本書では、文化観念体系や詳述について取り上げます。それに先んじて文化の中枢部分の形成を以下に試みます。この面が良質な有機性サイクルを作る上での勘所に思います。体系の根幹という凝縮した性質を中枢に添えて、一つの有機体としての魂が注がれる。正負の人間像の認識から畏敬の念が生まれ自他との共存性へと意識が向かう所に他の動物と顕著に異なる理性をもつ人間の姿の実感が生まれます。
この共存性という在り方への適正感覚に調和や平和という均衡感覚の付け方が生まれ、そこに見る快適性が感受性の具体的な現れと成り、この点への異同感覚の共通性が高まる事に根源的感性の同一性が生まれ良好な関係への起点となる。年齢や性別、職業や所得、社会的地位という何がしかの意図的な観点をつける以前の所与的な状態でみる均衡感を維持できる感性が文化感覚と言い換えられ、この部分が少なからず堅持されて素の均衡性をもつ主体と知覚される。
つまり、諸条件という何がしかの意図を抱く以前の状態で見る感性が内蔵され、その状態での対象との同一感覚を持ち、自己と他者への同一的な公平感による振る舞いを取れる事がフラットな感性となり、この性質をどんな諸条件の変容が生まれても一定程度備えられる事に文化という根幹の性格が示される。経済性の概念を抱く以前の同質性概念という実態的感受性に、調和の初期状態が生まれ、そこで適用される規範が基礎的な不快行為を与えないという自他への制約になり、これを保てる所に理性や感受性の性質が現れる。
これが自制力という面になり、何者かから強制される事のない自身による均衡性への欲望となり、身を律する反応が成長過程からの躾などに起因し、どんな状態に至っても変わらない感覚として内蔵され、文化の程度という質の相違が実感される。
この良質性や程度差が、関係形成の初期的な面に配され、あまりにも違うという感覚に及ぶと本能的な拒否反応が生まれ、関係の深化には及ばない。つまり、自制力、自律心が核に成り、自発性や能動性の程度に現れ、独自性や主体性という姿に及び、独立的主体性という感覚が生まれる。
この人間の所与的側面に見る性能が、良質な調和を創る上での根源に成り、幼少期の時点から基礎反応として入力されて、社会人となってからも皮膚感覚に備えられる体質面での知覚に及ぶ。これを育てる事が自主内発性の義務や責任と課せられ、そこに快適感を抱く感性に、文化の内蔵される主体性の実感が現れる。言わば下限の制約となり根源理性を違和感なく自主的に求め、対象との交わりを行える為の準備工程と位置づけられる。少々固めの表現に成りますが、文化観念の中枢として相応しい捉え方に思います。
この直接的反応を示す事の繰り返しで、当たり前という感覚が作られ、間接的には各種の行儀作法を重んじられる型式が作られ、この文化感覚を鍛える場として取り上げられる。こうした面の強化策を少なからず導入し、基礎モラルの低下を予防する持続的な活動の必要性を感じられる人々も少なくないように思われます。知育に先んじてこの育成が共に備わり調和や平和の基盤が形成される。強要するより自然に望む感性が代々好き感受性として繋がれ、文化の良質性として認識される事かもしれません。開放的な欲望が生まれる一方で、引き締め的な欲望への志向性を持つ所に健康な感受性が作られ、耐久性を持つ持続的循環への骨格が形成され、適当な緊張と緩和の取り方や、主客への客観的な認識を生み、それに応じた反応が育ち、調和の上昇軌道が創り上げられる。
欲望と力と責任の均衡感覚の高まりに及んで、マクロ上のシステムへの適正化にも及ぶものと思います。現実的には、個々人に寄る取り組みというよりも全体での志向性になって達成される実感に思われます。