現代社会のコンセンサンス

生滅不可分性の感覚は、自他の認識を進めると同時に住み分け感覚を作り上げる。既に他者によって賄われている生産へは敢えて自分が模倣的に加わるよりも、自己の生産や性質を見て自身が行うべき事柄に注力するのが良好な分業や調和の形成に連なる。規格量産的発想によると、自己の感性で他者を計り序列化する発想が強まり、他者の良好な特性を掴み活かすような発想に寄らず自己との同質性を求められる。限りある資源を有効に生かす規則性において外界のプラス要素を掴み活かす感性が常態化する。中小零細事業者やゼロベースから物事を作り上げてきた過程を備える生産者に見られる特徴に思われます。初めから環境が良く整備され、効率や生産性への執着に及ばない場所では標準と序列化の画一性による管理へと意識が進み、実態的な効用や成果を作らない低付加価値の生産性に留まる。この辺りに、民間事業者と公共機関との根本的な性質の相違が浮かび上がり、プラス性の増進と重箱つつきの減点評価という体質が生まれる。或いは過去へ執着する実績踏襲型の創造性と、新規変数を重んじるアイデア創出型の生産と現れ、昔話ばかりへ意識が向かいその厳密性への関心が投じられ過去の規則性を模倣して現況維持の生産を進められる。過去を知るのは未来を作る為という前進軌道に在って、未来の仮説形成力が高まりビジョンと描かれ、それに向けたエネルギーを集め投じて危機への回避や創造的な感性が形成される。ビジョンが弱いと資源の採用基準も二次三次の加工度の高い模倣的な基準を安易に採用し、無難な実績を意図されるものの現代にはこれがマイナスに及ぶ。教育の根本には、過去現在未来という時間軸からどこに意識を注ぐ生産者像を設けるかによって人間像に反映され、それに合う発想や能力を作り上げるプログラムが生まれる。このように、時代の置かれた状況認識が教育の根本概念を変え、生産者像や人間像に反映される。継続性や安定秩序を重んじる旧来的且つ伝統的公務員像に対して、仮説形成力やビジョン創造力が加えられて攻めのスタンスに在って安定が叶えられる。従来的安定概念からフローの動態を向上させる健全性概念が作られて現代の時代に適する感性が生まれる。ストック過剰で肥満な発想による減点主義は時代環境に適合せず、フローの動態に焦点が取られ、何をアウトプットされるかの規定と出力の過程を鮮明化し生産性を基軸に備えた体質に在って在る者を型枠に押し込める発想から在る者を活かす発想が進められる。量の算出という割合から質の転換に軸足が取られ、既成型の実績踏襲の安定路線による衰退への道から良好な質を掴む嗅覚とそこを伸ばす発想へと及ばせて非効率な画一性や量産やコストカットという物性型の単純化に寄らない化学反応を創り上げられるパワーが求められる。根本は感受性の力にあり、物事への探究心や創造性に反映される。気の力が体や頭の用い方に影響する。頭型の既成秩序の入力に対して感覚や感受性を動源にした観念の形成にあって根から幹と枝葉の繋がる有機的な知の表出に及ぶ。死んだような断片的知の羅列という文章がしばしば見受けられ、量ばかりが無駄に多く、洗練性が乏しい抽象集約性の弱さは実際的な頭を使わずに付加価値の弱い表現を指し、個別事象の積み重ねと集約の機会を定期的に持ち質の向上を図る思考に於いて、洗練された原理が生まれ体と頭と感受性の良く絡んだ表現に及び人々へ良く伝わる刺激を作り上げる。壺と成る部分を的確に掴み表現と変換し投じる事に於いて意図する結果が出現する。

変な価値観で優越意識に留まり妙な管理発想や手法を投じる旧態の性質は成長への阻害要因を指し、権利過剰の欲望と生産性の弱い余剰な資源を抱えた悪性の指摘に及ぶ事のないフローの良質な主体性にポイントが置かれる。小難しい観念の集積による思想体系はフローの良質性を阻害し実効性を作る抽象体系とは乖離し断片的な知の羅列という傾向で掴みだされる。体からの形成に無い死んだ観念体系は躍動感を生み出さず、変な意識に留まった管理欲を見せられる。こうした事からも根本思想の善し悪しが問われ、量より質へ着目して各自の特徴が良く生かされる体系に有益性が増進する。健全性概念というビジョンが人間形成の動力に及び、在るべき人間像となって根本の基準に配されて二次三次の原理に反映される。現代のコンセンサンスと思われます。

本書の総合ビジョン「健全な人間像の実現への道」

多くの人々は、綺麗で美しい物事に憧れる。外観的な見栄えや動態に見る快適など対象は様々であり、多種多彩な実感の取り方を抱く人間の性質が垣間見られる。どれか一面的という感覚の取り方には無く、いろんな美しさの感覚と割合を混合して美感が形成されているのが実態に思われます。こうした中に在って過去の歴史事象から快不快の感覚が形成され生命への尊さに優先的な価値を置きそれに直結する事柄への意識が強まり、美への序列を形成するのが標準的な感性となり、動的側面への探究が深められて静的外観面は後列に配した美の体系が作られる。

衣食住という消費が目前に置かれ、それを得る手法に生産的規則性が作られ生産と所得から消費を得る循環が作られる。この日常的な美感へ対して多様な快不快感や喜怒哀楽の体験から哲学的な思索が深められ根本の焦点が形成される。これが宗教や思想などと呼ばれる領域となり、生命観や人間観、自然観といった観念が作られ感覚的事象を観念的なフレームを持って配置させ直感的事象を深みある欲望を持って冷静に性格をつけ、自他の制御を果たす創造が生まれる。物的即効的な感覚と人との良好性を意図した心理的な良好性を併せ持ち、両面の適正な在り方を作りだそうとする営みとして現れる。

生命観の浮かべ方として、事象の捉え方を生滅不可分や直接間接の因果という観点を設けて示された釈迦の因縁生起という世界観等に信や真を抱き根本原理と抑えられる人々も生みだされる。生の増進は少なからず何がしかの滅を伴いここに相矛盾する感覚を抱いて両面への適正を作り上げたいという共生感情が生まれ、こうした見方からの対応を進める事に適正を見出し人間の変容しづらい理性の所在を固める等の根本的価値の設け方が生まれる。又、事象は直接的な事象とそれを起こす間接的な事象という多様な連なりを想定する事により、対象を広く把握し意図する欲望に対してより良き充足への予見を浮かべて仮説と実際の整合へ連ねる高度な思索が進められる。

本書の立場は、このような「因縁生起」という世界の浮かべ方を根本に取り、在るべき人間像や自然観を作り上げる事になります。生滅を調和させる手法として「健全性」という概念を作り、主体性の中核的な軸足にとって適正調和を果たす人間の根本的且つ不動性の欲望とする主体性像が創り出されます。

この生滅概念が、善悪や美醜、正負や明暗、快不快等の二項的感性を作る根源に成り、人間は生まれながらにこの二面性を備えた存在という性格を起点にして、マイナス性への配慮を浮かべつつなるべくプラス要素の上回る事象を作り上げる発想を取る事に於いて、健全な理性の実践的な側面が実感される。

人間を過度な美感で覆う表現へ偏る事象がしばしば現れる。上述のような根本的な感性世界の掴み方が在って、個別局所の適正な見え方が生まれ、これを欠いた美性へは適度な距離を設ける感覚に健全な人間性が示される。外界ばかりを映す感覚の深まりに自己を含んだ対象化へ及ばせて主客の適正への作為が生まれて美の実践と謳われます。言う事は容易いという認識を抱きつつ、なるべくこうした観念を意識のどこかに備え、身体と頭脳に反映して制御する基盤の原理となって長期的な良質化への肝要点が示されます。現況の人間をありのまま正負を内蔵する存在と捉え負を補い正の上回る生産へと深める意識に在って大きな破滅的な争いを回避し持続的な再生産を実現する道が浮かべられる。これらから「欲望と力と責任の均衡」を目途にした主体性の健康像が浮かべられ、実際事象に適用させる実践工程が表される。以上のような論理を根本の規律に備え作用させる事が必須と描かれる。万人的なビジョンに浸透するほどに負を上回る正の道が作られる。

こうした理念に対して現況を掴み適正な方法を投じる事が文化形成の道筋と示されます。独り善がりの理念で在っては適正には及ばず、外界と自己の状態を鑑みて理念に向けた方法を導出する歩みに於いて健全な人間が作られる。負の性質の強い対象には適正な対処が要り、粘り強く理念を捨てずに現況に適する方法を投じる事が真に理念を遂げる歩みを指す。頭ばかりに寄った美感と実際的な行為のアンバランスな実態と映し出される事象も少なくない。言論表現は自己の欲望を指し外界へ求める欲望という性格が強く実感されると外界からは抵抗が強められる。一方向の態度を強要する姿となり他利を提供する生産者と離れ利己的性格の強い表現者が生まれる。両者の無理のない調和を「欲望と力と責任の均衡」という尺度を持って過不足の少ない権利義務を見出す力が促進されて個別性を含めた動に即した両者を含む健全な主体性が作り込まれる。物理依存症は欲望過多の責任不足を指し肥満なストックでフローの良質性に無い感覚が作られる。心理的欲望を求めず物性に過度に縛られた感性を指し力を適正に制御できる均衡へ是正させて健康な精神と肉体に及び、過度な物性の欲望が抑制され主客の調和へと導かれる。

健全性思想

健全性思想

需給が成立している事には、直接の当事者にない人がその技術と需要にケチを付ける筋合いにないのが基本的な平等思想の示し方と思われます。しかし間接的因果という面から、効用や影響が少なからず回る実感を抱く事も自然であり、まったく無関係にはなく、直接の需給関係に無くとも利害の交わる立場として何がしかの主張を投じられる事に一定の理解が加えられる。

作りだす物事も多種多様であり、感覚的な質感を提供する事から、観念的な情緒面の創造性の事まで作り手と受け手との間で良いと思う事柄を自由な合意によって需給が取られる。この直接的焦点に、社会システムなる観念体系を設け、マクロ的大局からの全体観を想定して、広く大きな事象を掴みだしたいという欲求も現れる。局所的欲求に対して間接性の因果の広がりを想定し、多彩な因果の実感を浮かべながら、分母感を形成して分子を把握し、長い周期性を勘案しながら短期周期を配して、先々を見越した現在の姿を掴みたいとする制御性への欲望が生まれ、大局を映す観念的フレームを設けて、実際事象を適用させ、実感を掴むという方法が取られる。あるいはこの観念フレームが、各種生産への性格づけに至り、人間の変容しづらい欲望という視点を持って、価値の序列を考え、優先的な事を捉えて、周辺との相関を把握し、人間自体の性格を自ら創り上げるという制御性が生まれる。

思想の型枠も各種各様で在り、各人が抱かれる実感の多彩性を下に、何れに重心を置くも一定の下限的制約の範囲で有れば自由であり、そうした中で思想的ビジョンに軸足を取って生産の主領域を展開される人々も現れる。社会ビジョンや映画や文庫、文芸等々、ソフト的な観念表現を主にして提供される。思想的ソフトがアウトプットと成り、生産行為と成立する。ここから、感覚的な質感を作りだされる生産者が影響を受け何がしの良質性へのヒントに及べば協業的な生産の連なりと浮かべられ、各人の個性がそれぞれに活かされ正の増進と解される。其々に意義があり尊重されるべき分業構造に在るという認識が生まれる。

社会学研究の著名な学者で自由主義、社会主義、共産主義という史観を唱えたマルクス思想に影響を強く受けられた人々も少なくないように見受けられます。これはこれで社会事象を掴みだす優位な見方の一つにも思えます。こうした知見を取り入れながら、より良い創造画を作り上げたいというのが、思想形成者の生産性と成り、良好な社会形成という動機から多様な型枠が提示される。

本書の特徴は、感覚と観念と感受性という身体と頭脳と心の有機的な連なりを持つ規則性を人間の基本的な動態と浮かべ、ここに健全な精神と肉体を備える人間があるという考えに立脚した思想となり、物性と理性に人間の基本的な性格を見出し、両者の良好な関係を作るのに3要素の適当な型枠が基準とされる。

これをベース観念として、その発展的応用にマクロ的な社会ビジョンを作り上げ、多くの人々の関与と協業の適正化への方法が示されます。自由主義や社会主義、共産主義という思想への批判的な感覚は、人間の根っこと成るベース観念の脆弱性の上に各種思想が断片的に並べられたという感が生まれ、いずれの立場も、人間の根本的なベース観念から見るとバランスが悪い偏った構成であり、ベース観念からみて適正な思想体系を導出する所に、本書の特徴が現れ、「健全性」という概念が強調されます。物性と理性の良好性、欲望と力と責任の均衡という姿に、健康な人間性が作られるという発想を備え、自己と他者、個人と社会の適正な関係を作り上げる原理と描き出されます。一定の万人共通の基盤的な観念と備わり厚みのある共通感性が形成されて自由の快適な創造性に及ぶという想定に立ち作られる思想と考えます。以上のように、直接間接の因果の実感、生産事物の多彩性、生産事物間の因果の実感、思想形成とその性格、本書の思想における特徴的な側面について説明しました。

生存本能から優位性を保ちたいという発想が過度に進んで他者の生産性への尊重心の弱い感性は自己の確たる生産の弱い立場による劣った人間の性質と見られます。自己の生産ばかりに執着する偏狭な性質や、物性従属的な感覚による思い上がった人間性の劣化から、各種の迷惑な悪性事象が発生し違和感や実害が生じる事には少なからず対処が要り健全な人間性の下落を防ぐ行為が必要になる。紳士な姿勢で違いへの寛容性や尊重心を抱きながらも、自己の良いと思う創造を堂々と作り上げ、広く多くの人へ提案する活動として、『日本文化原論』が作られました。お楽しみ頂けると幸いです。

文化研究の概略

人間性は生産者倫理と現れる。自己の有する技術と望む需要者との間で質と価格の合意によって取引が生まれ関係に真摯に対峙して反復的かつ広範な規則性が生まれ市場が作られる。この健全な在り方が安定と成長の肝に成り、技術自体の健全性と対話形成の健全性において、人間性と生産倫理と需要者側の適正な態度が作られる。対話の基礎は堂々と身の元を明かし責任ある主体者として行為への判断と責任を負う事が必須と成り、ここに自立した大人のごく自然な態度が現れる。いいも悪いも自己の意思を相手に伝え両者の正常な対話が作られる。身の元を明かさずに盗みを働く行為はこの基礎要件と乖離し精神的な悪性の行き着いた末に生まれる病理現象と伺える。躾や行儀、規制という範疇を超え人間自体の破綻を指し、悪性の根が深い個々の性質や業界等の領域の特殊性を背景に現れる社会秩序の破綻事象であり人間の根本的な性質への下落は火急的な対処を持って二次三次の広がりを防ぐ事が欠かせない。技術自体から生まれる効用面にも人間性が現れ、一過的即効性の効用を訴求して人間を薬漬けにするような性格の生産にあっては、人との良好性を意図するよりも罠に嵌めて身体的・精神的な破綻に導く手法を指し適当な管理監督者を設けて強制的な制限を作り、自主規制の出来ない性格へ箍を嵌めて非常識を深めない仕組みが求められる。技術力の健全な利用と離れた悪用へと流れる感性に、人間の自律心の劣りを根にした行為が生まれる。対話の基礎と同様に人間側の問題となり、精神的肉体的な脆弱性による不快事象を特定し、具体的な対処において、質の下落が留められる。強制権力を備える公共機関への期待はこのような物性従属的な感性の深まりという人間性の破綻に対する適正な対処が一義に置かれ、この健全な精神を備えた感性の持ち主が公機関に従事する優先的な要件であり、人間の長期的性質面の正常さが基準の形成と運用に影響し重要管理点と取り上げられる。力との適正な距離を図り健全に用いる事の出来る性質が最も重要な資質要件を指し、公共や準公共的な立場の必須項目と取り上げられる。生来的な性質の選択と性質の持続というフロー面への適正管理が伴って仕組みの持続性が果たされ肥満な感覚が深まる程に健全さを見失い、基準と運用の適正を欠いた事象が発生する。こうした焦点がインフラ面の下限的な健全化策を指し下落させずに質を保つ難しさの認識と共に適正な対処が図られ社会基盤の安定が果たされる。この面と積極的な創造性は密接にリンクし正の軌道に足を引っ張る悪性の相関に及び全体の構図が抑えられる。個々人や特定集団と、社会システムという各層と因果が想定され、健全性を図る施策を投じ現実的な皮膚感覚に及ぶ適正化の実感が掴みだされる。或いは動態的な有機体の形成過程から健全な性質を内蔵させる作り込みに力が注がれ事前型の施策と反映される。躾や教育、地域の慣習といった面に健全性を作る視点が備わり、物性の過度な進行へ対する基盤の厚みが生まれて両面の程良い関係性が図られて歪な感性や不快事象の減少へ連なるものと思われます。この皮膚感が文化とも言い換えられ、長期的に作りだされた根本の性質に相当し長期的に見る利益や資産と認識される。力を歪んだ手法に用い人間関係に罅を深め不快性の感情を増進させる事のない、善意型の発想や自制力の醸成において良好性が叶えられ、これを阻害する原因へと思索を進め行為の特定と二次三次の原因等へと分析を図り、体系的な理論に及ばせる事が長期の良質化策となり万人的な要望と思われます。

先導的な立場から先を見越した黄色信号を灯せる作用に価値が生まれる。包括的インフラの健全性と危機管理策等として纏められる。こうした知見が万人的教養と備わる程に物事の真価を計る下地が強まり、盤石な基盤の下に自由を許容する構造が生まれ長期に渡る再生産の仕組みへと連ねられる。以上のようなビジョンが文化研究の目標と定まり多種多彩な専門性と協業的な取り組みに於いて有用性の高まる質実へ及ばせる文化の実践工程が描き出されます。大きな影響力の増進と共に健全性が求められ、公機関に関わらず民間事業者へも同様に適用されて、社会の良質な秩序が保たれる。この原理が動である対象との適正な動を図る静的観念となり平等な人間に縛りを与える事の許される可能性の高い普遍原理と抽出される。人間の実際的な成長や変容に即した対応を持つ事に於いて調和が作りだされる。

教育概念の更新

認識論の知見や探究が弱いと教科書や文字を出発点にした認識という思考停止的な構えが強められる。そもそも外界は動であり、人間の欲望から部分を切り取り文字や文に起こして静にするという観点を持って、教育方針や取り扱いの教科書との距離を掴む事が要り、書いてある事がすべて等という発想に立つ所に無理があり、無限の中から一部を抽出して動である対象を静にするという所与的な部分が抑えられないと、妙な文字への過敏反応が生まれる。教材を用い、教える側も、教わる側も、これを根にして学習を図る事が適当であり、出題の仕方や成績の付け方も、この前提から作り出されて偏狭な感性に寄らない自主内発の創造的な人間形成に連ねられる。何を正解にして教科書に書きこむかがそもそも非常に困難という性格を知り、その上で、学校の方針が示されどんな人間性を意図する教育体制を作るかの自己紹介を見せ、選択の自由に晒され、且つ、認識論の知見を強調して、ただ覚える画一性に寄らない考え出す教育を前面に示し教材との適度な距離を図り、出題と回答へも反映した教育体系に在って健全な感性や能力向上への道が示される。これを飛ばして、三次四次の次元の事象を取って批判する事の不毛性が指摘される。根っこから考え作る習慣の弱い、文字ばかりに寄った規則性による偏る感性からの問題提起は、実社会とだいぶ開いた感覚を示し教育を狭く狭く閉じた体系に押し込み、それが人間の作り方へ連なり歪な感性を宿す人間性に及ぶ。広く大きな生産概念や根本の認識行為への思索をもって、教育機関を生産事業者の一つと抑え生産主体としての自己紹介を行い自由選択に晒される中で生産者の努力が進み社会全体から見る教育機関や内容への適正な認識へ進行する。供給者としての開かれた情報開示を進め、自己尺度の鮮明性へ生産努力が図られ、理念やビジョン、体制を明瞭に伝達し、検証の記録を添えて信憑性を図る取り組みに於いて一般的な生産者と同程度の感覚が示される。教えてやるというような意識がどこか精神性を歪め、一生産者の自然な態度に及ばない所が教育業界への違和感と及び、教育者の異質な感性をしばしば受ける。知識をただ伝達するだけなら機械に任せればよく、より深みある無限の思考パターン等の発想力が磨かれて実社会での応用力が高まり真に有用な教育と配される。教科書等は素材の一つに過ぎず一定の社会的合意と成る事実と事実そのものの性格を抑えて未来志向の発想に寄った漸進性の開拓軌道が常態して人々との良好な関係形成を図る態度を養う事に重要な意義が備わる。うすら馬鹿は妙に知識量へ偏して序列を付け管理し配分を多く取りたがる。ここに精神面の歪みが顕著であり教えるという行為の深い吟味に於いて相互協働性の良好化に連ねられる。教育者や公務員、政治家、マスコミ等にしばしば浮かべられる性質と感じます。このような根本概念の適正化を持って実際的に健康な価値観の形成と実現が意図されて健全な人間の実現軌道が深められる。物性従属の小人の感性は人間性を下落させる。長期的な利益を見失わない歩みに於いて持続的な安定と成長の軌道が確保される。少々粗雑な心象表明に及びますが、広く多くの人々の感じ方と同調するかどうか闊達な意見交換に及ぶと幸いです。

7)健全な人間形成過程

やはり、地に着いて自ら一生懸命努力を重ねた規則性から一定の地位を築かれた人間には自らを律する事の出来る一流の人間性が少なからず備えられ、どこかに過度に寄った立場というよりも、万人性の価値に近い普遍的な尺度を持って客観的な評価を作り出せる感性が備わる。棚ぼた的に地位に就いたり、能力以上の過分な評価等に在る感性は、どこかに過度な依存を持ったままで大きな配置を与えられ、客観性を欠いた力みが必然的に現れる。配置に求められる公平公正性と、過程から作られる依存関係の相関で必然性を持つ配置が生まれ、このバランスを欠くと違和感を持つ主張や評価感覚が否でも映し出される。

甘い話に安易に乗って依存的な関係性を過度に作ると、そこへの借りが出来、適正尺度から離れた軸足による表現が生まれる。成長過程の健全な歩みによって漸進的な力と責任の関係を経て意図せずとも与えられる自然形成的な配置に於いて、歪性の感性にない適正な評価感覚が表される。この面が殊のほか、各種問題の根源的な原因となり、局所的な態度の適正を計る上での根拠に当たり、人間形成過程という面から性質を窺い知ることになる。合わせて未来志向性を描くビジョンの形成面が自己の生産過程に裏打ちされて創り上げられたものであるか、製作物の作り上げる過程の健全性が強い動きを与える表現に至り、安易なパクリ癖を持つ体質にはこの面の脆弱性が鮮明化される。過去と未来との間に在る現在の発言はこうした各面から吟味され、根本的な表現者の性質を掴み表現内容を計る二重の角度を持って強い信憑性や力が与えられる。永年の規則性を経て作りだされる性質はなかなか変える事には至らず、依存症の癖が強い人間性は大きな影響力を有する配置を持つ事には及ばず、自己の性格と社会的に求められる期待との客観的な測定を欠くと、そのつけをどこかに払わされる結末に及び、過剰な欲望を抱き身の程知らずの恥ずかしい人間性と映し出される。原理創造先行型の発想における正統な論理にも思えます。理性を先んじ物性を充てる健全な道筋が守られて生まれる健全な感性を示し、物性へ従属する論理形成が強まると自己を見失い過度な欲望と成ってそのつけがどこかに回る。生滅不可分性と調和形成作法の健康な図り方が問題の焦点に上がり文化の下地の善し悪しが問われる。成熟した歴史と物性従属的な発想に寄らない原理創造性の文化から、以上のような感性の厚みが形成され違和感の少ない共生や成長軌道の持続的な発展が生まれる。頭と体と心の良好な循環が基盤の原理に当たり、頭ばかりの先行性は対象との適正調和を欠いた過剰な欲望を作り、心と頭と体の分断性は健康な発想と乖離し恥ずかしい人間を表される。人間と技術との適当なバランスと成長速度が健康な精神と肉体を備える人間形成過程を指し力への過度な依存は人間性を狂わせる。科学技術の急激な成長に追い付く人間の自制力や自律心という理性の成長が欠けると歪な欲望と手法を投じて根源的な人間の良質性を破壊する。長期性の利益と中短期の利益とを健全に秤にかけて、物事を作りだす感性に歴史や文化からの叡智が浮かび上がる。各種諸条件の相違から一様性の限界があるものの共通性の高い根本的な欲望と現れ納得性を作り上げる基準と配され、一定の統一性を持った感性が作られて持続的な安定と成長を齎す賢明な筋道と思われます。

根本的な感性

2)根本的な感性

左巻きの性質は、物理原理がかなりの程度浸透して何を作るにも物理方程式を基調にされる。上辺や表面で平等感覚を装う姿は敏感に察知され騙しきれない。美辞麗句を述べ人々を小手先で操ろうとされる手法は明瞭に感じ取られ共感を集めるには及ばない。利己的性質が強く他利を作り自利を得る回路とは離れ欺き奪う本性が現れる。こうした姿を気づかれていないと思われているか、いずれにしても人間音痴で在りまともな対人関係を作り上げられず金や利権で誘導する経済原理に偏した歪性が明瞭化される。これに健全な感受性は映し出されず根本的な性質の相違が現れなかなか良好な交わりには及ばず、長期に渡り作られた体質に思われます。長期的な利益となる皮膚感覚から生まれる快適性をどのように抱かれるかの根本的志向性が問われ、平等感覚をベースに多様な感性への相互尊重を持ち偏狭な価値に執着せずに違いへの寛容さや新鮮な発見を抱ける所に生命への躍動を映し他者の幸福へ喜びを提供する力と働き他利を研究し実感できるような具体的施策を考案して効用を作り上げ自利を得る活動に適正な感性が浮かべられる。対象への融和性を根にエネルギーを発し小手先の表現で欺き奪う生産性に対して実際的な利益を生み出す違いと及ぶ。嘘や詐欺を平気で用いその場凌ぎの態度はまともな感性を備える人には明瞭に実感される。頭脳へ偏した生産性や物理性の浸透した規則性はこうした焦点で性格が顕著に現れ、これに力を持たせると長期に及ぶ良質な生産には至らず歪な利益を独り占めする事態を招かれる。この性質の周辺で依存的な態度をもって手足と働く人間性も同様の精神的な病理が移り同質の常識が深まって健全な力を塞ぎ込む悪性を指す。適度な距離を図り根本の精神まで同化させない関係性が求められる。長期的に良好な性質の崩れは大きな損失を指し取り返しのつかない感性を棄損する。こうした点が抑えられ二次三次の表現に適正な感度を充てる事が真相や真価となり物事を適正に判断する事になる。土台を抑えて正確な事象の認識が生まれ、根が悪い所からは基幹も歪み、枝葉や実も健全性を欠く有機体が作られ本質という言葉の意味する実際的な側面が形成される。右や左という曖昧な観念から言わゆる左側のマイナス的な性質と浮かび上がります。全否定という極端な判断には及ばずプラス面も浮かびますがマイナスへの際立った不快感が前面に現れる。日本という空間に長年培われた良好な性格を破壊する事のない健全性の確保に利益を感じ、直面に在る危機に対して適当な対処を間違うと酷く想定とかけ離れた世界に覆われインフラ的な影響力と化して他の要素も支配される。社会の中軸には健康な精神を添えそこをベースにした創造に在って長期に渡るエネルギーの好循環が描き出される。以上のような面が多くの人の行き着く関心と思われます。物理性と理性の適正な相関による人間像を描き、個別場面の性格が鮮明化され判断や行為に連なり根本的な快不快感の基調に及び人間の根本的な性格が作られる。

アナログ面の脆弱化

大凡多くの人には「良心」がり、人からよく思われたい、気持ちの良い生き方をしたい。といった感性が備わり、これが活動の根になって良好性への制御と作用し、悪性への予防と連なる。理由の浮かべづらい生来的・本能的な性質を持ち、各種体験の中から個別的な心象が形成され程度の差と反映される。フラットな状態から正負の感覚が作られ負へは積極的に関与せず、正への関わりへと進行する。この自浄的、前進性の発想が根本的な体質の程度となり、悪性に同化する事への抵抗に現れるか、免疫化されて皮膚感と浸透し良心が崩れるかという流れに及ぶ。どこかでこの起点が生まれ、抵抗力よりも免疫へなって感受性の崩れに連なり一度を行うと二度目が容易化され習慣となって基本的な性質が変容する。箍が緩み下限事象を超え慢性化して逆戻りの困難な生産性に至りその感度を標準とした正当性を組み上げ肯定感を抱き自己慰めの負の進行と及び、中小の負を重ねどこかで大きな負に突き当たり改変の機会に巡り合う。

軋轢や衝突は適度に表出する事が健全な社会関係であり、過度な体裁に執着し表ざたになって悪評価を受ける事を回避する感性が深まると歪な手法を多用し大きな問題事象と突如に発生する。軋轢への免疫が弱まり感覚的な対立への過敏な反応や潔癖症が進む事から過度な画一的標準化へと作為が取られ強度な管理発想が用いられ異質性への排除策が強まりその副作用や反作用として大きな抵抗や反発を受け過敏と鈍感との適正へ修復される。この周期が物性と理性の調和反応となり生来的な良心等が根強く残って過不足の少ない自然修復に及ぶプラス性のシステムが浮かび上がる。他者からの指摘では変化に至らず、自然な周期を持って自己回復する事に於いて、自主内発の感性の蘇生へ進み、異質な常識で覆われた領域に変化の兆しが生み出される。この流れを阻害する要素を取り除く事が他者が出来るせめてもの施策と成り、間接的な因果に当たる構造的な弊害面を取り除き良心が促進される向きへ働きかけ自然調和への加速と及ぶ。

かなりの程度進んだ歪性には、直接的感情をそのまま向けるよりも、賢明な自主内発性の促進策を間接性の視点を持って投じ、健全な体質へと運ぶ事が文化政策の一つと数えられる。頭脳的な作業への深まりから感覚的衝突の免疫が落ち、過敏な神経質を齎して偏狭な標準が作られ、その尺度を強要する力が進められ、過度な管理志向に陥って見境のない手法に着手し、負を積み上げ反発へも物性で押し通す強引な荒技を用いるスパイラルは気の振れた迷走を指しどっぷり漬かって正常な感性を見失う。アナログ的な性質の弱まりはこの傾向と現れ、物性の直感的反応を強められる。隠蔽的な手法へ走り表裏の激しい乖離による人間の脆弱化は良い傾向ではなく、衝突や対立を堂々と執り行う重要性が確認される。謙虚さと寛容性と対立と自制と循環のスパイラルに常設のシステムが作られ、中小の軋轢がある事に正常さがあり正の事象となり、ここに快適を抱ける感性が適当となる。大きな失敗を招かない為の良い事象と捉える感性に健全性が生まれる。

頭脳過多や物性従属の体質から妙な優越性の意識が強まり、体の交流を避け手先の間接手法を多用し精神的なねじれを深められる。ここに争いの根が起こりうすら馬鹿的な心持が人との真摯な対峙と離れ、平等感覚を失った管理性の欲望を強められる。頭と体の適度な循環を持つ規則性にあって人との生身の感受性を良く窺い知り対象との良好な調和を見出される。これに至るまでには率直な衝突は建設的な道筋に置かれる。他の力への依存心が作られるほどに生身の交流から離れ、対象との誠実な対話を欠いた斜に構える態度が現れ不快感として対象に感じ取られる。これに及ばないフラットな感性の持続に健康な精神の実感が生まれ物依存体質の予防へと修復される。

一流像と三流像

悪い事をした場合は、まずはどけ座して額を地面に擦りつけ、「どうもすいませんでした」と気持ちを込めて相手に告げ、そして、「如何ほどでしょうか?」と被害の額を率直に尋ねるか、或いは事前に「大凡このくらい」という目安を付け持参する態度が欠かせない。これがオーソドックスな日本人の基礎的な作法を示しプライドを持つ人間性が映し出される。相手方の態度は二次的な判断基準であり、自己の尺度を一次基準として自らの行為を自ら計り相手方に言われるまでもなく自主内発の行為に及んで、他律的強制力に寄らない犬や猫とは異なる自律や自制を取れる人間と見做される。相手方の顔色ばかりを伺い怒った反応がないとみると態度に表さない受動的な精神は子供と同じであり恐怖や脅しがないと反応できない幼稚な感性を明瞭に表される。又は相手方が知らないから「騙しちゃおう」という発想も日本人の気質としては大変恥ずかしく、とても積極的な交流を持ちたいという性格と外れる。

生産者や専門家としてのプライドの取り違えを示し利用者への被害が想定される事には専門者として明瞭な説明を進んで取り、何としても関わる以上、迷惑は与えない態度に在って力の適正な用い方が示される。永年の時をかけ積み上げられた確かな技術から自己を律する心の構えが形成され自己を客観的に見定める見識を持ち万が一にも利用者等への被害を与えた場合は上述のような潔い態度が生み出される。一流としての確たる自負が失敗へ対する誠実な態度と現れ、人に言われるまでもなく自らの秤で対象への適正な反応を示す事に及ぶ。これに対して、三流の態度は何をやっても受動的な反応に終始し責任の転嫁ばかりへと意識が向かう。そのみすぼらしい態度は醜態の極みに成り二度と関わる事はない強い心象が刻まれる。これに及んではもはや慢性的なダメ人間に至り、失敗への反省などに及ぶ事はなく、似た者同士で群れを作り傷をなめ合い窮地に及べば仲間割れして責任をなすりつけ合う無惨な結末を迎えられる。日本人の良質な気質からは大きく外れた人間性と映り群れては強気になって自己の制御を失い横柄な態度で醜態を見せられる。力を持っては気が大きくなり淫らな行為へと及んで大きな失敗を招かれる。ここに至って誰も止められず自らの失敗を更生する試練を経て改心する工程が欠かせず、自律が取れず他律による強制において外界への負を予防する事が必須とされる。顔をひっぱたかないと目が覚めず犬猫扱いとしても致し方なく、強い鞭を打つことも場合によって必要に思われます。

日本人という名称は否応なしに付けられる。同じ日本人と同一視される事は迷惑であり三流の人間性を作りださない意識や仕組みが形成されて、減少させるまでには恥を承知で膿を出し健全化を図る過程からは逃げられない。直接間接に遠からず負が回る想定に立ち早期是正の手立てを講じ取り返しのつかない状態を回避する事が肝要に思われます。一流と三流という区分をある程度明瞭にさせる事が、皮膚感覚に伝わる人間像と成り一定の効果が期待できるように思います。こうした原理を持って社会を見渡し、原理と実際の適用を持って事象の性格を表し共通認識を強めて力が増進し、現実を動かすものと想定されます。通るべき道を外した恥ずかしい人間性は隠しきれずその器の範囲で暮らす事になり、実質的な人間の成長はそこで停止する。器を超えた過剰な欲望を求めても外界からの制御が図られる。単純性の物理依存が浸透した体質におけるひ弱な精神性というキャパシティーの限界が訪れる。後は歪んだ手法ばかりで誤魔化す生き方を続けられ真なる調和の道と離れた世界を求められる。ここに三流から二流や一流への成長を果たす肝が備わり真摯な自己との対峙を習慣と持つ強い精神性を宿す文化の性格が現れる。

社会科学の意義

社会の基盤的堅持という面における社会科学への期待を示します。保身の為に権力を用いて個人の生命財産を奪う事は根本的な欠陥を持つ個人の性質に起因して生まれる事象であり、民事上の責務と同時に刑事罰の対象であり社会の悪性を看過せず法治国家として当たり前の法を執行する事が期待される。社会システム上の根幹的な問題を指し法規制自体と運用を行う生身の人間性への吟味に及ばせ不適格を是正する持続的な活動において権力へ従属的な依存症への予防が図られる。長期に渡り大きな権限を保有し執行する過程で、法の精神と逸脱した私的な利益へ寄った運用に及ぶ事が権力の悪用を指し、この事態を招かない為に報道機関への特権的な事実上の権限が与えられる。そこが腐ると悪性の権力と同化し監視が無くなり手のつけられない暴走が生じる。司法がこれにどの程度関与して事前予防の施策を投じられるかに着目が及び立法と行政の検証機関としての健全性が求められる。ここまでが歪むと制度上の箍が無くなり非力な個人は暴走への対処が行えず国家的犯罪の犠牲を受ける。物性的な原理に寄らない純粋な理性による法の執行を欠いた運用に在っては、保身性の欲望による不適格な性格の運用者と特定されこれを放置すると二次三次の悪性が進行する。こうした想定が権力への不快事象と予防の観点で在り、高度なシステムが作られても実際の運用は生身の人間が執り行い、後者に重心を置いたシステムの適正が測定される。権力システムに関わらずあらゆる欲望の充足に及ぶ力の関係は、健全な精神を備える人間に軸足が取られ、ここが腐るとシステムは形骸化し空の理想が掲げられ意図した実際の状態と乖離する。運用者の人間自体への監視を強化し或いは長く権力に関わらせない制約を設けて悪性の想定と予防の施策を持って制御する賢明策が設けられる。それを容易に覆すような態度に在っては深刻な適格性の欠如であり手のつけらない力への依存症と見做されても不思議はない。私的欲望過多の責任意識の劣りは大きな力を任せるには及ばず肥満な性質への的確な判断において負の連鎖を食い止める事が欠かせない。嘘偽りのないありのままの事実を少なくとも公開でき万人的な視線に及ばせ事象の共有や切れ目ない連なりをもって未観測の少ない真相に及ばせ、長期的な性質の下落を防ぐ願望により悪性への対処を果たす事が集団的な自衛とも伺えます。国と国における自衛を果たす原理とも同様であり、制度内容と運用者の両面の健全性が確保されて実態に反映される。個人の性質と需給という構造上の適正と、広く大きなシステム上という観点から全体の健全性を計り修正点を浮かべる包括的な改善に在って制御が叶えられる。こうした焦点が社会科学の優先的な目的に配され下限的な制約を下落させず基盤の崩れを予防し積極策との因果を含めて総合し適正を創り上げる事が公共政策に思われます。運用者から距離を持ち利害の離れた立場による客観的な判断に真価が備わり、中に入って自己を見失った性格への適正なジャッチを下し水準の緩みを縛り賢明な軌道の維持へと力が注がれて社会的な有用性が認められる。学者や報道機関、或いは一人ひとりの個人において、こうした意味の理性が少なからず内包されて、過熱や歪み、堕落を矯正する仕組みが備わり健全性が守られる。客観尺度の形成と現況の観測と適用の公平公正な仕組みを持って納得性の高まる判断が生まれる。説得力の弱さは研究や活動からの低付加価値を指し求められる水準に満たない活動者になりこの領域へも自然淘汰が進んで良好な芽が表出する。理想概念の形成へ偏して現況認識が示されず人々を納得させる方法が生まれない。業績の計り方に問題が予測され社会的な有意義性の精緻な測定システムを作り余剰や遊休資源に及んでいないか定期検査が望まれる。

妙に肩書ばかりを強調し効用が弱い姿に在っては不用であり歪な精神性の強い人間性とかけ離れた生産者は悪性の元と特定される。学問の意義を見失い形骸化した領域は淘汰して良好な循環を強める事が正しい力の用い方と示される。名誉教授等という大層な肩書で実の弱い姿は醜態と映される。頭と体の分断した感受性の崩壊は負のエネルギーを発する。無用な政治家、マスコミや学者、暴走した経済人を鮮明化し悪性を拡大させない事が最低下限の社会科学者の役割に思われます。悪性の下に成っていないか。前述の教育の真価を尺度に測定した適正な判断が望まれる。