1)知るとは、作るとは

実際の変化を生むには対象をよく窺い知る事から始まる。悪性と思う所に自らの身を投じて内側を掴んで適正な変化の施策を生み出す事へ及ぶ。分断的な対立性の構図を作っても、中身からの変化へは至らず利己的感性を優先させた利益を求める事にあっては何ら変わらず、中に入り本質的な問題の原因を掴み抜本的改良の施策が生まれる。よそ者のままでは実態を認識する事へ至らず自主内発的な良質化への軌道は生まれない。悪性を毛嫌いして遠ざかるばかりでは本気の改良は見出されず、まずは同化する事が必須となる。傍から見る心象とは異なりそれなりに正当な根拠による生産にある事が少なくなくその実態を掴み、根源の理念をもって適正化の動きをとる態度に質実のある変化が作り出される。このような工程を抱くのが多くの真っ当な生産体験を有する人々の実際的な感覚を表し対立性の感情ばかりを優先して中身を掴まず批判を高める態度には何ら建設的な改善の道筋は起こらず分断的対立のまま利益を生まない。不快に思う事象の中に入り真相を掴んで確かな原因を確信して改善の方法へ事を運ぶ過程が求められる。ここに本気で良質性を作る感性の程度が浮かび、悪性を悪性のまま確かな認識を持たずに対立する生産性には実質的な理念への疑念が起こり空の偽善者や利己主義者とも見做される。二次情報ばかりで認識に至る確信性の実感の弱い規則性から対象と同化して事実を掴む工程を避け、曖昧な根拠で対立感情を起こす態度は根の痩せ細りと貧弱な生産で留まり大きな利益を生み出す体質とは異なる。評論家や学者等に多い性格を指し中身を知らずに傍から眺めて一過性の批評で糧を得る感性の崩れた性質と掴み出される。対象を知るとは対象になる事を指し、対象自体の立場において対象を知る事に近づけられる。「物自体は知り得ない」という感性が根にあって、それを起点にした態度へ及んで知るという態度が実践され対象になる事へと歩が進む。根本哲学の取り方によって、「知るや作る」という言葉の解釈に差が生じ生産性や人間性に反映される。頭と体の分断傾向は「知るや作る」という言葉の中身を下落させる。そして確たる尺度のないままに気ままな批評を展開し一過性の利益を盗む態度に悪性の根が見られる。科学的な外界化の感度が進み中身を知る事を省略して外界だけ見て知った気になりお粗末な感性を露にする。サービス経済化や分業構造の進展による哲学や文化の弱まりは根本の感性を喪失し機能的即効性を強めて虫けら的な生産感覚を内蔵する。一から作り起こす工程をもって確信性を掴み信念の強さに至って表現や態度が現れる。一部の破綻的な性質がやけに際立ち不快表現を多発する事に対して構造的性質的な面から変化を作る施策が各所に生まれる。評論や観測者のモラルが向上して良質な生産倫理が高まり健全性が進行する。共存性の感性が根になり対象への生命観を抱き生命への尊さから相手方へ限りなく近づき感受性から知る事に及んで表面の態度への真相が掴みだされる。対立感情のままや自利への過度な重心にあっては外界を知り作るには至らない。口から入り腹から出る事なしには真なる調和は響かない。犬を知るには、犬小屋に入って犬と同じものを食べてワンと鳴いて犬の気持ちに近づける。

 

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