3)自然律

虫けらの依存症という体質は自己のエネルギーを投じずに、人が投じたエネルギーを容易に盗みだし自己の糧にする。根本的な性質の悪さを指し、生命観の劣化した性質が鮮明化する。男も女もなく、人間の基礎的性質を指し、この程度があまりに離れると感性の基礎的な違いを抱き、「下等な奴だ」という認識が固まり、道具と扱う。対等な根本的な感性が合わないと、まともな感受性は生まれない。

「リスクをとってリターンを得る」という根本律における違いは、基礎の違いとなり、その上に作られる感性や創造力には歪みが強まり、長く続かない。基本的な性質の違いとなり、関りは深まらない。長年の規則性で培われた性格と及び、昨日今日で変わる事のない体質という自然律を作られる。愚図気質は根本的な不快を生み、同じ時を過ごすのも苦痛が起こる。根の歪んだ性質は、文化の違いと伝わり、短期的且つ浅い関りが想定される。

盗みや詐欺の気質も、これらと同様であり、基礎の性質における違いを指し、文化の異質さを感じ、下等な奴で道具と扱う。これが、いわば変わりづらい自然律となる。盗み気質は一過性の相関で留まる。根本的な気質が合わない。虫けらマスコミなどという業界に入れば、その感性が常識と浸透し、分母的な世界とはだいぶ異質の文化を内蔵されるように推察される。

「リスクをとってリターンを得る」ごく当たり前の常識と外れた虫けらには、まともな感性は残念ながら起こらない。「自然律」を指し、これに正直であって、健康が続く。生まれ育った環境や、そこから伸びる選択肢の違いへ至り、妙な業界に入り、そこでの常識が体に浸み込んで、他業界とはだいぶ異質の発想や欲望、手法を投じられる。

盗みをやったら終わりであるのが一般世界だ。然るべき更生の過程を経て、まともな感性へ回復すると、まともな感性が返される。外界の反応は自己の鏡となり返される。自然律への認識が基礎になる。楽をして過剰な欲望を抱き、道を外れたものは、それへの後悔を抱き、まともな感性を望むか、そのままやり過ごして愚図体質で満足されるかの岐路に立つ。ぐずぐずな集団の常識に嵌ると、基礎感性が治らず、環境を変えるか、愚図を直す力を投じて、領域の悪性を直すというエネルギーをもって、変わらぬ自己の良性を不動した外界への影響を生みだす。

愚図に慣れる事のリスクに、後から気づく。逆戻りのできない自然律と組み込まれることへの認識の違いが出現する。妙な欲望を抱き、過剰な報酬などを経て、自己の適正な評価感覚が起こらず、歪な常識世界に嵌り、広く分母的な感性を喪失し、その業界に縋り生きるしか道は残されない。多くの人々は、自己の性格の基礎を作る岐路となる場面に立ち会う。そこでの選択の誤りに及ばぬ、真っ当な道筋に歩を進められるかどうかに、その後の常識や体質や未来を作られる。皮膚感覚からの異同が起こり自然律の異同となる。同じような感性の人々と集まる事になる。

同じマスコミという括りにおいても、真っ当な職務を遂行される人々も少なくないように思われます。同じ括りでも、どんな業界においても、ピンキリの質や良性と悪性が起こる。同じ業界で、虫けらを放置すると、業界自体の信用を損ね、自らのリスクとなる。虫けらとの関りは、自然となくなり、良性が上回ると業界が存続する。

 

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