良質な根と基軸動態

1)良質な根と基軸動態
大志を抱く事は後ろ向きな発想や微細なズレに陥らない上でも大切な事に成り、基軸動態の健康な道筋に在る事がエネルギーの良質な生産を持続させそこに同質的な人格が集合する。目先の物的感覚に偏した物理力による求心性への回路に偏重した基軸動態は人間の根源的なアナログの感受性と離れ、機械性を対人上の悪用に陥り健康な心身と外れた利己的な願望の異質性にと深まり、心理的にどこかマイナス性の体験が尾を引き、人からのプラス感情を作る向きに回りづらい。このような力と技術、その用い方という面に人間の性質が現れ、良質な感受性を持つ人々の間でプラス型の相互交流が増進し、心理的な好作用という向きに力を用いる秩序が高まりを見せる。この率直な心の向きと技術の向上とそれを感じ取れる同質的な感受性という所に根源的な求心性が宿り基軸の太い長期性の共生と自立の関係が創り上げられる。
大きな志とはこの健康な感受性を根にした軌道を常態する活動を備えたアナログ的な情緒を根にする技術の向上という性格を指し利己的願望の偏重や力の悪用へと及ばない確立された倫理道徳を土台にした生産活動と言えるのでしょう。ここに在る人々が、社会の中心的なエネルギー源となり、良質性の連鎖を生む牽引者と知覚され、後ろ向きな発想を縮小させる基軸動態を構成する。自ずと普遍性や真理という万人的な共通価値への志向が生まれ、それを追求する活動には純粋な支持や共感が形成され、目先の利害を超えた大きな利益に対する本能となり細かな打算よりも自然な感受性に快適をもつ反応が形成される。
原理探求型の秩序形成とは以上のような所与的美性に準ずる創造志向を抱く規則性が現れる空間原理と実感され、物事の付録的な面よりも柱の良質性に着目した骨太の発想に比重をおく力強い肯定感による歩みになり、これらの根元にはアナログの人間像を基礎にする各種技術の上昇という循環系の有機体と捉えられる。
そこには、盗みや詐欺、力の悪用といった発想は皆無であり、この性質を含む主体性は中心的な配置に備わる事はなく良質性の阻害因子という認識で捉えられる。社会の基軸には健康な心身を有する主体性が中枢に配される事が中長期の安定と繁栄への必須条件でありこの面が最も優先される事柄に思います。ごく当たり前のシンプルな要所を外さない事が不動の感受性を表し、細かな一過性の事柄に振り回されない正眼を定期的に確認し活動を持続する所に大きな幸福感情が得られるものと思います。
人からの信頼を棄損させる行為は大きな代償を生み物理性で強引に強要させるような手法にはますます人を遠ざけ孤立性の感情が深まりそれを補完する為に物理性を追いかける負のスパイラルに陥られる。良質な根と基軸動態という利に叶った信用を外さない歩みに真なる平和が形成される。

方法に見る適正

 

人間には、自尊心が少なからず備わり、人に言われて従う事を嫌う性質を持つ。この根源的な面を踏まえ、意図する結果を達する事に、実務者としての能力が計られ、目的は同一でも物事の運び方に差が生まれ、それが結果に反映される。

なるべく、小手先の発想は用いるべきではなく、しかし、こうした側面への配慮を加え、実効性の在る方法をとる事に、実現への拘りが垣間見られ、感受性の差が達成への実現の差に現れ、多彩で精緻な認識力を生み、方法へと連なる。人間の心理面を良く良く捉えて、自尊心という面への配慮をとり、意図する結果を導出するように物事を動かす所に、実態的能力が計られる。

ここに現場感覚や人との体験から学ばれる実際的な差が生まれ、観念図面へ偏して生身の対話が弱く、適当な方法を描ききれずに、対立性を作り、実効力の上がらない手法に及ぶ事がしばしば生まれる。目立ちたいという欲望や大衆受けを意図した動機という推察が浮かぶか、上述のような物事の運びの至らなさという評価に至り実務能力の弱さを感じ取られる。

型どおりの論理や正論という抽象原理と、その適用に見る繊細な物事の運びとで実現能力が算定され後者の相違が多々見受けられ、心理面の体験的な積み重なりの脆弱な所からプライドばかりを先行した粗雑な表現による停滞を齎せる。

原論ばかりで、或いは頭脳ばかりで、単純な論理をそのまま実際場面で適用する姿に、感覚面や心理面への配慮の弱い姿が現れ、表層の権威や型式への拘りが、対象の真摯な対峙から実行力ある方法への思索が深まらずに、単純図式の対立性を創り上げられる。

抽象原理とその適用という所に多彩性が生まれ、方法とその真価を見極める嗅覚に、真相を正しく掴みあげる力が生まれ、頭脳と感覚の程よく回る規則性からこの面が発達する。なるべく、率直な反応を見せる事が正攻法な歩みであるものの、動機の健全性を根にしたパフォーマンスという事も現実社会の変革には許容される。

空のプライドへ偏して、自己の欲望を先行させ、結果が付いてこないといった事象が度々生まれる。他利を達する執着心が実効力への優先を生み、方法の有効性を作り実態的に物事を動かす。実務者能力は、ここを重視して算定され、観念上の評論にこの面への視野が及ばない事には真相を誤って伝える事に成り、実態は感覚や感受性という生身の察知力におかれ、それが観念表現の違いを見せる事からも感覚的な生産性の過程が強調されて対象の良質な認識や方法に到達する。

所与的な作法を飛び越えて利己的欲望に偏し、とんでもない不正を平気でやらかす感性に根深い異質性を感じ、成長過程や教育、躾への誤りや、物理依存の拝金性へと偏り、求められる責任と実際の能力との開きが生まれるような傾向に対して、正常なミクロマクロの人間像が描き出されて、適正な改善への進行が加速するかに思います。