憲法は「国を縛るもの」といった性格のみで規定する事にも、どこか対立的で消極的といった感が否めず、積極的に国を作る発想も少なからず含めるのが健康な生活者の在り方であり前者のみと言い切る事には抵抗感が生まれます。主権者国民と規定され一人ひとりの意思によって行政の在り方を決める事が出来るという論理を積極的に捉える事が権力との対立といった発想に寄らない創造的主体性を表し、こちらの側面を含ませず行政との対立構造を強調するかの判断には違和感が生まれ倫理や道徳という価値の要素も自然に載せられる方が健康に感じられます。あまりにも強く個性を限定する事もなく昔ながらの良質な性格は堅持するような姿勢に在って健全な歴史からの学びを備える人格者となり、機械論的に権力を縛る装置という対立構造を強調する捉え方には違和感が生まれる。してはならない事の限定性は比較的明瞭に特定され、そして、こうありたいといった主体性の根本的な性質は在る程度載せる方が自然であり、そこの規定がない方がどこかへそ曲がりの利己主義者にも思え、「価値を押しつけるな」と強調される態度には歪な感性が映し出される。人間の普遍性という要素と空間の独自性が幾らか出る所に感覚的かつ感受性を経て作りだされる観念が生まれ健全な規則性を持った人間の活動観が浮かび、無色透明のような表し方には血の匂いがせず空の人格と表され無味乾燥な自由を求める根なし草と伺える。物性の感度が進んで同一空間に暮らす共生感情が現れないと健全な人格を欠いた合理主義者と浮かび間違った方向に走る懸念の方が生まれる。