健全性を感じる観点の一つに「緊張と緩和の適当な循環」という面を取り上げるべきに思います。物理的な感覚が進行する程に精緻性への志向が高まり、少しの違いに過敏な不快反応を起こし直観的短期性の利己的な態度に陥る。少しの隙も許容できずに厳密な感覚を強め過敏な敵対性をしばしば招かれる。几帳面で律義な真面目な性格の良い面と共に過敏性が進むことについて、少々余裕を持つ心持が殊の外重要な観点に及ぶのが実際社会の姿と浮かべられる。物理性は管理願望や支配への発想を高め、対象への過敏な感覚の形成から距離を図り自己の思うままの支配を意図する対峙方法へと進む。融和的且つ共存的というよりも、自己生存的且つ自己中心性の感度が現れ単純物理の力へ依存して関係を作る向きへと回る。これが二極的な社会構造を齎し管理型の業務への志向性を強め現場での固有性の技術を磨く意識や人との動的協働性に見る快適性の志向と乖離した協働体を作り出される。短期的な即効性を遂げるには有用な構えであるものの持続的な再生産という長期の関係性を想定すると萎縮や衰退の軌道を強め長続きしない。こうした点からも緩和的融和性の情緒的側面が取り上げられ過敏と鈍感との適正を作る発想が起こされる。一定の緊張関係や適当な距離の図り方を維持すると共に良好な心理的欲求を持って冗談などを交えて作る融和的親密性やデザイン的な欲求を意図する表現やサービス精神が根本性の生命への尊さを抱く感受性から生み出される。機械的な対象とは異なり生身の感性を宿す対象との良好性を作るにあっては融和性や寛容性のスタンスが起こって外界への利益を提供する力の根源性とも映し出される。この面が痩せ細り機械的無機質な感性が進んで、冗談を程よい潤滑的な交流と見做さず被害妄想性のマイナス心象を抱かれる向きへと回り、偏屈で窮屈な関係へ及んで少しの違いで過敏反応を見せる神経質な利己的な体質が生まれる。柔軟な相関よりも、急激な反応をもって耐久性よりも即効性、融和性よりも対立性へと進み、簡単にポキンと折れる精神面の脆弱性と現れる事が少なくない。過剰な美観や潔癖症という性格へ陥り違いへの肯定性よりも否定性へ回り融和よりも拒否反応へと回る。人権意識を強く求め侵害への強い攻撃性を見せる態度などにも顕著に表れる。動的前進の創造的な態度よりも静的なストックへの執着心へ及ぶほどに物理的な過敏性に染まり、外界との敵対性の心理を形成して発想や態度、生産の特徴へと現れる。こうした点が現代人の特徴にも映りその行き過ぎに対する適正を探すエネルギーが起こって、基盤的な緊張の適正の下に自由度の広がる構造を描き規律面と柔軟さを生む動的状態から長きに渡る共生や共存の適正が生み出される。このような要素が健全性の概念の内に入り気の利いた冗談やユニークさも真面目に取り上げられるべき生産性と配される。これを妙に硬い頭で捉える所に利己的な性格が現れ、どこか異質性の強い個人化の向きを強め、歪んだ手法や間接手法を多用して精神的悪性の亀裂を深める事へ着目せずには不健全な性質を強められる。アナログ的な感覚をどこか外して無機質な生命観へ及んで物理依存の激しい極端な争いを招く因果と映し出されます。軋轢への免疫が弱まり、姑息な性質へ嵌って根の細い性質が生まれる。
クソ真面目な性格が災いして洗脳的な感覚が深まり極端な一線を越えることになり、緊張と緩和、楽観と悲観の動的良質性の人間像において適正な制御性が作られる。マスコミや行政、政治家、財界人、教育者等々、頭のお勉強が好きな人間形成へ寄りすぎると、生身の適当な人的交流が歪んで、制御感覚の異質な態度を作られる。「偉くないぞ」という自覚に及んで、凝り固まった先入観を和らげ、動的創造性へと軸が生まれて、歪んだ手法への外れた発想や行為への制御感覚が作られる。平和を作っているつもりが、平和を乱す根源へ至る事のない文化的習慣が内蔵されて、内外との適正調和の軌道が形成される。