王様は、大きなお城を建て、金品財宝を集めて、物理的な力を持ち、自己の意思を外界に働かせようという発想が垣間見られる。すごいでしょうこの建物。すごいでしょうこの洋服やダイヤモンド。すごいでしょうこの玄関。すごいでしょうこの車。すごいでしょう家来がいっぱいいて。すごいでしょう。内のお墓。これでも、私のいう事を聞きませんか?という精神性が浮かび上がる。
外界への利益を作り上げ、その活動の実質に、すごいでしょう。という正当性を訴求する事において、健康な精神性と動的活動の工程が浮かび、人々からも納得感が高まり、「いやぁ、確かにすごい」という因果の相関にあって、健全なエネルギーの発生と返還の仕組みが生まれる。
この動的結果として、相応しい名称を与え、王の座を得る事へ及ぶ。そしてその椅子の居心地の良さから、外界へ利益を作る意識よりも、身の回りの装飾へと欲求が回り、上述のような「すごいでしょう。だから言う事を聞きなさい」と回り、悪性の精神と肉体を作られる。利益を受ければそれに相応しいお返しをする態度も形成されず、「だって私は王様よ」という正当性の態度への察しが及ぶ。
「いいから、王様の靴をなめなさい」という如きの精神性を作り、歯向かうものは物理性で制裁を与え、見せしめにして対抗勢力の惹起を予防する手立てを講じられる。「すごいでしょう。内のお父ちゃん政治家よ」、だから従いなさい。私の方が偉いのよ。との如く、ボンボン症の体質が進行して、物理的脅威への意識から応じざるを得ないという状態が作られる。
インプットと変換工程とアウトプットという生産性の基本式における変換工程の価値観と実現の論理構成に見る適正を探し、多くの人の納得感を生み出せるエネルギーの循環を作り上げる事において、プラス型の外界への利益を作り上げる力が湧き続け、良好な行いには良好なエネルギーが循環する仕組みにおいて、健全な正当性や快適感を抱く性質に適当な人間像が当てられる。
すごいでしょう。「こんな良質な利益を人々に提供できるのよ」といった正当性をもって、単純物理的力に寄らない動的フローの活動から生まれる人々への喜びの感情へ、すごいでしょうの実感点が絞り込まれる。
すごいでしょう。この肩書。だから言う事を聞いて。だから何かを貰っても、お返しはする事ないのよ。等々。これらの価値基準と論理形成に至ると、どんな未来が待っているか、容易に思い浮かぶ。すごいでしょう。「この盗みの手口。」という態度や行為に「偉いなぁ、教えて」となる常識が作られる。
日本の「政治家、行政、マスコミ様」は、どこから見ても、すごいでしょう。偉いでしょう。胸を張って、誇れるでしょう。こうした文脈から、物理性と心理面の適正を鑑みて、健全な基準を作り上げる事へ及ぶ。日本は良い国だ。