文化の正道

自身が受けた不快事象は直接的な原因へ向けて改善への施策を投じる事が適当であり、関係の弱い所へ同質の不快を与えて負を連鎖させない事が、物性原理に寄らない健全な主体性の在り方と描き出されます。不満の原因が明瞭に特定されて対象が明瞭化し、すぐに不満の解消が取られなくても長い時を掛けながら間違えのない手法を投じて壁を乗り越える姿が生まれる。問題から逃げて、関係の弱い所へ付け回す発想が人間の弱さを指し容易な方に流れ過度な保身に縋り、対峙すべき事柄から離れる姿には健全性が映らない。社会的に重要な配置に在る程に、健全で強固な正当性への道筋が求められ、個々人の精神的な強靭性と配置の役割との相関が生まれる。このアンバランスに問題の根があり、大きな利益を創り上げる軌道の持続が図られるか、安直な道に逸れて求められる役割を放棄して目先の利益に執着するかの岐路が生じる。個々の場面で、こうした判断の積み重なりが、局所や中局、大局事象へ現れ、全体的な性質が創り上げられる。節目となるような大きな判断を下す場面への共通認識や、事実の正確な報道があって多様な知恵を集めながら正当な道筋への確信を強めて執り行うべき手順や強弱を見出しマイナスの連鎖に及ばせないプラス化を果たす事が持続的上昇と循環の軌道を表す。小手先の技術の悪用やサイバー犯罪のような身の内を明かさずに、他者の財産を盗みだす手法は精神面の弱さを表す今日的な極みの事象であり性質の劣化への深刻な判断が望まれる。人間の成長や成熟に及ばない段階での科学技術に振り回されたアンバランスな感性の浸透には根源的性格の破壊と見て事象の追求と発生の特定を図り大きな悪性の認識を強調させる報じ方が相応しい。堂々と物事に対峙して正負に当たる良質な感性を堅持するに於いて当事者性を出現させずに、不快を働く性格的病理への認識を正しく持たせ更生させる道筋が欠かせない。平等思想という普遍的原理を大きく外す人間性の劣化には、現代のみならず長い歴史で見る利益の瓦解を指し、根源的な思索から物事の本質的な捉え方を間違えない判断に健全な感性が浮かび上がる。タダの物理依存からそれが次第に深まり、そして極みのような姿に、身の下を明かさずに働く悪性という精神的な崩壊への緊急性を抑え、サイバー空間とリアルな空間との激しい乖離を予防し、適当な技術の成長を遂げる事が人間のアナログ的性質を堅持した道具との関わり方であり、この絶対性の原理は不動にして持続的成長の判断を持ち、心理と物理の適正が図られる。物性に振り回されない人間側の強固な基盤を作る視点が同時に備わり、力との適正な関係を創り上げる視点が重要であり文化論という根源性への関心を高めて、健全な感性を見失わない創造策を提起します。短期的利害の衝突や中期的な軋轢という各種の対立には長期的利益の共通認識を持って和解の方法が導出される。部分的事象の観測や創造に短期視点と中期や長期の観点を同時に合わせ見る感性が真価や本質という人々の普遍的な価値を守り作る行為へ及び、これが備わって長期に渡る優秀な性質の持続に及ぶ。一人ではやらない事を大衆に交じり我を失い健康な理性と適正な論理を外した精神面の劣りに在っては課せられる配置の重責を担える人間があらず客観的に性質を把握し適当な場所に回る行為に至って健全な人間性が実践される。適正な道筋を通り体の中に確固と築き上げられた原理の程度に相応する権限と責任に於いて適正な調和が創り上げられる。頭だけで理解して行為に及ばない消化不良は健全性に及ばない。周りが騒ぐからそれに流される柱の弱さは大きな利益を作る資質が弱く、体から精神を作る過程と外れた頭ばかりの感性を指し、根の弱い体質が明瞭化される。

自主内発型の文化政策

自主内発型の文化政策

親は子供に平等に食料を与え差別的な不公平感を生じさせずに、個々の良好な精神と肉体を育て上げる立場を持つ。この自然な感性が所与的な感覚へと内蔵され人間形成の中枢要素に備えられる。受けと与える感覚の基準になり公平公正な平等意識が醸成され人間の基礎が作られる。独立した社会人という立場に成って、自らの生計を立てるのに、仕事の中で職場や顧客や取引先、株主、行政が現れ、各関係形成の原理と作用する。何がしかの技術を生産し提供する中で、直接間接の効用や影響の実感が生まれ、それに等しい提供と受容や創造と対価への調整を持ち平等感覚の実現へ意識が注がれて適正感覚による反復的な関係性に連なり、持続的な安定と繁栄の仕組みへと向かわれる。このように社会現象への探究は人間の心理的な観点を中心に平等感覚を実現して持続可能な成長と繁栄の循環的な仕組みの構築が主要な関心になる。言い換えると、他者と自己の利益の適正を見出す為に、基準尺度の形成と異同を洗い出し、成るべく同質の価値を持って快適な平等を叶え安定基盤の中での躍動が強まって健康なエネルギーの発生と循環に及ぶ。この根幹の倫理道徳が中枢に定まり理性を備えた活動が展開される。

力や権限、社会的期待が高まる程に利害関係者が増加し万人的な満足への基準の形成と適用が求められる。自己が望んで大きな役割の立場に備わり力が与えられ責務が課せられる。自己の欲望は他者の充足に於いて遂げられる平等観念の応用的な展開へと進められる。つまり、素の個々人や社会的生産者や役割の上昇につれ平等原理の解釈に応用が取られ、自他の同質的な一致に於いて適正な調和が生まれ、相違が増進すると不調和から相互の要望が増減し適正を見出す施策が講じられる。これからあまりに離れると別の主体性を自由に選び関係の再構成の可能な自由度があって停滞的な不快を積もらせず正のエネルギーが持続する。この選択の幅が各種領域に生まれ多数の選択先と限定性の強い構造が作られる。限定性が高まる程に基準への厳密性が求められ公平公正な運用にあって健全な需給構造が作られる。万人的な根本規範を重く吸収し個別の施策に展開されて適正な運用へ連ねられる。躾が規範の土台になりここが脆弱な性質に大きな力を与えては求められる運用に達せず、個別事象の中で根本性を外した行為が生まれれば適格性を欠いた選択を表す。個人や構造上の原因を追究し本質的な要素を特定の上に上流からの改革を進めて良質性の軌道へ更新される。社会的な期待への対応は、主体性の基準の形成と適用を広く公開する事が必須と成り、ここが曖昧であったり不足すると正当な限定への根拠が弱まり過保護な規制等があれば直ちに撤廃し、限定性の緩和を果たして正常へと力が回る。力を暴力に用いる事のない健全な監視と検証の仕組みが作用して現況認識の精度が上がる。この前提的な条件が如何ほどかで正しい認識と客観評価に及び、根拠の強弱の判断が生まれる。これらを計る根源尺度が躾や倫理道徳であり法律以前に個々人の性質が問われ実態が測定される。躾や倫理道徳の中身への探索が身体と頭脳の健全な働きの面から浮かび、言行の整合や内外の一致、精神と肉体の整合等の活動状態から吟味される。生産者としてのアウトプットと変換工程とインプットを示し実態を測定し、求められる水準に在るか、コスト負担との兼ね合いを含み信を問い状態が計られる。政治家と同様に、社会的な影響の強い報道機関へも選挙のような方式を採用して厳密な仕組みの構築が求められる。不透明な寡占状態からは悪性が慢性化すると見るのが自然に思われます。理念やビジョンと体制と運用規定と実施の記録という一連の活動を示し、社会の公器としての要件を充足されて社会システム的に見る主要装置への監視が働き持続的な健全性が遂げられる。領域内部にも良質策を望まれる人々が寧ろ多数で在るかもしれません。オープンに堂々と自己の仕事への自信が積り上げられ活動への満足感が向上される。こうした発想が内発的な積極的平和策の範疇であり、主体性の健全化へと力を注ぐ自然な感受性と示される。閉鎖的な性格や対処は一過的には安全を遂げるものの中長期には衰退を招く事は誰の目にも明らかに映し出される。自主内発的な変化を自ら興す文化政策が重要な持続的成長へのカギを握る。第一線の産業界と同質レベルの体質か、それ以上を求めても不思議はない事でしょう。自由を強く求める事はそれに応じた責任を課す事になり、自己の主体性を整え公に明示して、その範囲の自由を求める構図に在って野放図な快楽を求める子供に縛りが掛かり健全な創造が遂げられる。自己の志向性と異なる資金提供者の代弁という主体性の喪失に陥っては大きな影響力の適正な行使に至らず、とっちゃん坊やのごときお金の為に何でも行う悪性が深まる。自由と制約はいずれか一方で成立する概念には無く両面の均衡に健全性が宿りこれを欠く歪な精神から犯罪を犯罪と思わない特権者の意識が蔓延って負のエネルギーを拡大される。

教科書的模範像の安直性

教科書的な優等生像は、実社会を反映した型枠とは少々異なり、人間を誤った方向に導かれる。表層的な体裁ばかりに偏するような表現に縛られる事無く、実態の真価に価値の重心を取り、言葉に比重を強める事無く行為という感覚的な質感の総合で、実態を計り、適正を浮かべる感性が健全に思います。

根本には、躾という誰でも抱かれる基礎が生まれ、これが体に染み込んで対人関係の基礎と柔軟性や自由を作りだし適当な調和を遂げられる。柔軟性や自由度という面に実社会の多様性が生まれ、紙面での抽象では表現しきれない多彩な感性が寛容される。

教科書的模範像に凝り固まる程に、上っ面の解釈に留まって、根本の崩した姿に陥り、頭ばかりで入力される事の弊害とも推察されます。体を通して各種の体験を経ながら、基礎が体に染み込んで許容性や寛容さの幅に柔軟性が生まれ、抽象的な単純像に偏った感性に嵌まらない実社会の適当な感覚が作られる。

どこか社会的地位等という観念に執着して、型どおりの様式に偏して、多彩な感性への柔軟性を損ない、過敏な反応を起こす人々の姿が散見され、質実の劣る豊かさへの弊害に映し出される事も少なくない。

こうした面に、根本の痩せ細りと頭でっかち、という人間像が当てられ、どこか歪で窮屈な世界を作り、真価を掴みきれずに上辺の模範を振る舞われる。良い評価を受けたいという点数稼ぎの安直化した心理が垣間見られる。

あまり良い姿ではなく、利己的な性質過多でサービス精神の劣った性質とも伺え、真に有益な他利を作り自利を得る規則性を欠いた小手先の生産性とも映し出される。

空の権威へ振り回され、ゼロベースからの原理の構築が弱まる程に、どこかの模範をそのまま受け入れる単純適用の解答を見つける短絡化した思考の体質とも伺え、手先で小気味よく世渡りを重ねて、質実の弱い利益の提供者という実態に及ぶ事には、活力ある創造性を劣らせる。

根の弱い枝葉の茂る体系は、健全性を欠き、野性的な感受性からの人体形成に於いて、良質な感性や寛容さが宿り、物事の本質を外さない適正な感度が作られる。

どこか、浅はかな模範像に偏した過敏反応に在るのが、現代人の傾向にも映り、机上の学問や詰め込み型の知に偏して、狭い感覚が作られ、萎んだ方向性へと直走るように映る事が少なくない。フォーマルな場とインフォーマルな場との大きな差を作るような感性には、誤魔化しのやせ細った人格の実態が浮かびあがり、精神と肉体の分断した歪さにも捉えられる。公私の落差や裏表の違い、原論と行為の違いなどという不健全な性質を表し、その差に根本的な躾の下落や性質の悪さが映し出される。どうでしょう?

根本価値の形成と適用

社会的に求められる各種領域への期待と対応という構造が生まれ、需給関係の適正を持続的に果たし提供と負担や相互創造に及び、良好な生活へ資する建設的なエネルギーが投じられ、中長期や中大局の正常な運営が執り行われる。こうした基本的な意義をもって、社会的責任という観点からの各生産者への在り方が導出される。

そして、これ以前にどんな生産と需要の関係であれ、人と人との初歩的な作法とい躾の範疇という事柄が基盤に置かれ、万人的な下地の厚みの上に、特定需給関係の習慣や慣習という面が重なり、根本性と個別の価値観の構造が創り上げられる。

躾は、人の物を盗まない、嘘をついて騙さない、暴力による傷害を働かない、といった幼少期に習う関係形成の基礎を指し、更に、提供にはお返しという協働や共生の自然な態度に於いて、健康な精神が示される。この基盤面が、一定の緊張と健全な個々の独立した存在を尊重して、意思を備える理性を重んじた態度を表す。

物理的な諸条件の変動や増進から、力への依存に及んで、基礎が崩れ、傲慢な振る舞いに在って、適当な力の質量へと修復させて、自己の制御可能な物理性の保有や利用の範囲へと要望が起こり、欲望と力と責任の均衡を目途にした主体性の健全な状態へ反応が進められて、社会の自然律が作用する所に、中長期に及ぶ正常化の根本的な原理が回る。

人と人の対話を許可もせず、壁越しで盗み聞き、それを大きな電波に乗せて報じるような行為があるとすれば、明らかに躾の範疇を欠き、基礎の基礎を崩した長期的な性質の劣悪さと伺え、この上において作られる関係性は、基礎の無い脆弱な金銭欲による敵対的な対立感情を進行させるものであり、人格の中枢的な資質への大きな疑念が湧きおこる。

原理の重みづけの序列という面が浮かべられ、根本性の原理から二次三次という特定性の原理の構造が生まれ、上位に行くほど、不動的かつ重要な価値を表し、ここを外した下位原理は、基盤の弱い正当性の脆弱な原理と働く。

表層的な感覚で伝わる事と、土台や根っこを指す事柄との構図の取り方に、健全性が生まれて、良好な同一的な感性を持つ相互関係が生まれ、ここの違いからは、基礎的な価値のズレた志向性の認識に及び、適正な対話や関係、需給という事象が創り上げられない。

このような万人的な感覚や基準、価値の序列を欠いた特定生産者には、当たり前の感度を持って、自然律を回し、修復させる反応が留まる事無く進められて、悪性の肥満からの不快事象への対処や予防が講じられ、空間の健全性が図られる。

一部の歪んだ感性に対しては、広く万人的に知らせ、事実の正しい認識を進めて、物性による怠慢や人間性の狂いへ正しい是正圧力を加える事が、適正な手法であり、根本の原理を粛々と先行して、二次三次の歪みを根本から修復する発想が堅持されて、健康な人間性の維持と増進が執り行われる。枝葉の感覚が進んで、事柄の重みづけを捉え間違える事無く基軸の太い焦点と論理が作られて、良質な感性が維持される。

こうして、どこに問題の所在や序列があるか、冷静な感度を持って悪性を特定し、的確なエネルギーを投じる事に至り、これを促進する上での根本概念の創造や整理、適正な把握が欠かせず、確固とした文化基盤の創造へ資するように、『日本文化原論』からの提案が示されます。広く大きな歴史的な焦点から浮かべられる変えるべきでない根本感性を抽出し、

人間性の肝要点への認識を強め、時々の気の振れた行為や構造上の瑕疵を是正する力の強化が欠かせない人々の根本的な営みと思われます。ここがしっかり備わる程に詭弁や小手先の手法、歪な精神性は、明瞭に表に映し出され誤魔化す事の出来ない人々の感性による適正な物事の把握や評価や改善が進められる。

マイナス的な事象を回避する意識が働き、事実に蓋をしたり事実を濁らせ、表面の体裁ばかりを整え、根の腐りを隠すような事では、誤った感性を醸成させ、物事の重要性の認識を狂わせる。頭脳に偏した創造性が進行して、感覚的質感の弱まる痩せ細りの感性が、重要な事柄への感度を崩される。評論家やマスコミ、管理的な発想の強い物性型の生産領域からの、歪性がしばしば散見され、これを見誤る事のない健康な人間像を明瞭化させる働きが、重要に思われます。

人間性の正常化

6)人間性の正常さ

見える所は綺麗に見せて見えない所は手を抜く事や汚いという状態に、不快や不信が強く現れる。こうした心理が働く事もある意味に自然な反応とは思いますが、これが深まり言行の乖離した事象に及ぶのが現代の悪性事象の本質的な面で在り、人間論や創造性の原理を述べるに外せない焦点と取り上げられる。

外界が体よく整い内面で考える事が薄よごれている状態に健全という概念は充てづらく、内外の一致に正常感覚を抱かれる感性に正常な心身の所在が映し出される。言う事とやることに整合があり、頭と体の一体的な動作に精神と肉体の整合性が見られ普通や自然と形容される事が人間の長期的な性質から見る標準となる。これを強調する背景に、現代的な問題の根が取られ、改善への力が注がれて長期的な正常への軌道へと修復する事が文化論からの優先的な課題に浮かび上がります。原因分析としては、頭と体の分断的な生産性が上げられ頭脳過多の作業に寄る程に身体的な感覚工程が減り自然や人との生身の衝突への免疫が落ち正直な感性を率直に表さず、不快事象についても表情と内心の離れた態度を見せ見えない所で不快への腹いせのような行為を取る歪な精神が垣間見られる。こうした面が人間のひ弱さとも伺え、身体を衝突させる習慣から遠のき頭脳や道具を多用するスタイルに慣れた副作用と示される。裏と表が離れた病理現象でありフローの面の充実を意図せずに過度な欲望と執着した態度となり姑息で陰湿な性格を慢性化させる。表に現れるイレギュラーな現象への過敏反応を見せ、体裁を整える痩せ細りの感覚と現れ、根本の太い感性と異なる打算的な人間性を進行させその心理的な歪さに根本的な不快感が現れる。こうした事象に根の深い性質的な悪性が蔓延り、各種生産や表現、振る舞いへの改善へと志向が取られ正常な感性へと蘇生される。

教育プログラムの形成段階からこうした問題点を取り込んだ人間形成へと反映させる事が必須であり、手先の技術論の高度化に先んじて基盤の良質性に重心を持った全体プログラムを考案する事が重要に思われます。長期性の観点の変容には深刻な感度が取られて良き部分を壊さない事が適当であり、問題の序列を間違えない適正感覚を堅持する意識が注がれ中期や短期の想定を組む事が肝要に思われます。

技術論が先行して、根っこが腐っては力の用い方に正常さは生まれず今日のような出来そこないの人間が多産される。マスコミ、政治家、財界と、広範に渡り各領域に忍び込む悪性を根本から浄化するのが文化政策の柱になり、問題の重要度の取り方の適正化に力が注がれます。この面が変わると、二次三次の原理へと連鎖して健全な人間性の具体的な効用に及ぶ変化が生まれる。うすら馬鹿といった姿に見える人間はやはり美しくない。皆様はいかがでしょうか?

見識とは

自身よりも見識が劣ると見える人に使われる事は普通に考えるとあり得ず、上位者には何がしかの立派な考え方が備わり、純粋な尺度から尊敬に値する面が少なからず生まれて下位という配置に収まり円滑な指示命令系統が形成される。これが、対人関係や組織の成立する基本的な要件に思われます。犯罪的な性質を濃厚に抱えられては、いくら経済的な力があっても長く持続する事に及ばないといった予見が抱かれ、根本の性質を土台に機能や性能が問われ価値と事実の相関が形成される。この道理が堅持される事が人間界における普遍的な原理の柱であり、変えてはならない感性と統一されて持続的な再生産の仕組みが生まれる。

多くの優秀な集団の牽引者には、金や権力以前に優れた見識と行為の実態が備わり、確かな信頼性の下に人々が募り純粋な感性への共感を柱とする求心力に於いて長く共に良好な協働生産に連なる。人間を深く測定する計りを備え各人の特性を的確に掴み大きな図面への適材適所が果たされて、理念の健全性と合理的な仕組みが作られる。過不足のない算定を早期に把握し個々の性能を最大に引き出す創造力が集団の相乗効果を齎せる。資源の有効な活用力と資源からの信頼性の相互性に於いて、生きた力が強靭に湧き人間性と合理性を併せ持ち、力が集計される。

ピントはずれの配置は、これを見る資質の弱さを表し資源の力を劣らせる。私的な欲望過多から対象に濁りを生じ適正配置に及ばず、集団力の低下と至り投資効率の上がらない成績を生む因果と現れる。ここに根源的な人間性の要素が多分に影響し、生命を活かす発想と委縮させる感性が現れ、感受性の質が測定される。人々の喜びに生き甲斐を見出すか、人々は自己の手足として言うままに動かす対象かという発想に大別される。自身の体系に自信が備わる程に他者の感性を尊重する態度が生まれ自信が弱いほどに過度に能力を飾り立て対立的な感情を表し支配願望を先行する偏屈な力みの態度と現れる。

こうした性質が物事への謙虚さや誠実さの相違を生み、失敗への適正な態度を表せるか、成功について周りへの適正な配慮等と現れ人間性が浮かべられる。物理依存の激しい性質に大きな権限を与えるほどに自然な快適性を阻害し、歪な成長や配分の構造を招き長く大きな成長の軌道を脆弱化させる。一過的かつ急激な成長や局所の発達という偏りの激しい反応を生み、大きな全体の利益を志向されずに直接性の高い狭い範囲の成長という失敗を齎せる。即効的な感度の進行から現れる事態であり器に等しい配置に無いとギャップが鮮明に浮かびアンバランスな感性の不快感が生まれる。

こうした様相が所々に散見され、人間形成過程への材料と提供され適正な方策へ取り入れられて失敗を活かした質の上昇軌道の持続的な活動が導出される。人間像とはこうした動態の適正な姿を映し出し基本原則と纏められ人々の共感に至り支柱を持つ判断や力の集約度に反映される。寄せ集めの資源に在ってもトップの高い見識が個々に規律を与え力の統一に及んで多くの効用へと変換される。どんな全体ビジョンを作られるか、どんな根源的性質を持った主体性であるか、この2点が力の源泉となり価値を作る最も重要な要素と特定される。

借り物の見識ではすぐにメッキが剥がれ誤魔化しの心理が透けて現れその性質へ落胆が生じ求心力は瞬く間に物理性の原理を多用した支配の手法に染められる。トップの体から染み出す見識以上の資源は集まらず、或いは動きを生み出せず、器に応じた組織の成長が見込まれる。長期に渡り磨き抜かれた文化の型枠に根源的な執着を見せこれを掴むほどに外界へ確かな見識を投じられ幾代にも及び自主内発の変化を率いる根幹原理と生き続ける。

普遍原理の探究と効用

普遍原理の探究と効用

争いが生じる因果の実感についても、個別と共通部分が生まれる事に思われます。そうした中でも、共通的な部分の見解を深めて、事前型の対処や予防に連なる施策を投じる事が、賢明な人間の創造性であり、こうした焦点に絞り、多くの人の実感に及ぶ有用な知を提供する事も、文化政策の一環に及びます。

戦争やテロという最悪的場面ばかりへと視点が及んで、これに連なる原因の分析が進められないと、偏ったエネルギーを投じる課題と対処の活動に成り、上位の理念に対して有効な施策と乖離した割合感覚が作られる。こうした点からも、文化ビジョンという普遍的な価値を揃える試みが全体と個別との適正な配置を作る事に連なり、歴史の教訓を生かし所々で集約を持ち、質を整え量を展開する作為が重要な意味を持つ。

創造性の基本体系には、下限的事象と積極的創造性と両面の因果を抑えた包括的な体系を全体観と備える事が、共生感情を根に持つ人間の理性を表し、この構造を万人的統一の感性に押し上げる事が、まずもって必要に思われます。

この枠組みにおける下限事象の一つが「戦争やテロ」と配され、欲望と充足という前進性の創造との相関で原因が特定され、マイナスとプラスの適正な調和を見出す所に、健全な歩みが作られる。このような思索が及ばない行為は、責任感覚を欠いた過剰な欲望と認識され、欲望と力と責任の均衡という尺度を目安にして、過不足を勘案し、適正な創造に及ばせる事が、人間性と描き出されます。

こうした観念体系が、前進性の軌道に対して下に働く重力と備わり、地に着いた発想を引き出し、楽観と悲観を内蔵して適正な技術の投入や表現内容を作る事に及んで、外界との良好な関係を形成するものとなる。

部分ばかりに注力し、大枠観を見失う事は、制御不能な姿を表し、痩せ細りの発想やエネルギーを投じられ、健全な感性を損なわれる。歴史からの教訓から学びを経て更に向上心を常にした生産性に在って未来への志向性を加えた集約体系を作り、確かな価値を備えた力強い判断が齎される。

以上のような点が、根源性への問いと答えや全体観を創り上げる意義となり、観念と感覚の確かな実感に及ぶ整合性をもった規則性へと連なり、精神と肉体の正常な絡まりと映り、そこに健全な感受性を根にした人間性が現れる。

物的感覚性の感度が高まる今日の状態に於いては、尚更に、このような感性が望まれ、下限事象の予防的意味を持ち、戦争などという極端な事態に及ばない為にも、包括的な同一感性に及ばせる事が有意義であると考えます。

人々の実感に自然に入るような汎用的なフレームを整え、根源的な感受性を揃えて、相互の誤解や思いこみ等による傲慢な態度への戒めと働き、不快事象の減少と快適性の増進へと連ねる基本的な志向性の具体的な取り組みと位置づけられる。時間や空間の個別性に対して、時空を超える共通の原理と高まり適正な調和を見出す事が先人からの意思に成り未来に繋げる責務が課せられる。

1)根源性の問いと伝承

学校教育における歴史等から、公的な見解の統一認識が生まれ、過去の実績を踏まえた理論を作り未来を形成する道筋に、一定空間の秩序の持続性が叶い、人々からの認知と合意や共感の力が注ぎ込まれる。こうした理屈の立て方に、一定の健全性が備えられる。義務教育には、この面に重心が取られて空間の価値を繋ぐ感性が形成される。高等教育等で更に精緻な研究を進める事も自由であり、しかし過剰に過去の知を他者に強要して、未来型の力を抑制させる事には疑問が浮かび上がり、重要な焦点の割合感覚を欠いて利己的優位性への志向から必要以上に未来を縛る事のない適正感があって健全な精神を根にする協働や共生の秩序が進行する。重要なのは現況と未来への力であり、過去の習慣や慣習を殊更大きく縛るような態度に至っては、どこに動機や意図があるのかに疑念が及び人格への不信と現れる。学歴偏重的な基準の形成からの負の側面と浮かび、現在の課題や問題意識からの生産性を弱め、不毛な根拠を充て前進軌道を劣らせる事に及ばないよう、感覚的な質感に重心を持った創造性に適正な主体性像が描き出される。主要なポイントを抑えたら、実践の中で感覚や感受性を体験し、基準に反映させるサイクルを基調にして生産活動を展開するのが、現況と未来型の活動に在り新設の発見を自らの体験で掴み、それを根にして基準を作り課題に対峙する対象との交流作法に未来を拓く活動の実感が現れる。過去の知識はこれに資する事で在って有用な意味を持ち過去とは異なる諸条件の相違から必ずしも現代には合わない部分がいくつも現れる。そうした中でも、根幹的な性質の良いと思われる部分は義務教育に組み込まれ、万人の皮膚感に備えられて現況と未来を作る基盤に形成される。このような捉え方に適正な感覚が現れ、必要以上に過去に縛りを受ける事無く自由闊達な創造性に於いて健全な精神と肉体が形成される。根っこの取り違いや悪用や自己肯定性の強化から他者へ強いるような感性では健康な精神は浮かび上がらずどこか一部の人々に強い勘違いの専門性や態度を表す場面が散見されます。公務員等の役人感覚にバランスの欠いた精神性が強いと創造の伸びを停滞させ、環境の変化への後追い体質が強まり様子見で受動性の強い提案力に欠けるスタイルに終始される。あまり良い感性には映らず、時代環境に適さない振る舞いに及ぶ事無く活動型の生産志向が増進されて良質な根源の感性を落とさずに表層の事象を作る主体性が生まれる。根本概念に焦点を取って探求し描き出す活動の意図はこうした理性から生まれ、歪な動機に寄らない真っ直ぐな先人の意思に濁りを与えず、正確に吸収するとともに健全性を継承し、現代と未来に対峙する根源の力と配される。良好な価値は確かに受け継ぎ根幹の原理と及んで力強い生産者が形成され、それが代々に残って厚みに成り基盤の確かな自由が促進される。教育者や公務員と同じような過去の知識を精緻に吸収する事を必要以上に課す事無く多彩な生産性の理解が弱いと偏狭な世界を押しつけダイナミックな創造力を停滞させる。過去現代未来における未来型に重心を備える規則性に健全な精神と肉体が現れる。こうした点が頭寄りの弊害という言葉の意味する内容と表され根源感性が確認されて適当な人間像が強調されて秩序の良質性へと連なるように思われます。こうした点を抑えた多様性への志向という感性に在って、適当な根を持つ表現の良質性や寛容性が生まれる事に適正感が生まれ要求ばかりで責任感覚が劣る事には、気ままな物性の青天井的な狂った姿にも映し出されます。ここからは実害が多々生まれ適度な縛りが必須とされる。根を壊す悪性と根を備えた挑戦者とは似て非なるものであり健全な感性から峻別して的確な対処が求められる。

全体ビジョンと規範体系

人の足跡を辿る事は実績という確かな因果を抑えた確実性があり大きな怪我をせずに済む着実な足取りとも言える。先達の未知なる挑戦の末に築かれた恩恵を授かり最小のリスクでリターンを得る方法と提供される。未知なる試練を回避するだけに、リターンを大きく得る事は無くそこそこの果実で在る事が必須と成りそれを踏まえた配分の適正を感じ取る感性が試される。他者の挑戦の蓄積に基づいた挑戦による成果の入手に過剰な要望を見せずに適当な客観評価を取れるかに健全な感性の所在が確認される。人が懸命に未知なる挑戦を経ている事を脇で様子を見ながらその足取りを伺い程良い所で出ていくとなると、創り上げる当初から身を投じずに成果に近づいた所でのこのこと姿を表し分け前を貰う実態に成り、もらえる配分も当然にエネルギーに比例したものとなって健全な秩序が保たれる。

タダ乗りや盗みという行為はこうした原理に基づく不快事象であり他者のエネルギーを投じさせ搾取する性格に成る。資本主義等の物性へ偏した生産性の本質はリスクとリターンの観点から適正が算定される。技術の形成と物性の投資における健全な感性による相互関係を見出す事が歪んだ資本主義への深まりを回避して歪んだ経済体質に陥らない為の重要管理点に上がり、その方法に各種法律が整備され健全な道筋を補完する作用と描き出される。こうした健全な動機に基づく法律を当初の意図と離れて悪用する人間が現れる。技術の開発と運用にも同様の性格が生まれ、土台になるのは健全な人間像を起点に、それを補完する二次的な技術の構えを崩す事無く知的犯罪への対処や予防の施策が重要な力の成長に欠かせない。機能と人格の相関を取り違える事無く、或いは機能ばかりに偏して元々の価値への認識が弱いと、根の備わらない技術の利用に陥って確かな人間像を持たない利己的な非社会性が増進する。規範体系を作るに際しては機能的な階層の合理性とそれを制御する主体性の在り方という人格面を表す面とが備わって健全な体系が描き出される。個々人の多様性を尊重する一方で、変容しづらい価値の同質性の面を創り上げそれを明示して機能の適正を縛る事が少なからず必要になり、機能面だけを明示して人格面が曖昧であると社会の秩序は収拾が付かない無法地帯に及び、資本主義の誤った特性が進行する。自由主義の捉え方を誤ると、人格の弱い物理世界が現れ頭と体と精神面が分断し、制御の弱い感覚面が増進し健全な感性を欠いた産業経済社会の軌道が進行する。こうした焦点が強調されてインフラの確たる基盤が備わり気の振れた一過的力の増進に制御が掛かり軌道を外さない歩みが望まれる。何を成果とするか、欲望の在り方への適正を問い、その充足を遂げる向きのサイクルが内蔵されて、外界への適当な力を投じる事に至って正常な文化や文明の足取りが形成される。こうした根本感性の脆弱化には赤信号がともり、一部のいかれた性質を抑制させる取り組みが欠かせない施策に成り、直接に関係しない事も間接的な因果で回り、自身の利害に遅からず到達する。社会システム上の構造改革等の中局且つ大局的な状態からの影響は大きく個別局所の事象に影響が及び、停滞させる事は万人的なマイナスを招き適正な構造への改良は待ったの無い課題であり力と権限と責任の均衡を目途に過不足の修正を果たす事が良好な人格を維持促進する上での機能的な更新と位置づけられる。健康なエネルギーの投下とリターンの適正循環へ連なる仕組みの形成が人格の健全性を作る上での枠組みとなり性質と構造の相関や適正を見出す観点が社会の中心的な視点と定まり如何なる時代に於いても優先的に目線が向かう一丁目一番地とされる。こうした輪郭が万人的に揃えられ大きな全体ビジョンの統一の上に建設的な創造や表現に至って根本のインフラの良質性が持続する。様子見ではいられない関わりが進行しエネルギーを投じてリターンを得る自然な循環が強まって健全性が向上する。全体ビジョンと規範体系の構造における基本的な在り方への同質性が揃う程に下位焦点への同質性に及び、利害の統一性へ及んで、空回りの議論や小手先の保身策が改善され本筋の力へ集約する事に思われます。健全な人間像を持たない生産はいくら一生懸命力を投じても良好な成果を遂げるには至らず良質の上に量を投じる構造が必須の創造性と描かれます。過去の歴史で作られた正負の側面に対して恨み辛みを晴らす為の生産からは真なる価値が増進されず純粋な生産ビジョンの上にエネルギーを注ぐ軌道に在って真の力が集まり文化文明への道筋に乗っかる。負を殊更に後世に告げる事の意義がどこに在るのか、正への軌道上に配されてその行為にプラスの価値が生まれる。自己の不快性のエゴを後にそのまま繋げる行為は後世へのプラスには及ばず、持続的成長概念と離れた自己の消費的な生産性と解される。

純粋性のパワー

純粋性のパワー

一見すると、現況を無視して理想ばかりを訴求されるかの態度に空疎な責任感覚の弱い不快感が生じる面と、過剰に現況の皮膚感に慣れた体質に留まって、自身への限界を設ける態度にも伺え、理想的なエネルギーを思うままに発散させる力への効力を抱けなくなったパワーの弱まりとも解釈される。

外界がどうあれ、こうしたいという純粋原理創造と訴求型のパワーが現況を変える力に及び、自己の意思に即した外界の変化を導出すると信じて、ひたすらに理想像を強調する行為に力の存在を実感します。真の利益を探求する真理への道を少なからず消え失せさせずにあって、現況に在る矛盾した状態をジワリジワリと動かす因果に映り、この面に集中して力を投じられる活動者に意義が備わる。一見無責任のように映るものの映し出す方の感性が弱まって、勝手に現況の感覚に慣れて限界を設けた感性の認識に至り、前進性の可能性を阻害する悲観的な感覚に捉えられる。

大きく全体的な構図としては、悲観と楽観と間に常温的な基準が入り強弱を掴み、理性的な創造をもって着実な進行を図る姿に適正感が映し出されるものの、上述のようなパワーの実感を喪失し前進性の軌道を脆弱にさせる。外界をも変える真の力は、純粋な理想への混じりけのない表現にあり、それ自体が方法であって直感の感性から物事を動かす因果が生まれる。利己的打算の弱い瞬間的な感性にみる表現に美が備わり、計画性の方法論と共に建設的な威力を感じられずにはいられない。この要素が少しでも残る所に限界を切り拓く真の力が映し出される。不信性の感覚が強まる今日の姿は、どこかこの力への素直な受け入れを弱め相手を疑う事が慢性的になり、ここに人間改造の切り口が浮かび上がり感性の蘇生に及ばせるような探究が進められ根本からの良質性が組みあげられるかに思われます。経験がマイナスに働き先入観が前進を阻害し、フラットに戻してゼロから対峙を持てる感性の維持に新鮮な発見が現れる。見えるはずのものが見えなくなり、濁った感覚を取って抱く事が人間側の生身の能力となり、この陰りに問題意識が生まれて根からの浄化と成長の加速が予見される。現実感覚が深まりこちらの論理が現れない偏りにも健全さを欠いた性格と映し出されます。