感性と技術の適正と社会の形成

知識と感受性と体の一体性に健全な人間性が備わる。知識が豊富で、それを伝達し有用な作用を持つと評価されるには、身近な所属組織の評判も比例して良いものであって、個人と集団の整合が図られる。所属集団からしばしば問題が発生し、それへの関与へ及ばない優れた個人という相関には、違和感が強く、身近な事柄に対峙して良質性へと働きかけ一定の成果を遂げて生きた知識と感受性と体の関係が確認される。身近に起こる問題に向かわず、個人の優れた評価を得られる事はなく、健全な感受性が備われば、身の回りの改善へ身を投じる反応が起こり、生きた知見を作り上げる体質が見られる。

こうした工程が希薄で、外の評論ばかりを磨き、評価を受けるなどという事には至らず、健康な感受性を欠いた個々人的専門職化という職位があるならば、片手落ちの個人と集団の関係にあり、個人は良いのだけど集団は悪いなどという理屈は成り立たず個人に問題がある。活きた知識でもなんでもなく、二次情報を詰め込んで体も感受性も作用しない可笑しな人間性と見るのが適正であり、個人の性質に問題の所在が確認される。このような、個々人が少なくなく、頭だけで体と心が連動せず、歪な性質を形成される。

評論家や記者等の専門職のような立場で、集団としてのマネジメントに問題があれば、まずは組織の良質化へと力を注がれて、有用な集団と及んで外界への評論なども担える立場が生まれる。カラの評論化や専門職という姿に、心身の一貫性を外した病理性が見られ、この構造には、適正な評価は与えられない。

身近な組織の良質化も出来ずに、外界の事象へ何某かの評価等を起こす態度が可笑しく、躾の次元で狂いがあり、根本的な性格の欠陥とも見做されかねない。この不整合から歪んだ精神性による自己評価感覚を作り、妙な認識を宿し犯罪へのモラルも形成されない頭と体と心の分断症状が映し出される。

派遣社員や専門職化という集団と個人の在り方に、歪んだ精神性が映し出され、健全な個々人の成長と集団との一体性に及ぶ形態を作る事に適正が生まれる。技術的知見に優れ、人間性に欠けると、技術と社会の結合には及ばず、誤った技術の用い方へ流れる懸念が深まり、その技術は有用性よりマイナス影響を作り上げる。人間的健全性が基盤にあって適当な感受性が備わり、良質な技術が育つという相関に適正な軌道が起こり、中長期の利益を遂げる構造が生まれる。

妙な個人化や専門職化という一過性の利益を求める形態には、根本性の歪みが反映された制度や方式を指し、歪な個人と集団が作られ、社会の悪性を深める。一過性の利益を志向する発想が強められ、身近な問題に対峙せず遠くの利害へ関与して糧を得る精神性に、どこか欠陥を抱くのが適当に思われる。紛い者の評論家や専門職と見做され、頭と体と心の分断からは良質な表現など生まれない。報道機関や妙なタレント等へのクレームが発生する根源性の原因とも推察されます。真面な社会関係を作る事の出来ない盗み症や詐欺士と映り、人間性の可笑しな状態で、高い技術力などが生まれる事へは至らない。人間を知らずに技術が生きる事はあり得ず、人間に役立つ発想をもって生きた技術が作り出される。瑕疵を持つ人間像に逸れていないか、健全な人間像への修正を図り、具体化する力に及んで、適正化する。

集団として、考えが纏まらずバラバラの個人などを放置して集団を存立させるような事態は、外界へ利益を作れるような諸条件が整わず、欠陥が治らないと、外界との適正な対話は生まれない。堂々と組織の性格を表し、組織員との一貫性にあって、外界への利益を作り上げる構造が整う。健康な感受性に基づく有機体において、真っ当な個人と集団を持つ社会が生まれ、外界への適正な約束を表し全うする要件が揃う。

社会形成の根源的な原理とも映り、ここから見て乖離する状態へ構造的、性質的な悪性原因が捉えられ、個別各所の事象が生まれる因果と及ぶ。歪な利己性は、際立ってその態度が知覚され、社会性の適正を欠いた技術職は真面に評価されない。派遣などの雇用形態に対しては、根本的な欠陥が進み、専門職化という面について、根源的に思慮を及ばせ、悪性の制度を見直す態度に、健康な感受性からのエネルギーが見られる。経営倫理という面への問いと及び、力に相応しい責任に至って正常な経営体の姿が生まれる。

これを許さないような競争環境を招く事は問題と認識されて、政治や行政のあるべき発想の方向が描かれて、持続可能な生存と共存の軌道が強まる。グローバル化などを考える上での根本性の焦点と思います。適当な制約をもって、健全な自由社会を作る基本の姿を固め、大局の構造に反映して根と幹と枝葉の適正な構造へ連なる。物理性との健全な関わりにおいて長く続くフォームが生まれる。感性と技術の適正な相関を基礎に持ち、反映した構造の制御と成長へと及ぶ。各人の志向性を分ける以前の共通的な根本性の基盤と及んで、厚みある良質性の上に自由度の広がる構造へ至る。

専門性のみを都合よく基盤と切り分けて、主体性像を作る所に瑕疵が見られ、適正化への改善を進める事に正しいエネルギーが見られる。頭と体と心の有機性という人間の変わらぬ型式から自ずと導きかれる原理と現れる。変えるべきでない所が確認されて、行き過ぎた面を矯正する態度に、根の正常な発想と行為が現れる。

善意の力

信用の抱けない社会秩序が進行する程に、「検証作用」に意識が強まり実質的な利益を作る力を弱める。監視や検証作業は事後的な性格にあり対象への不信から根拠や信憑性の元を疑い証拠を探し信用に繋げる行為が取られる。更に検証によって正負の教訓を引き出し後の行為の有用な材料へ反映する作用も含む。証拠探しの面が強まると非生産性の力に及び、実質的利益を強める行為と乖離する。この面が現代的な生産の特徴にも浮かび上がり、人を信用せず疑いの強い感覚が備わって外界の生産へ対して受動的な態度を進め事後的検証と批評へと意識が投じられる。性悪説が強まる事の不利益とも言い換えられ、プラス感情を下げる作用と働き好循環の強まりを妨げる。根本的な基盤面の弱まりを指し外界への過敏な欲求を強める態度と及び、自己生産性への重心を弱めた他者への批判感覚への割合が強められる。過剰な期待か、適当な期待か、作り上げる物事の品質と、それを受ける為の負担との相互性で適正な価格が算出され、過不足のない均衡が基準と設けられる。科学技術力や財力や権力という各種力への依存感覚が強まるほどに、自己から湧き出すエネルギーが弱体化し、外界からの力を求める体質が進行し、外界への期待感覚を強める相関と見られる。そして、精緻な要求を追求し疑い感覚を強め検証作業への比重が深まり、事後的作業へと意識が集められる。これをどのように捉えるべきか。長期的性質面からは、利益よりも不利益となり、過度な欲求を強め、安心を強く求めて精緻な感度が強まり信用を得る為へのエネルギーが進む。重要な点への要求を抑え枝葉の事には感知しないという余裕が進められると枝葉末節な点への指摘も弱まり適当な供給者の善意ある自主性の生産努力が向上し、期待よりも良いものを作る向きへと回るか。専門性を自利の為に向けられると、外界への積極的利益を提供する力には及ばず、不信感が強まり監視や検証に意識が強められる。生産倫理の適正が問われ、品質と負担と価格について誠実な態度を持ち相互の合意に及ばせ、小さな利益の積み重ねから自由度の広がる寛容性が広がり、過度な要求を見せずに適当な長期性へと運ぶ道筋と浮かぶ。精緻性への欲求が増進する事への適度感が制御され、根本面の基軸への意識が強まり枝葉への着目が弱まる。外界を対立性の対象と見るか、恩恵を得る対象と感じるか、両面を適度に伺い、反復的な相互性から要求の適度さが生まれると共に、なれ合いのマイナス面が現れ、粗雑性への制御に及んで、緊張と緩和の周期が生まれる。欲望と力と責任の均衡に健全な主体性の基準が設けられて根本性の原則と固められる。これの個別解釈の中で質実が実感されて、快不快の認識と適正な是正に回り調和性が高まる。根本的な面での欠陥的な事象への感度が弱まり、基礎的躾が下落して疑いの意識が進行して恩恵よりも脅威性の認識が増し細かく求める態度へ及び、検証作業への割合が増加して善意性のエネルギーが弱まる周期性に対して適度感を探して利益を増進する発想を持ちあい、結果的に利益の増へ及ぶ。言わないとやらない。怒らないと従わない。犬猫のような受動体質が強まるほどに自律性を欠いた体質が強まり善意性の熱が弱まる。物理依存の生活スタイルからの弊害が各所に現れる。こうした面の弱まりへの問題意識と改善への流れを作り、基盤面の強化を果たす取り組みが文化面の良質性を指し、長期性の利益を作る。力に相応しい倫理を求める発想において基盤の瓦解が予防される。受動的に制御するか、自主内発に作るか、根っこの性質へ着目が集まる。社会の適正なリーダー像が形成され模範的な秩序へ作用し自然形成的な力と進んで、善意を善意で返す循環が促進して基盤が良質化する。根源面からの自己尺度の形成と運用の実態が掴みだされて、真相真価の測定が向上する。専門性や希少性と力の相互性や、物理的力の保有と利用の適正という点に着目が集まる。自己生産性をなるべく明瞭に表す態度が初動的な躾の範囲となり内発的に自らの性格をオープンに表し外界への案内とともに自己への制約と及び、内外の調和性が向上する。寡占構造からこの面が弱まり物理性へ依存する程に善意の力が萎む。影響力が強まるほどに善意の態度が求められる。幼少期からの人間形成から積み重なり作られる性質という長期観点を持った制御性と及ぶ。

NHKのような愚図を放置すると、健全性が進まない。