事象解明への道筋

「事象を断定する」ことの重みが弱まると後で困る。どんな意図と確信を得て断定に及んだのか。この因果関係から表現者の人となりが現れる。

場所と時に相応しい、緊張のはり方が生まれ、比較的緩い所では、そんなに厳密な根拠をもって会話を作る事もなく、しかし人の利害や生命へ直結するような想定においては、確かな根拠の実感の作り方に焦点が集められ、一次現象を作る立場と、二次的な配置で想像力を働かせ推察する立場との違いや作法の適正が生まれる。他者への生命観が弱まるほどに、確信性を持たずに、安易な断定表現を示されると、表現者の根本的な性質への疑念が生まれ、その真相次第によっては関わりを遠ざける心理が働く。「なんていい加減な性質なのだろう」という心象が生まれて、どんな利益を意図して表現を起こしたのかへと表現者への真相を深める問いが生まれる。推察力や分析力や、欲望の起こり方という面から、表現者への能力や感受性の適正が問われる。或いは問題の真相を追求する契機の深まりへと及び、問題を作った当初の意図とは異なる二次的な展開へと発展する事も予測される。人々の関心が集まり、直接的な事象から間接性の因果へと広がり、当初とは予期せぬ真相が解明されて行き、真価を掴む事へ及ぶ。

正直な心持で良き動機を備えて健全な力を起こした人々と、歪んだ心根で、歪な精神性による創造性を投じた人々とが明瞭化されて行き、確かな事象の真相が浮き彫りになって、責任の所在などを問う事へ及ぶ。利益を得た人と被害を受けた人が特定され、それが正しい理屈に則った結果であるのかが吟味され、悪性の程度によってはエネルギーの再構成へと及ばせて正常化される。断定が出来ないように、様々な工作や悪智慧を働かせるという精神性も中には起こり、どんな所に問題の根を見るか、事象の深まりへと進んで、100%の事象へと少しでも近づくように多様な観点が生まれる。

多くの事象は、利益を得る立場と不利益を受ける立場が発生する。これが事象の起こる根源になり、意図する利益の在り方と入手方法への適正が問われる。予め規定された「してはならない事」を超えると言い訳が出来ずに、見えづらい人間の精神性の歪みが鮮明化される。外界に知覚される事柄と内面的な精神が繋がり事象の実態へ近づく。生物物理的な実感と心理的な実感という面を主にして事象を探り、真相真理を追求する事になる。クズな性質が次第に浮き彫りになり健全性へ改善する力が進む。生と滅の不可分性の原理を元に適正が問われる。

哲学や文化の起こり

感覚や感受性に実態があり、その中から言葉という観点の一部を取り出して事象を表す作業が生まれる。つまり、事象は前者の側を100%とすると後者で一部を限定することになる。この構造をどこか忘れ去られ後者を100%であるかの錯覚に陥って事象側との不一致を起こし事実とは違うという軋轢が生まれる。日頃、常識的に用いられる「事実や価値」という言葉の真相について根源的な観点を振り返り粗雑化される感性を蘇生させ、健全な性質を維持する周期が内蔵されて肥満な体質からの劣化を制御し健康な性格を図り確かな根本性の持続の上に良質な生産や創造、協働や共生共栄の世界が生まれる。哲学や文化という根源性を探求する分野の存在意義を指し、基盤が脆くなるほどに悪性事象が表面化する因果が確認され基礎基盤の適正へと意識が向かい良質性を堅持する作用に重みが生まれる。様々な歴史的な範囲の想定が描かれる中で長期的に変容しづらい人間の根本的な性質へ視線を及ばせ作り出した技術力に制御される流れを適正化し人間側の健康な意思が確認されて人と技術と自然の適正な調和を見出す発想から良好な調和が生まれる。一部の供給者による大きな影響力に対して受動的なまま制御される事なく確かな根源性が抑えられ、どんな人間性に適正を抱くか、不動性と変化との認識を持ちながら自己の側に軸をもって外界との適正を図り主体性が作られる。二次三次に加工された概念や生産の根源性への認識が弱まるほどに確信性が痩せ細り惰性に流れ取り返しのつかない体質へ嵌る懸念が起こって人間側を適度に作り込む事へ及ぶ。物質文明の正負の側面が確認されて物理従属的な姿への不適正を鑑みて良質性を作る哲学や文化という領域が欠かせない創造性に思われます。傲慢な薄らバカな態度は際立ち現れる。平和を壊す根源を指す。

2)長期性の価値基盤

根本性の思想を謳う中で最も重要な観点が以下のように浮かびます。真面な人間性を欠くと真面な対象とは思えなくなりそうした対象から何を生み出されても関心は遠のき視野から外れる。クズな性質を見せると平等感覚は喪失し下等な対象という自然な感覚がいや応なく生じ何も感じない相手となる。どんな世界にも一定のルールが形成され、下限的な決まりを外してまで勝利を掴もうとする態度には誠実性を欠いた性質が浮き彫りになり真面な競争相手とは見做されず蔑むようになり、同列的対等の感覚が起こらず残念な人という心象が強まり関わりが深まらない。こうした皮膚感覚が健全な人間性の根っこに備わり自然な本能と現れ誤魔化しようのない反応が生じる。真面にエネルギーを投じる相手にはなく対等には映らないと喜怒哀楽も起こらなくなる。純粋な感性が少なからず生き続け健康な精神性が持続する。平等思想とはいうものの平等には見えず下等な対象と認識される。盗み症や悪性の詐欺体質などが顕著な例を指し、誰もが一線を守るような決まり事を超えてしまうと真面な性質とは見做されず、残念な人という心象が生まれ糸の切れた感覚が作られる。これを戻す事は容易ではなくたぶん修復されず根本的な信用を欠く行為への重みが現れる。薬物に逃げるような感性もこうした内に入り、よほど改心して真面な性格に更生されないと人々の意識は切れたままになり正常に戻すには容易な道筋にはない。せっかく一生懸命前向きな力を投じ人々に喜ばれる存在に及んでも、基礎的且つ欠陥的な行為が生まれると一挙に信用が吹き飛び根本的な事柄への棄損は計り知れない損失を齎せる。下限的な信用基盤は長期的な価値となって人間性の根や柱を構成する。いくら前向きな生産性を投じてもここが外れるとプラマイゼロからマイナス増へ及んで視野から喪失する。利用の道具と割り切り相手にするか、極力関わらず健全な性質との交流を選択する事になる。何かの取引で修復される事はなくクズといると本能的な不快が湧き理由のつかない拒否反応が強まる。このような皮膚感が少なからず残って心理的な良質性を保つ欲望が生き単純物理性に嵌らない人間性が堅持される。性根の腐った者に力を与えると周囲一面に影響して瞬く間に腐りが浸透する。間違っても基軸的な配置には適当でなく、根本的な良質化の要件と浮かび上がる。

1)法か人か

「法による統治」と言われるものの、歴史的関係から貸し借り等が生まれ、杓子定規に適用できないのが、実際的社会関係の動的側面に現れる。多くの人々の立場は個別当事者性を持ち、相互の快不快や喜怒哀楽をもって関係が作られる。そして社会的影響力が増すごとに、一般尺度となる法律で規定されたことへと視線が及んで多くの利害関係者との調整尺度に用いられる。このような秩序形成の実像が抑えられて、個別性と共通性の概念が起こり、人工的画一性の法律と個別当事者の関係とに一定の区分けが生まれる。「あの人の言うことだから、従います」といった個々の自由な選択が許され、個別心象的な積み重ねから、判断への重みが人的な要素に配され、同じことでも言う人の違いによって判断が分かれる事が少なくない。ギブアンドテークやエネルギー循環の原理や因果応報という相互性から生まれる限定的個別の実感が根っこと現れる。人によっては「あの人からならば、もっと制約を与えてほしい」という個別心象が生まれ感情を根に起こる自然現象が発生する。人か法かでいえば人が先行される実際的な場面が生まれる。第三者的な立場と当事者性の強い立場との何れの判断を重んじるかの観点で言い換えられ利害関係の深い立場の意思が優先される。広く対象を想定すると一般尺度をもって公平に適用する公性に開かれた未来型の公平性が生まれ、相対的な個別限定性に絞り込むと歴史の感性が重んじられ法という一般尺度よりも人への心象で物事が作られる。歴史という個別具体的な関係の実感と理論という一般抽象性の尺度の違いが現れ感覚や感受性の実感と頭脳的な実感の性格の違いが生まれる。経済と政治の関係とも類似し、経済取引に個別当事者性が起こり、政治という面に制度や構造面の規定が現れる。即ち、エネルギー循環の原理を根に対象との相互性にベースが生まれ、個別具体的な多様な観点の実態を見据えた判断に動的連なりを反映した意思が生まれる。そして、必要に応じて一般側が作られ、それを用いる事も出来るという配置に法や理論、政治が生まれる。更に、政治体の意思を外側に向けて放つ場合は、個別具体的な相関による歴史をもって自然な意思が作られ、政治的集合体として共通尺度を必要に応じて作られ個別をベースに必要ならば一般側が用いられる。当事者相互性の間で問題が発生した場合に一つの解決手段として一般側が用いられる。頭ばかりが先行するとこの一般側ばかりへ意識が向かい個別現場的に作られる感覚や感受性が軽視され、どこか違和感の強い一方向性のエゴを通す手段として法が利用される。人々の肌感覚で作られる常識を土台に生きた実際の感性と交流に及ばせる態度が自然であり人口性の型枠は抽象集約の単純模型であることが確認され適切な秩序を構成するあり方が生まれる。あまりにも常識が狂っていると見られれば一般側を用いざるを得ず人的個別の態度から適正を探す事へなる。弁護士が妙な法的技術に偏して当事者の関係を掻き乱す事が少なくない。客の為よりも弁護士の利益を意図して法を根拠に利益を煽って当事者の歴史を破綻させる事も散見される。クズな政治家、弁護士、マスコミという特徴が、こうした点から浮かび上げられる。それに乗っかるクズという点も併せて視野に入り、人間性の実態が明瞭化される。

 

歪な需給関係

普通、人々へ何某かを求める際には、何某かの利益を与える関係において、要望と効用が整い、エネルギー循環の適正が生まれる。この基本的構図が崩れていると見れば、一方的な要望を勝手気ままに表す態度に見受けられ、多くの人は何ら呼びかけに反応する事には至らない。需給の寡占的な構造をもって、供給に強い力が生まれると、この一方向性が事実上生まれ、一方的な強要に狭まれる。需要者は選択の幅が少なく、致し方なくそれを受け入れ反応するよりなくなる。要望と効用のバランスを欠いた健全な需給や相互性とは離れ、歪な精神性が深まり、欲望と力と責任の均衡を崩す事へ及ぶ。

フラットな相互性から、呼びかけの適正な態度は、「私はこう考えます。良ければこの考えへの意見を頂きたい。」という方式において、呼びかけ人の考えに論評するに値するという効用感が起こって、そのお返しに需要側からも何某かの有用な意見を提供するという相互性に健全性が浮かび上がる。

「ただ、意見をください」という態度に、歪んだ精神性の実感が起こり、「なんで?」という反応が生まれる。この感覚にないと、どこか傲慢性が映り、寡占的な構造と体質からの歪な態度とも見做されかねない。こうした、行為に及ぶまでの過程に、十分な働きを提供したという自負や相手の心象があると、少々省略的に、フランクな要望と対応の態度が起こる事にも違和感が少ないものの、十分な働きが見られないとなれば、「まだ勘違いが激しい」という心象が強められる。少なくとも真面な意見を投じる人は稀でしょう。

呼びかける人からの基準が示され、こうした中での共感や反対という有用な気づきに及ぶような評価や方法論を得るエネルギー循環に、適正な調和が形成される。ごく自然な社会常識の範囲になり、貰った分と同程度のお返しを図る自然律と現れる。

妙なエリート意識が強く、外界からの効用の実感とのずれを生むと感覚が一致せず、独り善がりの態度と映り、結果を経て学びに回るか、寡占的な立場から物理力をもって修正へ回らないとなると、歪性が残存して、健全性へ向かわない。頭に過度によった性質にしばしば見られる一方向性の強欲な姿に、醜態が起こり、自然な浄化作用が進んで、適正化される。民間の需給感覚と大分離れるお上の姿は、本心からエネルギーを送るには至らない。準公共的な報道機関や大手の寡占事業などからの歪性が固定化すると、どこかで大きな失敗を経て、組織改革や体質改善を持ち、筋肉質な感性へ修復されて、健全性の循環が進む。

特異な成長過程等から、エネルギー循環の適正を欠き、物理力に縋った関係へ重心を持ち、生身の適正な交流という真摯な対象との対峙を経て、次第に薄らバカの自覚へ及んで、健全化される。自覚症状の弱い盗み症という根本性の皮膚感の被害は、深刻な社会現象を指し、構造的な欠陥に切り込んで、真面な個別事象へ連なり、性質の適正へ回る。

妙な公募を出す事はなくなり妙な勲章も不要になり、権威の失墜は根本的な不信を増幅させ、求心性は喪失しお飾りの関係で留まり形骸化が慢性化すると根本的な悪性が作られる。長期利益の破壊は計り知れない損失を生む。これらの根本原因が物理依存症を指し健全な感受性の喪失した社会秩序と現れる。

長期的な皮膚感覚としては、国家や国旗へ敬意を示す態度は、ごく自然な発想と思われますが、時々の政治行政等への不信が高まると、国家や行政への対立的な意識が深まる事も自然であり、妙な押し付けという意識へ傾く。クズな政治家を選べばその付けが主権者へ回る。

内心の公開と定期診断

文化の観点から浮かぶ、社会の良質化策が以下のように描かれる。反日や親日という思想的な観念よりも、金になればどことでも組むといった経済人が節操のないあらゆる手段を用いるように伺えます。個々人の資質的な問題に限定される。まだ、反日や親日という歴史的な心理を根にした皮膚感覚があるだけ真面な方で、深刻なのは、物理的経済性でどっぷり嵌り、手段を択ばず金をとる性格に伺える。これに至っては感受性の破綻者となり、物理感覚で慢性化された体質になり、根本的な欠陥を背負い、力を制御する能力がなく、ただ力を利己性に用い金を集める事に意識が注がれる。

国家的な歴史で見る根の深い心情的な遺恨といったものは、こうした物理慢性化の性質を持つ人々に利用され金を集める手段にされる。根源的な人間性の破綻者という性格は極めて少数に思われ、ここからの影響が二次三次に反映し拡大され、予備軍や共犯者が生まれる。力の根源的な起点を特定し、そこを抑える有効な手立てを投じる事に、悪性の事象を予防する観点が起こる。下っ端を相手にしてもきりがなく、根っこを掴んで、悪性を留める事において人間性の下落が留まる。

思想などなく、ただ物理反応で占められた体質にあり、これは根本的な破綻者を指し、権力をもって淡々と対処する以外にないのでしょう。権力を担う立場においても、こうした性格が入り込み、権力の適正な行使へ向かわず、物理反応に従う面々も恐らく少なくないのでしょう。「どんな人間性を志向するか」この面について、打ち明けさせることが、重職に就かせる上での必須の要件になり、この考えも示すことが出来ないとなれば、テーブルに乗せては困る。政治にかかわらず、上場企業の要件に挿入し、定期的な診断をもって資格を更新する等、定常的なシステムに組み込まれて事前型の予防が生まれる。

この観点から有用な知見や観測に従事させ、司法的な枠組みとは異なる純粋性の原理と適用と公開の仕組みが進められて、根本性の破綻者を発見し、周知させるような取り組みも、必要に考えます。

人間性への関心が及ばず、ただ物理感覚というのでは真面な倫理や自律など働かず、「金になれば何でもよい」という発想と手法へ流れる。少なくともどんな人間を志向するか、大きな影響力に及ぶほどに、一定の内心面を公開する義務が生まれる。そして、内心と外観の定期チェックの作用が常設して緊張を保つことに及ぶ。社会システム上の各所に、このような関所が設けられて、事前予防型の強制装置を嵌めて、堂々と公の立場を保つような仕組みが進んで人間性の劣化への有効な方法が生まれる。人間への問いと答えをある程度持たないと、物理感覚で慢性化する。政治権力者、行政人、財界人の中でも、大きな要路には必須の定期審査を課すような事も社会の要望の一つに思います。

 

 

1)文化観

「作る物事があり、それを欲しいという人がいる」この関係で需給が成立し、当事者の関係と間接的な利害関係者という広がりが浮かび上がる。当事者の関係に間接的な立場がどの程度介入して良いものか、という問題点が生まれる。介入して当事者の何れが、良いという効用を認められれば、当事者性の広がりの実感が生まれ、良いという価値への対価の支払い等が起こり需給が作られる。

当事者と間接的な利害という因果関係の形成には、このような需給の成立という相互性から判断され、各自の意思や判断、選択という行為によって、当事者性が生まれる。つまり、「当事者でもないのに口を出さないで」等という事が言われる。口を出して、いずれかの側がそれへの効用や意義を認めれば、口を出すという生産と需要が生まれる。行政が民間の取引に、安全上の観点から要求水準の引き上げを提起し、助言や勧告を行うことなども顕著な例を指し、各人がそれへの一定理解をもって自己の尺度から導入すべきと受け入れれば、効用を認め自己基準化を指し良い提案と肯定的に捉えられる。

このような人々の関係形成における所与的根源の観点が抑えられ、表現の自由などへの正当な根拠が生まれる。惑わす表現や扇動的表現とみるか、様々な立場からの利害による心象が生まれる事に対して、各自の自由な意思決定が尊重され、能動的に表現を作る事へ過度な縛りを与える根拠を何処に見るか、多様な見解が想定される。縛り自体に、「良い」という判断を見れば需給が成立する。

そして、一過的効用であるかどうかを時間をかけながら吟味するなどの試運転の期間をもって検証が進み、「良いや悪いの」確かな心象や実感が起こされる。選択して実際に利用してその効用を自ら体験して真相を掴み、長く用いるか、短期で終えるか等の態度が現れる。こうして幾多の試練や検証の機会を経ながら長期的な生産の型枠が次第に作り上げられ、長く耐久的な皮膚感覚へ及んでなくてはならない様式などが形成される。

文化という抽象的な用語の持つ意味は、このような「真なる価値」という点に着目が及び、無限性の価値を元に自由な表現と選択の上に有用性の高い物事へと向上する過程に焦点が取られ、そこに価値を抱く事になる。「広く取り入れられるか、深く取り入れられるか、ごく限定の範囲で取り入れられるか」何れの姿にあっても、当事者において「真なる価値」を抱き関係が生まれれば文化という性格が浮かび上がる。

あらゆる生産事物には、「萌芽期や導入期や成長普及期や安定期や成熟期」等の有機体の生成変化の過程が起こり、質の形成と安定と改良が図られ、質量が起こり変化の程度が繰り返される。公明正大な環境の中で堂々と切磋琢磨が図られて、次第に不動性を持つ型枠へ及ぶほどに人々の確かな実感が与えられる。このような文化観が生まれ、有形無形の事物を範囲にして、思想などもこの一種を指しどんな人間性に価値を見るか、等が提起される。

とりわけ、「正々堂々」という態度に、生産性や人間性への価値が起こり、盗みや詐欺に寄らない性格に文化の根源性が浮かび上がる。自己や他者の生命への尊さを抱く根本の感受性が見て取れ、ここが弱いと欠陥と映し出される。

 

6)緊張と緩和の適正

健全性を感じる観点の一つに「緊張と緩和の適当な循環」という面を取り上げるべきに思います。物理的な感覚が進行する程に精緻性への志向が高まり、少しの違いに過敏な不快反応を起こし直観的短期性の利己的な態度に陥る。少しの隙も許容できずに厳密な感覚を強め過敏な敵対性をしばしば招かれる。几帳面で律義な真面目な性格の良い面と共に過敏性が進むことについて、少々余裕を持つ心持が殊の外重要な観点に及ぶのが実際社会の姿と浮かべられる。物理性は管理願望や支配への発想を高め、対象への過敏な感覚の形成から距離を図り自己の思うままの支配を意図する対峙方法へと進む。融和的且つ共存的というよりも、自己生存的且つ自己中心性の感度が現れ単純物理の力へ依存して関係を作る向きへと回る。これが二極的な社会構造を齎し管理型の業務への志向性を強め現場での固有性の技術を磨く意識や人との動的協働性に見る快適性の志向と乖離した協働体を作り出される。短期的な即効性を遂げるには有用な構えであるものの持続的な再生産という長期の関係性を想定すると萎縮や衰退の軌道を強め長続きしない。こうした点からも緩和的融和性の情緒的側面が取り上げられ過敏と鈍感との適正を作る発想が起こされる。一定の緊張関係や適当な距離の図り方を維持すると共に良好な心理的欲求を持って冗談などを交えて作る融和的親密性やデザイン的な欲求を意図する表現やサービス精神が根本性の生命への尊さを抱く感受性から生み出される。機械的な対象とは異なり生身の感性を宿す対象との良好性を作るにあっては融和性や寛容性のスタンスが起こって外界への利益を提供する力の根源性とも映し出される。この面が痩せ細り機械的無機質な感性が進んで、冗談を程よい潤滑的な交流と見做さず被害妄想性のマイナス心象を抱かれる向きへと回り、偏屈で窮屈な関係へ及んで少しの違いで過敏反応を見せる神経質な利己的な体質が生まれる。柔軟な相関よりも、急激な反応をもって耐久性よりも即効性、融和性よりも対立性へと進み、簡単にポキンと折れる精神面の脆弱性と現れる事が少なくない。過剰な美観や潔癖症という性格へ陥り違いへの肯定性よりも否定性へ回り融和よりも拒否反応へと回る。人権意識を強く求め侵害への強い攻撃性を見せる態度などにも顕著に表れる。動的前進の創造的な態度よりも静的なストックへの執着心へ及ぶほどに物理的な過敏性に染まり、外界との敵対性の心理を形成して発想や態度、生産の特徴へと現れる。こうした点が現代人の特徴にも映りその行き過ぎに対する適正を探すエネルギーが起こって、基盤的な緊張の適正の下に自由度の広がる構造を描き規律面と柔軟さを生む動的状態から長きに渡る共生や共存の適正が生み出される。このような要素が健全性の概念の内に入り気の利いた冗談やユニークさも真面目に取り上げられるべき生産性と配される。これを妙に硬い頭で捉える所に利己的な性格が現れ、どこか異質性の強い個人化の向きを強め、歪んだ手法や間接手法を多用して精神的悪性の亀裂を深める事へ着目せずには不健全な性質を強められる。アナログ的な感覚をどこか外して無機質な生命観へ及んで物理依存の激しい極端な争いを招く因果と映し出されます。軋轢への免疫が弱まり、姑息な性質へ嵌って根の細い性質が生まれる。

クソ真面目な性格が災いして洗脳的な感覚が深まり極端な一線を越えることになり、緊張と緩和、楽観と悲観の動的良質性の人間像において適正な制御性が作られる。マスコミや行政、政治家、財界人、教育者等々、頭のお勉強が好きな人間形成へ寄りすぎると、生身の適当な人的交流が歪んで、制御感覚の異質な態度を作られる。「偉くないぞ」という自覚に及んで、凝り固まった先入観を和らげ、動的創造性へと軸が生まれて、歪んだ手法への外れた発想や行為への制御感覚が作られる。平和を作っているつもりが、平和を乱す根源へ至る事のない文化的習慣が内蔵されて、内外との適正調和の軌道が形成される。

 

3)本書の目的

人間形成の共通基盤概念を形成する「教育文化」の役割が、長期的に見る生存と繁栄の確かな軌道を作り上げる根幹の作用に配される。短期や中期性の価値の形成にも、長期基盤の適正があって、適正な利益を作りあげる事へ及ぶ。一時の利益と感じる事も、長いスパンで見ると不利益やマイナスの影響を齎せる事も少なくなく、根源的な価値を抑えた利益概念の形成と保有において健全な発想や行為へ連なる。このような体質を形成するのに、根本的な感受性の適正をもって、生産の包括的な枠組みや、社会現象の大局的なビジョンの形成が全体的な概念図と現れ、根と全体観の適正を作り上げる。根本的な感受性とは、畏敬の念といった生命観への尊さを抱ける感性になり、生産の包括的な枠組みとは、下限的制約と積極的創造性と両面の因果を浮かべる創造観を指し、大局的ビジョンとは、経済産業と政治行政と教育文化という領域と相関で生産の協働性を作り上げる観念を示し、これにおいて、生存と繁栄の持続的システムへ及ぶという長期の再生産体系を構成するのが本書の思想の特徴を表します。即効的な成果を求め、力んだ手法による財の獲得へ走り、根本的な信用を棄損するようでは、持続的な再生産の関係には至らず、地に着く生産や発想をもって、技術力を磨き漸進的な軌道を作り上げる所に、健全な生産性と人間性が備わり、過度に外界への要望を表す事もなく、適当な内外との調和を作り上げる感性が宿される。物理性への過度な従属も、心理的な基盤の弱さが根本の原因となり、外界を犠牲にしながら自己の生存を遂げる発想へ傾けられる。短期性の利益を皮膚感覚と常態して、即効的な期待を強め、過度に力んだ手法へ着手し、短変数の方程式へ固まり、単純物性型の反応を起こす体質が生まれて、一過性の利益へと重心をもって、長期性の利益を破綻させる。物理的効用を指す利便性や効率性への過重な意識が起こり、物理従属的な経済の基調が作られ、直線的且つ画一性の利益を形成する産業構造へと基調が生まれる。中央集権的なコントロールが進行して、人の物性化へ及んで、多様な感性よりも決まった限定性の高い事柄を求める制御性が強められる。使用者側の立場から利益を作る発想が、制度や法規の性格へ反映され、政治行政の性格へと影響し、物理基調の強い構造が生み出され、二極的な格差現象を作り上げる。長期的に見る基礎変数の適正な制御という焦点へ重心をもって、過度な物理性や寡占化を和らげる発想や、物性を適度に制御できる感性の形成を教育文化面から生み出すという発想へ及んで、本来的なマクロ計画の適正が生まれ、過熱した経済感覚へ陥らない権力の有用性が実感される。選挙での人気取り的な態度へ陥るのも、共通的な基盤感性の脆弱さを原因とし、根本性と全体観の適正な感覚が弱く、分かり易い効用を求める大衆的な気質との相関を指し、教育文化面への十分な理解が劣ると、力んだ政治手法へ流れ、短期性の即効策を描き吸引する手法を用いられる。政治家の見識と共に大衆の基盤的な資質の良質性が揃って、長期性の利益を作る礎が生まれ、この面への意識が弱いと、今日的な状態を招かれる。国境を越えて財の取引が進められた現代においては、これらの事を鑑みて長期性の利益を追求する軌道に修正する事が、抜本的な改善の方途になり、一国のみならず万人性の良質な共通基盤概念を形成する事が、小手先に寄らない正道に配される。一時の人気取りに向かうほどに、教育文化への重みが薄まり、短変数の経済や政治が進行し、後戻りの困難な物理感覚で充満する世界へと突入する。利益のようで不利益を作る力が投じられ、人間の根本性を脆弱化させる。真なる利益への探求をもって、時々の賢明な最良性を引き出す態度が欠かせず、教育文化や適正な思想を作る事へ重心が起こって確かな生存と繁栄の道筋へ修復される。

以上のような観点を世界的な共通課題であるという認識を強めて賢明な共通基盤感性を作り上げ、物理依存への進行を適度化する事が最重要の人類的な問題と浮かび上がる。盗み症や詐欺という下限的な制約を直接に超える人間破綻が、更に深い下限的な亀裂を進め修復困難な物理的対立へのスパイラルを加速させる。これに適正な箍を嵌める事が体質の改善を指し健全性の下落を予防して、一定の水準を保つ事において良質な積極策への力が増進し、総体的に人間を成長させ利益を掴むことに及ぶ。人間自体の成長ビジョンの適当な概念図を誤ることなく形成されて、経済の成長へも反映される。持続的安定と繁栄の世界へ連なる有用な方策を探求する真なる利益を掴む意識の高まりが求められる。間抜けな奴が空の面子ばかりに拘って中心に居座ると改善の力を妨げる。自覚に及んで更生の過程を自主内発に選択される事でしょう。

 

行政のクズ体質と改革の推進

「声をかけておきながら、会わない」という事象が生まれる。労使間において使用者が労働者を募り、特定の個人を限定して声をかけ、労働側の情報を提供させて情報を盗むという歪んだ作為に見られる使用者も中には現れる。情報を見て対象特定し、声をかける手順からすると、労働者がそれへ応えたならば会って両者の要望を誠実に取り交わす事が健全な対話に思われます。二次情報でわかる範囲はごく限定的であり、実際に人との生身の交流を得ないと確かな実感へは及ばず、一次的な事実をもって善し悪しの判断を経るのが一般的な感覚に思います。こうした中で間に仲介的な作用が入り当事者間での直接的な意思の交換に間接性の利害が加わり、間接者の利益を求める態度が強まると当事者の健全な関係には発展せず、要求事項とは異なる思惑が加えられると間に入れる効用は少なく却って負の影響を強められる。大量の取引を効率的に集約するのに事前的な要件を示してフィルターにかけ取引の効率を意図するのが、卸売り業者の基本的な存在意義になり加えて企画提案能力が高まると両社にとって有益性が向上する。善意の感性による健全な企画提案と外れた歪な利益を求める輩がしばしば現れ無用なブローカーが非効率の下になって適正なエネルギーの循環を停滞させる。流通機構や組織の意思伝達の仕組みの基本的な観点を指し、大きな利益と個々の利益との整合ある連結において一貫性の高まる利益を作る動力が進行する。管理的な作用を受け持つ社会システム上の機関なども同質の観点から適否の判定が生まれる。こうした流通構造の多段性から情報技術の進展によって、不要な仲介人が削減され無駄な費用をカットして利幅の広がりや安価へ及ばせて消費や利益の向上へ及ぶ。行政による個人情報の私的流用といった現象が度々問題になり公務員という社会的な立場をもって私的な利益を追求し大きな力の適正な行使から外れる。規制による縛りが設けられるものの自律的な性格にないと法はお飾りで個人の悪用が進行する。一部の根本的な性格の悪化が起こると、広く同様の体質へと疑念が深まり、同じ看板に構成される人々への不信感が強まり部分の悪性が全体への心象へ進み不信の連鎖が拡大する。局所的個人の特異性か構造的な組織の体質であるか、内部や外部の監査を自ら設けて信用の向上に努め、適正なシステムと人員の所在を証明されて取引の拡大に連ねる事が一般慣習化される。寡占的な構造にあるほどに自主内発の生産努力への圧力が起こらず、曖昧な仕組みを温存させ各種の悪性が起こっても適正な対処が進まず、生存が持続する負の停滞現象がしばしば生じる。大きな問題を起こしてから慌てて外圧への対応に狭まれる事態が繰り返し起こる。特異な需給構造は個々人の性質の悪化や肥満を齎し、局所的な事象となり現れる。管理責任者は負の兆しを適正に把握する義務を負い制御不能な範囲を受け持つことなく、自己の能力を把握して、事業の範囲を制御されて内外との適正な調和へ及ぶ。クズな性質へ陥ると健全化するのに容易ではなく、歪んだ発想へ偏り真面な生産軌道を外される。権力の私的流用へと陥り自己制御能力の弱い醜態から各所に負を広げられる。このような焦点が典型的な下限的制約を超える因果になり健全な主体性の維持や向上への勘所が示される。社会的に大きな影響力が強まるほどに、外界からの利害が増大し社会的信用に及ぶシステムの所在が求められ適正な力のコントロールに至らないと、過剰な欲求の責任不足と判定され、然るべき行政指導や市場の反応を受けて、自浄性の循環において健全性が図られる。サラリーマン化により、個々人の倫理観と組織の影響力とのギャップが起こり要になる管理責任者の能力が問われる。クズな性質は5分も直接会話をするとどこかしらに性質が示される。二次情報ではわかり得ず論より証拠の一次現象に重みが生まれる。二次情報への過信は誤った判断を生みあまり重要視されない。多段的に構造を持ちたがり階層構造を強めて管理的な志向性へ流れる発想に肥満症の典型が映り、二次三次の情報による操作性が進むほどに意図しない生産が現れる。管理能力を超えた規模へ陥り大きな失敗を招いて適正化される。中央集権と分散化の流れを繰り返し程よいサイズが生まれる。固定化して肥満が慢性化し付加価値の弱い生産となり改革を進めないと益々体質が悪化して外界へ負を齎せる。掛け声のみの改革が主張され上述のような観点と変化の実際を起こさず騙しだまし支持を取り付けるには限界が到来する。サイバー犯罪はこうした観点からも一方向性のクズによる肥満化した悪性事象の象徴的な行為を指しクズの慢性化した行政体質とも言い換えられ事態を重く見てクズへの対処を図る事が必須と考えます。根の深い体質化された負の兆しが鮮明化される。行政、マスコミ、政治家への注文が各所から日増しに強まり、それへの対応が図られないと、益々国家や政治への求心性は破綻する。お飾りの掛け声は程ほどにして頂戴という感じでしょうか。