文化基盤の質の維持と向上

事実の認識の質量と、意図する結果とそれを導く算式によって、判断が生まれる。例えば、「700円以内のうまいラーメンが食べたい」と意図した場合、この条件に当てはまるラーメン屋がどこにあるかの事実認識が問われ、既知の事実の中から選択するか、新たに調べてより良い事実を探して選択するかの算式が起こる。つまり、「意図する結果、事実認識、既知の事実から選択、新設的に事実を増やしてより良く選択する。」といった一連の作業が起こる。この当事者の判断について、良いや悪いなどの評価を下すには、

1)意図する結果への吟味

2)事実認識の程度と最良性の方法への吟味

という点から考察が加えられる。

1)は良いとして、2)について、当事者よりも事実認識の質量が多いと最良性への可能性が高まり、当事者が取った方法よりも優れた方法を作り上げる可能性が広がり、当事者を評価したり、支援するという能力が生まれる。

今日の原論空間に見られる、極端な怒りのような評価を下される評論や表現者の態度について、しばしば、びっくりする事も少なくない。

当事者に対して、意図する結果への賛同や反対という判断なのか、方法的な視点からの異同なのか、後者の場合、当事者よりも多くの事実の質量があるのか、最良性を齎せる優れた算式があるのかという面から、評論や提案に値する表現であるかどうか吟味される。

事実を公開しろという要求か、どんな事実に基づいて、どのような算式からの判断であるか、意図する結果への再考を求める態度なのか、質の向上を求める共に、応じた負担への用意があるのか、これらすべに渡る提案を示すのか、

少し、冷静に評論できるかどうかの認識へ及ばせて、どんな点への批判なのか、プラスの価値へ及ぶ表現であるのかを振り返り、健全な生産者の態度を作る事が求められる。

文化論という型枠の提起は意図する結果への再考という性格の提案を指す。各種生産性には、完結的な生産概念の同一性をもって足並みが揃い、全体に渡る生産性と、部分的な面の生産性という限定をもって、自己の性格を表し、外界へ訴求を図る態度に健康な内外調和を見出す初動が生まれる。このような点に文化論の生産性の意図があり、根本的な概念の提起と効用が生まれると思います。適正な住み分け感覚が揃わないと、良好な対話の交わりに及ばず、何ら規律の弱い欲求過多の要望が示され、相互的にプラスを見出す軌道へ及ばない。下地の原理や型枠が整わないのに、いくら表現を起こしても噛み合わない。文化基盤の劣化へ及ばす事無く一定の質を保ち、健康な相互の生産性を図り、多くの利益を見出す事へ及ぶ。滅茶苦茶な態度は、自己の幸福感のみならず他者の幸福感も高める事へは及ばない。原則の同一性の下に、自由が許容される。

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