1)人間形成の基本方針

力の用い方から生まれる効用という焦点が動機の良否を決定する中心焦点でありそこに実質的な感受性の質量が浮かび上がる。方針という志向性に過去の規則性の抽象から浮かぶ基本的な性質と未来を描いたビジョンが含まれこの基本的な尺度を下に外界の対象を選定(一時評価)し方針へ向けた方策を考案し実施する主体に中長期性の価値の備わった活動が見られる。

価値1 事実1 価値2 事実2
方針:過去の規則性

未来のビジョン

技術と市場

事象の選定

(一次評価)

方針の限定

事象の

二次評価

詳細吟味

方針へ向けた方法の考案と実施と検証

この活動の正しさを総合的に計る事が外界の評価のみならず主体を含んだ主客重層の認識構造による調和形成に成り、以下の四つの観点を持ち完結的な人間形成の持続的な活動が生まれる。1)価値1に見られる上流の正しさについての評価(方針の正しさ、技術の用い方の正しさ)2)事象の選定における正しさ3)事象の二次評価の正しさ4)方法についての正しさ。

「冒頭に示した力の用い方に見る正しさ」とはこの4点の考察から計りだされ、特に方針という根源原理が下流を規定する関係からもここに評価の重心が生まれる。外界ばかりを評価する体質からは重層の認識構造を持たずに見える物事のみを持って評価する感度が高まり自己の方針という概念が備わらずに場当たり的な感覚を表される。

つまり主体側の自己認識を持たずに、或いは外界への有益の提供への意識が弱く現況を調査して方法を投じるまでのエネルギーが注がれない。場当たりの気ままな評価を示され方法を創らず、実際の効用や付加価値を生まない空想的な理想主義の性格で認識される。これが科学的な外界へ偏して主体側を切り離し、認識や評価に留まる規則性に慣れた体質による負の側面と表される。

現況の人間について物理性と情緒的な感性を含んだ実際の姿に目を背き醜さの自覚の弱い美への志向性と現れ、実質的な美を作りだすエネルギーの弱さになり単純な空想的な理想を表す偽善者の性格が露わになり、頭と感覚と感受性の繋がりの弱い不健全な体質と浮かび上がる。左よりの感性に顕著な性質と把握され、要望過多の責任不足という態度が映される。物性へ依存している自覚の弱さと外界への空疎な美を求め、実際的な他利を作らずに自利ばかりの要求を強める異質性と現れる。

自己に降りかかる負利益への過敏反応や空疎な理想主義的な態度は適当な感覚工程の省略した頭脳寄りの体質に現れ感受性の体験が弱い対人形成の劣った感性を創り物的力への過剰な依存という実態へ目を逸らし外界への要望を強められる。この性格が根源的な文化基盤を持たないその場凌ぎの悪性となり犯罪に容易に着手され内面と外面の酷い乖離を見せられる。精神分裂的な症状と映り欲望と力と責任の均衡を標準の方針に備えた主客の調和概念を強調して適正な活動が促進される。

文化観念の形成と実施の主要な狙いは健全な感性を強化して過剰な要望や犯罪への制御を備える主体性の形成という所から健康な動機を備えた積極的な創造に及ぶ人間作りに在り一方向的な要望の異質性を予防し適正調和感覚を生む事の出来る感性の蘇生にあります。頭に偏した感覚と感受性の劣った人間形成が基本的な筋道を外した論理と行為を作られる。このような点を含んで教育の在り方や社会秩序を進めて良好な社会づくりに連なる。

6)考える道徳

こうした世界観を実際の社会事象に当て嵌めて、持続的に向上させる活動が展開されて、良好な有機体の姿が創り出される。今日的には、「考える道徳」等という言葉が生まれ、根本的な観点から問題を再構築する機運が高まりつつあるものと感じます。

何が不快か、「価値の押しつけ」という面を取り上げるのが多くの人の反応に思われます。この場合の、価値とは?おしつけとは?という事の詳細な吟味が加えられて、絞り込んだ事象の限定を持たせぬ事には、抽象性が高く、なんとでも解釈される。

例えば、行政の業務運営上の裁量に、不可解な点が度々生じ、法律の解釈を巡って衝突が生まれる。多くの場合、法律の趣旨や背景、権限と責任が規定される。「いつどこで、誰が、何を、どのように、誰に対して、」が論理の筋道に置かれ、「何を、どのように」について、詳細化され、運用規程が設けられる。

この細分化の程度に対して、どの程度事前に明文化するか、共通的感度に及ぶであろう感覚の実感点が要件と示され、業務執行時にサービス需要者へ適用される。この適正を当事者間で感じられれば問題は生まれず、違和感、不公平感、疑問点が現れて、広く問題という認識が生まれると、運用の見直しや法規の改定に及ぶ。こうした例を持って、「押し付け」という概念を充てられる事も含むように思われます。

一方向的な都合の良い規定や解釈が生まれると、何の為の規定であるのかに疑問符が生まれ、需要者サイドの利益と離れた規定や供給者の為の規定といった実感に及び、市場のように自由選択の原理と異なった所での、一方向的な強要性を持つ事象に不快感が生まれる。選択の余地が法によって限定され、自由意思の幅は狭まり、そこに不明瞭な運用が見られると、平等思想を欠いた事象となり、民主主義の根本を歪められ法治自体への不信性が高まり、行政自体への存在意義を問い正し、法で規定された内容の縮小や撤廃への要望が増進される。

自由選択の原理が需給関係の基本であり、そこに限定性を設ける事への理由がはっきりしないものへは、改定や更新が取られて、偏った供給者の過保護な規制は取り払う事が適性に成る。こうした不平等性から精神的な荒廃が生まれ、社会的に影響力を持つ程にその異質性が連鎖し歪んだ秩序が蔓延する。

こうした観点からの改革によって個別性と共通性の割合や有り方が変えられる。根本的な価値観に沿った変革を時々の人々の意識から執り行い、不快は改善へ、快適は増進へと、自然な反応を違和感なく示し、良好な創造空間が作られる。「価値の押しつけ」を改善して、公明正大な価値の形成にあって健康なエネルギーの循環が促進される。考える道徳とはこのような活動を含むものと思われます。徹底して行政運営や行政に準じた機関に対して考えを進めて道徳が実践される。良い事だと思います。

基準と運用の基本形
各種規定:上位規定と当該規定

既定の趣旨、背景、適用範囲、権限、責任、

手順書 いつどこで、誰が、何を、どのように、誰に対して

手順の分化:分業工程(要素と要素間関係)

指示書:個別工程内作業 (要素内)

記録:各種実施記録、保管、公開範囲、

監査:検証、改良点、改定更新、

運用プロセス:作成・協議・承認

中長期性の世界観

しばしば、行政という性格は規制を強める事が仕事のように陥られているかに感じます。需要者と供給者の適正な在り方を探す事は、一定程度のニーズに思われますが、自己目的化に及ばない適正感覚が劣るとエゴが先立ち生かすや伸ばす発想が縮小される。縛る向きの施策で点数を上げる事は比較的単純でリスク予防のニーズへの対応に成り得るものの、市場を大きくする事を基調にした適正な規制が求められる。

この構えに無いと、単純な方程式で点取り合戦という利己的欲望を追求される。責任追及への回避という基準で評価する制度に在るとこの向きが強まりイレギュラーへの過敏反応を起こす。マスコミがそれを騒いで視聴率を高める反応に及んで、消費者が更に敏感な感度を創るスパイラルに成り、窮屈な感度で自由度の狭まる秩序が生まれる。短期性の自己利益に偏重した生産が強まると、この環境を生みパイや気流の衰退を招かれる。似非専門家が現れ、過剰な煽りに加担して需要者の真の利益や中長期の想定を描かずに局所の利益を求めては委縮や画一的な感度が進み豊かさを減退させる。

この空回りの生産という図式が想定されて適性を導出する発想が生まれ評価基準の高度な仕組みを持った中長期の想定を含む世界観が必要に思います。原則の単純適用の回路が促進され個別ケースの多用な変数を省略して、簡単な答えを算出して結果を得たという感覚が進む弊害が想定されて最良の解を導く探究の深まりに及ぶ。悪気なく、良いと思って進めた判断がマイナスの事態を作りだす。どんな中長期性の世界観に立脚するかによってこれらの評価が生み出される。

創造の原理

創造の原理-言行一致

対象の性質によって認識方法や創造方法の適正な在り方が生まれる。文化という対象における基本的作法を冒頭に取り上げます。局所と中局と大局という観点を備え事象を認識する事が人間の学びから生まれる知恵の形成方法と成り、個別事象とその集積から傾向則が捉えられ、それへの評価を与える理想像が形成されて、人間の感受性を根にした事象を創り上げる姿と映ります。同じ事柄でも分母に備わるフレームが異なると評価の相違が現れどんな所に向かおうとされるかの世界観が個別事象に性格を与えるという動静構造を抱く所に活きた人間の心理作用が映し出されます。こうした基本構造の下にプラスとマイナスという部分の特定や心象が生まれ、これらの総合で一つの集約的な判断に連なりその総括された認識が次後の行為に反映される。歴史観という動態と理想像という静態的論理と、理想への方法論という大きな論理構造と、重層的な観念と感覚の実感という縦横で全体構造を掴みだすのが人間のありのままの認識や行為と感じられます。頭脳的な整理と表される体系と、感覚を経ながら微調整を繰り返し知覚的に掴みだされる頭脳的作業の性格で捉えられ、頭脳による記号表現の特性から単純集約された表し方が生まれる。つまり観念と感覚という重層の構造が現れ瞬間的な皮膚感から対象範囲の広がりを実感されそれに適する観念の選定で、局所性の事柄と中局や大局という観念が生まれ対象の認識が創り出される。そこに変数が加減されて意図する理想への方法が作られて現況の問題に対する改善等へと力が注がれる。ポイントになるのは問題を感じ取る感受性と感受性の集積された二次的感受性を示す理想像が方法に反映され言論や表現が生み出される。

方法:「いつどこで、何を、どのように、誰に対して、行うか」

問題認識と理想像:「なぜ」、反応:「良い悪い」

理想像は自己の利益と他者の利益を想定して反映される感受性を示しこの割合や因果の導出に異同が生まれ問題を感じられる嗅覚に反映され方法の強弱と現れる。感覚性の利益を求める志向と大きな利益を提供する志向に大別される。人や自然への情感が根に成り因果の実感の違いを生み自己利益と他者利益の割合差や他利を提供して自利を得る利益を作る規則性が全体的概念を表す理想図に現れる。理想像という自他の欲望に対して欲望自体への適正と欲望を叶える方法の適正という観点が生まれ、短期から中長期のフレームを置いて各周期性に照らし在り方の適性を導出する思索が与えられ、真価の向上という軌道と循環の系が浮かびます。この一連の動きから妥当性という評価を表す相互的な態度が生まれ尽きる事のない学びの気質が作られる。

       横の循環

縦の抽象性

歴史観という動態 理想像という

静態的論理

理想への方法論
観念

感覚

横と縦の交わりに感受性が生まれ正負の感覚が現れる。自他という構造の中で感覚と観念と感受性を抱き創造活動が示される。

そして信用という感受性が積み重なって感覚と観念が制御される。信用を喪失すると有機的な連なりに及ばず分断的短期性の利益を求められる。中長期性の基盤に対して不信が積ると個別の判断を優先される。信用は言行の一致を基本に生み出される。

文化の科学性

文化の科学性

価値ある物事に資源が投じられる。身近な生活必需品という事から、社会秩序や平等思想等の普遍的価値まで、これらは経済概念を尺度に適用され、物品の経済性のみならず、人々が望むあらゆる事という括りで価値を測定し、その生産や持続という文脈で分化した概念を纏めて捉えるのが、根源性に向かう思索の方法と描かれる。これが、哲学という領域の性格に成り、感覚的な実感に長い周期性を充てて、因果の広がりを想定して、生まれる観念化になり、短期性の事象に変数を加え、予知される事柄を見据えた長めの規則性を描いて、そこに価値を見出し、安定性を図る営みと現れる。個別事象の集積と抽象化による原理の構成から、個別事象を生みだす流れへと強まり、人間の意志や理性を整え感覚を創りだす動態性に及ぶ。人と人との良好な感受性に比重を持った感覚の出現と言い換えられる。

この面による価値に重きを置き、その劣化へ対する損失は、定性的且つ定量性の経済概念による測定に置き換えられ、人々の行為をありのまま映し出す事に成り、一度信用を欠く事による計りしれない損失を生み直接性の感覚に到達する。この因果の実感を多くの人が認められ、倫理道徳という観点に大きな付加価値を設けて先々を含んだ予測による収支の測定が算出される。文化基盤の良質性は、こうした意味による高付加価値と意味づけられ、下限的制約を自主内発的に制御される自律的な人々の良質性という事から、積極的な創造面における健全な動機の在り方や、生命観を重んじた各種行為への反映という事など、人々の基本的性質の良質性を指し示す。このような測定尺度からの実測を取り、文化基盤の客観的な状態や変異を持続的に追いかけるという活動が求められる。

上位の指標と中間や下位の要件規定と整合性の高い体系を作りだし、それを尺度にした文化の科学的な創造へと及んで、明瞭な根拠に基づく真価の認識が強まり、高付加価値の活動に連なるものと思います。この体系的、包括性を備えるシステムの確立と運用が、文化論からの必然的な発想の帰結に及び、これまでに見られない創造の革新的な上昇へと発展を見せる事が到達目標と浮かび上がります。文化体系と効用の明瞭性を生み、次元の高まる安定と繁栄の仕組みが創り出される。

そのモデルやノウハウが固まると、他へ転用可能な資産に成り富の乗数的な発生に連なる。こうしたビジョンと実現化への資源を投資する事への理解を授かる為の工程が浮かび、全体としての進むべき道筋と描き出されます。経済概念を文化活動の展開へも適用される可能性は大いに有りこうした先見性や根源価値の良識の向上に、『日本文化原論Ⅱ』が働くものと意図して作られました。この可能性を追求する事が正統な人間の営みであり、輝かしい人間界を創りだす真正面からの向上策と描かれます。雲を掴むような感覚から次第に確かな実感を積み上げて人類の叡智を創り上るという光が降り注ぎます。

この粗筋としては、肥満から生まれる哀れな感覚が、責任意識の弱い自由を求める姿と現れ、平等意識の欠落から各種不快な事象を発生し、それへの取り締まりが正常に作用して、感性の蘇生に及ぶ循環に至り、この自然な反応が滞りなく回る事に健全性の担保される仕組みが確認される。下限のインフラが正常に作用して歪んだ体質や精神が修復される。ここに敏感な反応を起こせない事では、インフラの価値を喪失し、社会システムの体を成さず、この下落に最も意識が注がれるべき所に成る。そして自由な積極策の適当な有り方への急所が描き出され、更に積極と下限との因果へと視野が及んで完結的な安定と繁栄の体系が示される。これら3次元で抑える文化体系と示されます。これらの主要な機能を担う領域と本意が社会システムと描かれて大きな範囲を制御するビジョンの共有と実施の恒常化を提起するものと成ります。

いつまで、腑抜けを野放しにしとくのか、美感の劣った感性からは一向に修繕されず、経験を問うような事ではなく、感受性の変容が変化への動力であり、この面を優先されずには、上辺の置きものばかりで内実が変わらない。片っぱしからしょっ引いたらいい。

文化の入り口

文化の入り口

普遍的価値への探究が偏った論理に及ばない心身の健康を持続させる作用に及び、感受性を適度にコントロールする長期的に見た感受性という性格を持ち、特定集団や地域社会の健全性を叶える事に思われます。個々人の皮膚感覚の厚みを作り、過度な縛りを受けない健康状態を作る上で、現代の不安定な社会状況の潜在的顕在なニーズと浮かびます。

近代合理性の所有の原理は、個々人が懸命にエネルギーを投じて得た資産を自由に所有や利用や転売を行えるように、個の自由を担保する仕組みと及び、不合理な制約を受けずに、快適の増進に連なり、実感の曖昧性に一点の線を引き、緊張と緩和の良質化に作用する。表現の自由も、個々人の自由な創造性を広げ、一種の財産的な価値を持ち他者からの侵害を予防し個の確立を促進する。健康な生命の躍動という事へ価値を置き、歪な感性による強欲性からの支配を開放し、健康な個々人の活躍の機会に快適感を抱く前進的な発想を基調とする創造策の性格に在る。これに少なからず責任感覚が備わり、欲望と力と責任の均衡という図式にあって健康な社会関係を意図する共生感情が生まれ基礎的な人間の性質を備えた自由を掴む感性と示される。

ここからみてあまりにも一方的な要求や行為、自己中心的な態度の実感に平等性の感覚を崩した姿が映りこの非合理性や非社会性を作らない事への尺度が万人的な共通価値となる普遍性となり変わる事のない健全性の感覚と備えられる。

財を得る生産の規則性から、この健全性への感覚が創り上げられ、過度な寡占市場や需給構造の特異性から、常人と異なる健全性を外される因果に及び、これへの予防が広く見た社会の安定を齎し、力と責任感覚の異質性を予防する施策と取り入れられる。

市場に任せられる部分と、全体的な観点からの制御を課す面とが現れて、統制を果たすのが実際的な方法と用いられ、この判断に至るまでに情報の透明性が公平公正な意思を作る上での基盤と作用する。影響力と共に要望が高まる因果と働き、広く公開を求められて健全な感性を持続する循環と映し出される。

このような根源的な原理への共通的な感覚が備わって、安定と共に繁栄への持続的な仕組みが現れ一定の許容性の範囲が制御される。近代的な感覚と共に保守的な理性を含んで健全性という普遍性への骨格が生まれ、一定の不動的な人間像の表し方が描かれる。誰もに通じるであろう文化論の導入として以上のような論理で纏められます。

本流軌道の創造

本流軌道の創造

仕事で生じたストレスは趣味や他の事で発散できるような性格にはなく、直接の原因に対峙して納得感を抱く事に成る。二次三次の間接性で解消する事はなく、直接の原因を特定し相応しい反応を創り上げてその部分を超える事に成る。様々な不快事象が現れた事に対して当事者に直接ぶつける以外にはなく、関係の弱い所に八つ当たりかの誤魔化しの手法を投じるのは困った性格の人間であり、原因を特定しそこに全エネルギーを投じて相応しい納得感を抱くものとなる。

悪性の体質から形成された事象は、その個別悪性への不快に、自身の手を持って直接の対処を取るのが本筋であり、余計な道具を用いる所に負の拡散が生まれる。これが肥満症や臆病者の特性と成り迷惑が広がる下となる。二次三次的行為で補完できる性格の事と直接の対処が避けられない事とを間違える事無く、正面に対峙できない気の弱さが根本の弱さであり、人間形成過程の特異なパターンから道具を多用するひ弱さとなり、この性格がシステムの要路に備わると悪性が連鎖してひ弱な文化が作られる。

根本からの改革を意図するならば、直ちにこの手の性格を適当な配置に移す事が欠かせず、自主的に自己の性質を鑑みて自ら動かれる事が適当となる。負の自覚が弱く正の性質の妨げになっている事に気づかないか、気づきながらも居座って要るようでは他者が手を加える以外にない。この停滞が不満を積み上げ深い亀裂を強めて、テロのような異常な性格の事象と及び、関係性の弱い所に火花が散り二次三次の悪性を作られる。社会的な要路に始末の悪い性格が居座る事からの被害は計りしれず、この認識を万人的に揃えて一斉に負の根源に対処する反応が必須とされる。

これへの適正反応を作れない社会の主導者は責任放棄や元々の性格が弱く人格形成過程における理念や信念の空疎な体質を持ち二次三次の逃げた反応を作りだす。目標点を定めたらそれに通じる段階工程を持つ軌道は変えてはならず、必ず目標点に達する意識の強固さが物事の実現力を指し、意識が散漫でこの筋道が脆弱で在っては本丸に到達せず誤魔化しを正当化される。根源を探り原因を特定し直接性への対処を持って二次三次の改良が生まれ根を変える事なしには問題は解消されない。

こうした発想によるのが文化の焦点であって性質の変化へと力が投じられる。ゴミの感性は視野に含まずまともに相手にする事はなく根源を狙い変える事が適当な施策と浮かぶ。基軸の太い考えに立つのが重要な感性であり目指す所が大きく離れると本気の交わりには及ばない。ビジョンの形成から問題の特定が揃って、細かな面へ向かわず力が集中する。強固なビジョンの形成と同一認識が揃うと枝葉は関知せず太い軌道の工程を全速で走る事に成る。根源性のビジョンが強化されて過敏反応が減少し本来の良質性に拘る感性が創り上げられる。

多様性等と謳われるものの、根源的な思索が進むとそう価値の開きは生まれず太い価値に比重を持った世界が作られる。本流を意図する創造が文化の特性に思います。身の内を明かさずに悪性を働く事が最も始末の悪い性格であり人の生命までを安易に犠牲にする方法は重罪と特定し少なくとも堂々とした振る舞いに在って健全性が維持される。

今日の物性への過度な依存は根元をやせ細らせ良質なアナログ面の劣化を生み安易な物依存で心理面を破壊される。文章や事柄の細部を取って批判するような重箱つつきに終始し、本筋の軌道を抑えようとしない所に、不動的ビジョン形成の弱さが現れ、利己的な対立感情を露わにされる。普遍的な根源性へと関心を注ぎ、安易な物性の力に振り回されない価値の重心を抑えた序列の再構成に、エネルギーを投じられるべき時期と感じます。