文化・文明への道

1)文化・文明への道

「公平公正」という理念を具体化するには、「透明」という事が欠かせず、社会的に大きな影響に及ぶほどにガラス張りの基準と適用の実態を示して信憑性が生まれる。インターネット環境でプラットフォーム的な情報基盤を運営される業者へ対して透明性を求める事が社会的欲求の一つと上がる。閉鎖的特定技術性の高い情報交流環境から、意見への支持の集計によるランキングが掲載され、その順位に視聴者は一定の信用を寄せて人々の関心や共感を測定する事になる。順位が高い事柄程、更に関心が寄せられる吸引作用が生まれる事に対して、閉鎖的な環境による業者の利己的操作性への疑念が生じる。特定的局所性の利害をもって操作が進められる事は容易に推測され、影響力が強まるほどに利用者や参加者から公平公正な基準と適用を求めてエネルギー循環の健全な原理の適用に及ぶ。「なぜ、こんな奴が高順位にあるのか?」という率直な疑いが生まれる事が少なくなく、どこかプラットフォームの提供者による操作性への匂いが起こり透明性を高める規制の強化が必要な対処案とされる。人間の健全性を根にして生まれる二次三次的な側面を浮かび上がらせ、健全な業界の成長や人間性の歪みを制御する観点が強まりエネルギーの適正な循環と増進が図られる。業界が自ら良好な業界の成長を意図して自己規制を強化し、公平公正な基準の形成と適用に及ばせる事が自主内発の姿として適当になる。持続可能な成長という先々の未来ビジョンを表し健全な環境を自らの創造で促進させる発想に長期性の利益を作る道筋が生まれる。特異な欲求の強欲性が小さな利益に執着し歪な成長を齎せる。全体のパイの広がりや成長を停滞させる面への適当な制御をもって、大局観を備えた運用へ及んでプラス性の拡大軌道が強まる。「公明正大、正々堂々」と「健全性」と「透明性」という観念が根源性の価値になり人間の良質なエネルギーを弱めず強める原理と作用する。少なくとも基準を形成して明示できる表現者にあって適正な創造性が強められる。この適用と検証までも範囲に含めて信頼性が高まる。技術の導入期や成長期に、健全な理念と基準と適用の基礎を固める事がどれだけ成長するかへの大きな要因となる。基礎基盤の劣る創造性は長く続かず歪な悪性へズレ大きな利益を阻害する。根の病んだ性質が、要路に就くと小さな利益に執着して大きな利益を阻害する。こうした根源性の原理への認識が強化されて良好な文化や文明への道筋が描かれる。視聴率や世論調査、インターネットのランキング、等々、数値で価値を表す際には、明瞭な根拠の公開が欠かせない義務と見做される。これが弱いままでは一部の歪んだ利害を作る発想が高まり、バカなのに富を得る構造が生まれる。

 

1-1知識とは 1-2生産性と根源性のビジョン

1-1知識とは

日常的な生活の中で物知り自慢のような態度がしばしば起こり、言葉ばかりが表出して実態的な利益や効用が現れない面に現代社会の病理が起こる。知識が豊富で物事に詳しいという判断に及ぶ場合と出鱈目な詐欺という性質の嘘や誤魔化しによる生産性という場合へ対して、実態的な効用への測定をもって知的サービス化の適正を問う観点が起こされる。

そもそも知識とは、一次的に体験して生まれる情報と書物等から伝聞的に吸収する情報と言った相違が現れ、後者からの知識をそのまま引用し、知ったような態度を見せて人々への関心を集め富を得る現象がしばしば生まれる。頭脳で読み込んで体の検証が乏しく媒介的に情報を横流しする二次情報の伝達という知識の性格が抑えられ、一次的知識とは異なった性格にある事が確認される。或いは、対象から窺い知る感性や観点の持ち方によって、無限的な性格にある対象から限定的に物事を起こし現象化してそれを伝達するという根源的な側面への吟味を経て、知識という事への適正な扱いや構えが形成される。更に、究極的には対象は動に本質があり動を人間の都合などから静にして動いている状態を把握する作業にある。社会的に共通の合意に及んだ知識や見解を尊重し、それに基づいた知識の形成や表現の在り方への適正な作法を重んじる態度であるか、純粋な創造性に寄る態度や支配的願望過多による執着など多様なケースが発生する。新規的な改良や更新という動的活動性は止まらず、更新されないまま古い知識に固執するような事も管理的欲求の過剰性などから生まれる。しばしば、物事を断定的に、「○○である」という言い方で表現される人々が発生する。上述のような知識観に基づくと相当偏った性格の表現者と解され、利己的欲求過多の性質とも見做されかねない。私なりには、「こう思う。こう見える。こう考える。」等という言い方に謙虚さと誠実な表現者の性格が起こり健全な平等思想を体内に宿す感性が伺える。どこか奢った性質が深まって表現の粗雑性が現れ根源的な視点を欠いてお粗末な態度へ陥る事への不快感が発生する。動的フローの規則性が弱まり過去のストックへ過剰に執着して新設的な生産性の弱まりに嵌ることなどに健全な精神を欠いた実感が起こる。以上のような「知識」ということへの適度な見解を備えながら、フローとストックの適正を見出す態度に健全な生産性や人間性が起こり肥満な性質へ嵌ることなく健康な社会性を意図して利益を作る意識の持続に及んで、自己満足的な知識自慢という姿に陥る事への適度感が起こり、誠実な感性や態度を表す事に持続的生存と繁栄の軌道が生まれる。科学原理の蓋然性等の認識が弱いと安易な断定表現や詐欺まがいの生産へ走りフローの活動性が停滞して人間性を下落させる。

1-2生産性と根源性のビジョン

「知る」という言葉も単純な解釈では留まらず、「深さと幅」が生まれ一様にはない。社会現象と自然現象という対象の区分が取られ人々の活動や自然の成り立ちについて言葉で記述され、それを読み込んで知るという次元と読み込んだ観念を基に例えばある歴史の発生した現場に訪れ記録や痕跡を目視して書いてある事柄との検証をもって知るという次元と、これらの歴史からの教訓を引き出し自己の未来形成的な場面で応用に活用して知るという次元が起こる。つまり、読解的な吸収、検証的吸収、応用的活用の吸収というように、「知る」次元の深さへ違いが発生する。知る事柄の幅と言った場合は知る事柄についての深さよりも種類の多さを主に表す。例えば、リンゴという果物について、名称と実態との整合で知る事は検証的に吸収する事を指し名前を知る事を意味する。リンゴという果物の動的仕組みへの解明を意図して生物という観点をもって生成の過程を知る事や更には実際的に種を植え樹木を育て実になる過程を経験し作り上げる事をもって知るという次元が生まれる。更にはリンゴというカテゴリーから品種の分化へ及び、既成の品種にはない新たな品種を作り上げるなどの過程へ及ぶ。このように深さを追求すると幅への意識は弱まり、ある限定的な生産の立場を持ち対象との深い関わりを作れば他の対象を知る為のエネルギーは回らない。「知る→実証的に知る→活用する→生産的に再現をする→新たな知を得る」という段階的な次元の違いを生む。こうした構造の下に多様な欲望が起こり多様な人々の生産を分かち合い分業によって多彩な欲望と充足の協働関係が作られる。ある特定の専門家や実務者という性格が生まれ、深みのある知見を備える生産者と幅広く浅く知識を備え体験的な知見とは違った知識を有する生産者という姿が生まれる。一定の対象を限定し作り出す工程を経験すると物事の生産に共通する原理への認識が起こり何を作るにも共通的な要素と原理を知る事へ及ぶ。こうして、一定の共通的皮膚感覚が備えられ自己の一方向的な要望などに寄らない外界の認識の上に適当な相互性を見出す態度へ及び、常識感覚の基礎をもって健全人間関係が作られる。基礎的皮膚感が異なると違和感の強い要望や対価への適正なエネルギーが起こらず不快事象と現れる。何でも与えられ自己の身を投じて作る体験の程度の相違が基礎的な感性の下地に反映される。体験的な異なりから起こる常識感覚の違いが盗みや詐欺という悪性事象への解釈の差などへと及び感性の違いが発生する。「頭の次元で知る」という生産性と実際に「ゼロベースから物事を作り知る」という生産性の相違等からも常識や皮膚感覚の事なりに及び、エネルギー循環の不調和が生じる。以上は、概ね常識的な水準の「知識」という抽象概念の中身の問いと見解に思われます。更に事実や価値という概念などへの探求が図られ根源性を問う哲学的な観点が加えられて人間の基本動作の認識が作られる。詐欺という性質の強い人間はごく自然な生産性を備える人々からは明瞭に識別される。特異な規則性や業界などが生まれ歪な性質が鮮明に映し出される。識者というある特定の知見を備える人々の意見をもって物事の判断や方向付けを図る作業が生まれる。主催者の意図するビジョンによってどんな性格の識者を集めて欲望を遂げるかという作為が生まれる。明瞭な尺度を提示できる主催者かの程度により作られる物事に反映される。人間像や社会像、自然観、時代認識などを根にして特定の生産性とビジョンが起こり有効な方法が生み出される。

 

2)根元の原理

健康な感受性に基づく生産性は、「必要なコストと売価の設定と、適正な利益率」の算定という公式へ及び、需給構造の基礎が作られ過不足のない適正値を見出す能力へ及ぶ。一過的人気取りに走ると安価な売価を設定し適正な負担への求めを表さず後で迷惑な事態を招かれる。先々への思慮を欠きトラブルを起こす顕著な例を指し保身へ偏した自己生存の欲求を鮮明化される。供給能力の適正な把握が図られず出来ない事を安易に示し、人々の関心を寄せて自己の生存を意図する責任意識の希薄な発想や論理、行為を生み出される。過大な自己評価や欲張りな性質が明瞭に表れ適正な評価感覚の劣った態度と及び、良好な結果を作るに至らない結末を迎える。個人志向や専門分業化という集権とは逆の分散の流れから、個々人が力を望み管理される事への窮屈感を抱き自己の適当な管理を欠いて招かれる負の側面が現れる。二次情報を詰め込み知ったような態度に嵌り、実際的な実現性を持つ完結的な生産概念を備えずに、出来たような意識に及んで、過大な自己評価を抱いて適正な能力を見誤り奢った態度を見せられ外界への負の影響を作られる。適当な需給構造を持ち、程よい検証の周期を内蔵して、頭と体の質実の良い実態が掴みだされ、売価と経費と利益の適正を算出する能力が作られる。利己的願望過多で供給能力の適正な把握に及ばず外界ばかりを評価して求める生産性の欠陥的な側面が浮かび上がる。こうした現象から頭脳と感覚と心の有機的な繋がりを持つ健康な人間像が不動的な根源性の型枠として描き出される。需給構造上の問題を認識し性質的な面へ及ぶ因果を掴み、適当な人間性を作り上げる観点が強まり、不健全な精神性の過度な欲求を抱かない適正へ連なる。妙なスター気取りによる一過的生産性へ流れるほどに個人化の傾向が強まり身の程を抑えない暴走へ及び売価と経費と利益の適当な産出を外して混乱を招かれる。ごく常識的な生産者の基準尺度をどこの業界にも汎用的に備え健全な常識と基盤を揃えて歪性を抑制し、良質な基盤の下の自由において持続的安定と繁栄の世界へ及ぶ。専門分業的サラリーマンの感性が進行して全体を把握する能力が満たされず、痩せ細りの感性と機能を持つ実態が叙述に現れる。事業体の全体を見渡して総括的な見解を抱ける品質管理責任者の素養が生まれて歪な精神性や能力の過大評価に及ばない力の適正な運用が図られる。盗みや詐欺に走り外界へ迷惑を与える事のない必要な能力に応じて適当な配置を構成する事において質実の良い社会秩序が形成される。頭過多の歪な成長は体の弱い悪性の精神を生み出す。人と人の適正な主体性を作る根源的な原理の認識が強められていかなる時代においても不動的な感性へ及び、基礎の厚い基盤の上に自由度の広がる調和が見出される。個人と集団、需給構造の適当な構成へ至る原理と固められる。

1)感受性と能力

「悪気はなく、外界へ悪い結果を与えてしまった」こうした事象の意味する所は感受性的には人々を騙して糧を得る発想を抱かずに、良い事を提供してお役に立ちたいという意識をもって、何某かを作り上げる態度と映る。例えば、飲食店で良質な食材を安価て入手し、安価で顧客へ提供したものの食材に悪性があり顧客の健康に害を齎せた等という現象は、悪気はなく良い事を意図したものの能力が欠けていたという性格にある。動機や発想は概ね良いとされるものの、その感受性が弱く探求心や検証へ力が注がれず人へ有害を齎せたという因果の実感へ及ぶ。感受性に適正を欠き人へ利益を提供する意思の弱い実態が明らかになり感受性自体の問題へ焦点が深まる。つまり、良好な感受性にはなく能力も向上せず両面は比例して現れると結論づけられる。人への真摯な対峙をもって良好な事物を提供し喜ばれて糧を得る自然な発想とその程度が現れ実態が測定される。健康な精神性が備われば、まずは自身で食材を食べてみて何度か繰り返し自己の身をもって確信へ及ぶ良質性の実感を抱いて人へ確かなものであると堂々と訴求して提供する態度に健全性が起こり適当な感受性から生まれる確かな道筋をもって作り上げる態度へ及ぶ。良好な感受性は良好な能力と現れ人々への確かな利益となり現れる。利己的な発想へ寄るほどに確かな工程をとらず他者の生命への希薄な感受性を抱き、安直な手段で自己の生存へばかり執着して短絡的な手法へ及んで外界へ被害を与え糧を得る行動へ及ぶ。自己自体の適正な能力を吟味せず過度な欲求が先行して前のめりの態度へ連なり外界を犠牲にし利己的欲求を抱く性格が鮮明化される。欲望の起こり方に精神的な歪みがあり、能力と責任を欠いた行為へ及ぶ事象と把握される。各種問題となって被害を作り出す事象の多くには、このような人間性が映り根源的には外界へ対して抱く感受性の在り方が起点になり能力に反映され結果が生まれる。盗みや詐欺という性質を自覚のない発想や行為に浸透して論理や生産へ及び適正を欠き失敗を生む因果と現れる。表面的な態度として人を慮るかの様子を演出し実際的に必要な工程への思慮が深まらず適当な工程を粛々と執り行わず一過性の騙しを装う精神の歪みが鮮明に表れる。頭脳へ偏した検証の弱い見せかけの偽善者を指し人間性へ疑念が起こりあまり長く深い関係を作りだす性質には及ばない。根本性の劣化を示す分かり易い側面になり基礎的躾の範疇が平準を下回り特異な領域や業界などを生み出す。こうした傾向が今日の政界やマスコミ界や周辺の業界に映る悪性面を指し分母的な感性と著しく離れた常識を抱かれると映る事が少なくない。大きな影響力を持つだけに人々の視線が集中し欠陥的な性質の実感と際立った印象が現れる。物事の作り方や表し方に適正を欠く構造上の問題から性質的な劣化を生むと推察される。個人志向が強く個人の能力を超えた願望を抱き外界へ十分な能力が満たない事への認識が劣ると見る人が多数派にも思われる。組織や集団としての協働性が求められ身の程を抑えて他者の力を借り良好な質を提供する能力が期待される。他者の力を借りながら自己が生み出したエネルギーの如く振る舞うこそ泥が少なくない。根本性の欠陥と明瞭に映る。ボンボンに力を与えない事だ。

 

社会現象の中長期的周期性と本書の主要な関心

1)個人と集団の適正

人間心理の適正面に平等思想があげられる。欲求や要望を一方向的に表すことなく外界への効用が伴い自他との適当な相互性が生まれる。外界を評価して方法という要素が含まれて、有用な提案と実際へ及べば相互性が生み出され平等思想の反映された態度と実感される。表現者自体へのクレームがしばしば起こされるようでは外界への表現に適正が弱く自己改良のエネルギーが進んで内外の適正な相互性が生まれる。組織の一員として外界への良好な提案を示す活動が生まれる一方で身近な自己組織へのクレームへ耳を傾け改善意欲を投じて健全な相互性が生み出される。利害の遠い外界への評価や提案を行う容易性からそちらへばかりエネルギーを注いで身近な不快事象との対峙を避けるようでは感受性自体に疑問符が起こり生産者の適正への疑問や人間性に疑念が及ぶ。身近な人間関係の良好性を果たし外界への適当なエネルギーを生み内外の調和を見出す感性に健全性が実感される。個人志向が過度に進み集団の一員という意識が弱まり個人的利益へ重心が取られて組織への評価を気にかけないのではどこか社会性の在り方に適正を欠き、感受性や欲求の起こり方という根本性へ疑念が及ぶ。身近な面との真摯な対峙へ及ばず、利害の遠い所へ意識が注がれて一過的な良好性の提起をもって糧を得る態度に、どこか体や心の希薄化した頭脳的な作業の性格が映りバランスを欠いた人間性と映る。

感受性の適正を喪失した商売先行型の行為は長く続かず健全な精神性を基盤に適当な内外関係を図る態度に持続的なエネルギー循環が発生する。専門職化や分業の過度な進行は根本性を脆弱にし感性面より機能性へよった生産の傾向と現れる。自己の側を含めずに外界へばかり視線を注いで一方向性の評価感覚を強め外界から違和感が示される。外界からの評価へ対して反応が起こらず、外界へばかり評価する態度に相互性を欠いた平等思想の適当な運用と乖離する。これが酷くなると根本理念が形骸化し精神性の歪んだ偽善的な行為で糧を得る詐欺の心象が強まる。このような性質が寡占的需給構造から生じ、改良のないまま温存されると各種の負を生み悪性の影響が広がる。集団への関与が弱まる個人化が進行し同一看板を背負う同一意識が下がり、図体ばかりがやけに大きく中身の統制されない主体性にあっては個々人の暴走へ及び、制御能力の満たない集団が作られ健全な主体性を外した状態を齎せる。集団の適当な自己紹介を示し責任範囲を明瞭に謳い定期的な検証と改善の規則性が内蔵されて質実の良い主体性が持続する。ラインとなって組織に芯を作る組織管理力の適正から良好な生存と共存へ及ぶ調和が見出される。寡占や法に依存した事業活動に及ぶほどに外界との適当な対峙から外れて歪な精神性が作られる。責任意識の劣る恣意的な個々人による生産や表現が高まり各種問題事象が発生する。専門分化と統合の適正感覚を作るエネルギーが起こり、個人と集団の適正規模を求める事へ及び欲望と力と責任の均衡を基準尺度として集団や個人の健全な主体性像を作る事へ及ぶ。

2)個別と共通と根本の価値構成

このように個人と集団の関係を適当に整理して集団の性格を内外へ表す観念体系等が作り出される。或いは最低下限的な共通性の形成という発想から管理者への適当な管理の範囲を限定して制約を課す態度が生まれ能動的集団形成と消極的集団形成という志向性で大別される。言い換えると統合と分化という動的変容過程の周期性が起こり時々の諸条件的な変化への最良性を作り上げると共に変わらず生まれる根本的な原理の構造で適正が制御される。哲学的には動静原理ともいう抽象表現に及び、社会システムの大局からは経済と政治と文化という領域観が生まれ各領域の割合や相関の抱き方へ及んで思想の特徴が現れる。

専門分化と統合性が図られて、それに適する観念を適用して領域という集約で掴みだされる。外へ提供するエネルギーと対象との相関で主体性が掴みだされ、供給論理と需要の心象で適正感が起こる。領域概念と個別質感が繋がらないと顔の見えない主体性へ及んで権利と義務の相関に適正感が及ばず、意思疎通が乖離して調和が崩れる。適当な感覚的質感と領域を表す抽象概念との適当な相関へ及ばせて規模や質の適正を見出し分化と統合の適正を図り専門職と総合職、固有技術と管理技術の良好性へ連ねて有機体の健全な感受性と体と頭の繋がりが生まれる。看板ばかりがやけに大きく一貫した領域の感受性と機能の相関が弱まるとてんでバラバラな個々人による利益を求め統制の弱い無秩序化した行為が現れ外界を掻き乱し負の影響を強められる。健全な管理能力を超えた組織体が物理性への依存による粗雑な制御へ走る。目先の金を掴む意識が偏り理念もビジョンも喪失して、酷くなると犯罪へ着手し制御不能な病理的主体性に及ぶ。このような規模の拡大と専門分化による重層的な組織階層の多段性によって感性と機能の適当な制御への視点が注がれて個別と共通の適正へ及ばす根源性の原理が作られて変わらず残る健康や健全な性質を保つ事へ及ぶ。立案と実施と検証の持続的サイクルによって主体性の適正が制御される。立案の部分がやけに大きく、或いは立案作用が形骸化しお飾りの政治などへ及ぶと中身を作らない不要な存在が妙な精神性を宿して利己性の強い管理や支配欲ばかりを先行した態度を表す。実施への責任意識の劣る形式上の立案作用から各種の弊害が発生し、需要者への利益よりも供給者の存続を優先した局所的利益に傾き、広く大きな利益を作るエネルギーを喪失して利益を生まずに利益を奪う性格が強まる。知識自慢のような醜態へ及んで実質性の果実を生まない不健全な生産性と現れる。こうした悪性の流れを掴み、適度な管理力をもって個人と集団の適正を図る活動が求められる。流通機構の肥大化や悪性作用が進む事への修正が起こり社会システムという大局からの改善へ進む。マスコミや政治行政、教育分野、大手企業の病理性へ対して適当な感度をもって不要な生産性の拡大を抑制し筋肉質な感度や緊張の適正をもって、社会の良好な秩序を図る視点が強められる。健康な心理に根差して不動的な良質性への欲求が生き続けて、物理依存への制御が起こり適当な改善意欲が投じられ自己を律する健全な性質の存続が図られる。自覚症状の弱い長期周期で積み重なる慢性的な肥満が生じて根本性の劣化へ至る根の深い病理性を適正化する作用が生まれて持続的安定と成長の軌道が確保される。

3)憲法の実際的な捉え方

観念体系の一つに、人々の共通的な価値を表し国の性格を規定する「憲法」がある。私なりの感覚では、憲法という枠組みも自己制御する理念体系という要素と対外的な自己紹介という意味と実際的効力という面に照らして、複合的な側面を内蔵する事柄と捉えられる。自国の性格としてこうありたいという理念の要素と実際的な質感を得て実態が掴みだされる観念と感覚による実証の枠組みをもって位置付けられる。ただ言葉で謳うばかりでは事象の実感に及ばない。自己の主体性を観念的に示すと同時に実際的に作る工程が視野に入って理念と実現の軌道が生まれる。実際性という面から周辺諸国等の外部環境の実情が抑えられ、理念を遂げる上での感覚的質感に視野が及んで実効性への利益が算定される。実質的な利益に及ばない観念だけでは片手落ちとなり、理念のみならず現況と方法の性格を含めて憲法が生きた性格を持つ。自身の解釈のみでは独り善がりの自己主張に留まり外界から自国への態度がどのようにあるかを考慮の上に実際上の相関が現れる。「頭と体で実態」という公式が置かれ観念と感覚を繋げて適正化される。主体性は自己のみならず外界にある要素との相関で作られ人と人で人間が現れる。単独して自国が存在する事はなく他国からの認識や相関を含んで主体性像が作られる。どこか頭のみの解釈や理念のみを表す解釈や単独的主体性像に留まり憲法を捉えられているように感じる事が少なくない。自己の欲求を表す行為と実際的充足に及ぶ効用の面を含んで且つ表現行為自体の有効性を捉えて真相真価が測定される。つまり「観念と感覚を繋げて実感や実態」という根本原理の下に、1.表現行為自体への意味や効用を問い2.主体性という概念の適当な認識を問い3.1.2を抑え内容構成への問いを起こす面へ思慮が及んで健全な解釈や実態が生まれる。

4)本書の生産性

以上のような中長期的に見る社会現象の周期性の実感が起こり、これらの適正を作り上げるのに根本性や全体観への問いが生まれ文化や哲学という観点がクローズアップされる。変わらず持ち続けたい人間性や人間と自然と道具への問いと答えを探し、個人と集団や経済と政治の適正を作る原理と作用する。人間の基本動作への深みある考察を経て体と頭と心の適正な相関を鑑み、健康な人間性をもって各種創造性に連ねる良好な根源性を探し内外関係の適当な調和を見出し、自立と協働、生存と共存の持続的な安定と繁栄の生態系が形成される。以上のような焦点が本書の主要な関心と現れこれへの探求と提起を試みます。

 

文化的な観点からの事象の峻別

原理と適用という枠組みをもって、直観的な動物性の反応に及ばない理性的な考えが示される。利己的動物反応は、皮膚感覚的な利害について、訴求する反応と現れ、余りに酷い理屈の見えない損害への怒りが生まれ、その反応が示される。考えるまでもない直観性の態度を指し、これは極めてまれな事態と思われます。生産的な反応は、長年作り上げられた生活の中から次第に構成される適正な因果の体系と現れ、原理原則という抽象概念になって構成される。これに基づき個別事象への評価感覚を起こして、一定の見解を申し述べる態度に、定見を備える成熟した理性が現れる。

抽象原理を示し個別事象の認識をとって、それへの局所的な評価や構造的広がりを思い浮かべさらには、人間の根源的性質面へと視野を及ばせて、大局観を持った感性へと連なる。このように、直観的な快不快反応と理性的枠組みを備えた分析が生まれ、生産性へ及ばせる態度が生まれる。

盗みや暴行、詐欺という単純生理的不快事象は直観的な理屈のない不快感が発生し、人間の根源的な性質に見る欠陥への自然反応と起こる。理屈ではなく皮膚感を指し、この違いへの調整は極めて難しい体質上や生理的な部分となる。慢性化された規則性や永年の時をかけ作られる性格に相当し、極めて特異な領域と万人的な常識との違いと現れる。ボンボンの特殊性や寡占構造における一方向的なエネルギー関係等から生まれる体質とも思われる。

多くの場合は、原理と適用の生産的な枠組みをもって、理性的な表現へ及ぶのが、人々の関係を指し、各人の歩みから良く考えに及ばせた枠組みを作り、それと個別事象の適用において実践的な応用的創造性へと連なる。この感性的交換に、様々な見方の違いや発見が示され、建設的な意味の相互的な学びを形成する事に知恵の交換が生まれる。前者の皮膚感覚的な違いは話ならず、躾レベルの相違は、真面な関係を作るには及ばない。構造的性質的な欠陥への深刻な感度をもって、社会的な問題とクローズアップして、極めて特異な性質への然るべき対処が図られて、マイナスの拡大を阻止する事へ連なる。このレベル事が少なくないのが現代社会の特徴となり、敏感とも思える根源的な不快感が生まれる。過敏というよりも、極めて通常的な感性とは異質の歪性による不快事象を指し、根の深い積み重ねられた特異性の悪性面が顕在化して、局所事象として実感へ及ぶ。ここがしばしばニュースとして切り取られ、ヒステリーのように映るものの、良く伺うと適正な反応と解される事も少なくなく、分母的常識感を欠いた根の深い病理を持つ性格に寄る一方向性の悪性を放ち現れる本能的な態度とも見受けられる。

これらが潜ることなく顕在化する事は、寧ろ健全性を指し、より問題なのは表に現れない事態を指し特殊性が特殊なまま温存され、悪性への周知や改善圧力が働かない場合を指す。構造的病理に覆われ、一帯が病んだ性格と及んで、出現させるべき問題を包み隠す組織的隠ぺい性に、闇の深い陰気性が作られる。こうした文化や性格を進行させる事なく、システム上の要路には、健全な自己の尺度を作り上げた性格を備えて、公明正大に事を運ぶ文化が生きて、悪性の歯止めが生まれる。根の痩せ細った自己の尺度を持たない組織人という歯車に及んでは、配置と役割の乖離を生み、アンバランスな配置上の問題と映る。

権力の圧力などで、歪な常識への適正な感度が生まれない事には、陰湿性の病理が進行し、部分性の利益へ偏した常識が固まる。特殊な宗教や思想、慣習などの影響が及んでクローズドな体質が生まれる事へ対して根の太い健康な感性をもって、内股気質の形成を改良する事に適正が起こる。権力の乱用か、評論の粗雑性か、いずれに相当するものか。原理と適用の構図に及ぶ事か、直観性の悪性であるか、この峻別を持ち、事象の認識へ及ばせて、事の真相や次元を掴み、適当な感度を当てて、対処する事へ及ぶ。根の深いクズを看過せず、構造的に切り込むことが場合によって必要なのでしょう。病理の自覚のない悪性は深刻な社会事象と周知させ、抜本的な変化に狭まれる。以上のように、事象の二つの性格の違いと、問題の取り扱い方の適正という見解へ及び、理性的な生産性が生まれる。生理的不快現象と、心理的な思慮を図って生まれる不快事象という質の違いが生まれる。

 

春吉流家訓 無形財産の形成

「みんな光を浴びたい」これが不動的万人の根本欲求を指し生命を躍動的に輝かせ旨い物を食べたいという本能と思われます。人々への利益を作り上げて叶う事であり堂々と健全な動機を持ち堂々とした方法で本能を遂げる事に健全な性格が映る。活動のフローに良好性を抱くと共にある節目で見る目的の達成における充実感をもってエネルギーの投入と返還の適正へ及び再び持続的な活動へと回り喜怒哀楽を味わう。多くの場合、プラスばかりなくマイナスも現れ、マイナスは同時にプラスとの不可分の相関を持ち発生する。マイナスもプラス要素として学びと反省の機会を経ながら栄養と吸収し総じてプラスを掴む前を向いた活動に快適感が継続する。こうして次第に自己の認識が形成され引く所と出る所の適正が備わり自己のみならず他者の尊重へ及び生存と共存の適正へ及ぶ。何でも思うとおりには行かず適当な範囲の漸進的な発想から質実を得る工程により各種の発見を得られる観点が宿る。この観点が成長する程に多様な感性や観測を得られ人間自体が成長して外界にある事柄の多様な性格を映し出す。盗みや詐欺に寄らず真面に対象と対峙して知見や感性が深まり広がり見えなかったことが見えるようになり無形の財産が積みあがる。自然形成的な人間の成長原理を指しプラスやマイナス、多種多彩な感じ方を抱ける事が富の源泉に相当する。こうして「旨いもんを食う」事になりまずい物を食べないと旨いもんの発見に及ばない。盗み症の怠けもんの愚図はこの味覚が退化する。ボンボンに顕著に表れ愚図が連鎖する事への対策が投じられる。クズな手法で糧を得るような事は一切認めずクズはクズの配置でまずい飯を食うことだ。クズに光を照らす事無く光を翳して本性を明瞭にさせ真面な性格へ及ばせる道が必然である。サイバー犯罪はクズの象徴だ。マスごみ体質は不快極まる。死ぬまで、負け犬として悩み苦しみみすぼらしく小さくなって銭と一緒に端っこの方で、縁起の悪い奴として生きればいい。「堂々と大手を振って歩け」と爺さんは死ぬ間際に言った。春吉流家訓となる。

 

 

技術と需要の根源性

事業経営の中で「顧客第一主義」等と呼ばれる。この方針も、哲学的な観点から深い吟味に及ばせ真相真価を掴むことに及ぶ。総論的な意味は「顧客が望む事柄を第一に優先して事業経営に対峙して提供事物と対価を交換する事において事業の存続に繋がり、事業体と従業員の生存へ及ぶ」とする論理に思われます。これに対して実際的な場面では一過的な取引や長く反復的な相関を持つ場合や、取引の大小という多様な顧客がおり、或いは要望ばかりを強く求め対価を十分に払わない人や有用な知恵を与えてくれる顧客や恣意的なクレームばかりをつける人々等々が存在し、総論のように一様な対応に及ばない現実に直面する。理念と実際の乖離が起こり空疎性の高い理念である実態が掴まれる。事業の存続には個別場面に適当な裁量をもって適当な判断が求められ詳細な基準を日頃の活動の中で形成して皮膚感覚的に伝わる良好な対象との優先的な関係を作り顧客に応じた適正を見出す事へ及ぶ。これが事業体の前線で顧客と対面する営業部員から見る対話関係を指し、技術の直接的な作り手となる生産の立場からは違った感覚が現れる。同じ生産現場で技術を日々磨き協働して作り上げる生産工程にあっては、同質的な技術分野を競いながら技に長けた人々と未熟な段階の人々が発生し後者は前者の技を覚え栄養にする意識が生まれる。技への権威や憧れという感性を持ち、より良い技を習得したいという向上心が生まれる。この関係においては上級の熟練者が理念の支柱になり、同質的な技への共感を抱き同じ供給者として自然に序列感覚が生み出される。ここに純粋性の価値が備わり誰彼に言われるまでもない上下感覚や並列感覚を持ち、快適なコミュニケーションが作られる。この場合、未熟者が顧客の性格を持ち熟練者が備える技術へ対する純粋な価値を抱いて技術を購入する関係と見做される。常日頃同一的な空間におり価値への同一性の高い感性が生まれる。顧客へ対して確かな自信の裏打ちされた技術を見せる牽引者が事業体の求心力を持ち、それへ人々が集まり対価を払い技術を吸収して更に二次三次的な技術への価値を抱く広がりが起こり事業体の外側の顧客という線引きが作られる。こうした相関を浮かべると事業存続の要因は技術創造者の存在とそれを良いとする技術を身に付けたいとする人々にあり、ここに中枢的な価値が実感される。冒頭の「顧客を第一にする経営」という言葉の意味からは少々異なった解釈へ及び、供給論理と需要者論理の適正を見出す観点が生み出される。技術志向型の経営と営業力に軸を持つ経営という事業の性格的異なりなどが相まって理念や方針の起こし方に違いが生まれる。日頃、身近に同質の業に就く人々の間で純粋性の原理の共有とそこから見る序列に自然な感性が生まれ、「彼が言うのなら」という説得力の根拠が作られる。彼でダメなら致し方ない。という仲間内での納得や合意が作られる。供給者論理の適正な解釈が作られると共に外界からのエネルギーを貰う部分が発生し売価と経費と品質を作る観点から生存と持続性へ及ぶ適度な調和を作り適正へ及ぶ。生産と流通という分業構造が生まれ顧客の細かな要望を伺う体制へ流れ本来的技術の中枢性が薄くなり価格やデザインへの意識が強まる事からの価値の損失面へ視線が及んで技術の本質を抑え適正な価格を求め技術の真価を崩さない根源的価値への認識を作るエネルギーにおいて持続的生存と繁栄の道が生まれる。流通機構の購買力への過度な重心は中身を希薄化し一過性や短変数化の感覚を作り人間性へ反映される。管理業務へ偏し固有技術の意識が弱まり感性や需要が痩せ細る。安い事が良い事なり技術の弱体化や技術が喪失する。規格量産の正負の側面が抑えられ規模の合理性への真相が掴みだされて適正な創造と需要を見出す事に健全性が起こる。根源性の認識が強め二次三次の建設事物へ反映させて適正が生まれる。物事をゼロベースから体を起こして作る規則性が減少する程に技術を見る感性が衰弱して一過性の経済性へ意識が進み人間性の破綻へ連なる。こうした文脈が万人的な基礎教養の範疇に加えられ根の健康な社会が生まれる。本来業務を疎かにしてマスコミへの露出を高め一過的経済性を求める傾向が強まる今日の状況は根の壊れた有機性を顕著に表し、健全性と乖離の認識へ及んで適正を作る発想が生まれて正常化する。理念とビジョンが土台に起こり組織体制が現れ需給構造が出来、生存と共存へ連なる。物理的力や権力は二次的配置となりフローの良質性による健全性の持続が生まれる。

根本性ビジョンの再生期

飾り熊手の販売において、「領収書をくれ」等ということは、昔は皆無であった。しかし、今日の人々の感覚では物品の購入と同様に損得計算に含まれ経費で落とす事が少なくない。葬式の花輪やお布施なども同様の傾向がニュースなどで報じられ、信仰心や思想、長期的なビジョンの形成などという感覚がどこか消え失せ物理的即効性の感覚で支配される。経済的な不況の長期化やデフレ環境の影響を受け、「安く良いもの」というトレンドがあらゆる発想や思考に忍び込み、金銭への神経質な感度が強まり人への要望も精緻化し利益を得る事や損失へ厳しい態度が露に生まれる。市場原理の強い影響や外部環境の激変から生まれた結末に映り、資本の原理で急激な集約が進んで規模の利益を強め価格競争力による差別化が進行する今日の需給構造へ及ぶ。情緒的な面などは間髪入れず生存の最良性を最適解と割り切る判断に富が集まり物理原理を通す事で経済的優位性を掴む傾向と映し出される。こうした原理を全面的に否定する事には及ばないものの長期的な周期や大局的な観点から未来の持続的成長を描き適当な手法を投じる事において歪な成長やパイの縮小を回避する健全な成長概念が描き出される。物性の過度な従属性への修正期にあるのが長く見た大局からの転換期における価値を更新する態度を指し、持続可能な安定と繁栄をいかに作り上げられるかに人々の根本的欲求が集められ健全な人間性の起こりと良好な共存への志向性が確認される。単細胞の直線的な軌道から持続的循環の系を描き、単線から複線、直線から循環、一過性から継続性、権利と義務の適正、欲望と力と責任の均衡という根本概念の適正へ至り、生態系の健全な有り様を探す意識が強められる。この過渡期に立ち会い各種混乱が表出し旧来秩序と新規的な概念の葛藤が生じて問題が表に現れる。良い変化の軌道へのエネルギーを指し根本的な面から物事を考え長きに渡る良質性を作る建設的な衝突はプラス発想を向けて正々堂々と正論を投じる態度に健康な性質が生まれる。この改善意欲を投じて少々の衝突に後ろ向きにならず堂々と良好な原理を追求して中長期の利益を作る態度に適正が生まれる。未だ、保身性の強い政治家やマスコミ、行政や物理依存の激しい財界人という一部の勢力が肥満な体質の改良への抵抗を示す態度もしばしば起こり、それへぶら下がって糧を得る輩も相まって良好な改善への力を停滞させる。根本的な概念へ思慮を深め健全な人間像の形成へ熱を注ぎ過剰な欲求と責任の不足への適正化を進め未来の良質性を見出す力が求められる。適正なビジョンが強まり肥満な性質が浮き彫りになりそれへ不快を自然に示す社会常識が進行して適正化の道筋が生まれる。膿を出し切る覚悟で肥満症を炙り出し構造的欠陥への改良に着手して性質を適正化する健全化のビジョンが自然な潮流と起こされる。盗み症、詐欺癖といった基礎的躾の至らない行為は明瞭な肥満症を指しこれへの適正な対処から欲望と力と責任の均衡ある主体性を作り良質性が増進する。長期周期のビジョンを土台に中期や短期の判断を見誤らない重層的な概念の形成へ意識が持続し真に良好な判断が見出される。競争圧力が過熱する事へ対して、姑息な手法を多用する破綻的な性質へ及ばない根の盤石な人間像が固められ基盤を見据えた前進軌道が生まれる。

日本社会においても、クズがいつまでたってもけじめを付けず醜態のまま居座り続ける。きれいさっぱり根本的な悪性を片付ける事に適正が生まれる。

体と頭と心の相関と動詞と名詞の関係

名詞と動詞の関係は、動詞が先立ち名が付く。これが体から頭の反応を指す。対象とのフラットな交わりをもって体験的に物事の認識が起こり、その積み重ねと集約の機会に名が付けられる。体と頭の適度なバランスによる観念と及んで、質実の実態的な皮膚感に至る言葉が生まれる。頭ばかりを先行する態度とは、フラットな交わりを避けて上から下へと指令する構造意識が強く働き、体よりも頭の作業へ割合を強く抱き、中身の弱い欲望過多の姿と映し出される。体の交わりとは、何も身体的交流ばかりを指す事はなく、発した言葉に何某かの効用を実感し、役に立ったという心象から、発信者との意識が繋がり、体の交流が作られる。外界への真摯な対峙から、有用な表現が起こり、「真にそうだ」という共感等から何某かの問題への解決的な作用へ及んで、言葉や論理自体に意義が生まれる。

良く考えが行き届いた創造事物の一種となり、観念という意味に留まらず体の交わりという効用を持つ表現と解される。こうした意味の名詞や論理が出現すれば、動的状態を経て生まれる質感に届き、人々への親しみやプラス型の心象へ連なるものの、過去の経過にこれが見られないで、唐突的に名前が出現すると、表現者の一方的な欲望過多の力んだ態度と映り、頭ごなしに強要する表現へ及んで、反発的な反応が外界から示される。

これらの根底には、心の問題が浮かべられ、外界への利益を作り出すという本能的な情感の性質に見る良否が測られ、自己の生存ばかりへ意識が向かう態度と、外界への生存への意識の割合に、適度感が弱いと、心の在り方へ疑問符が付き、自利に偏して外界を利用するというエネルギーを常態する性質への違和感が起こり、どこか健康な感性を喪失した欠陥的な人間性と見做される。体と頭は、生物物理的な要素と心理的な要素を反映して動きに至り、その動きの中で、人々への良好な心象がマイナス性よりも増せば、好感が生まれ、逆であると、不快が生まれる。

このように名詞と動詞の相関が生まれ、内実を測定してそれへの態度が未来の相関へ及んで、親密性の深まりか、疎遠な関係かへと至り、発信者と受信側との持続的な意識に及ぶか、意識から喪失するかの結果が予期される。

物理的力へ過度な依存の規則性が進行する程に、考えの深まりに及ばず、短絡的な手法で糧を得る生産性が進み、力を自己の利益の充足手法と見做して、外界へ提供するよりも外界から奪う為の道具として物理性が投じられる。永年の時を経て作られる発想や欲望の抱き方が無意識的に態度へ現れ、外界への強要的な要望を、ごく当たり前の感覚として強め、言葉などの表現となり伝わる。そこから予測される未来像は想像に難しくなく関係の図り方に反映される。

力依存型の規則性は、力の保有から構造を作り性質と現れる。力依存への強まりを適度に制御される健全な性質は、それを反映した構造を持ち、部分事象を作り出される。力任せで糧を得る急激な力の獲得へと慣れると一時の繁栄は得るものの、感性的な連なりは希薄化し、利用の道具という物理化が強まって人間の根源性を崩した生存と共存の世界へ及ぶ。こうして漸進的な作法による創造性を良いとする感性が培われ、生滅不可分性の感覚を根にした表現や生産が生まれる。理想的な概念の保有から現況の主流的な立場の状況への認識が起こり快不快の心象が作られ変化の手法や欲求へ連なる。どんな人間像に適正感を抱くかという理想図の備え方を起点にして創造が起こされる。体に浸透した理想図か、外界への要望的な理想図となるか、過程の作り方から頭と体と心の在り方が形成される。

組織化や体制面を作る事ばかりへ意識が向かい、管理的欲求を強めて後から中身を入れる生産性などに現れ、そもそもの理念やビジョンの弱い小手先の技術に走ると、その組織や体制は脆く弱い構造が生まれる。管理や支配自体が目的となり、作り上げる事柄や根本の感性の基盤が見られない物理依存型の創造と映し出される。内面は、敏感に外観へ察知され誤魔化しきれない。