「嫌な事を人にやって貰っている」ことから視線が遠のき、自己がやらないのは当たり前である等という特権的な意識が強まるほどに、歪な美性を宿して、根源的な性格の狂いを生じさせる。一般に誰もがやりたがらない「ゴミ掃除やかたずけ、」という事柄から、生きるのに必要な動植物の生命を奪う作業が入り、誰かが、直接的に手を下して、精製加工し食卓へ食べ物が体よく届けられ、生命を奪う工程を感じずに、何か人工性の高い栄養物を自己の身に吸収しているような質感で慢性化される。
「そんなことは私がやる必要ない」という意識の深まりや、特別的な美の感性を抱くようになるほどに、醜態の様相が生まれる。こうした因果性に、根本的な美醜を生み出す現象が映し出されて、どこか基礎の狂いを生み出される淵源と刻み込まれて、人間の歪な美感へ及ばぬ適当な正負の両面への認識が備わり、適当な美を宿すものとなる。他の動物と同様の性格を備える変わらない様相への認識を基盤にもって、あまりにかけ離れた人間の特別視へ及ばぬ基礎意識にあって、正常な美感が作り出される。
無意識的な殺人という現象が進むことのない健全な感覚を培い、生滅不可分と最良の生という規則性が内蔵されて、地に着いた基準の形成と評価と運用を果たす。空疎性の美感を求める教育へ外れるほどに、無意識的な人間の悪性を作り、病気の自覚のない病気という状態から極端な感覚が深まり、道具の適当な制御性を喪失して破滅的な軌道を招く事への危惧が強まる。経済、政治、教育などという活動や概念の中に、根源的な人間像を基礎に、地面からの一体性を宿して、正負の両面を見据えた適当な加工へ及んで適性を生む。
汚い部分から目を逸らし、歪な綺麗を求める感性に、負の根源性が映し出される。自己の歪な肯定性を強め、否定的な部分への感性が起こらない一面的美の意識が負の無造作な出現を招く因果と映し出される。人間の歪な評価感覚に及ばぬ根源的な重しとなる原理が求められる。「セクハラ」だのという過敏的潔癖症の流れが強まり、妙な人権概念が強まる事には、向かうべき方向を狂わせる点が確認されて夢遊病的な美性に外れない健全な美を宿される。極端な美感が、極端な破滅を導く。下限的な制約への無意識的な崩れという自覚症状の弱い病気に、その兆しが映し出される。