「作る物事があり、それを欲しいという人がいる」この関係で需給が成立し、当事者の関係と間接的な利害関係者という広がりが浮かび上がる。当事者の関係に間接的な立場がどの程度介入して良いものか、という問題点が生まれる。介入して当事者の何れが、良いという効用を認められれば、当事者性の広がりの実感が生まれ、良いという価値への対価の支払い等が起こり需給が作られる。
当事者と間接的な利害という因果関係の形成には、このような需給の成立という相互性から判断され、各自の意思や判断、選択という行為によって、当事者性が生まれる。つまり、「当事者でもないのに口を出さないで」等という事が言われる。口を出して、いずれかの側がそれへの効用や意義を認めれば、口を出すという生産と需要が生まれる。行政が民間の取引に、安全上の観点から要求水準の引き上げを提起し、助言や勧告を行うことなども顕著な例を指し、各人がそれへの一定理解をもって自己の尺度から導入すべきと受け入れれば、効用を認め自己基準化を指し良い提案と肯定的に捉えられる。
このような人々の関係形成における所与的根源の観点が抑えられ、表現の自由などへの正当な根拠が生まれる。惑わす表現や扇動的表現とみるか、様々な立場からの利害による心象が生まれる事に対して、各自の自由な意思決定が尊重され、能動的に表現を作る事へ過度な縛りを与える根拠を何処に見るか、多様な見解が想定される。縛り自体に、「良い」という判断を見れば需給が成立する。
そして、一過的効用であるかどうかを時間をかけながら吟味するなどの試運転の期間をもって検証が進み、「良いや悪いの」確かな心象や実感が起こされる。選択して実際に利用してその効用を自ら体験して真相を掴み、長く用いるか、短期で終えるか等の態度が現れる。こうして幾多の試練や検証の機会を経ながら長期的な生産の型枠が次第に作り上げられ、長く耐久的な皮膚感覚へ及んでなくてはならない様式などが形成される。
文化という抽象的な用語の持つ意味は、このような「真なる価値」という点に着目が及び、無限性の価値を元に自由な表現と選択の上に有用性の高い物事へと向上する過程に焦点が取られ、そこに価値を抱く事になる。「広く取り入れられるか、深く取り入れられるか、ごく限定の範囲で取り入れられるか」何れの姿にあっても、当事者において「真なる価値」を抱き関係が生まれれば文化という性格が浮かび上がる。
あらゆる生産事物には、「萌芽期や導入期や成長普及期や安定期や成熟期」等の有機体の生成変化の過程が起こり、質の形成と安定と改良が図られ、質量が起こり変化の程度が繰り返される。公明正大な環境の中で堂々と切磋琢磨が図られて、次第に不動性を持つ型枠へ及ぶほどに人々の確かな実感が与えられる。このような文化観が生まれ、有形無形の事物を範囲にして、思想などもこの一種を指しどんな人間性に価値を見るか、等が提起される。
とりわけ、「正々堂々」という態度に、生産性や人間性への価値が起こり、盗みや詐欺に寄らない性格に文化の根源性が浮かび上がる。自己や他者の生命への尊さを抱く根本の感受性が見て取れ、ここが弱いと欠陥と映し出される。