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日本文化原論形成の背景―哲学・文化概念の構成
物理的な力をもって、自己の欲求を押し通すような態度が進むことについて、健全な内外との相関を作り、適当な要望と対応を進めて心理的快適性を遂げようという欲求が起こされる。一方向の欲望と充足という構図から、相互的欲求を見出し、それを遂げる有効な個性への認識を作り、欲求への充足に貢献する分の分配をもって、心理的円満さが生まれ、一過的な協働性によらない再生産の持続へ渡る。こうした「心理面の良性を求める欲望」というニーズが生じる。
物理過多の感覚が進む現況認識に対して、そもそもの根源的な原理や価値を問い、適当な様式を見出し、方法と投じられて、理想と現況と方法の構図が描かれる。理想となる価値観に対して、現況の過不足が測定され、理想へ向けた方法を進めて、理想を実感するような創造性のフレームが浮かび上がる。即ち、哲学や文化という長期性の価値観が描き出され、現況の物理過多の性質への嫌悪感が起こり、理想概念へ向けた健全な主体性の形成という文脈になって、哲学や文化の創造力への性格が付けられる。このような全体構図においてみると、哲学や文化論という生産性が、方法的な意味合いを備え、ただ理想を訴求することにとどまらず、現況の認識の仕方への評価を浮き彫りにして、基準と誤差の測定と鮮明化へ及ばせ、基準への方法を編み出す創造力の流れを作り上げる。
「長期性の利益がなんであるのか」を問い、心理面と物理性への適当な相関を浮かび上がらせ、一過的な欲求にとどまらず、長きにわたる持続的再生産の方式を遂げて、根本的な生存と共存との調和を見出すという欲求と充足の構図が生まれる。これらを限定的尺度に置き換えると、「欲望と力と責任の均衡」に見る健全性の基準が描かれ、これ自体が健康な心身を表す欲望の起こり方と遂げ方を指し、心身の健康な主体性を実感するか、過不足を掴んで、適正化する力へと回る。
主体性のあるべき姿を問い、長期性の利益概念と備わり、この同一性をもって基礎基盤の共有に及んで、同一性の欲求が揃い、現況の過不足を測定し、同一的な評価感覚が現れ、基準と誤差との客観認識へと至り、適正化の方法への感度が揃えられる。文化尺度の形成と適用という生産性と纏められる。
このような総論的な概念図に対して、各個性との利害関係が起こり、直接的な利害の対立に対して、長期性の尺度が争いを解決する正当性を生む根拠となって、ごく限定性の利害ということから、利害関係者が多く生まれるようなことに対して、根本性の尺度から答えを見出し、適当な欲求と充足の流れが進む。
根源価値への探究という生産領域とともに、各自の個性という立場が出現し、直接的な利害の発生と調和を見出す構図が生まれる。物理的な従属性という感覚の進行について、根源的価値への問いと認識が浮かびあげられて、物理的な力による強欲性について、適当な尺度をもって適度化し、持続的な再生産の方法が作られる。日頃の生産性への力の投入と共に、万人的価値への問いと答えを探す普遍的な価値への探究が備えられて、健全な長期性の利益を遂げる構図が生まれる。
「長期的利益概念」という事については、絵空事のような綺麗ごとという心象が起こるとともに、実際的な利害の対立と調和形成の過程の中では、実質的な解決への作用と及んで、質実のある原理への問いという認識が作られる。できる限り、気持ちの良き心象を得たいというのが、人間の変わらぬ欲求と根強く残り、単純物理の作用へついて、適当な心理面が発生して、心から納得へ行くような物事の進行を求める人間の変わりづらい良心が確認される。
こんなような点がいくらか揃う所にあって、基礎の共有と二次三次の創造力への制約要素へ反映される。根本欲求があまりに異なると、一過性の利害での協働に留まり持続的な共生や共栄の軌道を作るには至らない。実害が及べば、それへの対応を粛々とこなせるインフラ基盤の所在が重要な作用に相当し、あまりに狂った物理性への下限的な仕組みが強固に備えられて、基礎の安定の上に自由の躍動が進む。文化政策の具体的な構造化への関心と作為が注がれて、基礎の安定と個性の寛容が生まれる。
文化や哲学などというと、あまり日常の感覚との接点がイメージされずにピンと来ないような推察が生まれる。どんな意味合いがあるのか、鮮明に浮かび上がらせて、領域の意義や価値を絞りながら、空疎な理想にとどまらない実際性へ及んで、質実のある価値を実感することへ至る。「歌舞伎や相撲」などという狭義の文化概念にとどまらず、生活の柱になるような長期的万人性の利益概念を構成して、文化や哲学領域への身近さを経て、部分的な領域に終始することなく、意義ある人間生活の中心的な観点へ及ぶ。
こんなようなコンセプトから「文化や哲学」という概念が構成され、実のある生産基準の形成と実践へ連なるように、論理や体系、基準が描き出される。物質文明との適当な関りや創造にあって、人間の根本性を破綻させずに、力の良好な活用をもって、人間側の感覚や感性の良性の維持とより良き道具の形成と相関を果たすことにあって、健康な感性が持続する。こんなような欲求が少なくないように思われます。
日本文化原論の形成と過程から、文化や哲学への体系的な概念が作られます。このような問題認識と解決の方途として、有用性が起こりますと幸いです。
保護中: 大局的根源性
哲学と専門性
文学とは「○○である」などと、領域の意義や役割への認識が形成され、その上で、当該領域での作法が生まれる。個々の現象を重ねながら次第に特定領域感が形成され、領域の中枢性が特定されて、その性格に及ぶような二次三次の作法が生まれる。即ち領域側の哲学が形成され、哲学を土台にした論理が引き出される。
人間とは「○○である」世界は「××であるべきだ」なる感性が培われ、それを遂げる方法論が編み出される。前提部分があやふやで、いまだ考えの定式が不十分であると、目的のわからないまま、場当たり性の利益を追求する動きが強まる。
単純な物理的合理性をもって、経済性を遂げる意識へと反応し、人間像の適正と離れた方法論を強められる。哲学や感性への問いをもって、その見解の定式の上に、方法の良し悪しが算定される。感性は、個別性が広がる。単純物理の合理性には見解が狭まる。感性への良し悪しの判断が先んじて、その同一性のもとに、方法への妥当性が揃えられる。
このような感性と論理への問いと答えが、根本的な原理と浮かべられて、各種領域の哲学が作られ、哲学を構成する論理体系が描かれる。哲学や感性への自覚や認識がどのようなものか、これが先んじて方法論の良し悪しが測定される。
各科目という領域が作り出されることについて、領域の中枢性がなんであるのか、この見解を表し方法の適正へ連なる。科学的な個別現象の積み重ねと、感覚や心理的な正負の体験をもって、両面を包含したより良き理論を見出し、哲学や感性と論理の安定した見解へ至る。
テクニカルな技術論へ偏して、哲学や感性や世界観の形成という面がやせ細ると、何のための技術であるのか、迷いが広がり、或いは、本末転倒の技術論などへと陥る。科学と技術と哲学の相関を浮かべて、感性と論理の相関が生まれる。
「感性が合わない」や「あまりにも異なる」という場合には、いくら技術の向上を見せても、用い方の適正に及ばず、技術の用い方に共通性が起こらない。意図する世界や人間性が基礎になり、各種領域の特徴と用い方の適正へ及ぶ。
無思考で、暗記型の学問に偏ると、この感性や世界観への答えを追求する向きへと思慮が及ばず、型通りの様式を無批判的に受け入れ、根の弱い技術を投じられる。物理的即効性の創造力へと偏り、歪な世界を招かれる。哲学なき専門性は、暴走への懸念が強まる。技術なき哲学にも悪性の傾向が出現する。
政治面は、哲学的性格を備え、行政は科学・技術的な専門性と映り、両面の適当な相関をもって、完全性の高い主体性像が示され、両者の良き協働性を遂げることにあって、健全な創造力が生まれる。
科学技術の見解から「何をやるとどうなる」という仮説が起こされ、「どうなる」という面に、哲学的尺度からの良否を充てることへと及んで、力の正しい活用という構図が見いだされる。「どうなる」や「どうする」という答えを示し、科学や技術への方向性を与える。
「人間観、自然観、人間と自然と道具の関係、生命観」といった根源性を表すことが、政治の主要な任務になり、これを遂げる有効な方法が多様な専門性から提起される。人間観や自然観、生命感の具体的な展開として「民間的活動と政治的活動、個人志向と集団志向、自利と利他、自存と共存、自然と人間」などの二極対立の構造から、両面の良き動的循環を作り、持続的な調和の形が見いだされる。
哲学や文化への問いと答えが定まり、各種技術が投じられる。或いは、何ができるという科学や技術の見解との勘案から適当な哲学や世界観が見いだされる。「理想と現況と方法、立案と実施と検証」のサイクルを持続的に回し、政治の主要な役割と行政の基本的な性格への認識が形成され、適当な相乗性を見出す構図が引き出される。