他でもやってるから自分も良いのだ。という正当性の論理を取られる所に、自己不在の拝金主義や創造力の低下、人格の破綻という性質が現れる。特に犯罪行為という性格の事柄を、他でもやってるからという理由で自己肯定をする節に見受けられるモラルハザードには、間違っても大きな力を与えられず、少なくとも下限の制御感覚を有する事に、人間との対話や交流が叶い、関係形成の必須要件と浮かび上がる。
この手の性格が少なくないのが実情のようであり、社会システム上の要路に配される人々に根源的な欠陥感覚が在るようでは、まともな秩序が作られるはずもなく、この面を直す事なしにはどんな創造行為にも正当性は与えられない。主体性や独立性という人間の根幹的性格の不在は深刻な人格破綻でありこの認識を強めるのが文化論という価値観から表現される。この焦点からの改革がマイナスをプラスに戻す正常化策と位置づけられ、個々人の付き合いから、教育の在り方や、市場の形成、制度への反映、システムの構築といった各所の健全性を図る観点と取り上げられ、現況の客観認識と改良への施策を進める事が優先度の高い根本の良質化に及ぶ。
感受性の衰退→生産の規則性、自己尺度の弱さ、技術向上への熱を投じない、盗みに走る、軋轢への免疫低下、精神的なひ弱さ、横並び発想、村社会、根っこからの原理形成を高め、相対比較という容易な判断を減少される事。
マスコミ、行政に顕著な性格であり、需給構造の過保護という指摘に至っても致し方ないように思われます。一部の人間の性質である事と思いたいものでありますが、実態を調査して組織的な感覚に及ぶかの客観評価を第三者の立場から審査し、適当な人員配置や構造的な原因の改善という一連のプロジェクトを進行させて、広く社会へと報じる事が主要な健全化策と浮かび上がる。
この持続的な監視と測定の作用が果たす役割が、基盤の下落を防ぐ装置と備わり主体性が確保され、感受性の正常さを強要させる事も、程度に寄っては要るのでしょう。
配置に求められる能力やシステム自体の適正な大きさへの変更という事から要件規定を導出し、実施状況の継続的な検証の仕組みを設けて、水準の維持と上昇へと連ねる事が文化向上策となり、対処という応急策をとると共に、長期スパンのシステム化が要るように思います。
レベルとしては、犯罪への着手の程度→原理創造力→主体性の確立度、という観点から現況が計られ人格と能力の形成プログラムを確立させる事。レベルに相応しい配置、異動。
こうした施策が良質な調和の形成や、平和を創り上げる具体的な取り組みに成り抽象原理の具現的変換による実現への軌道と現れる。