教育・文化は、純粋性の原理を形成し、訴求する分野の性格を持ち、自然の原理や社会の適当なあり方を表現する場であると考えます。理想概念を純粋に作り上げるという立場の性格を持ち、そこに意義が見出される。長期的な観点からあるべき理想を謳い、中期や短期的に見る人間の歪みを正す作用をもって、当該領域の真価が謳われる。実際的な社会においては、各種の利己性が剝き出しになり、短期的な利害の側面がしばしば顕在化される。経済や政治という領域で見る生産性はこの性格を持ち物理的な原理が強められる。これの行き過ぎに教育文化面からの表現が適正化への作用をもって、各領域の違いが衝突して、軋轢を持ちながら程よい調和や制御と働く想定で描き出される。各分野の優先的な発想は少々異なって違いに意義が起こり、領域的な違いとなって、経済や政治や教育・文化という異なる名称が付与され識別される。このような領域と領域の相互性で描かれる社会システム概念が形成されて持続的生存と共存の適正な軌道が作られ、方法的な概念として配される。最上の理念に、「持続的生存と共存」が浮かび上がり、現況の利己的性質の深まる傾向に対して、教育文化の長期的利益の立場が適当さを齎し、過度な衝突的な利害を緩和させる相互性が見られる。この違いと衝突が現れて意味があり各領域の健全な対立と起こって、調整作用に及び適当な人間性が作り上げられる。あまりにも理想へ偏した概念であっても適正を欠き、あまりにも物性が進んでも適正を欠き、両面の程よい調和を見出して、長く続く社会の持続性へと連なる。こうした認識が揃うと軋轢や対立に健全な態度の認識が現れ、過度に衝突に過敏反応を起こして、体裁を整える為の歪んだ手法をとる事へも及ばず、自然な動的状態と把握される。妙に同一性を求めて違いへの不快反応へ及び、混沌性を平準化させる発想へと向かう免疫力の低下は、真なる利益を創造する感性と外れ、自己領域の価値観へ偏した態度へ及ぶ。視野が偏狭化して違いへの寛容性が狭まり過度な操作性へ流れる事へも利益を作る軌道と外れる。どこか、波風を立てずに無難に済ませようという感覚が強まって健康な衝突への免疫が下がり、直接的な対立を避ける態度が進む事には健全な創造性は高まらず、各種領域における特徴を抑えながら、違いへの尊重と摩擦と発見の構えが置かれて適正化する。規格量産化やサラリーマン化や分業化の弊害とも映り、根本性の概念が痩せ細って、枝葉の対立に妙に過敏なヒステリーを起こし、利己性を求める現代的な事象への認識が生まれる。このような背景からも大局的長期性の概念図が起こされて根元の感性の同一性への厚みが形成されて社会システム概念という全体像が有効な方法と描き出されて各領域への違いの寛容性や尊重性や相乗効果への認識が生み出される。線の細くなった人間性に基軸の論理が強化されて枝葉の衝突を良い作用と進行させる事に適正が生まれる。直接性の対立を避け痩せた免疫の低下が歪んだ間接手法を多用し陰湿な人間性に及ぶ事のない堂々とした根の太さが生まれて過剰にビクビクした反応が沈静化する。空の面子へ拘り真価を遂げるエネルギーが弱まる事には良質な創造性を下落させる。こうした論理がいくらか起こっても自然な範囲に感じます。必要以上の裏工作や根回しを図る態度には健康な性質を歪め、堂々と表で裏表のない感性を表し健全化する。このような志向性や感性が内蔵されて社会システムの中に文化システムが入り理想と現況と方法の活動性に深みある認識が作られ妙に隠蔽的な発想や閉鎖的態度や内向きの手法や事なかれ主義に陥る事なく適正が作られ長期的良質性へ及ぶと考えます。