基盤教育強化策としての文化論

平成26214

学校各位

起案者

哲学者 横山 俊一

 

基盤教育強化策としての文化論

 

基盤教育強化策としての文化論

学問領域を区分して体系づける方法も、どこか柱の弱さを感じ、その基での細分化がとられ強い観念と備わらずに小手先感を覚え、供給側の商業的差別化という面持ちにも見受けられます。本書の文化論における骨格がこの意味から有用な基軸を提供する事に思います。太い基軸観を与えられる土台的体系が備わって、専門分業化される領域への統合作用が生まれ明確性の高い意志と論理が形成される。何をしたいという動機が良く伝わり、方法にもその意図を反映したぶれの少ないものが生み出される。小手先感が強いものはどこか質感が薄く弱い発想や手法に陥り、幹の弱い枝葉で思考と行為が組まれる。これらは哲学的な思索の浅さにより、他人の論理の模倣性の強い机上的論理の整合に偏した思索による事に思われます。こうした問題認識と改善施策の観点から、根源的思索を経て形成された本書の根本性と全体表現力の強さや有用性が訴求され、総合基礎教育としての確固とした根本観念を提供し、太く強い基盤を備えた専門への発展に漕ぎ着けられる想定に及びます。情報学や福祉学、メディア学等という分業の前段に、当該体系をしっかりと備えられる事で、応用の効いた意義の高い専門分野が構築される。既成知識の的確な配置によって早期の吸収を実現し、且つ多彩で柔軟な発想が生まれる事に思います。優れた基盤を吸収する事が優れた枝葉の発生に及び人々を魅了する創造へと連なる事でしょう。このような観点から本書の内容を具体的な基礎教養科目として教育カリキュラムに導入する有用性が謳われます。

 

訴求の背景

少し標準と外れた表現をそのまま用いると大騒ぎするような文化体質に、寧ろ問題の根があり、表面は標準的で中身が陰湿な性格というのが不快性の高い事象と認識されます。「口は悪いが腹は綺麗だ」と言う事が職人の基礎的感性や秩序と形成され正直な姿をそのまま表に現し、衝突も盛んである分、姑息で陰湿な手法は用いない美感から自己を縛り喜怒哀楽の交わりを持ち良好な関係が形成される。現代的な歪みとはこのような衝突への免疫が弱まり、周りの顔色を伺い正しくはないがそっちに乗っかっておこうという意思の作れない体質に成り、実直的な自身の原理形成に向かえない感覚欲望過多の判断に流されここに病根が感じ取られます。頭脳と感覚は体験で整合のとれた有機性となり、アナログ面を欠いた生産の増加等から精神的な脆弱化を作り、物理性への過度な依存で対象との真摯な対峙を避けた陰湿な発想が深まり、信義誠実な振る舞いを避けて歪みを深め対立が深まる。それを更に物理性に依存した反応で抑え込もうとされる。多数等の物理性を判断の変数にとり真に価値ある創造へとエネルギーを投じない事が大事な判断を間違える根源的原因とみてとれ、この面に大きな警鐘が鳴らされます。この補正に率直な感情を交わす対人関係が強調され人間同士の真摯な建設的生身の原型を備える事に安堵感が浮かびこれを外す事に人間性の乖離と実感されます。何を考えているのか直接に表す態度が健康な姿であり喜怒哀楽の率直性に根源の土台を置き姑息な精神的歪んだ反応を生まない文化へ軌道を合わせ健全な感性を宿す道に正しいベクトルを感じます。

日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー (著 横山俊一) 目次案内

本書の全体構成

本書は取り纏め版(p12~p96)原書版(p97~p308)の2部構成で纏めらます。これは最も現在の感覚として近い考え方を取り纏め版で集約し導出過程として原書での思索体系が備わる関係で表わされます。原書体系は学校教育や観念入力というゼロベースからの思索順序を持ち哲学→文化論→自然社会科学→産業経済を想定した総合基礎教育という配置が取られます。

目次

取り

纏め版

P12-p96

三編

構成

一編はじめに

二編基本ストーリー

三編基本ストーリーの具象化へ

P10-

P11

原書版

p97-

p308

全体

構成

1.思想と行為、

2.根本理念、3.理念の展開

P99-

p100

四編

構成

Ⅰ日本文化原論概要編

Ⅱ哲学編Ⅲ文化論編Ⅳ学問編

p128-

p131

目次1(取り纏め版)

取り纏め版では、創造原理の考え方を土台にして、はじめに>基本ストーリー>基本ストーリーの具象化へという3階層の動態を作りました。一編はじめには、理念とビジョン、二編基本ストーリーはより詳細性と完結の動態、三編基本ストーリーの具象化へは、内外要素規定を中心に詳細化を示しました。

一編 はじめに                        

1.創造原理と現代的特性    

2専門や領域という概念3概念創造

4大きな時代観と道徳 5科学的道徳学の構築

6文化ビジョン7強い文化基盤と信頼性

8社会の公器.9健康な心身の形成

二編 基本ストーリー

一章現状的側面の認識に

1.2.問題の焦点と文化論3.アナログとでデジタル

4.説明能力とコスト5.幼稚な人格と浮かび

二章文化理念

6.健康概念の基礎7.健康な人間像8.文化基盤で理念を絞り

三章文化論と外側

9.文化ビジョン10.思想や理論11.創造観a,12.創造観b,

13.創造活動と文化論14.文化観念15.文化教育

16.時代の先導者17.創造と文化インフラ

四章文化論の内包

18.根源的認識作法19.日本文化原論

20.文化の思索21.人と人22.文化論の基本的構え

五章課題的展開に

23.専門性の真価24.理性水準の上昇25.文化フレーム26.自然感性27.強く太い確信的基盤、28.文化論の実際的効用と意図、で基本ストーリーをとり1~5で現状認識、7~22の内外ビジョンを表しその到達に23~28を設け活動的性格で構成しました。

三編 基本ストーリーの具象化へ 

第一章 現状要素

1感情面の劣化と予防

2観念化の功罪

第二章 文化理念

3.独立について

4.健康の根っこ

5.真摯な対峙

6大きなビジョンと明確な責任

第三章 理念の展開(ビジョン形成へ)

7文化事業へのシナリオ

8思想の実践作用

第四章 文化観念(内外要素の創造)

  9文化思想と活動 

10文化の思索領域

11文化と価値の3構成

12知的生産の健全基盤 

13文化基盤の重要性 

14文化水準

15文化の同一性

16真のアート

17.平成25年末日における文化論

18.文化人の規定 

19.文化論の総合性 

目次2

1.不変性の探究

2.全体図・目次

3.要旨

①静態的構造面 3項目 (表1)

②動態的周期面 3項目

③文化と他領域への反映 4項目

4.なぜ文化なのか?

1)文化理念

2)健康な心の持続性

3)創造的破壊

5.理念と工程の全体図

1)主体性の創造

2)全体集約力と心身作用

3)堂々とした文化

6.理念の展開

持続的主体創造

1)解説の意図

2)自主独立

3)自己生産規定

4)基軸的論理形成

5)観念設計

6)持続的活動

目次3

四偏構成

Ⅰ.日本文化原論概要編

Ⅱ.哲学編

Ⅲ.文化論編

Ⅳ.学問編(社会事象研究)

 

文庫版 311頁 文庫版 311頁 290,638文字程

知的生産の健全基盤

サービス経済化から、事象についての様々な見方を提供する知的創造というニーズが進展し、それに応じる提供者の類型も様々に現れる。この発言者の性格も、いくつかの観点から作用の相違が生まれ、観測の立場から評価の立場、事象を生み出す当事者という主体性の強まりに及ぶものまで、その線引きの明瞭化も容易なことではないのが、知的創造者の多彩な性格となって現れる。その識別に際してのいくつかの観点を提供する事も実態を浮かび上がらせる一つの思索になりえる。

直接事象と間接性の区分

・事象との距離感、

・受動性と能動性

 

第三者的と当事者的

・事象の当事者、

・解説者、批評家、専門家、コメンテーター、等々

 こうした事象の多くの意図は、人々から共感や支持を得られる論理構成力や、その信憑性を提供できる情報表現力に、資源が集まり、その表現の具体的実感への工程へと進行する。

これがいわば欲望と充足の関係に成り、需給構造や協働関係に及ぶ、因果を示す事に成る。つまり、説得力の及ぶ論理構成の一つが、文化観念と備わり、その土台から派生する二次三次の論理の構造が創り出され、主導的起案や快不快の増進や削減という働きに及ぶ。動態論理の不動性と、中期論理や短期プランの関係性が明らかになり、文化観念の付加価値の程度が計られる。 

論理とその実感性、論理発信主体への信憑性、これらの総合で信用力やブランド価値が形成され、次第に観念よりでのブランド価値が独り歩きして、名称のみでの信用から、選択や支持、親近感という無形性の価値が増大する。虚像的な作用を拡大させ、それが行き過ぎると、非合理性というマイナス性へと及び、健康な関係性を阻害する事から、適正な実感の取り方という焦点での制約が創られる。

信頼や期待感が高まる毎に、それに応じた実質的な厚みや深さが伴う事で、適正な名称と実態の関係が生まれ、何れかに偏すると不信から、求心力や支持基盤が壊れ、瞬く間に人心が離れて、価値を失う。一度失った価値を挽回させる事は容易ではなく、信用を欠損させた主体という心象は強く残り関心領域から外される。

これらの作用が自然律と回り、新陳代謝や浄化作用が働く事が、健康な動態や動脈となり、それを妨げる事柄に、停滞や成長への阻害性が特定され、それを取り除くことが賢明な施策に成り得る。物理性過多による弊害は、理性を弱め、健全な気流を停滞させる。このような認識の下で、力と責任の均衡を創り上げるのが、適切な反応になり、社会関係の根本則に成り得る事でしょう。

マイナス性の除去という余り関わりを持ちたくない側面成りますが、これを放置する事は健康な体質を蝕み、間接的連鎖によって次第に直接実感に届く事から、他人事では済まされず、その動力への対策へエネルギーを投じざるを得ない。適正基盤は、創り上げるものであり、能動的なエネルギー投下によって形成される。それに尽力した分のリターンは必然に回る事が自然律であり、その恩恵を受けながら、ただ乗りする悪性は淘汰の対象というのが、自然な意識の作用に成る事でしょう。

この曖昧性は、マイナス性の曖昧さであり、しっかり浮き彫りにして、美醜を判明した行為が望まれる。現代的な特性のひとつに、こうした見えづらい悪性が蔓延り、これを明瞭にさせる作用は、真っ当な人々の高い要望の一つに思われます。こうした事の積み重ねから、基盤という大きな欲望が達せられ、不快の予防に到達し、それらは自然に回るものではなく創り上げる対象と確認されるものでしょう。リスクを取らずに、リターンを得る等という醜さは放置する事無く除去するのが自然の理とおかれる。こうした認識や感度の健康な主体に力を集める事が必要になる。上記の論理はどちらかというと守りや基盤側の側面からの改善策となり、創造や攻めと同時に取り行うべき事柄になり、いずれも深く密接な相互関係を持つという認識に適正な感度が映りだされます。

こうした全体観を持ち、各種の改革や改善、政策を位置づけて、訴求し支持や共感を高めるのが理性的な表現作法になり、攻守を一つの動態上に並べてその因果の実感で説得力の向上に連なり顔の見える主体が創り出される。これらの発想に謙虚な姿勢や態度が現れる。誤魔化しは効かない世界に在る事を自覚させ、相応しい健全さに向上させるのが自然かと思います。

文化思想と活動

所属される集団の性格と個々人の性格には、一定の共通項が備わり、集団の体質が個人の体質に備わる。集団を広げて業界や、あるいは社会システムという見方における経済産業、政治行政という中にあっても一定の共通した性格が備わることでしょう。

おそらく丁寧な集計や分析を立てると、その性格から行為や思考のパターンが見てとれ、または、後者から前者が作られ、体質が固まる。

文化論では、健康な人間像というモデルを作り上げることに意識がそそがれ、個人や集団という要素はかけずに、素の性質に近い所での健康体を描写するものであり、自然や人への対峙の仕方、関係性の作り方、善や美の感覚という面での下限的な所を浮かび上がらせたものです。

この人間像から、かなり離れた感覚とは、積極的に関わることは基本的になく、一定の所与的感性の同質性として、最低限の快適性を保つモラルの水準が整って、それ以上の関わりを求めるのが、進行の過程になる。以上のようなスタンスが個人の立場からの見方や接し方と置かれる。

文化思想というより積極性をもった生産的文化活動の立場にあっては、このような思想を各所に進行させるという意図が強まり、発言や方法という踏み込んだ姿勢による行為が生まれる。それを積極的に望まれる人々のいかんを問わずに、文化の構築という向きでの流れが生まれ、最低限のモラルの形成を強めるエネルギーと現れます。

しかし、基本理念となる相互対話性ははずすことなく、直接的対立を真摯な態度として堅持する人々とは、関係が断絶されることはなくそこでの感情をぶつけられるものとなる。姑息な体質が染みついた直接性を嫌う人々には、まともな建設的感情が生まれず、時間の無駄であり、つまり、ここの体質面の異質性には、つながりに及ばない。

文化の根源に当たるスタンスを持たない性質は、発展性のない体質や過剰な利己性、一方向の異質性は、経済的拝金感覚が根強く、それも偏狭で固定的、閉鎖体質は、未来型の大きな欲望を作り上げる協働性に及ばない。動物型の単純変数で、その物理性を対人的良好性とかけ離れた支配的欲望過多の用い方で扱われる。

社会健全性の劣る体質には、力の保有を制限した秩序形成が悪性の拡大の予防策となり、人格と技術の均等的尺度を目安とした制度形成から基盤の健全性が作り出される。

今日、日本文化の根本性と異質に感じられる部分は、こうした物理性の用い方に見る変質さであり、この部分については、しっかりと少なくとも改善を望まれる潜在的顕在的な人々の欲望に推察が及び、これへの積極的改革の方策が社会ニーズと思われます。

過去の良好な歴史から形成された部分は、いかなる時代にも基盤に備わり、人々の不変的意思として固め、それに倣った規則性の2次3次的事象の創造を一定の制約下での活動と置かれるように、働きかける本能的感性がうまれるものと思います。

根本則と個別事象の適用、阻害性と伸張性という動態に配して、施策を投じる事へと建設的なエネルギー当てて、未来へも好き部分を繋げる義務が生まれる。活動といった場合の一歩踏み込んだ姿勢に、心の謙虚さが適用され、見て見ぬ振りなどという事では、ただの恥知らずになり、謙虚な態度とは大凡異なる利己主義者と感じられます。

その為の発言や施策を辞める事無く実施するのが、謙虚な姿勢と態度であり、根本的価値を守り増やす事と規定される。この意味での公性を体質に含むのが自然であり、過度の自己生産的利益ばかりに傾く体質には少々不快を覚えます。

一部の変質的感覚を野放しにせず、大きな価値基盤を一人一人に守るや伸ばすという意識が備わって、これらの事が実現する事でしょう。そして、未来へもその価値が引き継がれる。おかしな精神的異質性と行為に対して、良好な動機の弱い力の乱用をさせない個々の小さな施策の集まりから、強固な基盤が維持される。根本価値を守る事へと活動に表すのが、自然や人への謙虚な態度と思います。

集団と文化基盤

集団と文化基盤

大きな目的への拘りを共有する事と、下限の善を守ることの2つの要件が揃って人々の持続的関係性が継続する。今日見られる対人面の不調和は、この要件に欠ける事から生まれる対立に見られ、極端な感覚の異質性を有する人々を除けば、概ね歩調を合わせられる範囲の事かと思われます。

集団存立の目的と協働関係と、下限の運営規定の公正さが、人工性の組織に必要な要所に成り、組織存立までの過程で、これらの感度が少しずつ確認され、人々の息のあった所で明文化する等の手順を持つのが、多くのケースに思われます。

集団の規模が拡大するにつれ、目的への実感性が近づくにつれ、見えなかった所が見えるなどして、目的自体の微調整や、目的への方法が徐々に変わり、運営規定にも改訂個所が生まれるという集団の生物としての様相が現れる。

目的と各工程の綿密な定期調整等によって、意識のズレを離さない工夫や、新たな人材の加入面における派閥の力学等も加わり、内部の求心原理が変容する程度は、物事の制作とその実感性の捉え方の特性により、対人面か技術面かの意識の持つ程度に現れる。

創り上げる意識が強いほどに、細かな対人的軋轢は気に成らず、創る事へとエネルギーが注がれる。制作事物の曖昧な集団ほど、対人的処遇への不公平感に意識が向かい、つまらぬ詮索や小細工が多発して、中長期の継続に至らないといった傾向に思われます。

創る意識が注がれずに、集団が存立できるという構造自体に問題が映り、需給構造の特殊性が、つまらぬ拘りを許す甘えの構造を作り、集団が対象とする面への制作努力を要さずに持続する異質性が、これらの根底構造に映し出されます。

定期的頻繁な対象からのチェックを受ける緊張関係が、外側への意識に及び、内部の軋轢を感じる余裕など生じさせずに、外へのエネルギーが集中する。集団を壊さない為に外部集団との関係を構成して基盤固めを作ることで、内外からの配置を定着化させる作法が用いられる。そして、目的と協働体制と運営規定という3つの要素の定期更新を欠かさずに、意識を留める定期対話が繰り返される。

外部への力を持つ内は、内部の不満は顕在化されず、外への力が弱まる度に不満要素が随所に生じ、分散的な意識となり、瓦解への道を辿る。この程度が、所与的感性の同質性や人工的組織の性質から生じ、壊れやすい集団と粘り強い集団との相違に思われます。このような存立から成長にかけての集団の変容に見受けられます。

機能的作用と価値の面と、間を繋ぐ相互対話性という文化基盤によって、集団の性質に現れ、身体と頭脳と心の3作用が体制に不可欠な要素と置かれる。技術の特殊性によって、この3作用の必要性が異なり、つまり外部に対する優位性を持つ技術の相違、独自性から、体のつくりが変わりそれが体質と知覚される。機能性の組織か、情緒的対人性か、色分けが生まれるものでしょう。

どんなに物理的力を保有しても、人々との大きな相違や優越意識を強めることなく、フラットな感覚を持てることが持続的成長の肝になり、それは力に対して自らに責任を課すという意識として現れる。この感性が維持される事で健全な持続的成長への軌道が固まる。人々への強圧的姿や傲慢さは、物理性に振り回された人間側の器量の不足した制御不能な状態と映り、人と力のアンバランスを是正する作用によって、健康な精神が確保される。

このような意味から、文化意識の有無や程度が存続の基盤になると考えます。根本的原理の上に、マクロ観点からの機能設計という思索を持つのが、健全な意志を持つ主体のあり方と思います。

悪性の既得権

年功序列的世界や政治的な支配力等の人づきあい的要素と原理創造型の技術追求的要素とから社会的生産の成果が反映され、需給構造へと発展し果実の安定的獲得という動態が形成される。需給関係と外れた人的要素は本来的には無関係であり、技術と需要の構造で直接の対話が取り行われ、そこに意識を集中し関係の良好性を継続するのが生産上の基本スタイルと思われます。

そこに何がしかの利益を求め、よこしまな意図による介入という事象が現れる。生産的自己形成のよく見えない情報屋といった性質のカテゴリーに特定され、理念や意思が形成されず容易に犯罪に加担する利得に偏した何でも屋の濃厚なマイナス存在か、特定対象についての広く深い考察から在る一定の見解を導出して利益を創出する立場の者か、大別するとこの二種の性質に分類され、前者の要素が濃い者が悪性を広げられいわば非生産性のマイナス要素と特定される。サービス経済化の促進はこれら無形の性格を強めた生産規定の曖昧な主体を作りだされる。

政治行政の許認可等の特定的権利は、社会的要請から形成される事柄と権利を獲得する利益という両面の性質が含まれ、前者の性格の弱いとされるものが、理念や社会性を持たない保身性の特定権利となり非生産的なマイナス性に特定され、資源を投じる意義から外れた無駄になり人々へ活用されない無形財の提供者とされ、この性格に対して悪い意味で用いられる既得権者と呼びその整理を社会的要請として期待される。

何の為の特権的権利であるのか正当な論拠を明示し、それへの共感の大小から存立の成否が判定され撤廃か存続への判断が下される。この撤廃がマイナス性の除去であり粛々と進める事はその行為自体の無駄に留まらず生産性へのエネルギーを投じる健全な体質の深まりを阻害させない為にも必要な取り組みに思われます。

前進性の意図を持つ創造の提供と乖離した精神面の歪みは、各所に様々な悪影響を派生させ二次三次の悪性を強められる。改革派と呼ばれる人々の直接的焦点はこうした不快性への反応から作られ社会的要望を反映した重要な役割と認識される。オープンにそれらの権利を公開し特定的・持続的に保有する理由を提示され、多くの人々からの反応を経る過程が必然であり、時代の感性に従って歪みは是正し正当な事柄は再認する更新の機会を持つのが最低限の健全性を確保する次元の活動と思われます。

人事権や予算配分権もその効果を測定し、有効性の尺度から維持と変化を更新する事が必然になり新陳代謝が促進される。管理発想型の志向が強まる傾向に対しての留意点となり原理創造型の生産志向を基調とする体質形成を常態的秩序に保つ上で、正負の判定尺度から具体的に整理整頓を進め、野ざらしにする事から生じる悪性への認識を明瞭化さる事は一種の付加価値かと思います。文化論で言う適正循環に相当し美感の促進策と位置付けられます。