法や性質を露わにさせる。根深い悪性の気流を拡散する事のない正々堂々とした性質を堅持する事に大きな価値が浮かび上がります。この人間性にこそ中心観点が取られ、良好な機能や用い方の適正を生む動力源であり、この相関や序列は不動的な原理に相応し、枝葉と根幹の配置を間違える事のない感性に重きが取られる。人間性が悪いのに電波利権等を与えると悪性の影響は計りしれず、或いは物性の力を社会的に大きな利益を外した利己的な性質の強い願望の充足と用いられる。力と人間の適正を創り上げる事が文化の中心焦点と備わり、力を授ける資格要件が創り上げられる

文化測定トレーニング

文化測定トレーニング

文化の素養を鍛える基礎的な焦点を以下にご紹介します。人の世話をするという態度で人から資源を盗む実態に映る事象が度々現れる。「だいじょうぶですか」などと近寄り、何が自己の栄養になるかへと視線を注ぎこみ提供するのではなく奪い取る実態を持つ行為であり偽善者や詐欺師といった名称が付される。これが悪性事象の代表例であり何を提供するのかを鮮明に示し訴求して興味があれば接点を持って負担と技術と質が作り込まれる。盗み癖を濃厚に有しながら人前で主張をする姿はこれに近く、他利へ繋がる表現を出来る立場に無く、自らの盗み癖を直す事や損害賠償をまずは行ってまともな所へ到達して建設的な提案を働きかけるだけの要件が整う。基礎の躾が劣り善を気取って外界から奪う主体性に悪性の根深い性質が浮かび上がり不快事象の根源的側面が現れる。こうした観点を持って対象を伺い知り真相を明らかにさせる作用への期待は少なくない。表面と実態を明瞭化させ、提供する性格か、奪い取る性格かを、客観的尺度を持って適用し正負の割合を計って適正な主体の性質を認識する事に於いて良好な秩序が促進される。実感の効用への多彩性を前提にしながらも、実際的な効用がなんであるのか、生産者としては少なからず自己の性格を把握の上に外界との交わりに至って一定の意思を持つ主体性の姿が実感される。自己の説明が曖昧で自分が何者か解らず、ただ金目になりそうな所へと刷りよって「だいじょうぶ?」等と話しかけ奪い取る面々が少なくない。これに当たるのが○○である。さて、○○とは? それはどうして?この根拠や論理の構成に文化を見る嗅覚の程度が測定される。多様な感性から学びを得る事に及び悪性事象が次第に絞り込まれ、根源原因の一致が生まれるほどに適正対処と予防の型式が作られ悪性の主体が減少する。

世界秩序の盤石性への道

世界秩序の盤石性への道

一過的でなく持続的安定と成長の世界観を意図するならば、それに相応しい主体性像が形成され、標準という共通認識を揃えて、制御を図る事が必須化される。個々人や特定の集団や領域、社会システムといった主体性の範囲の広がりが映し出される中で、そこで求められる力と責任が規定され、この均衡を目途に正負の誤差が測定される。基準に対してプラスが増進している状態に、好循環の力が創り出されている事になり、不足している状態と見られれば、負のスパイラルが回っている。

主体性の範囲と、その求められる期待、期待と負担可能な資源の比較から実質が規定され、それを目安にプラスが上回るような発想やエネルギーが投じられて、質の達成と向上の軌道が形成される。こうした制御システムが働いて健全な主体性の維持や向上、改善の持続的な動態に在って外界からのエネルギーの吸収と変換と提供の姿を映し正常な精神と肉体の状態が掴みだされる。客観的な認識を高めプラスマイナスの測定から要望と対応の適正が導出される。適正な要望と対応に及ばない主体性に在っては期待感が減少し適正サイズに修復される自然の力が違和感なく働いて正常性への回復が齎される。こうした原理と纏められ正負を内蔵するありのままの人間性という客観認識の下、持続的な永続性という志向性や理念が浮かべられ主体性の構築と変容の在り方が方法と描き出される。このようなビジョンから見て物性力を持ち勝手気ままな力の暴走に及ぶ姿は人間性が弱く、自己制御不能な精神的・肉体的に劣っている状態と認識される。弱い人間を健全な人間に自己回復できない事に在っては外界への悪影響が増進され、他者による他律を与えて自己の客観認識を果たせるように試練を与える必要が生まれる。以上のように強い人間性と弱い人間性という状態の正しい認識が作られ理想の主体性を判断の基準に固めて適正な刺激と反応の循環を持続的に創り上げるシステムの恒常化という意識が人間の根幹に内蔵されて、正しい個人や社会の在り方が生まれる。

根源的な観念への正しい認識を固める事が基盤の善し悪しに反映され二次三次の原理の性格に派生し構造の形成や個別局所の事象に現れる。根本の取り違いはその性格での因果の連鎖に及び歪んだ認識や評価感覚に連なり根本理念と乖離した論理を作られる。健全で強固な基盤があらゆる事象の源泉と配される。この一致を深める事が良質で共通の感性を作る事になり、エネルギーを吸収する根から幹となる論理が作られ枝葉と及んで外界へのエネルギーを創出する全体観が構成される。具体的な皮膚感覚と伝わる焦点が「主体性像」であり、この正しい認識を固める事が肝と備えられる。

人間性の弱さは各種の不快事象を齎せる。とりわけ影響力の強い配置に在っては適正さが強く求められる。適正な工程体験を経る道筋が弱いと頭ばかりの操作に偏して感覚との乖離した力の運用が進められ感受性の質量と成り適正さが測定される。主導的立場のみならず、万人的共通感性として揃う程に強弱への一致度が増し一部対象への概念形成では同一性が高まらず、万人的な基礎教養と組み込む事の必要性が謳われる。又は一定空間のみの認識に在っても独り善がりの理想像に留まり世界的な文化基礎論として義務教育プログラムに浸透させる事が世界秩序を盤石にさせ、確かな持続的安定と成長の共生や協働と自由の世界を創り上げる礎となる。確信に及ぶ創造性であり強制的に押し付けるべき文化体系と考えます。個々の歴史等の相違への配慮を持ち適用への強弱差が出現するものの根源の同一原理と固める事が必須となり未来のビジョンに組み込む事が確かな人間への道と描き出される。以下の文章はこの体系を創り上げる過程や体系を促進する為の論理を示すものと成ります。思い上がった身の程知らずとなりますが、少しでもプラスになれば、意味はあると思います。

文化規定

「○○について」答えよ。という問いかけに対して、模範的な解答の示し方は、○○という事への現況認識に始まり、それへの快不快感が起こり、快適は増進不快は削減という方法論を提示する事に於いて一定の答えが示される。

より詳細には、○○への現況認識に、時空という範囲を設けどんな観点に着目し、要素と要素間の特定を持ってそこで見られる刺激と反応の関係性を掴み対象が把握される。それを下に、自己との関係性を創り上げる人間の応用的な行為が現れ、対象の把握とそこから得られる人間に有用な栄養素を見出し、持続的に吸収できる仕組みを叶える作為が生まれる。対象と自己との有限的な関係に、無限の循環を生み出す施策を投じて、持続的な事象へと昇華させる事が有限の生命という不快感や限りある資源の有効な活用へと及ばせる無限性への欲望と起こされる。根源的な人間の本能と浮かべられる生命の存続に対して方法への探究が進められ、外界事象の創造性に及び対象から生まれる有用なエネルギーを人間が摂取して生命を伸ばす作為を取る基本的な活動像が描き出される。

以上のように、外界認識、有用な要素の特定、持続的吸収と成る対象化、対象と主体の持続的関係性の構築、その過程から生まれる新たな人間の変容、変容に対する快不快感、有用な方法論の探究という循環系となり、経験的に積み上げられる知が重なり、事前予防型の知と生かされ適正な事象を創り上げる知と回る。外界の知と人間の知と、両者の相関の知という3つの知を得ながら自己の望む人間像へ有用な施策を投じる過程が創り出される。

こうして問題を出題される側から、問題を見つけ、自己の解答を見出し、或いは他者へと問いかけ、新たな問題を感じ取り、対策を生み出す、外界と自己と他者との持続的再生産の人間像が生まれる。このような理想と成る人間像が次第に形成され、それを下にした創造性へと連なり、人間の意思を主体にする制御性を持つ創造が図られる。この中で思い描く事と実際事象との実感で検証を持ち、予測通りの事と予期せぬ事が起こり、新たな知を掴んで事後の生産へと生かされ、理想の人間像の見直し等へと反映するサイクルが生まれる。この弛まぬ活動に人間を作る姿が映し出され長期的に安定した原理と及ぶ事柄に文化という名称を設けるのが本書の文化規定と成ります。

人間の叡智となり、欲望と充足の良好な実現を齎せる知恵が生まれ、多くの他者との共有で富の増産が果たされる。これが言い換えると、正負を内蔵する人間像に立脚し少しでも良好な人間を作りたいという理念と実践の工程を表し、健全な人間像と固められ歪性との対比が起こり適正な軌道を大きく外さない制御が果たされる。負の認識が弱いと適正な正に及ばず自己の認識を欠いた美性を表し不快感が映し出される。外界と自己を合わせて掴みだす重層の認識構造において真の調和が見出される。このような文化の中枢的要素が浮かべられ文化概念への枝葉が付けられます。